マルト国。広く豊かな平地を持つこの国は、古くより農耕と共に歩んできた。
 恵まれた土壌に澄んだ空気、良質な湧き水。そして、長い歴史の中で培われてきた知識。これらをつぎ込み作られた野菜や肉は、知る人ぞ知る至極の品であるという。

 そんな農耕の聖地とも呼べる国の中央部に位置する首都。その中でも一際大きな木造りの屋敷に、初老の男性と少女の姿があった。テーブルを挟んで座る二人は、片や険しく、片やにこやかに言葉を交わしている。
 事情を知らぬ者がこの光景を見たならば、気むずかしい祖父と快活な孫娘が世間話をしているのかとでも思うかもしれない。

 実際は、ビジネスの交渉などという生臭い会話なのだが。

「この時期は、貿易路がある山脈の天候が大変不安定でな。山越えの最中に天候が悪化すれば、荷物だけでなく運び手の命にも危険が及んでしまう恐れがある」

 口を開いたのは、マルト国の大臣を務める男性だ。シワがいくつも刻まれた額と禿げ上がった頭が、長きにわたって国政に関わっている者の苦労を雄弁に物語っている。

「私達のウリは速度と精度です。天候不良なんかに移動は邪魔されませんし、空(うえ)には賊なんていませんから、荷物の安全も保証できます」

 男性の対面席に座るのはメリュ。こじんまりとした体躯を椅子に預け、手元の紙に時折目を通しながら、持ち込まれた依頼の確認作業を進めていた。国の中枢を担う相手に対して臆することなく対応できるのは、自身の技量に十分な自信を持っている証拠だろう。

「ははっ、それは頼もしい。――おい、荷物をここへ」

 大臣は、部屋の隅に待機している数名の護衛に指示を飛ばした。慌ただしく駆け出す護衛の背を見送ったメリュは、ふと思い出したように大臣へと向き直り、言った。

「まだお聞きしてなかったんですが、運び先はどこでしょう?」

 一瞬だが、大臣が言葉を喉に詰まらせたのがわかった。メリュはそれに気づかないふりをした。

「――オルトライ国だ」
「オルトライ国、ですか?」

 オルトライ国は、マルト国の近隣国だ。セツの飛行速度であれば移動に一日とかからない程度の距離にあるため、比較的楽な依頼になるだろう。
 難度を考えれば拒む理由はない。しかしメリュは、歯切れの悪い返答しかできなかった。依頼を受けるにあたって仕入れた知識が、メリュに快諾を許してくれないのだ。

「何か問題でも?」
「いえ、私達には問題なんて。でも、この国とオルトライって確か、随分と昔に国交を断絶してませんでしたっけ」
「……なるほど、周辺との関係は調べてあるようですな。その通り、どれほど昔かもわからぬ時期から関わりを断っている」

 マルト国、オルトライ国、そして二国の中間に位置するバーツ国は、長期間に渡る国交断絶状態にあった。正式な記録が残っていないため、何時からなのか、きっかけが何なのか、それらが一切明るみになっていない。ただ『関わりあいを断った』事実だけが受け継がれ続け、今に至るまで、一触即発のにらみ合いが続いているのだという。

「だが、いつまでもこのままという訳にはいかん。この状況は、何かしらの形で打破する必要があるだろう」
「で、そのきっかけに今回の荷物を……というわけですか」

 そこまで話し終えた時、タイミングよく護衛が木箱とともに戻ってきた。見た目はありふれた大きめの木箱だが、二人がかりで抱えている様子から、中身はかなり重い物なのだろう。
 木箱の中身が何かはわからない。知る権利も無ければ知る必要もない。メリュに許されているのはただ一つ。

「わかりました。その荷物、私達が責任をもって運びます!」

 国同士の均衡を崩す、その非常に重い意味内包した荷物を届ける事だけだった。

 

***

 

 灰色の矢がマルト国の空を翔ける。

「それじゃあ内容の確認。今回の依頼は『荷物をオルトライ国へ届け』、『国印の捺(お)された受取証を持ち帰る』こと。報酬は受取証と引き換えだって。問題はないよね?」

 木箱を受け取ったメリュは、予め近くに待機してもらっていたセツと合流し、その足でオルトライ国へと出発した。
 道中、受けた依頼内容を簡潔に伝える。それに対するセツの返答は簡素なものだった。

『その辺の対応はお前に任せるほか無い。我にできるのは、目的地まで移動することだけなのでな』

 苦笑しながら、りょーかい。と呟く。そしてメリュは手綱をきつく握りしめた。
 マルト国からオルトライ国へ最短ルートで向かうには、天候が安定しないと言われる山脈付近を飛行する必要がある。荒れた天気になったとしても、セツの強靭な翼に影響は出ないだろう。しかし、上に乗っているメリュが耐えられるかは悪天候の程度次第。相応の覚悟を持って挑む必要がありそうだ。

 山の傾斜に沿って飛行をしている時、メリュは進行方向――つまり登山道から外れた場所――を歩く人影を見つけた。セツの羽ばたきが起こす風は非常に強い。滑り落ちでもしたら大変だ。

「セツ、高度上げてくれる?」
『わかった』

 メリュは慌てて、セツに上昇の指示を出した。山特有の上昇気流に乗って浮かび上がったセツの真下を、人影が一瞬で通り過ぎていく。滑り落ちたり転んだりといった事故は起きていないことを確認し、セツは密かに胸をなでおろした。

「……カゴと、ツルハシ」
『どうかしたか?』
「いや、なんでもない」


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