幸いにも天候は崩れることがなく、一人と一匹は無事に山脈を越えることができた。
 出発から数時間。オルトライ国領の景色が見慣れてきた頃に、メリュが大声を上げた。

「見えた! あれが首都だよ」

 山々に三方を囲まれた土地に並び立つ、レンガ造りの建物郡。木材と粘土の加工技術で発展したオルトライ国の、長年培ったノウハウを結集し作られた街だ。
 一際目を引くのは、平野部を縦断するように建造されたレンガの壁だろう。行き交う人の丈より二、三倍も高いそれは、周囲の山脈とともに、街への外敵を防ぐ役割を果たしているようだ。

『随分と物々しい壁だな。まるで城壁だ』
「あの街に国王が住んでるんだから、あながち間違いって訳でもないかもねー」

 セツの翼の前では外壁など有って無いようなものだが、流石に飛び越えていくわけにはいかない。メリュとセツは首都からほど離れた森へと降り立ち、移動の準備を始めた。

「よっ、と!」

  首都へセツを連れていけない以上、ここから先はメリュの出番だ。掛け声とともに、肩紐を取り付けた木箱を持ち上げるメリュ。相当な重さがあるそれをすんなりと肩にかけた彼女は、軽く伸びをし、セツの方へ向き直った。

「じゃあ荷物届けてくるから、しばらく休憩しといてね。あ、誰か来ても脅かしちゃダメだよ?」
『誰がそんな子どもじみた真似するか』

 軽口を叩きあった後、メリュは首都への道を駆けだした。荷物の重さを感じさせないほど軽い足取りだった。



***


「マルト国からの貢物、だと?」

 王居へと足を踏み入れたメリュを出向かえたのは、数名の老人――おそらくは大臣達だろう――と大勢の兵士だった。国交の途絶えた相手からの使者を警戒するのは当然だろうが、ここまで露骨だと良い気分はしない。

「証拠が必要でしたら、契約書の方をお見せすることもできますが」

 抱えた不満を欠片も見せず、メリュは事務的に契約書を差し出した。一人の兵がそれを受け取り、大臣達の元へ運んだ。
 一人、また一人と契約書に目を通すにつれ、その表情が驚きと懐疑に染まっていくのがはっきりとわかる。全ての大臣が難しい顔になり、落ち着きなく目配せを始めたのを見て、メリュは依頼の達成を確信した。

「よかろう。真贋を確かめる方法など我々にはないが、こんな手の込んだ冗談を行なう馬鹿などおるまい」

 そう言って大臣は、兵士に木箱を受け取るよう指示を出した。メリュから木箱を預かった兵士は、ふらつく足取りでそれを大臣達の前へ運ぶ。
 ドスン、と物々しい音を立てて床に降ろされた木箱。封が解かれ、中身が姿を見せた時、半信半疑といった様子だった大臣達の表情が、疑念一色に塗りつぶされた。

「……なんだこれは」

 箱を開けた兵士が、木箱の中身を取り出す。"黒い石のような何か"と、折りたたまれた白い紙のようだった。紙は何かしらの文書であることが容易に想像できるが、"黒い何か"の方は少なくともメリュの知識に無い。
 メリュが考えを巡らせている間に、文書と"黒い何か"が大臣の手に渡る。受け取った大臣が折りたたまれた文書を広げた瞬間、部屋の空気が一気に冷え込み、ざわついた。

「えーと……何か問題でもありました?」

 嫌な予感を噛み殺しながら、メリュはぎこちない笑顔で問いかけた。

「問題しかないわ! こんなガラクタで我々が納得いくとでも思ったのか!」

 予想通りというべきか、返ってきたものは怒声だった。
 発言から察するに、文書での要請内容と見返りが不釣り合いだったのだろう。一体何を書いていた? 何を運ばせた? 唐突な状況の変化に耐え切れず、メリュの頭が無駄な疑問で溢れかえった。

「これでハッキリしましたな。彼の国は、我々を対等の国家として見ていない」
「もはや然るべき対応を取るほかないでしょう」

 ――ふと我に返ってみれば、部屋中が物騒な言葉であふれていた。もはや事態は取り返しの付かないところまで進んでしまったのかもしれない。

「ちょ、ちょっと!? 少し落ち着いて――」
「何時までそこに居るつもりだ。命は見逃してやるから、そのガラクタを持って去れ!」

 それでも食いついたが、一蹴された。
 これ以上この場にいても、できることは何もない。そう察したメリュは、一礼してから木箱をひっかけ、逃げるように王居を後にした。



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