『どう生きるか、つらかったときの話をしよう』

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ちょっと気になっていた本があったので、2〜3ヶ月前だったか、図書館で予約をしておいた。

その本が借りれたので、少し読んでみた。


これは、今の自分に読ませるべく与えられた本だと感じる。






宇宙に行くことは、強烈なインパクトを内面の世界に与えるものであったし、すばらいし体験だったけれども、それは『体験』に過ぎない。

体験はすべて、時間とともに成熟してゆくものである。


全身全霊をかけて立ち向かっていたものが消えると、自分には価値がなくなった、自分は必要とされていない、と思ってしまうことや、何をすればいいかわからなくなってしまうことは、誰にも起こりうること。



苦しみの原因は、自分はどういう人間か、本当にやりたいことは何か、自分はどう生きるか、ということを、他人の価値観や評価を軸に考えてしまっていたことにあった。


自分の心の中、自分の人生に向き合うことは、宇宙にいくよりも困難なことかもしれない。

でもそれを通じて、自分で自分のアイデンティティを築き、どう生きるのかの方向性と目標、果たすべきミッションを決めることができる。






こんな本文が私の心にひびき、とても共感をすると共に、教えられることが大きかった。



食生活についてのこと。

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また、成功の9ステップの本を読んだ。

主には健康面のところを。

ナチュラルハイジーンの食事で私が一番不安なのは、タンパク質の摂取量が少なくなることだ。


そのことを、帰り道で色々考えた。


これまでの体験で思うことは、こんなことだ。


ビニール袋に肉の塊が入っている。

それを手に持っているとする。

その肉は、私が買ったか貰ったもので、私のものだ。


ビニール袋に入った肉は、果たして『私』だろうか。


私の肉かもしれないが、多分私ではない。

では、それを焼くなり煮るなりして食べたなら、それは私だろうか。


まだ違う。


多分、その肉を消化器系でアミノ酸にまで分解をして、それが血液に乗り、栄養素として細胞に取り込まれたなら、もう私の体の一部になったと言えると思う。


タンパク質が大事だと言われるのは、身体を構成する細胞の主成分がタンパク質だから。

必要不可欠な消化酵素なども、タンパク質が主成分らしい。


多くの人は脂肪太りの体よりも、筋肉がしっかりついた引き締まった体を望んでいると思う。


そう、筋肉もタンパク質でできている。

だから私も、タンパク質が不足するのを恐れているのだと思う。


でも、タンパク質を摂ったところで、消化できなければ腸の中で腐るだけだ。

さらに言えば、消化して血流にのったとしても、それで筋肉がつくわけでもない。


体は細胞分裂をして、古い細胞と新しい細胞とが入れ替わっている。

そんな身体の中での複雑な営みで、必要な材料が不足せずに血中にあれば、それでOKなのだと思う。


筋肉をつけたいからと言って、ただタンパク質を沢山摂ったとしても、体がそれだけの筋肉を必要とする生活をしていなければ筋肉がつくわけでもない。


自分がどういう自分なのか、どういう生活をしているのか、それが同じならば、何も変わらない。

余計に食べれば、体はそれを処理するのに追われるだけだ。


腎臓が悪い人に、食事でタンパク質の制限があるのは、血液に分子構造の大きなタンパク質が増えると、血液を濾過をしている腎臓に、それだけ負担がかかるからだろう。


私は50歳を目前にして、専門家の指導のもと、筋トレを本格的に始めた。

3ヶ月くらいから、見た目にもはっきりと体つきが変わってきた。

それは、過負荷運動をすることで、筋肉が必要な生活になり、体がそれを認めたからだ。

それなりに健康で、それなりに消化吸収も排泄もできる体だったから、見た目は望む体に近づくことができた。

心肺機能も高くなったから、活動力も上がった。


良いことづくめだと思っていたが、消化器系には負担があったと思う。

それまでよりも肉や玉子を沢山食べたし、プロテインも飲んだ。


一番困ったのは、腸にガスが溜まってしまうこと。

おそらくは、胃腸で処理しきれなかったのだと思う。



私は昔から、今よりずっと痩せっぽちだったから、筋肉をつけて体重を増やしたかった。

毎日肉を沢山食べて、体重を測って、体重が増えた、筋肉量が増えた、と喜んでいたと思う。

もちろん、ちゃんと筋トレしてたから、見た目も変わった。


そんな体を維持したいから、タンパク質の摂取量には気をつけていた。

だけど、腸にガスが溜まったりするのを考えると、摂取したタンパク質を処理しきれていなかったのではないかと思う。

タンパク質を充分摂れば、ちょっと安心する。

食べないとすぐに体重が落ちるので、頑張って食べて、体重を増やそうとしていた。

食べれば確かにその分体重も増える。


でもそれは、肉の入ったビニール袋を持って体重を測って、その肉の分の体重が増えるのと同じかもしれない。


肉を食べてもそれが消化できず、ただ未処理のまま腸の中てていたいあったとしたら?

それは肉の入ったビニール袋を持っているのと同じことだと、今の私は思っている。



今の私が欲しいのは、溢れるような健康的なエネルギーだ。

食事を処理するエネルギーは、フルマラソンに匹敵するらしい。


食べ過ぎたり、加工度の高いジャンキーなものを食べていたら、体は更にエネルギーを消耗するだろうし、必要な処理も追いつかなくなるだろう。


もちろん、タンパク質の合成は必要不可欠だと思う。

でも、一般的に言われている栄養学的なタンパク質必要量って、本当なのだろうか。


そんなものから外れた食生活で、健康的に生きている人たちの話を、私もいくつか見聞きしている。


いきなり同じマネをするのは、心身ともに危ないと思うけれど、段階を経ながらチャレンジしてみることは、こんな状況の今の私の必須課題ではないかと思った。

やるべき仕事として。

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一人では、自分から散歩にも、買い物にも行かない母を連れだして散歩に行った。


このところ曇りや雨続きだった貴重な秋晴れの日を、母との散歩に費やすのはすごく勿体無くて、とても嫌な気持ちがした。


本音として、母とは離れたい。

出来るなら一緒にいたくない。


同じ屋根の下で生活している今の私としての、本音。


不満は沢山あるし、嫌だという理由や言い訳も山ほどある。


だけれど、実家に戻って母と暮らすと決めたのは私自身だ。


その上で、やるべき仕事は出てくる。


最初のうちは分からなかったけれど、認知症の母のできないこと。

難しいこと。


ついつい、普通の健常人として見てしまうけれど、目には見えなくても、母にはやることが困難な障害があるのだ。



身体の障害と違って、それは非常にわかりづらい。

うつ病の人をみて、健常な人が「怠けているだけではないか」と思ってしまうのと似ていると思う。


それは兎も角として、納得いかないとか、ムカつくとか、嫌いだとか、面倒くさいとか、そんね感情的なことを理由にして、『やらない』ことを選択してしまうのは、ちょっと違うと気づいた。


これは報酬などはなくても、それでも自分が決めた、やるべき『仕事』なんだと思う。



色んな理由で、自分にはできない、とか、わたしはやらない、と判断して決めるのはありだ。


退職する自由はあるはずだ。


だけれども、そうしないうちは自分自身に対しても、それはやるべき仕事として、割り切ってやるべきだと思った。

文句を言ってもいいし、時には手を抜いたりしても、何かを頼ってもいい。


心からの良いサービスはできなくても、不機嫌でも、文句を言いながらでも、最低限やるべきことはやろう、そう思った。


感覚的にだけど、それはきっと、自分のためでもあると思う。

体日記 エネルギー不足

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今朝は一人なので、また野菜ジュースと柿を少し、ご飯はなしで済ませてみた。

昨日からの、ご飯や肉類を控えた食事からの今朝なので、消化器系は悪くない感じ。

ただやっぱり、少しエネルギー不足だったように感じる。

低血糖になるような実感はなかったけど、いつも調子に乗ってやってしまうパターン。


バイトが終わると、流石にお腹が減った。

持参していたアーモンドとさつまいもを食べた。

そのまま家に戻り、何を食べるか迷ったけど、ご飯と納豆と黒豆と汁物を食べた。

それからコーヒーをいれて、米粉パンと菓子パンも食べた。


調子に乗ってしまった反動か、カロリーを欲しているのか、ピーナッツとかも結構食べた。


夕食は母も帰ったので、アジの刺身と汁物を飲み、最後にチャーハンもどきを少し作って食べた。

そのあとも、ナッツを食べたりした。


調子に乗って、いきなり食事を変えると、反動がくるものだと思う。

でもついやってしまう。


それでも、昔よりは随分マシになった。

昔は知識を得てその気になると、無謀なことをよくやったものだ。

自分の現状を考えずに、知識を授かったその人になったようなつもりで、いきなりやってしまうのだ。


その頃に比べたら、あまり完全な理想に走らなくなったし、現状の自分も受け入れるようになった。

反動で食べ過ぎたり、ジャンキーに走ったりしても、それほどそんな自分を否定しなくなった。



ベジタリアン的な食事は、内臓への負担は軽くなるだろうけれど、いきなり変えれば、エネルギー不足になりやすいと思う。

フルーツを好きなだけ食べられるなら、それもいいだろうけれど、果物も安くはないし、お腹が空の状態で食べないとよろしくない。


今日はそんな食事だったけれど、寝る前の今、胃腸の調子は悪くないようだ。

昔のように、我慢して我慢して、大暴走して過食するという極端さが、大分緩んできたようだ。


できない自分をそこまで否定しないから、そこまで我慢しないし、だから反動もその分少なくてすむ。

なので、気を取り直して、またセーブすることもできたりする。


そんなわけで、夜もそれほど食べ過ぎずにすませることができた。


明日からは、基本的にはいつも通りの食事かもしれないが、昨日の今日だけでも胃腸の負担は大分軽くなって、休ませることごできたと思う。

体日記 食事のこと

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母が姉のところに泊まる日だから、今日は朝に母を送ったあとは一人での食事。

朝はいつもの野菜ジュースと、納豆ごはんと味噌汁くらいで済ませ、10時頃にカフェでモーニングのセット。


午後は柿をひとつと、キャベツとブロッコリーと小松菜を入れた野菜ジュースを。

その後、小腹がすいて、さつまいもやピーナッツを食べて、夕食にはアジの刺身とコールスローと味噌汁。


そのあとまたお腹が空いて、ミックスナッツやデーツを食べた。


結局、『ごはん』は食べなかった。

あとは水を少し多めに飲んだ。


9ステップの本を読んだので、野菜と魚、という感じにしてみた。


一人なので、こんな風にしてみた。

せっかく母も不在だし、何事もやってみないと分からないし、始まらない。


食べる量が少なかったから、体重も落ちるかと思いきや、案外と体重の減り具合は少なかった。


そういえば、今日は便通が3回あった。

先日買った『おしゃべりな腸』という本を読んで、和式トイレの姿勢の方が、腸が真っ直ぐになって排便がスムーズになるらしいのを知った。


和式トイレも、最近はお目にかかれなくなった。

本の内容を参考にして、トイレに足台になるものを置いてみた。

台に足を乗せて少し体を前に倒すと、排便がしやすくて、腸にもよい感じがした。



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