気づき



立場が変わり、視点が変わると気づくことがある。

あるお客さんに会って気づいた。

男性なのに少し線が細くて、控えめで穏やかで優しそうで、いかにも繊細な感じの人だった。
振舞いも乱雑さがなく丁寧で、声も小さめでソフトな感じで、誠実そうな柔らかい笑顔をみせる。
自分ではそんな自分が不本意で、そんな部分を隠そうとしたり、わざと粗雑な言動をしたりもしてきたけど、逆の立場でこういうタイプの人を外から見れば一目瞭然だ。

もちろん人によって好みはあるだろうけど、こんな人のことを人間として嫌いなわけがないじゃないか。


彼女は君のことが嫌いなんじゃない。
迷惑に思っているのでもない。

繊細で控えめで、誠実で優しい君の、自分への真っ直ぐな気持ちに応えられないことが心苦しいんだ。

そんな君が、失恋の哀しさや寂しさや虚しさを抱えながら、まだ一途にも自分のことを想ってくれていて、いつか気持ちに応えてくれるかもしれないと期待しているんじゃないかと思うと、それに応えられないことが苦しいんだ。


彼女はとても愛情深い存在で、本当はとても深く大きな愛情で、君を優しく受け入れてくれている。


人間として生れて、個という体を与えられ、五感の刺激に翻弄されて、感覚としてそれが感じ取れないだけなんだ。

落ち込み



彼女からのお礼のメールを見てから、気持ちが落ち込んだ。

二人で会うことが出来て、なんかドキドキして、ちょっと期待して嬉しがっていたのは自分だけだったということに改めて気づいた。

いくら自分が彼女のことが好きであっても、彼女が自分を好きになってくれて、彼女の方からも付き合おうという気持ちになってくれなかったら、自分だけ一方的に頑張ったってどうしようもないんだ。


翌日はまるで失恋した時のように、体の力が抜けたような状態になった。

虚しくて哀しくて、無気力になって気持ちが真っ暗になった。

分かっていたことなのに、どうしても感情的に納得出来ずに、頑張り続けてきたけど、また改めて厳しく哀しい現実を実感する。


こんなことをいつまで続けているんだろう。

馬鹿みたいだけど、きっと自分が心底納得するまで繰り返すのかもしれない。



しあわせ?



ふと気づいてしまった。

不機嫌で、ちっとも幸せではない自分に。


冷静に考えてみたら、明らかに振られた相手に、無謀にも彼女を振り向かせて自分を好きになってもらおうと期待して、何とか会うきっかけを取り付けて、プレゼントをしようとしている自分に、何をやってんだろうって思えてきた。

何とか会う機会を得ることが出来て、頭では喜んでいるつもりだったけど、口下手で恋愛に不器用な自分が、恋愛の達人みたいな人間と比べて『自分ももっと頑張れ!』って発破をかけている。

これで上手くいかなかったら、またそんな達人像と比べて、出来ない自分にがっかりするんだ。


彼女のことが好きで、諦められない気持ちはもちろん分かる。

だけど、自分にとってえらくハードルの高い無茶な難題を課せられて、健気にも頑張っているもう一人の自分の立場に気づいて、一方的だった自分に対して『それはないだろう』と反発心が湧いてきた。

そして、自分勝手な無茶な要求をしている自分にも、もっと現実を見て、無茶な要求をするばかりではなく、現実的な目標を設定して励ましたり、頑張っている自分を労ったり、上手くいかなくても慰めたりできる、大人な自分にならなければいけないと思った。


彼女に会う約束を得たのだから何とかチャンスを掴まなければと必死になっていたけど、そんなに深刻にがんばろうという気持ちが薄らいだ。

そしてちょっと馬鹿馬鹿しくなった。

それでもやっぱり会えることに期待してしまう自分もいる。

複雑な気持ちになった。

自分の感覚を信じてみる



 最近、仕事をしていても、慣れてきて力もついてきた感じがある。
まだまだ課題は多いけれど、少しは自信もついてきたし、余裕を持てるようになった。

 はじめの頃は、不満に思われたり、クレームをもらったり、失望されるのではないかという怖さが大きくて、それを避けるために、『一生懸命にやる』そんな気持ちと態度をとることで自分を守ろうとしていた。

 今もお客さんを前にしてそんな怖さはあるけれど、お客さんの体を自分の感覚で感じて、その感覚を頼りに自分の信じる適度な刺激を与えて、緊張をほぐしたり、血流を改善したり、そのためにどうするのがいいのか、そんなことを思いながら施術をするようになってきた。

 なぜなら、怖れるものを避ける手段として外側の価値観に従って動いても、回避出来たとしても次もまた外側の『かくあるべし』に従わなければいけない。
どこまで行ってもビクビクする仕事が続くだけだから。

 そして、自分の内側に従った方が結果はどうあっても、次の一手を打とうという、自分の内側からのやる気が湧いてくるように思う。 
結果の手応えも、その方がいいように感じることが多いのだ。

振り返って思うこと




 新しい職場で、個人事業主としての働き方を始めて、もうじき5か月。
3歩すすんで2歩下がる、的な感じではあるものの、最近少しずつ慣れてきて、そして何とか生活が出来るようになってきた感じがあります。

 仕事を変える前までだって、色んなことに取り組んできたり継続をしてきたりして、変化成長してきたこともありました。
 でも、長く勤めた職場を退職し、失恋もして、新しい仕事もなかなか見つからず、経済的にも心理的にも苦しい日々を過ごしてきました。
 
 そして今の職場に来てからも、仕事への自信のなさ、仕事を覚える過程での怖さや不安、逃げ出したくなる気持ちとの葛藤、環境に馴染むまでの居心地の悪さ、そして経済的な問題。
 色々な困難に日々直面しながら、何とか生活してきた感じがします。もちろん苦しいことばかりじゃなくて、嬉しいことや達成感を感じたこと、人の温かさに感謝することもありました。


 しかしながら仕事や環境が大きく変わって、経済的な生活も厳しくて、仕事や人間関係、プライベートも何だかとても貧弱に思えて自信が持てませんでした。

 別に今、それが手のひらをひっくり返したように良くなった訳ではないんです。
それでもこうして振り返ると、あんなに苦しかった中で、本当によく頑張って歩いてきたなあってしみじみと思います。

 日々の歩みはとても小さくて地道なものです。しんどい時には、正直その長い道のりを思うと嫌になります。心が折れそうになります。というか、気持ちは折れます。
 それでも、何とか次の日も思い脚を引きずりながら生活を続け、信頼する誰かの言葉に救いを求めたりしながら、生き続けてきたこと、本当にすごいなあって思います。

 日々の生活は希望もなかなか見えずに苦しかったけれど、時々、厚く覆われた雲の間から希望の光が射してくることもありました。
 そして、少し長いスパンで振り返ってみると、自分の足跡が、点から線になって見えてきました。
日々の生活では何も大した変化は感じられなくても、やっぱり少しずつ色んなことが出来るようになってきたりしているんです。

 自分の出来る努力や行動ばかりではなく、外側に変化があってもたらされる幸運もあります。
不思議なものです。
 
 外側の世界からもたらされる幸運は、自分には直接コントロールできるものではないから、苦しい道のりの歩いている時には、先を見ても希望が見えずに気が重くなりますが、沢山の人が言うように、直接コントロールの出来ない外の世界も、大きな視点で見れば宇宙という切り離せない自分とのつながりがあるもので、明るい気持ちや人への思いやりや親切な行動、明るさを投げかけるような行動、喜んだり感謝したりする気持ち、自分にとって大事なものを掘り下げることなど、自分の心の姿勢も関係しているようなんですね。

 自分個人の予見などを頭のレベルで考えると色んな限界が見えてしまいますが、そういうものを超えた外の世界の運のような不思議さがあって、人生というものは頭のレベルでは予測がつかないものだなあと思います。

 重苦しくて辛い道を歩いている時には、先が真っ暗で辛いですが、理想はそんな状況でも明るい気持ちで世界に接して前向きに生きることなんだろうって思います。
 なかなか出来ないことですけど、だからこそ、そういう生き方をしている人は本当に素晴らしいし尊敬出来ます。

 そうできなくとも、真っ暗な気持ちのまま、一歩ずつのろのろと歩みを進めること、私にはそれが本当に愛しくて尊い姿に思えるんです。
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