欠乏感



自分の気持ちってなかなか気づけないことが多いですけど、結果的に考えてみればやっぱり自分の気持ちに素直に向き合って、その時々に勇気をちょっと出して色々と行動をしてきたことがつながっているのではないかって思います。

うまくいかないことが殆どだったし、決して好ましい『模範解答』とは遠く及ばないエゴ的な心が動機になっていたかもしれないですが、それでも行動をしたからこそその後で色んなことに気づくことが出来たし、いくら行動しても満たされない気持ちを感じたからこそ同じようなレベルで同じことを繰り返しているのではないか、そんなことにも気づくことが出来たように思うんです。


今回気づいたのは、自分の中の欠乏感、不満感、惨めさ、そんなネガティブな思いを外の条件のせいにしていること、そしてそれ故に外側の条件に必死にその解決の糸口を求めていたということでした。


でも、結局は自分が、自分の考え方、自分の信念、自分の思いが自分の心の中の状況を創っていて、だからそれをいくら外の条件に求めても、自分の心の状況は変わらないんだ、ということ。

すごく厳しいことだけど、そして今はまだとても自分でそれが出来るとは思えない状況だけど、でもそんなことに気づけただけでもすごいことだと思っています。


勇気を出して頑張って色々なチャレンジをしてきた自分、本当によくやってる。
ありがとう、そんな言葉をかけてあげたいです。


光明



思い切って退職してから、ずっと光の見えない暗闇の中を彷徨っていた気がします。
将来の希望も見いだせず、この先の生活自体も果たしてどうなってしまうかわからない。

でも昨日、ふとそんな生活の中に一筋の光が見えたのを感じました。

これまでは、覚悟が決まらず、他の仕事の可能性や逃げ出す算段を考えることが多々ありました。
それは今でもありますが、ただ少しだけ今のこの職場での目の前の仕事に対して、そして自分を快く迎え入れてくれた職場に対して、腹を据えて集中することが増えてきたようにも思います。

そんな経緯もあってか、昨日は仕事の最中に気づいたことがありました。 


先日仕事のあとに職場のオーナーが話してくれたこともふと思い出したんです。


クレームも特になく、そつなくこなすけれど、なかなか指名がつかない人もいる。
全てのお客さんに合わせることは出来ないと思うし、7~8割の人に合わせられればいい。
それよりも自分と肌の合うようなお客さんをモノに出来ればいい。


確かそんな話しでした。

私は先月に殆ど経験のないこの仕事に就いたばかりで、人の体に触れてケアをすることは長くしてはきたけれど、自信がなく、「果たしてこんなのでいいのだろうか」とどこかビクビクしながらクレームが来ないようにと緊張しながら仕事をしている割合がかなり多かったように思います。


だけど、仕事中にふと気づきました。

お客さんに嫌われないように、何とか気に入られるように、クレームを受けないように、そんな受け身で怖れの気持ちで仕事をしていてもどこまで行っても息苦しいし、パッとしない気がしました。

それよりも、自分の信念とか、自分の感性や感覚をもっと尊重して、そしてその上でお客さんにとってメリットのあるような治療をする、そんな攻めの姿勢が大事ではないか。


自分がこの職場を意識的・無意識的に選んだのには、保険適応のお客さんではなく、自腹を切って来てくれるお客さんに対しても自分の技術とかサービス、そして自分のあり方・存在が果たして通用するのかどうか、それにチャレンジしてみたい、そんな気持ちがあったからだと思います。

報酬は多くないけれど、勤めていればサラリーが得られるという守られた温室のような世界で、割に合わないと感じたり、自分の技術や人柄を評価してくれる人がいたり、自分の可能性や挑戦してみたい気持ち、そして不満や不安や生ぬるい世界のモヤモヤ感などに背中を押されて今の自分がいます。


収入はもっと厳しく不安定で生活は保障されず、言い訳も出来ず、誰のせいにも出来ず、それでもそんな状況を自ら選んで飛び込んだ自分のやるべき道、進むべき方向性はそこにあるという思いが射してきました。

そんな思いが浮かんだ瞬間に、パッと真っ暗だった世界に一筋の光が射したような感覚がありました。


今はその先への地続きの道は見えないし、今居る場所も、厳しい現実の生活も変わらないけれど、でもそれ故に進むべき方向性はそっちしかないんだということもまた、見えてきた気がします。


大変さを不満に捉えるよりその中に何かを見出す心を


これまでは外の条件に希望を求めて生きていました。
でもここ最近は特に、それを根底から見直さざるをえない状況になってきました。

そうなると、言葉はあまり好きじゃないですが、いわゆるスピリチュアル的な霊性などの事柄に関心を抱くようになってきました。

でも、本当はそんな知識なんてあまり必要じゃなくて、むしろ逆ではないかって私は思います。

ただ一行の文章を、何度も読み返して心の支えにしたり、そのことについて日々の生活や仕事の場面で自分事として考え直してみたり、そんな感じです。


そんな流れでひとつ思うのは、今やっている仕事とか属している職場とかでも、もちろんよい面もいやな面も両方あるのが当たり前で、今ある仕事のいい面、メリットとなるところに着目して取り組むという自分の心の使い方が大事なんだろうっていう学びです。


最近勤め始めた職場でも、それこそ気持ちは一日おきに上がったり下がったり、すごく揺れ動いて安定しない気持ちを体験しました。
ネガティブな思いに押しつぶされそうになったりもします。


そして今の職場のこれまで所属してきた職場と違う大きなポイントを考えた時、浮かんだのは、
自分の提供するサービスに対して、自信を持って価値を提供し、その対価を堂々と受け取る、ということの練習というか、いや、実際には練習なんかじゃなくて常に本番なんだけど、とにかくその心持ちを試される場を人生が与えてくれたんじゃないかっていうことです。 

今までは給料として当たり前のように与えられていたものが、直接的に自分から『〇〇円いただきます』と堂々と受け取らなければいけない状況を与えられている。

これまではそれが無かったから自分の提供するサービスに対しての意識が甘くなっているところもあったと思うし、給料が安いなどと心の中では安易に思いながらも、じゃあ「いくらください」ということに伴う拒絶や否定への怖さや罪悪感、自分を認める勇気など、そういうことが全く伴っていなかったことを感じます。


こういうことって理屈でいくら学んでも、どうにもならないと思うんです。
そういう場を与えられなければ、実際問題として学べない。 

だからとても貴重でありがたい場を与えられているんだっていう思いが湧きました。

そんなことを深く考えながら、これからこの職場での学びを深めてゆけたらいいと思っています。

 

碇(いかり)



何度も繰り返し聞いた石井裕之さんのお話しの中にこんなものがあります。


ある男性が一生懸命に意中の女性にアプローチしていたけど、残念ながら振られてしまった。
そしてその男性は振られた途端にその女性の悪口を言い始めた。
でも彼は振られた途端に悪口を言うような人間だったから振られたのだ。
振られたから悪口をいったのではなく、それ以前から彼の中にはそんな人間性があったのだ。
彼女にも潜在意識のレベルで彼のそういう人間性が伝わっていたからこそ、彼女は何となく気が進まず付き合いを断ったのだ。



話しをただ聞いている時には、「そうだよな」と分かった気になっていた。

だけど、実際には自分も彼と同じだったことが先日分かった。 


もちろん実際に誰かに悪口を言った訳じゃないけど、自分の中でその女性を批判して悪態をつくような気持ちがあることに気づいたのだ。
 
本当に、実際に自分がなってみないと分からないことって多いなあって思う。


今日気づいたことがある。

人間は周りの人の言動に影響を受けると思う。 

誉められたり評価されたり、受け容れられたり、あるいはそんな風に受け取れる振る舞いを見ると、嬉しくなったり得意になったりする。

でも、反対にダメだしされたり叱られたり、けなされたり、無視されたり、ぞんざいに扱われたり、あるいはそんな風に受け取れる振る舞いを見ると、凹んだり腹が立ったり自信を無くしたりする。


周りの人のいい反応が得られている時はまあいいけど、他人の言動はコントロール出来ないし、いつも得られるものでもないし、周りの評価や承認が得られなくなると気持ちが揺らいでしまう。

コントロール出来ない他人の言動によって、自分がいいように振り回されてしまう。
そして苦しむ。


だから、結局は他人の言動をあてにしていては自分の軸を安定させることは出来ない。

人の言動を心の頼りにするのではなく、あくまでも自分がどうあるか、というところに自分の軸を置く必要がある。


物質界に生まれた人間である以上、人の言動に影響を受けるのは宿命みたいなものだと思う。

だけど、それに振り回されて苦しむ中で人は学ぶものだと思う。


だから影響は受けてしまうけど、振り回されないように努力することがきっと必要なんだと思う。

ちょうど、船が碇を降ろすように、影響を受けて引っ張られても振り回され過ぎないように自分の軸を持つことが大事なんだと思う。

碇が船を潮に流されないように引き止める。

そういう心掛けや努力が必要なんだと思う。


周りの状況は直接操作は出来ないけど、望む状況を得やすいように、自分の態度を建設的なものに保つ努力をすることは出来る。

その努力が、碇なんだって思う。

 

財布を落とした!


今日、生まれてはじめて財布を落としました!
家に着いて財布がないことに気づき、その事実が信じがたく、しばしパニックになりました。

そして、ネガティブな思いが渦巻いて、投げ出したい気持ちになって現実逃避したくなりました。


正直なところ、ここ最近ものすごく精神的に落ちていて、
ロクでもないネガティブなことばかりが頭を占めていました。

とにかくネガティブな不安材料がてんこ盛りで、抱えきれない程になっていました。



自分としては、 そんな自分の心の状態がこんな現実をもたらしたようにも思っているところがあります。

別の言い方をすれば、天が事実をもってしてこの現実から学べ、と言っているようにも思います。 


だけど、今はネットで検索すれば、すべきことを教えてくれて助かります。

躊躇や迷いはあったけど、観念して電話をして色々と手続きをし、クレジットカードを停止したあと、近くの交番の場所を検索して手続きに行きました。

警官は不在だったけれど、電話で対応してくれて、ひとまず深刻な事態に陥ることへの対処は出来たように思います。


色んな事情があって愚痴は山ほどでてきますが、ここはぐっと割愛して、『踏んだり蹴ったり』『泣きっ面に蜂』という表現に留めておきます。


交番からの帰り道はそれでもなにか少し吹っ切れたような、何だか清々しいような気持ちになりました。

事実はどうしようもなくて、どうにもなるものじゃないんだけど、でも色んな手続きは結局人間社会の中における役割というか、そういうもので、それをすることで何か役割を果たせたような、人間社会の中で全うに生きた、というような充足感のような気持ちが湧きました。


あえて理屈でまとめないことにして、そんな意外な気持ちになったということを書き留めておこうと思います。

 
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