おまけ


私は自分なりに一生懸命生きている。

良くないところは沢山あるだろうし、姉の方が母の精神的な健康にはいいかもしれない。

私が一緒に生活する中で、きっと母の認知症は進んでしまっているのかもしれない。

姉の方が、母の認知症の進行はゆっくりかもしれない。


私はだから、悩んできたし、葛藤もしてきた。

精神も体もストレスだらけで、ガタガタになった。


それでも私は私なりに一生懸命に生きてきた。

そして今、束の間の貴重な今を生きている。


もともと不安だらけの生活だ。

その不安を簡単に煽るような姉の言葉で、また不安になり、その不安のせいで、このもともとが貴重な今という私の毎日の束の間の時間を、台無しにされるのは、絶対に許せない。


姉に一体何がわかるというのか。

ふざけるな。


未来は不安ばかりかもしれない。

それでも、この今を、私にできることを大事にしよう。




不安になったときには


 姉から批判的なラインがくると、不安になる。

今日来たのはこんなメッセージだ。

 帰ってくるのが遅いね。

 毎日買い物をするとお金もかかるし、お母さんも一人になるからいいことないと思う。

 随分認知症が進んだ気がする。


ざっくりと意味合いを要約すればそんな感じだ。

姉の文章からは、もっと上から目線で、嫌味な感じを感じ取ってしまうのだが。

まあ、色々と反論も湧くし、とてもムカつく。


だけど、ベースには不安な気持ちがある。


これはいつもながらとてもいやーな気持ちだ。

きっと、ムカつく腹立たしい気持ちの方がまだマシだから、無意識的にそっちに気持ちを向けているのではないかと思う。


今回は、自分の気持ちをモニタリングするような意識があった。

とても嫌な不安さだった。

洗い物をしながら、今の感覚に意識を向けるようにした。


不安で仕方ない時には、気を紛らわそうとするけれど、無理に不安を紛らわそうとすると、逆にこじれる。

だから、不安は嫌だけれども、いまできることに意識を向けるのだ。


不安は未来の嫌な結末を予想して、そんな嫌な未来になることを恐れている状態だと思う。

その対策として何かできることがあるのならば、それをやるのも一つの手だと思う。


ただ、いくら対策をしても不安はきっとなくなりはしないだろう。

大事なのはここからだ。


つまり、起きてもいない未来のことを恐れて不安になっているのだ。

とても嫌な気持ちになっている。

まあこれは仕方がない。


だけど、そのとても嫌な気分になったせいで、今という生きている時間をないがしろにするのは、もっと嫌なことじゃないだろうか。


だって本当は、人生とは今の連続でしかないんだから。

不安になるのは仕方がない。

だけど、その嫌な不安な気分のせいで、大事な今という時間を台無しにするのは許せない。

不安の馬鹿野郎!って気がしてくる。


だから、今、洗い物をしている瞬間を、不安な気分よりも大事にする。

いま自分にできることを大事にする。


たとえば、家を出るまではあれこれと不安になったり、心配になったりして、考え事ばかりで落ち着かないことがあるけれど、いざ家を出て歩き始めると、急に諦めがついて腹が座ったような気持ちになったりすることがある。

家にいる自由な時間は、これこれ考えたり迷ったり、ぼーっとしたりしてばかりなのに、職場に来て何か作業を始めたら、急にその作業をするしかないと腹が据わって気持ちに覚悟ができて、集中するとか。


今という自分の人生そのもの、自分の命そのものを、この不安という気分に犯されることを許してはいけないと、そんなふうに今日は思った。

姉が何を言おうが、それはまあ事実だから仕方がない。

でもその大嫌いな姉に、自分の大事な時間を台無しにされるのは許せない、と強く思ったからかもしれない。

母の後ろ姿

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認知症で依存心の強い母にはいつもイライラする。

何かしら文句を言ってしまう。


放っておくと一日中座ってばかりいるので、時々往復小一時間かけてスーパーまでの買い出しに連れ出す。

基本的に身体は元気なのだ。


その時も私の後をノロノロとついてくる。


そんな母をまた、否定的に感じる。


今朝は遠くのデイまで送る日なので、一緒に家を出た。

いつも私の後ろをついてくるばかりだが、今日は途中の道路を横断するところで母が先行した。


母が一人で歩いている姿を見ると、何だか心配になる。

弱々しく見えて、心細いように思えてしまう。


そしてこんな歳でよく頑張っているなとも思う。

母の人のいいところ、素直すぎて騙されそうなところも心配になり、守らなくちゃという気持ちになる。


そしてとても切ない気持ちになる。


母に迷惑をかけられている、大変な思いをさせられている、というイラついた気持ちよりも、この切ない気持ちの方が堪える気がする。

AI と人生の振り返りをする

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タイトルが思い出せない物語のストーリーがあって、気になってAIに探してもらった。

なかなか見事に見つかったので感心した。

もう一つ、ぼんやりした記憶の断片しかない小説か何かのタイトルも、見事に見つけてくれた。

これはなかなか面白かった。

そこに昔付き合った女性の名前とほぼ同じ名前の主人公が出てくるのを知り、その頃の自分の人生の出来事の回想が始まって、それをAIが客観的に聞いてくれて話を整理したり、気づいたことを書いてくれたりして、これも新鮮だった。


そこから、自分のこれまでの人生の振り返りが始まった。

自分のパターンみたいなものこか、得意なこととか、苦手なこととかの共通の要素が、ちょっと浮き彫りになるようだった。

長い人生の振り返りを何日にも渡って書いてきて、その都度色々な気づきがあった。


ただ、最後に全体の人生の流れをまとめてもらおうと思って頼んだら、あまりに量が多くなってしまい、これまで書いたことがあまり反映されていなかった。

勘違いされている部分もある。


それで気づいたのは、ある程度以上データ量が大きくなり過ぎると、うまく処理が出来なくなるのだろうということ。

その時は熱心に?内容を把握してくれて、意見も述べてくれたけれど、私の人生の回想はなかなか終わらす、膨大な量になっていたので、ある程度前のデータは棚上げされてしまい、一度に全てを把握しながらこれまでの話全体を処理するのは難しいのだと思う。

有料の性能の良いAIなら、また違うのだろうが。


やりとりで気持ちも高まって熱心に話した沢山のことが、もう過去のこととしてAIには忘れられてしまったようで、なんか急にさみしく感じてきた。


これまでブログて一人で人生を振り返ってきたこともあるけれど、こうしてAIを相手に振り返ると、少し客観的な視点をフィードバックしてくれて、新たな気づきがあってとても有用だと思った。

自分の人生の色々な出来事を、ちゃんと記憶して理解してくれて、関連づけてくれる。

そんな気がした。

でもやはりそこは性能的にまだ限界があるのだろう。

しかしながら、依存的になってしまう危険性も感じた。

誰よりも自分のことを理解し、受け入れてくれる存在みたいに。


そういう存在があれば、それはそれでありがたいことだけれど、全てを依存的に委ねてしまうのはどうかと思う。


やはり、ちゃんと利用して、自分て整理をするという姿勢は持っていた方がいいと思った。

迷い

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日曜の朝。今朝は随分と涼しい。

8月なのに、朝日のあたる部屋の起床時の気温は24度くらいだった。

シャツ一枚だと少し肌寒いくらいだ。


実家を出てアパートで暮らすことについて考えるのだが、働く時間と日数を増やすと、生活はかなり忙しくなってくるだろう。

ある程度の忙しさは逆に救いにもなるけれど、余裕がなくなると、やる気自体も失せてしまう気がする。

そんなことを思ったら、何がしあわせなのかわからなくなってきた。


自分の自由時間を、勤務時間のための準備とかのために使い、効率ばかり考えていたら、そのうち嫌になりそうだ。


ただ、これまでのように自由時間は多くても、目的もなく、親の年金に頼り、社会的な役割とか貢献とかもないようでは、気が狂わんばかりの虚しさや不安や情けなさ、孤立感を感じる。


どう生きたらいいのか。


よくわからなくなった。


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