山里涼太さんと
蒼井優さんの結婚会見を見ました。

テレビを見ることもほとんどなく、ゴシップにもあまり興味はない方ですが、長い会見を最後まで見てしまいました^^

センスのいい面白い芸人さんだとは思っていましたが、すごく微笑ましくて、祝福したい気持ちになりました。


でも、やっぱり羨ましいなあ、っていう気持ちが起きますね。


一番心に残ったのは、真面目に頑張って生きてきたら、こんなに素敵なことが起こるんだなと仰っていたことです。


今日、1日過ごしていて、何度かこの記者会見のことが頭に浮かびました。

何となくですけど、山里さんはモテないキャラの自分に腐らずに、それをネタにして自分の好きな芸人の仕事に活かして一生懸命にやってきたんだろうな、って思いました。


そして、結果的にはそういう風に仕事に打ち込んでいる姿が誰かに認められて、こういう結果をもたらしたのではないかなあって。


自分の内面に気付かされたんですが、この話を思い出して、どうせ自分はこんな相手は得られなかった、とふてくされる時が何度かありました。


客観的に考えてみると、願っているものがなかなか得られずに報われないけど健気に頑張っている姿を見ると、その気持ちが分かるからとても愛しく感じます。

だけど、嫉妬して不貞腐れる心の状態って、よく見ると否定の姿勢で、拒絶の姿勢なんですよね。

いくら誠実に頑張っていても、そういう不貞腐れる姿勢って、自分が神様になったつもりで客観的に見たら、面倒臭い相手で、なんかいいことでも起こしてあげようとか思わないんですよね。

だって、どうせきっかけ与えたところで、どうせ自分なんかダメだ、とかって言って食いつかないでスルーしちゃうだろうし、そんな人間にわざわざプレゼントをあげようなんて思わないです。


だったら、もっと素直に喜ぶような人間にきっかけをプレゼントした方がいいし、前向きになって行動を起こそうとする人の方が、与えがいも感じると思います。


山里さんは、決して何もしなかったわけじゃないですよね。

あれ、すごく感じがいい人で、話も合う人だなあ、って感じて、もしかしたら、っていう小さな思いを持って、少しずつ会う機会を自らも積極的に作っていったのだと思います。

そうした小さな行動の積み重ねの末の、結婚であるはずなんです。


でも羨んでいる時の自分の気持ちって、形になったものをそのままポンと欲しい、みたいに羨んでるんですよね。

実際はそんなのあるわけないでしょ。

面倒だし、怖いんですよね。

みんなきっかけがあって、それを前向きにつないで行ったという過程があるはずなんですよね。


そんなことを思った1日でした。