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学校を卒業して病院に勤め始めた当初は、思うような治療効果も出せないし、何をどうすればいいのかもわかりませんでした。

基本的に今でもそうです。

だから、心の中ではいつも自分の仕事に価値を感じられず、悩みながら、不甲斐ない思いで仕事をしていました。


もともと自信のない人間だったので、自信ありげな人のことを羨ましく感じていましたし、何だか偉そうな先生の本とかを読んだり話を聞いたりすると、虎の威を借りる感じで、付け焼き刃な自信を持てたりしてちょっとだけ楽な気持ちになったものです。


そんな私がここ最近になって、ある程度の効果を出せるようになってきたと、自分でも感じるようになりました。

基本的には分からないことばかりなのは同じなんですけど、それでも、大半の人が効果を感じてくれるんです。

おそらくは、2年前に講習を受けた「レイキ」と、昨年から学んでいる「スィングボディ」の影響が大きいようにも感じています。


今日は、少し前から施術を始めた利用者さんに、「調子はどうですか?」と聞いてみたら、予想外の答えが返ってきてビックリしました。

転倒してから、自分で車椅子に移乗したり、立ち上がったりするのがすごく大変で、思うように動けなくなったという話でした。


実際に診てみると、なかなか手強い感じで、耳も遠くて会話もままならないし、体もこわばって緊張が強く、座位を取るのも難しい状態でした。

リハビリ的な運動をするにも、説明がなかなか通じないし、時間もかかるし、せいぜい20分の持ち時間で本人の期待に応えることは難しいと感じていたんです。


でも目一杯の施術枠を埋めないといけないので、時間も長くは取れないし、期待はずれで悪いなあ、と思いつつ、だからあんまり体の調子がどうかと聞かなかったんです。

でも今日は仕事の忙しさ故に、勢い余って咄嗟に聞いてしまったんですね。

そしたら、施術をしたあとは動きやすくなるとか、効果を感じてくれていたようなんです。


私はそれが予想外で、嬉しい反面で、なんかプレッシャーのようなものを感じました。


期待を裏切っちゃいけない、みたいなプレッシャーです。


昔の私にしてみたら、患者さんから実際に治療効果を感じて喜んでもらえて、体の調子が良くなるっていうことは、切望していたことでした。


女の子にモテたくて、でも実際はモテずにずっと悩んでいた自分が、ある時から「好きです!」と何人もの女性から伝えられたような、そんな状態に似ているかもしれません。


気持ちとしてはすごく嬉しいんだけど、なんか違うぞ、って思いました。


業績を上げたり、お金を稼いで貯金が増えたりするのは、それはそういうことを切望していた自分にとっては、確かにすごく嬉しいことなんだけど、だからといってその業績をいくら積み上げても、それはキリのないことではないかって思います。

お金だって、欠乏状態の時には渇望するし、それを得た時にはすごく嬉しいんだけど、だからといってそれを得ること自体と幸せとは本質的には違うって思うんです。


それを手放すことは、きっとものすごく抵抗があるし、すごく怖いことでもあると思います。

折角長年苦労した末に手に入れた幸せを、自ら手放すような、そんな気持ちになるから。


だけど、業績、名声、お金、賞賛などに執着することは、それは幸せとは違う方向に向かう気がします。

そして、自分の姿勢が変わってしまうと、業績も賞賛も、逆に離れていってしまうような気がします。


なんかうまく言えないですが、最愛の恋人を得た時から、それが幸せだと思って執着してしまうと、逆に自分の中の心の状態が変わってしまって、幸せはおろか、恋人も離れていってしまう、みたいな。


そんなことを感じた日でした。