遺伝と因縁を究める美ビルド・ネット

遺伝と因縁を究める美ビルド・ネットは今まで過ごした人生の過程において生じたさまざまな疑問の内で精神世界を主として取りあげて綴ったものです。

業と因縁について(3)本当の輪廻は?

霊魂の存在も考えられるんですね。
このような考え方についての是非はさしおいて、

仏教でいう個人の輪廻観は少し違うのかもしれませんよ。

つまり、
輪廻のように見えても輪廻ではないと思うんです。


たとえば、
Aの魂が全く違った血統の流れの中に入り込むことは、
絶対にあり得ないんです。


もちろんその違った人に時によって頼る、
または、
すがることはあっても、
それは一時的であって輪廻の像とは違うんですね。


因果の流れを考えてみる時、
あくまでも血の流れに従うのか、


あるいは血の流れは切れてもその姓を名乗って、
その跡をつけば必ず、
その因縁は流れていることがわかるんですね。


それは前に自己の存在と先祖との関連性を示したように、
私という個人は先祖のAという人の願いを受けて生まれるために、

その誘導を受けて、
個性や考えや運命が支配されているからなんです。


これは個人の姓名から先祖とを照らし合わせてみると
そのつながりがわかるんです。


その上で先祖のAの願いは何であるかを見つけ出すことによって、
その願いを成就してあげたならば、


必ずAの心が満たされて、
ここにその加護を得て、
自分の人生が大きく良い方に誘導されて、


不幸が幸に、
不運が幸運に、
業病もなくなり、

家庭も明るさを増してくるんですね。

業と因縁について(2)生まれ変わりはあるか?

業とは一般的には、
「どうにもならない」という宿命観による意味に使われているようですが、

ここで考えなければいけないのは、
仏教の中には生まれ変わるという輪廻の根本原理を主軸とした
考え方が強いようです。

つまり過去世において、
Aが生まれて、その世渡りの為の色々の所作をして命を終ったのですが、
長い時間と空間の後に再びこの世に生まれる。

そして前世の所作の結果を受けてこの人生を渡り生活をしていく内に、
来世の因を作っていくのです。
このように流転して流れていくものと考えているようです。

過去世において因をつくり、
今世において果を受け、
また今世の所作は未来世の果の原因となっているような解釈をしています。

ただ、ここで考えてみたいことは、
これが同一人物であるか否かです。

霊の世界である為に、
このことについてはその証明は不可能と思いますが、
因縁をもった霊のエネルギーが子孫に頼っていく、
ということは充分納得ができます。

日本の神の道の観念からみれば、
生まれ変わるということはないようです。

死んだ後はその徳、またはその生前の精神を永く伝え感謝し、
その徳の力を借りるといった考え方にたっているようです。

しかし、
仏教が入ってからは少し考え方が変わっているように思われますが、
人間というものの追究については、
やはり仏教の考え方が強く流れているようです。

つまり、
神といい、仏というも、人間以上の何らかの力があり、
これを信じることによってその利益という考え方、

または、そのまします世界に生まれ変わるという考え方は、
人間の心の弱さから考えられたものと思われますが、

現在においてはその理論、観念の如何を問わず、
大なり小なりそれによって救われていることをみる時、
そこに何らかの働きがあることが考えられます。



業と因縁について(1)業という言葉は?

あなたもご存知と思いますが、
世間には「業」という言葉がありますね。

この言葉は幸せな時はほとんど使いませんが、
不幸が続く時はあきらめの言葉として使われているようです。
因縁ということもよく言われます。

要するに原因不明のものから生じているものとして解釈されているようです。
つまり運命論の終結の言葉とも解釈されますね。

この言葉が考えられるのは中年頃からで、
その理由は、
それまでに努力から努力をして、自分の考えた通りの人生を渡っても、
それが逆の結果に出て思ったようにならず、

行き詰まりを感じてくると、
世の中には自分の力以外に何らかの動きや作用が
あるのではないかと考えてきます。

それが運命とか業とか言う考え方になるんでしょうね。

しかし、
この問題については昔も今もこれだと言う決め手はなく、
これではなかろうかという考えで色々な説が出ているのです。

だが部分的には当てはまっているようですが、
絶対というにはまだまだ遠いものがあるようです。

物質の学問は次々と謎を解いているので、
科学はどんどん前進を続けていますけど、
この人間の謎は未だに古代のままで進んでいないのが
真の姿ではないでしょうか?

「業」というものについて文献から拾ってみると、
業因・・・・果報を引き起こす原因となるもの、
      現世未来における一切事相の因縁
業縁・・・・果報を引き起こす原因となるもの
共に仏教から出ていると漢和辞典にはあります。

業・・・・(一)作るはたらき
     
     (二)身体の動作、口でいう言葉、
        心に意思する考えのすべてを総称する。
        意思に基づく身心の活動
     
     (三)行為の残す潜在的な余力(業力)
        身口意によってなす善悪の行為が後からなんらかの
        報いを招くという。
        身口意の行い及びその行いの結果をもたらす潜在的能力、
        特に前世の善悪の所業によって現世に受ける報い。
        ある結果を生じる原因としての行為。
        過去から未来へ存続して働く一種の力とみなされた。


業の本来の意味は単に行為といいますが、
因果関係と結合して前々から存続して働く一種の力とみなされています。

つまり一つの行為は必ず善悪苦楽の果報をもたらすということで、
ここに業による輪廻思想が生まれ、
業が前世から末世にまで引き伸ばされて説かれるに至ったようです。

身口意の三業や不共業(個人業)、共業(社会的広がりをもつ業)など
色々な説がたてられました。

インド一般の社会通念として、
インド諸思想に大きな影響を与え仏教にも採用されたようです。

願いの念は死後でもある?

仏教ではこの世を十界に分けています。

人間界を中心にして下は地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、の4つの世界、
上は天人界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の5つの世界に分けています。

これをよく考えてみる時は、
上五界も下四界も霊の世界です。
そして、人の死後赴くところとなっていて、

人の心の働きによって
下にも行けば上にも行ける一番大事な分岐点の鍵を握っているのが
人間であるということがいえます。

この霊の世界の言葉を感じ受けて人の言葉で教えているのが
祈祷師です。

この祈祷師は現代に始まったものでなく、
人類が始まった当初から存在しています。

世界を眺めてみてもどこの国にも存在しているのであって
文化の進化の程度の如何は関係ないのであることを考えると、
決して偶然とは言えないようです。

つまり人の死後でも、
その人の願いの念があることが考えられます。

この念は人間の念が多く、
次に高等動物の念もあることがわかりますし、
この動物は十二支の中の一部分に多くあるように思います。

その他にさわりとして考えられるものとして、
人との関係がある物、

たとえば、
祀られた物、使用された物等があります。



先祖の願いを満足させるのは人間だけだ!

人が死んで不成仏にある時は、
「成仏させて欲しい」と願うと思います。

この願いを全うする為には、
自分の力ではどうすることもできないので、
自分の子孫があれば子孫の誰かに、

もし子孫が絶えていない時は、
信仰の流れがある人、
または肉体の中の血の流れにその素質のある者に
よりすがって頼む像をとるのです。

これがよく言います。
「すがられた」「たよられた」という言葉になります。

霊には言葉がありません。
ですから言葉を表現する為に霊感者を通すか、
または頼った人に病気、災難、苦労、不運、不幸と
色々の像で表してきます。

先祖の霊が成仏をしている時は、
そのたよりを受けた人は加護を受けて不思議と幸せを追うことになります。
この現象が言葉なんです。

このように不幸不運が多い時は、
不成仏の人を見つけ出す努力とその人の願いを探求して、

その願いのように満足させて成仏させることができるのは
人間だけです。

人間をおいて、
これをなし得るものはないのです。

つづく。


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動物をイジメた人は不幸になる?

前回は同じ父母から生まれた子供達が歩く人生や考え方、
性格または受ける幸不幸がそれぞれ違うのは、
子供に頼っている先祖がそれぞれ違っている為であり、

そして、先祖はの各々に願いがあり、
この願いをこめて子供のそれぞれに頼って教えている、
または誘導している、ということをお知らせしましたね。

こうした意味を仏教の歴史から考えると、
たとえば、
諸々の仏様や菩薩様をよく調べてみると、
そこにはそれぞれの願いを立てて、
その願いを成就する為に長い間苦行をしておられるのがわかります。

そして、
その願いが成就した時の姿が
諸仏、諸菩薩の名前になっていることに気がつきます。

つまり、
「願」と「行」とが一致完成された姿ですから、
そこには無限の力が生じて生きているのでしょう。

このようにすべての信仰の主となっているものには
すべてこの「願」と「行」の結果のたまものの姿と考えていいと思いますし、
この中に貯えられた強いエネルギーのかたまりなのでしょう。

現実の世界の生物を眺めてみても、
微生物から人間に至るまで、
すべて一つの願いと、
それを成就させる為の「行」の姿があります。

これを通常「営み」(いとなみ)と言う言葉で使っていますね。
この姿は万物共通の姿と思います。

しかし、この現象は普通、
自分一代のことで自然の摂理に従って枯死してすべてが終りますが、
人間の場合は、
子孫への執着心が強いので、ここに念のつながりが生じてきます。

仏や菩薩、神といった最高のものは「願」と「行」とが一致成就して
不退の位にあるから満足の姿として考えられますが、
人間においては願行成就の姿を持つ人は少ないと思います。

それは欲求する心が多くて、満足を知らない為に、
念を残して死んでいくことが多いからなのでしょう。
悔しい時は他を憎んで憎んで死んでいくことも多いです。

こうした念を持ってこの世を去った時は、
満足感がない為に、その霊は不成仏の像(かたち)をとると思われます。

動物は一般的に自然の現象に支配されて従順に生き、
そして天命を素直に受けて死んでいっているようですが、

中には高等動物になると智や感情があるので、
人から痛められ、虐げられた時は
苦しみ恨んで死んでいく動物もあります。

こんな時はその念は極度に強くなるので、
この動物を傷めた人は、この念を受けて不幸になることもあります。
ひどい時は一家が損なわれることもあります。(気をつけてくださいね)

人が死んで不成仏にある時は、
「成仏をさせてほしい」と願いますね。
この願いを全うする為には・・・


つづく。

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先祖の願いがあなたを誘導している?

以前にも因縁のことはお知らせしましたが、
再びこのことについて考えてみます。

因縁とは何か?

一口にいえば、
先祖それは直系の5~6代の範囲や
傍系の2~3代前の範囲内で亡くなった方の中で、
妻または夫または子や嫁等にいたく苦しめられた為に、
強く恨んで亡くなった方が成仏できずにいるので、

その子孫に念波でよりすがってきて現れた姿をいいます。
念波は言葉ではないので像(かたち)に表したのが不幸の姿でしょう。

先祖の中に成仏をした者の救いがある時は、
先祖のよい指導と考えを得て幸せな人生を渡ることができ、
その人生に長となり財も自ら貯まるものです。

しかし、
人間はここに勘違いをすることがあります。

己の才覚と実力によってここまで築きあげてきたのであると過信して
先祖や先祖が祀ったものを粗末にして
感謝する心を失っていることが多いです。

こうした時は、
自分一代はよいけれども晩年、世代が子に移ってくると、
家庭的に不幸や心配事が増えてくるものです。

一方、
救ってほしいという願望のすがりをうけた者は苦労が多く、
働いても働いても幸せにならないことが多いですし、
また家庭にも色々と災いも多いです。

こうした時は、
遠く先祖のことを思って充分に供養をするとか、
さわりの原因をみつけてお祓いをするようにしたならば、
自然と運が開けてくるものです。

同じ父母から生まれた子供達が歩く人生や考え方、
性格または受ける幸不幸がそれぞれ違うのは、
子供等に頼っている先祖がそれぞれ違っている為なのです。

つまり、
先祖の各々に願いがあり、
この願いをこめて子供のそれぞれに頼って教えている、
または誘導しているのかもしれません。

こうした意味を仏教の歴史から考えてみると・・・



「さわり」とは何か?(2)

前回に引き続き「さわり」とは何かです。

5、川や池、壕などを無造作に埋めてその上に住居を建てたり、
  古井戸等の上に家を構える等は水神のさわりをを受けるようです。

6、釜戸の土や焼瓦などを庭先、溝、家の土台等に埋め込んだりすることは
  火の神のさわりとなります。

7、川の神の石、山の神の石等もこれを庭造りや踏み台、
  家の土台に使用することもさわりの因となります。

8、宅地内に墓を作ったり、動物の死屍を埋めたりするのも
  宅地神の不浄となるのでよくありません。
  旧便所をそのまま埋め込んで、その上に家を建てることも
  さわりの原因になります。
  便所に使用した材木を住居の方に使用したり、
  釜戸で燃やしたりすることもさわりになります。
  子供のオムツ等の不浄になった物を風呂場や井戸の近くで洗い流すことや、
  便などを側溝に流すことや水洗便所の廃水を川に流したりする時は、
  水神さんのさわりを受けることが多いです。

9、土用中に土工をしたり、植木を植え替えたりするのもよくないし、
  三月荒神や三年ふさがりの金神さんに向かって土工等をすることは
  よく注意した方がよいです。
  また、
  家を建てる時の便所、浴室等の不浄になる所が鬼門や方位との関係を
  よく調べてすることも必要であり、そのさわりを受けることもあります。
  また、
  家を増築する時は方位とか三月荒神とかをよく考えてしないと
  さわりを受けることがあります。
  墓の方位、墓相の形のさわり、無縁仏のさわり等もあります。

この他に色々注意をする必要がありますが、
さわりというものは思わない所に原因があるものです。

これらのさわりが原因で家系に幸不幸が生じ、
ひいては、
あなたの体の健康不健康、生命の長短、家の争いごと等の
吉凶が分かれてくるものです。

これらのことについて、
昔から色々と研究されているので、
次回からそれをお知らせします。




「さわり」とは何か?(1)

あなたも「さわり」という言葉をよく聞くと思いますが、
具体的に、と聞かれると答えにくい面もありますね。
ですので大きく九つほどの「さわり」に分けて具体的にお知らせします。

1、家庭内のことでは、
  夫婦の場合で一方が別の異性を作った為に夫婦間に争いが生じ、
  その為に一方が強く恨んで、
  「必ずしかえしをしてやる」といって一心になって死んだ時、
  または、この原因で山の神、お稲荷さん、
  その他先祖が祀っていたものに願をかけて死んだ時とかがあります。
  その時の方法として、
  首を吊った時は、その時の補助になった木または家の柱、
  水死した時は川の神のさわり、
  刀をもってした時は刀のさわり、
  火事によって死んだ時は、火のさわり
  死の直前に祀られたものに願をかけた時は、祀られたもののさわり等、
  色々あります。

2、独身時代に異性との関係があって、
  その後相手をだまして捨てたり等をした為に、
  相手に死ぬほどの思いをさせたり、
  涙を強く流させたりした時の念もさわりとしてつながることが多いです。

3、先祖が祀られた物、または祀ったものを大事にして拝み、
  または祈願を込めたものがあって、
  これを子孫が粗末にした時は、
  先祖の願いのさわりや祀られたもののさわりも出てきます。

4、墓塚、墓石、塚石やそこにある樹木を切って使用したり、
  無造作に切り倒したりした時、
  山の神の木、お寺、お宮等にある大木を無造作に切ったり等した時、
  堤防石を無断で使用したり等をしていると、
  さわりが生じます。


「発展して行こう」という本能とは?

「発展して行こう」という本能は競争意識の本能ですね。

動物の世界では首領になろうというする本能ですが、
人間ほどの悪どさはないです。

あなたもご存知のように、
動物の世界は力の強弱によって決めているようで、
競争して相手を倒し、
または征服して立ち上がろうとしますが、
一匹のために集団で行うことはないようですね。

しかし、
私たち人間は知恵がある為、
常に自分が立ち上がるために弱い者はそそのかして味方に入れて、
強い者を倒していこうとする考え方が多いです。

知恵の力といえば言えるかもしれませんが、
倒された人は素直に降りることなく、
この相手を強く恨むことになります。

この点が動物の世界とは随分違いますね。

財産関係の争い、
金融の争い、

あるいは栄進の争い、
またはそねみ、ねたみ等で負けた相手方から恨みを買うことが多いです。

あなたも多少の経験があるかもしれませんが、
このように極度に相手方の心を刺激したり、
悲しませたりした時は、
これが一つの恨みの形の念力となり、

その怨念の波長は、
あなたの晩年や子、孫と子孫に不幸を起こす原因となります。

これが因縁の因につながります。


「食べること」と言う本能とは?

全国に「伊達直人現象」が起きているのはあなたもご存知ですよね。
養護施設などにランドセルや寄付金をされています。


そして、
不景気にも関わらず、

去年から逆に
日本全体での寄付金額が増加している統計が報道されています。


これを聞いた時、私は逆に今の不景気の深刻さを感じたのです。


と言いますのは、
もう自分はダメかも知れないが、
せめて他人に喜ばれることをしておきたいと言う、
ケナゲな思いが人間の本能で起こり始めているのではないかと感じたのです。


だから政府機関などが、
「寄付が増えるのは良いことだ」などと思ってはいけないかもしれません。


その奥で、
何が起こり始めているのかを考えなければいけないかも・・・



それでは前回の続きで、

「食べること」という本能は他人との争いはほとんどありませんが、
晩年の老人が嫁の仕打ちで孤独になり、

若い人は自分たちで楽しんで食べていても、
老人にはお茶もやらないような状態があった時は、

良くしてくれない若夫婦への恨みが強く子孫たちに関わってくることがあります。
こうして苦しんで亡くなった人は不成仏の像をとることが多いです。

あなたもご存知と思いますが、
成仏とは満ち足りた像で往生した人を言いますね。

極楽とは、
食生活においては希望した時に、
その希望をした時点ですべてが叶えられて満足することができるので、
より以上の欲求をする必要がないと仏教では説いています。

食生活の為に買いだめの必要はないと言うことです。

でも、不成仏は、
欲しくても食べられない苦しみの世界(これは普通、地獄とか餓鬼道とか言いますが)に、
住むが故に、
いつも食べ物がほしいほしいと念願する故に、
この霊が自分の子孫に求めてくるのです。

その霊のつながりをを受けて生まれた子は、
食生活に非常な執念を持ち、

食べても食べても満足感がなく、
自分だけが食の満足を求めて家族はもちろん、

人にも分け与えるのも、
おしい考え方になっていきます。

こうした姿は、
先祖に不成仏、不満足の人がいることを教えたものとしているのでしょう。

特に、
無心の子供を見るとそれが知ることができますね。

そして、
「発展して行こう」という本能があります。

それは・・・



色情という本能は?

動物や人間にはそれぞれ生存する為の共通した意識があります。
それは「本能」です。

これは意識しようとしまいとそれとは関係なく、
生まれた以上、
自然の現象と時間の経過とによって生じます。

この本能は因縁とは言えませんが、
この本能を自分以外の他の意識のある物に、
より以上の刺激を与えてその怨念を強くもらった時は、
これが因となります。

つまり、
他の念波を強く受けることが因縁の始まりであるといえます。

たとえば、
色情因縁を考えてみますと、

四代前の高祖父の時代に他の女性と関係をもった為に、
その妻になる人が強く夫を恨んで自ら死同然の姿になったとか、
または、
自ら身を引いて亡くなったとか、

その身も心も虐げられた時の怨念は、
子の世代にはすぐには出ませんが、

孫の世代からは、
この念の仕業で、家庭の不和や争いごと、
離婚、死に別れといった像(かたち)で出てくるのです。

また、「食べること」というのも本能ですが、
これは・・・


因縁とさわり、加護との関係は?

万物がこの世に存在する姿を考えてみると、
あなたもご存知のように、
「天」「人」「地」の関係にあることがわかりますね。
この三つの中に生きています。

「天」とは、
太陽、月、星の存在する天体や気象関係、
または空気等も「天」の中に含まれますが、

このほかに、
祭られた物で神や仏と仰いで信仰されたもの、
つまり、
人以上の力をもったと信じられる物も
「天」として考えても良いようです。

「地」は、
自然の大地でそこに存在するもので、
山川草木などの木火土金水の五行の物や、

山の神、水の神、川の神といったように、
大地に存在してその恩恵を深く受けて感謝の意をもって
祭られる物も「地」として考えて良いでしょう。

「人」とは、
社会人のつながりで友人、親戚、団体、国家等の
人との間にある関係を言います。

この三つの関係の上に立って
あなたも一人の人間として生きていますね。

この天地の間にあって
人が存在しているのであることはよくわかりますが、

この三つのものを二つの世界に分けて考えてみると、
それは「物質」の世界と「念」の世界に分けることが
できると思います。

「念」の世界とは霊波、念力といった無形でありながら
威力のあるもので、
観念の世界で考えて初めてわかる世界です。

そして、
観念の世界にある霊波、
念力によって受けるものがあります。

これが「さわり」と「加護」の二つになります。

この「さわり」と「加護」の二つの関係によって、
あなたの人生に喜怒哀楽の感情関係が生じ、
そのために苦楽が出てきます。

その中に特に強く受けた感情の念があります。

この強く起きた感情の念が次の世代に流れて行く
因縁の原因となっているように考えられます。

そして、
動物や人間にはそれぞれ生存する為の
共通した意識があります。

それは・・・




本当の因縁の流れとは?

あなたも因縁という言葉には怖いイメージがあったかもしれませんが、
このブログを読み続けると
「なるほど・・・」なんて感心している方もおられるかもしれませんし、

逆に「何だこれは!」って否定される方もおられるでしょう。
あなたの自己判断にお任せします。

何でもそうなんですが、
知っている、知らないとではこれからの人生で大きく違ってくることが
多々あります。
こういう考え方もあるんだとわかってもらえるだけで良いと思います。


さて前回の続きで、
この因縁の流れをまとめてみますと、

(一)先祖代々つながっている家系には、
   姓と肉体がつながって流れているので
     その因縁はつながって流れている。

(二)先祖の体質遺伝は途中で両養子によって切れて
   新しい肉体の流れが出来ても、姓はそのままであるために、
   この家系は先祖の因縁をそのまま引いている。

(三)先祖の肉体遺伝は子孫が絶えて終わっている。
   また姓も終わって絶家となる。
   でも先祖の念は消えずに残っている。
   これを念がこもるという。

   念がこもる所は屋敷、家、墓地、墓石、塚、塚石、
   墓または塚に茂っている木あるいは岩、

   先祖が信仰をしていた対象物の神や仏として祭った像や絵など、
   先祖の魂としていた刀剣類、指輪、宝石類、

   生命の恩として祭っていた井戸、または井戸の神、
   多くの人が物をあげて参る所、
   などにこもるのです。

このこもる所に後世に縁あってこれにふれた人の中の霊感応遺伝子が、
そのこもった霊の念波と同類の時は
これによりすがるということになります。

そして、
その血の中に入って、その人の因縁の中に合流して
その生命(因縁の流れ)をつなごうとするのです。

因縁は物質の肉体のつながりであるように考えられますが、
決してそうではありません。

念波のつながりであるから形がないのです。

先祖の波動の流れであり、
それが姓のつながりによって肉体と共に流れていることがわかります。


ところで、
あなたもよく「自我」という言葉を聞かれる思います。
人間の自我(じが:心の表層の意識)とは、
家系の因縁(遺伝子)の状態の影響を良く受けているそうですよ。

私たちが生きるとは、
過去から連綿と受け継がれた因縁(先祖霊)と共に生きる状態です。
あなたは一人で生きていると思っていても、
その実態は多くの先祖霊の”思い”(遺伝子、因縁)と共に生きています。

遺伝子がしたかった行為(仕事、性行為、飲み食い・・・)の
影響を受け取るのは、
自分の自我なのです。

だから自我の層が厚い人ほど、
家系の因縁の状態に影響されて操縦されます。

自分の思いや志(こころざし)が、
コロコロと変わり中途半端なのです。
自分の意志が継続しにくいのです。

あなたのお子さんの学校はどうか知りませんが、
最近の小学校の学級崩壊で見られます、

ジッと先生の話を聞くことが出来ない児童が増加しています。
これは正しい先祖供養がされていない遺伝が続きますと、
子孫には遺伝子の絡まる状態が反映します。
要は霊的な遺伝病が発生しているとも言えます。

私は子供の頃から思っていましたが、
同級生で特に勉強をしなくても良くできる聡明な子供は、
家系の霊線(因縁)の状態がとてもクリアでした。

霊線がスッと突き抜けている感じがしていました。
おそらく家族の方が新興宗教などに属さずに、
伝統仏教の形をとりながらも先祖に感謝する行為を、
”家族なりに”何代も重ねたのでしょう。
(もちろん、色んな例外はありますが・・・)

要は親の信仰が、
子供に影響して運命さえも改善させているみたいです。

家系の霊線(因縁)の状態を受け取るレセプター(受容体)である
自我の層を薄くすれば、
自分の心境は縛りを解かれて自由には成れます。

しかし、
自我を完全に消滅させることは、この世を去ることを意味します。
それは神様から「良く出来ましたね~」と迎えが来てしまいますから・・・

だから、
適度に自分を守り”楽しむ”自我は必要です。
この辺りに、仏教で言う中道(ちゅうどう:適度なバランス感覚)が
不可欠なんですね。

一番にバランス良く、
自我のレセプター部分だけを破壊する方法は二つあります。

その一つは、
他人への”思いやり”を意識することです。
そして、遺伝子の元である家系の霊線(因縁)をククリ治して
クリアにすることです。

この方法が、
二つ目のヨリシロによる感謝の先祖供養を実践することなのです。

古臭い先祖供養が、
実は最新の遺伝子工学をも凌駕する未来の科学であるのが真相です。
早く現代科学が追いつくといいですね。




因縁はその姓につながっていくのか?

明けましておめでとうございます。
あなたも素晴らしい新年を迎えておられると思います。

今年からは、
自分のオリジナリティーを維持する人間が、大きく飛躍する年だそうです。
自分自“神”を心から信じる年で、
企業も、オリジナリティーを大切にして、維持する会社が生き残るようです。
日本も、
他国を頼る生き方から、日本独自で生きる道を歩き始める年となるそうです。

今の自分なりに出来ることを懸命にし、
その結果などは、関係がなく悩みモガイた、過程こそが大切です。

たとえあなたがベッドの中に居ても、
自分自身を活かそうとする志(こころざし)を持つ限り、
その姿は本当に「美しい」のです。

要は、
自分を信じて、自分を精一杯に“活かそう”としたのかどうか?が大切な年なのです。
自分も他も、活かそうとする人が生かされる年となりますので、

あなたも自分自身(神)を活かしてくださいね♪


それでは昨年からの続きで、
因縁もまた血の流れに従って流れてきますから、
肉体の遺伝とよく似てる・・・ということをお知らせしましたね。

それでは、
子供を見ても肉体は父母のおのおのに似ていても
性格はまるで違っていることが多いですが、

この性格の相違がどうしてくるのかが、
人間を追及する上で非常に大きな問題になります。

この性格の相違はどうして出てくるのでしょう?

あなたもご存知のように、
太陽の光は無色ですね。
反射によって色々の色を現していますが、

これを光線分解器(プリズム)によって分解をしてみると
幾種類かの色に分かれていることがよくわかります。
(たとえば紫、青、緑、茶、黄、赤などですが)

これと同じように、
父母の因縁子が分解されたのが子供であると解釈してもよいです。

父母の因縁子はそれぞれ違っていても、
その中に同色と異色と中間色があるはずです。

中間色は時によって出てこないことが多いですが、
同色(同類)か異色(異類)のものが強いので
これらのが多く子供には出ているようです。

父と母の因縁子に色分けがあったとすれば、
父母の交互によって、
その子供には同類色の結合が優先的に出てきます。

そして異類はそのまま小さい姿として子供に流れていますが、
これが性格を左右する程の力はないのですが、
体内には流れています。

そして次の結婚の結果によってそれが表面化して
子供にあらわれることがあります。

長男と長女には
父の強い色と母の強い色がとが最初に出ることが考えられます。

因縁は血の流れに従って出て来ることが考えられますが、
ここに不思議なことがあります。

それは次のような時です。

人の流れには、
子がいなくて両養子で家系を継いでいることがありますね。
この場合は
当然養父養母の体質遺伝は無くなってしまい、
新しい夫婦の流れが始まります。

だから、
因縁もまたここから変わることが考えられますが、
しかし事実は少し違います。

養子養女で変わっても、
因縁はつながれているんですね。

これは姓が変わって養父母の姓に入るためですが、
もちろん各世代の中には傍系の因縁を直接引いていることは
前にお知らせしました理由によるものです。
因縁と肉体のつながりと家系の関係とは?を参照してください)

こうしたところに因縁と遺伝の相違があります。

遺伝は体質であるが故に、
肉体の流れは両養子で継いだ時は
子以下は父母の遺伝につながりますが、

因縁はあくまでもその姓につながって流れていくのです。

それは、
嫁が入って一代目の子には
嫁の生家の因縁をもって生まれる子供もありますが、
二代目には直系の因縁に従っていることがわかります。

こうして考えていきますと、
因縁は形が無いものですが、
先祖が頼っている念波であるようです。

そしてこの念波の強さは、
あくまでも姓につながっていることがわかります。

思うに、
因縁は姓と生命とによってつながっているのであり、
姓が変わることによってその因縁は変わるようです。

ということは、
姓の跡を継いだ時はその姓の因縁を引くようになるからです。

そしてその果は
生命の存在によって表れてくるのです。

姓はあってもその生命をつないでくれる者がなかった時は
この因縁は温存された形となり、

それが永久につながらなかったら
無縁仏となって墓塚や木、石、岩などの物に執着して、

後世に縁あってこの物にふれたものに
再び頼ってくるという結果になるようです。

この因縁の流れをまとめてみますと・・・


因縁も遺伝の血の流れによく似ているか?

体質遺伝のことについてはおよそ分かられたと思いますが、
これからは因縁というものについて考えてみたいと思います。

因縁という言葉は・・・というと、

私たちなども若いときケンカの発端で、
「インネンつけるのか~」と言いながらケンカした覚えもありますが、
そういう時のインネンと因縁はまったく違うことは明白ですね。

因縁という言葉はお釈迦様またはそれ以前より
考えられた哲学の一つでしたが、
その意味は抽象的にわかっていても、

どうしてこれが流れているのかということについては、
確定的なものが出ていないような気がするので、
私なりの考えでお知らせします。

因縁の「因」は原因であり、
「縁」はつながり、ふれる、
それによって結果を得る因果の理法を教えている言葉ですね。

「因」があっても何の「縁」にもふれなかったら
表面化することはないでしょうが、
それは永い時間の間にはいつかは「果」が生じるものです。

因縁果の「因」は普通先祖にあることになります。

先祖に起きた何かの原因が基となって、
現存している自分に「果」として幸不幸を生じる流れをいいます。、

ちょっとややこしい言い方ですが、
「果」を生じる基を「因」とし、
「果」を成就させるのが「縁」という。

つまり、
「因」を親因とし、
これを補助する助縁とによって「果」を生じることです。

世の中のすべてはこの因果の理に従っていますが、
ここでは人間の流れでお知らせします。

人間の場合は、
因縁というものは観念的に存在していて、
しかもそれが現実化されていくものです。

これはあなたにも形は見えませんが、
それがつながっていることは考えられます。

遺伝は肉体素質の流れですから、
両親がいなくては生じてきませんね。

因縁もまた血の流れに従って流れてきますから、
肉体の遺伝とよく似ています。

先祖との関係は父母を通して精神につながってくるものですから、
これを一つの念波と考えてよいと思います。

人間の遺伝子の中には感情を操る遺伝子のほかに、
霊の波動を捕まえる遺伝子があるようです。

この霊感応遺伝子が先祖のそれぞれの願いの念力によって
相つながるように受胎をした時に出来上がっているようです。

先祖の「因」は心や体、運不運などを誘導する根本です。

子供を見ても肉体は父母のおのおのに似ていても
性格はまるで違っていることが多いですね。

この性格の相違がどうしてくるのかが、
人間を追及する上で非常に大きな問題になります。

この性格の相違は・・・


つづく。

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兄弟姉妹の体質遺伝とは?

あなたも兄弟仲が良くても悪くても、
一度は疑問に思ったことがありませんか?
兄弟の心や運命、行動がそれぞれ違うことを・・・。

これを考えてみますと、
結婚当初は父または母の遺伝を強く受けていますが、

夫婦が一緒に生活をする中に直系の方の影響を
強く受けるようになると共に、
年齢的にも体質や精神的な変化もあって変わってくるようです。

それをみると、
年を取るに従って祖父母、曽祖父母といった線をもった子が
生まれてくることがわかります。

体質遺伝はほとんど三代くらいの範囲から出ることが多いですが、
因縁は四代五代くらいから流れていますが、
一概にこうだと決定しにくいものがあります。

この父母交互の関係から生まれてくる子供の姿を
周易ではこのように見ているので参考のためにお知らせします。

長男は体は男系ですが、性格は母に似ている。

長女は体は女性でも性格は父に似ている。

中男(二男とかですが)骨組が強く男では強いが、
  外部に女性型の肉がついている。
  性格は父または祖父に似ているが、
  外見は母のやさしさをもっている。

中女(二女とかですが)女性の体質を持っているが、
  男のような強情さがある反面、
  感情的なもろさもある。祖父に似ている。

小男(末っ子)表面は男性的でも内心は女性的である。
  祖母に似ている。

小女(末っ子)女性ではあるが男のような性格がある。
  祖父母または曽祖父母の線に似ている。

これを考えてみると、
長男は母の系統を引き、長女は父の系統を引くようですね。

中男は祖母の系統を引き、中女は祖父の系統を引く。

小男は祖母または曽祖母に似ているし、
小女は祖父または曽祖父に似ているようです。

つまり、
二男二女は祖父母、
三男三女は曽祖父母との関係にあることが言えますね。

これらから考えて、
その性格動作その他をある程度判断できますが、

必ずしもこれが絶対とは言えないので、参考にしてください。

体質遺伝のことについてはおよそのことは分かりましたが、


次に因縁というものはなんだろう・・・?と疑問が湧きます。


 

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同じ父母から生まれてきた兄弟姉妹の違いとは?

あなたも不思議に思うでしょうが、
同じ父母から生まれてきた兄弟姉妹が体質も性格も運命も違うのは
どうしてかということです。

因縁というものは心の世界で、物質の存在はありませんが、
肉体にくっついていて、肉体を支配していることが考えられます。

あなたもご存知のように、
一般的には長男は母親似、
長女は父親にって言われますね。
これを基準にお知らせすると、

直系(父方)の男性の体内には幾種類かの遺伝の流れがあります。
また、
妻の方にもありますが、
女性の方には男性ほど根強いものはないようです。
でもこれは断定できません。

しかし一般的には、
大きい男性と小さい女性が結婚したら、
子供の中に大きい人が多く、

これと逆に小さい男性と大きい女性が結婚すると、
一般的に小柄な子供が多く生まれることが多いです。

これを考えてみると、
女体というものは男の遺伝子を包んで
自分の遺伝子をこれに合わせて育てていく
自然な働きがあるようですね。

このように、
因縁もまた直系の方が強く出るみたいです。

遺伝の流れと因縁の流れはよく似ていますけど、
遺伝はあくまでも肉体のつながりですから、
父母がいなければ生まれてきませんが、

因縁は霊の世界ですから、
肉体のつながりがなくても、
その姓を継いだ時はつながってきます。
(養子とかに行って姓が変わるときがありますね。)

そして、
兄弟の心や運命、行動がそれぞれ違う理由は・・・?


   

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因縁と肉体のつながりと家系の関係とは?

あなたは人生というものが二つの線で
考えられるということをご存知でしたか?

一つは肉体のつながり、
そして一つは因縁のつながりです。

肉体のつながりはあなたの父母があって子が生まれ、
子孫につながっていく肉体で、

因縁のつながりとは精神面のつながりで、
形がないものなんです。
あなたも感じていると思いますが、所謂心というものですね。

また、
運の強弱もまた因縁によることが多いです。
あなたも自分の考えで渡っているように、
他の人も自分の考えで人生を渡っていますが、

その考えの根本がはたして自分自身の考えなのか?
第三者の作用の結果なのか?

こうした問題を追究することは必ずしも無駄ではないですね。
今までもいろいろとこのことについて研究されていますが、
まだまだ不可解な面が多いように思います。

たとえば、
同じ父母から出た兄弟がそれぞれ考えも人生の渡り方も違うばかりか、
たとえ同じように働いても、

一方は幸になり、
一方では不幸の連続となってゆく姿には、
いろいろと研究をしなければなりませんが、
その確実な原因については未だはっきりと
解明されたものはありませんね。


でも、やっと何らかのヒントを得たようです。
それはあなたにもある「家系」です。

家系の流れを考えると、二つの流れがあるようです。

一つは直系の流れ、
一つは傍系の流れです。

直系の場合は、
一般的に四代ごとのくりかえしとなって流転の形をとっていますが、
全体の2割弱は五代ごと、三代ごと、
たまには二代ごとにくりかえしているようです。

しかし、
傍系の場合で妻として嫁いできたり、養子として入ってきたりした時は、
その実家の因縁は二代までは子の中に出てくることがありますが、
三代目には実家の因縁は消えていることが多いです。

このように傍系の父母または祖父母までの因縁は
子の中に出ることもありますが、
割りに少ないようです。
やはり直系の四代ごとの因縁が一番強く流れていることが言えます。

例を言えば、
あなたに○○○の因縁があったとします。
調べてみると祖父母の時代とよく似た因縁があったことがわかります。

また、
あなたの世代で作った「因」は、
曾孫(ひいまご)に「果」の因縁としてつながっていくことが
想像できるのです。

このようにして因縁は世代を追って流れていることがわかります。

奥さんの方は傍系であり、
女ですから主としてその父母または祖父母の因縁を
強く引いていることが多いです。
たまには曾祖父のものを引いていることもあります。

よく言われますが、
「生まれ里の母と同じ運命をたどる」
ということは、この理屈を物語っていますね。

あなたの奥さんが生家の直系の因縁を引いている時は、
奥さんには自分の生家を見ていく運命をもっているので、
性格も男性的なものがあり、
よく働く反面には生家の面倒をみようとする執念が深いです。

母の因縁を引いている時は、
母と同じ運命をたどりますから、
晩年はその母が頼ってくることもあります。

では兄弟はなぜちがうか?
同じ父母から生まれてきた兄弟姉妹が体質も性格も運命も違うのは
どうしてだろう?

それは・・・


  


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遺伝と因縁を究める美ビルド・ネット

あなたはこんな疑問を持ったことありませんか?

因果の因はどこにあるのか?

幸不幸の原因は何によって生ずるのか?

神仏は存在するのか?

霊はあるのか?
もしあるとすれば人間とはどうした関係をもっているのか?

人間の遺伝をみつける方法はないのか?

心はどうして生じてくるのか?

兄弟の心や運命は何故違っているのか?
これに付随して健康な子はどうして生み育てることができるか?
よい性格の子はどうすれば与えられてくるのか?

霊媒者や祈祷者は古代より現在に至るまで存在する理由は
どこにあるのか?

霊界はあるのか?

そしてこのようなことを科学的に究明をして知る方法はないのか?

こうした疑問を一つぐらいは持ったことがあなたにもあると思います。

その疑問を解決するために書籍で読んだり、
ネットで検索したりして満足するほどのことがあったでしょうか?

この遺伝と因縁を究める美ビルド・ネットで、
あなたが持っていた疑問が少しでも解決できれば幸いです。




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