業とは一般的には、
「どうにもならない」という宿命観による意味に使われているようですが、
ここで考えなければいけないのは、
仏教の中には生まれ変わるという輪廻の根本原理を主軸とした
考え方が強いようです。
つまり過去世において、
Aが生まれて、その世渡りの為の色々の所作をして命を終ったのですが、
長い時間と空間の後に再びこの世に生まれる。
そして前世の所作の結果を受けてこの人生を渡り生活をしていく内に、
来世の因を作っていくのです。
このように流転して流れていくものと考えているようです。
過去世において因をつくり、
今世において果を受け、
また今世の所作は未来世の果の原因となっているような解釈をしています。
ただ、ここで考えてみたいことは、
これが同一人物であるか否かです。
霊の世界である為に、
このことについてはその証明は不可能と思いますが、
因縁をもった霊のエネルギーが子孫に頼っていく、
ということは充分納得ができます。
日本の神の道の観念からみれば、
生まれ変わるということはないようです。
死んだ後はその徳、またはその生前の精神を永く伝え感謝し、
その徳の力を借りるといった考え方にたっているようです。
しかし、
仏教が入ってからは少し考え方が変わっているように思われますが、
人間というものの追究については、
やはり仏教の考え方が強く流れているようです。
つまり、
神といい、仏というも、人間以上の何らかの力があり、
これを信じることによってその利益という考え方、
または、そのまします世界に生まれ変わるという考え方は、
人間の心の弱さから考えられたものと思われますが、
現在においてはその理論、観念の如何を問わず、
大なり小なりそれによって救われていることをみる時、
そこに何らかの働きがあることが考えられます。