霊魂の存在も考えられるんですね。
このような考え方についての是非はさしおいて、

仏教でいう個人の輪廻観は少し違うのかもしれませんよ。

つまり、
輪廻のように見えても輪廻ではないと思うんです。


たとえば、
Aの魂が全く違った血統の流れの中に入り込むことは、
絶対にあり得ないんです。


もちろんその違った人に時によって頼る、
または、
すがることはあっても、
それは一時的であって輪廻の像とは違うんですね。


因果の流れを考えてみる時、
あくまでも血の流れに従うのか、


あるいは血の流れは切れてもその姓を名乗って、
その跡をつけば必ず、
その因縁は流れていることがわかるんですね。


それは前に自己の存在と先祖との関連性を示したように、
私という個人は先祖のAという人の願いを受けて生まれるために、

その誘導を受けて、
個性や考えや運命が支配されているからなんです。


これは個人の姓名から先祖とを照らし合わせてみると
そのつながりがわかるんです。


その上で先祖のAの願いは何であるかを見つけ出すことによって、
その願いを成就してあげたならば、


必ずAの心が満たされて、
ここにその加護を得て、
自分の人生が大きく良い方に誘導されて、


不幸が幸に、
不運が幸運に、
業病もなくなり、

家庭も明るさを増してくるんですね。