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新田次郎の作品を読むのははじめてです。上下2巻の長編です。昭和44年刊行ですので大戦まっただ中のことです。あらすじによると、「昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々をひとり疾風のように踏破していった”単独行の加藤文太郎”その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編・・・・」とあります。そして最期は遭難死してしまいます。加藤文太郎は実在の登山家だったようです。

 はじめから主人公加藤文太郎は死んでしまう、と分かっていて読むのも何だか嫌なものです。あまり気が進みませんでしたが、「孤高の人」というタイトルに「凛とした気高さ」を感じたことや自分も山登りは嫌いではないので、一度登山の小説を読むのも面白いかなと思い読んでみることにしました。

 加藤文太郎は遭難した最後の登山を除いては、全て単独行を貫いていたので、物語は一人で黙々と山歩きをする描写ばかりです。でも夏山の澄み切った青空・もくもくとわき上がる雲・かわいい小動物・青々とした木々の美しさ、そして何よりも凄いのは野営をした時の星が手で掴めそうな満天の星空等々の描写がとても美しいです。

  ・加藤が天上にいただく星は暗黒の空に星が点在するのではなく、星の中に夜が点在   
   するかのように、おびただしい星が彼を取りまいた。それを美しいと表現できなか   
   った。荘厳という古めかしい言葉でもなかった。それは人間の表現感覚を超えたも   
   のだった。人には告げることのできない景観だった・・・・。

 新田氏自身が過去に富士山の測候所に勤めたこともある、ということで登山に関しては経験豊富なようです。文中自ら体験しないと分からない描写で埋め尽くされています。特に冬山の凍った稜線歩き、雪崩、天候の急変等々の描写はとてもリアルで臨場感・切迫感を持って読むことができます。

  昭和初期の時代感覚や文太郎の人物像・生活ぶりは本人が書き記したもの、登山界の資料等々が残っているのでそれらを元に新田氏が面白く脚色したと思われますが、遭難死については、単独行を貫いていた文太郎が何故・どのように死に至ったか、というのは誰も知りません。なので新田氏にとっては、文太郎の遭難死に対して如何に必然性を持ったドラマに仕立てているかが問われる部分だと思います。

  その点で言えば、下巻の後半部分はかなり無理があるように思います。愛する娘・妻花子がいるのに、何故宮村の無理な登山計画に賛同したのか、登山の途中でも文太郎が単独行をしているのであれば止めていた場合でも宮村の強行登山を黙認して、結局最期は遭難死してしまいます。読み手としては「どうして?」「何故強く反対しなかったのか」「かけがえのない家族がいながら」、今の宮村の置かれている立場、彼への負い目等々あったと思いますが、どうしても多くの疑問が残って後味がすっきりしません。

  それにしても遭難死というのはあまりに悲劇的すぎて読む意欲が萎えます。なので文太郎をモデルにした別人物で最期はこの困難を何とか耐え、死に体の中何とか家族の元に帰り着き、花子や娘と再会する場面にしてもいいのではと思ってしまいます。花子との結婚式当日、山で遭難しかけながらも、息も絶え絶え泥だらけになって式場にたどり着いたように・・・。

 まあ遭難死して悲劇に終わった方が物語としては面白いと思いますが、やっぱり後味は悪いですね。文太郎の「何故山に登るのか」という自身の問いかけに対して答えが曖昧なまま終わってしまいましたが、久々に骨太の大作を読んだ気がしました。