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  椹野道流氏の作品を読んだのはじめてです。「最後の晩ごはん」・・・変わったタイトルに興味が沸き読んでみました。「最後の晩ごはん」シリーズは6冊あります。全てに副題がついていて例えば第1話は「ふるさととだし巻きたまご」第2話は「小説家と冷やし中華」等々です。人物設定や展開の仕方、背景等はこじんまりとしており、また登場人物も家族、友人といった範囲で、まるでテレビドラマ、それもホームドラマの典型のような設定で分かりやすい展開です。

  ドラマは芦屋の定食屋で働く3人が中心になって進みます。マスターは訳あってやくざにまで身を落とさざる得なかった重い過去を背負いながらも、なんとか立ち直ってなんとか店を切り盛りしています。その定食屋の住み込み店員は元芸能界のイケメンタレント。今はイケメン店員、この話の主人公「五十嵐海里」です。眼鏡のロイドも含めてみんな「訳あり」の登場人物構成です。

  このドラマをより面白くしているのが、眼鏡のロイドです。ある時草むらに落ちていたのをイケメン店員に拾われて、この店の仲間になりました。眼鏡が人間の姿になってしゃべります。そのめがねが作られたのが英国なので英国人の姿で日本語をしゃべるのです。それも古風な昔ながらのはなしっぷりです。「なんだぁーオバケの馬鹿げた話」と思いがちですが、読み進めると彼らのやりとりがなかなか面白いんです。

  椹野流の面白い展開の仕方で、「科学で割り切れない不思議なことはこの世の中には一杯あるよ」と言っているようで、それもロイドの古風でユーモアたっぷりの語り口が話の絡みやドラマの展開を実にほほえましく面白くしています。

  「胸騒ぎを覚える」とか「第六感のひらめき」「テレパシー」などは、誰でも一度や二度くらいは経験したこと、あるいは誰かが経験したのを聞いたことがあると思います。実際に的中することもありますが、何故そう感じたのかを説明することはできません。「なんとなく」です。幽霊や付喪神(つくもがみ:物に宿る魂)は、特に親しい人、大切な人、大切にした物などがある形をとって自分だけにわかるように現れる感覚なのだと思います。それを感じる人達の精神的共通分母として「強い思い入れ・魂」「やさしさ」「大切に思う心」などがあると思います。この作品の底流にはそうした思いが強く流れています。


  眼鏡のロイド抜きでこのドラマの展開はありえません。付喪神のロイドそのものが「人の魂・やさしさ・思い入れ」等々の象徴的な存在なのです。ロイドがいなければものすごく薄っぺらなホームドラマになっています。

  第1話・2話は登場人物の紹介やら話の中心になる定食屋のこと等、身近なあるある話題を扱い、登場人物の人となり、舞台の定食屋のこと、ドラマの展開の仕方等々の紹介で、これから始まるドラマのいわば「序」の部分です。

  第3話から、登場人物のそれぞれが背負っている重い過去が表舞台で明かされ、その重い過去がみんなと絡み合い、分かり合うことで、より人間臭さ、やさしさが増大します。内容的にとても深く、読み応えのある・・・ホームドラマ仕立てになっています。

ますます世知辛いご時世になってきていますが、そんな時こそこのようなやさしさに包まれ、ほっこりした時間を過ごすことが貴重だとも思います。

 <付け足し>
  「最後のばんごはん」のタイトルの意味はまったく出てきません。イケメン店員は元の芸能界に戻る気配がありますし、マスターが昔亡くなった恋人の両親に会えるかどうかも未完状態なのでこの先続きそうではあります。今は6話までですが、この先もっと続いてドラマの最後にこのタイトルが完成するのかな、とも思っています。