よろず日記

趣味のラジコン飛行機や音楽その他日常の面白そうなこと等いろいろ取り上げます。

村上春樹

村上春樹の「騎士団長殺し」を読んで

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 遅まきながら村上春樹の「騎士団長殺し」を読みました。今までの村上ストーリー展開とはかなり違っていました。今までだと、はじめから二重構造になっていて、例えば一章では現実の世界を描き、続く二章ではもうひとつの世界、いわゆるメタファー・イデアの世界を。そして三章ではまた現実の世界になり交互に進んでいきます。どの章からかそれらが統合され、あの場面で言っていたことは実はこのことだったのか等の謎の部分が明らかになりやがて結末を迎えるという構造です。

  なのでそれほど違和感なく読めたのですが、「騎士団長殺し」はいろいろな事柄がひとつの世界でほとんど同時進行し、非常に複雑でややこしいのです。現実とイデアの世界が一緒に展開するのです。読んでいると今は夢かうつつか誰かの観念か、と考えながら読まないといけないので疲れます。

<村上作品お得意の超常現象・怪奇現象や心霊体験の数々>
  。僑娃磽蹐修海修海離ぅ妊△両人騎士団長。この小人は自身で自分のことをイデアと称しているが、私には見えて、免色・他の人には見えない。つまり私の心の投影なのか、私と私が求める物、例えば雨田具彦の観念との接点になるものなのか。

¬訝罎北弔詢襪梁減漾ΑΑμ弔蕕洪佑いないのに鳴っている。これは免色も聞いているので他の観念から私だけへの何かのメッセージではなく、二人に共通する求める物との接点と思われる。私は雨田具彦の観念、免色はまりえに対して?。

1田具彦の病室で騎士団長を刺し殺した後私が入って行った不思議な地下の世界。

<不明なこと>
ゝ鎧涼陳垢梁減澆修里發里何なのか不明・・・60cmそこそこのイデアの小人。この存在が私
には見えるが免色には見えない。

  ▲▲肇螢┐肪屬い討△辰仁襪呂匹海帽圓辰燭里。最終的には井戸の中にあったが、それまではどこにあったか。誰がどのようにして最終的に井戸の中に置いたのかが謎。
また政彦が持ってきた包丁が何故病院にあったのか。イデアの存在だったのか、メタファーだったのか。

1田具彦の病室で私が騎士団長を刺し殺しその際大量に血が流れた。しかし私には見えたが他の者には見えていないのも謎。
け田具彦(父)・・・突然夜中にアトリエに現れた雨田具彦
私にしか見えない存在なのか。
 セ笋ユズに想像妊娠?させ結果できた子ども「室」と免色が自分の子どもと思い込んでいる「まりえ」という、双方とも不確実な親子関係のまま終わっている。

Ρ田具彦の病室で騎士団長を刺し殺すが、非常にリアルな記述表現でありながら、
後に血も死体も残らないのは何故か。イデアだからというのであれば、どんな生物の身体を借りていて、それは最後どうなったのか。

Г泙蠅┐離撻鵐ンのキーホルダーが行方不明のまま。

┗田具彦の病室からどのようにして自分の家の敷地にある井戸までどのようにして戻ったのか。病室から入った地下の世界は何かの象徴的なものなのだろうか。

※まだまだあるのですが書き切れません。読み終わって思うことは、
  雨田具彦がヨーロッパ留学中に何かがあり、洋画家の道を絶ち、日本に帰ってから日本画家に変わった。留学中にあったことは誰にも言わなかったが、その思いは「騎士団長殺し」という日本画に表した。この作品は私に雨田具彦の過去をいろいろ調べるうちに、結局雨田具彦が死ぬ前に私が雨田具彦の思いを追体験し、自身が描いた日本画同様に騎士団長を殺すことによって雨田具彦の苦悩を解放するという筋だったのかも知れません。

  大作ではありますが、筋が複雑すぎること、不明な点が多すぎることなどが多く、今ひとつ共感できない作品でした。村上作品の中で一番面白かったのはいまだに「海辺のカフカ」ですね。

  「騎士団長殺し」作成のヒントはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」から得ているようです。私はオ ペラは大好きですが、その中心はロマン派のプッチーニ、ワーグナーです。モーツァルトのオペラは自分のレパートリーから少し外れていました。「ドン・ジョバンニ」をよく知っていればこの「騎士団長殺し」をもっと深く面白く読めたかもしれません。

村上作品「スプートニクの恋人」を読んで

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 村上作品をひたすら読み続けています。最近読んだものは「ダンス・ダンス・ダンス」「国境の南・太陽の西」「羊をめぐる冒険」です。そして今回の「スプートニクの恋人」です。
  相変わらず氏が何を言いたいのかがはっきりしませんが、どの作品もストーリーは平均以上に面白いし、品がありしっとりとした文章表現が魅力的でついつられて読んでいました。

 氏の投影とも思える主人公。独身もしくは離婚歴のある・・・それも妻に愛想を尽かされ逃げられた30代の草食系男子。本が好きで、料理特にサンドイッチ、パスタが得意で洗濯、アイロンがけなど、こまごまとした家事をいとわず、出世欲や金銭欲もそれ程ある分けでもない、少し優柔不断で、少し頭が良く、常に2・3人のガールフレンドはいて、考え方・素行が少し変わった男が主人公・・・。作品の色に合わせて脚色され、どの作品にも同じような主人公が登場します。

  主人公のタイプが違ったのは「海辺のカフカ」だけでしょうか。ともあれそんな主人公が繰り広げるドラマなのでどれも似たり寄ったりになるのは当然と言えば当然でしょう。主人公の考え方・感じ方が少し変わっているので、普通ならなんでもなく終わるところが、思ってもみない方向にドラマは展開していくのです。作者も読者もそこを楽しんでいるのでないかと思います。

  「スプートニクの恋人」も同じような展開なので「またか・・」とも思いながら読み進めて行く内に、氏の言いたいことが少し分かりかけたように思いました。

  氏は主人公を通して、人間の意識や深層心理の面白さ・不可思議について言いたかったのではないかと思いました。心理面での共感・葛藤の面白さが意識や無意識の中で繰り広げられるのです。なので文章は必然的に、ひとつの現象・事象を多角的に捉え、比喩表現の多い曖昧で微妙な味わい深い表現になるのではないかと思います。

  「海辺のカフカ」の感想をネットで見るとユングの心理学との関わり云々があり、村上作品を読み始めた頃は、「なんて大げさな」と思っていましたが、ここまで読んで遅まきながら、どうもその辺りに村上作品の言いたいことはあるような気がしてきました。

  村上作品数は多いですが、人間に例えれば、「海辺カフカ」は頭の部位、「1Q84」は胸の部位、「ノルウェイの森」は足の部位というように全ての部位(作品)が集まって不完全・不可思議な一個の人間になり、ひとつの大きな作品になる・・・言い換えればそこに氏の言いたいこと、我々が持つ感覚の・・・意識・無意識、存在・喪失のといったテーマがあるのではないかと思います。その意味で作品通しのつながり、共通点が多いというのも納得できます。

 「ダンス・ダンス・ダンス」を読んで「羊を巡る冒険」を読みましたが、「いるかホテル」の成り立ちや「羊男」の正体は後から読んだ「羊を巡る冒険」の中に書かれてありました。読む順番が前後しました。同様のことが他の作品間でもあります。2回目読んでもいいと思っていますが、今度読む時は是非作品発表の年代順に読みたいものです。そうすれば更にスムーズに読めるし新しい発見があるかも知れませんから。

村上作品3作を読んで

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3作というのは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、「東京奇譚集」そして最新作の「女のいない男たち」です。全部読みっぱなしで終わりました。わっちにとっては今までの村上作品同様、毒にも薬にもなりませんでした。いつもの村上節でした。
  
  でも何故だか分かりませんが、「次何を読もうかな」という時、つい村上作品を手に取ってしまうのです。村上作品のいかにもファンタジックで非日常的な展開が面白いのかもしれません。毎日少しずつ読むのが楽しいです。ある時は腰痛のための接骨院通いの待合室や電気をあてながら・・・。ある時は仕事の前のコーヒータイムの時に、と。本が読めるのでとにかく待ち時間、空き時間が苦になりません。

  でも集中して読むと15分ぐらいで「もういいわ」となります。話の起伏、強弱、クライマックスなどどこ吹く風の平坦な調子が延々と続くので飽きてしまいます。しかも短編はすぐ話が終わるのでつまんないです。長編がいいです。

  「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の感想をネットで見ると「・・・第一の表層意識と第二の深層意識とは、いわばユングの心理学がいうような関係を持っている・・・。」等々すごい分析の感想がありました。何か買い被りすぎではと思ってしまいます。

  「難しいことを、出来るだけ分かりやすく平易な言葉で言う、言える人」が頭のいい人・・・と昔から思っています。話の中身がないのに小難しく言ったり、難しい単語やまだ知れ渡っていない英単語をいろいろ並べたて、話を難解に思わせるのは、実は・・・・の人だと思っています。

  この物語はとても面白かった、でも何が面白かったのか自分では分からない、という時に評論家が実はね「この物語ではこういう仕掛けがあったのですよ・・・」と解説してくれればいいのですが、面白く無かった話を「あーでもない、こーでもない」と混ぜ繰り返して小難しい話にするというのもちょっと・・・です。「こういう風に読めばもっと面白くなったのに」・・だったら分かりますが。でも普通は先入観なしで読んでしまうので、このことはあたりませんね。

  「世界の終わりと・・・」も一般の人は読まないで、これは専門書なので・・・とあれば、敢えて読むことはしませんでしたが、そういう断りもなかったので読みました。

  村上氏は極一般的な普通の理解度(わっちは極普通の理解度を持っていると思っている、・・・つもり?)を持った人がこの本を読めば、この程度の受け止めはできるだろうという最小公倍数的な予想というのをしているのでしょうか。2回目・3回目と読み返さないと分からないというのもちょっとです。

  まあ理解度の高い頭のいい人が読めば、ユングの心理学とも関連づけて読めるかもしれません。でも極普通の理解度を持った者にもそれなりの面白さを味わわせてほしいものです。はっきり言って「世界の終わりと・・・」は面白さは、わっちにとっては40点で及第点にもほど遠いです。

  「世界の終わりと・・・」は読み始めて、時代の設定、場所の設定等々全くわかりませんでした。中世のヨーロッパ?それとも「猿の惑星」ではないですが、地球が壊滅した後の世界?と分かりませんでした。計算士だ記号士だ訳の分からない言葉がいろいろ出てきて余計ちんぷんかんぷんでした。しばらくして「えっ日本?」と驚きました。最後は村上氏特有で、毎度訳分からずに終わってしまうのですがこれもそうでした。

   これで村上作品は「1Q84」から「多崎つくる・・」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「ねじまき・・・」そしてこの3作ということでほとんど続けて読んでしまいました。どれも同じような話の展開ですが、よくも飽きずに続けて読んだものです。今は正直かなり食傷気味です。

  ビートルズですと、ちょっとアカデミックなポールの曲、ちょっとロマンティックなジョンの曲、ちょっとファンタスティックなジョージの曲、そしてちょっとお笑いのリンゴ・・・とそれぞれ個性的で曲の変化に富んでいるので、口直しができ、飽きずに聴いていられます。でも朝から聴く気にはなりません・・・朝からくどいステーキを食べるようで・・・。

今まで読んだ8作の村上作品ですが、一番良かったのは、一番期待せずに読んだ「海辺のカフカ」です。村上氏特有の2重構造のドラマ展開ですが、人物設定が多岐にわたり、時に笑い、時にウルウルの場面があったりで、それなりの起承転結があり楽しんで読めました。

  ハルキストでもアンチでもないです。まぁ本は面白ければいいです・・・。さて次は何を読もうか・・・。

村上春樹「海辺のカフカ」を読みました

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  感動しました。「永遠の0」以来です。でも「永遠の0」の感動とはどこか質が違う気がします。「永遠の0」はダイレクトに琴線を刺激する感動ですが、「海辺のカフカ」はいろいろな感動の価値基準を満たしながら少しずつ迫りくる「じわ〜っ型の感動」なのかなと思います。ともあれ村上作品で感動するとは思いませんでした。

  先日「ねじまき鳥」(3巻)を読み終えたばかりで村上作品は少々食傷気味ではありましたが、他に特に読む本も無かったので続けて「海辺のカフカ」を読みました。
 
 
  今まで読んだ「1Q84」「ノルウエイの森」「多崎つくる・・・」「ねじまき鳥・・・」を読んで、面白いのは面白いですがテーマが不明で、どれもみんなおなじような書きっぷり、主人公のタイプやドラマの背景、筋書き、主人公の取り巻き等々多少の違いはあれど、どれもよく似ています。今回は主人公が15歳だし、家出の話だし・・・とそれほど期待するでもなくだらだらと読み始めました。


 ところが読むに従って、とても面白くぐいぐい引き込まれました。ナカタさんが猫さんと話をしたり、ホシノ青年と出会い四国まで旅をすることになったり、カフカも家出をしたあと四国高松の私設図書館に住み込みでの生活を始め、今後どんな展開になるのか楽しみに下巻を読み始めました。

   ホシノ青年が彼の死んだ祖父と似ているナカタさんに好意を持ち、やがてナカタさん自身の実直な人柄、特殊な能力に惹かれていく様子が2人のずれた会話で進められ、それがとても可笑しくつい笑いながら読みました。一方、カフカは高松の趣のある私設図書館で生活を始め、15年の人生で初めて自分を理解してくれる大島さんに出会い、精神面・物質面の両面でいろいろ支えてもらいます。館長さんの佐伯さんとも運命的な出会いをし、佐伯さんを直感的に「母親ではないか」という大胆な仮説も打ち立てドラマは進みます。この後ドラマは思わぬ展開を始めます。


 クライマックスはナカタさんと佐伯さんの会話、共に入り口を通ってこちらの世界にやってきた人間として共に戻らなければならない話はとても不思議な感じでした。また、死んで元の世界に戻った佐伯さんと会話するカフカ、カフカのずっと抱いていた疑問がはっきりとではないけれど自分で解決できそうな気がしてきたこと、またホシノ青年がナカタさんへ 一緒にいた10日間で一生かかってもできない不思議な体験を一杯したこと、また真人間なナカタさんを通して自分が変わってしまったことを告白している時、ナカタさんは元の世界に行き普通の人間になってしまったこと。これらの場面に、今までのいろんな出来事、その時々の想いが重なり、じわ〜っと感動してしまいました。

  最後にナカタさんが猫さんと話ができることを半分馬鹿にしていたホシノ青年。まさかその自分が猫と話をするなんて。この場面は、今までのいろいろな出来事がスパイラルに交錯しとても感動的でした。そして・・・最後にはいろいろなことが吹っ切れ、カフカは本当の意味でタフな15歳になって東京に帰って行きます。



  村上作品は文体に品がありスマートです。曖昧でつかみどころのない心理描写は人間のつかみどころのない心を的確に表現しています。曖昧で幻想的な表現は時に美しくも感じます。

・彼女はそのような幸福な偶然の出会いから醸し出されてきた妖精のように見える。永遠に傷つくはずのないナイーブでイノセントな想いが、彼女のまわりに春の胞子のように浮かんで漂っている。・・・
・僕はなんとか自分をもとどおりひとつにまとめようとする。そのためにあちこちに行って自分の破片を集めてこなくてはならない。ばらばらになったジグソーピースをひとつひとつ丹念に拾うみたいに・・・
・声は必要な重みにかけている。僕の口にした言葉は、行き先を見つけられないまま、うつろな空間に吸い込まれてしまう。 etc こんな感じの文がページのあちこちに書き綴られています。

 現実と幻想的な世界、あるいは生と死、この2つの世界を行き来しながらドラマは展開していきます。特に幻想的な世界は、夢の世界、預言の世界、別の世界(井戸の底とか階段、丸い石が入り口になり行き来する。あるいは生き霊になって・・・)などですが、現実と幻想の世界の境界線はとても曖昧です。読んでいて今は現実の世界なのか幻想の世界なのかはっきりしない場合もよくあります。

 またまた性的場面が頻繁にあります。残虐場面もあります。「またか・?」と言った感じです。必然性を感じない部分もあります。猫を殺す場面は必要だったのでしょうか。とてもリアルです。カフカの父親像の象徴、あるいは象徴行為なのでしょうか。でも村上氏の品格のある文体・表現なのでそんなに毒々しく感じないレベルになっています。でもそれがドラマ展開上必然性があるかと言えば疑問です。

<分からないこと>
  ナカタさんは何だったんだろう、と思います。カフカとどのような関係なのか1回読んだだけでは分かりませんでした。二人とも何故か時を同じくして佐伯さんがいる四国高松を目指したのですが、結局それぞれが佐伯さんと会うことができるもののカフカとナカタさんは最後まで出会えませんでした。結局ナカタさんは何だったのでしょうか。ただカフカと佐伯さんをあちらの世界で会わせる入り口を開けるためだけだったのでしょうか。不明です。

自分はハルキストにはなれないし、なるつもりもないですが、5作品立て続けに読むとハルキストの気持ちも分からなくはないなという感じです。ただ真のハルキストたちの作品の解釈、受け止めるレベルは自分とは比較にならないハイレベルな気がします。

次は「世界の終わりとハードボイルド・・・」です。まだまだハルキワールドが続きます。

村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」1部を読んで

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またまた村上作品です。「ねじまき鳥クロニクル」の1部泥棒かささぎ編です。このあと3部(3巻)まであります。

  村上作品は、不可解で、幻想的で、神秘的ですが、ワクワク・ドキドキ・ハラハラもなく、特に当たり障りがなく・・・悪く言えば毒にも薬にもならない・・・読んで終わり・・・という感じです。特にこの本なんかはその最たるものです。

  村上作品の手法というか論法は分かってきた感じがしますが、それでも手にとってしまいます。どうしてでしょうか。

  1部の筋は実になんでもない日常の出来事です。ただ飼っていた猫がいなくなりそれを探すところから始まります。でもこんな単純なことに対して、よくもこれだけ枝葉・肉付けをして1冊の本にまとめるなぁ〜・・・と村上氏というか作家という才能に感心してしまいます。

  筋として途中かなり不自然な展開になります。でもそれはそれで「まっいいか・・・」と読み続けてしまいます。例えば、加納クレタが見ず知らずの主人公宅で突然身の上話を微に入り細にわたり話はじめたり、他の段落では、行きがかり上とは言え、第二次大戦のシベリア・満州戦線あたりのことがリアルに80ページ近くあったりします。全体のバランスが悪く、「自分は今何の本を読んでいるんだっけ?戦記物?」と思う時もありました。猫がいなくなったこととどのように関係してくるのかとても不可解です。

   1Q84を読んだ時から思っていたことですが、どの作品でも主人公のタイプはとてもよく似ています。ひょっとして村上氏自身の投影?、あるいは好みのタイプ、その他あるかもしれませんが、自分がいつも思い浮かべていた主人公像として、中肉中背の独身、ほどほどに賢く、清潔好きで、家事をすることをいとわず、優しいけど優柔不断、女性、特に年上の女性が世話を焼きたがるタイプということで、昔トレンディー俳優と言われた筒井道隆を連想します。ノルウェイの森の映画では松山ケンイチが主人公役だったようですが、自分では筒井道隆の方が合っていると思います。

   まっこの後3部まで読むつもりですが、恐らくこんな感じ・レベルで展開して行き、ただ読んで終わると思います。この調子だと、なんだかんだと言いながら村上作品を全て読んでしまいそうです。

   ・・・このあと3部まで読んで、あと「・・・カフカ」もあるし、まぁ〜しばらくは村上作品に浸れそうです。

村上春樹「ノルウェイの森」を読んで

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 あの曖昧で気だるいモヤ〜ッとした村上作品、不可解で、幻想的で、神秘的な村上作品がまた読みたくなり、大昔の作品「ノルウェイの森」を読みました。やはり村上作品特有のストーリー展開でした。

   相変わらず性的場面が多いです。それもかなり露骨にリアルに描かれています。でもそれ自体は作品の中で日常の一部として描かれているし、作品全体を通して一定の品位があるので、いわゆる3流雑誌の官能小説ほどの安っぽさは感じません。でも「ノルウェイの森」では「他の女の人と寝ていいよ」他、清純そうな直子が露骨に臆面もなく主人公「ワタナベ君」に言うかな?、とかなり違和感がある箇所が幾つかあります。

   ノーベル文学賞の候補にもなった村上氏の今まで読んだ3作品ともこれほど性場面が多いとは思いませんでした。もちろん他の作家・・・例えば渡辺惇一氏など有名作家にもいわゆる「濡れ場」が多い作品はいろいろあり、それはそれで、そういう風に読めばいいわけですが、村上作品がこれほどとは知らなかったのでかなり戸惑います。もっと格調高いのかと思いました・・・。まぁ村上作品も今後はそういうものだと思って読めば良いわけですが・・・。

村上作品には(・・・と言っても読んだのは3作だけですが)必ず「生」と「死」をいつも身近に感じさせるストーリー展開をします。3作の中では「ノルウェイの森」が一番強くそれを感じ、「生き方」「死に方」についてより深く考えさせられます。その意味では「性」も生きることの生身の証という意味で捉えれば、いろいろな場面に頻繁に出てくるのも自然と言えば自然です。

  また村上作品には常にセンスのある音楽がストーリー展開の節目や主人公の心情の背景として必ず設定されています。「多崎つくる・・・」ではリストの巡礼、「1Q84」ではヤナーチェクのシンフォニエッタ、そして今回はタイトル名でもあるビートルズの「ノルウェイの森」です。

  ですが「ノルウェイの森」の曲はストーリー展開の大事な部分では流れませんし、曲自体特に重要な意味を持ちません。ではなぜこのタイトルにしたのでしょうか。なぞです。ビートルズの意味不明の歌詞の「ノルウェイの森」を具現化したものと言ってもいいくらいです。
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<参考までに・・・>
  ビートルズの「ノルウェイの森」は曲はよく知られていますが、何を歌っているのか歌詞の意味を考えたことはありませんでした。なのでこれを機会にということで調べてみました。

抜粋してみます。
  「題名や歌詞の意味を巡って、ビートルズ・ファンの間で議論や論争が続いているそうである。過去に論争が起こり、そして決着が付いたということではなく、いまだにそれは延々と続いており、結論らしいものは出ていないとのことだ。
  我が国のファンの間でこの歌は、不可解で、難解で、幻想的で、神秘的であると考えられているらしい。
  それも無理のないことである。歌の意味を知りたいと思って訳詞集を買えば、先ほど紹介したようなチンプンカンプンの歌詞を読まされるのである。

  因みにWood森は森ではなく木の家の意味のようです。

等々・・・・

いち押しの歌詞の意味も含めての考察の全文は以下です。
      http://ameblo.jp/assistantprofkeyaki/entry-10793775161.html

 またまた村上春樹です。「色彩を持たない多崎つくると 彼の巡礼の年」を読んで

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 「1Q84」に続いて今話題のこの本を読んでみました。売り上げ1位だそうです。自分はどうも同じ物、同じことにこだわる性格があるようです。安定・安心感を求めるのかもしれません。期待を裏切らないという意味で。行動パターンや服、食べ物の選択しかり、作家しかり、その他いろいろです。

 ・・・でこの本を読んでみての初発の感想は、実に村上エキスが一杯詰まった作品です。時に哲学的、時に幻想的?。「まるで〜したかのように」的な独特の比喩表現がちりばめられています。また性的場面があまりに多いことも特徴でしょうか。健康的な性的表現を意識しているのか露骨でいやらしい感じはしませんが、性場面の必然性を特に感じない部分も結構あります。
  
 「1Q84」では受胎、この作品では「レイプ」と両作品とも性に関わることがストーリー展開の鍵になっていますが「何で? どうして?・・・ 折角読み進めてきてどうしてこんな展開になるの〜?何か非現実的な話だね・・・」と思ってしまいます。もっと他のストーリー展開はなかったのかな?と思います。ただどんな場面も村上流の品性の高い表現で、読み手に生活臭さを感じさせないのは流石だと思います。

 テーマは「1Q84」同様わかりません。色彩にこだわって、始めは名前という表面的な色から最後は名前の色を否定して内面的な個性の色に迫っていく・・・・。でもどうして村上作品は最後があいまいになってしまうのだろう、と思います。「1Q84」もそうですがこの作品もそうです。思わせぶりで終わります。何が言いたかったのか追々時間が経てば分かるのかなと思います。

 村上作品には登場人物の思考の端々や作品を通してのバックグラウンドにいつも音楽があるようです。「1Q84」ではヤナーチェク、今回はリスト。特にリストの巡礼や2つの伝説は大好きです。音楽の選曲にも村上氏のセンスを感じます。音楽通の村上氏はこうした音楽から作品の発想が浮かんでくる時もあるのかもしれません。聴きながら読むと共感の度合いがより強くなるかも知れません。でも聴きながら読むとつい音楽の方に集中しそうです。次回そういう機会があれば美術館のようにやさしくそっと音楽を流しながら読んでみたいと思います。

村上春樹 「1Q84」 今更って感じですが・・・

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とても遅まきながら「1Q84」を読みました。初発の感想は???というとこんなのもありかな・・・という感じです。でも前回の「錨をあげよ」は途中で読むのを止めましたが、「1Q84」は3巻で長編でしたが「次はどうなるのか」楽しみながら読めました。でも読み終わって「特に良かった、感動した、ためになった・・・」という種類の感想ではなく、「なんかラストはあっけない感じだった・・・中途半端なハッピーエンド?・・でこの後はどうなったのかな。この世界でよかったのかな・・・」って感じです。
 遠くに離れていた2つの点がいろいろな出会い、幾多の偶然や困難に遭遇しながら、少しずつ少しずつ共通の接点を作りつつやがて2つの点は面になりお互いに大きく重なり合い、最後に一つになるというとても壮大な構成の作品でした。教団や教祖はいつぞやの事件を否応なく彷彿とさせられました。
 ただ表現の仕方が細かすぎたり、時にはそれを表すのにふさわしくないような比喩表現があったり等、ちょっとくどい部分が多かったように思います。例えば、読み始めて思ったのは「青豆」という主人公の名字ですが、この「青豆」だけでだらだら2・3ページ費やしています。読むのが面倒になります。ふつうの「鈴木」とかだったらそんな名字に対しての説明部分は不要なわけで、この「青豆」という奇妙な名字でなければならない・・・という必然性は読み終わっても特にあるとは思いませんでした。私が感じた「くどい表現」も別な見方によっては、多角的な状況説明や心理描写等々によって3D的な表現、いかにも映像を見ているかのような表現、また人間の五感、特に嗅覚や触覚まで感じさせようとする表現にしたかったのではとも思いました。
 村上作品は初めてですが、村上さんの音楽、文学、スポーツ、酒、拳銃、等々幅広いジャンルのすごい知識量と鋭い洞察と思考感覚・・・等々とても敬服しました。ただこの作品のテーマは読み終わってもピンときません。そんなかたっくるしいことは不要なのかもしれません。浅学でこの作品がミステリー、サスペンス、ファンタジー等、どのジャンルにあたるか分かりませんが、村上作品信奉者やそれ好みの人達には受け入れられる作品ではないかと思いました。
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