よろず日記

趣味のラジコン飛行機や音楽その他日常の面白そうなこと等いろいろ取り上げます。

百田尚樹

「永遠の0」テレビを観て

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「永遠の0」がテレビ化されるということは聞いていましたが、映画も観て原作とはちょっと違ったし、原作者の百田氏は「永遠の0」のヒット以来いろいろなところで物議を醸す言動が目立ち、自分としても作家と作品は別物と思いながらも、それ以来百田氏の作品は読む気にならず、ましてやテレビで放送されると知っても今更という感じでした。キャストにしてもミスキャストでは、と思う役者もいてとても観る気にはなれませんでした。

  なので3回放送分の1回目は観ませんでした。でもちょっとぐらい・・・という気持ちで2回目を観るとなかなか観応えのあるドラマになっていました。宮部の証言をする戦友にベテラン俳優を配し、全体をとても深みのあるドラマに仕立ててありました。ミスキャストではないかと思われた俳優さんも素晴らしい迫真に迫る演技でとても見応えがありました。主人公の宮部にしても向井理はちょっと甘過ぎでは、と思っていましたが、結構凛々しく演じていてドラマに入り込めました。

映画に比べて3回にに分け全7時間ぐらいなので、かなり原作に忠実に再現していて良かったと思います。映画ではカットされていましたが、ヤクザに囲われた松乃を助けるシーンも原作では誰が松乃を助けたとは明記せずおもわせぶりにしていました。でもテレビでは顔で分かり、飛行場で見た写真の記憶が一瞬出る場面は、宮部が松乃に約束したことを死んでも果たす様にグッときました。

 戦後大石が松乃を尋ねるシーンは原作では何度読み返してもうるうる来ましたが、映画ではまったく淡々としていました。テレビではツボを押さえていい感じでしたが・・・・・コ・コ・コ・コマーシャルが多すぎて、ドッチラケでした。開局50周年記念、というのであればコマーシャルは最小限に抑えるべきでした。折角いい作品に仕上がっていたと思うのに、2時間半で10分か15分ごとにあり、折角グググッと来たものが一気にダウンでした。

宮部が死んだ後も松乃を思って、周囲の人たちを動かして松乃の人生を助けていく様は、アメリカ映画の「ゴースト」を彷彿とさせます。

零戦もハリボテにしろ実物大を複数機作ったところはとてもすごいです。1機ほしいぐらいです。ハリボテでも高額(1機、クラウンのハイブリットぐらいするのかなぁ)だろうし置く場所もないですが・・・。映画の飛行・戦闘場面に比べれば、少しチャチな感じもありましたが、全体としてそれほど違和感なく観れました。訓練シーンの3機編隊で飛ぶはじめの場面は、DVDで見たことがあるような・・・ないような、アメリカで撮影された実機(ロシア製?)なのかも知れません・・・。分かりませんがあの3機編隊は実機だと思います。

 ただこの零戦に敢えて苦言を呈するなら,れいすぎ・・・ピカピカの零戦です。発動機の排気とかオイルとか泥とか、塗装がはげているとか、前線ではもっともっと汚れていると思います。▲好團鵐福爾デカすぎ Nノα阿覆里棒鞍士がひとりもいない。 車輪止めもない。 い匹Δ笋辰独動機を始動させるのか、その形跡がない。等々時代考証や零戦に関する考証があまりなかった。でもテレビで飛行場の臨場感をあれだけ出せたのは素晴らしいと思います。

ネットでは原作「永遠の0」は至る所パクリ云々・・・と批判的な意見が結構ありますが、戦史的な意味で日米の重要な海戦、作戦あるいは空戦シーンのリアルさ等々はいろいろ調べる以外に方法はないと思います。

 この作品の素晴らしい点はそうした戦争シーンではなく、2人の孫が当時一緒に戦った戦友の証言を通して人間宮部の実像を明らかにしていく所です。戦争というもの、ましてや特攻というものを宮部自身はどう思っていたのか、家族をどう思っていたのか、2人の孫が人間宮部を通してそのことに確信を持っていくところにこの作品の意味・意義があると思います。そこを綿密な構想、いろいろな手法で浮き立たせた百田氏は作家としてはすごいと思います。

「永遠の0」の映画を観ました

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   「永遠の0」の映画を観ました。初発の感想は、うーーーんやっぱり原作の方がずっと感動します。でも観なければ良かったというレベルではありません。原作の良さを十分に凝縮しているかのような作品になっていました。でもやはりカット部分が多く筋も微妙に変更した脚本になっていました。

  良かった点は、戦闘機の離発着、戦闘場面等のCGを含む映像はリアルで思ったより良くできていました。ゼロ戦の21型、52型も忠実に再現してありました。主翼の脚が出ているかどうか確認する棒?も再現してありびっくりしました。またどの役者さんもとても好演していて、特に祖父役の夏八木勲や聞き取りに行った先の部下役の橋爪 功などの名俳優の演技は、じっくり味わいがあり、説得力・迫力十分でした。この部分は原作よりもずっと現実感がありよかったと思いました。でも何人かカットしてありました。良かった点の総評としては、ちょっとよく似たストーリーで別物と思えば「これはこれでよし」というレベルに仕上がっていたと思います。

   残念だった点としては、カットした場面が多過ぎるので原作とは別物のようにさえ思いました。見方を変えれば、全体を短縮する場合はこうすればいいんだよ、と教えてくれているようでした。

   まず姉の恋人役がカットされていました。これは宮部久蔵の「生きて帰る」という究極の命題に重なる部分で、久蔵の生き方を知ることで自分も祖父のように純粋な気持ちで人を愛したい、という心境の変化につながることであったり、特攻は自爆テロとは違うという作者の思いを主張する部分で大切ではなかったかと思いました。それは簡単に合コンの場面に変更されていました。

   他にも、元整備士が語る部分がカットされているので、特攻に飛び立つ直前に何故飛行機を取り替えたか、という経緯が不明瞭です。久蔵が名パイロットであるがゆえに、普段から微妙なエンジン音の違いでエンジンの好不調を感じ取っていたという元整備士の証言があれば、確信して取り替えたことがはっきりします。

  また日本の戦争に対する考え方やスタンスがアメリカとのそれとはまるで違うという部分が大幅にカットしてあり、特攻も含めていかに無意味な戦闘で多くの日本の兵士が死んだか、そして最後は久蔵も多くの部下を無駄死にさせた罪の意識?からか特攻を志願せざるを得なかったという経緯が不明瞭でした。でもこの部分は特に微妙な話で、旧日本軍を批判的に映像化すると後々・・・・なのかも知れませんので、この程度で良しなのかもしれません。
   またプロローグとエピローグもカットされているので、アメリカ軍の機関砲の性能がよく体当たりする前にそのほとんどが撃墜され無駄死にしてしまっていること、また、作者が思う、自爆テロと武士道・騎士道精神の関わりが全く不明瞭になっていました。
等々が主な残念な部分です。ナレーションや字幕をいろいろな場面で入れて、役者の演技や場面描写で伝えきれなかった部分を補えるともっと原作の意図が伝わった気がしました。

   原作を読んでいるので、いろいろな場面で「原作はこうだけど、映画ではそうなっていないな」等々「もどかしさ」を感じながら観ましたので、ハンカチ2枚持っていきましたがほとんどいりませんでした。「うるうる」した場面は何度かありましたが、横にワイフがいたせいもあり、我慢したところもありますし我慢できる程度でした。満足度は原作の50%ぐらいです。原作では大石が松乃を尋ねるラストの部分は何度読んでもうるうるでしたが、映画では・・・。   

  この作品については、原作を読まずに映画を観た人でも、後で原作を読むと「ああそうだったのか」と納得する部分がとても多いと思います。それだけ映画は大幅カット版の脚本になっていました。この作品はTVの連続ドラマで忠実に映像化して原作の思いを伝えた方がいいと思います。ただ制作費の割に視聴率はよくないと思いますが・・・。制作費の点で言えばアニメでもいいのではとも思いました。

  付け足し
  例えば作曲家と演奏家との関係で言えば、演奏家は作曲家が書いた曲をただ単に機械的に再現して演奏するのではなく、何度も作曲家の意図を頭・心の中で租借して、自分の解釈として音で奏でていきます。なので同じ曲であっても演奏家の解釈・個性によって微妙にあるいは全く違う演奏であったりします。それと同じことが原作者と監督(原作と脚本)との関係でも言えるのではないかと思います。映画の場合は、原作者と監督、役者の3者が関わるのでより複雑になると思います。同じ脚本でも役者によって雰囲気の違った映画になる・・・とか。なのでこの「永遠の0」の映画も単なる原作の再現ではなく、監督が原作の意図を租借し感じ取った作品づくりということで、あまり原作の枝葉にまでこだわる必要はないのではないかとも思います。

またまた百田尚樹です。「ボックス」を読んで

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百田尚樹の「ボックス」を読みました。百田作品は前回の「錨をあげよ」で少し懲りていたのですが、何気なしに手に取ってはじめの2・3ページを読むと、スピード感のある展開に「面白そう」と読んでみることにしました。

でも読むに従って、主人公は高校生で、この本の読者対象年齢として自分はちょっと違うかな・・・とも思いましたが、まぁ面白ければいいか、と最後まで読んでしまいました。

読み進めるに従って、前に読んだ「永遠の0」との共通点をいくつも感じました。・・・というか百田氏の作品づくりに傾向があるように思いました。たった2作品しか読んでいませんが・・・。
 
 「永遠の0」では、ゼロ戦のことや太平洋戦争のことや当時の日本の国民の意識等々、「ボックス」ではボクシングのことや戦い方等々について百田氏が取材をもとにした解説でドラマが進むのです。その解説は登場人物にしゃべらせるのですが、後半、それが微に入り細にわたり徐々に高度な内容になっていき、ドラマの内容の高まりと上手く重なって、全体がクライマックスを迎えるのです。なるほどと思いました。
 このことは百田氏が興味のあることの取材を通して、次はこんなドラマ設定にしてみようかと構想を思いつくのではないでしょうか。百田作品の創作活動の基本的な姿勢、手法という気がします。

その他にも東大卒のエリートサラリーマンが登場します。「永遠の0」では特攻は自爆テロと同じという論法を主張し、「ボックス」ではボクサーは不良がやるもの、と決めつけています。どうも逆説的に登場させることで主人公の思い、ひいては作者の思いをより際ただせるやり方かなとも思います。それも何故か東大卒です。意図的ともとれます。その他、ハチャメチャな登場人物が必ずいたり、スーパーヒーローがいたりします。

「ボックス」は「永遠の0」ほどの感動はありませんでしたが、それなりに楽しめながら読めました。それよりも作品を通して、その作品を作り出す前段階での取材活動で、百田氏がこの部分に感動、新鮮さや面白さを感じているというのが作品を読んでいてとてもよく分かり、その点が面白かったです。
全部が全部ではありませんが耀子先生の疑問は百田氏の疑問、あるいは読者が感じる疑問。部活顧問やジムの会長の解説は百田氏が取材中に感心した部分のような気がしました。

ボクシングは大昔の具志堅用高や輪島 功一時代は大好きでテレビで試合をよく見ていました。当時の少年マガジン連載の「あしたのジョー」には心底感動しました。でも今はほとんど見ません。今のボクシングは今一好きくなかったのですが「ボックス」を読んで少し思いが変わったように思います。

付け足しです
  「永遠の0」のタイトルの意味がどうしても気にかかり折に触れて考えていたのですが、ごちゃごちゃ難しいことは考えずに単に「日本人の生み出した、あらゆる意味で当時の世界水準を超える戦闘機ゼロ戦(・・・と言うと好戦的とも取られがちですが、そうではなく、ただ純粋な意味での機能面、性能面で突出していたこと、形状面での美しさ・・・日本人のものづくりの原点の意味で)は永遠である」・・・と言う意味なのかな、と思えてきました。

百田尚樹「錨を上げよ」を半分読んでみて・・・

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  百田尚樹の「永遠の0」があまりに感動的だったので、またその感動に浸りたいということから同じ作者の作品を選びました。「錨を上げよ」です。
  『大ベストセラー「永遠の0」をはるかに凌ぐ感動!だれも二度と出会えない大傑作』・・・というキャッチフレーズがあったので、これは絶対読まなきゃ・・・とワクワクしながら読み始めました。

??????・・・・・・?????ところが読めども読めども・・・・いらいらするほど生い立ちや状況説明、場面設定等々の記述ばかりで、感動???のかけららしきものすら感じられません。

  どんな本でも50ページ100ページぐらい読めば、「次はどうなるのかな・・・」と読者に若干でも次への期待を持たせるフレーズがあると思うのですが、「錨を上げよ」では200ページ読んでも「次はどうなるのかな・・」とワクワク感がありません。0です。
  ただただ主人公作田又三のハチャメチャな性格と生活で、「わかっちゃいるけどやめられねーーーっ」・・てな調子のお馬鹿でハチャメチャな行動が延々と続きます。それでいて心情的には善悪の区別や行動の次元は全て自分では分かっているような記述ばかりで、分かっているなら同じことを何回もやるなよな−−???・・・と何か読むのがばかばかしく面倒になってきます。

  おかしいと思ってネットで「錨を上げよ」の評判を見てみました。・・・あまり芳しくないですね。
折角なのでもう少し我慢して読んでみてそれでもワクワク感がわかなければ まあここまでですね。ちょっとがっかりです。
  しかしそれにしても「永遠の0」はすごい感動でした。

 

百田尚樹「永遠の0ゼロ」2 2回目斜め読みして 付け足し

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いろいろ気になる部分があったので2回目読みました。ただし斜め読みです。でもラストの部分はしっかり何度も読み返しました。ラストの部分は何回読んでも感極まります。
 斜め読みですが、この小説には無駄な部分がない、ということが分かりました。どの部分をとっても伏線があり、後で「ああそうだったのか・・・」と読み手を納得させるのです。でも決して作為的には感じないので、作者のドラマ構成力はすごいなと思いました。 例えば、戦友を尋ねるところにしても、導入部分で「臆病者」の部分を出し、クライマックスに向けてみんなから慕われる人間味あふれる久蔵に仕立て上げていく様はとてもみごとです。これがクライマックスあたりに「臆病者」を出すとやはりドラマにならないと思います。
 恐らく作者は、登場人物の生い立ち、性格等をはり紙にして、このドラマの構成図と一緒に壁等に貼り、全体を通してぶれのないように綿密に計算しながら書いたのではないかと思います。そのくらい話に無理・無駄がありません。プロローグ・エピローグさえも「その後こんなことがありました・・・等々」のように軽く流しているのではなく、プロローグは伏線、エピローグは久蔵の思いを完結させる部分と戦争という極限状態の中での武士道・騎士道精神を出すことで、自爆テロと特攻とは全く次元が違うということを作者は言いたかったのではないかと思います。
 
 この小説であえて苦言を呈するなら
〜澗里鯆未靴討匹良分も密度が濃いので読み手としては生き抜きができない読み物とも言えます。
⊃劼擁發い神鑞Г世譴發、予め言うことを下書きしたかのようにあまりに流暢に話しすぎることです。でもそれが読み手をぐいぐい引きつけるのですが・・・。みんな80才前後の歳で淀みなくすらすらと話すのはやはり現実感がないかな・・・・
わっちがとやかく言うのも何ですが、このタイトルですが、分かりにくい「永遠の0ゼロ」よりも
 簡単に「約束」としてもいいかな、と思います。ただそれだとインパクトはなくなりますが

・・・これぐらいです。
 半年ぐらい間を開けるとまた新鮮な気持ちで読めると思います。

 付け足し・・・

 全く知りませんでしたが映画化されて12月公開だそうですね。全く情報不足でした。映画化されるといろいろ脚色されたり、カットされたり、俳優の演技によって自分がイメージした宮部久蔵像、松乃像のイメージが変わるだろうし・・・等々で、見たい気持ちと見たくない気持ち半々ですね。でもやっぱり見るかな。ハンカチではなくタオルを持っていく必要がありますね。

 ネットで「永遠の0」を検索すると読んだ感想等出るわ出るわ・・・ですね。賛成票はほぼ同意見ですが、反対票はいろいろな参考資料そのままバクリ云々とあります。確かに戦友が昔の戦闘を話す場面は流暢すぎるし、あまりにリアルで専門的なので不自然な感じはしましたが、でもそもそもこの物語の根幹である、2人の孫が宮部久蔵の真実を追い求め、少しずつみんなから慕われる久蔵像を作り上げていく手法は作者だけの創作なので、決してバクリではないと思います。
 本当に感動の連続でした。

百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」を読んで

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  久々に長編を読みました。百田尚樹の「永遠の0ゼロ」です。図書館でこの奇妙なタイトルが目に止まって手にとってみると、どうやら戦争中の零戦や特攻に関わる話のようです。今映画の「風立ちぬ」が話題になっていますし読んでみることにしました。
 あらすじは、「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら特攻機零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。操縦は天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくる・・・。記憶の断片が揃うとき、明らかになる真実とは・・・。・・・・と書かれていました。
  物語は、祖父宮部久蔵と共に戦い生き残った人たちを、孫の健太郎とその姉が戦友会名簿で探し、ひとりひとり尋ね歩き当時の様子を聞き取っていく形式で進行します。作者はとても丁寧な取材をしており、わっちもミッドウエー海戦やガタルカナルやレイテ島沖海戦等、太平洋各地での日米の戦闘は断片的には知っていましたが、これを読むとそれらが全て線でつながり、当時の日米の戦略の駆け引き等もよく理解できました。
  ただ、それよりも、聞き取りを通して、パイロット宮部久蔵の人となりが少しずつ浮き彫りになっていく様子がとても緻密に描かれていて、幾度と無く感極まります。特に「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」と言っておきながら最後は特攻で死んでいくラストはとても感動的でした。物語の進行の縦糸と久蔵に関わる人たちの横糸がうまく絡み合うしっかりとした構成感を感じさせます。戦争という極限状態の中で語られる愛とか生命、生きるという言葉の重みが、読み手にズシッと伝わってくる作品でした。
  小型本と言えどかなり分厚いです。少しずつ読む予定でしたが、話の面白さについつい時間を忘れて一気に読んでしまいました。
 ただタイトルの「永遠の0ゼロ」、これはどういう意味なんでしょうか。ゼロで過酷な戦いを生き抜いたパイロット宮部久蔵の「最後まで諦めるな、生きろ」といういつの時代にも通じる普遍という意味で永遠なのか、自分は絶対死ねないと言っていたのに何故最後は死んだのか、その理由は誰にも永遠に分からない・・・という意味なのか・・・・。もう2・3回読まないと分からないかもしれません。

付け足しです
  「永遠の0」のタイトルの意味がどうしても気にかかり折に触れて考えていたのですが、ごちゃごちゃ難しいことは考えずに単に「日本人の生み出した、あらゆる意味で当時の世界水準を超える戦闘機ゼロ戦(・・・と言うと好戦的とも取られがちですが、そうではなく、ただ純粋な意味での機能面、性能面で突出していたこと、形状面での美しさ・・・日本人のものづくりの原点の意味で)は永遠である」・・・と言う意味なのかな、と思えてきました。

付け足し2
  タイトル「永遠の0」の意味ですが・・・・
 「日本を守るために、当時の貧しい工業力、資材等々の中で設計者が命を削って生み出した世界最高水準の戦闘機ゼロ戦、日本や家族を守るために戦ったパイロット、ひとりひとり自分が大切にしているものを命をかけて守る強い思い、それはいつの時代も変わらず永遠だ」・・・という意味かなとも思えてきました。・・・・You Tubeの映画の予告を見ると良さそうなので、映画を観ようかどうしようか迷っていましたが、近々観ようかなと思います。
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