2010年09月03日
金沢城 (金沢)石垣の美

兼六園の向かい側にある「金沢城公園」
16世紀末、前田利家が金沢城に入ってから本格的な
築城が始められ、高山右近(へうげものでも活躍)を招き、
指導を仰いだと伝えられている。
当初は天守閣もあったようなのですが、落雷で焼失した後、
再建されず、本丸には三階櫓が建てられました。その後、
何度も火事にあっては焼失を繰り返していて、現存する
入口のところの石川門は、1788年に再建されたもの。

最近復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、1881年の
火災で焼失したもので、今の姿は安政頃の景観を再現したものらしい。

城址を散歩していて、印象的なのは石垣の美しさ。
きれいなカットや、反り返った角度など、実にエロい
シーンが盛りだくさん。
若い頃は、まさか自分が歳を重ねた時に
石にアツくなるなんて夢にも思いませんでしたなw →
*************
兼六園と金沢城を挟む道路。
上から見ると緑と石垣に囲まれた
なんとも贅沢な道路に見える。

門も立派っすな。

このあたりの石垣は、案外ラフな積み上げスタイルに見える。

金沢城の正門「河北門」、こちらは二の門です。
130年ぶりに復元されました。

この門は、さすが最近復元されただけあって、
内部に入れるし、そのプロセスがわかりやすく
説明されている。

門から外を眺めてみたらこんな感じ。
かなり武士ってないっすか。

この広い空間は気持ちイイ。
三の丸広場です。
向こうに見える右手の菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、
左側の橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、
真ん中の五十間長屋は武器庫でした。

橋爪門続櫓の裏あたり、二の丸です。
天守閣が消失した後は、この二の丸に
実質的な中心が移っていって、長い間
加賀藩の中心でした。

やー、美しい石垣だこと...




江戸時代後期に作られた鶴丸倉庫

本丸のあたりは、やけに雷が落ちるゾーンだったらしく
木造建築には厳しかったみたい。後は江戸幕府への
警戒の意味もあったのかな、天守閣は焼失した後は、

上の方は、眺望が開けていて、
雪のかぶった山の頂がチラ見えします。

国内の旅もいいッスね〜 →
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兼六園と金沢城を挟む道路。
上から見ると緑と石垣に囲まれた
なんとも贅沢な道路に見える。

門も立派っすな。

このあたりの石垣は、案外ラフな積み上げスタイルに見える。

金沢城の正門「河北門」、こちらは二の門です。
130年ぶりに復元されました。

この門は、さすが最近復元されただけあって、
内部に入れるし、そのプロセスがわかりやすく
説明されている。

門から外を眺めてみたらこんな感じ。
かなり武士ってないっすか。

この広い空間は気持ちイイ。
三の丸広場です。
向こうに見える右手の菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、
左側の橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、
真ん中の五十間長屋は武器庫でした。

橋爪門続櫓の裏あたり、二の丸です。
天守閣が消失した後は、この二の丸に
実質的な中心が移っていって、長い間
加賀藩の中心でした。

やー、美しい石垣だこと...




江戸時代後期に作られた鶴丸倉庫

本丸のあたりは、やけに雷が落ちるゾーンだったらしく
木造建築には厳しかったみたい。後は江戸幕府への
警戒の意味もあったのかな、天守閣は焼失した後は、

上の方は、眺望が開けていて、
雪のかぶった山の頂がチラ見えします。

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