2015年05月17日

長女のステージ

By kyan_ban2007
20:26
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息子は初出場でしたが、娘は今回で9回目を数えます。
自分の弾きたい曲が課題曲にあるのがわかると、大体いつ頃のピティナに出たいと決めて、練習に励む日々。
こちらはすっかり、人前で演奏することの楽しさを理解し、ピアノを楽しんでいる感じです。

プレッシャーはないと言いつつも、本番前になればきちんと曲をそろえて弾けるように準備。
準備の仕方も慣れてきて、余りにも早くからとりかかると、だれてしまうことも経験済みで、本人なりのやり方もできつつあるようです。

衣装選びも最近の楽しみの一つらしく。
親の持っているドレスが着れるようになって、自分の演奏する曲のイメージに合わせて、どのドレス着ようかなと考えているのも、女の子らしいと思います。


課題曲は、前回ピティナで演奏されているのを聞いて、興味を持った曲。
自由曲は、前回ピティナの課題曲。
課題曲は、アドバイザーの方全員から「ペダルを使うように」と指摘され、それ以後、ぺダリングの練習をするようになりました。

ペダルを入れた状態で、アドバイザーの方からのコメントがほしいという娘。
今回はそこに、息子との伴奏も入ります。
自分のソロよりも、息子との連弾練習のほうに力が入っている感じで、果たしてソロはどうなるのかな〜、なんてこと思いながら聞いていました。

どちらも、大好きな曲ということもあり、きれいにまとめて、細かい音の出し方も気をつけながら、いい雰囲気で弾けていたと思います。

ある意味、対照的な曲を持っていったのですが、そのあたりもきちんと切り替えていたし、本人、気持ちよく演奏できて、終わった後も嬉しそうにしていました。


偶然、同じクラスの男の子とも一緒になり(そして、息子の幼稚園時代のお母さんにも遭遇〜、世間は狭いぞ〜)すでにインベンションを練習しているというので、びっくり。

世間一般的には、不思議じゃないのかもしれないけど、何せ親は中1になってもインベンションやツェルニー30番なんてやってなくて、その後やめてるし、娘はいまだにブルグミュラーを弾いている感じなわけで。

それでもバッハにはすごく興味はあるらしい。
とくに、コンペ組の女の子が弾いた、平均律がすごく印象に残ったらしく、平均律やってみたいとか…。

「まあ別に、どこから始めてもいいとは思うけど、インベンション、面白いよ?」
と楽譜を見せるものの、なんだか反応がいまいち・・・。

まあ、バッハの楽譜って、譜面面が娘の好みじゃないのはわかっているけど、ここまで反応薄いと、親はちょっとだけ不安になる。
「まあでも、インベンションやってみよっかな」
娘が口を開いたのは、それでもやっぱり、バッハひけるようになりたいという気持ちからでたものらしい。

楽譜売り場で、探していた楽譜を3冊手に入れて、さっそく家で次にやる曲を考えていたけど、周りがどんなに難曲ひいていても、全く動揺しないあたり、彼女らしいと思います。



息子の初ステージ

By kyan_ban2007
19:25
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特にピアノの英才教育を、なんてことを思っているわけじゃないので、自分と子供が通っているピアノ教室は、じっくりゆっくり、そして楽しいピアノを目指す感じで、お願いしている私です。

発表会が定期的にあるわけでもないので、練習した成果を、誰かに聞いてもらう機会があるわけじゃない子供たちですが、やっぱりピアノは、人に聞いてもらって得られるものも多くあると思うし、練習にメリハリをつけるため、年に1,2回ですが、ピティナのステージに出ることが、なんとなく、ここ数年の家族行事になってきています。

娘の時もそうでしたけど、コンクールを狙って一生懸命頑張っている子供たちの中、ピアノを弾く楽しさを味わってもらうというのは、いろいろ気を遣うもので、ある程度の年齢になってから、そうした状況にマイナスの影響を感じることのないタイミングで、初めてのステージを経験させたと思います。


長女は、どんなに緊張しても、どんな場面でも、しっかりと切り抜けてくれるという信頼があり、思い切って、地元の大きなホールが、初出場でしたが、息子は、小さいホールで、あまりプレッシャーにならない場所のほうがいいだろうと思いました。

また、いきなりソロで弾かせることも、彼はもしかしたら、固まって動かなくなってしまうかも、という不安があり、そうしたところ、長女が「課題曲が連弾でも可能なら、私が伴奏やりたい」と言い出しまして、だったら、息子も楽しんでピアノ弾けるかも、という流れになり。

このところ、練習に身が入らず、なんとなく一週間を過ごしていた息子だったため、彼に「一度ステージで弾いてみる?」といったところ、前向きに考えてくれた感じ。
大好きな曲を2曲選び、その一曲がお姉ちゃんとの連弾ということで、案外あっさり、出場を決めることができました。


練習嫌いの息子ですが、最後の2週間ほどは、毎日最低、一回は練習すると約束して、みんなでピアノを弾きました。
最初はなかなか、重い腰が上がらない様子でしたが、毎日少しずつ練習していると、楽に弾けるようになってきます。

そうなるとだんだん面白くなってきたのか、最後の数日は、こちらが言わなくても「もう一回弾いてみる」と言って、少ない練習時間ではありましたが、自分から練習したりもしていました。

連弾も、伴奏がなかなか難しく(でも、とてもきれいな伴奏でした)でも、兄弟で連弾することが、ずっと憧れだった長女にとっては、自分の演奏以上に楽しみな様子。

最後のレッスンの後、家で聴かせてくれた連弾は、本当に素敵でした。
二人の音楽の世界が出来上がっていて、これは、本番でぜひ、聞かせてほしいと、親の私が思ってしまうほど、いい音楽になっていました。


さて、そんなこんなで、楽しみにしていた息子なのですが、二日ほど前から、突然「なんだか…、緊張してきた…」と言い出しました。

まあ、予想の範囲内。
でも、あんまり土曜日の本番の話はしないでほしいと言ってきました。

緊張は、まじめな彼の気質の裏返しでもあります。
それでも、嫌がらずに、前日も練習をこなし、場所が変わるだけだよ、できてるからね、大丈夫と、言い聞かせ、プレッシャーでなかなか、寝ようとしない彼が寝たのは、夜中の0時過ぎたころ。

前日の練習では、連弾のときに、わざと一オクターブ高く弾いたり、伴奏をわざと、一オクターブ低くしたり、繰り返しはないはずなのに、何度も何度もリピートして、遊びながら弾いていました。

これも、そういうことができるほどに、この曲を弾くことに余裕の出てきた証拠でもあります。
明日は、きっと大丈夫だと、二人を信じて私も寝ることにしました。


それでも、多分、一番緊張していたのは、私だったのかもしれません。
3時過ぎにやっと寝付けたかと思ったのですが、目が覚めたのは、4時、5時、6時…。
6時半になった時、もういいや、起きてしまえと起きだして、子供の衣装や靴を準備し、楽譜も念のため準備して、出発。


第一部の2番目が息子の出番。
最初の子が終わって、さあ、息子という場面。
緊張のせいか、私の座っているほうを、ちらちらと何度も見ていた息子。

長女に促されて一緒にステージに上がり、私は補助台と椅子の調整のために、後からステージに。
お姉ちゃんと並んでお辞儀…、のはずが、緊張のせいか、あれだけ練習していたのに…、かくかくと不自然な動きをしていました。

椅子の高さも合わせて、補助台も合わせて、さて…。

席に戻って聞いている私は、もうドキドキハラハラ。
でも、あんなに不自然な動きをしていた息子は…、いざ、演奏が始まると、いつもの通り、落ち着いて自分のパートを弾いていました。

息もぴったり。
二人の音が、いい感じで溶け合って、本当にいい時間だったと思います。

ソロの自由曲も、落ち着いてしっかりした音で弾いていました。
まだまだ、弾くのに一生懸命で、フレーズが自然に流れていませんが、あれほど間違えていた箇所も、間違えずにしっかり弾いていました。

拍感もしっかりしていて、一か所弾きなおしがあったけど、全く崩れずに、最後まで弾くことができました。

最後に椅子の片づけに、ステージに上がった私。
「お辞儀してね」
と息子に小声でいうと、椅子から降りて、お辞儀。
今度は、練習した通りにきちんとできていましたが…、そこで動かない。
「ほら、終わったから、降りようね」

緊張のあまり、足が動かなかったのだそうです。


アドバイザーの方のコメントも、導入1レベルの息子の演奏ですから、まずは、楽しく連弾をしていたこと、拍感をしっかり持って、ソロで最後までひききったことに対して、評価をくださっていました。

うたいながら弾くというのは、これからの課題になるかと思いますが、緊張しながらも、本当に楽しかったようで、また、次も出てみたいという感想が聞かれました。

興奮状態で、寝不足のはずなのに、よるもなかなか眠れなかったようですが、それでも、ぐっすりと夢の中に入っていきました。





2015年05月06日

クレメンティ ピアノソナタop24-2 よもやま話

By kyan_ban2007
00:07
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ソナチネアルバムでのクレメンティとの出会いが、ま〜今思えば、自分の古典好きを決定づけてしまったのだという思いは、どうしても否定できない。

自分は、結構面白い音楽だと思ってた。
その後、モーツァルトやベートーベンに出会って、大人になってからのピアノの比重は、どうしてもそちらに傾いてしまうわけなのですが。

でも、やっぱりクレメンティは気になる人だったので、クレメンティのソナチネアルバムを買って、弾いてはいたのですね。
ソナタアルバムを見つけたのは、そんな時期だったから、実はもう5年近く前になるんだな、と、今気がついた〜。

ペラペラページをめくって、一番目に留まっていた、このop24-2のソナタは、絶対にいつか、練習すると心に決めてました。


その時期が訪れたわけなのですが、見た目以上にひきづらく、練習もある一定のところから、全く進まなくなってしまいました。

その理由は、次から次へと目まぐるしく出てくる、フレーズの数々。
初めてレッスンにもっていったとき、前半の2ページだけを弾いたのですが、先生が「いや〜、この曲、聞いてる分には面白いけど、弾いてるほうは大変だね〜」と笑いながら言っていたのが、すべてを語っていると思います。

次々出てくるフレーズが、とにかく弾きづらい。
だから、それを一個一個、部分練習しながらつぶしていくわけなのですが、部分練習って通常は「曲の中で技術的に難しいパッセージ」を取り出して練習することのはず。

だけど、最初のフレーズから「部分練習」をしなきゃいけなくて、結果的に最初の2ページ、ほとんどすべての小節で、私は「部分練習」をする毎日だったと思います。

譜読み始めて2,3か月の頃は、この最初の2ページ弾くだけで、通常のピアノソナタ一曲分を弾いたんじゃないかというほどのしんどさを感じていました。

中間部からも、細かい単調(に見えるけど結構音が微妙に変わっていたりして、それをきちんとフレーズにしていくのはしんどかった)な音が続き、最後に再現部。

再現部も、最初にでてきたのと、びみょ〜に細かく音変えちゃったりしているから、そしてこの「前半との違い」が、部分練習で地道につぶしてきたことが、若干裏目に出てしまい、見事に混乱、そして崩壊、みたいな状態を経て、それも乗り越えて、やっと今現在の状態に至る…。

思い起こせば譜読み始めた11月の終わりごろ、これは、うまくいけば2月中に仕上がるんじゃないか、と思った私は、甘かった甘かった。

でも、ここまで頑張って仕上げてきたら、不思議と弾けば弾くほど楽しくて、この楽しさが病みつきになり。
昨日はいい形で、本当に楽し〜と思いながら、弾くことができたと思っています。


ところで。

このクレメンティのソナタ、第一楽章終盤のあたりに、当時の演奏慣習として「即興演奏」を入れるべきところがあります。
自分は最初、このことに気づいていなかったのですが、練習に行き詰って、youtubeで検索かけて、人の演奏を参考に聞いてしまったときに、気づいてしまったのです。

ただでさえ、いったいいつ終わるんだろうと思っていたところに、即興演奏…。
誰かに書いてもらおうかと思ってしまったほど、青ざめてしまった私です。
(ちなみに、それに気づいた翌日、ピアノ関連のマイミクさん数人に会う機会があって、その話を含め相談してみたら…、そりゃ、それが当時の演奏スタイルなら、やらにゃいかんでしょとバッサリ…、ひえ〜ん)

先生に相談したら、藪蛇かも、と思いつつ、それでも先生に気付いてしまったそのことを白状すると「ああ〜、ほんとだ、即興入れるべき場所ですね〜」と即答。

「あ、あの〜、どうしましょう…?」
「う〜んとそうですね〜、まあ、そういうのは、作曲できる人に任せることにして、それが無理という人は、素直に、全音符トリルで行ってしまいましょう!」

…、よかった…。

大体、自分が作曲能力がないから、楽譜に記されている曲ばっかり練習してんじゃないか、と、思わず開き直る心理もこの時生まれてきてしまい、自分はできないから、楽譜通りにひいて済ませる、と割り切ることで、逆にここの全音符(フェルマータつき)のトリル、イタリア民謡によくある、謡崩しやテンポを揺らしたりするイメージがわいてきて、ピアノもそういう弾き方をしようと決めることもできました。


演奏前にごあいさつで話した通り、この曲は、陽気なイタリア人が、歌心に任せて朗々と、楽しそうに歌っている声が聞こえてきます。

第二楽章は、鼻歌で即興的に歌っているようにも思えます。
そういう「飾らない自然体の歌」として、このソナタを自分なりに表現してみたつもりですが、聞かれた方には、どういう風にとらえられたのでしょうか。


クレメンティはあと終楽章が残っていて、ベトソナも1番の終楽章が、あともう少しで仕上がりそうです。
とりあえず古典はここでおいておいて、次にシューベルトと、はまりつつあるショパンのマズルカをもう一つ、そして、あと一つ…。

フランスからラヴェルか、ドイツロマン派ブラームスか、それとも、塩漬け状態のラフマニノフ???
リストは?
ドビュッシーは?

やりたい曲は次から次へと見つかるのだけど、音楽に対する欲は増す一方で、でも、昨日のような気持のよさ、心地の良さを味わうことができるから、やめられないんですよね…。



2015年01月18日

マズルカ op17-4 その2

By kyan_ban2007
16:20
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いろいろ悩みながら、もがきながらも、なんとなく自分のやりたいことが見えてきて、そこそこ曲として成り立ってきたんじゃないかと思います。

自分の体になじむようにと、しばらくは、拍をしっかり保って、インテンポで練習してきたマズルカですが、先日のレッスンで、先生から「そろそろ仕上がりが見えてきたので、もっと気持ちの赴くままに、テンポ揺らしてみましょうか〜」と言われ。

ロマン派以降の音楽で、欠かせないこの「ルバート」が、実は私にとって、最大の敵なのだ…。


「どうやって揺らせばいいんだろう?」


言ってしまえば身もふたもないのですが、私は、テンポを揺らしたくても、ゆらせない人間だったのだ…。
(じゃあなんで、ショパンなんか弾くのだと言われるとそれまでなんだけど、なんかわからないけど、たま〜に浮気したくなるのよ、仕方ないのよ)


「頭の中に流れる音楽を、そのまんま、出せばいいのよ〜。」



…、出した結果がインテンポ…。



やっぱりですね、相性のいい、悪いってあると思うのだ。
自分は古典が好きだけど、なんでかな〜と思ったら、楽譜に書かれてある通りひいたら、それで終わりだから。

ここでいう「楽譜に書かれてある通り」というのは、音だけじゃなくて、フレーズ感とか、拍子感とか、曲想とか、とにかく「楽譜から読み取れるすべてのこと」を、とりあえず再現しさえすれば、音楽になるんだけど(その再現の仕方が演奏者の表現の違いになって表れるので、だからといって決して無個性な音楽にならないところが、クラシックのすごいとこ)ロマン派以降の音楽って、それだけじゃダメなんですよねえ・・・。

そこに、「揺らぎ」を加えろと…。


音楽には、ルバートは内在すると思うのですが、その内在するルバートを、テンポの枠をはみ出して「顕在化させてもいい」というのが、ロマン派以降のルバートの意味だと思うんす。


なんとなくわかるんだけど、でも、ど〜しても、テンポの枠をはみ出して揺らがせるのが、苦手。


てことで、自分がやるときは、効果的な部分だけ揺らがせて、後は比較的淡々と弾くことにして、必要最小限度の揺らぎで、最大限の効果を狙ってみましょうか、ってなことになります。

感情がそれなりにこもるところは、ほっておいてもルバートになるんで、それをもう少し、はみ出させればいいんだなと思うんだけど、とりわけ、自分が揺らさなくてもいいんじゃないかという部分も、もうちょっと考えなきゃいけない。


こうやって考えていくと、自分って、案外、冷めたやつなのかもしれない。
いや、冷めてるのはショパンに対してだけなのかなあ。



今年の初めましての作曲家を、勢いで決めてしまった昨日。
ふたを開けてみると、別の人になっているかもしれないという、いつものパターンに陥りそうな気もするけど、やるやると言ってはや数年経過。

今年は、頑張ってみるかな。




2014年12月03日

マズルカ 17-4

By kyan_ban2007
14:21
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何をとち狂ったか、突然ショパンを弾きたくなったのだ。
で、ショパンの中でも、一番なじみのないはずの、マズルカに手を出したわけだ。

純正日本人の私にとって、マズルカなんて遠い国の世界の音楽、皆目見当がつかない…、これが、ひと月ほどもがき苦しんだ挙句、到達した結論ってのが、なんとももどかしい。


なぜ17-4に手を出したかと言われると、初めてこの曲聞いたとき、フランスのシャンソンだと思ったんです。
なぜだかわからんけど、エディット・ピアフの表情が、頭に浮かんだ。
で、マレーネ・ディートリヒが、くわえたばこで品を作って、どこかのバーで黄昏ている様子が、浮かんだ。

なぜかこの二人の女性が浮かんだのかなんてことは、聞かないでほしい。
現実そうだったのだ。
そして、私にもなぜだか、わからないのだ。


イメージが、ちと、退廃的な雰囲気であったせいか、譜読み開始してからの曲想の中心は、冒頭からのフレーズ。
「シィド レ ラ  ラド〜」
このフレーズの持つ雰囲気を中心に、イメージは広がる。

そんな難しい譜読みじゃない気がしたけど、ここからがさっぱり。
行き詰る。


ここから、youtubeでいろいろ演奏を掘り起こし始める。
自分の持っているマズルカのCDも、もう一度引っ張り出して、楽譜を見ながらずっと聞く。

聞けば聞くほど、自分とは遠いところにある世界の音楽。
少しでも、正体を暴きたい、せめてしっぽだけでもつかみたいと、これ以外のマズルカも、これでもかというほど聞いてみる。

もちろん、楽譜にらみながら。


分かったのは、マズルカという、スラブ民族特有の音楽に、ショパンの感性が重なり合って、摩訶不思議な世界が彩られているという、ただでさえ、マズルカに遠い存在を感じているのに、ショパンに苦手意識を持っている私、絶望的じゃ…。

(なら、なんでショパンなぞ、弾こうと思ったのだ、と言われると、ここで話が終わっちゃうし、実際ここで終わらせようかとも考えた…)


これだけじゃ、いくらなんでもあれなんで、もっと突き詰めて考えてみると(っていうほど深くもないが)

私はずっと、冒頭のフレーズを中心にイメージしていたのだけど、おそらく、中間部の「本来の民族舞踊の雰囲気を持っている部分が」本来のマズルカで、これをベースに、ショパンの感性を重ね、少し幅を広げたのが、36小節あたりからの数小節、または、終結部分。

その枠をかなりはみ出しているのが、冒頭のフレーズなんじゃないかと。


私が曲想を固めるのに中心に据えていた部分は、多分「つけたし」
(乱暴な言い方だけど、思い切ってそう考えてみたほうが、案外つかめる気がした…)


さて、ここからどうしましょうか〜。


もっとも、少しだけ、希望はあって、だいぶ前に、たまたまNHKの名曲アルバムで、ショパンのマズルカが流れ、民族衣装を着た、かの地の人たちが、マズルカを踊っている映像を見た。

私はダンスはさっぱりな人だし、マズルカのステップなんて、一瞥しただけじゃわからないけど、しかし、メヌエットやジーグを弾くとき、バッハの時代の宮廷舞踊をイメージするのと同じ感覚で、マズルカをイメージすれば、もしかしたら…、と。


うん、なんだか、ほんの少し、おぼろげにだけど、まとまってきたぞ。


弾いている自分も、映画のワンシーンじゃなく、この音楽を「舞曲」(つまり、弾いている自分がステップを踏んでいるイメージ)として、とらえ始めたんじゃないか…。



ワルツ64-2を練習しているとき、「ショパンのワルツはマズルカに近い」という話を聞いたとき、全くぴんと来なかった私だけど、今なら、その意味、少しわかる気がするな。




2014年11月26日

練習はしないけど…

By kyan_ban2007
20:03
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我が家の息子のことである。
ピアノを習い始めて、もうじき3年ほど。

お姉ちゃんに比べて、ど〜してもピアノを弾きたい、という気持ちで始めた習い事ではないから、家での練習はそんなにしない。
この2か月ほどは、家では全く弾いてない、と思う(親の前では少なくとも弾いていない)
でも、不思議なことに、ピアノのレッスンは、好きらしい。

学校で嫌なことがある。
それでも、ピアノは行く。

本当に嫌なことがある。
「今日はピアノ行きたくない、行きたくないほど嫌なことがあったんだ…」

つまり、ピアノ自体は嫌じゃないのである。


のんびり、ゆっくりのピアノだけど、それでも習い始めて3年もたてば、そこそこ、上達は見えてくる。

久々に、レッスンを見学した。
お姉ちゃんが、学校行事のため、帰宅が5時前になり、今日は彼だけがピアノレッスンに行くことになっていたから。


前の子がまだ、先生とレッスンしていたので、時間があるとわかり、「ドレミ読みしとこっと。。。」
そう、彼は練習してくるはずの曲を、まだ一度も見ていなかったのだ。

ドレミをあっという間に読むと「これはこの前やった曲と同じところが多い…」と、つぶやく。
そして、レッスンで、ドレミ読み、右手弾き、左手弾き、右手歌いながら左手弾く…という、練習順序で先生の前で弾いてみせる。

最後、両手弾きになった時、苦戦するも、数度の挑戦の末、先生から〇をもらう。


久々に彼のピアノを聞いて感じたのは、ずいぶんとしっかりした音を出せるようになったこと。
打鍵が深い。
いい音を出す。

それから、指の動きも、徐々に良くなってきたんじゃなかろうか。


「ここまで上手なら、家で練習したら、もっとレッスンは違ってくると思うけどな〜」
と思わず私はつぶやく。
が、彼は聞いてないふりして、知らん顔。

それでも、ほめられてうれしかったのだろうと思う。


まあ、ピアノが好きなことと、家で自主的に練習することとは、また、違うからなあ。
お姉ちゃんですらも、自分が「ピアノが好き」「楽しい」と思えるようになって、初めて「自主的な練習」をするようになった。
(それまでは、やらなきゃいけないから、という面が強かったと思う)

今は楽しい、弾くのが楽しい、それでいいんじゃないかと思う。
いずれ、自分でこれを弾きたい、という曲が、彼にも現れてくれるに違いない。



2014年11月21日

演奏家のためのトータルトレーニングを受講して

By kyan_ban2007
16:56
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ちょっと時間たちましたが、17日の日曜日、長時間にわたっての、花尾先生をお招きしての、演奏家のためのトータルトレーニング、自分が管理人をしています、コミュニティ、ピアノサークルCantabileで、執り行いました。

無事終了いたしまして、参加された皆様方、本当に感謝です。
この場を借りて、改めまして、御礼を申し上げます。


さてさて。

約20人弱で行われたグループレッスンの前に、私は午前中、個別レッスンを付けていただきました。
初めてのレッスンに、多少ドキドキしながらも、60分、終始和やかで、話も弾み、緊張する場面もあり、メリハリのある内容に、いろいろと感じ入るところ盛りだくさんの内容でありました。


レッスンを受けて、一言感想を述べますと「初心忘るべからず」
これにつきます。


ピアノの初歩の初歩、まだ子供だった時代、素直に感じたこと、実践していたこと、ピアノ再開当初、少しでも早く技術を戻すためと思って、考え付いて続けていたことは、侮らずに、何かの折に、振り返ってみることは大事だということでした。


内容の詳細はここに書ききれないほど、あらゆる視点から、普段の練習のヒントとなること、演奏する際に、気を付けるべきことを、教えていただいたのですが、ピアノの練習にかかわってきたこの長い時間の間、一瞬でも誰かに聞いたり、自分でも感じたりしたことが「必ずどこかで」あるもばかり。

そしてそれは、あらゆる物事の「本質的な」ものばかり。


二つほど、書き留めたいと思います。

ピアノ再開した時には、自分なりに「練習ノート」をつけていました。
これは、次回のピアノレッスンまでに、練習しておきたい内容、そのために「やらなければならない基礎的な練習」を、気がつくままに、ノートに記しておいて、それを、ひとつひとつ、丁寧につぶしていたと思います。

たくさんではありません。
ほんのひとつかふたつ、次のレッスンまでに、自分で身につけたいなあ、と思うことを考えて、自分なりに実践していたのです。

人前で演奏する機会ができたころには、その日まであと何日と逆算して、この時点ではここまでできていたほうがいい、という目標を書き込み、練習ノートの要領で、やはり、細かくメモをしていたと思います。


花尾先生がおっしゃっていた、この「練習計画」を、不完全な形ながら、私はやっていたことになります。

そのころの私は、一曲が仕上がるまでには長い時間がかかっていましたが、比較的、まとまった曲数の練習が短い時間でも要領よく、計画的につみあがっていて、今よりもメリハリのある、いい練習ができていたと思うのですが、だんだんと慣れてきて、あえて、目標を設定しなくても、そこそこ譜読みができて、練習もこなせる状態になると、これを省いてしまっていたのですね。

今では、どこかで弾く機会があることに合わせて、曲選び、練習をするようになってしまい、忙しくなって、演奏機会が少なくなると、ピアノを弾く時間も減るという、微妙な状態になっていて、かなりこれは、反省してます。



もう一つ。
先生から「音楽の前に、体の準備がある」という指摘でした。
そう、これも、ここ最近の私の悩みでした。

思い返せば子供のころ、合奏や吹奏楽をやっているとき、感じていたことでした。
指揮者の指揮棒の動きに合わせて音を出すのでは「遅すぎる」

合わせるためには、ワンテンポ(低音楽器ならワンテンポよりちょい早め)に音を出さないと、音楽はどんどん後ろに後退していくことに、気づいていた私。

身体の準備はそのテンポより、さらに先にないと、音楽は前に進まないのです。


ピアノも実は同じだということに気付くまでには、そんな時間は必要なく(というか、ピアノで感じていたから、アンサンブルでもわかったのかもしれない、いずれにしても相乗効果)自分のピアノが、子供によくある「どんどん速くなる」「どんどん遅くなる」といった現象と無縁だったのは、意識して音楽を前に進める方法を、自分なりに生み出していたからなのでした。


ピアノを再開して当初、困ったのはこの感覚が、取り戻せない、ということでした。
子供のころ、自在に操れていたテンポですが、いまだにこれは、戻せていません。

自分がどんなに弾けるようになっても、子供時代の技術に戻せていないと感じてしまうのは、このためです。

前に進める感覚を持って弾けるときは、本当にいい感じで「音楽には入れます」が、この感覚、弾きなれてしまうと、忘れてしまうという、厄介な代物です。


先日のピティナで、ベトソナ1番の、第1、第2楽章を演奏してきましたが、アドバイザーの方にこの点を指摘され(3人とも!)この「前に進める感覚」を常に保つために、どうしたらいいのか、悩ましいところだったのです。


今回の先生への相談には、この話はしませんでしたが(もっと別に相談に乗っていただきたいことがあったので)図らずも、その解決策のヒントをいただいている途中に、こちらのアドバイスもいただいたこととなりました。


そう、音楽の前に、自分の意識と、体の準備がないといけない、子供のころ、当たり前のように感じていたことを、いつもピアノが弾ける環境になってしまったためか、すっかり忘れてしまっていました。


音楽の本質的なところから、改めてヒントをいただけて、自分の表現に対する行き詰った感触、分厚い壁のようなものが、押せばふっと、動いてくれそうな、そんな内容のレッスンになりました。



それにしても、先生は、自分がどういうタイプの弾きてであるか、ずばずばと言い当ててしまうので、びっくりしました。


自分の音楽、演奏するピアノに、知らず知らず、内面は乗り移ってしまうものなのだなあ、と改めて思います。


今後の練習に、生かしていきたいと思います。





2014年05月06日

幸せなとき

By kyan_ban2007
02:20
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ピアノをやっててよかった、と思えるとき。

演奏後に、自分の演奏のよいと感じたところに、聞いた方からなにがしかの言葉をかけてもらえた時でしょう。


オフ会参加して、数年たちますが、自分が今まで一番言われてうれしかったのは
「自分ならもっと、別の表現を考えるけれども、しかし、説得力があった」
というもの。



そして、今日。

「テンポを揺らしてはいけないモーツァルトの音楽だけど、それでも、やりたいことがしっかりと伝わる音楽だと思った」




自分が考えている、モーツァルトの音楽、自分がやりたいと思っていること。
それが、聞いている人に、感じ取ってもらえたこと。


ほかの方の演奏を聴きながら、その言葉を何度も何度も胸の中で繰り返し、幸せな気持ちを受け止めていました。


いささか、消化不良の演奏になってしまいましたので、これで弾き納めと思っていた、ソナタ18番ですが、もう一度だけ、どこかで弾いてみたいと思います。



あとは、ベト様が待っています。
歌心に任せて、テンポを揺らすことのできない古典音楽ですが、制約があるからこそ、できる表現方法もあるのだと。

やっぱり、古典が好きです。





2014年04月21日

迷い

By kyan_ban2007
18:31
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久々のブログ更新。
このところずっと滞っていた、ゴールドベルグを取り上げようかと。

もう4年ほど前、まだ、末の娘が一歳になる前のこと。
バッハのゴールドベルグ変奏曲をやりたいと思っていた私は、これから5年かけて、この曲を仕上げる、と決意して譜読みを始めました。

もちろん、きっかけは、グールドのCDを聴いたことからなのですが、そのころはバッハの2声インベンションを人多り終えて、バッハの音楽に魅力を存分に感じていた、というのも、大きな理由だったと思います。

アリア、第一変奏、第二変奏、ときて、事情により、先に第30変奏を仕上げてから第3変奏に、という順番をたどりましたが、一年ほどで第10変奏まで仕上がるペースで、意外に早く進んでいくのに、自分でもびっくり。

でも、このあたりを過ぎたころから、徐々にペースが落ちてくるように。

このあたりの原因というのは、さまざまありえます。
ほかにも手がけている曲があって、そちらを優先していた、というのもありますが、はっきりいって、「難しい」と感じるようになったのです。

もともと、二段鍵盤を前提として書かれている曲ですから、右と左の交差が複雑なことこの上なく、それでいて、フレーズはきちんと出さなければならない、という、技術的な難しさに加えて、曲想のつかみ方が難しくて、音楽に乗りきれないで弾いてしまう自分がいたりして。

練習しても、その方向が見当違いであれば、思い切って、塩漬けにするというのが、今の私の姿勢なので、決して放置していたわけでもないのですが(むしろ、ここまで続けて練習をしている曲はほかに見当たらない)一つを仕上げるのに、3か月、半年、という状況になってきました。

この2年でOKをもらえたのは、わずかに4曲。
目標の5年まであと、1年を切っているのですが、あまり焦りも感じなくて、まあ、絶対に最後までと決めているので、なんとかなるだろう、ぐらいにしか思っておらず。

先日、ちょうど第16変奏が仕上がったところ。
ちょうど中間地点にあたります。
その次の第17変奏抜けたら、もっと楽になるよ、というのが先生の見立て。

あたってる気が…。

少しまた、バッハに気持ちが向いているせいか、たまたま、本屋さんで見かけた「ゴールドベルグを聴こう」を購入。
この本、プロのオルガニストの方が、実際に自分でゴールドベルグを演奏することになった際、勉強していて、感じたことや、楽譜の解釈、もろもろをメモに残していたら、膨大な量にのぼり、これをメモのまま残すのはもったいないな〜、ということで、一冊の本になったもの。

語り口調で、本当にメモ書きのような文章なのだけれど、書かれてあることは、バロック時代の演奏の「決まり事」であったり、それを踏まえての楽譜の読み方だったり。

さらには、この曲に込められた、バッハの演出力、遊び心、シンメトリー的な曲の構成、などなどなど。

読み進めるにつれて、それぞれの変奏曲の位置づけ、意味合いが私にもわかるようになってきて、ああ、そういうことかと思ったら、この第16変奏に対する迷いが、一気に払拭されたのですね。

ちょっと面白い構成になってる。
音のイメージはパイプオルガンなんだけど、前半は教会のミサで華々しくならされ、後半4部の混声合唱のイメージ。
教会に聖歌隊の声が響き渡る。

この曲は、曲全体を分けた時、後半部分の最初の曲であり、全体を3つに分けた時、第二部の後半の始まりの曲。

第一部が長い夜の始まりを予感させ、第二部は夜が更けて、瞑想的、内省的になっていく…、のだと感じたら、第二部以降にあたる第11変奏からが、譜読みにかける時間はそれほどでなくても、そこから先、時間がかかってしまうことに、ピンときた。

第3部の後半は、最後のクライマックスの部分。
特に第26変奏からは、終わりまで一気にかけあがるイメージ。

ああ、なるほど〜。

第16変奏の位置づけがわかったら、この曲に対する迷いがなくなって、こういう感じ、というイメージも簡単になって、レッスンでも、意外にあっさりとOKが出た。

そして単純なことに、すっきりした気持ちでこの曲の練習ができている今、複雑な左右の交差のある第17変奏の練習も、嫌じゃなくなってきたあたり、音楽って不思議だ。





2014年02月12日

違和感を感じるとき

By kyan_ban2007
18:14
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ソチ五輪も佳境に入り、毎日寝不足気味が続いていますが、それでも、今日はピアノのレッスンでした。

MozartのKV576は、第一、第二楽章ともに、あと一息といったところで、前回のレッスンは終わりましたので、今日は、最終的に仕上げるつもりで、のぞんできました。

なのですが。

このところ、ずっと好調だった、左手のフレーズの処理が、不安定になってきたのです。
指が特にまわりづらいとか、弾きづらいという感じではなく、ただただ、右のフレーズののからみが、うまくいかないというか、それで、ピタッと止まってしまったり。

もやもやしたなか、レッスンで弾いたところ(怪しい左手にもかかわらず、止まらずにまずは、最後まで)言われた一言が「弾きづらいなと感じるところは、8分の6拍子の拍感が、崩れてしまっているところだと思う」とのコメント…。

・・・!
言われてはっと気が付きました。

ここ数日、それまでこの曲は、きれいにリズムの波にのれていて、自由自在にそれを綾るっている感覚があったのに、弾いていてなんとなく、上手に乗り切れなくなってきていたんですね。
先生はそのことが、左手の動きのあやしさの原因だとにらんだのです。

「アウフタクトから、その次の音が小節最初の拍だという意識を常に失わなずに、もう一度」


面白いもので、左手はやはり、今日に関してはいえば、かなり不調だったのですが、弾いている自分がそれでも「聞いていてこれなら許せる」曲に変貌するから、音楽は本当に不思議です。
いや、人間の体に内在する、拍感というか、それを見つけ出せる感覚が、本当に不思議。

先生自身、今日は左手がうまくいっていないのは納得で、それでも、拍をきちんと意識したことで、きれいにまとまったこの曲に、OKをくださいました。

kv310第一楽章に続いて、この曲が仕上がったというのは、何とも感慨深いものがあります。


第二楽章も、最初のほうに出てくる、たった一つのフレーズが、弾いていてずっと違和感を感じていました。
自分の出したい感じは間違っていないけど、何かが違う。

先生曰く、「次のフレーズを引っ張り出すための経過音だから、クレシェンドの気持ちは持ちつつも、そんなに一つ一つをぎちぎちに出していく必要はない」と。

…ああ、わかった…。

16分音符すべての音を、同じ重さで弾くのではなく、4つずつひとまとめにして、最初の音だけに重さを置いてみたら…、イメージ通りの感じに。


第二楽章も、かなりいい感じでまとまってきているので、いくつか直しを入れて、次回、最後の仕上げのつもりで練習することになりました。


ほんのちょっとのことなんですけど、そのちょっとを直すと、それだけで、弾いている音楽が別物になる感触は、見つけ出せたときには本当にうれしい。


バッハのゴールドベルグの、第16変奏も、今日は前半の拍がうまく取れなくて、何度も何度もやり直し。
先生自身も「あれ、今日は安定してないな、と思いながら弾いているのが、わかります」と、笑いながらおっしゃってくれました。

後半部分の3声は、特に問題なさそうで、そのまま弾き進めてくださいということになりました。


次の曲をどうしようか考えつつも、 今とりかかっている曲がどれもあと少しの状態。
まずは、こちらをきちんと仕上げてから、新曲に本格的に取り掛かることにしました。


早く寒さが和らいでくれないかと、思っています。
ピアノのあるリビングの部屋は、本当に寒いです。





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