2015年09月21日

「不快にならない権利はない」

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妊娠した女性が、管理職の女性に「あなたがいると赴任の人が不快になるから、やめてもらいたい」と言われた記事を目にして、自分も「子供を連れてくると、不妊の人がかわいそうだから連れてこないでほしい」と言われたことを思い出しました。

その話題を振った時、知人の方が「誰にも不快にならない権利はないんだよ、そんなこともわからないのか」という趣旨の発言をされ、実は昨日来、この言葉の意味の深さを、いろいろ考えていました。


「誰にも不快にならない権利はない」
なるほどな、と。

「権利」という言葉は、英語に直すと「right」ですが、この「right」には「正しいこと」という意味が含まれている、のだそうです。
(浦部「憲法学教室」より)

つまり「権利を主張する」というのは「正しいことを正しいと主張する」という意味が本来含まれており、「人間に生まれた以上論理必然的に認められる」ものだというのが、「権利」の定義なのですね。
(だから細かいことを言いますと、権利ばかり主張して、義務を果たさないのはおかしいというのは、実は誤りで、権利が保障されているというのは、義務を果たすかどうかにかかわらず、保障されているという理解が正しい)

ちょいと横道にそれました。


不快にならない権利、という意味は、他人が自分と違うことを理由として、相手にその場から離れてもらいたいということになると思いますが、これを主張してしまうとどうなるか。

言われた相手は傷つきます。
そもそも、自分がどういう生き方をするかは、それこそ各人に与えられた「権利」なのですから、不快を理由としてその存在を排除しようとするのは、間違いなく、相手の権利を侵害しています。

当然相手は言いますよね、自分の権利が侵害されているわけですから、主張するわけです。
「そんなことは許せない」


当事者同士はこういう関係になりますが、私はふと、このやり取りを聞いている、第三者は、これをどう思うかと思ったとき、「この人の気に入らないことが何かあったら、自分も同じようなことされるんじゃないか」と、不安になると思うんですね。

言い方が辛辣であり、感情的であれば、不安以上に、不快に感じてしまうんじゃないか。
つまり、不快にならない権利を主張してしまうと、ほぼ例外なく、周囲の人間がそのことで不快に陥り、感情的な衝突が引き起こされる、およそ、穏やかな環境は保てない…。


こう考えると、前提となっている「不快にならない権利」そのものは、主張してしまうことで、確実に誰かの権利を侵害してしまうと思えば、権利のもともとの意味である「right」には、当たらないことになる…。


権利の主張と、それに伴う権利の衝突を、どう調整するかという問題は、実は憲法学の一大テーマで(というか、憲法の人権論の問題処理は、9割以上がそれだと言って間違いない)その線引きをどうするかについても、実は時代の移り変わり、社会通念の流動的な変容によって、変化をしていくのです。

10年前まで当たり前とされていた価値判断が、今では違うとされている場面など、いくらでもあります。
何が正しくて、何が間違いなのかということほど、不確かなものは、おそらくないのですね。

だから、どんな時代にあっても、どんな状況であっても「これだけは絶対に正しいとされなければなりませんよ」と保障されているのが「権利」(right)であり、それを定めた法規範が「憲法」なのです。




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