2017年05月17日

さとだより29年5月号発行

0001さとだより29年5月号が発行されました。
(左の画像をクリックするとPDFが開きます。)

今月号の特集は、以下のとおり。

1ページ・・・ヨーロッパの知的障碍者受入れ大学視察
2ページ・・・各訪問先大学での視察の様子
3ページ・・・カレッジが重視する職場見学・職場体験
4・5ページ・・・ゆたかカレッジが構築した4年制就労支援モデル

1ページから2ページは、ヨーロッパの大学視察報告です。

先月28日から今月5日まで視察したイギリス・アイルランド・アイスランドの知的障碍者を受け入れている大学の様子をご覧ください。

知的障碍者に十分な教育環境を整え、質の高い学びの機会を提供することで、彼らは大きく成長し、社会貢献できる人財であることが「世界の常識」になりつつあることを実感する視察となりました。

日本の大学も、早く知的障碍者を受け入れるようになってほしいと思います。

3ページから5ページは、カレッジ福岡が開設して6年が経過し、ゆたかカレッジの就労支援プログラムが概ね完成しました。ポイントは以下のとおりです。

|療障碍者に職場を「あてがわない」こと。
働くことに対する意欲やモチベーションを持つこと。
就職して困らないスキルを身につけること。
い燭さんの職場を自らの目で見て、視野を拡げること。
ツ蠱綮抉腓鬚靴辰りと位置づけること。

是非、お読みください!


kyf2 at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)法人広報誌「さとだより」 | 海外の大学

2017年04月15日

さとだより29年4月号発行

page001さとだより29年4月号が発行されました。
(左の画像をクリックするとPDFが開きます。)

今月号の特集は、以下のとおり。

1ページ・・・カレッジ早稲田入学式挙行
2ページ・・・上田令子様(東京都議会議員 都民ファーストの会)入学式ご祝辞「障がいがあってもアカデミックな学びの場を!」
3ページ・・・九州ゆたか4カレッジ入学式
4ページ・・・平成29年度 株式会社鎌倉新書 入社式
5ページ・・・鞍手ゆたかの里 所長(管理者) 岩見景子就任のごあいさつ
6ページ・・・カレッジ北九州 学院長 石橋綾子就任のごあいさつ

2ページの上田都議の祝辞が読み応えがあります。

特に以下の部分
「これまで私は、障がい者就労支援について予算委員会等で障がい者雇用率のアップを念頭にいれて質疑を重ねてきました。しかしながら、「福祉型大学」を目の当たりにし、自分の見識の浅さを、まざまざと知ることになりました。
 特別支援学校卒業生はまだ18歳なのです。であるのに、すぐに作業所あるいは就職というのは、高度成長期の集団就職時代ではあるまいし、良く考えたら彼ら、彼女らの学びの選択肢を狭めているということになるのではないかと。そもそも、高校卒業の健常者の生徒達は、社会に出る子もいますけれど、専門学校や大学といった進路という多様な選択肢があります。それと同じく、障がいをもっていても、大学や専門学校というアカデミックな教育の場で、何よりキャンパスで青春を謳歌する選択肢があって当然なのではないか?!と知るに至ったのでありました。」


是非、お読みください!


kyf2 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)法人広報誌「さとだより」 

2017年04月01日

私を励ます吉田松陰が残した言葉

本日より平成29年度のスタートです。

理事長ブログはほとんど更新しておりませんが、フェイスブックの方は、ほぼ毎日更新しておりますので、是非そちらをご覧下さい。→長谷川正人フェイスブック
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さて先日、幕末の思想家、萩の吉田松陰の短刀がアメリカで発見されたそうです🎵
松陰形見の短刀 米個人宅で発見、140年ぶり里帰り

吉田松陰








松陰の言葉はいつも私を励ましてくれています。

私が座右の銘にしている言葉「至誠通天」
(誠意を持って事にあたれば、必ず願いは天に通じる。)

「至誠にして動かざる者 未だ之れあらざるなり」
(誠意を尽くして人の心を動かさないものは、今だかつてない。)

「一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは 寧(いずく)んぞ兆民の安きを致すを得ん」
(自分一人の労力を惜しむようでは、多くの人々を幸せにすることはできない。)

「人賢愚(ひとけんぐ)ありと雖(いえ)ども 各〃一二の才能なきはなし 湊合(そうごう)して大成する時は必ず全備(ぜんび)する所あらん」

(人間には賢愚の違いはあるが、どんな人間にも一つや二つの優れた才能を持っていないものはない。その個人の特性を全力を傾けて大切に育てていくならば、その人なりのもち味を持った人間として高めることができる。)

「志(こころざし)を立てて以て万事の源と為す 交(まじわり)を択(えら)びて以て仁義の行(こう)を輔(たす)く 書を読みて以て聖賢の訓(おし)へを稽(かんが)ふ」

(あらゆる事の根本を為すのは、志を立てることである。仁義を貫くには、多くの人の支えが必要であり、その為には、人との交わりが大切である。聖人の教えを参考にして今に生かすようにするには、書物を読むことである。)

「其の心を尽くす者は其の性を知るなり 其の性を知れば則ち天を知る」

(人というものは、その心の奥底までをたどり極めて行けば、その本性の善なることが知れる。その性の善なることを知れば、その性はもと天から受けた所であるから、従って天が善を好むということが知れる。)

「学の功たる 気類(きるい)先づ接し 義理従って融(とお)る」

(みんなが一緒に学んでその効果を挙げるには、まずお互いの気持ちや意志が通じ合うようにすることが大切である。そうすれば道理や義理も自然と理解できるようになる。)

辞世の句「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置(とどめおか)まし大和魂」

(自分の身体は遠く武蔵の国で滅び果ててしまうが、国を思う私の気持ちだけは残しておきたい。)



短刀が発見されたことで松陰の時代から現在までの140年という時空がワープしたような気がします。

今年度も、吉田松陰の言葉を胸に頑張って参ります。

kyf2 at 07:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年02月06日

日本の「インクルーシブ教育」の方向転換への提言

今月号のさとだよりがまもなく発行されます。その中で、私は、現在の日本の「インクルーシブ教育」の方向性についての拙文を書きました。お読みいただければ幸いです。また、感想、ご意見等いただけましたら幸いです。



《提言》諸外国と似て非なる日本の「インクルーシブ教育」の方向転換を即座に求める!

 知的障碍者の高等教育保障について学ぶために、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどを訪問した。「ゆたかカレッジは、知的障碍者の高等教育をなぜ大学の外で行っているのか。それでは意味がないではないか」。各国、各人のトーンに強弱の違いはあるものの指摘の方向性は共通している。日本が目指す「インクルーシブ教育」、正確には「インクルーシブ教育システムの構築」と、先進諸国が目指す「インクルーシブ教育」とは明らかな違いがある。そして、日本においては、前者の論者が圧倒的多数派であり、私を含む後者の論者は残念ながら少数派である。

 インクルーシブ教育とは何か。国際社会では、1994年、スペインのサマランカでスペイン政府とユネスコの主催で3千人以上の政府職員とNGOが参集して、「特別なニーズ教育に関する世界会議」が開催された。そこでの議論を踏まえ「サマランカ声明」と「行動大綱」が採択された。「サマランカ声明」と「行動大綱」は、「これまでの歴史の中で、障害児は、排除、差別、分離を経験し、教育へのアクセスを否定されてきた。こうした事実を変革するためには、通常の学校が、多様な子どもたちを包摂するインクルーシブな学校になるべきである」と提起した。さらに、そのために、「国から地域までのあらゆるレベルの教育政策は、障害を有する子どもが、障害を有していないならば当然入学するであろう近隣の学校へ通学すべきである」と明記したのである。そして、このようなインクルーシブな学校は、質の高い教育を提供するだけではなく、非障碍者の差別的態度の変革に寄与し、共生社会(インクルーシブな社会)を発展させることになるとしたのである。

 一方、日本の文部科学省が推進する「インクルーシブ教育システムの構築」とは何を意味するのか。

 日本政府は、「サマランカ声明」と「行動大綱」に関して冷淡に反応し、インクルーシブ教育が世界的な潮流になっても無関心であり続けた。その理由は、国際潮流のインクルーシブ教育の推進は、日本が2007年に法制化し推し進めてきた「特別支援教育」の否定につながるからであった。日本では、「中教審・初等中等教育分科会特別支援教育のあり方に関する特別委員会」(特・特委員会)が、2012年の報告書にインクルーシブ教育に関して以下のように明記している。

 「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える」

 インクルーシブ教育は、障碍児を含むすべての子どもが地域の学校に就学し同輩と共に学び、サポートのもとで学校生活のあらゆる場面に参加し貢献することをめざすプロセスであると理解されている。こうした理解は、世界的潮流の中で常識的な認識である。障碍児は、社会の中で排除・差別され、人権を否定されることが多かったという事実を踏まえて、そうした子どもたちに焦点をあてて、彼らを包み込むためのインクルーシブ教育が彼らの権利であると主張されているのである。

 しかしながら特・特委員会報告は、インクルーシブ教育システムの理念の重要性を認識しつつも、分離主義的な特別支援教育を着実に進めていくと言っているのである。その矛盾に対し、国際的な潮流と日本の特別支援教育システムとの整合性を図るために、「小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある多様な学びの場を用意しておく」と述べることで、分離主義的な特別支援教育を肯定しているのである。

 日本が目指すインクルーシブ教育システムの構築は、国際的な批判を浴びる中で、近い将来、必ず破綻するに相違ない。そして、このような分離主義的な教育政策を推進していけば、今後も、第二、第三の相模原障碍者殺傷事件が起こるに相違ない。日本の障碍児教育は、早急に方向転換しなければならない。

 日本は少子化の進行の中で、小中学校の空き教室が目立ち、学校の統廃合が進んでいる。一方、特別支援学校は、発達障碍を含む特別なニーズを抱える子どもの急増にともなう教室不足、教育環境の劣悪化が問題となっている。だとしたら、普通小中学校の空き教室に、特別支援学校がそのまま移転してきてはどうだろうか。教員の配置、教育の内容やシステムは現状の特別支援学校の内容をそのままの状態で導入し、場所だけを普通校と同じ敷地の中に配置するのである。

 授業は別々でも同じ敷地の中で学びや様々な活動を行っていれば、自然とふれあいの機会もできてくるに違いない。昼休みや放課後の自然な形での交流から、徐々に行事に一緒に参加したり、部活動に参加したり、体育や音楽、図工など、いくつかの教科では合同の授業を行ったりするのである。

 障碍児と非障碍児が、自然な形で共に学び、共に遊び、共に汗を流し、共に何かを作り上げるなどの経験を通常の教育の場面で日常的に行っていれば、互いの理解も深まり、差別や偏見も軽減されるに相違ない。このような子ども時代を過ごした子どもたちは、おそらく大人になったら、障碍者を理解する側、差別から守る側の立場になるだろう。相模原事件のような凄惨な事件も避けることができるのではないだろうか。

 日本においても、国際的潮流における真のインクルーシブ教育に即座に方向転換することを願っている。


kyf2 at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日本の教育 | インクルーシブ教育

2017年01月06日

新年のごあいさつ

ブログをご覧になってくださっている皆さま、新年あけましておめでとうございます。

私の年末年始は、パソコンも開かず、読みたい本を読んだり、テレビを観たりして、家でゆっくりと過ごしました。

1月4日が仕事始め。
ゆたかの里に出勤し、職員のみなさんと来年度事業部方針について話しあったり、私自身の今年の目標をどう具体化するかについてアクションプランを考えたりして過ごしました。

昨日1月5日は、友人に勧められ、生まれて初めて、人間ドックに入りました。頭のMRIや首のレントゲン、胃カメラ、大腸カメラをしました。特に異常はないと言われ安心しました。

今日は、カレッジ福岡に出勤しています。いろいろと打合せ事項を終えて一段落したのでブログを書いています。

この後、13時の飛行機で上京。明日のカレッジ早稲田オープンキャンパスに臨みます。

今年が皆さまにとって素晴らしい1年になりますように。
本年もよろしくお願い申し上げます。

kyf2 at 10:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年12月14日

ゆたかの里クッキー議員会館で販売スタート!

東京永田町にある参議院議員会館の中にあるセブンイレブンでゆたかの里クッキーの取り扱いが始まりました。東京でも購入できるようになりました。

今回の取扱商品は、「プレーン味とココア味の動物クッキー」と「チョコチップ&くるみ入りクッキー」です。

国会議事堂の外観を表示した議員会館限定の商品になります。

お立ち寄りの際は是非ご購入ください。

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kyf2 at 11:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ゆたかの里手作りクッキー 

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2016年12月12日

障害者殺傷事件考「分けない教育こそ」(神奈川新聞)

去る11月28日付の神奈川新聞「時代の正体」というコーナーに「障害者殺傷事件考『分けない教育こそ』」という記事が掲載されました。

障害者殺傷事件考『分けない教育こそ』

相模原殺傷事件の背景を本来あるべき「インクルーシブ教育」との関連の中で捉える視点は私の前回のブログ記事の内容と共通しています。

以下、記事を抜粋し、特に私の思いと共通する部分を赤で書いています。



相模原市の障害者施設殺傷事件は「学校教育に責任の一端がある」と受け止めている小学校教諭がいる。障害の有無や学力で子どもたちを選別する教育の在りようが、容疑者が障害者に抱いた差別意識の土壌になっていると考えるからだ。グローバル人材の育成が叫ばれ、能力主義の傾向が教育現場で強まる中、「分けない教育」に目を向ける教員たちがいる。 


「障害の有無によって子どもたちを振り分ける学校教育が、あの事件を引き起こした側面がある」ある大学教員が県内の公立小学校教諭らを前に訴えた。事件から1カ月後の8月下旬、県内で開かれた教育研究発表会でのことだ。大学教員は障害のある子もない子も共に学ぶインクルーシブ教育が専門。「教育に関わる私たちの問題として考えていかなくてはならない」という問い掛けを県内の公立小学校教諭の本山真美さん(仮名、30代)は重く受け止めたが、周囲の反応は異なっていた。

小学校には障害児らが在籍する特別支援学級があるが、里崎さんは障害児と健常児を分ける「分離教育」に疑問を感じている。勤務校では知的障害児も普通学級で学んでいたからだ。籍は特別支援学級にあったが、同じ教室で毎日過ごしていた。ロッカーやげた箱も普通学級の子たちと一緒だった。

3年前に受け持った知的障害のある6年生の女子も、その一人だった。授業中は友だちのしぐさのまねをしながら、黒板に書かれた字をノートに記していった。漢字で名前が書かれた約30人のクラスメートのノートを一人一人に正確に配った。漢字の意味は理解できていなくても、字の形で覚えているようだった。

1学年2、3クラス規模の学校で入学当初から共に過ごしてきた同級生も特別視せずに接していた。清掃をサボっていれば怒ったり、給食のお代わりの分量を巡ってけんかをしたりすることもあった。そこには「自分たちとは違う子」「支援が必要な子」という視線は感じられなかった。助け合う姿勢も自然と身に付いているようだった。家庭科の裁縫で「糸通し」が得意な女子は「玉止め」が苦手だった。別の子に玉止めをやってもらう代わりに、糸通しを引き受けることがあった。

里崎さんは、共に学ぶ意義について子どもたちから学んだことが多いという。「女子は周囲の子たちとの関わり合いの中で、さまざまなことを学んでいった。特別支援学級で1日の大半を過ごし、たまに普通学級に来るような形だったら友だち関係を築けただろうか。いつも一緒にいたからこそ、女子もクラスメートも得られたことがたくさんあったと思う」

里崎さんは子どもたちの将来を見据えて、公立学校の在り方を説く。

「障害児もやがて大人になり、生まれ育った地域で暮らすことになるかもしれない。そのときに、旧友やその家族、住民らが支えになることがあると思う。地域の子どもたちが通う公立学校こそ、障害の有無に関わらず一緒に学ぶことを大事にすべきだ」

学校現場では障害や学力に応じて支援が必要な子の「ニーズ」に合わせた教育を重視し、まずは個別指導で力を引き上げるべきだとする考え方が根強い。だが、何かができる、できないという価値観で子どもたちを振り分けることが、子どもたちを傷つけていないか−。本山さんと里崎さんはあの事件を胸に刻み、自戒を込めて語る。

「子どもたちを障害の有無や学力によって『分ける』ことはむしろ、差別や排除のまなざしを植え付けることになる。相模原事件の容疑者のような人が出てくる土壌を、学校教育が今もなおつくり出してはいないか。支援の名の下に子どもたちが振り分けられる流れが強まる中、同じ教室で共に学ぶ意義についてあらためて考えることが必要だ」



日本の教育において、真のインクルーシブ教育が進むことを願っています。

15392890_637739196397724_8523459371868045850_o鞍手ゆたか福祉会では、「インクルーシブ」「人としての成長」「安定した暮らし」を大切にしています。(写真は12月9日法人職員研修会でのプレゼン)

kyf2 at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)インクルーシブ教育 | 日本の教育

2016年12月06日

世界と日本の「インクルーシブ教育」

ここ数年、大学視察でアメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国を訪問し、昨夏の学会で、イギリス、ニュージーランド、スコットランド、オマーンなどの人とお話をしました。

日本と諸外国で、常に温度差を感じるのは、「インクルージョン」への思い入れの強さです。

最も強烈にそれを感じたのは、カナダの「インクルージョンアルバータ」という非営利団体との意見交換でした。

「あなたたちは、知的障碍者の高等教育を、なぜ大学の外で行うのか・・・」と。

そこでの議論の焦点は、やっていることの中身よりも、どこでやっているのかでした。


日本でも最近よく聞かれるようになった「インクルージョン」。日本語に訳すと「包摂」。平たく言うと包み込むこと。


日本でも、国・文部科学省は「インクルーシブ教育システムの構築」を強調しています。しかし、国際標準の「インクルーシブ教育」という言葉と、日本における「インクルーシブ教育」という言葉の意味はまったく異なります。

国際標準のインクルーシブ教育の理念においては、分離主義的教育システムである「特別支援学校」の存在は正当化されません。

そこらへんの歴史的経緯やからくりが下記の本を読んでよくわかりました。
この本を読んで、私の中のモヤモヤした世界が一気に開けました。


「合理的配慮」とは何か?
清水 貞夫
クリエイツかもがわ
2016-10-26





先日、ある知的障碍者支援団体の役員の方とお話しする機会がありました。

その中で私は次のような話をしました。

「普通校は少子化で子どもがどんどん減って、学校の統廃合が進んでいます。一方、特別支援学校は飽和状態で、プレハブ校舎を増設してしのいだりしています。だったら、普通校の空き教室を1棟にまとめ、そこに特別支援学校がそのままポーンと移転したらいいのにね。そうして、障碍者と非障碍者が、可能な限り一緒に活動できるようにしたら障碍者に対する理解も広がるのにね。」

すると、「それ、私も同じことを考えていました。」と言われました。同じことを考えている人がいるんだと知って、とっても嬉しかったです。

相模原障碍者殺傷事件のような悲しい事件が二度と起こらないよう、日本も直ちに国際標準のインクルーシブ教育に舵を切るべきだと思います。






kyf2 at 10:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)本の紹介 | この国の福祉

2016年12月01日

4ヶ国の海外視察を経験しての私の思い

表紙
これまで視察した「アメリカ」「カナダ」「オーストラリア」「韓国」の知的障碍者を対象とした高等教育保障の現状について報告書をまとめました。(画像をクリックすると報告書が開きます。)

これまでの海外視察の集大成になっています。

よろしければ是非プリントアウトしてお読み下さい。


130ページにわたる報告書の最後に私は、今の率直な思いを「おわりに」に以下のように記載しました。政治や教育、福祉に携わる方々に是非ご理解いただければと願っています。


 2012年春、鞍手ゆたか福祉会が最初に開設した福祉型大学「カレッジ福岡」がスタートして4年8ヶ月が経過した。日本にはどこにもない知的障碍者のための大学を作り、知的障碍を持つ青年たちにも学びの機会を保障しよう。そんな思いでスタートしたこの事業も時を重ねる中で、通ってくる学生たちの日々の成長、輝き、笑顔は、彼らに関わる私たちに対し、とてつもない驚きと感動を与えてくれる。

 これは、日本の特別支援学校高等部を卒業する多くの人たちの進路先となっている福祉作業所とは明らかに異なる。最大の違いは、成長の度合いとスピードである。その差を歴然と感じたとき、福祉作業所の存在は、「罪」であるとさえ思えるようになった。人は誰しも学ぶ権利がある。社会は学びたい、成長したいという気持ちを持つ人に対し、その機会を提供する義務がある。そのような機会を保障されていない知的障碍者たちは、その権利を剥奪されていることに他ならない。

 私が青年期の学びを「贅沢」と考えるのではなく、当然の「権利」と考えるに至った背景には、私たちが視察してきた国々の実践の存在がある。障害者権利条約のもとで世界は、着実にかつあらゆる場面で「障碍者の権利保障」を進めている。それは大学においても例外ではない。

 とはいえ、この分野は、世界的にみても黎明期であり緒に就いたばかりである。したがって、知的障碍者の大学教育は、どの国のどの大学も現段階では試行錯誤の連続であり、確固としたシステムは完全には確立されていない。

 私たちは、それぞれの視察先で、私たちの実践について意見や感想を求めたいため、ゆたかカレッジの概要や実践内容についてのプレゼンテーションの機会をいただいている。私たちは、ゆたかカレッジのプレゼンに対して、各国関係者がお世辞ではなく本気で称賛してくれている機会を何度も体験した。とりわけ、支援教育プログラムの中で生活スキルの獲得を大切にしていること、スポーツ・文化芸術・行事・余暇活動など、学生たちの日々のQOL(生活の質)を高めるプログラムが豊富に用意されていること、生活技能科を開設し、障碍の重い人たちにも学びの機会を提供していることなどは、海外の視察先の大学ではほとんどみられない内容であり、驚きと共に「私たちもゆたかカレッジの実践から学びたい」という声が多くの人から聞かれている。そこには、ゆたかカレッジが、福祉の視点、すなわち当事者目線での必要性からスタートしたことが背景にあると考えられる。本来、教育もそのような立場にたってカリキュラムなどを構築していくべきであるが、実際には、様々な規制や自由度の狭さからそれが難しい現状があるのではないだろうか。だからこそ、純粋に、知的障碍学生にとって必要な学びとは何かを考えカリキュラムを構築しているゆたかカレッジにうらやましさや魅力を感じたのだと思う。

 私たち視察団は、海外視察を通してゆたかカレッジが向かっている方向や指向している価値は間違っていないという確信を持つことができた。

 それとともに、諸外国の大学関係者が知的障碍者の教育を受ける権利、彼らの成長の機会を提供する権利を保障することを、大学人として、自らの使命として真摯にかつ極めて重要なテーマとして受け止め、一歩ずつ着実に前進していることを知るにつけ、我が祖国日本を顧みたとき、このことに対して前向きに取り組んでいる大学が、現段階においては私の知る限りでは皆無であることが非常に残念でならない。

 日本の大学が、国民全体の教育ニーズに応える社会的責務があることを自覚し、知的障碍者に対し高等教育の門戸を開くべく努力をしていただきたいと切に願っている。

 また、国並びに文部科学省は、各大学のそのような取り組みを後押しする政策を積極的に進めていただきたい。そのことを通じて、日本が障碍者の権利保障の分野で、インクルーシブ教育の分野で、さらには大学の社会的役割の分野で、世界のリーダーとなり世界の牽引役となることを願っている。


 最後に、大変ご多忙の中、私たちの視察を快く受け入れて下さり、多くのことを学ぶ機会を提供して下さった視察先の大学関係者の皆様、また視察をコーディネートして下さった外務省、国会議員の皆様はじめたくさんの協力者の皆様、さらに海外視察研修は法人の予算からは支出できないため、趣旨に賛同して多額の寄付をしてくださった企業様、並びに海外研修のための助成金を採択して下さった公益財団法人木口福祉財団様に心より御礼申し上げます。

 皆様のご支援を胸に、今後も日本における知的障碍者の高等教育保障の前進、実現を目指して、当法人職員一丸となって頑張って参る所存ですので、今後も引き続き、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

     2016年11月20日

                        社会福祉法人鞍手ゆたか福祉会
                        海外知的障碍者高等教育研究班
                         代表  理事長 長谷川正人






kyf2 at 14:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)海外の大学 | 知的障碍者の高等教育保障