10月19日
普段よりやや遅い時間に起床。
支度を済ませ、宿を後にする。

少し歩いたところで、「西郷隆盛像」に到着。

西郷隆盛像1

西郷像。なぜここに建てられたのかは不明。城山にあった西郷像と大差ない気が・・・






なんと道路の向かい側にわざわざ「西郷像」を撮影するための場所が設けられている。
さすが西郷どんはちがいもすな。

その撮影用の場所のすぐ近くには「小松帯刀像」がある。

小松帯刀像

小松像。西郷像に比べたら小さい。






早くに亡くなってしまったため、西郷隆盛、大久保利通の影に隠れがちな印象の小松のため、像が建てられたのも、わりと最近だったようだ。
正直、俺も小松の名前は知っていても、やはり西郷、大久保に比べたら何も知らないに等しかったし。
そんな小松も来年の大河ドラマでは主役級なので、一躍有名になるだろう。
まあ、視聴率がどうなるかは知らんが。

西郷、小松像を見てから、次なる地に行くためバス停に行ったのだが、時刻表を見るとバスが来るまで30分以上あった。
バス停でぼーっとしていてもしょうがないので、「照国神社」に行く。
照国神社は島津斉彬を祀った神社。
それゆえ、西郷像以上に大きな島津斉彬像がある。

島津斉彬像

島津斉彬像。






境内をぶらついていると、時刻表に載っていた時間が近づいてきたので、バス停に戻る。
が、時間になってもバスが来ない。
別に渋滞している気配はなかったのだが。
結局、バスが来たのは時刻表から20分後。
あまりにも来ないので、観光予定を変更して、歩きで回れる場所に行こうと歩き出した途端にバスが来やがった。
慌ててバス停に戻る。
まったくこれだから田舎は嫌なんだ、と思ってしまうのは、俺の心の小さいことに加えて東京基準で考えてしまうためだろうか。
「カゴシマシティビュー」には気をつけよう。

どうにかこうにかバスに乗ることができたので、なんとか目的の「仙巌園」に到着。
仙巌園は薩摩藩主の別邸であり、幕末にはこの敷地の一部に「尚古集成館」を建て、反射炉を作るなど近代化に向けて各事業に取り組んだ場所でもある。

まずは庭園を回るコースへ。
さすがに藩主の別邸だけあって、広くて綺麗な庭園。
桜島がよく見える。

仙巌園庭園

庭園。これはごく一部。






桜島3

仙巌園から桜島を望む。






庭園をてくてく歩くだけでも時間がかかる。
本当はすべてを見て回りたかったのだが、時間が限られているため、泣く泣く裏山へ続く遊歩道コースをあきらめる。
その悲しみは、「猫神」様に手を合わせ、その近くにあった猫に関する商品を扱っている売店「猫屋」で招き猫を購入することで癒した。
なんでも猫神は、文禄・慶長の役の際、島津義弘が猫の瞳孔の開き具合で時間を推測するために連れて行った猫7匹のうち、生還した2匹を祀ったものらしい。
そのため、時期になると時計職人たちがお参りに来るとか。
ちなみに猫屋には「太陽電池で動くモダアンな招き猫」は置いてなかった。
残念なことだw

反射炉の跡地の大きさに驚いたり、薩摩切子の値段の高さに驚いたり、両棒餅(ぢゃんぼもちと読む。平たくした団子に短めの串を2本さしたもの。「両棒」は薩摩訛りで上級武士のこと。刀を2本差せるのは上級武士だけだったことを皮肉っているらしい)に舌鼓を打ったりしながら1時間くらいかけて庭園(と売店)を回ったあとに尚古集成館へ行き、これまた薩摩の歴史のお勉強。
薩摩は偉大でごわす!

の見学も終えたあとは、鹿児島市内に戻るためにバス停に行って時刻表を確認。
これまた30分くらい来ないので、付近をぶらぶらしようかと思って、バス停から離れようとしたら、これまたバスが来やがった。
なんなんだ、カゴシマシティビューは!
そんなに俺が嫌いなのか!!
「カゴシマシティビュー」には気をつけよう。

そんなカゴシマシティビューに乗って、再び天文館に舞い戻る。
白くま(簡単にいうとカキ氷)を食べ、一時休息したのち、再び観光へ。

まずは「示現流史料館」へ。
やはり薩摩といえば示現流。
似非体育会系サークル出身としては、せっかくなんだから行っておかずはなるまい。

示現流は東郷重位を流祖とし、江戸初期から続く剣術。
「二ノ太刀要らず」として一撃で相手を倒すことを念頭に置いていることは有名である。





東郷重位碑

示現流史料館は東郷重位が藩主から拝領した地にある。





示現流同乗

示現流史料館外観。






史料館の中は東郷重位の説明と示現流の江戸から現代までのおおまかな流れ、刀や鍔などが展示されている。

示現流の名は知っていても、詳しいことは知らなかったので、なかなか面白かった。
なかでも示現流の影響で刀の装飾は、鍔は自分の手を守るためのものではなく手が刃のほうに滑らないためのものなので小さめに作られている、柄の長さは全長の1/3と一般的な拵より長くなっている、目釘は刀を握ったときに掌側に来るようにできている、など実戦的な「薩摩拵」であるが、鍔には小さな穴が空けられている。
これは「示現流とは如何なるものか、と人に尋ねられた時、重位は次のように答えたそうです。
示現流とは、自分が大切にしている刀をよく研ぎ、よく刃を付けておき、針金で鞘止めをして、人に無礼を言わず、人に無礼をせず、礼儀正しくキッとして、一生、刀を抜かぬものである。」(示現流兵法所HPより引用)からだという。
これまで示現流=粗暴な剣術をイメージしていました、示現流をなめていてゴメンナサイ。

展示を見終えたあとは示現流の型の一部をビデオで観賞、道場を実際に見せてもらう。
武道の型ってのはあれだな、やっぱり何も知らない部外者が見てもよくわからんな。
J道なんて示現流より遥かにマイナーな武道は、よくわからないどころか滑稽だろうな。
ちなみに示現流の型も素面素籠手だが、寸止めでなく「軽く痣ができる」くらいの強さで相手を打つそうな。
これこそ武の修行、大学で自分のやっていたものは本当に似非、甘っちょろいね。
けれども、拙者は示現流の真実よりも某大学J道部のような甘っちょろい戯言のほうが好きでござるよw

示現流史料館で真の武に触れたあとは近くのザビエル公園内にザビエル来鹿記念碑があるということで行ってみる。
日本人が大好きな、あのフランシスコ・ザビエルだよ。
初期の通訳であるヤジロウと愛弟子ベルナルドの像もそばにある。
いやあ、本当にザビエルはすごいなあ。

ザビエル1

左からヤジロウ、ザビエル、ベルナルド。





ザビエル2

上の銅像の近くには、また別のザビエルの胸像があった。なぜ上の像のザビエルと顔が違うのか・・・





ザビエルは不滅だと知ったあとは、この日一番の目的を果たしに行く。
それは加治屋町巡り。
加治屋町は薩摩の下級武士が住む地区で、ここからは西郷隆盛、大久保利通はじめ、明治期に活躍した人間が多数輩出されている。
今では当時の面影なんて、全く残っていないが、せめて町割りだけでも歩いて確認したかったので、やってきたわけだ。

結果から言うと、本当に密集している。
歩けばすぐに「○○誕生の地」がある。
以下の地図を見てもらえれば、容易に理解できよう。



地図

市内にある地図。本当にそれぞれが近いのだが、全てを巡るのには時間がかかった。なぜなら俺は地図が読めないからさ。





西郷兄弟居宅跡

西郷隆盛、西郷従道兄弟の居宅跡。隆盛と従道で碑の大きさが全然違う。





大久保利通居宅跡

逆光で全然わからないけど、大久保利通居宅跡。横には小さく牧野伸顕(大久保の次男)の碑もある。








大久保利通誕生地

こちらは「大久保利通誕生の地」。厳密には加治屋町ではなくて、高麗町になる。







大久保利通像

大久保利通像。大久保の居宅跡から少し歩いたところにある。






これだけ名の通った人間が集中しているのは、加治屋町出身者が優秀だったことも多かったのだろうが、派閥というか陸海軍で上に行った人間が自分の出身地から出てきた若い人間を引き立てたこともあるだろう。
やはり派閥の力は大きいのだね。

あと、各人の碑を見ていて思ったのだが、意外と東郷平八郎の碑が小さかった。
大きさの順で行くと、西郷・大久保が一番、次いで大山巌、あとは同じくらいの大きさ、って感じだった。
「日露戦争の英雄」でも地元の評価は低いのかね。

加治屋町巡りを終えると、空も青からオレンジに変わりはじめ、帰りの時間が近づいてくることを知る。
鹿児島中央駅付近をぶらついて、土産を物色したのち、雨が降る東京に帰る。

機会があれば、また鹿児島に行きたいものだ。
もう少し行動範囲を広げて、吉野やら指宿やらに行って温泉に浸かりたい。
そのためには車の運転技術を上げんとな・・・
そして、携帯を鹿児島に忘れないようにしないと・・・


以下、おまけ。


鹿児島市電

鹿児島市内の道。市電が走っているのがいい。





火山灰置き場

火山灰置き場。やっぱり鹿児島じゃ火山灰は凄いんだな、と実感した。






甲突川と桜島

加治屋町巡りをしているときに見た甲突川と桜島。