きょうです。
本日は3月11日。そう、2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から一年がたちました。
多くの人が亡くなり、被災し、今もなお原発による影響は続いています。
犠牲者の規模としては1995年の阪神大震災をも上回る大災害になりました。

そして阪神大震災が家屋の倒壊・火災による死者が数多くを占めたのに比べ(即死も多かったようです)、東日本大震災は津波による死者がほとんどでした。

生と死をわけたのは、何だったのでしょうか。危機意識、という簡単な言葉に集約してしまうのには亡くなられた方々、親族のみなさまにとっては残酷であると思います。

人間は過去の災害や不幸な出来事から学習して、後世へ糧として活かしていくことができます。

阪神大震災以降からは、建造物に耐震性をさらに向上させた基準が適応されるようになりました。

東日本大震災からは、津波からの避難ルートの確保や堤防の見直しなどが今後の課題としてきっと生かされていくでしょう。

そして今回の大震災では「原発」という問題もあります。

原発については、「賛成派」と「反対派」と意見が二極化していた時期は過ぎたような気がします。

賛成派(容認派)は今回の被害をもはや無視することは出来ませんし、「原発は何かあったときは危険になることもある」という可能性を認めたうえで、意見を展開していく感じになっていますね。

反対派も、「福島から子どもを連れてすぐに出ていきましょう!」という意見を展開し、各所でデモを行うなどあまりに過激な行動は、いまだ福島にとどまり続ける被災者の方々の気持ちを逆なでし世論もついていかなくなっていることにそろそろ気づき始めていると思います。

僕の意見。

100%の安心、安全はありませんし、100%の備え、危機管理もありません。
交通事故にあわないためには究極的には外出しなければいいのですが、それでは社会生活が営めません。

世界はますます電力、エネルギーに依存し続けています。
僕がブログを書いているのもパソコンです。
電気が必要です。

「クラウド社会」にはエネルギーが必要なのです。

これから、電子教科書やiPadのような媒体はもっと広がり、おそらく10年以内には小学校のランドセルは無くなるか、デザインがコンパクト化されるでしょう。
忘れ物が多いADHDの子どもや、漢字の書けないLDの子どもにとっては非常に生きやすい社会になるのです。

原発は確かに危険です。しかし風力や水力や地熱や太陽光や、そのほかのエネルギー産生技術も、完全に安全なものなど存在しないのです。

大切なのは、国民が「正しい情報」を得て、正しい手段で意思決定をすることであると思います。
独裁的手段や情報の隠ぺい、様々な利権で、今後の原発処理やエネルギー産生手段の移行がなされてはならないのです。

ですから僕は原発賛成でも容認でも反対でもありません。
これからも情報をあつめ、何が正しいのか、何が信じれるのか、自分の頭で考え続けたいと思います。

来年の3月11日はどんな日になるのでしょう。今の問題が少しでも収束し、東北の復興がすすんでいることを願っています。

本日はこの辺で、ではまた!