きょうです。
本日もブログ更新です。
きょうクリを開院して、学園前時代からかれこれ13年以上経ちますが、来られる患者さんの層や、社会状況など、ずいぶん変化したように思います。
学園前で開院した時は、当時は少なかった児童精神科を標榜した民間クリニックだったので(というか奈良県では、病院併設などを除くと、はじめてだったと思います)、やはり児童思春期の患者さんはかなり多かったです。

で、その中でも不登校を主訴とする子どもたち、心配する保護者さんたちは多かった。

当時は、登校刺激は良くない、ということも知られていて、ただその一方、行き過ぎる「登校刺激禁忌」ってのも問題で、タイミングタイミングで刺激を入れていきましょう、というスタンスで診療もしていました。

で、現在の状況ですが、「不登校を問題とする」ということが、以前ほど無くなってきたように思います。

もちろん、不登校で悩んでいる子ども、保護者さんもおられますが、社会全体が、様々な考え方、つまり多様性を容認した結果、「不登校の問題視」というのが薄れてきているような気がします(あくまできょうクリいんちょう印象)。

そもそも、不登校自体は問題にするものでもなくて、安全弁的に働いているところもあります。いじめがあった時とかは、無理に学校に行かずに休む、しんどい時は休む、そういうことが保証されてしかるべきなのですから。

そして、不登校自体は、いつか無くなります。そう、学校というシステムが、期間限定的なものなので。

ただ、不登校に付随したいろんな問題、例えば自信喪失や、その他、家でゲームばかりして昼夜逆転、ひきこもりになってしまう、精神状態が不安定になってしまう、そういうことに対する対策は必要でしょう。

そのあたりは、表面に見えている「不登校」という現象に惑わされずに、客観的に冷静に、「何が問題なのか」「何について解決や対処していかないといけないのか」とみていかないといけません。

で、悩んでいる子どもや保護者さん、つまり当事者だけでは、そのあたりが冷静に考えることが出来ないので、そこで僕たち専門家の出番となるわけですね。

不登校臨床についてただひとつ言えるならば、学校にいくということを目標にしてはいけない、ということです。子どもがその子らしくいきいきと過ごせるようになるのならば、学校にいこうがいくまいがそれはどうでもいいことです。

学校に行けるようになるというのは目的ではなくて、いろいろやってみてふと気づいたら行けるようになっていた、という期待していなかった結果である、そういうことはありえます。

ただ最初からそれを言ってしまうと、みなさん期待してしまうので、僕は最初は「学校に行けるようになるというのは治療目標にはなりません」とキッパリ言い切るようにしていますが。

ともかく大切なのは、自分たちだけで悩まない、相談しましょう、ってことですね。不登校自体が問題視されることのない社会でも、悩んではいけない、ということではなくて、悩み自体を否定する必要はないのですから。

つらつらと書いてみました。
本日はこの辺で、ではまた!