2006年01月

2006年01月31日

■考えることの第一歩は、疑うこと。

e3f70a4a.jpg☆福寿草(ふくじゅそう)☆
花言葉「悲しき思い出・永久の幸福・回想・思い出・幸福を招く・祝福」
季節の花300より







以前、塾長に次のような質問をしました。


「『自分の頭で考える』とは、いったいどのような内容を意味するのでしょうか?

 例えば、先日、「学問とは何か?」というテーマについて、自分の頭のみを使って「学問をほかの言葉で言い換えると?」とか「学問の具体例は?」とか、ノートを使って考えていきました。

 しかし、今まで「学問とは何か?」について考えた経験がなく、生まれて初めて思考することだったので、すぐに行き詰ってしまいました。

 結局、出た結論は「学問の目的は、人生における問題を上手に解決していくことである。」という、ありきたりの浅い内容でした(笑)。

 単に、自分の頭のみで考えるのには、限界を感じてしまいます。

 よって、他人の意見や本の内容は、参考にしても良いのでしょうか?

 でも、それは、ある意味、人の出した『答え』を見ることになるので、自分で考えることにはならないのかもしれないと思いました。」


すると、塾長から次のような返答をもらいました。


「はい、他人の話を聞くことや、書籍を読むのも、大切なことです。

ただし、そのとき、重要なことは、『この人が言っていることは、本当にそうなのか?』と一度疑ってみることです。

 『疑うこと』が、考えるということの第一歩だと思います。」


塾長の言葉を聞いて、私はハッと気づくことがありました。。

自分が今まで、無意識で「他人の話や、本に書かれていることは、正しい答えである。」と思い込んでいたことが分かったのです。

これも、また自分が受けてきた暗記教育の弊害だと思いました。


小学校、中学校の算数では「1+1=2であり、正解は一つである。」といった教育を受けます。

だから、私の心のどこかに「問題の答えは、一つしかない。」という考え方があったため、本に書かれたことを読むのは、「一つしかない答えを知る」ということになると思ってしまったのです。

また、私が受けてきた世界史や日本史の授業は、歴史上起こった出来事の意味を考えるのではなく、「歴史上起こった事柄をそのまま暗記する。」といったものでした。

だから、「西暦794年に起きた出来事は何か? → 平安京が完成した。」という問題に対する解答が一つしかない教育だったのです。


そういうこともあって、私は、書籍の内容と同様に、テレビのニュースやインターネットでマスコミが報道することも、今までそのまま信じて、鵜呑みにしていました。

マスコミのニュースは、政治家や役人、そしてテレビ局や新聞社の都合の良いように、操作された情報であることに気づかなかったのです。

また、芸能人の言ってることや、テレビのニュースキャスターが話していることも、全部正しいことだと思っていました。(笑)

彼らが、必ずしも自分の価値観の基軸を持ち、さまざまな情報を把握した上で意見を言っているわけではない、ということを認識していなかったのです。

おそらく、ほとんどすべての芸能人やアナウンサーの意見は、単に国民の人気を得ることを意図した、場当たり的な意見に過ぎないのかもしれません。


特に、私の場合、学校の勉強を暗記ばかりで乗り越えてきたので、このような事態が起こったのだと思います。

よって、学校教育だけが悪いのではなく、自分で工夫して「考える勉強」をしてこなかった自分自身にも責任があると思い、思慮のなさを反省しました。


これからは、他人の話や書籍の内容は、唯一の答えではなく、「数ある考え方の一つに過ぎないのだ」と認識して読んでいこうと思いました。

また、「他の考え方もあるのでは?」とか「この本の意見には偏りがあるのでは?」と疑いを持ち、なるだけ異なる考え方や正反対の意見を書いた本も一緒に読んで行こうと思いました。


そのようにしていけば、人の話や書籍は、自分の頭で考えていく上でのすばらしい参考材料となり、考えに「広さ」と「深さ」を与えてくれると思いました。


ただ、よくよく考えてみると、私の何でも信じてしまう傾向は、受けた教育や勉強のやり方に原因があったというよりも、単に、私の世間知らずで馬鹿正直な性格に要因があったのかもしれません。(笑)



(BY 塾生)


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kyoeizyuku at 06:38|PermalinkComments(0)

2006年01月30日

■真の国際人とは?

ラナンキュラス☆ラナンキュラス☆
花言葉「光輝を放つ・名誉・名声・お祝い・移り気・晴れやかな魅力・忘恩・美しい人格」
季節の花300より







先週、衆知共栄塾で「国際化・国際人」というテーマについて学びました。


その際、今まで、自分が「国際人」という言葉の意味を、間違えて理解していたことに気づくことができました。


これまで私は、国際人=「英語を話せる人」だと思っていました。

しかし、そもそも言葉(英語)はコミュニケーションの道具に過ぎず、英会話は国際人になるための手段の一つに過ぎないということに気づいたのです。(><)



たとえば、いくら日本語を話せる外国人がいたとしても、その人が、日本における常識を知らず、畳の上に靴で上がったり、ご飯をスプーンで食べていたら、「日本をよく知っている」「日本人的である」ということにはならないと思います。(笑)

日本語は、日本人になるための手段に過ぎず、外国人の方が、真に日本人的になるには、私たちが日常生活で行っているような社会習慣を学ぶ必要があると思います。


つまり、日本人=「日本語を話せる人」ではないのと同様に、国際人=「世界の共通語である英語を話せる人」ではないと感じたのです。

国際人とは「英語を話せるだけでなく、世界における常識・習慣を理解しており、他国の人と上手にコミュニケーションがとれる人。」だと思いました。


そして、物事には何においても順番というものがあり、国際人になるまえには、まずれっきとした日本人であらなければならないとも思いました。


コミュニケーションで、私たちがまず最初にやることは「私は、これこれ、こういう者です。」という自己紹介であり、日本人の自分を海外の人に自己紹介するためには、日本のことをよく知っていなければならないと感じるからです。



となると私は、まだ日本人にさえなれておらず、国際人になるまでの道のりは程遠いようです。(笑)


私は、このブログを読んでいてもわかるように、まだ日本語さえ十分に使いこなせていません。


以前アメリカ人の方に「サムライって何ですか?」と聞かれて、「チョンマゲをして刀を持っている人」としか答えることができませんでした。(笑)

相手のアメリカ人は、「サムライは、日本の〜〜という文化を背景に生まれた。日本において〜〜という役割を果たしてきた。」というような返答を期待していたのだと思います。

拙い返答しか出来なかった自分を、大変恥ずかしく思いました。(・・;)



幸い塾長の田中先生は、国際線乗務員として世界中を飛び回ってきた国際感覚豊かな人です。

日本の文化にも、海外の文化・社会常識にも精通しており、田中先生は真の国際人だと思います。


共栄塾で学び、国際人に至るまでの階段を一歩一歩登っていけるよう、日々精進していこうと思います。



(BY 塾生)



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kyoeizyuku at 06:59|PermalinkComments(0)

2006年01月29日

■新しい価値観。

5b2e0d9c.jpg☆ろうばい☆
花言葉「慈愛心を持っている。」
季節の花300より








ライブドア事件のあと、ホリエモンはマスコミからさんざん叩かれていますが、私は彼の姿勢から多くのことを学ぶことができました。

旧体制・既成の秩序に立ち向かっていく姿は、明治維新を成し遂げた坂本竜馬、高杉晋作などの若者や、既成概念を打ち壊し天下統一の足場を築いた織田信長を彷彿とさせました。


彼の勇気と強い魂を見ていると、下降・混迷の局面にある日本社会をより良きものに変えていくには、誰かが勇気を持って立ち上がり、この状況を作った旧体制と戦っていかねばならないということを感じました。

常に「ソウテイナイ」という言葉でピンチを切り抜けていくぐらいの気概で。(笑)



国を代表する政治家、政府の役人の堕落、国家を守るべき警察の不祥事多発、厚生省が打ち出す稚拙な教育制度などを見ていると、この国の未来はいったいどうなるのだろうか、と不安に思います。


自分が甘い汁を吸うことしか考えていないような人間たちに、このまま国家のことを任せていれば、日本は国力を失い、これからの国際的な経済競争に負けてしまいそうです。

かつて繁栄したインドやトルコが、太平の世に浮かれて、それに満足しているうちに国際競争力を失い、没落していったように。


坂本竜馬や織田信長が行ったように、特に若い人間たちが立ち上がり、真の経済力、国力を持った日本を創造していかねばならないと思います。

ホリエモンのような新しい価値観を創造していく人間こそ、今の日本社会がもっとも必要としている人物ではないでしょうか?



彼の負の部分にばかり光を当てて、彼の全体を否定するのは良くないと思います。

マスコミが国民に幻想を抱かせるときに使う、毎度おなじみのテクニックですが。(笑)


彼がやってきたことの価値は大いに認め、そこから学ばなければいけないと思いました。



(BY 塾生)



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kyoeizyuku at 02:42|PermalinkComments(0)

2006年01月28日

■王道。

ノースポール☆ノースポール☆ 
花言葉「清潔、誠実」
季節の花300より





最近、マスコミを騒がしているライブドア事件を見て、私は一つの教訓を得ることができました。


目標の実現や成功にいたる道は、「王道」でいくべきだということです。


仕事・経営の王道は、普段の努力の積み重ねによる結果が社会に評価され、業績が伸びていくということだと思います。

その過程には、経営者としての様々な試練があり、人間として磨かれ、経営者の器が大きくなるに従い、会社も大きくなっていく。


これが経営の基本原則ではないでしょうか。


ライブドアは、僅か10年で、資本金600万円の会社から、なんと10万倍の時価総額7000億円へと膨張しました。

しかし、ホリエモンの人格・器が10年で10万倍になったとは思えません。


企業の使命は、社会貢献だと思います。


数千億円のお金があるなら、時価総額世界一などという目標を立てたり、テレビ局を買収しようとするよりも、もっと日本の社会に寄与することを理念に掲げて欲しいものです。

高齢者が生きがいをもって生きている施設を作るとか、自殺人口が急増している日本社会において、心の問題をケアするような事業をやってほしいと思います。


ホリエモンから、私たちの心を打つような、志あふれる言葉をもっと聞きたかったと思います。


自分が、人生や仕事における目標を達成していく場合、決して安易な手段に頼って、「こつこつ積み上げていく」という王道から外れてはいけないと思いました。

また、仕事における業績や技術を伸ばすことだけに専念するのではなく、並行して色んな人や本、体験から学び、人間としての広さや深さを作り上げていかねばならないと思いました。


常に謙虚な姿勢を保持し、「人間の勉強」を怠らずに続けていくことが大切だと思いました。



(BY 塾生)


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kyoeizyuku at 00:18|PermalinkComments(0)

2006年01月27日

■ロゴスとカオス。

梅☆梅☆
花言葉「高潔・忠義・澄んだ心・忠実・独立」
季節の花300より






人間の心は、ロゴス(≒理性)とカオス(≒感情)で成り立っているということを、以前共栄塾で学びました。


例えば、「1+1=2、3×3=9」というような論理的な思考はロゴス(≒理性)に分類され、「楽しい、嬉しい、ワクワクする」のような思い・気持ちは、カオス(≒感情)に分類されるそうです。


心の中心軸がどちらかに偏るのではなく、ロゴス(≒理性)とカオス(≒感情)のバランスが水平なシーソーのように、程良くつりあっている状態が望ましいということでした。


あまりロゴス(≒理性)に偏ると、頭脳明晰で賢いが、まるで機械やサイボーグのような、味気ない人間になってしまいます。

またカオスに傾き過ぎると、親しみやすさ・人間味は溢れてくるかもしませんが、自分のコンディションが自身の感情に左右されやすい、安定感のない人になってしまいます。


いま話題のホリエモンは、頭は切れるがあまり表に感情を出さない、どちらかというとロゴスよりの人間なのかもしれません。


最近、このロゴス(≒理性)とカオス(≒感情)を意識することで、自分の心に安定感が出てきた気がします。


「今、自分の思考は、カオスにあるのだろうか?ロゴスに傾いているのだろうか?」と、自分の内を客観的に観察していたところ、多くの場合カオスに偏っていることに気づいたのです。

つまり、思考が感情的になりやすく、例えば、ちょっと不安な出来事が起こると、「これは、やばい。どうしよう。」と狼狽しやすい性質がありました。(笑)


そこで、自分の心の中心軸を、もう少しロゴス(≒理性)側に持ってくることにしました。


現在、私は、来月の国家試験に向けて勉強しています。

勉強していてわからない問題に遭遇したり、出した答えが間違っていると、「これはやばい。果たして試験までに勉強は間に合うのだろうか?」というような焦りの気持ちが、いつものように出てきました。


そこで、まず「今、自分はカオスに傾いて、感情的になっている。」ということを客観的に認識してみました。


そして、自分の思考の軸を意識的にロゴス側に持っていき、理性で論理的に考えてみました。


「自分は、国家試験の問題集15冊を既に2周している。

 試験まであと23日ある。

 ということは、さらに1周はできて、暗記はかなり進むはずだ。

 また、受験者の9割が合格する試験だし、現在解けない問題はあるけど本番は6割5分が合格ラインなのだ。

 このまま行けば、きっとクリアーできるラインだ。」


ロジカルな思考を行うことで、自分の勉強の進度に問題がないことを理解することができ、不安が消え去りました。


「感情的になり冷静さを失いやすい」という自分の短所を少し克服することができ、嬉しく思いました。



(BY 塾生)


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kyoeizyuku at 01:12|PermalinkComments(0) ●塾生の声 

2006年01月26日

■生きた学問。 

杏☆杏(あんず)☆
花言葉「遠慮・気後れ・乙女のはにかみ・誘惑・慎み深い」
季節の花300より






先日、私は次のような素朴な疑問を抱きました。


「学問とは、正確にはどのようなことを意味するのだろうか?

自分たちは普段学問という言葉を何気なく使っているし、学校で習ってきたことも学問だろう。

この共栄塾で自分たちが取り組んでいるのも学問に違いない。

でも、本当に自分は小学校・中学校で学問をやってきたと言えるのだろうか?

また、今の自分は学問をしっかりとこなせているのだろうか?」


そこで、この疑問に対する答えを得るべく、何か参考になりそうな本でも読んでみようかと思いました。


すると、真っ先に頭に浮かんできたのが、一万円札でお馴染み福沢諭吉の「学問のススメ」でした。

「学問のススメ」と言うくらいだから、学問にまつわることについて色々書かれているに違いないと思いました。


そこで早速、現代語訳を購入して読んでみると、冷や汗をかきそうなくらい厳しい指摘にあふれていました(笑)。

まるで今の自分を、福沢諭吉先生が叱ってくれているようでした。


「生きた学問とは、知識と行動が一致していることである。

 つまり、教科書で得たことと日常生活の行動に矛盾がないことだ。

 大学で経済学を学んでいながら、自分自身の家計のやりくりもできない学生は多い。

 倫理学を学びながら、道徳を身に付けていない輩も多い。

 このような者は、学問を修めているとはいえない。

 高慢な理論を語ることや、見聞を広げることで、高尚になれるわけではないのだ。

 理論のみが立派でも、行動を伴わなければ最低である。」


私は今の自分を強く反省することができ、大変ありがたく感じました。

以前からそうでしたが、特に最近の自分は、共栄塾で学んだことをノートにまとめたり、ブログに書いたりするだけで、ほとんど実生活に生かしていない知識バカだったのです。

知識と行動が一致していない自分を大変恥ずかしく思いました。

この気づきを胸にしっかりと刻み、明日からは、学んだ知識をできる限り実生活において実行していこうと思います。


塾長の田中先生から以前頂いた、教訓としての言葉です。

「知っているかどうかではない。問題は、それを今日どう生かし、アナタの明日が楽で、ハッピーになるように実践しているかどうかである。」(by田中 天元)



(BY 塾生)


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kyoeizyuku at 00:14|PermalinkComments(1) ●塾生の声 

2006年01月25日

◆悔いのない人生の戦略と戦術

ノースポール☆ノースポール☆ 
花言葉「清潔、誠実」
季節の花300より







これを読まれているほとんどの方はあと30年〜60年くらい人生の
時間が残されていることと思います。  長い長い時間です。
しかし過ぎ去った時間は一瞬なんですね。

信長は本能寺の変で自害するとき「この世は夢か幻か」と辞世の句を
読んだと言われています。
私たちはこの世に使命を与えられて生まれてきています。
何十億人生まれようと自分にしかできないことがあり、それを果たす
べき使命があります。それが「大事」です。
生き急ぐことはありません。
しかしいったん人生の大事が見つかったらその大事に全力投球です。
この時、人の協力がとても大切です。
大なり小なり他人の協力無しで、成し遂げられるものは無いと言って
も過言ではないかもしれません。
他人とは奥さん、両親、子供を含め自分以外すべての人です。
繰り返しますが人生は過ぎてしまえば瞬きするよりも短い一瞬ですよ。

他人の協力を得やすい環境を作る方法と言う意味で、前回、紹介した
「忍法撒きビシ」であり「ありがとうは魔法の言葉」なんです。


(BY 塾長)




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kyoeizyuku at 01:01|PermalinkComments(0) ●塾長の話 

2006年01月24日

◆撒きビシの効用(その2)

黄梅☆黄梅☆
花言葉「恩恵・優美・期待」
季節の花300より







私の塾では、天地自然から宇宙の原理原則を学び、感性を磨くことで
こころを豊かにし、自立のための「価値観教育に根ざした人間学」
を塾生の方達と学び合い、実践しています。

さて、今日は以前紹介した「撒きビシの効用」の続編です。

撒きビシが実行しにくい最大の理由は、その魔術的効果を実感する
までにちょっとばかし、時間がかかることです。
それに、なんといっても最初は持ち出しです。
短絡的思考で見るとあほらしくなります。たいがいの人がここでやめて
しまいますので、広く世の中に広がりにくいのかなと思います。

だからこそやる価値があるのです!

ある日数や年月が経つと、だんだんと複利が付いて自分の手元に
さまざまなモノが集まり始めるのです。

それは良い評判だったり、モノや食べ物、またはお金、役に立つ人脈、
未来の危険を知らせる情報、仕事上の課題を解決する知恵や情報、
困ったときに差し伸べてくれる手助け、新しい友人・・・などなど。
とにかく運とかツキとかの類が集まってくるのです!

何より嬉しいのが、さらに撒きビシを撒き続ける事ができる環境です。

そして一番の宝物が自分を通じて、人が喜んでくれる満足感というか、
生活していく上での喜びです。 
これはお金にはかえがたいものです。

とかく自分さえ良ければいいという環境が周囲にあるかもしれません。
それはそれ。 自分の基軸をしっかり持ちマクロ的思考で見渡せば、
結果は一目瞭然です。

人はとにかく一生を生きねばなりません。
私の好きな坂村真民先生の詩の中の一節に、
「鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ」と言うのがあります。

同じ生きるのなら、「大勢の人と心を通わせながら生きていける」
と楽しいですよ!

私が塾生達と実践しているように・・・

           (By塾長)




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kyoeizyuku at 08:00|PermalinkComments(0)

2006年01月23日

◆忍法撒きビシ理論

寒椿☆寒椿☆
花言葉「謙譲・愛嬌」
季節の花300より






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昔の忍者が敵の追撃をかわす為地面に撒いていた道具を撒きビシと
言います。
若い人は知らないかと思います。
足の裏に刺さり敵の自由な歩行を制限する一種の武器です。

20世紀の武器はこの調子で相手の自由を奪い自分のテリトリーを
守る、つまり建設的ではない考えです。
21世紀にも武器はあります。 ただし建設的です。

名付けて「忍法撒きビシ理論 21世紀バージョン」です。
大げさですが中身は地味です。

1日を生きていくなかで普通の人はいずれにしろ人に会うでしょう。
この時自分のことのみで頭の中をいっぱいにせず、その瞬間だけ
でも相手のこと思いやるのです。
いやなやつは無視し六方美人程度で十分です。

この時にその思いを形に表すのが重要です。
こちらから挨拶をするとか、相手の話題に合わせるとか、聞き役に
まわるとか、自宅の庭で取れた野菜を少し上げるとか、もらい物の
ミカンなんかを少量ずつ「少しだけど食べてよ!」と沢山の人に
ばら撒くとか。 
この時、これはお返しをしなければと、相手に負担感を与えない
分量にするのがポイントなんです。

有形のものは例えばモノですが 無形のもは自分の態度です。
効果は同じです。
ほか弁を買いに入って「ここのはおいしいねー」と店のおばちゃん
と話すのもいいですね。 フレンドリーです。
人相手の仕事をするとわかりますがフレンドリーな人は感じがよく
何かあれば力になりたくなりますが、怖い顔して物も言わない人は
かかわりたくないのです。
大体すべての人が同じ印象を受けますので、このちょっとした態度
なんですが、その差は膨大なものになります。

20世紀までの撒きビシは人を寄せ付けない武器でしたが21世紀
の撒きビシは人の協力や笑顔を吸い寄せる武器になるのです。

他人の表情の上に笑顔の花を咲かせる。
これが人として生まれてきた、1つの使命ではないでしょうか?
どんどん撒きビシを撒きましょう。 
その魔術的効果にあなたは驚くはずです。



(BY 塾長)

kyoeizyuku at 00:32|PermalinkComments(0) ●塾長の話 

2006年01月21日

■成人式

14a5e65f.jpg
☆花麒麟(はなきりん)☆
花言葉「独立」
季節の花300より










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TVの「ニュース23」で、戦後最初の成人式を紹介していました。
終戦まもないころ、物もなく、自信を失っている新成人達にミカンを一個を配ったそうです。
きっと、心のこもった成人式だったのでしょう。

新潟県長岡市の成人式は、今は5月に行われていますが、昔は雪深い1月に行われていました。
会場へと向かうメインストリートの歩道も厚い雪で埋もれています。

成人式の前日、担当者は毎年徹夜して除雪をしたそうです。そして成人式の朝。
振りそで姿の新成人は、草履を履いて、アスファルトが出た歩道を歩いて会場に入りました。

二十歳の人に言いたいことはいろいろありますが、でも、大人の側がもう一度、成人式の意味を
考え直してもいいのではないでしょうか。
単なる形式ではなく、本当にすばらしい成人式を企画して、それでも妨害しようというのなら、
それこそその時には断固とした態度もよいでしょう。

主催者側はこれからの成人式をどうしようかと、みなさん考えているようです。
マスコミで紹介されるような奇抜なアイデアではなくても、演出を工夫したり、運営方法を
工夫して、効果を上げている市町村もあるようです。

成人式本来の意味を私たちみんなで考えたうえで、さまざまな工夫を凝らしたいと思います。
行政も、市民も、マスコミも、新成人も、皆で協力して大人になることを祝う。
うるさい新成人をどう静かにさせるかといった表面的で、同時に新成人をバカにしたような
見方ではなく。

kyoeizyuku at 07:22|PermalinkComments(0) ●塾長の話