October 24, 2005

珍問答@新座市議会

 以下は、今年(2005年)3月の新座市議会定例会での質議です。「ジェンダーフリー」について保守系議員から質問が出され、教育長と学校教育部長が答弁していますが、これが「珍問答」であることには、多弁を要しないと思います(下に見るように、質問は6項目ありますが、そのうち、「ジェンダーフリー」にかかわる部分を掲載しています。やりとりの全文は、「新座市議会会議録検索システム」で読むことができます)。

新座市議会 平成17年第1回定例会−03月15日-08号

◆6番(中田勇議員); 6番、中田勇でございます。私からの一般質問は、以下の6項目、すなわち1、教育問題、2、財政問題、3、環境問題、4、行政問題、5、行事問題、6、歴史問題にわたりお尋ねをさせていただきます。市長を初め答弁者各位におかれましては、どうか建設的かつ明快なお答えを賜りますようお願いいたします。
 では最初に、1の教育問題についてです。ジェンダーフリーに関しての質問をいたします。児童生徒の健全育成を図る上での教育のあり方について、その一面において男女の性差をいかに踏まえていくかが重要課題として問われます。
 まず、言葉の定義を明らかにしておきたいと思いますが、ここで言うジェンダーとは、文化的、社会的につくられる性、性別、性差のことを指し、男女の主として外性器の形態上の差などによるいわゆる生物学的性差をセックスというのと区別して用いられる用語であり、ジェンダーフリーは英語圏の教育分野で1980年代から使われている言葉であります。その意味するところは、ジェンダーは、男または女であるという性別の認知から、男女に割り当てられる役割、期待や象徴的位置づけなどを含む幅広い概念であり、文化的、社会的に割り当てられた性別概念や役割、分業観は普遍的なものではなく、ある文化や社会によってつくられるものであるから、それは変革し得るものであるとの認識に立ち、ジェンダーの差異に権力格差を伴う非対称、いわゆるアンバランスな差異があるととらえ、単に男または女という二分法では処理できなかった人間の課題や階級、その他種々の差別との関連問題を改善し、フリーにしていこうとする運動にあります。以上のことを踏まえ、質問をします。


 1としまして、性差別の解消を目指すジェンダーフリーの考え方は、本来男女共同参画社会を築く上での基本的な考え方の一つとされています。我が国では、1990年6月に成立、施行した男女共同参画社会基本法は、男女共同参画社会の実現を21世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置づけ、都道府県に男女共同参画計画の策定を義務づけており、市町村の策定は努力規定となっています。これにより、多くの自治体で計画がつくられ、条例も制定されてきており、男女平等政策を推進する法的な条件が整備されてきています。
 この男女共同参画社会基本法に基づいて、2000年12月には男女共同参画基本計画が策定されました。この基本計画には、多項目の重点目標が掲げられていますが、その一つとして、教育に関しては男女共同参画を推進し、多様な選択を可能にする教育、学習の充実ということが示されています。ここに男女共同参画、以下の言葉の意味は、男女の対等な協働のもと、一人一人の人間がそれぞれ特性と能力を十分に発揮し、多様で充実した生涯を送ることのできることを可能にするための教育、学習を指すと考えますが、これがジェンダーフリーの思想と矛盾しないように望むところであります。
 例えば日本の歴史を振り返ってみても、身近な生活の営みの中で、夫婦ではお互いにいたわり合い、苦楽をともにしながら支え合い、貧しくともつらい暮らしを乗り越えてきました。このようなあり方は、ごく自然に続けられてきました。これら男女夫婦間の情愛のあらわれとして、ごく普通に伝統的な日本の文化を形づくってきたものと思います。
 少し年配の方にはご記憶があるかと思いますが、大衆芸能でこういうことがありました。妻は夫をいたわりつというやつです。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ」という詞がありました。「芦原の瑞穂の国は女ならでは夜も明けぬ国」と、こういう昔の言葉もありました。「おまえ100まで、わしゃ99まで、ともに白髪の生えるまで」、このような男女の機微を相互に相手を立てながら、理屈を超え、素直な大切なものとして、この世にあっても、時代を超えて必要な、大切な心情ではないでしょうか。
 以上のことを踏まえまして、本市の学校教育現場における男女共同参画及びジェンダーフリーのとらえ方、解釈はどのようなものであるかをお尋ねいたします。
 1で述べたところの重点目標、男女共同参画を推進し、多様な選択を可能にする教育、学習の充実に対し、ジェンダー問題とのかかわりを踏まえた具体的な教育方針の有無とその対応策について、市として各学校にどのように指導しているか、お尋ねいたします。
 三つ目です。ジェンダーフリーの実現の一環として、学校によって男女の区分を単純否定する立場から、例えば小学校のランドセルの色の赤、黒の男女区分や、男の子らしさや、または女の子らしさをアピールするかのような服装を禁止したり、あるいはひな人形や五月人形、こいのぼりの風習を批判し、また体育授業での体育着の着がえや合宿時の就寝をそれぞれ男女同室にさせるようなケース、果ては小学校低学年から過度の性教育から始まり、男女間の性交渉や裸体を自由におおらかに認めるばかりのように進む教育が少なからず行われていると聞きます。これらは、明らかに本来のジェンダーフリーの理念からの逸脱であり、児童生徒それぞれの生まれながらの自然の特性や生命にかかわる尊厳等を無視した暴挙であって、そのような誤った教育によって影響を受ける児童生徒の将来とその社会には、あるべき秩序の破壊や混乱が予想され、深い危惧の念を抱かざるを得ません。
 男女の自然の性差から来る個人的特性や役割等、男女の社会的立場における権利義務、個人の尊厳等の対等を前提とする協働理念とを曲解し、まぜこぜにし、極論すれば男も女もないとするような、また多様な選択を否定するばかりの係る有害、無益かつ危険な教育は断じてあってはなりません。このため、本市における教育現場の実際として、ジェンダーとのかかわりにおいて、そのような過度の偏重教育がなされているかどうか、適正、妥当なものであるかどうか、改善点の有無等を含めてお尋ねいたします。
 四つ目としまして、ジェンダーフリーの思想あるいは男女共同参画を推進し、多様な選択を可能にする教育、学習の充実について、これを適正に推進するために教員間または学校と家庭間において協議や協定あるいは話し合い、暗黙の了解等の有無等についてお尋ねいたします。
 この問題は、細かく各学校によって、また教員個々人、各家庭によって考えが異なるところであるかと思いますが、各学校のまとまりとして全体的におよそどのような状況にあるか、相互の意思疎通の上に問題なく運営されているか否かをご報告いただければと思います。

(以下略)


○議長(三村邦夫議員);市長。
   〔市長(須田健治)登壇〕
◎市長(須田健治);それでは、中田議員のご質問に順次ご答弁を申し上げます。
 教育問題につきましては、教育長の方からお答えを申し上げます。
(中略)

○議長(三村邦夫議員);教育長。
◎教育長(臼倉正堯);教育問題についてお答えをいたします。
 男女共同参画社会と、それからジェンダーフリーのご質問であります。男女共同参画ということとジェンダーとの考え方はどうなのかというご質問を中心に具体的内容についてということでございますが、男女共同参画社会につきましては一般的に男性、女性それぞれの特性をよい点を認め合って、お互い理解し合って、助け合って、一緒になっていい社会を築いていく、おおよそそんなような考えで男女共同参画社会というのは成り立っているというふうに思っております。
 一方、ジェンダーにつきましては、全く定説というか、概念規定がありません。考えも使う人によってさまざまな使い方がありまして、それで県の方の教育委員会もこの言葉は一切使っておりませんし、議会でも県の教育長が、このジェンダーという言葉はいろいろな使い方があるので、教育界では使わないということで、はっきり答弁を議会でいたしております。そういうのを踏まえながら、市の教育委員会も一切このジェンダーという言葉は学校教育に入っておりません。したがいまして、男女共同参画社会についての教育とか、あるいは男女平等教育、そういうことについては推進をいたしておりますが、ジェンダーフリーという言葉については一切使われておりませんし、そういうことを考えてもおりません。そういうことでご理解いただきたいと思います。

○議長(三村邦夫議員);学校教育部長。

◎学校教育部長(金子広志);性教育についてのご質問がございましたので、お答えを申し上げます。
 性教育は、人間尊重、男女平等の精神に基づきまして、人格の発達を目指して行われる指導でございます。決して生理学的な部分、つまり性器の指導や性交の指導で終始するものではございません。最近の新聞の報道にありますとおり、行き過ぎた性教育が報道されておるわけですけれども、私どもといたしましても県の示す性教育の手引を参考といたしまして、学校としての指導計画を立て、発達の段階に即した指導を実施しているところです。中田議員ご指摘のありました行き過ぎた性教育、発達段階を無視した性の教育が行われることがないように、校長会議、教頭会議等を通じ、教育委員会として指導しておるところです。
 しかしながら、児童生徒の性の意識、性感情の形成や性行動の低年齢化、社会における性情報のはんらん等課題も多様化しておるところです。また、携帯電話等を使いました出会い系サイトもかなり児童生徒に浸透している現状もございます。教育委員会といたしましても、児童生徒の実態を的確に把握しつつ、社会の変化に対応しながら、性の教育が適切な計画のもとで効果的に実施されますよう、指導助言を今後とも行ってまいりたいと思います。

○議長(三村邦夫議員);6番、中田勇議員。

◆6番(中田勇議員);どうもご答弁ありがとうございます。
 余りにも多いものですから、必要以上に聞いたりはしませんけれども、まず1件目のジェンダーフリー、実は国の方でもジェンダーフリーという言葉は使わないということで統一をしているようです。したがいまして、教育長がおっしゃるとおり、これはどうしても誤解を招きやすいところがありますので、まさに私はそれでよろしいかなと思いますが、ただ私が一番心配しているのは、やっぱり何でも物にはバランスというのがありますから、男の女の人というのは我々生き物、特に私たち日本の文化はそういう女らしさ、男らしさというものがあってこそ初めてここまで築き上げてきた歴史というものがあるものですから、できることならば、違いがあるからこそそれぞれの個性、気になる男の女の情愛なんてものが生まれてくるのだろうと思いますので、ぜひともこの辺を注意しながら、男女共同参画のことにつきましては進めていってもらいたいと思います。
 また、教育の現場では、この新聞はこれは一部の例だと思うのですけれども、いろいろ調べてみますと、結構すごく過激なことをやっているということで、こういうところでこれは国会議員があそこで取り上げたからもういいですか。これは、ついこの前新聞に載っていたのですけれども、大田区の区立中学校のということですが、読まなくていい、読まれると困る……
   〔「読みなさいよ、はっきりと。もっとでっかい声で言いなよ」と言う人あり〕

◆6番(中田勇議員);では、言えというから言いますけれども、「東京都大田区の区立中学校の男性教師が、性交時の受精に必要な男性器の長さを問う問題をテストで出題したほか、女子生徒に何歳で性交するかと思うかなどのアンケートを実施したことが4日わかった。過激な性教育が指導されているなど性教育の適正化を進めている東京都教育委員会は、不適切な行為で残念だ」と、こう言っています。要するに我々では考えられないようなことを、例えば現場で先生が、先生は恐らく熱心さ余ってこういった問題を、私は悪く考えたくないのです。こういった問題そのものは意外と個人に任されているもので、先生自身も、私らの常識ではこんなことをどうしてやるのかなと思うのですけれども、こんなことまでやられているような教育の現場なのかなと思うと、やはりジェンダーフリーというのは使わないということになっていますけれども、そういったところでこういった誤解を生じさせてしまうような結果を生んでいるのではないかということなのです。
 実は性というものは、これは人間を形成する上で一番大事なことと同時に、精神性も人間の人格もこういったときに一番つくられるわけですから、この辺はしっかりときちんと注意深く扱ってもらいたいなと思います。
 この問題は言わずもがなで、余り余計なことを言うこともありません。また、余りセンセーショナルに取り上げるものではないかもしれませんけれども、ただ男らしさ、女らしさということはとても大事なことであります、言葉遣いも含めて。私は、市長がいつも言葉が悪くてわからないと、地元の言葉でおれでないと通訳しないわからないなんてよく私の言葉の悪さを言いますけれども、そういう悪さではなくて、今女の人が男の言葉を平気で使っています。したがいまして、昨今新聞を毎日にぎわすああいった傷害事件、娘が刺し殺されるなんて事件が毎日毎日新聞に載るようなこと、こういう言葉遣い、あるいは男の女の人の生活をする中で機微のあるお互いを尊重し合うことそのもの、行動、言葉遣い、生活のあり方が、こんなところに出てきているのかなというふうに感じるわけです。
 したがいまして、原点はこんなことに起因する問題であるのではないかと思いますので、ぜひとも男女共同参画のことに対しましての点につきましては、それはそれとして権利は大いに結構ですから、男と女のよさをもっと、区別は差別だなんて言われていますけれども、そうではなくて、区別化していくことが大事なのではないかなと思います。要望であります。


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