2017年09月20日
罪悪感にかられました
「あまり関わってあげられないって、罪悪感を感じるんです」
「私が選ばれていいのかなって、罪悪感を感じるんです」
罪悪感。
何回か耳にする言葉だ。
聞くたび「ふーん」と思っていた。
しかし、今、まさに、
私はこの「罪悪感」にかられているのである。
いや、いた。
昨日から二泊三日で旅行をしている。
旅先は下呂温泉だ。
で、その何が罪悪感?
連休あけの平日三日間に旅行だなんて。
この裏側にあるのは、
世間では働いているのに、
私は休んでいる。申し訳ない。
先月も旅行したのに、また旅行だなんて。
旅行に行きすぎじゃない?
それでどんな気持ちになるかというと、
後ろめたい。
実際、昨日、お客様からお電話をいただいた。
ばつが悪かった。
罪悪感という言葉を調べてみた。
次のようにのっていた。
過去の行動について、他者や自分に対し申し訳なく感じること
何か悪いことをしてしまったと感じた時に
自分を罰する必要があると感じることにより芽生える感情
なるほどねぇ。
「自分を罰する必要があると感じる」のであれば、
苦しいし、心の底から楽しめない。
面白いので、続けて探求してみることにした。
罪悪感を感じることで、
手に入れていることがあるとしたら、何?
物事には、メリット、デメリットの両面がある。
メリットがあるとしたら・・・?
罪の意識を持つことで、得られるメリット・・・?
罪をつぐなう自分に酔う・・・とか?
罪をつぐなっている自分を感じた時に、
自分を肯定できるようになるとか・・・?
なんだか、ブラック・・・・。
そもそも、なんで旅行に行くことにしたの?
私が行きたい、というよりも、
夫のリクエストだ。
それにyesといったのは、私だ。
家族が「したい」という気持ちを、
思う存分叶えてあげたい、と思ったからだ。
なるほどね。
「叶えて“あげたい”」か。
“あげる”という言葉を使っているということは、
本当はあまり気乗りしないけど、
やってあげてもいいよ、というのがある?
上から目線?
で、どうしたいの?
堂々と楽しもう!
罪悪感を感じてもいい。
でも、ずーっと抱えていてもろくなことがない。
罪悪感が晴れるのは、その罪を償っているとき。
ということは、今、それができるわけがない。
旅行中なのだから。
それに、罪をつぐなう自分を感じて、
罪悪感をはらしているとするならば、
なんだか、へんだぞ。おかしいぞ。こっけいだぞ。
ということで、
あと二日間、存分に楽しむことにした!
当たり前だ。そんなの。
旅行に来ていて、
心は今ここにいないなんて、
それこそ時間を霞にしているようなもの。
ばからしい!
自分を材料にして、ここまで書いたけど、
あなたも罪悪感にかられる時はないだろうか?
感じること自体、悪いことじゃない。
人として至極最もなこと。
ただ、罪悪感を感じた時こそ、
自分は、今、ここで、何がしたいのか。
そもそもの目的のために何をするのがベストなのか。
そういうことをもう一度、自分に問いてみよう。
それができる貴重な価値ある場面だ。
罪悪感という感情に、
どっぷり浸りすぎることのないよう。
「私が選ばれていいのかなって、罪悪感を感じるんです」
罪悪感。
何回か耳にする言葉だ。
聞くたび「ふーん」と思っていた。
しかし、今、まさに、
私はこの「罪悪感」にかられているのである。
いや、いた。
昨日から二泊三日で旅行をしている。
旅先は下呂温泉だ。
で、その何が罪悪感?
連休あけの平日三日間に旅行だなんて。
この裏側にあるのは、
世間では働いているのに、
私は休んでいる。申し訳ない。
先月も旅行したのに、また旅行だなんて。
旅行に行きすぎじゃない?
それでどんな気持ちになるかというと、
後ろめたい。
実際、昨日、お客様からお電話をいただいた。
ばつが悪かった。
罪悪感という言葉を調べてみた。
次のようにのっていた。
過去の行動について、他者や自分に対し申し訳なく感じること
何か悪いことをしてしまったと感じた時に
自分を罰する必要があると感じることにより芽生える感情
なるほどねぇ。
「自分を罰する必要があると感じる」のであれば、
苦しいし、心の底から楽しめない。
面白いので、続けて探求してみることにした。
罪悪感を感じることで、
手に入れていることがあるとしたら、何?
物事には、メリット、デメリットの両面がある。
メリットがあるとしたら・・・?
罪の意識を持つことで、得られるメリット・・・?
罪をつぐなう自分に酔う・・・とか?
罪をつぐなっている自分を感じた時に、
自分を肯定できるようになるとか・・・?
なんだか、ブラック・・・・。
そもそも、なんで旅行に行くことにしたの?
私が行きたい、というよりも、
夫のリクエストだ。
それにyesといったのは、私だ。
家族が「したい」という気持ちを、
思う存分叶えてあげたい、と思ったからだ。
なるほどね。
「叶えて“あげたい”」か。
“あげる”という言葉を使っているということは、
本当はあまり気乗りしないけど、
やってあげてもいいよ、というのがある?
上から目線?
で、どうしたいの?
堂々と楽しもう!
罪悪感を感じてもいい。
でも、ずーっと抱えていてもろくなことがない。
罪悪感が晴れるのは、その罪を償っているとき。
ということは、今、それができるわけがない。
旅行中なのだから。
それに、罪をつぐなう自分を感じて、
罪悪感をはらしているとするならば、
なんだか、へんだぞ。おかしいぞ。こっけいだぞ。
ということで、
あと二日間、存分に楽しむことにした!
当たり前だ。そんなの。
旅行に来ていて、
心は今ここにいないなんて、
それこそ時間を霞にしているようなもの。
ばからしい!
自分を材料にして、ここまで書いたけど、
あなたも罪悪感にかられる時はないだろうか?
感じること自体、悪いことじゃない。
人として至極最もなこと。
ただ、罪悪感を感じた時こそ、
自分は、今、ここで、何がしたいのか。
そもそもの目的のために何をするのがベストなのか。
そういうことをもう一度、自分に問いてみよう。
それができる貴重な価値ある場面だ。
罪悪感という感情に、
どっぷり浸りすぎることのないよう。
kyoko_i at 07:07│Comments(0)│