Sun&Moon

最も個人的であり、限りなく普遍的なこと
--誰でも心の一番奥ではつながっている

2008年05月

これからの私たちに必要なのは、
「自制心」というダムを決壊させる勇気。
このダムをどんなに維持しようと努力しても、
決壊の危険はますます高まるばかり。
だから、自分を信頼し、覚悟を決めて、
決壊するに任せるしかない。

そこには、単なる洪水以上の、
思いがけない(素晴らしい)結果が待っている。

「父親が大嫌いなんですよ。殺してやりたいくらい」

この言葉を見て、
私の彼がかつて私に言った言葉を思い出してしまった。
「僕は中学生の頃、父親を殺そうと思ったことがある。」
だから、私はこの事件がとても他人事とは思えない。

最近しばらく夢に出てこなかったのだが、
今久しぶりにとてもリアルな櫻井さんの夢を見たので、
覚えているうちに詳しく書いておこう。

櫻井さんが1000円のストリートライブをやると言うので、
見に行った。
1曲目は後ろの方で見ていたが、
その後、前にいた人がなぜかたくさんいなくなったので、
2曲目のときにゆみこさんを連れて前の方へ。
ところが彼は2曲目を歌い終えると、
何か他の約束がある、と言っていなくなってしまう。
さてはゆみこさんを見て、恐れをなしたか?

そのあと、私は4階くらいのビルの上にいて、
誰かに取り囲まれている。
(正体を問いただしたが、今はだれだか覚えていない)
私はそのビルの上から難なく飛び降りる。そして、
「このくらいの高さから飛び降りるのはもうなんでもなくなった」
と言う。

道ばたのベンチ(イス4つ、1つは長いす)に、
櫻井さんが誰か(男)といた。
私はもう一人の仲間(だれだか忘れた)と一緒に、
そこに座って彼と話し始める。
そこへゆみこさんが来たので、私はイスに彼女を座らせて、
長いすに寝そべっているもう一人の仲間に、
「ちょっと、座らせてよ。」と言っている。

櫻井さんとたくさん話したが、何を話したかよく覚えていない。
彼はいきなりデジカメを取りだして、
私のデジカメとドッキングさせた。
「○○○○(今回のライブで彼が撮った画像)をあげる。」
ゆみこさんはそれを見て、勝手に、
彼のカメラと自分のカメラをドッキングさせようとしていた。
その後彼は立ち去ったが、
私は彼にいいようのない親しみを感じ、
追いかけていって抱き締めた。

それからどういうわけか彼と私が急速に接近して、
彼が私に夢中になってしまった。
彼に抱き締められると、
その切ない思いがひしひしと伝わってきた。

それを見てちょっと不満そうにしているゆみこさんに、
私はこう言う。

「私にとっても、彼はとても縁が深い人なのよ。
 あなたはあんまり喋らないけど、
 私は気楽だからよく喋るので、彼が惹かれたんでしょう。
 でももうすぐ私は彼を完全に切る。
 私に会いたいと言って泣き叫ぶ彼を、
 決して放さず抱き締めるのがあなたの役目。
 私のことを冷たいとか非情だとか言わないで。
 傷つき、嘆く彼をなぐさめることも出来ずに、
 冷たく見守らなければならない私のつらさもわかって。
 彼を切ったら、私は二度と彼に会えないのよ。」 

この夢の最後は、またとても奇妙なシーンだった。
リビングの壁から手が伸びて、包丁を床に突き刺している。
まちがいなく妖怪だ。
私がその妖怪に向かって、二度と姿を現すな!と言ったら消えた。
ところが、その後で壁の裏側を見たら、
ミイラのように包帯をぐるぐるまきにした母がいた!
「こんなところで何してるの!?」

(ここで目が覚める。)

…だといくら言っても、今まではほとんど理解されなかったが、
これからは、自分を守れば守るほど、危険な目に遭う人が増える。
そして最後には、だれもが無防備になるしかないのです。

けさの夢はこんな感じ。

私の知人が何人か不治の病である感染症にかかっている。
私はその人たちの所に行って、手を握ったりしている。
自分が感染する危険から逃げずに行動できているな、
と思いました。

今日の私は、発想がちょっと保身モードにはいっている。
気づいたらすぐやめるようにはしているが…

相手に完全拒否されているときって、
どうせ受け入れられないと思っているせいか、
結構捨て身でぶつかったりするのって、楽なのよね。
それが、相手の態度が軟化してきて、
ひょっとしたら自分の望みが叶いそうな感じになってくると、
逆にこちらがびびってしまうことがある。

今の私はそんな感じなのかな?
同志の皆さんも、気を付けましょう。
最後の最後で私たちが逃げ出してしまって、
すべてを台無しにしないように。

控えめなのは美徳ではなく、強欲である。

自分が本当に欲しいもの、本来自分のもの
(自分の本当の相手、自分の本当の居場所、自分の本当の仕事…)
を得た者は、心の底から幸せになれるはずである。

けれども、それであまりにも幸せになりすぎるのが怖くて、
「高望みはせずに、この程度で我慢します。」とか、
「そこそこの幸せがあればいいんです。」とか言って、
控えめなふりをして自分のものを放り出し、
他のもので代用(妥協)してしまうとどうなるか。

それは、他のもの=本来自分のものでないものを、
欲張って、他人から横取りすることに他ならない。
そして、それによって自分のものを奪われた人々を
不幸にすることである。

さらに、本来自分のもの
(自分の本当の相手や自分の本当の居場所)
を放り出したことにより、それを奪い合う人々を作り出し、
彼らをもまた不幸にしている。

(どんなに素晴らしいものであろうと、それが本来の持ち主の所にあるならば、だれも文句は付けられないし、奪い取ろうという気にさえならないものだ。)

要するに、
妥協せずに、本当に欲しいものを得て、
100%幸せにならなければ、
間違いなく他の多くの人々を不幸にしているってことよ。

真実は、ときにとてつもなく荒唐無稽だったりするのです。
それゆえ、真実を語ると、あきれられたり、
現実はそんなに甘くない、とか、
怠惰だとか、無責任だとか、とか言われたりします。
「物事がそんなに簡単に解決してよいわけがない。
 何事も、地道な努力こそが大切なんだから。」

でも実は、どんなに地道な努力を重ねても、
ますます山積する問題は一向に解決しないのです。
(地道な努力が必要だと思う人たちは、「問題は簡単には解決しない」と信じ込んでいるのだから、それは当然の成り行きです。)

人間は結局、荒唐無稽な真実を受け入れるしかありません。
「あらゆる問題は一瞬にして解決する。」
(すると、問題が瞬時に解決するのは言うまでもありません。)

どんな人でも情報を発信できる時代になった。
ちまたには、本当か嘘かわからないあらゆる情報が溢れている。

この状況を憂慮して、もっと精選してまともな情報だけを
流すべきだ、と思う人もいるかもしれないが、
情報が過多になるのはすぱらしいことである!
なぜなら、

情報が多すぎて、真偽のほどが確かめられない。
    ↓
わけがわからなくなる。
    ↓
結局、自分の感性を信頼するしかなくなる。

から。
要するに、正しい方向に向かっているということです。

何が本当は正しいのか、みんな実は知っているのです。
だから、本当に正しい情報に接したとき、
あなたの感性は必ず反応します=ワクワクする、腑に落ちる。

自分の感性を信頼してください。

自分がどう行動すべきかを知るために、
注意を自分の外側に向けて、情報の収集を始めたらきりがない。
いくらたくさんの情報を集めたところで、
それが常に正しい情報であるとは限らないし、
さらに、漏れている情報はいくらでもあるからである。
つまり、不完全な情報に基づいて判断を下すしかなくなるのだ。

ゆえに私は、注意を自分の内側に向けて、
自分の感性をとことん信頼せよと言う。
自分は心の奥底ですべての存在と繋がっているのだから、
もしも自分が本当にすべきことがあるなら、
心の底から「したい」という気持ちが湧いてくるはずだ。
要するに、心から本当にしたいと思うことをしていればいい。
それこそが、社会において最も必要とされている行動なのだ。

しかし、ときに自分の感性は、相手の意向に反することもある。
たとえば、相手は「来るな」という。
でも、自分はどうしても行きたい。
そんなときは、相手の意向を尊重すべきか、
それとも、自分の感性を信頼すべきか。
きっと、相手の意志に反することをしてもいいものだろうか、と
迷うに違いない。

私は、それでもなお、自分の感性を信頼せよ、と言う。
信頼する=100%なのだよ。
条件を付けて信頼するというのは、信頼することにならない。

これはまさに、今のミャンマーの状況そのものだ。
軍事政権は、外国の援助隊に「来るな」と言う。
外国の援助隊は被災した人々を助けに行きたい。
彼らが行きたいのは、被災した人々のSOSを察知したからである。
軍事政権は来るなと言っても国民は来てくれと叫んでいる。
さて、どうする?

あなたが「来るな」と言われても、どうしても行きたくなるのは、
相手の「助けて」という心の叫びが聞こえるからなのだよ。
だから、もっと自分を信頼しなさい。

※ただし、この行動は、自分を守っていてはできません。
 捨て身になる覚悟が必要です。

ブログネタ
本当の相手 に参加中!
って、けっこういるもんなんですよ。

本当の相手は、自分にとって一番大切な人のはずに、
なんでそんなにひどい仕打ちができるんだ!と
思う人も多いかもしれないけれど、
その心理は実に単純です。

本当の相手は、自分にとって一番大切なだからこそ、
もしも自分が心を開いたのに相手に捨てられたりしたら、
それこそ致命的に傷ついてしまいます。
だから臆病な人たちは(特に男性)、
何があっても相手が離れないでいてくれると確信できなければ、
怖くて心を開くことが出来ません。

だから、それが確かめたくて、
思わずひどいことをたくさんしてしまうんです。
それでも相手が自分を見捨てないでいてくれたら、
そのときようやく安心して心を開くことができる、
というわけです。

本当の相手というのは、なぜか、
どんなにひどいことをされても許せてしまう存在なんですよ。

ひょっとしたら、
人間にとって一番難しい「許す」という課題を学ぶために、
「本当の相手」がいるのかもしれませんね。

ブログネタ
幸せだなあと思うときはどんなとき? に参加中!
私が、私の一番大切な人を本当に幸せにしていると感じられた瞬間。

苗木を植えそこなう…夢のメモ  2008年05月15日14:49
今朝の夢は、匂いもしそうなほど色鮮やかで意味深だった。

私は苗木をたくさん持っている。
それをある敷地に植えようとするのだが、
深緑色をした地面と思ったところは、実は池で、
私は滑り落ちそうになる。
(そのとき池の対岸にいる人に船を出してくれと助けを求める…
だれだか忘れたが、たしか芸能人)
なんとか自力で這い上がれたのだが、
そのとき、左手に持っていた苗木を落としてしまった。
その苗木の別の株はまだとってあるのだが、
私は落とした苗木が惜しくてたまらない。
それは植えればものすごく巨大になる木だった…

とにかく、どうやら私はひとつの苗木を植えるのに失敗したらしい。
まだチャンス(苗木)はたくさん残っているが、
今度こそ失敗しないようにしなくては。

でも、いったい何がいけなかったんだろう…
 
 
05月15日 17:43
そうか、自分で這い上がっちゃいけなかったのね。
助けが来ると信じて、苗木をしっかりつかんでいるべきだった。
05月16日 13:25
中国が日本の緊急援助隊を受け入れた(15日昼)のと何か関係があるかも…

他人に助けを求めること、他人を信頼することは、
自分を明け渡すこと。
これからのキーワードね。

自分が自分自身をコントロールできると錯覚したこと。

 将来が予測できない、変化の激しいこの時代に、どうしたら「生き残れるか」という方法論には、正直言って興味がない。むしろ他人を押しのけて自分だけ生 き残ろうとする態度は嘆かわしいとさえ思っていたのだが、今日はそれを逆手にとって、敢えて私の生き残り論を書いてみようと思う… 続きを読む

結局私に求められているのは、
揺らがないこと、それだけなんだね。
それさえも、別に踏ん張っているわけではないし、
ただ、力を抜いて、ありのままでいればいい。
つまりもう、何もする必要がないんだね。

今までは、知性が感性の邪魔をしていたが、
これからは、知性が感性の後押しをするようになる。

ブログネタ
本当の相手 に参加中!
月原と私が、実は遠い親戚だった…とかいう夢を見た。
夢のコンセプトは、たぶんこんな感じ…

「私から一番遠いところに逃げたつもりで、
油断してふっと気を緩めたら、そこに私がいた!」

あなたが一番元気になって、エネルギーが湧いてくることを
信じていればいい。

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