学生から来たレポートの中に、本質的で極めて重要なことが書かれていたので、一部ここに引用させていただく。

 …彼女とは今年で付き合って○年目である。しかし先日、私は彼女を殺そうとした。
 こんなことを書くのも恥ずかしいが、先生の自らをさらけ出し、自分を見つめるという理念に基づき、恥ずかしながらも書いてみる。
 いきなり殺そうとした、と書いて驚かれたかはわからないが、本当に殺そうとした。別に彼女が憎かったとかそういう感情ではなかった。先日、彼女とホテルに行ったときの事である。…(中略)…私の中によくわからない感情が襲ってきた。その感情は今でも何だったのかわからない。その感情とは、殺人衝動であった。目の前で自分が愛でているこの女を殺してやりたい、そう思った。その感情がピークに襲ってきたとき、愛でながらも私は彼女の口を押さえ、息が出来ないようにした。窒息死させようと思ったのだろう。この殺すまでの感覚が非常に快感だった。彼女も抵抗しなかった。よし、殺してやる!と思った次の瞬間、私は我に帰ったように彼女の口を押さえていた手をどけ、彼女に謝罪した。彼女は「別にいいんだよ」といってくれた。というのも、彼女は私に首を絞められているとき、「殺されてもいい」と思ったそうだ。
 感情の高ぶりは非常に怖いものであると確信した。それと同時に、殺人を快感と思った自分にも恐怖がある。しかし、このときの殺人衝動は憎いとかマイナスの感情ではなく、「愛しているからこそ殺したい」という感情だった。「愛」というものは人の原動力である、とともにマイナスの行動をも引き出す恐ろしい感情であると改めて思った。


以下は私の感想:

レポート読みました。
愛する人に対する殺人衝動についてですが、
韓国映画に「墜落するものには翼がある」というのがあります。
機会があったら是非それを見てみてください。

女の立場から言わせてもらえば、
本当に愛する人に殺されるなら本望だと思います。

でも、本当に殺してしまったら、今の世の中ではまずいですよね。
私はその「殺人衝動」を破壊欲ととらえていますが、
愛する人を「破壊」したいという欲求は、
決して悪いものではありません。
それが意図するものはおそらく肉体の破壊ではなく、
「自分という殻(ego)」の破壊です。
それによって、ふたりは本当の一体感を得られるのだと思います。

肉体ではなく、ego を破壊するためには、
「愛」のエネルギーを全開する必要があります。
自分と相手に対する信頼が必要です。
だから、これからもお互いを信頼してぶつかり合ってください。
きっとそこから素晴らしいエネルギーが生まれますよ。
この世の虚構をすべて破壊してしまうくらいの。