本当の相手に会うために、自分を磨いて自立しなくちゃ、
ちょっと???と思ってしまう。
私が自分の本当の相手と最も近づいたとき、
私は全然自立できなかったから。
むしろ、全くひとりでは立てない状態だった。
彼なしには一瞬たりとも生きられない状態。
つまり、完璧に彼を必要としていた、ということだ。
自分に本当に正直になったら、
人はひとりでは立てない、というのが正解なんじゃないかな。
本当の相手と二人でひとつ。
「完全合体」してそれで一人前、だと思う。
「自立する」というのは、むしろ、
ひとりで立てない状態で万が一捨てられたらおしまいだ…
という恐怖から逃れるためのただの保身にすぎない。
ひとりでは立てないくらいに不安定にならなければ、
「完全合体」はできない。
それは、他者に対する完璧な信頼なしにはできないことだ。
それは本当の勇気を必要とする。
それこそがまさに、「完全な明け渡し」「完璧なエゴの消滅」だ。
もしも人間がひとりで完全に自立できたとしたら、
だれもエゴを捨てることなんてできないよ。
本当の相手と一つにならなければ完成しない、
という摂理の中にいるからこそ、
最後には、どうしてもエゴを捨てざるを得なくなるんだ。
それはきっと、神が仕組んだ極めて巧妙な仕掛けなんだと思う。
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コメント
コメント一覧 (6)
昔から知っていたこと全部なにも意味が無くなって、なにが自分らしさでなにがどうなのか分からなくなってます。
ここまで訳が分からず混乱してる感じがもや〜っとつずいてるのも初めてです。
必要だ、と言われると責任が重く感じられ
いやだ、と逃げたくなる。
自由で風通しのよい信頼関係であることが愛だと思いますが・・・どうでしょう?
人間は、ひとつのエネルギー体で、それ自体が相手の存在なしには成り立たないのです。
人は残念ながら、まったく自由ではないのですよ(自分という狭い意識が認識できる範囲では)。本当の相手からは、どんなに逃げたくても逃げられません。
けれども、その不自由さを受け入れたとき、人は本当の幸せ、本当の自由をを手にすることができます。
一度その幸せを知ったなら、「あんなちっぽけな自由など捨てても何も惜しくない」と思えるはずです。
それを目をそむけて小さな自由を求めているだけで、永遠に手に入らない憧れ。
もしどうぞ、と差し出されても受け取らないかもしれない。
本当は人を求めているから。
ずっと頭から離れない人がいます。
実は、先生は「執着」しているように思えたことがありました。
本当は「引力」だったのですね。
そういえば、宇宙だって星同士の引力で成り立っている。
人間も同じであるという意味かなと思いました。
私も、かつて自立しなきゃって思って、迷路にはまりこみました(苦笑)
本当の相手との間の引力は永遠です。
相手の弱さもなにもかも受け入れるということは、自分の中のまったく同じ部分を受け入れることでしょう。
そうなったとき、二人の間に完全な信頼が生まれたとき、どれほど二人は溶け合っていくのか…完全なる宇宙の誕生のような気がします。
中途半端にゆだねるから、信頼できないで、すきま風が吹くのでしょうか。となると自立と信頼はイコール??