誰かの不幸を前提として成り立つ仕事に従事するのは、
もうやめましょう!
たとえば、病気を治す薬は、
病気が撲滅されれば、売れなくなってしまいます。
ならば、薬を作ることによって生計を立てている人は、
その意識の根底において、
病気が世の中から完全になくなることを望めるはずがないのです。
その結果、そのような意識から作られる薬は副作用だらけで、
病気を完全には治せないものになります。
つまり、
「人間から何かの不幸を取り除くことを生業としている人の意識は、
逆にその不幸を存続させる原因となる」
ということです。
人の意識とは、このように現実に作用するものなのです。
だから、もう、人の不幸を取り除くことを仕事にするのはやめましょう!
それに、もうすぐ、すべての人は不幸でなくなりますから、
そういう仕事に従事している人は、みんな失業してしまいますよ!
それをしていれば、自分も心から幸せになり、
それが他人をも幸せにすること、
それがこそが、本当に従事するに値する仕事です。
「自分がしていること」に自分の存在価値を見いだそうとしてはいけない。価値があるのは、「あなたの存在それ自体」であって、それ以外ではない。
もうやめましょう!
たとえば、病気を治す薬は、
病気が撲滅されれば、売れなくなってしまいます。
ならば、薬を作ることによって生計を立てている人は、
その意識の根底において、
病気が世の中から完全になくなることを望めるはずがないのです。
その結果、そのような意識から作られる薬は副作用だらけで、
病気を完全には治せないものになります。
つまり、
「人間から何かの不幸を取り除くことを生業としている人の意識は、
逆にその不幸を存続させる原因となる」
ということです。
人の意識とは、このように現実に作用するものなのです。
だから、もう、人の不幸を取り除くことを仕事にするのはやめましょう!
それに、もうすぐ、すべての人は不幸でなくなりますから、
そういう仕事に従事している人は、みんな失業してしまいますよ!
それをしていれば、自分も心から幸せになり、
それが他人をも幸せにすること、
それがこそが、本当に従事するに値する仕事です。
「自分がしていること」に自分の存在価値を見いだそうとしてはいけない。価値があるのは、「あなたの存在それ自体」であって、それ以外ではない。
コメント
コメント一覧 (6)
みんなそれぞれに合う仕事があるなら、私は絵を描いたりがベストだと思っています。ピクサーという会社に入って、幸せになる映画を作って人を幸せにしたい
この考えこそがすべての邪魔をしているのよ。
これさえ捨てる勇気があれば、必ず道は開ける。
もしもあなたが行きて行くのに本当にお金が必要なら、それは必ずどこからかやってくるもの。
なぜなら、あなたはこの世に存在する価値があるのだから。
すべての社会活動は、人を幸せにするものしかあり得ません。人を不幸にする活動は犯罪だけです。
合法的な生業を不幸配達人のような見方をするのは個人の価値観です。薬売りは薬売りなりの「人を幸せにする」という信念を持っています。保険屋は「死んでで花見を咲かせましょう」と思って勧誘しているわけではありません。
>つまり、人間から何かの不幸を取り除くことを生業としている人の意識は、逆にその不幸を存続させる原因となる、ということです
教育というのは「無知なるが故の不幸」を取り除くための役割があると思うのですが、教師は、無知な人間に対して、どこかでトラップを仕掛けるのですか?
というように、職業に言及して「それは他者の不幸を招く生業」のレッテルを貼ることはできません。
要は従事する者の心掛け次第ということです。
あなたが言っている最後の件は理解に苦しみますが・・・
それで本当に世の中が幸せになりましたか?
もしもあらゆる病気がたちどころに治ってしまう万能薬が発明されたらどうなるでしょう?
世の中の人々は諸手を擧げて歓迎するでしょうか?
残念ながらそうはなりません。
そのことによって廃業の危機に陥るたくさんの人々が、何としてもそれが世に出るのを阻止しようとして、一斉にそれを攻撃し始めます。
似たようなことが、今実際にこの世で起きています。
今、まさに、本当に人を幸せにするものが世に出ようとしているのです。
それが世に出れば、誰かの不幸を前提として成り立つ仕事に従事する人はすべて失業してしまいます。
だから私は、そうなる前に、すべての人に、本当に「やっていて幸せ」なことを始めて欲しいだけなのです。
同時期に同じ病気になり、言われるままに手術を受けて薬を飲んでる同僚は、急に老け込んで、「後悔してる」と言っています。
と言うことで、私は『医学に関わらなかった事で幸せを保った。』生き証人かも。。。