2012年08月20日

明日から

明日(火曜)から金曜まで地元福島に帰りします。

一昨年の十二月以来なので、震災後初の里帰りです。

四日間ですが、ゆっくりしてきたいと思います。


kyoseidb at 19:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)独り言・その他 

2011年08月24日

ウォシュレット

アメリカにお帰りになった、
某州立大学の先生にもらった

超〜気持ちいい
お尻も清潔で最高

トイレにコンセントがなく延長コードなので、
常に扉オープンなのはキツイですけど(苦笑)。

kyoseidb at 18:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月14日

特盛り保険でよかった

いつもお参りは原チャなんだけど、
最近、遠方へのお参りが続いて、
いとー号(手数料込み12万)での出撃が多かった。

外の気温が高いのと、
ぼろい車なので天上が鉄むき出しなのとで、
車内がめっちゃっくちゃ暑くて、毎回エアコン全開!
これが、快適でよかったんだけど、

ある日・・

長岡京へのお参りの帰り道、
ボリューム全開でかけてたラジオの音がぷつんぷつん・・。
ライトもなぜか点滅・・。

遠距離運転の疲れ?何かのラップ現象?と思いコンビニで休憩。

「めがしゃき」を飮んで車に戻るが、
エンジンがかからない。。。

「うお・・」

バッテリーぎれでした(泣)。

つけれる特約を全てつけた、特盛り自動車保険だったので、
ロードサービスがバッテリー交換に来てくれて助かったけど、
危うく長岡京から帰れなくなるとこだった。

特盛り保険でよかった。

明日から、いとー号は窓全開の自然クーラーだな。

kyoseidb at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年07月01日

浄土教の業観(講義メモ4)

●「廻向」と「自業自得」の矛盾をどう考えるか

・阿弥陀仏が法蔵菩薩だった時に積んだ修行の功徳を私たちが受け取る(廻向)

・2種類の廻向(梶山説)
1) 方向転換
2) 内容転換

 お金を貯めて銀行に百万  → 車を買う(内容が変わる)
 貯めた百万        → 震災復興に使う(方向転換)

●空(縁起思想の重要性)・・すべては関係性の中において存在する
   →
 A   B 両者は常に何らかの関係で結ばれているので、
   ←   分けることはできない

      →
 阿弥陀仏   私
      ←

 関係性があるので、阿弥陀仏のごっつい功徳が私に流れてくる


以上



・おまけ

1)「インドにおける阿弥陀仏信仰の諸前提」梶山雄一 平岡聡訳
(塚本啓祥教授還暦記念論文集『知の邂逅』 pp.245-256)

5 廻向の思想〓功徳の方向転換と内容転換〓 より抜粋

 小乗仏教によって説かれる業報・輪廻の二つの原理とは、〜蔚箸醗業はそれに見合った楽と苦をもたらす、そして、業の果報はその行為の作者のみがそれを受け、誰も代わることはない、ということである。

 しかしながら、この二つの原理に対抗し、それらを超越する考え方が、後期のパーリ文献、アビダルマ哲学、そして阿弥陀仏やヴィシュヌ神崇拝の実践に現れ初め、そしてついに『八千頌般若経』において、「功徳の内容転換」と「功徳の方向転換」を意味する「回向」という言葉と概念が確立した。功徳の方向転換と内容転換という教義が発展すると共に、ヴィシュヌ神や阿弥陀仏といった恩寵の神が、苦しんでいる人々の要請に答える形で、その姿を現した。

 パーリ聖典の『ペータヴァトゥ』に説かれている次の物語は、功徳の方向転換を巧みに例示している。
 何人から商人が、着物を着ていない女餓鬼に哀れみを感じ、彼女に着物を与えようとすると、彼女は「あなた方が私に直接着物を与えて下さっても、あなた方の行為は私にの役にも立ちません。むこうに仏陀の敬虔な信者がいますが、どうか彼にその着物を着せてください。そうすれば、あなた方の功徳が私に方向転換され、それによって私は幸せとなり、欲しいものは何でも手に入れることが出来るでしょう」といったので、商人たちは彼女がいった通りにした。するとその女餓鬼は美しく着飾って現れたのである。

 『八千頌般若経』では、次のように功徳の内容転換を例示している。
 それ自身は世間的善業である菩薩の六つの修行は、一切智に内容転換されるが、このためにそれらは六つの完成(六波羅蜜)と呼ばれるのである。また、六波羅蜜の最初の五つ、すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定が、六番目の智慧の完成(般若波羅蜜)によって守護され、また包含された時に初めて、完成(波羅蜜)という名前を得ることは明かである。これが世間的徳の、波羅蜜への内容転換である。

 『無量寿経』の最も古い形を代表する『大阿弥陀経』によると、阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩は、二十四願中の第五願で次のようにいう。
「天人、人間、そして空中を飛んだり、地を這ったりする虫をも含めて、十方の無数の有情たちが、彼らの前世で悪を犯しても、私が仏となった後に私の名前を聞いて、私の国に生まれることに絶えず心を向け、自らを顧み、悪行を悔い改め、仏道を実践するために善業を積み、経典を読誦するならば、私は必要なものが何でも手に入る私の国に彼らを生まれさせ、彼らは三悪趣に墮ちることはないであろう。もしもこの私の誓願が実現されなければ、私は仏になりませんように」と。

 業報説の二つの原則は非情に厳しいために、いかなる例外も許さない。小乗仏教の教義による限り、ある人の功徳を他人に方向転換することは絶対にあり得ないことであるし、また世間的な幸福しかもたらさない善業の功徳を、業報の領域を越えている安樂国への再生や悟りに内容転換することは不可能である。

 では、阿弥陀仏が、最も煩悩で汚れた者をも含めた一切有情を自分の仏国土に生まれさすということは、どのようにして可能であるのか。
 阿弥陀仏は、長時にわたる宗教的実践によって積み重ねてきた彼の功徳を、積深き者たちを含めた一切有情に方向転換することによってこのことを達成するのであり、そしてかくの如きが、自分の功徳を有情たちに方向転換すると解釈される阿弥陀仏の慈悲なのである。有情は菩薩として阿弥陀仏国に生まれた後に、悟を獲得するのである。彼は阿弥陀仏から受けた功徳を竿Tりに内容転換し、その結果、業報の領域を超越することになる。


2)梶山雄一「空と浄土」(NHK教育テレビ「こころの時代」)
 ↓
http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-212.htm


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2011年06月30日

業と差別の問題(講義メモ3)

●現実世界
・道理が100%通じるわけではない
・地震を「天罰」と言った人もいるが、東北地方だけ天罰はおかしい
・「あんないい人がなんでしななければならないの・・」が多い
・善人が栄えて悪人が栄えるのはよくあること
 ↓
 理屈では上手に説明できない、不合理感がある
 ↓
 不合理な現実を合理的に理解しようとする

・「生まれた人が死んで終わり」では、不合理な現実を説明できない
 ↓
・「生まれる前」と「死んだ後」を考えることによって、
 不合理な現実を合理的に解釈することができるようになる

※ただし、これが差別になる危険もある
 「あの人は死んだ後によい世界に・・」ならいいが、
 「あの人は前世で悪いことしたからあんなことに」となると、
 差別になってしまう


●業思想の功罪
 ・功・・不合理な現実を合理的に理解できるようになる
 ・罪・・差別を助長する危険がある

 本人が自分の苦を納得するために使うならOK
 例 オレがハゲなのは前世で人の髪の毛をむしったからかな?

 これを人に対して言うことはできない
 これができるのは一切智者であるブッダだけ
 覚りを得た仏弟子もこれはしていない

cf. アングリマーラ・・999人殺したけど、出家して阿羅漢
 めっちゃめちゃ悪いことしてるくせに解脱して再生はない

 業の論理が体系化されたので、気持ち悪い例になる
 死んだ後に「地獄に行った」とは言えない
 死ぬまでの間に、悪業を生産しなくてはならない
  →乞食に行った時にボコボコにされた、地獄の火を見たetc.
  (でも、やっぱ不公平・・)

 ただ、人間の視点からみると小さい悪とデカイ悪の差があっても、
 仏の世界からみると、それほど大きな差があるのか?
 この目で見ると大きな差があっても、
 月から見たらそんなに差がなかったりする。


●女性差別
 『テーリガータ』・・女性でも覚りに能力に差がない
   ↓
  大乘・・変成男子

※梶山先生によると、三十二相の陰馬蔵相(おんめぞうそう)が影響
 男性の性器がある→女性はむり


つづく

kyoseidb at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月29日

業の考察(講義メモ2)

 ものごとは心にもとづき、心を主として、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
—車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

 ものごとは心にもとづき、心を主として、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。
—影がそのからだから離れないように。
(ダンマパダ1-2)

→三業・思業・思己業が関係付けられて出されている。


●「心」の語源

★心・・citta チッタ
 意・・manas マナス
 識・・vijnAna ヴィジュニャーナ
 心臓・・hRdaya フリダヤ  cf.『般若心経』の「心」

 1)√cit 「考える」
 2)√cit 「積む」
 → 心 = 業を積み上げたもの、重ねたもの

・結婚する人にその人のどこを見るか?
 「心」はその人が行為を積み重ねて出来たものだからそれを見る


●人間の価値

Q 「氏」(先天的)か「育ち」(後天的)か?

A 釈迦
「生まれによってバラモンになるのではない
 行いによってバラモンになる」

・当時のインドの一般常識からいったらすごい話

・これを二千五百年前の話にするのはもったいない。
 大学入試に合格して学生証を持っているから学生ではなく、
 学生らしい行いを行っているから学生
 教師らしいことをしているから教師
 国会議員らしいことをしているから議員と考えるべき


●「善因善果・悪因悪果」ではなく「善因楽果・悪因苦果」

・なぜ、結果に「善」「悪」を言えないのか?→具体例

 短大の学生が浪人中の同級生に会う
 同級生は浪人生活中に、日標を見つけて目がキラキラ!
 自分は短大に入った後はダラダラ・・恥ずかしい気持ちになった
 
 頑張って勉強→大学に入った(好ましい結果、善とは言えない)
 勉強しなかった→浪人(苦しい結果、悪とは言えない)

※行為の結果、「苦」「楽」は感じるけど「善」「悪」はない

※仮に「善」「悪」を言うなら
                  活かせた → 善果
  善業 → 楽果 —【心】がこれを   
 (悪)  (苦)  経験した時に
                  活かせない→ 悪果

例 勉強した→東大入った→遊びまくったらだめな人に・・

  殺人した→死刑確定 →反省して人生をいろいろと考えて・・


つづく

kyoseidb at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月28日

業の分類(講議メモ1)

「業」が沢山あるわけではない。
以下は、一つの「業」を様々な角度から分類したもの。

〜蔚函Π業・無記業

●善業 ・・善い行為
●悪業 ・・悪い行為
●無記業・・善でも悪でもない行為
  例 単純に手を上げる、足をあげる
  (ただし、邪魔して板書を見れなくしたら悪業)

 Q 何をもって、善い行為・悪い行為となるか?
 A 結果から判断する
  行った後、後悔しなければ   → その行為は善業
       楽の結果が来るなら
  行った後、後悔するならば   → その行為は悪業
       苦の結果が来るなら

 cf. 五無間業(五逆)
 ・・殺母・殺父・殺阿羅漢・出仏身血・破僧

★運命論との違い
 当時のインドは、
 ・運命論・・前世の業が全てを決定
 ・一因論・・神の意志が全てを決定
 ・無因論・・こういうものを全て否定

 今どういう行為を行うかは、自分で決定できる!
 現在から未来は開拓可能!ということで、釈迦はこれらを否定
 → 業論者・精進論者


黒業・白業・黒白業

●黒業  = 悪業
●白業  = 善業
●黒白業 ≠ 無記業
 黒と白が入り交じった業、ポイントは「灰色でない」こと
 一つの行為でなくて、いろいろな行為の総体

説一切有部の考え方では、業は相殺しない
 黒業3+白業4 → 苦3+楽4になり、楽1にはならない

 例 前世で、昼に持戒をして夜に邪婬(浮気)をしたバラモン
   → 今世で昼に美女と酒、夜に黒い犬に背骨を食べられる。
 例 前世で昼は羊を殺す夜は持戒 → 今世で夜だけ楽

一部、業の消滅も例外としてあるが、基本的に業は不相殺であり、不可避性を持つ。


三業(身三・口四・意三)

●身   ・・身体的行為
●口(語)・・言語表現(しゃべり)
●意   ・・思考

・十善業道
 身三・・不殺生、不偸盜、不邪淫
 口四・・不妄語、不綺語、不悪口、不両舌
 意三・・無貪、無瞋、無癡

※仏教では「意」にポイントを置いているので、実際に殺さなくても思った時点で悪い、その代わり過失致死はセーフ
 ジャイナ教は、「身」を重視するので過失致死もダメ、
 農耕は虫を殺すからだめ!商売人が多い


セ弑函思已業

●思業  = 意業
●思已業 = 身業と口業

考えるという行為があって、それに基づいて行為
上流が汚れていると下流もアウトになるように、思業が汚れるとダメ
というわけで、思業=意業が重要


せ飴業

・・行為の結果がどの時点であるかの分類

●順現法受業 ・・この世で    例 殺人→死刑
●順生受業  ・・次の世で    例  悪業→次に地獄
●受後受業  ・・次の世の次以降


ΧΧ函ι垓Χ

●共業  ・・ある特定の人間に共通する行為
●不共業 ・・共通しない、平岡先生の行為は本人に

人間が共通して行った行為でこの世界が誕生
共通の財産として地球環境


表業・無表業

「業」 karman カルマン < √kr(r下点) クリ 「為す」
 (名詞)           (動詞)

1)行為、行い   例 手を挙げる
 → 表業・・外に現れた行為

2)その行為の潜在的力・余力
 → 無表業・・外に現れない行為

・行為は行って終わりではなく、心に貯まっていく
 行為がやっておしまいなら、物事が上達しなくなる
・例えば、「業」の字を何回も書くと、書く能力が貯まっていく

・ある意味、「くせ」「習慣」と言える
 ・・形になって出れば表業だけど、出ない状態でも体を動かす

●善い行為を行う→善い習慣が潜在的な力(無表業)として残る
(悪)     (悪)

cf.習慣が体を動かしてしまう例
 女の子が親にだまって祇園のスナックでアルバイト
 たばこをくわえるとライター・マッチで火をつける習慣
 一緒にテレビを見てた親父のたばこに火を付けて、
 バイトがばれる!!

・御飯を食べる時の無表業は講議中は出ないけど、御飯が出たらわかる
・ピアノを習ったらワンフィンガーから両手に
・無形文化財の人は黙って立ってたらただのおじさんだけど、
 音楽がなって舞い出したらすごい、その人を動かすパワーがある
・イチローの巧みなバットコントロールはつり革を持っていたら見えない。

●sam(下点)vara サンバラ(律儀)
 ・・(善行で)悪を抑制すること

・「私は人を殺しません!」と誓うことによって、
悪を犯しにくくなるモヤモヤとしたシール、防護膜が生まれる
・こいつを守ることによって、シールが厚くなってさらに悪いことをしなくなる。抑止力として働く。
・戒律を守るという実践を行うことによって悪い無表業が減る
 →自然と自分をコントロールできるようになる
・本番に弱い人こそ、練習で間違えないように体が動くように・・

cf.無表業が交わる例
 病院とコンビニでバイトして、
 病院で「オオキニ」コンビニで「オダイジニ」

●七仏通戒偈
 1)諸悪莫作 悪いことせず
 2)衆善奉行 善いことをする
 3)自浄其意 1)2)によって、心を浄めていく
 4)其諸仏教 これぞ仏教

※「無表業」という観点からこれを読み替えると 
 1)悪い習慣を捨て去り
 2)善い習慣をみにつけて
 3)1)2)によって本来の自己に目覚めよ!

・『倶舎論』には、悪いことをしないのはよいことをするより楽で、
 悪い習慣を捨てるのが先と書かれている。
・家に泥棒が入った状態を考えた場合、
 先ずは泥棒に出て行ってもらい、
 その後で、もう入ってこないように戸締まり。
・どろどろになった車にまずワックスは塗らない
 とりあえず水洗いしてからワックス(=サンバラ)

cf.大谷大学の山口益先生は七仏通戒偈を読み替えて「善の懺悔」

・自浄其意の「浄」はサンスクリット「paridamana」(自調伏心)

 悪いことをしたり善いことをしたりする。その心を懺悔しなさい!
 悪いことをしても、善いことをしても懺悔

 悪いことをして「しまった」と思うのはまだいいが、
 「善いことをした!」と悦にいったときに迷惑な場合がある

 「よかった」という時に、本当に反省し、
 客観的に自分を見る必要がある。


有漏業・無漏業

●有漏業・・煩悩に基づく業
●無漏業

・「これをしたら有名になる!」という煩悩に基づいた善業は、
 動機が不純な無漏業

・毛糸玉が坂道を転がる状況を考えた時、
 毛糸玉の糸がなくなって転がるのが止まれば解脱であるが、
 煩悩に基づく行為を続ける限り、毛糸玉が内部増殖する
 そうなると、どんだけころがってもへらない
 →出家をすることによって、それを無漏業にして、
  いずれは増殖しなくなってやがて止まる

・阿羅漢は体は残っているが、増殖しない残りの毛糸玉の状態
 体は過去の有漏業の残りで何年か転がるが、いずれ止める

 有余涅槃(心の涅槃、毛糸玉の増殖が停止した状態)
 無余涅槃(毛糸玉も終了した身心の涅槃)

つづく

kyoseidb at 17:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

仏教の業思想–インド説話文献を手がかりに–

平岡聡先生の研修会に行って来ました。

「ゴータマ・ブッタ自身が輪廻を認めていたか?」に関して、並川孝儀先生の説を紹介しながら問題提起をされた後、

業に関して、
〜蔚函Π業・無記業
黒業・白業・黒白業
三業(身三・口四・意三)
せ飴業(順現法受業・順生受業・受後受業)
セ弑函思已業
ΧΧ函ι垓Χ
表業・無表業
有漏業・無漏業
といった様々な角度から、先生のご専門にされている説話文学である『ディビヤ・アバダーナ』等の豊富な事例を紹介頂きながら、解説頂きました。

その中で、
仏教は意業を重視し、
人間の価値を「生まれ」ではなく「行い」で決める思想であり、
「善因善果・悪因悪果」ではなく「善因楽果・悪因苦果」であることも具体例に基づきながらご説明頂きました。

その後、業思想が差別思想に繋がる問題点を指摘され、
最期に浄土教の業観の「廻向」と「自業自得」の矛盾をどのように考えるべきか?という問題に関して、
空(縁起)思想の重要性から御説明頂きました。

非常に難しい問題を、ひらたくわかりやすく教えて頂き、とても勉強になるあっという間の三時間でした。

kyoseidb at 05:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月29日

「生き甲斐のための組織」のチェックポイント

佐々木閑著『「律」に学ぶ生き方の智慧』 (新潮選書)
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「仏教修行者が共同生活を送りながら一般社会の中で生きていくために定められた『組織運営のためのマニュアル』」(p.14)=「律」に基づく釈尊当時の仏教教団の組織のあり方と、
「仏教」を自称しながら人を不幸の淵に突き落とすことになったオウム真理の組織のあり方が、
「生き甲斐のための組織」のチェックポイントとして比較されながらまとめられていて面白かった。

●出家制度の有無
 日常生活をなげうって特定の活動に身を投じる「出家」という制度を持つ組織は、時として大きく暴走することが有る。出家したことで後戻りができなくなり、ひたすらリーダーに追従するしかない、という追い詰められた状態に置かれるからである。
 暴走を防ぐには厳格な法体系のタガが必要である。統率者の個人的思惑で方向が決まってしまうようなシステムは暴走の可能性が高くなる。
 出家制度を取り入れている組織の場合、内部の規律がどういった手段で守られているか、そこを見極めることが必要である。
 なお、ここでいう出家は、仏教やオウム真理教のような「出家修行者」だけを指すのではない。その組織の内部で生計を立てる「専属職員」もまた出家者と同位である。組織と自分の生活が一蓮托生の関係にあることで、リーダーへの依存度が極めて強くなるからである。
 したがって、専属職員を大勢抱える組織もまた暴走の危険性を持つ、という点には注意しておく必要がある。

●統率システム
 組織内部の上下関係が、いかなる基準によって決定されていいるかという点に注意する必要がある。特定の人物が主観的な基準で上下を決めている組織や、競争主義で序列が決まる組織は、メンバーの個々の幸福よりも組織全体の勢力拡大を本来の目的としている可能性が高い。
 そういう組織に、自己の安寧を求めて参加した人は、いずれ自分の理想と組織の方向性の食い違いにより苦しめられることになる。
 一般企業なら組織強化は当然の目的だが、「生き甲斐のための組織」には、自分たちが勢力を拡大する必要性も、競争相手を踏みつけにする必要もない。
 重要なのは、「個人が生き甲斐を追求するためのシステムが長く続く」という一点であり、そのためには、組織内部の序列は緩く穏やかに設定されていなければならない。
 また、そこからの脱会が妨害されるようなことがあるなら、それは組織の統制を第一に考えているという証拠であるから、そういう組織もまた、メンバーを不幸に突き落とす可能性が高い。

●資金の獲得方法
 組織の資金をどのような方法で獲得しているか、という点がきわめて重要である。できるだけ余計な負担をメンバーにかけないように運営されている組織は、メンバーのことを大切に考えている。
 いくら立派な教えを説いていても、人の生活に脅威を与えるほどの寄附を要求する組織は、危険性が高い。
 メンバー個人よりも組織の強大化を目的としているわけだから、時として、個人の幸福が組織強化の犠牲になる。「強欲さ」は、人を不幸にする組織の特性である。(pp.154-155)




kyoseidb at 20:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年04月03日

お地蔵様

檀家さんが彫ってくださいました。

「伊藤さんのご家族や故郷を思いながら彫ったら、
 なんとなく伊藤さんに似たお顔になりました・・」

という言葉に、ありがたくて泣きそうになりました・・。



追記

昨日、頂いたお茶と一緒に実家に送らせて頂きましたが、
何日かかるかわからないと言われながら、先ほど到着!

「これは最高の救援だ!」

と大喜びでした。
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kyoseidb at 18:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)