カフェと本なしでは一日もいられない。

カフェ通いと読書に明け暮れる日々。 ⓒatelier.sumire.gingetsu

夢の神様が祀られている神社

IMG_7974若狭彦神社の天然の手水。







IMG_7976若狭彦神社の手水の脇には池があります。








IMG_7985若狭姫神社の手水。地下12メートルからの湧き水です。境内には千年杉を育てたご神水も湧いていて、汲んで持ち帰ることが出来ます。






IMG_7982千年杉が空に向かう若狭姫神社本殿。








IMG_7981境内社。ここに夢彦神・夢姫神が祀られています。





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以前、若狭姫神社を参拝した時に、境内社に夢の神様が祀られていることを知り、宮司さんに尋ねてみたことがあります。
その時の返事は「夢の解釈にはさまざまあると思いますが、夢の神さまを祀っているのは、全国でもここだけではないでしょうか」ということでした。
夢彦神、夢姫神、とは、すてきな神様。
先日参拝した時には、その社にこんなメッセージが貼られていました。

「全国唯一 夢を司る神
    夢彦神社
    夢姫神社
 ━夢(人生は旅)に向かって━」

『私の部屋のポプリ』(熊井明子著 河出書房新社)を読んだとき、「夢は実現する」という項目があり、そこには『幸福の心理学』(ヴェニス・ブラッドワス著 柳生直行訳 大和書房)のこんな言葉が紹介されていました。

「人が思考することによって潜在意識にきざみつけられた事は、必ず現実に現れる。━━夢は実現する」

ただし、「そのためには、自分も他人と同じように愛さなければ、その不思議な力は働かないことを、くり返し述べています」と熊井明子さんは書いています。
この言葉を思い出しながら、不思議な力が働くように気持ちをセットして、わたしの夢をそっと夢の神さまに伝えて来ました。




『茨木のり子の献立帖』

IMG_7904『茨木のり子の献立帖』より、茨木のり子の台所






IMG_7906『茨木のり子の献立帖』より、寿司用の型、グラス、「暮しの手帖」から贈られたのれんの前の茨木のり子





IMG_7908「衿子さんより」と書かれたチーズケーキのレシピ *岸田衿子





人がどんなものを食べていたのかも気になるが、どんなノートや筆記用具を使い、どんな色のインクで、どんな筆圧で、どんな字を書いていたのか、そんなことが気になる質である。だから、人様の日記や手紙というものに妙に心惹かれる。
『茨木のり子の献立帖』(平凡社)には、そんなさまざまが収録されており、たっぷりと楽しませてもらった。
日記やレシピ、茨木のり子の台所や実測図、愛用品といったものはもちろんだが、色あせたスクラップブックやノートやメモには、彼女の暮らしぶりや彼女が大切にしていたことがしみ込んでいる。
扉に掲載されている3年日記からひろってみる。

「10時、車で、仁和寺、竜安寺、大徳寺を廻る。Y、いたく竜安寺を気に入る。
 年末とて、どこもひっそり。めぐるのには良い。
 晝食、予約していた「たん熊」にて。
 一度、Yを連れてきたかったところ。谷川さんと来たときは五千円だったのに、七千円に値上り。かぶらむしがおいしい。
 三時十四分のひかりで帰京。
家ぶじ。荒木運転手が言ったように、「大名旅行」だったかもしれぬ。」(1973年12月30日)
「Yと渋谷で待合せ(当帰り)。
 更科で天ぷらそば食べ
 横浜へ直行。
 信濃屋で待望のYの
レンコート(四万五千)買い、Yはごきげん。
 南京街で、有昌の肉ちまき、清風楼でしゅうまい買って帰る。」(1974年12月30日)

引用した日記に限らず、この本の中には、何度も、何度も、Yが登場する。『歳月』に収録されている詩を重ね合わせながら読むと、ズシリと心に迫ってくるものがあり、献立やレシピはそっちのけで読み耽ってしまった。
そして、献立に戻ってみれば、みどり式カレー、ポテトキャセロール、茶わん蒸し、チーズケーキ、ヤンソンさんの誘惑、パエリア、粟ぜんざい、ハヤシライスなど、たくさんのレシピがあり、そこからは、夫であるYとの食事、Yのよろこぶ姿、Yとの会話、Yとの時間がたちのぼって来る。Yとの歳月、その一日一日がまぶしく、せつなく、すてきだ。


「木津川」のお昼ご飯、すみれご飯

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下鴨神社みたらし祭 参道には屋台が出ていました。







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みたらし祭、最終日の夜に参拝しました。




DSC_1020提灯のあかりが幻想的!




DSC_1021ロウソクを手に持ち、御手洗池に足を浸して無病息災を願います。その冷たさに心身共に清められていることを実感しました。




DSC_1025祭壇にロウソクを供え、池から上がったところでご神水をいただき、身も心もお清め完了。この水は無病息災、延命長寿に霊験あらたかなのだそうです。


古い『暮しの手帖』(1983年初夏号)の「すてきなあなたに」を読んでいたら、懐かしい名前に巡り合いました。「木津川」です。
大阪での用事が思いがけず早くすみ、夕方の新幹線までの数時間をどうしようかしら、と迷った後、思いついて「小さな旅」をすることにした著者は、

「久しぶりに「木津川」さんでおひるをと思い、駅から電話をしたところ、
「どうぞ、おこしやしとくれやす……」との言葉に、車で、ほどなく、堺町、御池の、木津川さんにつきました。
    (中 略)
 声がして、お昼のお膳が出ました。初もののたけのこ、大ぶりに切って淡いあめ色に煮きあげたのが、きょうのごちそうです。天盛りした木の芽のいい香りがします。
 ご飯茶碗には、目にみえないほど細かく刻んだにんじん、ごぼう、油揚げの三つが入ったかやくご飯。それに熱つ熱つのおつゆ。香のもの」

読みながら、私自身が「木津川」で食べたお昼ごはんを思い出していました。
堺町通御池下ル西側、ここでお昼ごはんを食べるのが楽しみで、足しげく通っていたことがあります。
置き箸をしている常連さんたちは、まるで我が家に帰って来たように白い麻ののれんをくぐり、おいしそうにご飯を食べているのも、「木津川」のいつもの光景でした。メニューは、心を込めて用意された一汁一菜のお昼ごはんのみ。
ある時、姉を誘って「木津川」でお昼ごはんを食べ、お喋りをしながら御池通を東に向かって歩いていたら、通りすがりの男の人に「あんたら、何がそんなに楽しいの?  嬉しくってしょうがないって顔やなぁ」とまじまじと言われ、別れ際「人生、楽しんでや」と声をかけてもらったことがあります。おいしいご飯に気持ちを引き上げてもらっていたのかもしれません。
今思うと、私たちは若かったのですね。お箸が転んでもおかしい年ごろはとっくに過ぎていましたが、何を見ても、何を聞いても、楽しいお年頃だったのでしょう。
ところで、「すてきなあなたに」には、「木津川」のすみれにまつわるこんなすてきなエピソードが紹介されています。

「このちっさい庭に、すみれがよう咲きましてね。ええにおいどすなぁ、日本のすみれと西洋のすみれがございますのどすけど、西洋すみれのにおいの方がきつうおすわ。路地までにおいます。
 花どきには摘みまして、すみれご飯を炊きます。
 花をつんで、塩水にちょっとつけときます。五分か十分ね。そやないと色があせますの」

ご飯をよそうときにちょっとまぜると、白いご飯の中にすみれの紫があざやかで、「それはロマンチックで、ええもんどっせ」とのこと。
古い雑誌にとじ込められているすてきなエピソード、そして、物語。だから古い雑誌が捨てられないの、と言い訳に使わせてもらったりしつつ、そこに重ねた私自身の思い出も、雑誌と一緒に保存されているような気がしたことでした。

☆8月の「すみれ図書室」は、8月27日(日)の午後2時からです。


2017.7.23 すみれ図書室の記録

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平野神社





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晴明神社





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晴明井









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晴明神社 狛犬









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晴明神社「桔梗、咲いています」






2017.7.23 すみれ図書室の記録

この日は曇り空。もしかすると雨になるかも……と思われる空模様。
家族を銀月アパートメントに送ってから、平野神社へ。参拝の後、ご神水を汲ませてもらう。平野神社の境内には私一人。いつもながら贅沢な参拝時間を贈られた気分になる。
平野神社参拝の後は晴明神社へ。晴明神社は大勢の参拝者。本殿へのお参りも列に並んで順番待ち。晴明公の像の写真を撮ろうと思ったら、年配のグループの方々が写真撮影のため、並び位置を考えたり、誰が写真を撮るかで相談したりで、なかなかな様子だったので、先に厄除け桃を撫でましょう、と思っていたら、そのグループの一人から「シャッターを押してもらえませんか」と頼まれた。いいですよ、と明るく返事をして撮影終了。グループの方々が、「(晴明公の足元が剥げているので)ここに触ると、足がよくなるのかしら」と言いながら立ち去って行く様子を見送って、私も晴明公の写真を一枚。
参拝を済ませ、御朱印をお願いしている間、晴明井の吉祥水を「すみれ図書室」のために汲ませてもらう。この日のお茶はこの吉祥水で、と決めていたので。
晴明神社の後、チップルソンでパンを買うつもりだったが、臨時休業なのかお店は閉まっていた。残念!
その後、玄武神社に参拝して「すみれ図書室」に向かう。数日ぶりに部屋に入ったのだが、曇っているからか、思ったほど暑くはなかった。
窓を開け、掃除をしてから、『あなたの中の小さな神様を目覚めさせる』(まさよ著 永岡書店)に載っていた、部屋を神さまパワーで満たすワークを試してみた。
やり方はこう。部屋の中心に立ち、胸の前で両手を合わせて「わたしはこの部屋が大好きです」と家の神さまに伝え、天井に「この部屋が大好きだよ。愛しているよ」という大きな文字を思い浮かべ、天井に浮かべた文字から、虹色やゴールドの光の粒が部屋中に降り注ぐ様子をイメージすると、部屋が愛のエネルギーで満たされてゆくのだそう。
その後、お昼ごはんをすませてから、黒板に『アンの愛情』のジェムジーナおばさんの言葉を書き、晴明井のお水でハーブティーを淹れ(この日は、福岡カルメル会のハーブティー)、この日の修道院のお菓子、伊万里の聖母トラピスチヌ修道院のゼリーとクッキーを用意して準備完了。
いつものことながらあっという間に2時になったので、あわてて外に看板を出しに行き、「すみれ図書室、オープンしました」とTweetしておく。
この日、「すみれノオトブック」と『京都好き』(PHP研究所)持参で、遠くから訪ねて来て下さった方があった。2016年の2月の「すみれ図書室」に来て下さり、その時に購入して下さったそうで、書いたり、貼ったり、楽しく使って下さっていた。「もし災害が起きて避難しなければならなくなった時、たくさんのものは持ち出せないけど、このノオト一冊を持っていれば、元気づけてもらえたり、気持ちを支えてもらえるかな、と思って、大切な言葉などを書き込んでいます」と教えて下さり、それを聞いて、何だかとっても嬉しかった。
この日も、来て下さったみなさまから、さまざまな貴重な情報、サプライズを受け取りました。すてきなノートと手紙もいただいた。本当にうれしいことばかりで、感謝です。
来月、8月の「すみれ図書室」は、8月27日(日)の午後2時からです。



週末の神社参拝 今宮神社→平野神社→晴明神社

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今宮神社に参拝し、本殿で手を合わせていると、突然、祝詞が聴こえて来ました。格子越しに眼をこらすと、神殿で白い神服をまとった巫女さんが祝詞をあげている様子が見えました。


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今宮神社参拝の後、平野神社に参拝しました。その時間、参拝者は私一人。ゆっくりと時間を過ごしました。


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平野神社の御神木。これまでずっと本殿参拝の後、御神木のパワーをいただいていましたが、この御神木のパワーをいただいてから本殿参拝をしましょう、というような看板があり、今はそれに従っています。


IMG_7783晴清公









その後、晴明神社に参拝しました。晴明公の像の写真を撮ると、いつもたくさんのオーブが写っています。
左下の青いオーブの下に見える白い十字のような飛行機のようなものは何だろう? と思い、翌日、もう一度参拝して確認しましたが、何もありませんでした。何なのでしょう……


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晴明神社に湧く吉祥水。水の出口は今年の恵方を向いています。ここでお水を汲ませていただきました。
信仰対象の水なので、持ち帰りは一人500㎖まで。


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晴明神社に咲いていた桔梗。先日Tweetしたのですが、桔梗を見て思い出したのは、堀辰雄と中里恒子さんの追分の家での会話でした。
「私は堀さんが夢みているに違いないこれらの仕事への方向を、鮮麗な花のように感じ出した。花と言えば、部屋には桔梗の花が籠にふさふさと挿してあった。紫のいろ鮮かな・・・・・・。私はこんど最初の日に堀さんの部屋にはいったとき、まっ先に眼についたものだが、白い蚊帳を前に、桔梗の紫は説明のしようのないほど沈潜した情緒をたたえているのだった。追分に咲く花のいろはいずれに濃く鮮明だが、堀さんの寝ている部屋のなかで桔梗の紫はほんとに美しかった」━━「柘榴を持つ聖母の手」中里恒子 より








中里恒子「星」

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先月の夜撮影した月。右下で光っているのは金星?





以前に書いたことがあるような気がするが、今日は七夕なので中里恒子の「星」(「中雑恒子全集第十七巻」中央公論社に収録)を再び。原稿用紙に換算して二枚ほどだが、大好きで、何度も読み返すエッセイである。

「夏の夜など、何心なく空をみていて、やっぱり私は星を太古からの魂のように思うことが多かった。濃い空をバックに、しいんと澄んでひかっているのもあり、ぎざぎざに全反射してるのも、又思い出したようにぴかりぴかりするらしいのもあって、「ああ、あれは人間のとき気取屋だったんだ、」「あれはせっかちだ、きっと、」「あいつは楽天家だったんだな、」などと、胸のうちで獨り言を云ってみる」

夜、東の窓を開けて、空を見上げることが習慣になってしまった。きらめく星のひとつひとつ、それが私には、私と繋がっている誰かに思え、夜空を通して会話をしているような気持ちになるのだ。

私の姪や甥が幼かった頃、一緒に七夕飾りを飾ったものだが、ある年の短冊を見て思わず吹き出してしまった。姪は「長生きが出来ますように」という願いを書き、甥は「お金持ちになれますように」と「大金持ちになれますように」という願いを書いていたからだ。私としては、そのどちらもが彼らのパーソナリティに重なるものに思えたので、余計に受けてしまった。
それはともかく、中里恒子さんの「星」は、途中から切なく転調する。

「又、星とは別に、突然ひとに逢いたくなるときがある。いえ、先刻逢ったのはさっきの分、今のは、今が今逢いたい。今の逢いたい心に、今度のときのぶんも合わせて逢うというだましは利かない。しかし今逢いたいと思って今すぐ逢える仕合せは、私に一度もなかった。いつでもいつでも、おとといの分や一週間分十日文まとめて逢う。━━そういう間の切ない日は星が殊更美しく、あんまり自分勝手に輝いているのが憎らしい。あんなに沢山あるのだから、一つ位墜落して来ないものか、私を面白がらせる為に。━━よくそう思っては夜會服を着た夜空を見上げたものだ」

幼いときは幼いなりに、切ないときは切ないなりに、星は人の心を反映させながらまたたいているのだろう。



「脳裏に思い描くことができるものは、すべて実際に創り出すことができています」(『エネルギーの魔法』より)

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若狭姫神社






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若狭彦神社




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cafe watotoでハーブティーを






発売後2週間ほどなのに900近いアマゾンのレビューに驚き、早速注文してみた。『エネルギーの魔法』(まさよ著 長岡書店)である。
この本は、いわゆるエネルギーの魔法の手引書なんだと思う。

「エネルギー使いの力は、誰もがこの世に持って生まれてきた能力。
 エネルギーという名の魔法をどんどん使って
 あなたの人生を輝かせていただければ
 わたしにとってこんな幸せなことはありません。

 最後のページをめくる頃には
 あなたは自由に不思議な力を操る
 エネルギー使いになっていることでしょう」

この本の中には、エネルギーを呼ぶ基本の仕組みからエネルギーワークの実践まで、たくさんの方法が、やさしくシンプルに紹介されている。

・太陽のエネルギーを呼び、感じる方法
・地球とつながる グランディング瞑想
・宇宙とつながる しゃぼん玉瞑想
・エネルギーを自分に流す方法
・エネルギーを相手に流す方法
・エネルギーで体の痛みをとる方法
その他、エネルギーのレシピ。
・願いをスピーディに叶えたい
・運命の人を見つけたい
・神社の神様と会話したい
・天職を見つけたい  etc

冒頭にある「突然ですが、あなたは自分の中に 思い描いた通りの人生を、自由自在に創り出すことができる無限の力が眠っていることをご存知でしょうか」という言葉を反芻しながらワークを実践。
特別な能力がなくても、お金を払って誰かに伝授してもらわなくても、私たちはみな、エネルギーを操ることができるし、太陽、月、星、空、大気、木、花、山、川、土、海……私たちはたくさんのエネルギーに囲まれて生きている。つまり、私たちはきらめく宝の世界に生きているのだということを実感し、好きなもの、叶えたいこと……を脳裏に思い描く想像力という魔法━脳裏は異次元とつながっており、次元を超えた世界や目に視えないエネルギーと瞬時につながることが出来るそうです━を持っていることを、この本によって再確認することができた。
特別付録として神聖曼荼羅エネルギーという図形がついていたので、まずはこの図形を使った体の痛みをとるワークの実践。「手当て」ってこういうことだったのね! という実感をエネルギーの魔法のスタートにしてみました。

2017年6月25日の「すみれ図書室」の記録

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手水の手前の小さな茅の輪@今宮神社




IMG_7677茅の輪くぐり
茅の輪くぐり@今宮神社





IMG_7676今宮神社
今宮神社本殿





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茅の輪のお守り 





IMG_7680すみれ図書室IMG_7682
この日の「すみれ図書室」とMちゃんお手製のクッキー




2017年6月25日 「すみれ図書室」の記録

大雨の予報だったので心配していたのだが、目覚めてみれば曇り空。お天気は何とか持ちそうな気配で嬉しい。
午前、銀月アパートメントに家族を送り届けてから、「すみれ図書室」のためのお水を汲むため平野神社へ。ところが、夏越しの大祓いがあるからなのか、参拝者が一杯で、駐車場も満杯。参拝はあきらめて、今宮神社に向かう。
今宮神社では手水舎の前に小さな茅の輪が飾られていた。こちらは小さなお子さんのため。
手水で口と手を浄めてから参道を進むと、舞台の手前に大きな茅の輪が飾られていた。そこに茅の輪くぐりの作法が書かれていたので、それに従って、「水無月に 夏越しの祓いする人は 千歳の命延ぶといふなり(みなづきの なごしのはらい するひとは ちとせのいのち のぶといふなり)」と唱えながら、茅の輪を三回くぐる。
これは、正面から最初に左回り、次に右回りと 八の字を描き、茅の輪の中を3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願う神事である。「すみれ図書室」に来られた方から教えていただいたのだが、八の字の動きは、神主さんがお祓いをするときの動きと同じなんだそう。
茅の輪をくぐった後、本殿に参拝し、その後、茅の輪のお守りと御朱印をいただき、お玉の井の水を汲み、この日の参拝は終了。
途中、チップルソンで食パンと塩パンを買って「すみれ図書室」へ。
窓を開けて掃除をしていると、天使の聖母修道院から「マダレナ」が届く。修道院からの荷物には、いつも丁寧な手紙が入っていて、感謝と祈りの言葉がしたためられている。すてきな作法だと思う。
掃除が終わってから、黒板に今月の「言葉」を書く。この日は、『高次元シリウスが伝えたい 水晶(珪素)化する地球人の秘密』(ドクタードルフィン 松久正著 ヒカルランド)に載っていたドルフィン・フレーズ。

「今の自分は大丈夫」
「今の自分に感謝」
「今の自分が大好き」
「今の自分をよく知っている」
「今の自分は宇宙のすべて」

心の中で言葉にしても、言葉に出して言っても構わないそうだが、この5つの言霊は、5つのチャクラエネルギーに作用し、身体ソウル・ウェイブ(神の通り道=神経の流れ)を正し、松果体を活性化させるらしい。
そうだ、この本の中で心打たれた一節を書き抜いておこう。


「病気と困難はまなびだとか、自分に必要なものだかと、自分が設定したものだと書いている本は今までもたくさんありました。しかしそれはいずれも本質をついていません。「エンターティメント」と受け止めることで、自分にとって本当にいいことだというように認識を変えてほしいのです。DNAを修正し、魂が進化、成長できるのですから「愉しみなさい」というメッセージです。

痛みがあるのにどうやって愉しむのか、お金がなくて生活できないのにどうやって愉しむのかと思われるでしょうが、ここで大事なのは、この本を読んでいるこの瞬間、あなたは生きているということです。本当は、あなたは生を持っているからすごく幸せなのです」


さて、大まかに用意が出来たところでお昼ごはん。この日は、三分搗き米のご飯、ニラの醤油糀和え、レタスとトマト、ブロッコリースプラウトのサラダ、小豆カボチャ、キュウリとワカメの酢の物、目玉焼き。食べていたら無性に暑くなり、エアコンのスイッチをオンにする。まだ雨は降っていない。
そろそろ2時近くなって来たので、今宮神社で汲んできたお水でハーブティーを淹れ、入口に看板を出し。いつものことだが、あっという間に時間になる。
この日の一番乗りは、Mちゃん。大阪に引っ越してからあまり会う機会がなくなっていたのだが、レモンの香りたっぷりのお手製のケーキやクッキー持参で訪ねて来てくれた。ありがとう!
来て下さった方々と様々な話をしながら、私が思い出していたのは、中里恒子さんの「美しい生活」だった。

「特別な精神生活というものだけが獨立してある筈はない。そういうものも凡て毎日の生活の中から発展してゆくのであって、どんな仕事も藝術も思想も、一日一日を生きた歴史を基礎に、生れてゆくのである。
「生きる」ということの意義は、この基礎の美しさにあるのではないだろうか。
別段歌をうたわなくとも、絵は描けなくとも、あなたの生活が健全ならば、それで充分美しいのである。生きるということはそういうものであって、特別のことだけが生きることではない」

「すみれ図書室」に来て下さったどの方の生活も、生き方も、心も美しい。話しながら、そのことにちょっぴり心打たれていたのである。
この日は、夕方近くになって雨が降り出した。

☆7月の「すみれ図書室」は、7月23日(日)の午後2時からです。

清川妙『91歳の人生塾』

IMG_7497庭IMG_7501蝶々
左:ラヴェンダーが咲き始めた。 右:蝶々さん、蜜はお好きなだけどうぞ。






5月の「すみれ図書室」で清川妙先生の名前が出たこともあり、今週に入ってから清川妙先生の本を読み返している。
昨晩、読んだのは『91歳の人生塾』(小学館)。

「老いを怖れないで。
 つらい経験にもくじけないで。
 歳だからとあきらめないで。
 人生は二度とないのだから。

 生きていくということは
 それぞれの人生塾に入って
 磨かれ、教えられ、
 学んでいくことなのだ」

と帯にある。
本を開くと、空色のインクでたくさんの線が引いてある。2012年の清川妙先生が書き、2012年の私が読んだ証がそこにある。清川塾に入塾したような思いで読み耽ったのだろう。
そのいくつかをここに引いてみる。
(年齢の峠を感じるという人に対して)
◎峠なんかないのよ、と、私は心の中で反論する。
 あるのは、昨日と今日と明日、ひと続きの道だけ。

◎もし六十代のありようがあるとすれば、それは五十代のうちに用意されてきたものであろうし、五十代のありようはすでに四十代のうちから用意されてきたものなのだ。

◎人生というものは、ひとつひとつの積み重ねなのだ。その一瞬一瞬の連続が、あなたの、かけがえのない寿命をかたちづくっていく。

◎「よわい」を歳ではなく、「よはひ」としてとらえよう。
 この一瞬一瞬をどう生きるか、その積み重ねが「世延」=「よはひ」になるのだから。

◎同じ仕事をするなら、いそいそとしたいものだ。

◎頭のなかにふたつの思いは入らない。悲しみを追い出して、別のものを入れる。
     (中 略)
人生も、ふたつの人生を送ることはできない。

◎小さなことにでも喜びを見いだせるというのは、ひとつの能力である。その力を自分のなかに用意しておいてこそ、幸福をつかまえることもできるのだと思う。

◎年を重ねていくことはいいことだと、このごろようやく身にしみて思えるようになった。
 生きてきた年月が長くなればなるほど、すべてのことがまるで鳥瞰図を見るように、広く大きく見渡せてくるのだ。

◎何かを知るということは、ほんとうに楽しいこと。知るということ、知って楽しむことは、人生を生きる喜び。歳をひとつひとつ取っていくことは、知ること、知って楽しむことがひとつひとつ増えることである。

◎調べ虫を飼うことを、皆さんに心からおすすめしたい。そこにはきっと、びっくりするくらいの知識の泉が広がっているにちがいない。

◎夢中になれるものを持っていると、救われることがある。人は、ひとつの頭のなかに、ふたつのことは入らない。悲しみで頭がいっぱいになったとき、夢中になれるものがあると、悲しみがすこしずつ逃げていくのだ。

◎ていねいな字で、ていねいな手紙を書く人は、ていねいな人生を送ることができると、私は思っている。

◎「いつか」とか「あとで」とか、自分に言いわけをしながらためらっていると、チャンスはあなたの手から逃げてしまう。

◎何かを始めるのに、年齢など関係ない。「始めたい」。その思いこそがたいせつなのだ。

◎夢や願いを思い続けることは、とても大事なことだが、思っただけではだめなのだ。すこしでもかたちになるように行動していく努力が必要なのだと。

◎ほんとうに人生は、「いつだって、今がはじまり」なのだ。
 「いつかやってみたいわ」「そのうちに時期がきたら」と言っているうちは、何も始まらない。「いつか」「そのうち」は、永遠に引き延ばされていくものだ。

◎いくつになっても挑戦する気持ちに、ちょっとした決意。それがあなたの世界を、思いもしないかたちで広げてくれるのである。

◎どんなに微細な水の一滴でも、たゆまず、楽しみながら溜めていけば、いつかは器に溜っていくと信じること。
 生きかたもそれと同じ。これぞと思った夢をかかえつづけ、叶えるという意思を持ち、なにごとにも、ゆっくり、ていねいに続けていく。夢を成就されるのはこれしかない、という思いである。
 
こうして書き抜いていると、清川妙先生の声がきこえ、久しぶりに懐かしい会話を交わしているような気持ちになってくる。



「すみれ図書室」の記録 2017.5.28

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平野神社本殿




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平野神社ご神木







IMG_7486平野神社IMG_7485平野神社
平野神社手水舎 ここでお水を汲むことができます。







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@芦屋モノリス 







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芦屋モノリス メインダイニング




IMG_7487すみれ図書室
すみれ図書室





2017.5.28 すみれ図書室の記録

毎回、「すみれ図書室」用にどこかの神社にお水を汲みに行くのだが、この日は平野神社へ。
平野神社では、手水舎に流れているのと同じ井戸水を汲んで持ち帰ることが出来るので(取水口には「井戸水は神様からの恵です」と書かれている)、参拝後、ペットボトルにお水を汲ませていただいた。
帰り道、チップルソンで食パンと塩パン、塩クルミパンを買ってから「すみれ図書室」へ。
窓を開けると、風がサーッと部屋に入り込んできた。湿度も高くなく、とってもさわやかな風だ。
お昼前に着いたので、掃除をしてからお昼ごはん。昨日、結婚式で普段食べないものをあれこれ食べたので、今日はシンプルにキツネそばと玄米おむすび。
余談だが、出席した結婚式は、新郎新婦が終始笑顔で、本当にハッピーなんだな、ということが伝わって来る式と披露宴だった。バージンロードを歩く時も、指輪交換をする時も、どのシーンを切り取っても、二人は花が咲いたような笑顔だった。何だかこちらまで嬉しい気持ちが伝染して来て、誰かの幸せそうな様子を見ることは、こんなにもハッピーなことなのかと思った。
食事の後、部屋の掃除をし、黒板に今月のメッセージを書いたり(今月は熊井明子さんの言葉)、修道院のお菓子に値段付けをしたり、お茶の準備をしたり、さまざまな用意仕事。
今日のお茶は、TEA PONDのハーブティ。平野神社の湧水で淹れてポットに移す。途中、電話がかかってきたり、あれこれしていると、結局、いつもと同じようにあっという間に2時になる。
外に看板を出しに行くと、「すみれ図書室」に来て下さった方とバッタリ。今日は気持ちのいいお天気ですね〜、などと話しながら部屋に戻る。
この日は、いつも足を運んでくださる方々、はじめての方、久しぶりに来ましたという方など、さまざまな顔ぶれ。部屋があまり広くないので、窮屈だったかもしれない。
この日もまた、サムハラ神社の話で盛り上がる。
私のこのブログを読んで「すみれ図書室」のことを知り、足を運んで下さった方々からは、「好きなものが一緒だなぁと思いました」という言葉をかけていただいて、とても嬉しかった。好きな作家、好きな本、好きな言葉……そうしたことが誰かと私をつなぎ、誰かとこの場所をつないでくれている。そのことが私の世界を思いもかけないかたちで広げてくれる。かくして昨日とは違う今日になる。何とすてきなことだろう。

今、『アナスタシア6 一族の書』(ウラジミール・メグレ著 にしやまやすよ訳 岩佐晶子監修 直日)を読んでいる。
この中のメグレ氏ともうすぐ5歳になる彼とアナスタシアの息子・ヴォロージャとの会話が興味深い。
大きくなって最も大事だと思うことや仕事について質問したメグレ氏に、ボロージャが答える。
「大きくなったときにはじめに一番大切なのは……ぼくは、一人の女の子大宇宙を幸せにしなくちゃならないんだ」(女の子一人ひとりには、大宇宙のすべてのエネルギーがあり、女の子大宇宙たちは、幸せにならなきゃいけないんだそうだ)。
その「未来」に、もしかするとこういうことだって起こるかもしれないという警告を持ち込んだメグレ氏にボロージャが言う。
「でもパパ、パパがそんな状況を、彼女が出ていくはずだってことを思い付いたり意識で生み出したりしなければ、彼女は出ていかなかったよ」
私が生み出しただって? と驚く氏にボロージャは続ける。
「そうだよ、パパ。だってパパが言ったことでしょ。パパの意識だよ。人は自分の意識でいろんな状況を創造するんだ。だからパパも、創造しちゃったんだ」
ヴォロージャの言う意識が状況を作るって、つまり、思い、魂が先だってことよね? こうなるかもしれない。こんなことが起こるかもしれない。じゃあ、そのときどうする? という一見賢明にも見える思い、それが危惧した未来の状況を作り出すということを幼い息子はすでに知っている。
アナスタシアの物語に倣って、マイナスの未来を引き寄せる心配は、今日から「キュッとやめよう」。そして、ボロージャが言うように、幸せになり、頭上にある星たちも、もっと明るく、幸せになる未来を引き寄せなくちゃ。。。などと思いながら、今、読み進んでいます。

☆6月の「すみれ図書室」は、6月25日(日)の午後2時からです。


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