カフェと本なしでは一日もいられない。

カフェ通いと読書に明け暮れる日々。 ⓒatelier.sumire.gingetsu

海の方法。寄せては返し、寄せては返す、その方法で。『桜の木が一本』

IMG_8838『桜の木が一本』吉田一之・道子 アピエ発行) 









IMG_8839 「風の音は葉のそよぎでわかる。空の深さは枝枝のいくつもの青で。たたきつける雨の警告、雨宿りの安らぎ、木陰の清涼さ、深い闇。自ら歩かないものが抱える懐のふかさに、しんとする。木を眺めていると、同じところにじっと佇むとはどういうことか、と考えてしまう。そこに「ある」ということは、そういうことか、と思う」




アピエから届いた一冊の本、『桜の木が一本』。とてもいい本だった。

「桜の木が一本ある。
 一九七九年に一メートルほどの苗木を四百円で買い、一坪の庭に植えたものである。
 これが、今や幹回り一メートル五十センチ、背丈は二階家の屋根を覆うものになり、親戚や家族に一人はいる叔父さんや弟のような存在になった。あるいは、江戸時代の部屋住みの次男坊、三男坊のような。
  (中略)
この頃では、居候は我ら夫婦であり、住まわせてもらっているという思いが強くなっている。いや、いつかは逆転する。私たちが消えても「叔父さん」は生きる。いつの日か、私たちが空に浮かび、眺めているのがこの桜の木である。それはうれしい眺めだろう」

この文章を読み、そこに添えられている、家を覆いつくすように繁る葉桜の写真を何度も眺めてしまった。実にいい佇まいである。この本の随所に収録されている吉田家の調度品のひとつひとつもまた、魅力的な表情をしている。すべてが優雅な時の仕事だ。

この本の中に「海の方法で」という文章があるが、海の方法というのは、とてもとても魅力的。
寄せては返し、寄せては返しながら、人を、ものを、風景をつくってゆく。そして、そこに残り、醸しだされた何かが、古酒のようにそこに漂いはじめる。まるで一本の桜の木と家のオーラのように。
私も一本の木が欲しくなった。

☆2020年2月の「すみれ図書室」は、2月23日(日)の午後2時からです。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡先を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。

『わたしは よろこんで 歳をとりたい』

若狭彦神社、姫神社_191126_0002若狭彦神社、姫神社_191126_0006IMG_7941










どの写真も神々しい。若狭彦神社・若狭姫神社







ただそこにいて 生きているだけでよいのだ


人だけではなく、木も、家も、どんなものだって、長い人生を生きて来たものの姿は、神々しい。経験や言葉や風景、いろいろなものが、ゆっくりと時間をかけてその中に浸み込んでいて、ただそこにいるだけで、ただそこにあるだけで、光を放つ。光になる。

『わたしは よろこんで 歳をとりたい』(イェルク・ツィンク著 眞壁伍郎訳 こぐま社)という本がある。
著者略歴によると、「ドイツの神学者。第二次世界大戦の危機の中を行き延びた一人として、世界の人々との共存と平和を唱えつづけた。わかりやすい言葉で、私たちが、いまあるいのちをどんなによろこび感謝しなければならないかを、生涯にわたって説きつづけ、多くの人に共感と感動を与えた」とあり、この本は、著者のイェルク・ツィンク氏が晩年、老いから死への道程を心穏やかに迎えることについて、詩的な表現で綴った一冊である。
氏曰く、「老いを生きるとは 人生の4番目の季節を生きることだ」

『98歳、石窯じーじのいのちのパン』(竹下晃朗著 筑摩書房)のプロローグで、私は鈴木るみこさんのこんな文章を引用した。

「晩年は人生を一日にたとえたきれいな言葉だ。光る朝は、かならずや暮れて晩で閉じられる」

その「晩」は、光る朝につながっている。そして、人生の4番目の季節もまた、新しい季節につながっている。

「人生の秋は あたらしい命につながる
神が わたしたちのうちに始めようとしておられる 新しい命に すべては向かっているのだ」

「つい先ごろ 山でカエデの老木に出会った
わたしもその木のように ただそこにいて
生きているだけでよいのだ
ようやくそのように わたしも成長し自由になった!

もう好きなときにだけ 机に向かえばよいし
おしゃべりいっぱいの会議に 出る必要もない
何になるとか しなくてはなど
ひとからよく見られるのも もう不要」

「もう自分がどんなに役に立つだとか まだ何かできるかなど
それを実証する必要など さらさらない
それよりも大切なのは かつての出会いや経験を思い出させる
ごくごく小さな物たちだ」

「どんな争いも 夕べには おしまいにしよう
もう そんなに多くの時間が 残されているわけではない
まとまりのつかないことを 何日も引きずることはない
他人の過ちは さっさと許し
自分にできないことは それを認めよう
そして おたがいに 平和でいられることを感謝しよう」


そして、この本の最後は、次のような言葉で締めくくられている。

「いま わたしはもう一度若くなりたいとは思わない
 わたしは 喜んで 歳をとってきた
そして 人生という時の境をこえて
神が共におられたことを こころから感謝している
わたしと 人生と 永遠と
その境は わたしには いよいよなくなってきている
わたしはいま あの夕日が沈む 山の向こうの
光のあるところに 立とうとしている」


☆2020年1月の「すみれ図書室」は、1月26日(日)の午後2時からです。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡先を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。





「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものは、ない」

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上2点・左:上賀茂神社 名残の紅葉 下右2点:珈琲山居



先日、手許に届いたばかりの『須賀敦子エッセンス2』(湯川豊編 河出書房新社)を持って、新大宮商店街にオープンしたと知り合いに教えてもらった『珈琲山居』に出かけた。北山通から北大路通にかけてのこの商店街は、もともと馴染みのある場所なので、店の場所はすぐにわかった。
この日は、晴れたり、突然雨が降ったりの典型的な冬型の天気で、駆け込むようにして店のドアを開けて中に入ったとき、通りに面した場所にある「おひとり様机」が目に入った。あの席、と迷わず決めて席につき、本を開いた。一冊全てを読み終えるだけの時間のゆとりがなかったので、帯のコピーを読み、目次からピックアップして、「トリエステの坂道」「サバの詩 7編」を読む。

「何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさにいえば人生の選択を左右することがある。その子は、しかし、そんなことには気づかないで、ただ、吸い込まれるように本を読んでいる。自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめり込む。その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧き上がり、その子自身がほとんど本になってしまう」(帯に使われていた「まがり角の本」からの引用)

「その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧き上がり、その子自身がほとんど本になってしまう」、これはまさに、宮沢賢治の「 雲からも 風からも 透明な力が その子どもにうつれ 」ではないか。本が透明な力となって読み手に移る。読んだ本が血となり、肉となり、その人自身になるのだ。

「トリエステの坂道」は、詩人サバに惹かれてトリエステに旅立つ、夜のミラノ空港から始まる。
サバに惹かれ、旅立ったトリエステへの旅。
サバが愛したトリエステの風景を見て、須賀敦子は思う。サバがいたら。
サバがいつも歩いていたように、ただ歩いてみたい。乗り物には頼らないで、歩こう。これが、トリエステの町で須賀敦子が自分に課したルールだった。

「なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年前の六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか」

サバの詩「三本の道」を重ねながら、「 夫のいないミラノは、ふだんよりはやく秋がきたように思えた」という須賀敦子の一文を思い出しながら、「トリエステの坂道」を須賀敦子と歩く。
やがて、この町でたずねていたものが、不意に向こうからやってきて、彼女を包む。

「サバが愛したにちがいない、そしてサバが自分のものにしようとしてできなかったすべてが、そこにはあった」

「トリエステの坂道」から「サバの詩」へと続くこの本の道。暗い風景で始まった「トリエステの坂道」は、いつしかひそかな美しい光が射しはじめた。そして、続くサバの詩「ミラノ」で心に灯がともり、この日のカフェでの読書はおしまい。

          ミラノ

   石と霧のあいだで、ぼくは
   休日を愉しむ。大聖堂の
   広場に憩う。星の
   かわりに
   夜ごと、ことばに灯がともる

   人生ほど、
   生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
               ─「サバの詩」より

☆さて、話題は変わり、冬至のこと。
『すみれ図書室通信』(12月号)に詳しく書く予定だが、冬至というのは種蒔きの日だそう。柚子湯に入って、かぼちゃを食べたり、「ん」のつく食べものを食べたりするだけではなく、冬至というのは、種を蒔くのに最適な日。そして、22日が冬至という今年は、千載一遇のチャンスらしく、経済的効果を最大に発揮できるベストな日、そして、特別な金運マジックの日らしい。
不幸や混沌は終わりにして、12月22日がやって来たら、さぁ、夢の実現のはじまり、はじまり〜。来年大きく花開くように。新しくスタートを切り、すばらしい収穫の時を迎えられるように、かなえたい夢や願望の種を蒔くとき、だそうですよ。ザックリとした情報ですが、ご参考までに。

☆12月の「すみれ図書室」は、12月15日(日)の午後2時からです。
今月の「修道院のおやつ」は、大分トラピスト修道院のバタークッキー、安心院の聖母修道院のクッキーいろいろをご用意します。また、年末恒例、米村春美先生が「生おみくじ」を書いてくださいました。2020年新年に開封し、一年の指針としてください。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡先を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。


『98歳、石窯じーじのいのちのパン』(竹下晃朗著 筑摩書房刊)

IMG_706698歳、石窯じーじのいのちのパン』(竹下晃朗著 筑摩書房刊)






_G7A0644竹下晃朗さんのパンは、こねないパン。たたきつけたりせず、優しく扱う。









_G7A0637焼き上がったパンは、全粒粉100パーセントでもごわごわせず、柔らかく、優しい味わい。その秘密のひとつは、手回しの速度で回り、小麦を微粉にする石臼にある。







IMG_6012本を読んだり、ものを書いたり、石窯の設計図を描いたり、竹下晃朗さんの日常はとても忙しい。






京都・修学院に住む石窯パン研究家・竹下晃朗さんの本『98歳、石窯じーじ
のいのちのパン』(筑摩書房)の見本が届いた。
竹下晃朗さんのパンの原点は、生まれ育ったシドニーにある。
竹下晃朗さんは言う。
「私のパンへの思いは、オーストラリアのシドニーで生まれ、育ったことから始まった。毎朝食べていたあたたかいカントリーブレッドの馥郁たる味が忘れられないことが原点であると思う」
幼い竹下少年の舌が覚えた思い出のその味は、何十年という時を経て、多くの人をしあわせにするパンになる。
竹下晃朗さんは、修学院で、雨の日も、風の日も、おいしいパンのことを考え、石臼で粉を挽き、パンを焼いている。だが、竹下晃朗さんは、パン屋さんでも、パン職人でもなく、本職はエンジニア。だから、竹下晃朗さんが焼くパンは、どこかで販売されているわけではない。家族や友人、知人にそのパンが振る舞われることはあるが、あくまでも自分のためのパンである。
そんな竹下晃朗さんに出会ったのは、京都・静原のカフェ・ミレットだった。それは、去年の七草粥の日のことで、そのときのことは今でもはっきり覚えている。

2018年1月7日、この年のカフェ・ミレットの初めての予約客は2組の家族。それが竹下先生の家族と私の家族だった。私たちは少し離れた別々のテーブルだったので言葉を交わすことはなかったが、食事を終え、薪ストーブの前の椅子に座っていらした竹下晃朗さんの姿は一枚の絵のようで神々しく、こっそり写真を撮りたいほどだった。
その後、カフェ・ミレット、竹下晃朗さん、竹下晃朗さんが石窯を設計したいくつかのパン屋さん、たとえば、伏見区のBARLEY LIFE、イルチエロ、左京区のごはんぱん工房つぶつぶ、手塚山のそれいゆ…と、新しいドアが次々に開き、星座のように目に見えないラインがつながって行くことになって行った。

生きていると、たくさんの人、もの、出来事に出会う。そして、いろいろなものを手にすることが出来るが、この手につかんだものを手放して行かなければならないこともある。人生を振り返ってみると、何とたくさんのものを手放して来たことか。それでも、手放さなかったものは、砂金のようにこの手に残っている。その砂金が、角野栄子さんの言う「その人の魔法」になるのだと思う。
そして、竹下晃朗さんの「魔法」は、パンだったのだな、と思う。ただし、それは巷にあふれているリッチな配合のパンとは一線を画した、小麦本来の味がする全粒粉100パーセントのいのちのパンだ。
この世界にはニセモノがあふれている。だから、せめて自分の世界に何かひとつくらいホンモノを据え置いておきたい。竹下晃朗さんに出会って、そんな風に思うようになった。それが私の前に開いた魔法のドアのひとつだったと思う。

☆10月の「すみれ図書室」は、10月27日(日)の午後2時からです。
今月の「修道院のおやつ」は、大分トラピスト修道院のバタークッキー、安心院の聖母修道院のクッキーいろいろ、そして、天使の聖母トラピスチヌ修道院のマダレナをご用意します。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。

出雲大社参拝のこと。10月の「すみれ図書室」のことなど。

IMG_6697ここを下っていくと、右手に祓戸の大神さま。ここでちゃんとご挨拶。







IMG_6704IMG_6705御祭神・大国主命さまのむすびの御神像。「さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ」







IMG_6715IMG_6716IMG_6718本殿参拝のとき、ご祈祷が始まり、神楽殿参拝のときには神楽が始まった。その後、挙式カップルの姿。何とも縁起がよい参拝になりました。







IMG_6713出雲大社本殿裏にある「素鵞社(そがのやしろ)」には、大国主命の親神スサノオノミコトが祀られています。ここで稲佐の浜の砂を砂箱に入れ、スサノオノミコトのパワーが宿った砂をいただきます。





IMG_6738IMG_6810日御碕神社参拝は、祓戸のお社・宗像神社から。その後、社務所でお願いして、御神砂をいただきました。





秋の始まりの頃、出雲大社に参拝しました。
春に一度参拝したのですが、唱えるべき祝詞、参拝の順序、授与品など、個人的にさまざまな取りこぼしがあり、それを埋めるためにも、もう一度参拝したいと思っていたのです。
タイトなスケジュールだったので、今回は出雲大社と日御碕神社へ。
車で出雲路街道を走り、そろそろ第一の鳥居というとき、携帯に出版社から電話がありました(私は助手席)。出てみると、企画が通ったので早速進めてください、という内容でした。少し前、オファーがあり、企画会議にかけてみます、と言われていたことだったのですが、それがこの日に叶うなんて。しかも出雲大社の第一の鳥居のすぐ手前で。早速ご縁を繋いでいただきました。う〜ん、大国主命さま、凄すぎます。

このたびの参拝の参考にしたのは『「出雲の神さま」にまかせなさい』(清水義久著 大和出版)です。

「出雲の神さま」は、不可能を可能に変える能力を持っています。
 途方もない夢でも、願い事でも、叶えてくれます。
 よからぬ人間を、いつのまにか、よい人間に変えてくれます。
 そして、こんなスーパー能力の持ち主であるにもかかわらず、驚くほどやさしくて、親しみやすくて、厳しい修行や努力を強いることもなく、いつも私たち人間に寄り添ってくださっています。
「出雲の神さま」を味方につければ、これからのあなたは「向かうところ敵なし!」の人生を歩んでいくことができるでしょう。
 その「秘密」と「秘訣」が書かれているのが、この一冊です。
                           ─まえがきより

大国主命は、縁結びの神さまとして知られています。多くの人は、恋愛や結婚といったことをイメージしているのではないかと思うのですが、大国主命の縁結びというのは、それだけではなく、もっともっと懐の深い意味があるのだそうです。何といっても「あなたの願いが既に叶っている世界から降りてきている」神さまなのですから。
この本によると、大国主命というのは、「不可能なことを可能な世界へ繋いでご縁をつくってくれている神さま」であり、「未来の世界にいて、願い事が叶えられることを未来で決めて、この世界に笑って持ってきてくださる神さま」、さらには「「縁結び」という完全なる「未来予知」をしてくださる神さま」なのだそうです。
そして、「あなたが大国主さんに願い事を叶えてもらうための条件はただひとつ。「笑うこと」なのです」(ここは大事なポイント)。ものごとが高いところから低いところに降りて来るように、願いが既に叶っている未来が縁結びによって今と繋がる。私たちがすべきことは、絶望を笑いに変えてゆくこと。
そうしたことのひとつひとつがとても興味深く、弾むような気持ちで参拝したのですが、私にとってこの本の核心は第6章の「神技習得」でした。ここに紹介されている手印、和歌、儀式、祝詞といった5つの神技がすばらしく、参拝に際して、早速使わせていただきました。
実はこの本に書かれていることの中には、あえて説明されていない、とんでもなく深いところで使えるものもあります。それは、いつかそのことを知ることがあれば、えっ!? こんなすごい「魔法」も入っていたんだ、と驚くような、そんな感じのもの。
読んだ後で、あれっ、これだけのことだったの? とがっかりする本が多い中、ここまで出し惜しみせず書いてくださるなんて、と思うほど、その内容は深く、ずしりと重いです。
それはともかく、春の参拝のときは分からなかったこと、知らなかったこと、出来なかったことを、穴埋めするようにひとつずつ。ありがたい出雲大社参拝となりました。

☆10月の「すみれ図書室」は、10月27日(日)の午後2時からです。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。






「わたしはだいじょうぶ」→「わたしたちはだいじょうぶ」『レモンの図書室』

FotoJet紫竹の『葵湖(きこ)』のお昼膳1620円(税込) 大宮玄以西入ル 季節のお浸し、お造り、茶碗蒸し、八寸、ごはん、赤だし、漬物、水物、コーヒー又は紅茶という献立です。「すみれ図書室」からは歩いて15分位の場所にあります。





いつも野菜を買いにいく農園の直売所にたくさんのレモンが並んでいた。まだ色づいていない緑色のレモン。
レモンを手に取り、鼻先に近づけて香りを吸い込みながら思い出す一冊の本。初夏のころに読んだ『レモンの図書室』(ジョー・コットリル作 杉田七重訳 小学館)だ。
レモンが一杯の表紙。帯には、

「『少女ポリアンナ』『赤毛のアン』『黒馬物語』『アンネの日記』『くまのプーさん』『オズの魔法使い』『穴』『ワンダー』……。本は友だちになれる?」
「カリプソの図書室は、ママのにおいのするなつかしい特別な部屋。カリプソは、べつに人ぎらいってわけじゃないけれど、正直にいえば、本のほうがいい。本が頭の中につくってくれる安らぎの場所、魔法や、無人島や謎に満ちた世界が好きだった。
──────────────────────でも、本だけでは満たされない。」

とある。帯を眺めているだけで、もうこの本は読まなくちゃ、と思ったのだが、帯の「でも」の前に続くこの長い長い罫線はどうして? そんな思いを心に持ちつつ、読んでみた。

母親が死んでしまってから、父親と二人で暮らしているカリプソ。
カリプソは、本が大好き。
いつも一人でいるカリプソにとって、本はたったひとつの心のよりどころ。
本は勇気づけてくれるし、世界を広げてくれる。本が頭の中につくってくれる安らぎの場所。魔法や、無人島や、謎に満ちた世界──。
でも、本だけでは、心は満たされない。そんなカリプソに、

「おまえはだいじょうぶだ、カリプソ」
「おまえには人一倍強い心がそなわっている」

父親はそう言う。伴侶を亡くしたことにちゃんと向き合わず、仕事に逃げ込んでいる父親だって、そう言い聞かせないと、自分が壊れてしまうと思っていたのかもしれないが、愛する人を失った悲しみはカリプソも同じなのに、そのことを共有できない心の痛み。だが、そう言われるたび、カリプソは強い心を見つけようとする。

「わたしはだいじょうぶ」

何があっても、カリプソは、自分にそう言い聞かせる。

そんなカリプソの特別なもの。それはそして、亡くなった母親がアトリエにしていた部屋を作り替えた「わたしの図書室」。そこには、本が大好きだった母親が小さいときに読んでいた本がぎっしり!

「自分の図書室にすわって、かべにならぶ書棚にぎっしりつまった本に囲まれて、ママのなつかしいにおいをすいこみながら読書できるのはうれしい。わたしの特別な部屋だから、パパも入ってこなかった」

「そのときどきの気分をボトルにつめてしまっておけたらいいのに。そうしたら必要なときにふたをあけて、その気分にひたれる。今の気分をボトルにつめたら、きっと赤やピンクやオレンジの、見ているだけでウキウキするうず巻きが、びんのなかで光るはず。メイが、わたしの家の、わたしの図書室にいる。しかもここはもとママの部屋。たぶん目に見えないふしぎな力がうず巻いている。ママがここに、わたしたいといっしょにいるような気がしてくる──」

そんな特別なものだった図書室なのに、ある日、そこから本がすべて消え、かわりにレモンの実がすらりと並んでいた。ディケンズやジェーン・オースティンじゃなく、ひたすらレモン。カリプソを放置気味にし、自分の世界に引きこもり、レモンの歴史についての本を書くことに夢中になっている父親が母親の蔵書を倉庫にしまい込み、本棚をレモンで埋め尽くしたのだ。それを見たカリプソからは、毒薬のビンの蓋をあけたみたいに、毒のあることばがあふれ出す。

その後カリプソは「家族の面倒をみる子供の会」に参加するようになり、父親はカウンセリングを受けるようになる。だが、事件が起こる。父親が何年もかかってやっと書き上げた『レモンの歴史』を送った出版社から不採用通知が届くのだ。それにショックを受けた父親はソファにほぼ寝たきりになってしまう。このままだと自殺するんじゃないかと不安になったカリプソはつきっきりで世話をする。
帯の長〜い罫線はきっと、つらい思い、大変な思いもいっぱいあるすっぱいレモンのようなカリプソの思いであり、人生だったのだ。

だが、幸いなことに、ずっと一人ぼっちだったカリプソのそばには今、メイという友人がいて、彼女の家族との素晴らしい触れ合い─秘密基地作り、小説の電子出版、何年も楽しんだことのないクリスマス──の中で、輝く日常を少しずつ取り戻してゆく。家族そろってあたたかい夕食を食べ、ワイワイおしゃべりをするという日常のありふれた出来事も、カリプソにとっては魔法の薬。
「もし人生にレモンを与えられたなら、それでレモネードを作りなさい」というのは、カーネギーの言葉だったかな。いろんなことがあったカリプソだったが、この物語は「わたしたちはだいじょうぶ」で終わる。友情、家族、本。そのどれもが酸っぱいレモンをレモネードに変える魔法だったのだ。

「ママの目がこの同じ言葉をたどった。ママの頭のなかに広がったのと同じ物語の世界が、わたしの頭の中にも広がる。この本を通じて、わたしとママはつながる。(中略) 本はお話しを語ってくれるだけじゃない。失った人をとりもどしてもくれる)

⁂巻末には「カリプソの読書案内」があり、「レモンの図書室」に並ぶ本が紹介されている。

☆9月の「すみれ図書室」は、29日(日)の午後2時からです。修道院のおやつは、大分トラピスト修道院のバタークッキーをご用意します。
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あぁ、秋。そして、8月の「すみれ図書室」のこと

いつの間にか、季節はゆるやかな転調を始め、今朝、早起きして庭に出たら、コオロギのような虫の音が聴こえて来ました。そして、夏の間、羽をヒラヒラさせながら飛んで私を喜ばせてくれた神さまの使いと言われる羽黒トンボはすっかり姿を消してしまいました。見上げると、背丈が3メートルを超えたオリーブの木には、青い実がなっています。

     幻の花

 庭に
 今年の菊が咲いた。

 子どものとき、
 季節は目の前に
 ひとつしか展開しなかった。

 今は見える
 去年の菊。
 おととしの菊。
 十年前の菊。

 遠くから
 まぼろしの花たちがあらわれ
 今年の花を
 連れ去ろうとしているのが見える。
 ああこの菊も!

 そうして別れる
 私もまた何かの手にひかれて。
                ─『石垣りん詩集 表札など』(童話屋)


田村セツコさんは「おばあさんのシワの中にはいろいろなものが入っている」とおっしゃいましたが、年齢を重ねると、季節の展開もまたひとつではなくなります。そして、心の中にもたくさんのものが折りたたまれて、豊かに深くなって行くように思います。

☆8月の「すみれ図書室」は、25日(日)の午後2時からです。修道院のおやつは、先月に引き続き、安心院の聖母修道院のクッキーを数種類ご用意します。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。



魂が宝石になる。「リラダンが他人に語ったコント」

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モルフォカフェのお昼ご飯









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自然ごはんの店 おおきな木のお昼ご飯







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菜食パドマのお昼ご飯





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きらきらひかるのお昼ご飯










リラダンが他人に語ったというコントのことを知ったのは熊井明子さんのエッセイだったが、あるとき、読んでいた本の中でこの物語に出合った。その本とは『ピモダン館(やかた)』(斎藤磯雄随筆集 廣済堂出版)で、今も折に触れ、読み返している。
何年か前、ブログにこのことは書いた気もするが、最近、読み返して、やっぱり感動したのでまた書いてみる。

「ヴィリエ・ド・リラダンの新しい研究書が出たので讀んでみると、全集には収録されてゐない次のようなコントが載つてゐた。(中略) 想像力に溢れてゐたこの詩人は、構想の百分ノ一も作品として書きとめず、すばらしい筋を惜しげもなく他人に語つたり提供したりしたのであるが、中にはそれを盗んで名をあげた作家もあつたと云ふ。──この象徴的な物語も「語られたコント」の一つであり、たまたまこれを聴いた友人の一人が書き残したものである」

この短い物語を読むだけで、今、ここに星がきらめく。そして、星と魂の声なき会話、降り積もる悠久の時が、モノクロームの映画のように流れ始める。

「そのむかし、ブルターニュの海の底に、えたいの知れぬ一つの石があつて、潮騒のともよしと群がる大魚の鰭に打たれてゐた。その石は隈なく苔やねばつく藻草のたぐひに覆はれてゐた。紺青の水のたゆたひや、溺れた花のやうに厳かる改訂植物の美しさに對して、この石はいささかの關心も寄せないかに見えたが、──石の身であるからにはそれも至極當然のことであつた。(中略) 石は、一切のものから冷然として孤立してゐるかのやうであつた」

その石は、黄金の樽の数々が転げ落ちて来たところで、その絢爛たる富に驚くこともなく、何事に対しても無関心であるのを見て腹を立てた一人の聖者が言う。

「一體どうしてそなたは……幾千萬年も昔から、身じろぎもせず、さながら物も思はぬかに、ぢつとしてをるのぢや」

石は答える。

「この果てしない水の厚みを透し、嵐の日も重苦しい凪の日も、わたくしは永久に、天空の高き極みに、星辰のうちの最も遥かな星辰を凝視めてゐるからです。そして、その星の消え去るときは、再びその星のさし昇るのを待つてゐるのです」

「哀れなものよ、星を眺めて、一體そなたは何を得たと申すのぢや」

──わたくしを蔽ひ包んでゐるこの藻草や苔を拂ひのけて下さい(と石は答へた)。
 聖者は藻草を拂ひのけた、するとその石は悉くダイヤモンドであり、蒼穹の最も輝かしい星座と同じやうに忽ち絢爛たる光を放つた。……

石の見えざる魂は、悉く宝石だったのだ。
夜空を凝視めながら、石の魂は、きらめく星や月とつながり、そこからしたたる雫を吸収していたのだろう。そう思い、

「よい天性は
 蜜蜂のように
 どんな草からも
 蜜を集める」

という詩の一節を物語に重ねてみた。

☆8月の「すみれ図書室」は、25日(日)の午後2時からです。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。









『銀花』という雑誌。そして、7月の「すみれ図書室」について

『銀花』(文化出版局)という雑誌があった。
特集はていねいな取材記事で構成されていて読み応えがあり、「銀花萌芽帖」は、宝石のようにきらめく情報が盛り込まれていて。表紙にはたくさんの文字情報があって。ときに木版の蔵書票がついていて。とても好きな雑誌だった。
仕事の手を止めて、目の前のたくさんの本や雑誌の並びを何となく眺めていたら、その中に『銀花』の背表紙を見つけたので、抜き取ってページを開いてみたところ、『銀花』の輝きがそこから立ちのぼり、そのさまざまを思い出したのだった。
手に取った一冊の特集は「アジアの絹」(1999年春号)。
「虫が自らのためにこしらえた美しい外套をちょいと失敬して、わが衣(ころも)とした人間たち。虫の衣を借り、人は絹織物という大いなる伝世品を生んだ。七千年以上も昔の話である」
日本、中国、インドネシア、ブータン、インド、ラオス、ヴェトナム。大地の風を孕むアジアの野の繭紀行がたっぷり80頁以上。その膨大な物語は今は脇に置いておいて、その中からちょっとしたこぼれ話を。

◎平安朝の貴族の衣類は主に絹であった。絹は色素を吸収するため、貴族たちの肌は白くなめらかであったと思われる。

◎絹には保湿性があるので、ブラウスなど、古くなったり、破れたりしても、そのまま捨てないで、細かく切って植木鉢の土の外側周囲などに巻くようにしていれるといい。少々水やりを忘れたり、旅行に行ってきても、意外とぴんとしているものだ。長い間には肥料となるし、保湿性もあるので、春の花など普段より少し早く開花するようだ。

匂い立つような美しさやそれを纏う心の高揚のようなものだけでなく、絹というのは、何とたくさんの魔法を孕んでいることか。そして、すばらしい雑誌というのは、時を経ても古びず、玉手箱のような喜びをいつまでも与えてくれるものであることか。
仕事が一段落したら、書棚にある『銀花』をすべて取り出して、ゆっくり読みふけりたい。只今の真夏の夜の夢です。

☆7月の「すみれ図書室」は、28日(日)の午後1時半からです。
修道院のおやつは、安心院の聖母トラピスチヌ修道院のクッキーをご用意します。
この日は、上賀茂手づくり市がありますが、「賀茂の水まつり」も開催されます。お茶席・流し素麺・かき氷・綿飴などの縁日もあるようです。5時からは神事もあるので、「すみれ図書室」は5時位には仕舞う予定です。
「すみれ図書室」の場所は上賀茂神社隣ですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)にご連絡を明記の上お問合せください。あるいは、TwitterのDMまたは、 sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。












お伊勢参り

IMG_4785二見が浦






IMG_4792龍宮社









IMG_4852内宮 宇治橋前の鳥居








IMG_4867宇治橋








IMG_4847
宇治橋の擬宝珠。16基ある擬宝珠の内のひとつ「天照皇太神宮 御裳濯川御橋 元和五己未年( 1619年)三月」の刻印がある擬宝珠の中には、饗土橋姫神社の神札が納められていて、触るとラッキーが訪れる、伊勢神宮に参拝できる等と言われています。





IMG_4877内宮











IMG_E4986内宮と外宮で購入出来る「神盃」







IMG_E4936倭姫宮にて。










◎吹く風の目にこそ見えね神々はこの天地(あめつち)に神づまります ─橘曙覧

念願かなって、伊勢神宮に参拝しました。
これまで何度か予定を立てたものの、仕事の都合でキャンセルしてしまっていたので、まさに悲願のお伊勢参り。ホテル予約も、仕事の段取りがついたのも前日、というあわただしさでしたが、心には、深尾須磨子さんのこの詩がリフレインしていました。

行き着くところをわが家にして
軽さよ、鞄は笑ひでいっぱい
朝に行き合ふのは火星の人
昨夜に行き合ふのは海王星の人
案内役の少年はいつも十六
世界語の話し手
     ──深尾須磨子「旅」

今回、参考にしたのは『”豊かな人生と最高の幸せ“を引き寄せたいなら「伊勢の神様」にまかせなさい』(清水義久著 大和出版)。一夜漬けでしたが、この本を読み、伊勢の神さまのルーツ、役割り、伊勢神宮の隠された構造、正しい「お伊勢参り」ガイドなどをしっかりからだに落とし込んで出かけました。

当日も、この本に従い、‘鷂が浦 手水のあと蛙に出合い、そこから夫婦岩に手を合わせてから橋を渡り、二見興玉神社へ。そこから龍宮社へ 猿田彦神社佐瑠女神社→秘密の通路(黙ってただ通り抜けるだけで、すべての穢れが浄化されてしまうのだそう)を通り抜けて神田へ 3圧棔ゝ祇个望茲辰毒愧罎鯑Г漾風宮へ。続いて土宮、多賀宮を参拝し、正宮へ(豊受さまの本名を唱えると、豊受さまが降りてくださるそうです)。 て盖棔ー蠖紊里△函五十鈴川御手洗場でもう一度禊ぎをしたら瀧祭神(内宮の龍神さま)に挨拶→風日祈宮(天照さまに繋いでいただくためにきちんと挨拶)→正宮参拝(天照さまの本名を言上げすることによって、お目見えすることができるそうです)→荒祭宮参拝 月讀宮参拝(ここには、月讀荒御魂宮、月讀宮 伊佐奈岐宮 伊佐奈弥宮 の四別宮が並んで鎮座しています)。
このルートが、パーフェクトなお伊勢参りだそうです。

本に書いてあった猿田彦神社の五十鈴や御富岐玉などは、生産が追い付かない状態らしく、手に入らなかったのですが、内宮と外宮で黄金色に輝く「神盃」を購入しました。
この盃は神さまとのご縁を結ぶ神器であり、酒や水を入れて少し時間を置くと、確実に味が変わるそうです。また、この神盃を使って、天照さま、豊受さまのエネルギーで浄めていただける「運命改善の塩」を作ることが出来るらしく、その作り方も書かれていました(今、この塩を作っているところです)。

ところで、この本によると、悩みが解決し、お金だったり、健康だったり、愛情だったり、そうした様々なものが手に入ったとしても、「心」で満足しなかったら、次のステージには上がれない、とあります。つまり、目で見える豊かなものがすべて手に入ったとしても、それは登山でいうところの六合目とか七合目であり、心の内側に「安心」「楽しみ」「喜び」という三つの柱がないと、次なる高みの景色は見えてこないのです。欲しいものすべてが手に入ったのに何故か心が満たされない、というのはよくある話。しかし、お伊勢参りでは、

・猿田彦神社では「困ったことの解決」
・外宮では「この世で見える衣食住のご利益」
・内宮では「三つの柱と幸せ」

が手に入るようになっているのだそうです(つまり、すべてが手に入るということ)。

でも、ここはまだゴールではありません。ファイナルアンサーは、心に湧き上がる感謝と確信と畏敬の念。「最後に口を突く本当の思いは、次のような思い。

「お蔭さまで、ありがとうございました」
これこそが、天照さまと豊受さまの最終ゴールです。
そしてそのゴールから、また物語が始まっていくのです」

この本のおかげで、言葉よりもはるかに力を持つもの、そのことを感じ、触れる旅になり、さらには、この先にひろがる美しい景色をイメージ出来る旅にもなりました。

☆6月の「すみれ図書室」は、23日(日)の午後2時からです。場所は、上賀茂神社そばですが、詳しい場所については、このブログのコメント欄(非公開です)かTwitterのDMまたは、mail: sumiretoshoinfoアットgmail.com までお問合せください。ただし、このアドレスは案内専用ですので、その他のお問い合わせには使えません。
















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