カフェと本なしでは一日もいられない。

カフェ通いと読書に明け暮れる日々。 ⓒatelier.sumire.gingetsu

銀月アパートメントの桜と岡本かの子

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◎桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり






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◎ひえびえと咲きたわみたる桜花(はな)のしたひえびえとせまる肉体の感じ






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◎わが庭の桜日和の真昼なれ贈りこしこれのつやつや林檎






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◎咲きこもる桜花(はな)ふところゆ一ひらの白刃こぼれて夢さめにけり





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◎桜花(はな)の奥なにたからかに語り来る人ありて姿なかなか見えず



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◎こよひわきて桜花(はな)の上なる暗空(やみぞら)に光するどき星ひとつあり



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◎さくら花まぼしけれどもやはらかく春のこころに咲きとほりたり


☆岡本かの子の歌のいろいろと今年の銀月アパートメントの枝垂れ桜でした。

☆4月の「すみれ図書室」は、22日(土)の午後2時からです。修道院のおやつは、伊万里の聖母トラピスチヌ修道院のマドレーヌ、クッキー、大分トラピスト修道院のバタークッキーです。






魔法は一つ。そして誰でも持っている。『角野栄子の毎日いろいろ』

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『角野栄子の毎日 いろいろ」



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いちご色の本棚。どんな本が並んでいるのか気になります。


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ドイツやイタリアのお母さんたちがさっとこういう上着を着て身の回りの仕事をしている姿を見て、真似してみようと仕立ててもらったという仕事着。


思えば、ず〜っと角野栄子さんの言葉を抱きしめて生きて来た。キイワードは「魔法」。角野栄子さんの言葉を抱きしめていると、空も、雲も、風景も、本も、目にうつるすべてのことが魔法に思えたし、私自身もまた魔法の使い手だと思えた。これってすごいことじゃない!?
私にとって、魔法の巻物は『ファンタジーがうまれるとき 『魔女の宅急便』とわたし』(岩波ジュニア新書)であり、新聞や雑誌の角野栄子さんのインタビューやそこで出合う言葉は、その巻物の取り扱い説明書のような役目を果たす魔法の道具のひとつひとつだった。例えば、こんな言葉。

「書くことが私にとっての魔法なのだということです。好きなことを離れずにやっていくと、それはきっとその人の魔法となる」 

好きなことを離れずにやってゆく。このことがその人の魔法になる。この言葉を思いながら両手を広げると、手のひらに、キラキラ光る私の「魔法」がある。そう思い、そう感じ、その魔法を抱きしめながら生きて来た気がする。
そして、待ちに待った角野栄子さんの新刊。
「私はね、贈り物の箱をあけるときのように、わくわくしてるわ」
というキキの言葉の言葉通り、わくわくしながら本を開き、読みふけった。
この本の中には、角野栄子さんの毎日がいろいろ。いちご色の壁や本棚、黒皮の手帳、寝室の観音様、お料理のレシピ、庭仕事、おしゃれ━━etc
期待したエッセイ集ではなかったが、角野栄子さんの魔法の秘密を垣間見ることができた。美しい人の美しい毎日、美しい生き方、日常の魔法。
そして、角野さんのこんな魔法の言葉にも出合えた。

「魔女はね、見えない世界を創造し、そこにあるエネルギーを感じて、暮しに取り入れていった。それが薬草採集につながり、やがては不思議な力、魔法と呼ばれるようになっていったのではないかしら。魔女って本当は、そういう人だったのよ。歴史の狭間で悪者にされる時代もあったけど、キキの場合はほうきで飛べるという力を生かして、見えない世界を見、想像し、工夫を凝らし、一人で生きていく。魔法は想像する力といってもいいかもしれない。これはキキに限らず誰でも持っている力。心が動くと、だんだんとその人の魔法が育っていくのよね。だから、魔法は一つ。そして誰でも持っているものだと思っているの」(本文「魔法は一つ 誰でも持っている」より)

魔法は一つ。そして誰でも持っている。

泣菫随筆の「美しい娘さん」

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◎満開の頃の銀月アパートメントの枝垂桜。4月2日(日)のお部屋マーケット、桜の開花状況はどうでしょうか。駒井邸も特別公開中ですので、白川散歩をかねてふらりとお立ち寄りください。ウクレレのワークショップに参加ご希望の方も、手ぶらでどうぞ。貸しウクレレを用意しています。



『泣菫随筆』(矢沢永一 山野博史編 冨山房百科文庫)に「森林太郎氏」という随筆が収録されている。
以下、後半部分を引用してみる。

さうかうするうちに、女中の手でお膳が運び出された。そのお膳を見て私たちはちよつとおどろいた。それは客たち三人の前にならべられた膳は、いづれも中脚(ちゆうあし)のただの塗膳に過ぎなかつたが、主人の森氏の前に据ゑられたのは、氏がふだんに使ひ馴れたものかは知らないが、高脚の膳も、椀も、金蒔絵の定紋のついた、よく浅田飴の辻広告で見る鶴千代君のお膳そつくりの気取つたものだつた。
「Parnassian(高踏派)といふものは、三度三度あんなお膳で物を食べなくちやならないものかしら」
 私は腹のなかでかう思つた。
 森氏は飯をたべながらいろんな話をした。
 鶴千代君のそれと同じな、金蒔絵の汁椀の中から汁をすすりながら、いろんな話をして面白さうに笑つた。その笑ひ声のどこかにサーベルをがちやがちやいはせさうな、元気な軍人らしいところが交つて、私たちは自分と同じ年輩の人と話をしてゐるやうな気持になつた。
 食事が済んだころ、とんとんと階段を踏む小さな足音がして、美しい娘さんがそつと入つてきた。そして、何も言はないで転げるやうに主人の膝にもたれた。森氏は片手でその頭を撫で廻しながら、
「茉莉さんか。こいつが可愛い奴でな……」
と眼を細めながら笑つた。その顔には子煩悩なお父さんらしいところがありありと見えて、文字通りに文壇の老大家であつた。
 しばらくして茉莉さんが姿を隠すと、森氏は急にまたお父さんから私たちの仲間にかへつて来た。そして葉巻の煙を吐きながらこんな話をした。
「君たちもいろんなことを詩に詠むやうだが、僕がこなひだ読んだある独逸の詩人のものにこんなのがあつたつけ。ある男がアルペンの山路を登つてゆくと、坂の上から婦人が一人下りてくる。すると谷間の風が急に吹き上げてきて、その婦人の着物の裾をまくつたといふのだ。詩はただそれきりだよ」
 森氏はかう言つて声高く笑つた。その声にはどこかに馬の上で笑ふやうな軍人式なところがあつた。
                         (大正13年刊『忘れぬ人々』)

明治39年5月、森鴎外とのただ一度の面会のときのことを書いたもので、同行者は、岩野泡鳴、蒲原有明だった。
通されたのは見晴らしのいい二階の座敷で、部屋のすべてが几帳面だったと泣菫は書いている。
森茉莉は明治36年生まれなので、泣菫がここに書いている「美しい娘さん」は、満三歳だったと思われる。森茉莉が書いたパッパのこと、観潮楼のことなどを重ねながら読むと、非常に興味深い随筆である。
『幼い日々』を読み返したくなった。

2017年3月26日「すみれ図書室」の記録

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3月26日のすみれ図書室





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今日の黒板の言葉は、田辺聖子さん。





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修道院のおやつは、十勝カルメル会修道院のパウンドケーキとチョコレートいろいろ。




DSC00077厄除け桃
晴明神社「厄除け桃」。自分の厄をこの桃に撫でつけます。






DSC00078晴明神社
樹齢推定300年の楠。樹皮に触れると独特の感覚があるとか。両手をあてて大樹の力を感じ、エネルギーをチャージします。




DSC00079晴明神社
晴明公が念力により湧出させた晴明井。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は飲むことができます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。


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銀月アパートメントの枝垂れ桜。今年はどんな姿を見せてくれるでしょうか。







2017年3月26日 すみれ図書室の記録

この日はまず、銀月アパートメントに立ち寄って、桜の開花状況をチェック。まだまだ蕾かたし、といったところか。枝垂れ桜の枝が道路にくっついてしまうくらい垂れ下がり、枝をかきわけながら歩いていたのに、今年は枝や幹にたくさんの手が入り、枝ぶりはさっぱりとしている。もしかすると、これくらい手を入れないと、桜の木そのものに負担がかかってしまうのだろう。絢爛たる枝垂れの姿は今年は望めないかもしれない。
銀月をあとにして、吉祥水を汲むために、500mlのペットボトルも持参して、晴明神社に参拝する。境内は大勢の人、人、人。本殿にお参りし、厄除け桃を撫で、末社に参拝し、ご神木からエネルギーをもらう。御朱印をお願いし、厄除けステッカーを買い、ひと通りの目的を果たしたあと、吉祥水を汲もうと思ったのだが、晴明井の恵方を向いた注ぎ口からあまり水が流れていない。今日はお水は汲まなくてもいいのだろうと理解。
途中、玄武神社にもお参りする。玄武神社には鈴がなく、かわりに鏡があるのだが、本殿の前に立つとそこに自分の姿が映る。姿勢を正し、二拝すると、神殿から風がスーッと吹いてきた。この「御幌」(みとばり)、 内から外に揺れたら、神様が願いを聞いて下さった印であり、外から内に揺れたら、願い風と言って、願いが届いた印だそうだが、この日は内から外に揺れていたので、神様が私の願いを聞いてくださったということなのだろう。ありがたい。
その後、「すみれ図書室」に向かう。途中の「西陣のおじいさまの路地」では椿が咲いていた。
妹から京都駅に家族を迎えに行くので途中で立ち寄るとの連絡。だいたいの時間計算をして、用事に取りかかる。まずは、部屋の窓をすべて開けて、掃除をすませてから、「チップルソン」に。食パンと塩パン、フォカッチャを買って戻り、お昼ごはん。今日のメニューは、もち麦入り三分づき米、梅干し、春菊のえごま和え、小豆カボチャ、テンペの照り焼き、しめじの炒め物。それなりに美味なり! ご飯を食べていたら妹から着いたとの連絡があったので、おすそ分けの食パンを持って外へ。妹からは手作りのラッキョウ漬けなどをもらって、お昼ごはんに復帰。もくもくを食べながら、お味噌汁を作ればよかったなぁ、などと思っていたら、すでに1時半を回っていることに気づく。慌てて黒板にメッセージを書いたり、看板を外に出しに行ったり、お茶を用意したりしていると、あっという間にオープンの時間になる。窓外を見ると、曇り。何とかお天気が持ってくれれば、と思う。でも、こうして春がやって来ていることを実感できるこの頃の日々の流れはすてき。芽吹き、花が咲き、街中がさまざまな色に包まれる。こんな思いの日は、風に吹かれながら川沿いを歩いてみたい気がする。
今日の修道院のおやつは、北海道の十勝カルメル会修道院のパウンドケーキとチョコレート類。お茶は、京都の小さな農園のシナモンとしょうがのほうじ茶。別名、妖精のお茶。オープンと同時にお客様が次々に来て下さり、座っていただく場所があまりなかった時間帯があり、申し訳なく思う。部屋と机のレイアウトを一度考え直さなくては。
先月の「すみれ図書室通信」で紹介した片山廣子さんの『燈火節』。何人かの方が片山廣子の新しい読者になって下さっていた。読み継がれて行って欲しい一冊だと強く思っているので、嬉しい限り。
「すみれ図書室」を開くたびに、来られた方からさまざまな情報を教えてもらっているのだが、この日のとびきりの情報は、サムハラ神社の御神環(指輪)。サムハラ神社は、神様に呼ばれないと行くことができない神社で、「すみれ図書室」でもこの神社の話題で盛り上がったことがある。早速参拝に行ってこられた方があり、この御神環のことを教えて下さったのだ。神社と同様、この御神環もタイミングと出合いが必要なのだとか。入荷するとすぐになくなってしまうので、参拝したときにタイミングよく御神環に出合え、自分の指のサイズに出合えて初めてそれを手にすることが出来るらしい。私も神さまから呼ばれるのを待とうと思う。
夕方近くになって雨が降り出した。ザァザァでも、しとしとでもなく、湿り気を帯びた春の雨。この日の室温は25度の設定。
「何かが生まれるときには、いつもそこには想像の散歩道がある。小さなサラダボウルのなかでも、それは同じなのだと思う。
 ああやったら……こうやったら……そうやったら……出来上がるものを心にえがいて、想像の散歩をする。すると、何かがしだいにはっきりとした形になっていく」(『ファンタジーが生まれるとき 『魔女の宅急便』とわたし』角野栄子 岩波ジュニア新書より)
「すみれ図書室」もそんな風に思い描いて行こうと思う。

☆4月の「すみれ図書室」は、4月22日(土)の午後2時からです。

☆4月2日、銀月アパートメントの部屋を開放し、お部屋マーケットとウクレレのワークショップを行います。ワークショップは一人1000円。お花見がてらお出かけください。
銀月アパートメントから徒歩1分の駒井邸では、4月1日から9日まで春の特別公開中です。

人生が完成する日

夕暮れ
子午線のある街の夕暮れ


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庭のミモザが満開になりつつある。






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『ふたりからひとり ときをためる暮らし それから』(自然食通信社)




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かつての私と今の私を比べてみると、いちばんの違いは(外見は横に置いて)食生活だと思う。デザートバイキングには行かなくなったし、あれこれ手をかけるよりも、素材そのものの味をいかしたものの方がおいしいと思うようになった。最近の食生活のベースに玄米菜食の食事があることも影響しているのだろう、時に破目ははずすものの、バターたっぷりのこってりしたものを口に入れたいとは思わなくなった。豪勢な食事に誘われると、以前は、よしッ! と腕まくりをせんばかりに意気込んだものだが、最近は、どうしようか、とむしろ悩んでしまう。食いしん坊には変わりないが、コテコテしたもの、ギラギラしたものには食指が動かなくなってしまったのだ。
もしかするとこの傾向は、読書にも影響を与えているかもしれない。最近の私は、早春の陽射しのようでありながら、滋味あふれる本に心惹かれる傾向がある。

『ふたりからひとり ときをためる暮らし それから』(自然食通信社)を読み終わった。
つばたしゅういちさん、英子さんのことは雑誌に掲載された記事で知り、こういう暮らしっていいなぁ、と思った記憶があるが、この度の『人生フルーツ』でお二人の暮らしに再会したことがきっかけで、ゆるやかに読み始めた一冊である。
以下はこの本の内容紹介。

「70種の野菜と50種の果樹に囲まれたキッチンガーデン。老いていく身体への負担を工夫した道具たち。山を削った造成地に丸太小屋を建てて木を植え、土を耕し、自分流に手間ひまをかけて、ていねいに生きてきたつばた英子さんとしゅうちさん。ふたりの積み重ねた歳月は、いつしか65年のときをためて、ひとり暮らしへと踏み出した英子さんをやさしく見守ります。『ききがたり ときをためる暮らし』から4年。その後のふたりの日々と、しゅういちさん亡き後の英子さんの暮らし―。愛らしくも潔い89歳の心豊かな日々をお届けします」。

プロローグ「人生が完成する日━━しゅういち」で、「私はいつも未来に向かって生きてきたので、未来が短くなったいまも、その習慣から抜け出せないでいます」、自分の死とは「私の目論んだ人生模様が、完成する日」といったサマセット・モームの言葉をしゅういちさんが引用しているのだが、そうした言葉がお二人の人生に重なり、こんな風にひとつずつ、時をためるようにして仕上げてゆく人生時間のことを思った。
どんなに心穏やかに暮らしていても、人生にはさまざまな変化が否応なしに起こる。だが、そのときどきの流れにあらがわず、ゆるやかに乗り換え、つきあってゆく。だが、自身の軸はぶれない。静かだが骨太。そんな二人の姿がそこにある。

◎ときをためるって、つないでいくということですものね。自分たちの世代より、次の世代が豊かな暮らしができるよう、つないでいかないと。(英子さんのことば)

◎ときをためて集めてきたものには、ストーリーがあるから、あとの人へとつないでいってほしい。(英子さんのことば)

◎「いつも一の矢、二の矢、三の矢を持っていて、一がダメなら二を、二がダメだったら三の矢を放て」(しゅういちさんの上司のことば)

◎「女房にほれろ、仕事にほれろ、地域にほれろ」(しゅういちさんの先輩のことば)

◎未来は大事だけど、いまを大事に生きることのほうが大事。(英子さんのことば)

◎老いたら老いたなりに、道具とうまくつきあっていく。体力があった頃と比較しないことですよ。 (しゅういちさんのことば)

◎長い時間をためたひとつのストーリーを届けられれば……、それが年寄りの仕事かなと思っているんです、僕たちの生き方を。ひとり、ひとり、暮らしていくうえでの何かの知恵のような、次の世代に何かを伝えるためのそういうストーリーをと。(しゅういちさんのことば)

☆3月の「すみれ図書室」は、3月26日(日)の午後2時からです。

2017.2.26 すみれ図書室の記録

20160926_170116DSC_03803DSC_0427福岡カルメル会お菓子DSC_0428オレンジケーキ材料名








左上:すみれ図書室 
左真中:すみれ図書室通信Vol.3 
真中右:修道院のおやつ 
左下:福岡カルメル会修道院のオレンジケーキの材料。マーガリンやショートニングは使われていません。



2017.2.26 すみれ図書室の記録

寒かった冬も終わり、やっと春の兆しが感じられるようになった。たったそれだけのことなのに、気持ちが妙にウキウキする。
薄田泣菫の「詩は良剤」という随筆の中に、こんな一文がある。

「私ひとりにとつて詩と同じやうに、ことによつたらそれ以上に治病の効果があつたのは、自然の観察━━とりわけ草木の、どちらかといへば、静寂で、むしろ単純極まるその生活を凝視することであつた」

どんなに寒くても、どんなに暑くても、天気のいい日には陽当たりのいい庭先に出て、草木の本然の姿を見るのが楽しみだった。草木は健康そのものの有難ささえ知らぬかのように長生きし、また再生する。高い空のもとにひとりぼっちで立っている━━。
泣菫は、健康そのもの、再生してゆく草木の姿に自らの憧れを重ねていたのかもしれない。

「明るい日光の中で、さうした草木の種々相を凝視してゐることによつて、私はなにほどか私の持病を忘れ、その苦しみを軽くすることができるのだ」

自然観察が「自分の病によく利く合薬(あいぐすり)」であり、泣菫はそれを調合して服用していたのである。
春の兆しを感じ、明るい陽射しを浴びることが出来る今頃の季節になると、心は妙に弾み、寒さにかたくなっていたからだも、細胞も、ゆるやかにほどけていくような気持ちになる。泣菫ならずとも、自然を感じることは、気持ちを明るくする合薬なのだと思う。
この日はチップルソンに立ち寄って、最近のお気に入りである塩パンとトーストパンを買い、すみれ図書室に向かう。
まず部屋の窓を全開にして空気を入れ替えながら掃除に取りかかったものの、陽射しがあまりにキラキラしているので、掃除を中断して窓辺の椅子に座り、しばし瞑想をする。だが、時間やスケジュールを気にしている今日の私は雑念だらけ。瞑想をあきらめて、小林健先生の『波動薬供戮CDを流しながら、掃除をする。隣の部屋も、キッチンも、トイレも、頑張ってキレイにする。朝起きたら、ハッピーバースデーと自分に言う。大きなお便りがあったら、サンキュー! と言う。I’m super good! と声に出す。そんなメッセージが波動薬のCDから聴こえて来る。
今日の修道院のおやつは、福岡カルメル会修道院のオレンジケーキ、チョコレートケーキ、フルーツケーキとクッキー。どのケーキも、箱を開けるといい匂い。修道院のハーブ園や果樹園の景色を思い出させる匂い。
仕入れることは可能ですか、と尋ねたところ、「ギリギリでやっているので値引きは出来ないので、お売りになるときは送料分を少し上乗せしてくださいね、儲けにならなくてごめんなさいね」と謝って下さったのだが、送料はこちらで負担することにして、購入価格のままで販売することにする。
修道院から届いた荷物を開けると、手作りのメッセージカードが入っていた。すみれ図書室に参加させてくださってありがとうございます、というお礼と、私が取材で訪ねたとき、クッキーを焼いていたシスターが現在は90歳になり、修道院長様になられたという報告、そして、神のお恵みがありますように、という祈りの言葉が書かれていた。読みながら、心に光がさす。
ひと通りの準備が終わったところでお昼ごはん。黒豆入り玄米、あずきカボチャ、大根と白菜と油揚げの煮物、たくあん、梅干し、というシンプルな献立。『食べ物を変えると、からだも、運命も変わります』の著者である岡田恭子先生から、「おかずの量がご飯をこえないように気をつけてね」と言われているので、ご飯とおかずの量はだいたい6対4位を守っている。だが、私は半端じゃない量のお米を食べるので、今日は7対3位だったかもしれない。それなのに、誘惑に勝てず、チップルソンの塩パンを一個、追加で食べてしまう。
時計を見ると、一時半を過ぎていたので、ヨシッ、と腕まくりをするような気持ちで準備の続き。今日のお茶、福岡カルメル会修道院製のハーブティーのためのお湯を沸かしながら、部屋の黒板にメッセージを書く。この日は田辺聖子さんの「ロマンチックとは」を書く。ロマンチックとは泣くかわりに微笑むこと……大好きな言葉だ。
お茶の準備をしながら、ハーブティーの袋に書かれていたメッセージを読む。「修院の丘に植えられたハーブは薬樹と共に今津湾を渡る潮風や小鳥の囀りを聴き、美しい夜空の星星を眺めて育ち、明るい陽ざしを浴びた自然育ちの薬香草です」。読んでいるだけでいい気持ちになる。修道院のお菓子や手紙に添えられているメッセージはどれもこれも本当にすてきで、私の魂をやさしい言葉で包んでくれる。お土産用に用意したハーブソルトを手に取ると、ハーブの粉末かと思うくらいの深緑色。たっぷりのハーブが配合されているのだと思う。
いつものように、あっという間に2時になったので、慌てて外に看板を出しにゆく。空が青い。雲は白い。風は心地いい。マザーグースの歌みたいな気分になる。
来て下さった方々からたくさんのことを教えていただき、いつものようにものすごく祝福に満ちた時間でした。本当に、返す返す、訪ねて来て下さったみなさまのおかげです。ありがとうございました。
☆来月のすみれ図書室は、3月26日(日)の午後2時からです。

「キュッとやめよう、前向きのことを考えよう、歩きだそう」

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左:春近し。銀月アパートメント 右:チップルソンの塩味パン







「キュッとやめよう、前向きのことを考えよう、歩きだそう」
これは『91歳の人生塾』(清川妙著 小学館)で出合った言葉。
幼い頃、悲しいことがあって泣いていると、お母さんからこんな風に言われたそうだ。
「かしこい子はキュッとやめなさい」
キュッとやめるっていい言葉だな、と思う。”キュッ”という言葉には楽しい響きもあるし、清川妙さんのエッセイではおなじみのクイックアクションにも通じるものがある。ボトルのキャップをキュッと締めるように、悲しい気持ち、暗い気持ちにキュッと蓋をして、キュッと明るいイメージに切り替えよう、そんなイメージが自分の中で出来上がる。

先週書いていた文庫の解説で「天職」という言葉を使ったので、しばし天職とは何だろう、どのようにして人は天職に巡り合うのだろうとぼんやり考えていた。そして、ある日、ふいに出合うのではないかと思い至った。啓示のように。
多分、私たちは、天職らしきものには、その時は気がつかないかもしれないが、ぼんやりと出合っているのだと思う。授業で何かを習ったとき、何かを見たとき、何かを読んだとき、人それぞれ、そのときは違うだろうが、ぼんやりと「こういうことがしたい」とか、「これが好き」とか思い始める。そして、そのときから、知らず知らず、未来でその確信に出合うための用意、条件づくりをするようになる。そして、ある日、ときが満ちて「天職」に巡り合うのだ。ただし、とき満ちて、巡り合うためには、知的預金というか、したいこと、なりたいこと、そういう思いの壺にさまざまなものが満ちていないといけない。
とにかく、長い時間をかけて満ちるものがあり、天職に巡り合ったとする。そして、これをやってゆこうと決めたとする。だが、一筋縄ではいかないのが天職である。さまざまなお試しがやって来る。好きなことやしたいこととずっと一緒にいるってことにはかなりのエネルギーと覚悟がいるものなのだ。
お試しによって覚悟を問われたとき、するべきことは、どうやってそれを乗り越えようかな、というバネを心に持つことである。「向いていないんじゃないかな」とか「やめようかな」と自分に言い訳をすることではない。そう言い訳をするということは、ふり出しに戻ることであり、せっかくのチャンスは取り上げられてしまう。サイコロの目で言うと、乗り越えようと思うことは「進む」ことを意味し、弱気になったり、くじけてしまったりすることは、「戻る」ことを意味するのだと私は思う。
こんな風に書いてはいるものの、私自身、お試しに負けそうなことはしょっちゅうある。そんなとき、「キュッとやめよう」という言葉が魔法の呪文になる。そうだ、キュッとやめよう、歩きだそう。キュッとクイックアクションで。キュッときっぱり。有り難い言葉をもらったと思う。
最後に、先の清川妙さんの本の中から、心がキュッとなる言葉を。

夢や願いを思い続けることは、とても大事なことだが、思っただけではだめなのだ。すこしでも形になるように行動していく努力が必要なのだ…

苦い経験こそ、人生のばねなのだと思う。

「いつかやってみたいわ」「そのうちに時期が来たら」と言っているうちは、何も始まらない。「いつか」「そのうち」は、永遠に引き延ばされていくものだ。
 もし、今、したいということがあるのなら、引き延ばさずに、すぐに挑戦してみることをお勧めする。
 いくつになっても挑戦する気持ちに、ちょっとした決意。それがあなたの世界を、思いもしないかたちで広げてくれるのである。




発酵ランチと無人販売のテンペ

発酵ランチ@ワトト発酵ランチ@ワトト
画像が暗いのですが、1月30日の発酵ランチと発酵スイーツ@cafe watoto.


発酵ランチ。この言葉の響きはとても私の心をひきつける。
発酵……。目に見えない世界のイキモノたちと食べ物がつながり、私がつながる。敵じゃなく、味方としてつながっている。このイメージが私をしあわせな気分にしてくれる。
以前から気にはなっていたのだが、この度、cafe watotoの発酵ランチを味わってみようと最終日を予約し、出かけた。去年の秋にも「発酵ランチ」が提供されていたのだが、その時は叶わなかったので。
到着すると、平日だというのに駐車場は満杯状態で、店内もお客様で一杯! ちなみに、cafe watotoはかなりな山の中にあり、途中に看板も出ていない。それなのにこの満席状態……すごい。
さて、この日の発酵Lunch メニュー

・蕪と白菜の糀漬け 豆乳味噌グラタン
・野菜サラダ 自家製甘酒ドレッシング
・テンペのニラ醤油糀ダレ
・梅ととろろ昆布のお吸い物
・島光の無農薬・無化学肥料のお米
・デザート(甘糀とサツマイモのクリームブリュレ風・酒粕のチーズケーキ)
・飲み物 

食事をしていると、隣のテーブルの人たちの会話が聞こえてくる。聞き耳を立てているわけではないので断片的にだが、「波動」とか「量子」といった単語が。何気なく見ると、女性の二人連れ。ふ〜む、興味深い。
ところで、この日のメニューにあるテンペは、「滋賀県でインドネシア人のLustonoさんが作っている本場のテンペ」と説明がある。多分、大津市の葛川というところで作られているのだと思う。一度チエックしなければ、と思いつつ、通り過ぎてしまっているのだが、山間の小さな集落にテンペの無人販売の冷蔵庫があると聞いたことがあるのだ。場所のあたりはついているので、近いうちに行ってみよう。そして、今年は島光さんの糀で味噌を作るつもりで何キロも買い込んでいる。使う糀の分量を調整して、甘酒と塩麹も作ろうと思っている。


百年の梅仕事

DSC_0308銀月アパートメントの枝垂桜の冬芽







DSC_0323『百年の梅仕事』(
乗松祥子 塩野米松聞き書き 筑摩書房)







梅干しは一度だけ漬けたことがある。
初めての梅干し作りに挑戦したその年、身内が入院していた。カビをはやすと縁起が悪いと、梅干し作りをスタートさせてから知った私は、祈るような思いで、一生懸命、細心の注意を払いながら作業を進めた。白状すると、どうしてこんな時に梅干しを漬けようと思い立ってしまったのだろう、と後悔していた。家族が入院中の梅干し作りは、とにかくリスクが高すぎた。
それでも何とか無事に梅仕事を終えたものの、ドッと疲れてしまった。以来、梅干しには一度も挑戦していないが、このときに漬けた梅干しは今でも少しだけ甕に残っている。梅酢はゼリー状に固まり、薬効も高そうに思える。残り少ないその梅干しを一粒ずつ、ありがたく薬のように味わっている。
先日、『百年の梅仕事』(筑摩書房)という本を知り、早速取り寄せてみた。
梅仕事に没頭して40年という著者の乗松祥子さんは、奈良の医院、神戸、東京の会社勤めの後、辻嘉一の茶懐石料理「辻留」銀座店に勤め、さまざまな人に会い、学ぶ中、100年を超える梅干しがあることを知り、梅仕事に目覚めた方。そしてこの本は、100年を超える梅干に出会ったために、その後の人生を梅仕事にかけてしまった乗松祥子さんの半生の記録でもある。
乗松さんは、この本の中でこう話している。
「梅干しを漬けようという人間の心映えといいますかね。こういうふうに漬けたいという思いが、できあがった梅干しに出るんじゃないでしょうか」
「やっぱりせっかちにモノを作るというのは無理な話なんですよ。だから人間もそれに沿って少し戻るべきだと思いますねぇ」
「一番大切なのは太陽に当てられるかどうかっていうことです。マンションに住んでいらっしゃるんだったら、もうそれこそシートを敷いて、太陽の力を借りて干してください。太陽はお金掛かりませんからね。
 (中 略)
 太陽の恩恵ってのは計り知れないなと思うんですよ。それなのに現代は、何故この太陽という恩恵をわすれて、空調で乾かして、一日も太陽で干さないモノを高価な値段で、売らなきゃいけないかって思いますよ。これはとっても悲しいことです」
梅仕事にまつわるたくさんの智慧と共に、辻留の店主・辻嘉一の興味深いエピソードや、三島由紀夫、白洲正子、谷川徹三、幸田文の名前も。
梅仕事と乗松祥子さんの人生━━その道を極めた人の話は実に興味深く、人には天職というものがあり、それは天から呼ばれる、選ばれるのだと改めて思ったことだった。
「ある梅おばさんの人生、辻嘉一の知られざる一面、昭和という時代の断面が、この本から垣間見えてくれば幸いです」(聞き書き者あとがきより)


すみれ図書室 2017.1.29日の記録

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堀川紫明の交差点。夕方近くになって雨が降り出した。


DSC_0315宝塚から足を運んでくださったTさんといつものように『ひよこ』で、おばあの田舎飯を。ハンバーグかししゃもの天ぷらかを選べたので、私はししゃもの天ぷらを。

すみれ図書室通信2すみれ図書室通信Vol.2




2017.1.29日のすみれ図書室の記録
(とりとめもなく書いておく)。

今年初めての「すみれ図書室」は1月29日(日)だった。
いつ頃スタートさせたのかなぁ。すみれ図書室に来て下さった方々に、簡単な文面だが、お礼の気持ちを込めて、手書きの手紙を書いていた。だが、書き足りない思いがあり、というか、お知らせしたことがたくさんあることに気づき、先月から「すみれ図書室通信」を手作りすることにした。今月の詩、今月の随筆、今月の言葉、今月の絵、鞍馬口通りMAPを掲載したA4サイズ、4pから6pの簡単なものだ。*体裁は変えてゆくかもしれない。12月のテーマは「クリスマス」、1月のテーマは「虹を織る」だったが、今後は作家を特集したりしてみたい。だんだん雑誌になってしまわないだろうか、という懸念あり。
この日の朝は晴れていた。夕方から雨になる予報だが、このまま晴れていて欲しいと思う。家族を銀月アパートメントまで送ってゆくと、入口の三角屋根の西側の部屋の「銀月サロン」では春節のお茶会が開かれるらしく、テーブルが美しくセッティングされていた。窓や部屋の雰囲気というのは不思議なもので、ウクレレ教室を開いている角部屋と三角屋根のそばの部屋では光の入り具合が全く違う。丸窓、吹き出し窓の角部屋はゆるゆると光が入り込むのだが、四角い窓のお茶会の部屋はやわらかい光がテーブルの上に後光のように射し込んでいる。
銀月アパートメントを後にして、さまざまな用事を済ませ、途中、「雨の日も風の日も」に寄って玄米吟醸パンを買う。いつもなら途中、玄武神社にお参りするのだが、今の私は喪中なので、鳥居をくぐることが出来ない。鳥居の前で一礼だけして「すみれ図書室」に向かう。
途中の路地のあちこちに雪が残っていたが、空は晴れて、白い雲がいくつも浮かんでいる。私は森茉莉さんの「市井俗事」というエッセイが好きなのだが、こんな空に出合うと、その中の一文を思い出す。

「淺草での私の生活は、生涯忘れる事の出来ない、樂しい生活であった。嘘のない、美しい生活であった。窓から見る淺草の空は、いつも青く晴れていた」。

いい文章です!
部屋に入ると、まずするのは窓を開けること。窓を全開にして風を入れ、持参した小林健先生の波動薬CDをかける。この波動薬CD2について、小林健先生のブログから引用してみる。
「このCDを聞いているとき、またはバッググラウンドミュージックのように流しているだけで、除霊や各種機能の調整、環境の改善として量子エネルギーとして受け取って頂けることができます」
ならば、とかけてみた次第。
続いて部屋を掃除し、庭から摘んできた水仙を飾る。すごく強烈でフレッシュな香りが部屋を包み始める。水仙の香りの中で、相川圭子さんの「太陽への感謝の祈り」をする。雨の予報だが、室内には、太陽の光がたっぷり届いている。
「すみれ図書室」では、毎回、さまざまな修道院のお菓子を用意しているのだが、今回用意したのは、十勝カルメル会修道院のチョコレート菓子。ホワイトチョコレートとブラックチョコレートのパウンドケーキ、アーモンドをチョコレートコーティングしたアマンド、トリュフチョコ、板チョコ、アーモンドダイスとシリアルをイチゴチョコとホワイトチョコで固めたサクサク、そして、ラムレーズンのクッキー。全部、おいしい! いつか京都で修道院のお店を開きたい、そんな思いもムクムクと。でも、「仕事がいっぱいたまっているじゃない!」という心の声が聞こえてきたりもして。いつか、西へ向かい、どこか森の中、あるいは海辺のまちに住んで、本を作ったり、修道院のお店を開いたり、そんな生活をしてみたい気がする。夢としてキープしておこう。
部屋にある「今月の黒板」。どの詩、どの言葉、と迷ったが、部屋の水色の黒板には、新川和江さんの詩を書く。
気が付いたら1時をまわっていたので、急ぎランチ。用意してきたお弁当を食べる。中身は、黒豆入り玄米、小豆かぼちゃ、ひじきレンコン、水菜のごまよごし、たくあん、大豆ハンバーグ。ランチを食べながらお湯を沸かし、お茶の用意をする。今日のお茶は、静原のハーブティー。本当は宇治の小さな農園のほうじ茶のつもりだったのだが、持ってくるのを忘れてしまった。いつもならご神水を神社でくむのだが、今は境内に入れないので、お寺の湧水を使う。
写真を撮り忘れたが、新たに小さな看板を作った。食事のあと、その看板といつもの看板をビルの角に出しに行く。空は変わらず晴れていた。
予定通り、2時にオープン。次々にお客様が来て下さった。こんなに小さな場所なのに、と本当にありがたい。何時間もかけて遠くから足を運んでくださった方も何人か。こうして足を運んでくださる方々のためにも、「何かすてきなこと」を用意したいと思うのだが、何が出来るのか、今は手探り状態だ。
実は去年から、いや、一昨年からか、不思議な人たちに巡り会う。さまざまなパワーを持った人たちだ。私にもそのパワーが宿らないものか、と時々強く思う。会う人を癒すパワー、会う人を元気にするパワー、のようなもの。もし得られたとしても、そのパワーを仕事とする気はないが━自分なりの天職に巡り合っているので━発光体のように(こういう使い方で合っているのかな)さりげなくそうしたパワーを出会う人たちに放ちたい。
それはともかく、本をゆっくり読んでほしいと思いつつ、ついついお喋りに夢中になってしまい、反省。でも、ちょっとしたサロンのような雰囲気にもなって来ていて、来てくださった方々との情報交換も楽しい。いつも新しいことを知り、新しい感動をもらっている。『紅茶と薔薇の日々』と『贅沢貧乏のお洒落帖』用の手作りのすてきな栞もいただいた。
ほぼ毎朝のように米村春美先生のおみくじについてTweetしているのだが、米村先生のおみくじの本を2冊持参で来て下さった方もあった。私の周辺で、おみくじの本がこうして少しずつ広がりを見せているのはとても嬉しいことだ。
いつも宝塚から2時間以上かけて来て下さるTさんから、「今日は『源氏物語』のお当番で行けそうにないのよ。残念だわ」と前日に連絡をもらっていたのだが、4時頃、電話があった。「今終わったから、これからうかがうわね」。「来月もありますから、無理なさらないで」と伝えたのだが、「いいの、いいの。あなたと会って、お喋りするのが楽しみなんだから」とTさん。お天気はどうだろう、と思い、外を見ると、しとしとと雨が降り出していた。
いづれにしても、いつものように、あれこれうれしいことばかりの一日となった。
☆2月の「すみれ図書室」は、2月26日(日)の午後2時からです。

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