カフェと本なしでは一日もいられない。

カフェ通いと読書に明け暮れる日々。 ⓒatelier.sumire.gingetsu

清川妙『91歳の人生塾』

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左:ラヴェンダーが咲き始めた。 右:蝶々さん、蜜はお好きなだけどうぞ。






5月の「すみれ図書室」で清川妙先生の名前が出たこともあり、今週に入ってから清川妙先生の本を読み返している。
昨晩、読んだのは『91歳の人生塾』(小学館)。

「老いを怖れないで。
 つらい経験にもくじけないで。
 歳だからとあきらめないで。
 人生は二度とないのだから。

 生きていくということは
 それぞれの人生塾に入って
 磨かれ、教えられ、
 学んでいくことなのだ」

と帯にある。
本を開くと、空色のインクでたくさんの線が引いてある。2012年の清川妙先生が書き、2012年の私が読んだ証がそこにある。清川塾に入塾したような思いで読み耽ったのだろう。
そのいくつかをここに引いてみる。
(年齢の峠を感じるという人に対して)
◎峠なんかないのよ、と、私は心の中で反論する。
 あるのは、昨日と今日と明日、ひと続きの道だけ。

◎もし六十代のありようがあるとすれば、それは五十代のうちに用意されてきたものであろうし、五十代のありようはすでに四十代のうちから用意されてきたものなのだ。

◎人生というものは、ひとつひとつの積み重ねなのだ。その一瞬一瞬の連続が、あなたの、かけがえのない寿命をかたちづくっていく。

◎「よわい」を歳ではなく、「よはひ」としてとらえよう。
 この一瞬一瞬をどう生きるか、その積み重ねが「世延」=「よはひ」になるのだから。

◎同じ仕事をするなら、いそいそとしたいものだ。

◎頭のなかにふたつの思いは入らない。悲しみを追い出して、別のものを入れる。
     (中 略)
人生も、ふたつの人生を送ることはできない。

◎小さなことにでも喜びを見いだせるというのは、ひとつの能力である。その力を自分のなかに用意しておいてこそ、幸福をつかまえることもできるのだと思う。

◎年を重ねていくことはいいことだと、このごろようやく身にしみて思えるようになった。
 生きてきた年月が長くなればなるほど、すべてのことがまるで鳥瞰図を見るように、広く大きく見渡せてくるのだ。

◎何かを知るということは、ほんとうに楽しいこと。知るということ、知って楽しむことは、人生を生きる喜び。歳をひとつひとつ取っていくことは、知ること、知って楽しむことがひとつひとつ増えることである。

◎調べ虫を飼うことを、皆さんに心からおすすめしたい。そこにはきっと、びっくりするくらいの知識の泉が広がっているにちがいない。

◎夢中になれるものを持っていると、救われることがある。人は、ひとつの頭のなかに、ふたつのことは入らない。悲しみで頭がいっぱいになったとき、夢中になれるものがあると、悲しみがすこしずつ逃げていくのだ。

◎ていねいな字で、ていねいな手紙を書く人は、ていねいな人生を送ることができると、私は思っている。

◎「いつか」とか「あとで」とか、自分に言いわけをしながらためらっていると、チャンスはあなたの手から逃げてしまう。

◎何かを始めるのに、年齢など関係ない。「始めたい」。その思いこそがたいせつなのだ。

◎夢や願いを思い続けることは、とても大事なことだが、思っただけではだめなのだ。すこしでもかたちになるように行動していく努力が必要なのだと。

◎ほんとうに人生は、「いつだって、今がはじまり」なのだ。
 「いつかやってみたいわ」「そのうちに時期がきたら」と言っているうちは、何も始まらない。「いつか」「そのうち」は、永遠に引き延ばされていくものだ。

◎いくつになっても挑戦する気持ちに、ちょっとした決意。それがあなたの世界を、思いもしないかたちで広げてくれるのである。

◎どんなに微細な水の一滴でも、たゆまず、楽しみながら溜めていけば、いつかは器に溜っていくと信じること。
 生きかたもそれと同じ。これぞと思った夢をかかえつづけ、叶えるという意思を持ち、なにごとにも、ゆっくり、ていねいに続けていく。夢を成就されるのはこれしかない、という思いである。
 
こうして書き抜いていると、清川妙先生の声がきこえ、久しぶりに懐かしい会話を交わしているような気持ちになってくる。



「すみれ図書室」の記録 2017.5.28

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平野神社本殿




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平野神社ご神木







IMG_7486平野神社IMG_7485平野神社
平野神社手水舎 ここでお水を汲むことができます。







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@芦屋モノリス 







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芦屋モノリス メインダイニング




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すみれ図書室





2017.5.28 すみれ図書室の記録

毎回、「すみれ図書室」用にどこかの神社にお水を汲みに行くのだが、この日は平野神社へ。
平野神社では、手水舎に流れているのと同じ井戸水を汲んで持ち帰ることが出来るので(取水口には「井戸水は神様からの恵です」と書かれている)、参拝後、ペットボトルにお水を汲ませていただいた。
帰り道、チップルソンで食パンと塩パン、塩クルミパンを買ってから「すみれ図書室」へ。
窓を開けると、風がサーッと部屋に入り込んできた。湿度も高くなく、とってもさわやかな風だ。
お昼前に着いたので、掃除をしてからお昼ごはん。昨日、結婚式で普段食べないものをあれこれ食べたので、今日はシンプルにキツネそばと玄米おむすび。
余談だが、出席した結婚式は、新郎新婦が終始笑顔で、本当にハッピーなんだな、ということが伝わって来る式と披露宴だった。バージンロードを歩く時も、指輪交換をする時も、どのシーンを切り取っても、二人は花が咲いたような笑顔だった。何だかこちらまで嬉しい気持ちが伝染して来て、誰かの幸せそうな様子を見ることは、こんなにもハッピーなことなのかと思った。
食事の後、部屋の掃除をし、黒板に今月のメッセージを書いたり(今月は熊井明子さんの言葉)、修道院のお菓子に値段付けをしたり、お茶の準備をしたり、さまざまな用意仕事。
今日のお茶は、TEA PONDのハーブティ。平野神社の湧水で淹れてポットに移す。途中、電話がかかってきたり、あれこれしていると、結局、いつもと同じようにあっという間に2時になる。
外に看板を出しに行くと、「すみれ図書室」に来て下さった方とバッタリ。今日は気持ちのいいお天気ですね〜、などと話しながら部屋に戻る。
この日は、いつも足を運んでくださる方々、はじめての方、久しぶりに来ましたという方など、さまざまな顔ぶれ。部屋があまり広くないので、窮屈だったかもしれない。
この日もまた、サムハラ神社の話で盛り上がる。
私のこのブログを読んで「すみれ図書室」のことを知り、足を運んで下さった方々からは、「好きなものが一緒だなぁと思いました」という言葉をかけていただいて、とても嬉しかった。好きな作家、好きな本、好きな言葉……そうしたことが誰かと私をつなぎ、誰かとこの場所をつないでくれている。そのことが私の世界を思いもかけないかたちで広げてくれる。かくして昨日とは違う今日になる。何とすてきなことだろう。

今、『アナスタシア6 一族の書』(ウラジミール・メグレ著 にしやまやすよ訳 岩佐晶子監修 直日)を読んでいる。
この中のメグレ氏ともうすぐ5歳になる彼とアナスタシアの息子・ヴォロージャとの会話が興味深い。
大きくなって最も大事だと思うことや仕事について質問したメグレ氏に、ボロージャが答える。
「大きくなったときにはじめに一番大切なのは……ぼくは、一人の女の子大宇宙を幸せにしなくちゃならないんだ」(女の子一人ひとりには、大宇宙のすべてのエネルギーがあり、女の子大宇宙たちは、幸せにならなきゃいけないんだそうだ)。
その「未来」に、もしかするとこういうことだって起こるかもしれないという警告を持ち込んだメグレ氏にボロージャが言う。
「でもパパ、パパがそんな状況を、彼女が出ていくはずだってことを思い付いたり意識で生み出したりしなければ、彼女は出ていかなかったよ」
私が生み出しただって? と驚く氏にボロージャは続ける。
「そうだよ、パパ。だってパパが言ったことでしょ。パパの意識だよ。人は自分の意識でいろんな状況を創造するんだ。だからパパも、創造しちゃったんだ」
ヴォロージャの言う意識が状況を作るって、つまり、思い、魂が先だってことよね? こうなるかもしれない。こんなことが起こるかもしれない。じゃあ、そのときどうする? という一見賢明にも見える思い、それが危惧した未来の状況を作り出すということを幼い息子はすでに知っている。
アナスタシアの物語に倣って、マイナスの未来を引き寄せる心配は、今日から「キュッとやめよう」。そして、ボロージャが言うように、幸せになり、頭上にある星たちも、もっと明るく、幸せになる未来を引き寄せなくちゃ。。。などと思いながら、今、読み進んでいます。

☆6月の「すみれ図書室」は、6月25日(日)の午後2時からです。


シンクロニシティ?!

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左:平野神社のご神木である巨大な楠 中:晴明神社のご神木の楠 右上:今宮神社 右下:北野天満宮 手を合わせた途端、ドンドンという太鼓の音がし、神主さんの姿が見え、ご祈祷が始まった。
晴明神社と平野神社では、お水を汲んで持ち帰ることが出来ます。



シンクロニシティなのだろう。
日中、ある方から体内記憶の話を聞いた。その夜、細見美術館の招待券をもらったので、いつ行こうかと、お茶を飲みながら家族と話していた。
その翌日、ランチを食べていたら、偶然にも聞こえて来た話題が「体内記憶」と「細見美術館」だったので、ビックリした。食事をしながら、私は耳をダンボにして聞いていた。
メモを取ったわけではないので、うろ覚えだが、
「小さなこどもって、体内記憶を持っているって知ってる?」
「えっ⁉ どんな?」
「この子はね、お風呂に入っていたっていうんだよね。多分、羊水のことだと思うけど」
「そういえば、こんな子どもさんもいたよ。お父さんとお母さんと海に行って、そこで魚をとっていたんだって。へえ、と思って、お魚が好きなの? ってきいたら、米! だって。その子は米を食べるために生まれて来たんだ……」
といったお父さん同士の会話から、店主による細見美術館の話になった。
「細見美術館で今やっている杉浦非水に展覧会に行ってきたんだけど、ものすごくよかった。乙女心をキュッとわしづかみにされる感じ」
昨日の私の二つのテーマが話題になっている! と驚いていたら、再び子育ての話に戻り、
「子どもを持つと、もうひとつの新しい感情に気づくんだよね」
「もうひとつの感情って、いい言葉ですね〜」
「それからね、あと数か月したら、パピプペポの魔法に気づくよ。パピプペポって、本当に魔法の言葉なんだよね」
私は再びビックリしてしまった。その男性のパピプペポが何を意味するのかは分からないが、何年か前に私は、「パピプペポの魔法」というエッセイを書いたことがあるからだ。
でも、その男性の言うパピプペポの魔法って何だったのだろう? きいてみたかった。
体内記憶について教えてもらったとき、その人から「宇宙には、こちらが発信したものを受取るという法則があるんです。たとえば今、さまざまなことで悩んでいる方は、発信するものを変えればいいんです。そうすれば、現象というのはやがて消えてゆきますよ」と教えてもらったのだが、このシンクロニシティに遭遇して、発信したものを受け取るというのはこういうことなんだよ、というひとつのサンプルを宇宙が私に見せてくれているのかもしれないなぁ、と思った。
とにかく、この世界には不思議なことがたくさんあります。

☆5月の「すみれ図書室」は、5月28日(日)の午後2時からです。


サムハラ神社(奥の院)に参拝しました。

IMG_7238金毘羅神社IMG_7247金毘羅神社









岡山県津山市にあるサムハラ神社(神字である神社の名前は変換できませんので、カタカナで表記します)に参拝しました。
津山市街地から車で20分位。旧加茂町に入り、コンビニの「ポプラ」、「コメリ」を過ぎてしばらく進むと、右手に「ローソン」、目の前には「加茂歯科」の看板が見えたら左折して橋を渡り、道なりに右に進むと、金毘羅神社、サムハラ神社の看板が見えるので、そこを左折。鳥居をくぐって、細い道を上ってゆきます。
上まで車で行くことも出来るのですが、この日は、金毘羅神社の石段下の駐車場に車をとめて、石段を登って参拝しました。300段以上もあるかなり急な石段です。
石段を覆うように繁る木々の葉の間から光が漏れ、絶えず小鳥の鳴き声がしていました。



IMG_7242サムハラ神社IMG_7241サムハラ神社









金毘羅神社を参拝した後、サムハラ神社に参拝しました。
サムハラ神社は、鳥居と祠があるだけの小さな神社で、ご祭神は、造化三神と呼ばれるアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムシヒ。
『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』という本の中に「究極の次元に達するために、最適の神社があります。それは大阪市のサムハラ神社です」とありますが、津山市のサムハラ神社は、その奥の院になります。
サムハラ神社では、他府県からの参拝者が、祝詞をあげながら一生懸命に祈っておられました。
祈り終えると、引率者らしき男性が、「お願いはちゃんとされましたか。感謝の言葉はちゃんと伝えましたか」と参拝者に確認し、今日の参拝を神様が喜んでおられることを現象を引きながら説明していました。


IMG_7243サムハラ神社IMG_7245サムハラ神社









続いて私たちも参拝させていただきました。
夫が祈りを捧げていたとき、背後の木々がザーッと音を立てて揺れ、本殿の紙垂(しで)が風に揺れました。神様からの歓迎の印でしょうか。
サムハラという不思議な4文字の神字を身につけると、神様や宇宙に近づくことが出来、その特別なエネルギーやパワーにまもられて、難から逃れることが出来るそうです。
『ゆほびか』Vol.32にサムハラ神社の特集が組まれており、

「万事窮す」という瞬間にサムハラと唱えると、状況が好転します。最悪の事態から逃れる可能性が、ぐんと高まるのです。
また、苦手なことや嫌な予感がするときにも、サムハラ、サムハラと唱えてから、チャレンジすると結果がよくなります。ぜひ、試してみてください」
と書かれていました。

境内にはたくさんのすみれが咲いていて、神様から呼ばれたのかしら、とふと思い、すみれって、このように物静かで、荘厳な風情にふさわしい花だなと思いました。


DSC_0754サムハラ神社IMG_7246金毘羅神社









参拝の後、空を見上げ、写真を撮りました。謎解きをしたくなるような光と雲でした。
その後、再び石段を駐車場まで。数段降りたところで振り仰ぐと、紅葉の頃はさぞかし、と思うような景色がその先に広がっていました。




4月22日 すみれ図書室の記録

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今宮神社「阿保賢さん」





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すみれ図書室




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すみれ図書室








IMG_7179すみれ図書室IMG_7204チップルソン
修道院のおやつセットとチップルソンのパン




4月の「すみれ図書室」は、23日の予定を急遽22日に変更したので、みなさんに伝わっているかな、と少し心配だった。というのは、部屋の黒板に来月の予定を書いているので、来られた方は、それをメモして帰るからだ。

春らしい陽気に包まれていた22日。
「すみれ図書室」の前に、銀月アパートメントとチップルソンに立ち寄り、その後、今宮神社と玄武神社に参拝。これまで、参拝しても、御朱印はもらったり、もらわなかったりだったが、今月から「すみれ図書室」の日には御朱印を受けることにした。
今宮神社ではいつも受ける見開き御朱印ではなく、一般的な御朱印を。ちなみに、今宮神社では和歌御朱印を受けることも出来るが、これは今宮神社の御朱印帳にのみ。
ところで、今宮神社の境内には「阿呆賢(あほかし)さん」と呼ばれる不思議な石がある。別名「神占石(かみうちいし)」。
阿呆賢さんは、漬物石くらいの大きさの石で、これを手のひらでなでて、自分の体の悪いところを擦ると治ると言われている。
また、阿呆賢さんは、自分の願いごとが叶うかどうかを占うことができるとも言われている。どんな風に占うかと言うと、まず、手のひらで阿呆賢さんを三度叩いて持ち上げる。次に心に願いごとを念じながら優しくなでて、もう一度阿呆賢さんを持ち上げる。2回目に持ち上げた時、最初に持ち上げた時よりも軽くなっていれば、その願いごとは叶うと言われているので、今宮神社に参拝の折には、是非お試しを。
今宮神社の後は玄武神社に参拝し、御朱印をいただいてから「すみれ図書室」へ。
窓を開けると、向かいの会社の木立からさやさやと葉擦れの音がし、室内にさわやかな風が舞い込んできた。多分、今が一年でいちばんいい季節。
部屋を掃除し、修道院のおやつを並べ、大まかに準備が整ったところで、忙しくて出来ていなかった六方拝と太陽への感謝の祈りを。目を閉じて静かな時間の中にいると、下のお店の珈琲焙煎の香りが部屋を横切ってゆく。
その後、お昼ごはん(3分搗き米のご飯、しじみのお味噌汁、小豆カボチャ、目玉焼き、蒸し野菜(ニンジン、ゴボウ、サツマイモ))。いつもはオープンギリギリになるのだが、今日は少し時間があったので30分ほど仕事。だが、思ったほどはかどらず。
今月の修道院のおやつは、伊万里のトラピスチヌ修道院のマドレーヌとクッキー、定番の大分トラピスト修道院のクッキー。マドレーヌ1個、2種類のクッキー1枚ずつを袋に入れたものと箱入りとを用意した。
この日の話題は、サムハラ神社の御神環と呼ばれる指輪のお守りのことや静岡のヒーラー河崎信雄先生が関西で無料の治療会を開いてくださることなど。こうした情報が必要な人に届きますように。
河崎信雄先生は、雑誌『スターピープル』Vol.58にインタビュー記事が掲載されているが(これまで取材依頼はすべて断っていて、これが初のメディアへの登場)、九死に一生を得た後、不思議な力が宿り、以来、30年近く人々を助け、数々の奇跡を起こしている方。

「私が特別に偉いわけでも何でもなく、たまたま天からのパワーを中継している道具が私だということです。いままでも50万人近くの方々とかかわり、がんの末期症状や難病や奇病が治ったり、就職、入試、人間関係などで、さまざまな奇跡が毎日のように起きています」━『Star People』より

その人が、中途半端な気持ちではなく、本気になれば、前向きになれば、笑顔になれば、「助けるよ」という天からのメッセージを河崎先生は伝え、そのパワーを中継して、人々を癒して下さいます。
さて、時は4月下旬。暖房もクーラーも必要なく、気持ちのいい日曜日だった。
「すみれ図書室」を閉めて外に出ると、夜風がひんやり。ああ、「すみれ図書室」を始めてからそろそろ二年になるのだと思い、何だかしみじみ幸せな気分だった。

☆5月の「すみれ図書室」は、5月28日(日)の午後2時からです。


銀月アパートメントの桜と岡本かの子

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◎桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり






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◎ひえびえと咲きたわみたる桜花(はな)のしたひえびえとせまる肉体の感じ






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◎わが庭の桜日和の真昼なれ贈りこしこれのつやつや林檎






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◎咲きこもる桜花(はな)ふところゆ一ひらの白刃こぼれて夢さめにけり





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◎桜花(はな)の奥なにたからかに語り来る人ありて姿なかなか見えず



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◎こよひわきて桜花(はな)の上なる暗空(やみぞら)に光するどき星ひとつあり



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◎さくら花まぼしけれどもやはらかく春のこころに咲きとほりたり


☆岡本かの子の歌のいろいろと今年の銀月アパートメントの枝垂れ桜でした。

☆4月の「すみれ図書室」は、22日(土)の午後2時からです。修道院のおやつは、伊万里の聖母トラピスチヌ修道院のマドレーヌ、クッキー、大分トラピスト修道院のバタークッキーです。






魔法は一つ。そして誰でも持っている。『角野栄子の毎日いろいろ』

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『角野栄子の毎日 いろいろ」



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いちご色の本棚。どんな本が並んでいるのか気になります。


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ドイツやイタリアのお母さんたちがさっとこういう上着を着て身の回りの仕事をしている姿を見て、真似してみようと仕立ててもらったという仕事着。


思えば、ず〜っと角野栄子さんの言葉を抱きしめて生きて来た。キイワードは「魔法」。角野栄子さんの言葉を抱きしめていると、空も、雲も、風景も、本も、目にうつるすべてのことが魔法に思えたし、私自身もまた魔法の使い手だと思えた。これってすごいことじゃない!?
私にとって、魔法の巻物は『ファンタジーがうまれるとき 『魔女の宅急便』とわたし』(岩波ジュニア新書)であり、新聞や雑誌の角野栄子さんのインタビューやそこで出合う言葉は、その巻物の取り扱い説明書のような役目を果たす魔法の道具のひとつひとつだった。例えば、こんな言葉。

「書くことが私にとっての魔法なのだということです。好きなことを離れずにやっていくと、それはきっとその人の魔法となる」 

好きなことを離れずにやってゆく。このことがその人の魔法になる。この言葉を思いながら両手を広げると、手のひらに、キラキラ光る私の「魔法」がある。そう思い、そう感じ、その魔法を抱きしめながら生きて来た気がする。
そして、待ちに待った角野栄子さんの新刊。
「私はね、贈り物の箱をあけるときのように、わくわくしてるわ」
というキキの言葉の言葉通り、わくわくしながら本を開き、読みふけった。
この本の中には、角野栄子さんの毎日がいろいろ。いちご色の壁や本棚、黒皮の手帳、寝室の観音様、お料理のレシピ、庭仕事、おしゃれ━━etc
期待したエッセイ集ではなかったが、角野栄子さんの魔法の秘密を垣間見ることができた。美しい人の美しい毎日、美しい生き方、日常の魔法。
そして、角野さんのこんな魔法の言葉にも出合えた。

「魔女はね、見えない世界を創造し、そこにあるエネルギーを感じて、暮しに取り入れていった。それが薬草採集につながり、やがては不思議な力、魔法と呼ばれるようになっていったのではないかしら。魔女って本当は、そういう人だったのよ。歴史の狭間で悪者にされる時代もあったけど、キキの場合はほうきで飛べるという力を生かして、見えない世界を見、想像し、工夫を凝らし、一人で生きていく。魔法は想像する力といってもいいかもしれない。これはキキに限らず誰でも持っている力。心が動くと、だんだんとその人の魔法が育っていくのよね。だから、魔法は一つ。そして誰でも持っているものだと思っているの」(本文「魔法は一つ 誰でも持っている」より)

魔法は一つ。そして誰でも持っている。

泣菫随筆の「美しい娘さん」

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◎満開の頃の銀月アパートメントの枝垂桜。4月2日(日)のお部屋マーケット、桜の開花状況はどうでしょうか。駒井邸も特別公開中ですので、白川散歩をかねてふらりとお立ち寄りください。ウクレレのワークショップに参加ご希望の方も、手ぶらでどうぞ。貸しウクレレを用意しています。



『泣菫随筆』(矢沢永一 山野博史編 冨山房百科文庫)に「森林太郎氏」という随筆が収録されている。
以下、後半部分を引用してみる。

さうかうするうちに、女中の手でお膳が運び出された。そのお膳を見て私たちはちよつとおどろいた。それは客たち三人の前にならべられた膳は、いづれも中脚(ちゆうあし)のただの塗膳に過ぎなかつたが、主人の森氏の前に据ゑられたのは、氏がふだんに使ひ馴れたものかは知らないが、高脚の膳も、椀も、金蒔絵の定紋のついた、よく浅田飴の辻広告で見る鶴千代君のお膳そつくりの気取つたものだつた。
「Parnassian(高踏派)といふものは、三度三度あんなお膳で物を食べなくちやならないものかしら」
 私は腹のなかでかう思つた。
 森氏は飯をたべながらいろんな話をした。
 鶴千代君のそれと同じな、金蒔絵の汁椀の中から汁をすすりながら、いろんな話をして面白さうに笑つた。その笑ひ声のどこかにサーベルをがちやがちやいはせさうな、元気な軍人らしいところが交つて、私たちは自分と同じ年輩の人と話をしてゐるやうな気持になつた。
 食事が済んだころ、とんとんと階段を踏む小さな足音がして、美しい娘さんがそつと入つてきた。そして、何も言はないで転げるやうに主人の膝にもたれた。森氏は片手でその頭を撫で廻しながら、
「茉莉さんか。こいつが可愛い奴でな……」
と眼を細めながら笑つた。その顔には子煩悩なお父さんらしいところがありありと見えて、文字通りに文壇の老大家であつた。
 しばらくして茉莉さんが姿を隠すと、森氏は急にまたお父さんから私たちの仲間にかへつて来た。そして葉巻の煙を吐きながらこんな話をした。
「君たちもいろんなことを詩に詠むやうだが、僕がこなひだ読んだある独逸の詩人のものにこんなのがあつたつけ。ある男がアルペンの山路を登つてゆくと、坂の上から婦人が一人下りてくる。すると谷間の風が急に吹き上げてきて、その婦人の着物の裾をまくつたといふのだ。詩はただそれきりだよ」
 森氏はかう言つて声高く笑つた。その声にはどこかに馬の上で笑ふやうな軍人式なところがあつた。
                         (大正13年刊『忘れぬ人々』)

明治39年5月、森鴎外とのただ一度の面会のときのことを書いたもので、同行者は、岩野泡鳴、蒲原有明だった。
通されたのは見晴らしのいい二階の座敷で、部屋のすべてが几帳面だったと泣菫は書いている。
森茉莉は明治36年生まれなので、泣菫がここに書いている「美しい娘さん」は、満三歳だったと思われる。森茉莉が書いたパッパのこと、観潮楼のことなどを重ねながら読むと、非常に興味深い随筆である。
『幼い日々』を読み返したくなった。

2017年3月26日「すみれ図書室」の記録

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3月26日のすみれ図書室





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今日の黒板の言葉は、田辺聖子さん。





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修道院のおやつは、十勝カルメル会修道院のパウンドケーキとチョコレートいろいろ。




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晴明神社「厄除け桃」。自分の厄をこの桃に撫でつけます。






DSC00078晴明神社
樹齢推定300年の楠。樹皮に触れると独特の感覚があるとか。両手をあてて大樹の力を感じ、エネルギーをチャージします。




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晴明公が念力により湧出させた晴明井。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は飲むことができます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。


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銀月アパートメントの枝垂れ桜。今年はどんな姿を見せてくれるでしょうか。







2017年3月26日 すみれ図書室の記録

この日はまず、銀月アパートメントに立ち寄って、桜の開花状況をチェック。まだまだ蕾かたし、といったところか。枝垂れ桜の枝が道路にくっついてしまうくらい垂れ下がり、枝をかきわけながら歩いていたのに、今年は枝や幹にたくさんの手が入り、枝ぶりはさっぱりとしている。もしかすると、これくらい手を入れないと、桜の木そのものに負担がかかってしまうのだろう。絢爛たる枝垂れの姿は今年は望めないかもしれない。
銀月をあとにして、吉祥水を汲むために、500mlのペットボトルも持参して、晴明神社に参拝する。境内は大勢の人、人、人。本殿にお参りし、厄除け桃を撫で、末社に参拝し、ご神木からエネルギーをもらう。御朱印をお願いし、厄除けステッカーを買い、ひと通りの目的を果たしたあと、吉祥水を汲もうと思ったのだが、晴明井の恵方を向いた注ぎ口からあまり水が流れていない。今日はお水は汲まなくてもいいのだろうと理解。
途中、玄武神社にもお参りする。玄武神社には鈴がなく、かわりに鏡があるのだが、本殿の前に立つとそこに自分の姿が映る。姿勢を正し、二拝すると、神殿から風がスーッと吹いてきた。この「御幌」(みとばり)、 内から外に揺れたら、神様が願いを聞いて下さった印であり、外から内に揺れたら、願い風と言って、願いが届いた印だそうだが、この日は内から外に揺れていたので、神様が私の願いを聞いてくださったということなのだろう。ありがたい。
その後、「すみれ図書室」に向かう。途中の「西陣のおじいさまの路地」では椿が咲いていた。
妹から京都駅に家族を迎えに行くので途中で立ち寄るとの連絡。だいたいの時間計算をして、用事に取りかかる。まずは、部屋の窓をすべて開けて、掃除をすませてから、「チップルソン」に。食パンと塩パン、フォカッチャを買って戻り、お昼ごはん。今日のメニューは、もち麦入り三分づき米、梅干し、春菊のえごま和え、小豆カボチャ、テンペの照り焼き、しめじの炒め物。それなりに美味なり! ご飯を食べていたら妹から着いたとの連絡があったので、おすそ分けの食パンを持って外へ。妹からは手作りのラッキョウ漬けなどをもらって、お昼ごはんに復帰。もくもくを食べながら、お味噌汁を作ればよかったなぁ、などと思っていたら、すでに1時半を回っていることに気づく。慌てて黒板にメッセージを書いたり、看板を外に出しに行ったり、お茶を用意したりしていると、あっという間にオープンの時間になる。窓外を見ると、曇り。何とかお天気が持ってくれれば、と思う。でも、こうして春がやって来ていることを実感できるこの頃の日々の流れはすてき。芽吹き、花が咲き、街中がさまざまな色に包まれる。こんな思いの日は、風に吹かれながら川沿いを歩いてみたい気がする。
今日の修道院のおやつは、北海道の十勝カルメル会修道院のパウンドケーキとチョコレート類。お茶は、京都の小さな農園のシナモンとしょうがのほうじ茶。別名、妖精のお茶。オープンと同時にお客様が次々に来て下さり、座っていただく場所があまりなかった時間帯があり、申し訳なく思う。部屋と机のレイアウトを一度考え直さなくては。
先月の「すみれ図書室通信」で紹介した片山廣子さんの『燈火節』。何人かの方が片山廣子の新しい読者になって下さっていた。読み継がれて行って欲しい一冊だと強く思っているので、嬉しい限り。
「すみれ図書室」を開くたびに、来られた方からさまざまな情報を教えてもらっているのだが、この日のとびきりの情報は、サムハラ神社の御神環(指輪)。サムハラ神社は、神様に呼ばれないと行くことができない神社で、「すみれ図書室」でもこの神社の話題で盛り上がったことがある。早速参拝に行ってこられた方があり、この御神環のことを教えて下さったのだ。神社と同様、この御神環もタイミングと出合いが必要なのだとか。入荷するとすぐになくなってしまうので、参拝したときにタイミングよく御神環に出合え、自分の指のサイズに出合えて初めてそれを手にすることが出来るらしい。私も神さまから呼ばれるのを待とうと思う。
夕方近くになって雨が降り出した。ザァザァでも、しとしとでもなく、湿り気を帯びた春の雨。この日の室温は25度の設定。
「何かが生まれるときには、いつもそこには想像の散歩道がある。小さなサラダボウルのなかでも、それは同じなのだと思う。
 ああやったら……こうやったら……そうやったら……出来上がるものを心にえがいて、想像の散歩をする。すると、何かがしだいにはっきりとした形になっていく」(『ファンタジーが生まれるとき 『魔女の宅急便』とわたし』角野栄子 岩波ジュニア新書より)
「すみれ図書室」もそんな風に思い描いて行こうと思う。

☆4月の「すみれ図書室」は、4月22日(土)の午後2時からです。

☆4月2日、銀月アパートメントの部屋を開放し、お部屋マーケットとウクレレのワークショップを行います。ワークショップは一人1000円。お花見がてらお出かけください。
銀月アパートメントから徒歩1分の駒井邸では、4月1日から9日まで春の特別公開中です。

人生が完成する日

夕暮れ
子午線のある街の夕暮れ


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庭のミモザが満開になりつつある。






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『ふたりからひとり ときをためる暮らし それから』(自然食通信社)




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かつての私と今の私を比べてみると、いちばんの違いは(外見は横に置いて)食生活だと思う。デザートバイキングには行かなくなったし、あれこれ手をかけるよりも、素材そのものの味をいかしたものの方がおいしいと思うようになった。最近の食生活のベースに玄米菜食の食事があることも影響しているのだろう、時に破目ははずすものの、バターたっぷりのこってりしたものを口に入れたいとは思わなくなった。豪勢な食事に誘われると、以前は、よしッ! と腕まくりをせんばかりに意気込んだものだが、最近は、どうしようか、とむしろ悩んでしまう。食いしん坊には変わりないが、コテコテしたもの、ギラギラしたものには食指が動かなくなってしまったのだ。
もしかするとこの傾向は、読書にも影響を与えているかもしれない。最近の私は、早春の陽射しのようでありながら、滋味あふれる本に心惹かれる傾向がある。

『ふたりからひとり ときをためる暮らし それから』(自然食通信社)を読み終わった。
つばたしゅういちさん、英子さんのことは雑誌に掲載された記事で知り、こういう暮らしっていいなぁ、と思った記憶があるが、この度の『人生フルーツ』でお二人の暮らしに再会したことがきっかけで、ゆるやかに読み始めた一冊である。
以下はこの本の内容紹介。

「70種の野菜と50種の果樹に囲まれたキッチンガーデン。老いていく身体への負担を工夫した道具たち。山を削った造成地に丸太小屋を建てて木を植え、土を耕し、自分流に手間ひまをかけて、ていねいに生きてきたつばた英子さんとしゅうちさん。ふたりの積み重ねた歳月は、いつしか65年のときをためて、ひとり暮らしへと踏み出した英子さんをやさしく見守ります。『ききがたり ときをためる暮らし』から4年。その後のふたりの日々と、しゅういちさん亡き後の英子さんの暮らし―。愛らしくも潔い89歳の心豊かな日々をお届けします」。

プロローグ「人生が完成する日━━しゅういち」で、「私はいつも未来に向かって生きてきたので、未来が短くなったいまも、その習慣から抜け出せないでいます」、自分の死とは「私の目論んだ人生模様が、完成する日」といったサマセット・モームの言葉をしゅういちさんが引用しているのだが、そうした言葉がお二人の人生に重なり、こんな風にひとつずつ、時をためるようにして仕上げてゆく人生時間のことを思った。
どんなに心穏やかに暮らしていても、人生にはさまざまな変化が否応なしに起こる。だが、そのときどきの流れにあらがわず、ゆるやかに乗り換え、つきあってゆく。だが、自身の軸はぶれない。静かだが骨太。そんな二人の姿がそこにある。

◎ときをためるって、つないでいくということですものね。自分たちの世代より、次の世代が豊かな暮らしができるよう、つないでいかないと。(英子さんのことば)

◎ときをためて集めてきたものには、ストーリーがあるから、あとの人へとつないでいってほしい。(英子さんのことば)

◎「いつも一の矢、二の矢、三の矢を持っていて、一がダメなら二を、二がダメだったら三の矢を放て」(しゅういちさんの上司のことば)

◎「女房にほれろ、仕事にほれろ、地域にほれろ」(しゅういちさんの先輩のことば)

◎未来は大事だけど、いまを大事に生きることのほうが大事。(英子さんのことば)

◎老いたら老いたなりに、道具とうまくつきあっていく。体力があった頃と比較しないことですよ。 (しゅういちさんのことば)

◎長い時間をためたひとつのストーリーを届けられれば……、それが年寄りの仕事かなと思っているんです、僕たちの生き方を。ひとり、ひとり、暮らしていくうえでの何かの知恵のような、次の世代に何かを伝えるためのそういうストーリーをと。(しゅういちさんのことば)

☆3月の「すみれ図書室」は、3月26日(日)の午後2時からです。

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