カフェと本なしでは一日もいられない。

カフェ通いと読書に明け暮れる日々。 ⓒatelier.sumire.gingetsu

September 2016

「私は今、居ないのです」

DSC_2706DSC_2711姫神社



DSC_2705彦神社お水DSC_2710姫神社御神水



DSC_2704彦神社



写真上左:若狭彦神社 右:若狭姫神社 写真下左:若狭彦神社 ここでお水が汲める 中央:若狭姫神社 ここで千年杉を育てたご神水を汲める。右:若狭彦神社の第二の鳥居


昔から詩をよく読んでいた。姉の影響だ。
姉がノートにマリー・ローランサンや落合恵子さんの詩を書き写している様子を盗み見しているうちに、気がつくと私も姉と同じことをするようになっていた。
今もその頃の何冊かのノートが残っていて、ページを開くと、詩の一節や広告コピーの数行などを書き抜いている。
書き抜きをするうち、「聴き抜き」をするようになった。ドラマや映画、歌を聴いていて、スッと心に風が吹くものに出合うと、それをノートにメモのように書きとめる。その作業に夢中になって、大人になっても同じことを続けている。今はTwitterという便利なものがあるので、これをメモ代わりに使ったりもしている。
高校生の時だった。隣のクラスにとても綺麗な人がいた。彼女とはそんなに親しくはなかったのだが、ある日の放課後、彼女と二人でたくさんのことを話した時間があった。
彼女は私に『アンアン』(だったと思う)の何冊かを見せ、そこに載っている広告がどんなにステキか、ということを話してくれた。彼女のお気に入りはある化粧品の広告で、そこには毎回違うピンク色が使われているらしく、それは、分かる人にだけ分かる秘密の仕掛けになっているのだと教えてくれた。
そのとき、私は言葉を楽しみながら雑誌を読んでいたが、彼女は色や雰囲気を楽しみながら読んでいたのだと知った。1冊の雑誌がこんな風に違う世界を十代の女の子に見せているのだと知り、何だか感動したものだ。
昔の雑誌は、ファッションや雑貨のことだけではなく、文学作品や詩といった文学的要素も同じようにたっぷり紹介されていた。すてきなエッセイの連載もあった。雑誌は、すてきな文学の教科書だったのだ。
私は雑誌を通してたくさんのことを知った。そして、多くの詩を知り、詩人を知った。
どうしてこんな昔のことを思い出しているかというと、このところ、詩に対する思いが再燃しているからだ。言葉や詩の経験が蝋燭の芯のように私の中にあり、そこに時々火が点く。そして、このところ、茨木のり子さんの詩ばかり読んでいる。気がつけば、ずっと読んでいる。
その中から、先日Tweetしたことと関連して、「行方不明の時間」という詩の一部をご紹介したい。

人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁(ささや)くものがあるのです

三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒(ふらち)なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

深尾須磨子さんの詩にあるように「扉にしばし不在と書き」、携帯からもパソコンからも離れ、ときに仕事からも離れ、行方不明のような時間の中にいたいと思うときがある。「私は今、居ないのです」と心を決めて。

☆10月のすみれ図書室は、10月23日(日)の午後2時からです。

すみれ図書室の記録 2016.9.24

20160924_11075320160926_17011620160924_132244








すみれ図書室 2016.9.24日の記録

9月のすみれ図書室は珍しく土曜日のオープン。いつもは日曜日にオープンすることが多いのだが、日曜日に予定があったので。
午前中に銀月アパートメントに立ち寄り、途中、マクロビのお店で食材を買ったり、『雨の日も風の日も』でパンを買ったりしていると、あっという間にお昼になる。
途中、玄武神社にお参りしてから境内の大きな木からエネルギーをもらい、すみれ図書室へ急ぐ。
部屋に湧き水のボトルや本を運び入れ、窓を開ける。先日、とある人に部屋に「光の柱」を立ててもらったので、そのエネルギーが心地よく循環するように、私も氣を入れてみる。
光の柱を立てて下さった方曰く、「見える人には光の柱と、そこから金粉が飛んでいるような感じに見えるらしいですよ」とのこと。感謝のエネルギーを注ぐと、その柱はだんだん太くなるらしく、感謝のエネルギーを注がないと、その柱はだんだん小さくなって自然消滅するらしい。残念ながら私には見えない。
ただ、今日ここに来て下さった方々が心地よく過ごせますように。楽しい時間を過ごせますように、と部屋に氣を送ってみる。
部屋の黒板には、陸奥A子さんの『本や紅茶や薔薇の花』(河出書房新社)の中のこんな言葉を書いた。

「片思いの人は その人とHAPPY ENDに
 なりますように

 病気の子どもには
 元気になれる お薬が買えますように

 ひとりぼっちの人には
 暖かい友達が出来ますように」

ところで最近、『運命を変える氣のパワー』(さだじぃ。著 河出書房新社)という本を作ったのだが、著者のさだじぃ。先生にプラーナの見方を教えてもらって以来、キラキラ浮遊するプラーナが見えるようになった。先生の文章でその見方を学び、何度も何度も試してみたのにどうしても見えなかったのが、先生に直接教えてもらったら、すぐに見えるようになった。書いてあることと同じことを教えてもらっただけなのに、不思議である。
プラーナが見える、というのは、自転車に乗れるようになることと同じで、一度見えるようになると、いつでも、どこでも見えるようになる。空をスクリーンにしたり、遠くを見てから近くを見たり、アレコレしなくても、窓辺に視線を当てると、キラキラ輝きながら浮遊するプラーナは、いつでも、どこでも、見ようと思いさえすれば、簡単に見えるようになる。初めてプラーナが見えるようになったときは、こんなキラキラしたものに囲まれて生きていたのか、と感激した。
このプラーナという天からの贈り物は、手のひらにキラキラ舞い降りて来てからだの中に入り込み、たくさんの仕事をしてくれるらしい。運気がアップしたり、ラッキー体質になったりもするらしい。

「氣の存在に気づき、氣をまとった生活を送るようになると、氣をどんどん引き寄せることができるようになります。つまり、ラッキー体質になっていくのです。
 ラッキーとは思う願うことを実現できること。だとすれば、あなたも氣遊びをしながら、思いや願いを実現させてみませんか。
 やり方にこだわる必要はありません。普段から氣遊びをすることで、体調はすこぶるよくなるなど、嬉しい変化を感じることができますので、このことを習慣づけることが大切です」(『運命を変える氣のパワー』本文より)

氣の本を作り、続いて今は、マクロビオティックの本を作っている。どちらも、これまでの私が作ったことがない本ばかりである。もともとスピリチュアル系の本には興味があったものの、仕事も含め、そういう方向に気持ちが向いているのか、関連した出会いも続いている。面白い情報もいっぱい集まって来る。
「人生に向って戸を開くのよ。そうすれば人生が入ってくるわ」
これは、『アンの幸福』の中でアンがキャスリンに言った言葉だが、人生だけじゃなく、「何か」に向って戸を開くと、何かが入ってくる。だから、「好きなことや「やりたいこと」のリボンもほどいた方がいい。そこに何かが集まって来る。何かが入って来る。
24日のすみれ図書室は、そういう出会いの中で教えてもらった「秘密話」のオンパレードになってしまった。この日、初めてすみれ図書室に来たという女性は、もしかするとびっくりしたかもしれない。あやしいところと思ったかもしれない。だって、自分の思いをロックしてくれる秘密の言霊だの、奇跡のお水の作り方だの、そんな話ばかりしていたからだ。
この日は、『運命を変える氣のパワー』や『紅茶と薔薇の日々』などの新刊に加えて、塩月弥栄子さんやメイ・サートンなどの本が旅立って行った。
★次回のすみれ図書室は、10月23日(土)の午後2時からの予定です。




池袋コミュニティ・カレッジでの講座のこと

frame61d50f8f7240851d62002f41cf39d43a9e538c57






池袋コミュニティ・カレッジからのお誘いがあり、10月17日(月)に「編集者対談 本がくれた珠玉の「出会い」を語る」を行なうことになりました。
筑摩書房の編集者だった金井ゆり子さんとの対談です。
金井さんは、『森茉莉全集』を含め、筑摩書房から刊行された森茉莉本、外山滋比古さんや清川妙さん、高柳佐知子さんの文庫、佐野洋子さん、尾崎翠、森まゆみさんなどの編集に携わって来られました。
こうして書きながら、金井ゆり子さんと一緒に、もう20年以上一緒に仕事をさせていただいていることに改めて気づき、びっくりしています。月日が経つのは何と早いことか。
関西という地方在住の私が、筑摩書房で仕事をするようになったキッカケ、その後の仕事のことなども思い出しながら、金井さんと一緒に本を作った日々のことを、作家の方々の思い出も含めながら、お話しできたらと思っています(ただし、忘れていること多し)。
『森茉莉全集』は、私が金井ゆり子さんと出会う前に刊行されていたので、この全集の刊行についてのいきさつについては全く知りません。いつかお聞きしてみたいと思ったまま月日が経っていたので、金井さんにこのあたりのこともお聞きしてみたいと思っています。
当日は、森茉莉さんの肉声を録音したCDを聴いていただくことも予定しています。森茉莉さんの声、喋り方、など、森茉莉ファンには興味深い音声ではないかと思いますので、お楽しみに。
●日時:10月17日(月)15時〜16時半 
●場所:池袋コミュニティ・カレッジ

そして、この後、同じく池袋コミュニティ・カレッジで行われる公開講座「ようこそ! セツコの部屋へ」にゲストとして参加します。こちらはセツコ先生にお任せ、大船に乗ったつもりで参加させていただこうと思っています。
田村セツコ先生に初めてお目にかかったのは何年前だったでしょうか。確か、銀座のキルフェボンで待ち合わせをして、でも、そこが一杯だったので、銀座のミキモトに移動してお茶を飲んだのが最初の出会いだったと思います。その時に、「セツコ先生、エッセイを書いて下さい」とお願いしたことを覚えています。
こんな風に思い出していると、清川妙先生に初めてお目にかかった後に、「会うっていいことね」とお手紙をいただいたことを思い出します。人と人は、本でも、インターネットでも、手紙やはがき……でもつながれますが、やっぱり会うっていいことね、そう思います。
●日時:10月17日(月) 18時〜19時半。
●場所:池袋コミュニティ・カレッジ

☆9月の『すみれ図書室』は、9月24日の午後2時からです。Tweetしましたが、先日、松山で出会った方から教えていただいた「奇跡の水」の作り方をご希望の方にお教えします。この作り方をどのようにして知ったのですか? と聞いたところ、天から降りて来たもの、だとか。ブログには書けないけどご縁のある方には、とその方はおっしゃいましたので、こっそりお教えします。といっても、用意するものはお水だけ。そして、作るのに数日かかりますが、とってもシンプルなレシピです。

乗り換えの多い旅

当たり前だが、人って、いろいろなことで悩み、いろいろなことで傷ついたりしているのだなぁ。そんな風にしみじみ思うことがよくある。これは私自身も含めての思い。
でも、悩んだり、傷ついたりしたことをくぐり抜けて、別の場所に出てみると、あれッ?! あれって何だったのだろう、何であんなことで悩んだり、傷ついたりしていたんだろう、と思う。不思議だな、とさえ思ってしまう。それなのにまた、悩んだり、傷ついたり、同じことを繰り返している。
だが、年齢を重ねてくると、悩んだり、傷ついたりしていたことがだんだん愛おしいこと、キラキラしたことに感じられ、いいなぁ、すてきなことだなぁ、とさえ思えて来る。だから今、10代や20代の若き友人たちから悩みを相談されたときは、「もっと悩め」と変な励ましをしてしまう。
犬を引き合いに出しては申し訳ない気がするが、飼っていた犬の寅子に、言葉というか指令を出した時、どうしていいかわからなくて立ち止まり、首をかしげるようにして考えていることがよくあった。そんな時はいつも「もっと考えてごらん。もっと考えて脳みそに皺を増やしてごらん」と声をかけたものだ。しばらく考えた寅子は、いきなり弾みをつけて動き出したり、ワン! とないたり、意味もなく、バン! と元気なお手をしたりした。寅子なりの心のギア・チェンジがあったのかもしれない。
人が悩んだり、泣いたり、ちょっと立ち止まったりすることって、すごく大切な時間だと思う。何かが濾過される。そして、田辺聖子さんの『乗り換えの多い旅』のように、心の中にごく小さな乗り換えのチャンスが訪れ、別のホームに立ち、別の電車に乗り換えることが出来たりする。そして、違う人たち、違う景色に出会う。

「いつまでもこの線でいいと思っていたのは、誤りであった。ここから別の支線(あるいはそれが本線・幹線かもしれぬ)に乗り換えて生きなくてはならないのだ。
 人はあわてて荷物をまとめ、発車間際の電車から飛び降りるのである。
 そうやって、乗り換え乗り換えして乗り継ぎしつつ、終点までやってゆくのが、人間の一生かもしれない。
                    (中略)
 乗りおくれ、乗りまちがいに気付かない人は、いつまでも停まったままの電車にとどまって、行先の見当もつかず絶望のまま、じだんだ踏んでいる、ということになる。」

「恋を失ったときも、人は何度も乗り換えしつつ、立ち直るのではないだろうか。失恋したとき、まるで自分の全存在を否定されたように、人はショックを受け、それまでの電車から乗り換える。それは怨念・自失・屈辱感・自虐・傷心の電車であるが、そのうち必ずまた、乗り換え駅がくる。いつかふと、
(恋を失ったことは不幸であっても屈辱ではない)
と思ったとき、人は乗り換え駅に到着したのに気付き、電車を捨て、新しい乗りものと新しい行先に向うのである」
            ──『乗り換えの多い旅』田辺聖子 暮しの手帖社刊

☆9月の『すみれ図書室』は、9月24日(土)の午後2時からです。

「胡瓜もみその他に関する私の意見」─『紅茶と薔薇の日々』森茉莉著 ちくま文庫より

紅茶と薔薇の日々カバーDSC_2654紅茶と薔薇の日々カバー2










『紅茶と薔薇の日々』が出来上がった(9月7日発売)。
気になりながらも何年も経ってしまい、やっと、という感じの刊行だ。
解説にも書いたのだが、長い間、全集や単行本未収録の作品を集めて来た。国立国会図書館に資料としてあるものだけではなく、大宅文庫にあるもの、そして、編集者の方々が見つけて下さったもの、全集の年譜と照らし合わせて取り寄せたもの、古書店で偶然に見つけたものなどで、集まった作品を整理してみると、かなりのボリュームになっていた。とても一冊におさまる作品数ではなかったので、テーマにそって編集し、森茉莉コレクションとして刊行することになった。
『紅茶と薔薇の日々』は、その第一弾。*第二段は『贅沢貧乏のお洒落術』として、12月に刊行予定。
単行本・全集未収録の作品に加え、全集でしか読めない食のエッセイを収録した。
この中に「胡瓜もみその他に関する私の意見」という『婦人公論』に掲載されたエッセイがある。「乗りかかった舟の大長編」で大苦悶の最中に書かれたもののようだが、森茉莉らしいエッセイで、私としては大好きな一篇である。
「料理の講座みたいな感じの題になっていたので、いくらかは四角ばらなくてはいけないような気がするのである」と書いているところから察するに、このタイトルはあらかじめ指定されたものらしい。タイトルに従い、いくらか四角ばらなくてはいけないような気がするものの「料理というものは愉快な気分で書かなくてはだめである。ところがよくしたもので、美味しい料理を思い浮かべると、私は忽ち愉快になってくる」と書いている通り、「夏の料理の部」として、さまざまな料理やレシピが森茉莉流の愉快な気分で書かれている。その中にあるレシピの一部を。

・冷やした賀茂鶴を徳利に注ぎ、青い柚子をすりおろして、徳利の口にころがすようにしてから盃に注ぐ。
・初夏の胡瓜もみとご飯。六月の初めに出てくる胡瓜の皮を斑に剥いて薄く切り、塩でさっともんだものを生醤油か二杯酢で。これは温かいご飯で食べるのではなくてはだめらしい。
・熱湯にくぐらせて冷やした鶏の刺身を、紅蔘、山葵、醬油で食べる(鶏の嫌いな人の他は、美味しいと驚くらしい)  etc

可笑しいのは、「鯛の刺身がこのごろは、作ったのを又、鯛の骸骨の中に嵌めこみ、鯛の惨殺体がお膳に出るらしいが」と、鯛の活造りをこき下ろしていることである。大長編執筆の大苦悶の名嘉であったとしても、食べものについて書くときの筆の冴えは流石である。
こんな風に、紹介したいエッセイやエピソードを書いているときりなくなってしまうので、読者の方それぞれの『紅茶と薔薇の日々』を楽しんでいただけたら、と思う。
繰り返し書かれているテーマであっても、森茉莉の場合、それは水戸黄門の印籠のようなもの。思わず、ヨッ、待ってました!  と、むしろ大歓迎してしまう。
最後に、「森茉莉最強伝説」という辛酸なめ子さんの解説に締めくくりをご紹介したい。
「上等なものを食べたり、料理することで、もしかしたら女は誇り高く、強くなれるのかもしれません。この本にはレシピだけでなく、女として大切なことを教わりました」

★今月の『すみれ図書室』は、9月24日(土)の午後2時からです。

「きっと、きっと健康になれます」─『ハッピーマクロビオティック教室」より

frame70581f24a0e36bc5d60c5a295713e430fa73a4e7frame2079caef5d81113f994a609571bc3c45985b116c近くの駐車場に車をとめ、リバーサイドカフェ来隣(キリン)へ。途中の橋に、小さな女の子が手作りしたと思われるふたつの可愛いポストが。中には手紙も入っていた。


framec3fee3c71c6246846d0637436ae4e32217ae5b45frame17c1afb5cd063525f1f5da845f289da14cee654f
大原女の小径に折れ、人と自転車しか通れない橋を渡るとお店が見えて来る。


framee3ec27f5f72a6498095f3226c0958610fb270dedframeb7ab519f8cb31f48353923bed8178608a9034597
おむすびとおばんざいバイキングのランチをオーダー。おむすびのリストの中から五種類のおむずびを選びます。


frame2c44ab60528483c8606c90bf08deb398a679ff42frame10dbf984e7661f921ca7a564adc15094d7672532
来恩の外観と銀月アパートメントの入り口。







思うところがあり、去年から(自宅では)玄米菜食生活をしている。
ちゃんとした知識がないまま、無謀にもいきなり七号食に挑戦し、挫折してしまったので、その後、マクロビ関係の本を読み漁った。そんな中で出合ったのが岡田恭子さんの『ハッピーマクロビオティック教室』と『らくらくマクロビオティック教室』(日東書院)だった。
これらの本の中に書かれているコラムに心ひかれ、何度も何度も読んだ。主にレシピを紹介している本なのだが、レシピそっちのけで、コラムに夢中になったのだ。食養講座、自然療法、体験談、レシピに添えられたコメント、マクロビオティックQ&A……どの文章もストンと腑に落ちた。
マクロビオティックについて、奇をてらうことなく、ブームや流行に左右されることなく、押さえるべき基本はきっちり押さえつつ、譲れる所と譲ってはいけない所がはっきり書かれ、考え方、生き方への言及もある。そして何よりも、多くの人たちに健康になって欲しい、食べもので病気が治る、食べもので健康になるということを知って欲しいという、著者の真摯な思いが伝わって来た。深く読み込めば、哲学書のようでもある。

「今日の出会いに感謝して、この本のとおりに、できるところから、ひとつひとつ実行してください。ひとつ実行すれば、今までよりひとつ確実に健康になります。何よりも、私や、この20余年間で多くの受講生の方々が元気になった実績があります。それを信頼して、実践してください。きっと、きっと、健康になります」(『ハッピーマクロビオティック教室』より)
「この本の中でお伝えする食事法は、行き着く先を照らす灯台です。人生に嵐はつきものです。どんなに幸せそうに見える人の人生にも嵐はあります。でも、その嵐の中で、行き着く先の灯台が見えれば、人は希望を持てます。どんなに、いろいろな健康法を実行しても、風邪もひきますし、ケガもします。でも、病気をしても、治ればいいのです」(『らくらくマクロビオティック教室』より)

著者の思いを十分腑に落とした後、けんちん汁、小豆かぼちゃ、ごま豆腐、玄米チャーハン、大豆ハンバーグ……紹介されている様々なレシピを試してみたのだが、どれもどれも本当に美味しい。今では、この本なしでは暮らせないほどの必需本になってしまっている。そして、料理というのは、お砂糖を一切使わなくても、素材の味わいだけで十分に美味しいのだということ、いいお醤油を使えば、煮物でも、いためものでも、それだけで美味しいということを知った(ちなみに私は、マクロビを始めてから、これはと思う醤油を探して見つけた、丸中醤油の杉樽三年熟成の醤油を使っている)。
それだけではない。この本では、玄米菜食の欠点も指摘し、二年目からのマクロビオティックについて言及している(つまり、玄米菜食で排毒が終わったら、食べ方を変えましょうということ)。

「私はこの本で、伝えたいことが2つあります。1つは、食べ物で健康が得られる、玄米菜食で病気がよくなる、という事実です。そして、2つ目は、玄米試食の欠点です。この矛盾しているように聞こえることを、正確に知ってほしいのです」

この2つについての詳細は長くなるので控えるが、この本のレシピやコラムは、毎日の暮らしに役立つだけではなく、著者自身が玄米菜食で健康になった体験、料理教室を通しての多くの受講生の体験を通して、食べものを変えれば、きっときっと健康になり、運命も変えられるということを教えてくれる。著者のぶれないスッと背筋の通った思いと確信に、こちらの気持ちまでが仕立て直されてゆくようだ。

☆次回、9月の「すみれ図書室』は、9月24日(土)の午後2時からです。





Archives
Categories
  • ライブドアブログ