昨日、『ジョンとメリー』を読んだせいで、何だかものすごくキッチンが気になり始めた。居心地悪くとっちらかった私のキッチン。
私は、生活感が感じられないほどきれい過ぎるキッチンではなく、適当にごちゃごちゃしていて、でもあたたか味があって、いつもおいしそうな匂いのするキッチンが好きだ。そういう意味で言えば、『ジョンとメリー』のジョンのキッチンは、所有するそれとしては好みのタイプではない。だが、こんなキッチンを友人、あるいは恋人が持っていたら、しょっちゅう訪問してご馳走になりたいと思う。
調べて分ったのだが、小説の舞台はロンドンだが、映画ではニューヨークだったらしい。だから、小説と映画の中のキッチンの様子は、かなり違っているのではないかと思う。ビジュアル的にはNYの方が雰囲気だろうと思いつつ、私の中のイメージは、ロンドンのキッチンである。
映画そのものは観ていないのだが、予告編を観て、いいなあ、と思ったのは、『連弾』の竹中直人がいたキッチンだ。気持ちの良さそうなキッチンだった(と思う)。特に窓ガラスの雰囲気が良かった。あのキッチンに立ち、何かを作ったり、星空を眺めてみたらどんなにすてきだろうと思う。
キッチン、この言葉から私は、その名もズバリの吉本ばななの小説『キッチン』(福武書店)を思い出す。その小説はこんな風に始まる。

☆私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
 どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタイルがぴかぴか輝く。
 ものすごくきたない台所だって、たまらなく好きだ。
 床に野菜くずがちらかっていて、スリッパの裏がまっ黒になるくらい汚ないそこは、異様に広いといい。ひと冬軽くこせるような食料が並ぶ巨大な冷蔵庫がそびえ立ち、その銀の扉に私はもたれかかる。油が飛び散ったガス台や、さびのついた包丁からふと目をあげると、窓の外には淋しく星が光る。☆

この作品も、小説は読んだが映画は観ていないものの一つで、私の中では小説で完結している。
そして私には、「満月──キッチン2」の方が印象的で、その中で、「でもあの至福の夏の、あの台所で」という一文に続く、物語の主人公・みかげの確信に思いっきり感動したものである。

☆手順を暗記するほど作ったキャロットケーキには私の魂のかけらが入ってしまったし、スーパーで見つけたまっ赤なトマトを私は命がけで好きだった。
 わたしはそうして楽しいことを知ってしまい、もう戻れない。☆

お料理教室に通っている女性たち──エプロンをして花のように笑い、料理を習い、精いっぱい悩んだり迷ったりしながら恋をして嫁いでゆく女性たち。どんなに学んでもその幸せの域を出ないように教育されている(たぶん、あたたかな両親に)女性たち──のことを、すてきだな、と思いながらも、みかげには確信があるのだ。本当に楽しいことを知っている自分に。そして、心にしみいるような美しさを知っている自分に。

『キッチン』もまた、自分にとって居心地のいいキッチンでおいしいものを思いっきり作りたくなったり、それを全部食べつくしたくなったりする小説のひとつ。昨夜、寝る前に突然思い立ってキッチンを磨き、お鍋を積み上げた。今日、「その準備」は出来ている。




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