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左:ラヴェンダーが咲き始めた。 右:蝶々さん、蜜はお好きなだけどうぞ。






5月の「すみれ図書室」で清川妙先生の名前が出たこともあり、今週に入ってから清川妙先生の本を読み返している。
昨晩、読んだのは『91歳の人生塾』(小学館)。

「老いを怖れないで。
 つらい経験にもくじけないで。
 歳だからとあきらめないで。
 人生は二度とないのだから。

 生きていくということは
 それぞれの人生塾に入って
 磨かれ、教えられ、
 学んでいくことなのだ」

と帯にある。
本を開くと、空色のインクでたくさんの線が引いてある。2012年の清川妙先生が書き、2012年の私が読んだ証がそこにある。清川塾に入塾したような思いで読み耽ったのだろう。
そのいくつかをここに引いてみる。
(年齢の峠を感じるという人に対して)
◎峠なんかないのよ、と、私は心の中で反論する。
 あるのは、昨日と今日と明日、ひと続きの道だけ。

◎もし六十代のありようがあるとすれば、それは五十代のうちに用意されてきたものであろうし、五十代のありようはすでに四十代のうちから用意されてきたものなのだ。

◎人生というものは、ひとつひとつの積み重ねなのだ。その一瞬一瞬の連続が、あなたの、かけがえのない寿命をかたちづくっていく。

◎「よわい」を歳ではなく、「よはひ」としてとらえよう。
 この一瞬一瞬をどう生きるか、その積み重ねが「世延」=「よはひ」になるのだから。

◎同じ仕事をするなら、いそいそとしたいものだ。

◎頭のなかにふたつの思いは入らない。悲しみを追い出して、別のものを入れる。
     (中 略)
人生も、ふたつの人生を送ることはできない。

◎小さなことにでも喜びを見いだせるというのは、ひとつの能力である。その力を自分のなかに用意しておいてこそ、幸福をつかまえることもできるのだと思う。

◎年を重ねていくことはいいことだと、このごろようやく身にしみて思えるようになった。
 生きてきた年月が長くなればなるほど、すべてのことがまるで鳥瞰図を見るように、広く大きく見渡せてくるのだ。

◎何かを知るということは、ほんとうに楽しいこと。知るということ、知って楽しむことは、人生を生きる喜び。歳をひとつひとつ取っていくことは、知ること、知って楽しむことがひとつひとつ増えることである。

◎調べ虫を飼うことを、皆さんに心からおすすめしたい。そこにはきっと、びっくりするくらいの知識の泉が広がっているにちがいない。

◎夢中になれるものを持っていると、救われることがある。人は、ひとつの頭のなかに、ふたつのことは入らない。悲しみで頭がいっぱいになったとき、夢中になれるものがあると、悲しみがすこしずつ逃げていくのだ。

◎ていねいな字で、ていねいな手紙を書く人は、ていねいな人生を送ることができると、私は思っている。

◎「いつか」とか「あとで」とか、自分に言いわけをしながらためらっていると、チャンスはあなたの手から逃げてしまう。

◎何かを始めるのに、年齢など関係ない。「始めたい」。その思いこそがたいせつなのだ。

◎夢や願いを思い続けることは、とても大事なことだが、思っただけではだめなのだ。すこしでもかたちになるように行動していく努力が必要なのだと。

◎ほんとうに人生は、「いつだって、今がはじまり」なのだ。
 「いつかやってみたいわ」「そのうちに時期がきたら」と言っているうちは、何も始まらない。「いつか」「そのうち」は、永遠に引き延ばされていくものだ。

◎いくつになっても挑戦する気持ちに、ちょっとした決意。それがあなたの世界を、思いもしないかたちで広げてくれるのである。

◎どんなに微細な水の一滴でも、たゆまず、楽しみながら溜めていけば、いつかは器に溜っていくと信じること。
 生きかたもそれと同じ。これぞと思った夢をかかえつづけ、叶えるという意思を持ち、なにごとにも、ゆっくり、ていねいに続けていく。夢を成就されるのはこれしかない、という思いである。
 
こうして書き抜いていると、清川妙先生の声がきこえ、久しぶりに懐かしい会話を交わしているような気持ちになってくる。