京都府青年国際交流機構

内閣府「青年国際交流事業」の既参加者で作る国際交流団体・京都府青年国際交流機構(京都IYEO)のブログです。

先日、京都IYEOの新年会が行われました。

今回は、ハラール食品を取り扱っているモロッコ料理店にお世話になりました!

一度聞いただけでは覚えることができない…珍しいモロッコ料理に、参加者は皆舌鼓を打っておりました。

10代〜60代、大学や職種、参加事業も様々。
本年度派遣青年から熟練のIYEO会員まで、アラカルトなメンバーの集い。

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縦の繋がりも、横の繋がりも。

京都IYEO、本年は受け入れ事業がありますので、皆で協力して頑張って参ります!


日本代表として海外へ行ってみませんか?

内閣府が毎年実施している「青年国際交流事業」の既参加青年が自らの体験も踏まえて事業について説明します。

開催日:1月13日(水)

会場ゝ都大学(どなたでも)
Facebookページ


会場同志社大学(同志社大学の学生対象)
大学HP

興味のある方はぜひお越しください!

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内閣府HP

11月7日(水)に第1弾の勉強会を踏まえて「京都を知ろう 町歩き」を決行しました!

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コンセプトは『歩いて“見て”知ろう、京都の近代』。


木屋町二条から高瀬川沿いを南下し、御池通から西へ向かい、烏丸通から京都駅へ再び南下しました。(かなり歩きました…‼)

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島津製作所創業記念館、石碑3つ、烏丸通りの曲がりをチェックポイントに和気藹々と町歩きを楽しみました。

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普段は気づかずに通りすぎてしまっていた“京都の歴史”、“京都の魅力”を確認できた充実した時間でした。

10月28日(水)に開催した「京都を知ろう 勉強会」には、京都IYEOのメンバーだけでなく、大阪と兵庫のメンバーも参加してくださいました。

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講演者に、京都女子大学文学部史学科 坂口満宏教授を迎え『はじまりの時を紐解く〜烏丸通はいつできたのか〜』というタイトルてご講義いただきました。

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京都駅の正面を南北に貫く大通り「烏丸通り」がいつ、どのような経緯で現在のような道になっていったのか。

河原町通りや木屋町通りは、どのような経緯で発展を遂げていったのか。

京都で暮らしているだけでは気づけなかった「どうして?」「たしかに」「なるほど」を皆それぞれに感じていたようです。

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また、少人数での講義だったこともあり、質問等が活発に飛び交う、充実した会になりました。

ご協力くださった京都女子大学の坂口満宏教授、本当にありがとうございました。

本年度、京都府からはSWY(Ship for World Youth Program)に2名、日韓青年親善交流事業に1名の、計3名が日本代表として選出され、内閣府の国際交流事業に参加します。

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副知事からは、国際都市として更なる発展を目指す京都府の行政や教育機関、産業界の方針や取り組みについて他、昨今の東アジアの関係や多様化し当たり前になってきた国際交流・留学・派遣事業の中での内閣府の事業の価値や意味についてもお話いただきました。

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「内閣府青年国際交流事業」は、他の国際交流事業や留学とは何がちがうのか…。既参加青年団体であるIYEOや、私たちの活動を含めて多くの人に伝えていきたいなと改めて思いました。

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(2015.10.28.京都府庁表敬訪問)

《第1弾 京都を知ろう(拔会》

日時:10月28日(水)19時〜20時半
集合:18時50分
場所:ベーコンラボ京都駅3F
(京都市下京区東洞院七条下ル塩小路町520三ツ林ビル3F)

講演者:京都女子大学文学部史学科 坂口満宏教授

演題:はじまりの時を紐解く〜烏丸通はいつできたのか〜

☆Facebookイベントページから、又はメーリスを確認の上メールにて、ご連絡お願い致します。

《第1弾 京都を知ろう(拔会》

日時:10月28日(水)19時〜20時半
集合:18時50分
場所:ベーコンラボ京都駅3F
(京都市下京区東洞院七条下ル塩小路町520三ツ林ビル3F)

講演者:京都女子大学文学部史学科 坂口満宏教授
※講演内容については近日中に改めて告知いたします。

☆Facebookページ、メーリスを確認の上、ご参加の旨ご連絡ください。


《第2弾 京都を知ろう町歩き》

開催日:11月7日(土)
※詳細は改めて告知いたします。


以上。

帰国後報告レポート第3弾!(3/3)

H27 京都IYEO事務局長 島田瑛
(H25国際青年育成交流事業 リトニア派遣)

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「帰国後報告文」

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 リトアニアでの経験だけでなく、帰国後に東京で行われた国際交流会議も私にとって大きなチャレンジの場となりました。リトアニアでは日本とリトアニアの間の二国間の交流でしたが、交流会議では7カ国の青年が集い、より異文化と接することの多い3日間でした。私は教育コースのディスカッションに参加し、そのメインテーマは「グローバルリーダーの育成」でした。優秀な青年が世界各地から日本に集い、グローバルリーダーに必要な素質について議論していること、そしてその場に自分がいることに何度も胸が熱くなったのを覚えています。普段の生活では味わうことのできないスケールの大きさに圧倒されながらも、その場に身を置くことで世界にはこんなにも有能で魅力あふれる青年たちがいることや、今後彼らに圧倒されるのではなく渡り合っていく力が不可欠であることを痛感する経験となりました。

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【国際交流会議にて教育コースの青年らと】

 そして、この事業に参加する上で最も大きな幸運であり収穫だったのは、リトアニア派遣団の仲間です。事前研修ではそれぞれの意識や能力の高さにショックを受けたのが正直なところではありましたが、興味のあることはとことん突き詰めていく人、常に団の中心で場の空気を盛り上げていく人、一歩引いて冷静に状況を観察する人など、一人一人が全く違い、それでいて最高に魅力的な個性を持っていました。最初は私自身、団の中で果すことのできる役割とは何なのか、どのように自分の良さを出していけるのかと悩んだこともありました。しかし徐々にお互いが見えてくるうちに、自分を取り繕わずに自然体で臨めばいいことや、無理に背伸びをしなくても必ず誰かが助けてくれるということに気づきました。そして何よりも、助けるだけでなく、挑戦しようとする私を見守り背中を押してくれる空気が常に団の中にはありました。素晴らしい団員達のおかげで、毎日を楽しく過ごし、チャレンジすることにタフで居られたのだと思います。

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【リトアニア招へい青年と】

 この事業を終えて感じるのは、自分が「青年」であることが今だけに許された大きな強みであるということです。今だからこそできる挑戦、今だからこそとれるアクションがあります。そして、今経験することと将来をつなげる方法は何通りもあり、人生の中で最も可能性が広がっているのが「青年」という時期なのだと思います。私はこの内閣府青年国際交流事業で、日本人としての誇りを改めて意識すると同時に、物事を日本人の価値観だけで見るのではなく、その価値観を疑いながら客観的に捉えることの大切さを知りました。そして、初めて出会う全ての人や物に対して常に感受性豊かに向き合い、全身で吸収しようとする姿勢も、青年だからこそ持てる感性です。未来への可能性が広がる青年期にこの事業に参加し、これらのことに気づけたこと、またリトアニアという国と関わりを持てたことを今後の人生に最大限に活かしていきたいです。

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(おわり)

帰国後報告レポート第3弾!(2/3)

H27 京都IYEO事務局長 島田瑛
(H25国際青年育成交流事業 リトニア派遣)

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「帰国後報告文」

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 多くの人々との出会いと共に、リトアニアでは、国家機関や大使館への訪問、大学生とのディスカッション、企業視察など多種多様な場所へ赴き、新しい発見の絶えない濃密な時間を送ることができました。中学校で行った日本文化紹介では、茶道・書道・折り紙・おもちゃ体験などバラエティ豊かなブースを用意し、リトアニア人の中学生たちが目を輝かせて体験に参加する様子はとても喜ばしい光景でした。しかし同時に、これまでの海外からの日本への興味は古くから継承されてきた伝統文化に対するものだったのが、近年はマンガやアニメといった現代文化に偏りがちであるという話も聞くことができました。現代文化が広く世界で受け入れられ、人気を博すことはもちろん素晴らしいことですが、やはり日本の独特かつ優美な伝統文化も世界に誇れるものであり、それらを守り受け継いでいくことは非常に重要なことです。私自身も中学生に日本文化を紹介する中で、好奇心旺盛な彼らからの質問に上手く答えられないことが何度もありました。私たち日本人が伝統文化に今一度目を向け、正しい理解を深めることが求められているのではないかと感じました。

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【リトアニアの外務省にて】

 また、KGB博物館への訪問は、リトアニアの独立の歴史から日本の戦争を見つめ直すきっかけとなりました。リトアニアは1940年から1990年まで50年間という長期にわたってソ連の統治下にあり、その間に多くのリトアニアの人々が虐殺やシベリアへの追放にあいました。こうしたリトアニアの厳しく悲しい時代は、今からほんの20年前まで現在進行形で存在していたのです。私のホストファミリーの女の子は17歳で、直接ソ連時代を経験したわけではありませんでしたが、両親から戦争や独立の歴史について幼いころから話を聞かされていたために、ソ連時代にまつわる多くの知識を持っていることがとても印象的でした。日本の戦争の歴史に目を向けると、すでに日本は終戦から70年が経っており、多くの人にとっては遠い過去の出来事であるかのように捉えられがちではないでしょうか。戦争を実際に体験した人の話を聞こうにも、学校の戦争学習の中で特別に設けられた場でしかそうした機会は持てず、また戦争体験者の数が減ってきているのも事実です。日本もリトアニアのように困難な時代があったことには変わりないにもかかわらず、長い年月が経ってしまったことによって記憶は薄れ、語り継いでいくことが難しくなってきているのです。私は、最近は長らく考えることの無かった戦争という出来事にリトアニアで再び向き合い、その悲しさを改めて感じました。そしてその感覚は全ての日本人が今後も決して忘れてはならないものです。どうすればこれからも日本人が戦争に対する意識を維持していけるのか、この問題について深く考えることができたのは、私にとって非常に意義深いものでした。

 石油会社を視察した際には、リトアニアの人々のEUやソ連に対する意識について考えることができました。リトアニアは1990年にソ連から独立し、2004年からはEUに加盟していますが、今でもリトアニアはエネルギー供給の80%をロシアに依存しており、本当の意味でのロシアからの離脱が求められています。しかし一方で、50年もの間ソ連の厳しい統治下におかれていたリトアニアにとってEU加盟は悲願であったにも関わらず、社会主義国家から自由主義国家への急激な移り変わりの中で近年ではそのひずみとも言うべき社会問題が現れ始めています。その代表的なものが、労働市場の不足という雇用に関する問題です。リトアニアでは大学への進学率が7割以上と非常に高いのですが、そのような高等教育をうけた人々の十分な雇用の場が現在のリトアニアには不足しており、その結果、教養を持つ人材が雇用を求めてEU域内へと流出するという事態が進んでいるのです。こうした側面から、近頃は主に年配の人々を中心に、全員が職を持ち同じような生活が保障されていたソ連時代への懐古心が徐々に強まりを見せてきているそうです。現在のリトアニアはまさに社会主義から自由主義への移行過程にあり、EUへの期待と失望、ロシアからの離脱を求める声と懐古心の狭間で揺れ動く人々の迷いや葛藤を知ることができました。

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(つづく)