2016/02

2016/02/28

第409回 2/27 京都新洗組

みなさん、こんにちは。

今日の新洗組のブログは、久しぶりに平井一暢が担当します!
大阪住まいで、京都のお掃除にはたまにしか行けませんが、
毎回、暖かくてウェルカムな雰囲気が、僕はとても大好きです♪

さてさて…
明るくなるのが、少しずつ早く感じるようになりましたね。
春の気配を少しずつ感じます(けど、まだまだ寒い!)。

そんな中始まった新洗組には、初参加が2名、来てくださいました。

先日、めでたくご結婚された南さんの旦那さん、藤浦さんです。
終わりには、結婚式のお話などもうかがえて、幸せのお裾分けを頂きました♪
元は新洗組からご縁が広がったようで…素敵ですね。またお二人で来てくださーい!

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そして、もう1名は、
「炭火串焼き つじや」というお店を経営されている元ロックバンド歌手の辻さん。
御所や京都駅、河原町近くにあるお店です。
お店でも店員さんと一緒に掃除をされているそうです!掃除のご縁が、また広がりましたね♪
また新洗組の皆さんと一緒に食事に行きましょうね♪


そして、この日は、掃除に学ぶ会の田中会長&奥様にもお越しいただきました!
個人的に、前日から時政さんと一緒にお話を伺うことができ、大変勉強になりました。
ありがとうございました!

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新洗組に行きたいなと思わせるのは、きっとこの集まりの雰囲気かなと思います。
たくさんの方にお越しいただき、この雰囲気を経験していただきたいですね。

掃除を通じて、素敵なつながりができます♪
それが、掃除の一つ、いいところかなとも思います。

また僕も参加します!
また会いましょう♪

平井一暢



kyotoshinsen at 13:28|PermalinkComments(1)

2016/02/26

第408回 2/20 坂井

隊長の坂井です(*^^)v
久々にブログ書きます!今日はめっちゃ短いです!笑


前回のトッキーさんの投稿に引き続き…

私事ですが、先日卒論発表と院試が終わり、
また単位が無事に揃ったのも確認できたため
大学院に進学することが決まりました。


わざわざ書くほどのストーリーは無いのですが、
進学が困難になりかけた時期があり、
その時の支えというか、安定剤になっていたものの一つが掃除でした。


すべては掃除のおかげというわけではありませんが、
今、新洗組に集まってきている方々のことが、
自分は本当に大好きなんだなと強く思います。


新洗組を続けていて良かったな、
まだまだ続けていきたいなとしみじみ感じています。


語ると長くなるのでこの辺でやめますが、
新洗組にはたくさんお世話になっている分、少しでも何か返せるように、
やれるだけ、させて頂けるだけ、
もうちょっと隊長続けようと思います。

今後もよろしくお願いします!


隊長 坂井


160220


kyotoshinsen at 15:32|PermalinkComments(0)

2016/02/10

第407回 2/6 とっきー

こんにちは。時政です。
一ヶ月ぶりの投稿になります。
私事ですが、修士論文とその発表会も終わり、
さっぱりした気持ちでお掃除をすることができました。


今回は、久ぶりに英穂さん、みっちーさん、春田さん、おくちゃんが来てくれました。
また船見先生とうばがいさんが連続して来てくれています (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回も門川事務所と木屋町清掃に分かれてお掃除しました。
閉会式には、田口先生が鞍馬寺での節分祭のお豆を持ってきて下さいました。
まめまめしく生きたいと思います v( ̄∇ ̄)v


掃除について最近考えていることを少し紹介したいと思います。
1月に伊勢でのトイレ掃除に参加させてもらいましたが、
その時に来られていた田中会長が「汚れを落とすのは出来るだけ相手(汚れている場所)を傷つけないように優しい道具を使ってきれいにするのがいい」と言われていて、とても素晴らしいことだと思いました。汚れを落とすことに夢中になると、ついつい力一杯入れて、道具も汚れている場所も傷つけてしまうことがたびたびです。

田中会長はできるだけスポンジで、と言われていましたが、掃除道の究極は洗剤も使わずにスポンジだけで汚れを落としてしまうのかな、と宮本武蔵が剣を極めた先に剣を捨てたことを想像しました。
剣を捨てたのですから、スポンジも捨ててしまうのかもしれません (* ̄∇ ̄*)エヘヘ
でも手でさっと落せたら一番傷つかずに済みますね。


比叡山の十二年籠山行満行者の宮本祖豊先生に聞いた話ですが、修行僧が修業するお堂にはわざと落葉樹が植えてあり、毎日徹底的に落ち葉掃除をするそうです。ある修行僧が完璧にできましたと、老師に報告したところ、どれどれと観ると落ち葉一つもないくらいとてもきれいでした。
そこでほめられると思いきや、「これではダメですね」と言われました。これ以上どうしたらいいのかと、修行僧が疑問に思っていると、老師は木の枝を揺すって葉を散らしたのです。
老師はこれで良いと満足されたそうですが、とても興味深いエピソードです。

鍵山先生も言われるように掃除した場所に落ちた葉はとても美しいです。
私の経験ですが、紅葉の季節に秋雨で葉が落ちたときの、落ちたての葉はふかふかしていてとてもきれいでした。しかし、日が経つと人も踏んだりしてぐちゃぐちゃになってしまうので、きれいでなくなります。
私が思うに、上のエピソードは、掃除をするのは人がすることですが、葉が落ちるのは自然のはたらきです。掃除したてのところに葉が落ちると言うのは、人が掃除したところと自然がすることが一致すること、儒学では「天人合一」と言いますが、その状態のことだと思います。
単に掃除をしてきれいにした!というのは人のエゴや欲なんだと思います。自分がきれいにしたところを人が汚すの見ると腹が立ちますよね!でも、実際はきれいにしたと思ったその直後早汚れて行くのが自然のはたらきです。掃除をして心をきれいにしていると思いきや、腹を立ててしまうのですから、自分のエゴで掃除をしていたことに気づきます。

また人の生活において、きれい過ぎると落ちつかないことがあったり、また潔癖性という言葉がある様に必ずしも良い意味で使われないのも、きれいであるところに人のエゴのようなものがあるような気がします。人が生活すると当然汚れて行くのですから、全く汚れないように生活することも出来ません。きれい好きといって、新品なものを買い揃えて全く使わない、という変なことにもなりかねません ( ・Д・)
きれいにして汚れて行くのが自然なことで、汚れた状態を放ったらかすから良くないのだと思います。いつも掃除をして「汚れたて!」であるのが、掃除道なのかなと思ったりしました。
「汚れたて」であれば、汚れも簡単に落ちますし、さきほど言ったように一番やさしいやり方で掃除をすることができるし、汚れることに神経質になることもないんじゃないかと思いました。
何か変な見方かもしれませんが、自分はなんだかすっきりしました(^∀^)


ちょっと長くなってしまいましたが、これからも自分の掃除道を模索していきたいと思います。
以上!!

とっきー

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kyotoshinsen at 16:36|PermalinkComments(1)