共同売店の思い出 その1共同売店の思い出 その2の続き

2005年04月02日

共同売店の思い出 その2

I.Mさん(大宜味村出身、63歳、男性)

――思い出の共同売店はどこですか?

「田港(大宜味村)の出身だから、やはり田港の共同売店。
 あの頃は、生活のすべてでした。共同売店が生活の中心。
 共同売店なしでは、田舎では生活できなかった。
 昭和二十年代後半、三十年ころの話。
 高校にあがる頃までそんな風でした」

――具体的に何を一番に思い出されますか?

「まず物物交換です。
 お金の代わりに薪を持っていく。
 当時、子供たちは山から木切ってきて、三十センチの長さに切って、割って束ねてタムン(薪の束)にする。それを共同売店に持っていって、ソーミン(素麺)やメリケングー(メリケン粉)と交換した。
 共同売店はそうやって集めて、業者に売る。業者は那覇や南部に持っていく。
 当時は、みんなそういう山仕事です」

――自分の欲しいものやお菓子を買ったりすることは?

「そんなことは思いつきもしなかった」
 
 



――現金をもらうことはなかった?

「業者に集めに来ることがあって、その時は現金がもらえた。
 一束いくらだったかな。家の側や、道の傍にタムンの束を交互に(井桁に)積んでおく。数えやすいように一山いくつ、という風に。するとトラックが各集落を回って買い集めて行った。
 やんばるの木が、那覇あたりの生活を支えていたんです」

――現金は貴重だったんですね。

「現金はできるだけ別で(共同売店以外)使う。
 共同売店で買う事があっても、もちろん掛け売りです。
 通い帳、というのがありました。一軒に一冊の帳面です、それに記録して月末に清算する。こういうのは、共同売店だからできたこと。
 基本的には自給自足みたいなものです。
 大宜味は平地はなく、山ばかりだから、畑はみな段段畑。そこに、麦や豆腐豆(大豆)、米なんかを作っていた。
 もちろん、主役は芋でした。主食は芋でしたから。
 売るためではなく、自分たちで食べる分です」

――他で買うこともありましたか?

「生活必需品はすべて共同売店で買いました。 
 衣類などは遠くまで買いに行った。当時は名護まで1時間以上はかかったかな。
 正月やお盆、他には運動会の前くらい。皆でぞろぞろと連れ立ってバスで出かけた。カルガモの親子みたいなものだな。自分1人でなんて行けなかった」



kyoudoubaiten at 20:40│Comments(0)TrackBack(0) 共同売店の思い出 

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