Symphony Fantastique Proving Ground



一色強兵の憂鬱

イギリスのEU離脱国民投票が世界中に波紋を呼んでいる。何よりイギリス国内が大揺れだ。報道を見ているとひょっとしたら、「連合王国」の解体ということもありえそうな感じである。
もっともイギリスは国名通りの、ブリテン島の連合王国っていうような存在ではない。今なお、世界各地にある旧植民地から独立を果たした国々、英連邦諸国(The Commonwealth)の名目上の元首を英王室が束ねる盟主だ。イギリスと英連邦諸国の間は、普通の外国同士の関係では無く、いろいろな意味で「国内の延長」扱いがされているから、元々共通市場の体裁は結構整っていたのである。それ以外にも世界最古の英ーポルトガル同盟を維持し、そういう明文化された関係ではないと言いつつも、英米・英仏などの関係の深さは普通の国家間のつながりと同等とはとても言えるものではない。
つまり三行半を突きつけられた格好のEUの方が実害は大きいという感じはする。

ヨーロッパというところは歴史的には中国同様、離合と集散を繰り返してきた所だから、所詮は歴史の波動の一つというだけなのかもしれない。落ち着いた頃に見直したら、実際に変わったところというのは顕微鏡で見て初めて分かるレベルぐらいの差しか無いような気がする。
ヨーロッパはそもそも、どこもたいていは国民が頑固で、どこの国も政府の言うことを国民がすんなりと聞くようなところではない。そういうところだから、国家戦略のぶつかり合いがどうこう言っても、すぐに国民にはしごを外される危険が元々高いのである。アメリカだったら草の根民主主義と呼ばれるのだろうが、ヨーロッパの場合は、そういうもんじゃなくて、まず郷土愛というか郷土閥・門閥ありきという感じがする。至るところに階級社会の名残があり、その階級社会の名残は郷土に深く根ざしている。で、閉鎖的で自由が無くて、で、逃げ出した人達がアメリカで新世界を作ったわけだから、ヨーロッパ=旧世界という所は、もともと保守に馴染んだ人達が残っている地なのだ。こんなだから、郷土のシステムが壊れないなら、どこの国に属してもいいよみたいな考えの土地はかなり多い感じがするのである。

ところでヨーロッパはイギリスを含む地理的領域を指す言葉であることは間違いないのだが、英語の報道などのニュアンスから言うと、元々イギリス国内ではヨーロッパという単語を「大陸」という意味で使うことが多い。
つまりブリテン島と大陸という分け方である。だからそもそもEU=Europe Unionという名称自体が、イギリス人の目から見ると、意識的に合っていなかったという可能性もありそうである。

イギリス人の場合は、こういう細かなこだわりは元々かなり多いんだけどね。
因みにforeignは「外国の」という意味だが、それはイギリスと英連邦以外の外国に限定する意味で使う場合があり、同様にoverseasは「海外の」という意味だが、それはブリテン島以外の英連邦と限定した意味で使う場合もある。つまりドイツやフランスはa foreign countryで、オーストラリアやカナダはan overseas countryなのである。
こんなメンタリティの連中がそもそもEUに参加するって言ったという方が、今から考えるとよっぽどの驚きだったんじゃないかと。

一昔前、同性愛っつー分野は、SMと双璧をなす一大変態分野みたいな扱いだったものだが、今や時代は変わり、多くの先進国が同性婚を合法化しつつある。SMがどこの国でもいまだに変態の王道であるのに対し、同性愛の方はもう全然そんな目で見られるものではなくなった。

大きな流れで言えば、「性による区別」も「差別」と結局大差なく、あらゆる場面での差別撤廃を「正義」とする現代社会では婚姻ですらも聖域ではないということのようだ。
日本ではこういう海外の本流の動きとはやや異なり、医者がなかば無理矢理に「性同一性障害」なる病名を発明もしくは発見して、この道に天下の道筋をつけたものだから、同性婚=障害者救済みたいな意味づけで見られていることが多い。でも海外での同性愛/同性婚の扱いは決してそんな障害者救済に限定される意味ではない。

たとえばナノマシンと人工細胞によって、どんな場所のどんな怪我でも修復でき、そしてどんな細菌でもどんなウィルスでも確実に駆除できるとなったら、誰もが自殺みたいなバカをやらない限り確実に天寿を全う、つまり予め予定されていた細胞分裂回数の上限値に達することで起こる体細胞の更新完了による死を迎えられるはずだ。
ま、すぐにはムリだが、なんかそんなに遠くない将来、こうなる可能性はかなり高そうだ。
さて、そんな世の中で寿命ってのがどれぐらいになって、それに伴って当然見直されるであろう、労働力としての現役世代の定義がどんなものになるかは、ちと気にはなる。仮に寿命が150年ともなれば、きっと130才ぐらいまでは現役でいてもらわないと社会的にはいろいろと不都合なことが起こるんだろう。
もちろん五体満足であるということは必須条件であるとして。
超超高齢化社会である。

つまり我々は高齢化社会のまだ入り口に立っているだけなのである。本当に何が起こるのかはまだまだ何もわかっていないに等しい。そんな手探りの状態ですらこの問題を少なくとも上手に扱えているとはまだ言えない。

そんな中で少子化の助長につながると誰かが考えているのか、同性婚の正式立法化に政府は抵抗しているらしい。国レベルでそんな状態なので、自治体が勝手に結婚と同等の権利を認めるとか、かなりイレギュラーな事態も起こっている。だが大幅に寿命が延びる世界で考えたら、生殖育児が人生に占める時間は相対的に短くならざるを得ず、むしろ一生連れ添うとは言わないまでも、誰と一番長く一緒に暮らしたいかという選択肢を広げる意味で同性婚というのは新しい可能性ではないだろうか。
つまり初婚で異性と結婚し仮にこどもをつくり育てあげたとしても、子が独り立ちした後、何を頼りに夫婦のつながりを維持するのかと言えば、結局お互いに一緒にいたいという思いだけだからだ。当然、社会面、経済面でも、いろいろなリスクもある。常に円満に生活が続けられる保証なんてどこにもない。むしろ異性であるが故に分かりづらい面も多い。それでも自分を抑圧しながらパートナーとの生活を維持したいとしても、今以上に長い「老後」の時間があるとしたら、その困難さは今までの経験的知見の予想の範囲を超えるものになるだろう。

結局、同性婚の否定は一人暮らしの老人を大量に作り出し、かえって高齢化社会の負の局面を増大化させることにつながるような気がするのである。

ラーメンは好きなのだが、実は外食でラーメンというのはほとんど食べない。長いこと西日本で過ごしていたので、舌が完全に西に染まってしまい、東京では店に入る気がおきない。
ずっと以前、入った経験から言えばがっかりするばかりだった。
九州、中国地方でラーメンといえばまず豚骨味である。そしてそれを反映しているから、当然スーパーのラーメン売り場でも圧倒的に豚骨味のものが多い。
なかでもチャンピオンと呼んでいいのがハウスの「うまかっちゃん」だ。売り場の見た目のシェアで言えばもう五割を超しているんじゃないだろうか。これだけ存在が巨大になると、当然バリエーションが出せる余地が生まれる。で、今現在は、博多味、熊本味、久留米味、鹿児島味などなど、本来のうまかっちゃん以外にもバリエーションモデルが売られている。
で、西に戻ると私としてはこのうまかっちゃんを買って帰京することになる。あるいは家族が上京する際には、持ってきてもらっている。東京でもうまかっちゃん以外の豚骨味のインスタントラーメンなら買えるのだが、うまかっちゃんの豚臭い豚骨味とはかなり異なり、塩味のきついものばかりなのだ。
ずいぶん前だが、うまかっちゃんが東京で売られていた時代もあった。だが、一過性のブームだったらしく、すぐに市場から姿を消した。やはり東京は、ラーメンと言えば、醤油、しお、みそと言った塩味御三家が本流の場所なのだ。なので塩味のほとんどない豚骨は肩身が狭かったのだろう。
だからハウスはうまかっちゃんを西専用商品と位置づけたようだ。
もちろんネットを使えば買えるわけだが、送料込みの値段で見るとかなりの割高なものになる。まあ、あれだけかさばるものならそれも仕方がない。
しかし日本ってのは狭いようで家庭での食事に関しては広さを実感することが多い。そしてたぶん歴史の厚みと調理技術というのは比例するらしく、完成形の料理として評価するとおいしいものは西に多い。調理技術よりもむしろ材料の鮮度なんかを重視する料理では東も西に負けてはいないが、多彩な材料と調理技術に施された工夫の多さでは西に一長があるように思う。
面白いのはミシュランのランキングだ。東京はミシュランにレーティングされた店がかなり多い街でもあるのだが、ランキングに登場する店はどちらかというとギチギチの東京味の店では無い店が多いようだ。たぶんミシュランのスタッフは東京人の舌の傾向を読み取って、非東京人にも勧められる店をあえて選んでいるのだろう。まあ西日本人というよりも外国人を意識していることは間違いないだろうが。あんまりこれを分かっていないのは根っからの東京人で、「ミシュランに載っていたって聞くけど味が薄くてイマイチ」なんてコメントを聞くと、ああ、この人は正真正銘の東京人だねと私は感じてしまうのである。

ここのところ再び燃費にまつわる不祥事が次々と発覚している。試験方法を変えたとか、都合のいいデータを選んだとか、悪事の内容として見れば、いずれもこどものいたずらレベルの簡単なものばかりだ。
本気で担当者が世の中全体を騙すっていう強い決意があるんだったら、エンジンそのものをすり替え、排気量をいじるぐらいのことならいくらでもできるんだから、そういう強い意思はまず無かったんだろう。
となると、まさしく報道の通り、経営者の意思に現場が応えられなくなった結果、こういうことが起こったと理解するのがもっとも妥当ということになる。
ところで、この10年余りの間に、燃費を取り巻く技術メニューは激変していた。
かつては一定の性能のエンジンがあって、それをクルマに搭載した場合、クルマのアピールしたい性能をどこに置くかという議論がまずあって、たとえば運動性能や静粛性なんかと並べて比較性能されるパラメーターの一つとして経済性指標としての燃費があるというような認識だった。早い話がギア比を高めに取り、固めのタイヤとサスを与えて転がり抵抗を減らせば燃費は上がり、運動性能や静粛性は悪化する、どこを大事にしますか、という感じで味付けしていたのだ。その後、省エネの進展で燃費が法律で規制されるようになっても、そうは言っても消費者が気にもしていないのなら、あんまり意味がないんじゃない? なんていう意見もあったようだ。そう肝心の消費者が燃費を気にしていないなんていう市場調査結果が過去、実際にあったのである。
たぶん、不祥事を起こした経営トップの燃費問題に対するイメージはこんな「常識」に縛られていたのだろう。
だから達成困難な燃費目標を現場に課した。他社ができるのならうちにだって必ずできるはずだ、という論理で。
だが世の中は変わっていた。もはや燃費の競争レベルは、元々のエンジンの発生エネルギーを性能に振るか燃費に振るかで済まされるレベルではなく、そもそもの燃料の持つエネルギーをどれだけ運動エネルギーに変換しているかという熱効率の高さを競うレベルへと変わっていたのだ。机上計算上、熱効率が高くなければ、何をどう細工しても燃費が高まるわけがない。が、熱効率がいいというエンジンには、それなりの理論的根拠とそれを実現できる技術が備わっていなければならないのは当然で、そのことを理解していたかいなかったかで、当然投資のスケールも変わり、結果も明白になる。そのことに経営者が気がついていた会社とそうでない会社がまともに競争できるわけがない。
だから今回の問題は経営者が無知だからこそ発生した不祥事ということになる。
現状、熱効率を高め、制御することに手慣れてきた感じのあるのはマツダで、ミラーサイクルを市場導入した経験がきっかけになったのだろうが、おそらくこれからも内燃機関にかけていくという決意があるんだろう。トヨタはそのマツダと戦略的に技術提携したというのは、内燃機関という札への保険であり、それを補うハイブリッドや燃料電池を自らの主力に考えているという意味か。ホンダは常にトヨタのミラーというストーカーだ。常にトヨタと同じ戦略を採用する。そして日産はマツダの対極でいずれは内燃機関からは完全撤退し電気モーターに完全移行することを考えていたのかもしれない。だから三菱への委託外注なんかをやっていたのだろう。
その外注先を傘下に収めた日産。いったい三菱にこれからどんな役割を担わせるのだろう。

国号っていうのは国の正式名のことだ。当然、日本は日本なのだが、この名前が正式と呼べるような法律的根拠を持ったのはたぶん今の憲法制定時だから意外に歴史は浅いということになる。明治維新近辺で日本としておけば良かったのだが、何故か、どっかの厨二病みたいな夢を見た明治の元勲が「大日本帝国」なんていうめっちゃイタイ名前を作ったもんだからまともになるまで随分と時間がかかることになった。ま、帝国の部分は実際に帝政だったんだからまだ許せるが、「大」はもうイタイとしか言いようがない。当時も一部では議論があったらしい。ところがこの真っ当な反論は、次の弁明で打ち砕かれたらしい。
「だって大英帝国ってあるじゃん」
確かにある。日本語では。が、この大英帝国という訳語が実は勘違いで生まれたものだったのだが、当時は誰もそれに気がつかなかったのが惜しかった。大英帝国の大は英語のグレートブリテンのグレートの翻訳のつもりだったらしいのだが、その意味するところは、少なくとも大帝国という意味とは全然違っていたのだ。
今日でもイギリスを表す英語の言葉はややこしい。ユナイテッドキングダム、イングランド、グレートブリテン、あるいはイングリッシュとかブリティッシュとか、事情を知らないとかなり混乱する。
イギリスの正式名称を正確に日本語化すると「グレートブリテンおよび北アイルランドの連合王国」となる。最後の連合王国の部分は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドのことだ。
この元々は王政だったそれぞれ別の国の王様を全部兼任しているのが今の英王室ということになるので、「連合王国」になる。で、その連合の中心になるのがイングランドで、その「イングランドの」という形容詞がイングリッシュという言葉だ。では、グレートブリテンとは何かと言うと、ヨーロッパ大陸から離れた島の名前なのである。ロンドンのある島がグレートブリテン島、つまり大ブリテン島。その左隣にあるアイルランド共和国のある島がスモールブリテン島、つまり小ブリテン島となる。ブリティッシュという言葉は「ブリテン島の」という意味だ。だからイギリス人は、グレートブリテン島にある連合王国だよと言ってるだけで、うちは大帝国なんだという厨二病患者では無かったのである。そのことに元勲達は気がつかなかった。
というわけで「大日本帝国」って国号は、めっちゃイタイもんだった、と確定したわけだが、なんやかんや紆余曲折があったものの、とにかくこのイタイ名前から脱却できたのは、日本にとって僥倖とすべきだろう。
ところがである。勘違いってのは意外なところで伝染するものらしい。
そう、日本の勘違いは他にも広がってしまったのだ。
世界史に一瞬だけ登場した「大韓帝国」だ。すぐに「大日本帝国」に併合となって黒歴史を延々と作らなくて良かったねと思ったら、なんと「大日本帝国」が消えた後、「大韓民国」という勘違い亡霊として甦ってしまっていたのである。
いや、うちの元勲の勘違いがここまで尾を引いちゃって、なんか申し訳ないって、この国号を聞く度にいつも思うんだよね。

時の総理大臣が議論を活発にしましょう、って折角言ってくれてるんだから、やっぱりここはそれに乗らないと、モノカキとしての矜持にもとるなんて思うのである。
とにかく、この70年、まるでSM小説並みにタブー視されていた憲法改正を真っ正面から取り上げた阿部さんの功績は大きい。
前に進めばいいな、とは思うものの、現実にはなかなか進まないんだろう、こういうことは。
ま、そっちの中身は枝葉末梢に至るまで隅から隅までケチをつけないと気が済まない人達が大勢いるところで決めていくんだろうから私などが口を差し挟めるようなもんじゃないんだろうけどね。

私は、そんな細かいことには興味は無い。もっと大きい話をここではしてみたい。もしかしたらファンタジーと感じられるかもしれないが、私個人としては結構大まじめである。

まず最初に、参議院の位置づけの見直しである。前にもこのブログで冗談半分で書いたことがあるが、やっぱり今の参議院は機能的にムダだと思う。アナザー衆議院なんてコストと時間を無駄遣いしているだけだ。
国民が選挙で選ぶ議員が構成する議会なら衆議院だけがあれば十分だ。

ただし、だから参議院を廃止しろなんてことは私は言わない。要は衆議院とは全く次元の違う議論を行える場として参議院を作りかえたいのである。で、どういう人間がそのメンバーであるべきか、いろいろな分野のその人で無ければ言えないだろうというような意見を期待できるキャリアを積んだ人物ということになる。具体的には閣僚経験者、都道府県知事経験者、将官クラス以上の退役自衛官、公益法人代表経験者、その他ノーベル賞などを受賞した研究者、学者などだ。要は日本の各界のトップ経験者の作る議会に変えたい。
そしてさらにどうしても付け加えたい人達がいる。それは天皇、皇后など皇室関係者だ。

私は何でもかんでも「天皇陛下ばんざい」っていうような皇室シンパではないつもりだが、かと言って、天皇制を廃止して共和制にという共和主義者にも組みしない。私は、皇室を中心にまとまってできたコミュニティが発展拡大して出来上がった国が日本なのだと理解している。今更そういう歴史の流れを否定はできないし、もしそれを否定したらもはやそれは日本という国では無くなってしまうのだろうと考えている。
さてそういう第三者的視点から現状を俯瞰した時、明治憲法の天皇主権を否定し、象徴天皇へポジションを移動したことはともかく、天皇は国事行為以外一切政治的活動ができない、というのも異様な状況に見える。完全に行き過ぎだ。つまり天皇はどう考えているのか国民は知ることができないというのが当たり前というのはやっぱおかしいと思うのである。
実際に議席があってもはたして出席してもらえるのかは現状では甚だ疑わしいが、少なくとも政権の内部から離れたポジションから自由に意見が言える場というのを確保するべきだとは思うのだ。
そうは言っても皇室関係が天皇だけじゃ1票にしかならないわけだし、それで三権分立の構造そのものがガタガタになる心配もないだろう。ただ天皇が一人だけ皇室代表とかになると妙なシンパが妙な反応を示す危険性が増大しそうだ。だから天皇一人ではなく、皇后も加えたのだ。いや皇太子、皇太子妃も加えて全部で4票ぐらいあった方がいいかもしれない。
総理大臣に野次を飛ばす皇太子とか、ちょっと見てみたいし。野次を飛ばされた首相の反応とかも見物だし。

それとこの問題はもう一つ全く別なテーマとも絡む話になっている。
では早速もう一つの話題へと移ろう。
国防関係の話となると必ず9条の話で終始しておしまいってのがたいていのパターンなのだが、私はちょっと違うんだよね。私が気にしているのは、例えば東京に核ミサイルが落ちちゃって、内閣、議会、最高裁が揃って機能停止したら、日本っていう国家は単純に消えてしまうということだ。この後誰が何をしようともう自動的に内戦状態へ移行し無秩序が日本全国を覆うことになる。実際にそうなるかどうかはともかく、法律的にはそうなる。
誰が何をやっても法的根拠はない。
民主主義の制度ってのは本質的に危機管理上非常に脆いのである。その脆いところに来て、現憲法はことさら危機管理に対する対応が皆無なのだ。これが問題である。
三権分立の三権が消滅したら、普通に考えれば三権以前の状態に一旦戻るというのがスジだろう。民主主義を実行できる環境が存在しなくなったら、王政が発動するという発想があってもおかしくない。そう、国家非常事態で存亡の危機となった時、選挙などの手続きを経ずに天皇が首相を指名任命できるとすれば混乱の早期収拾が可能になるだろう。またこういう視点から、皇居と政府が同じ場所にある現状はあまり好ましくあるまい。京都がいいのか大阪がいいのかとにかく皇居は東京ではない方がいいのではないだろうか。そして東宮、つまり皇太子の住居も皇居と政府から離れた別の場所にして置く方が、何かあった時、日本国の存続を相当強力に担保てきると思うのである。

新しいシーズンが開幕し、サッカーの話題が再び増えてきた。それとともに早くも下馬評を覆すような試合が何試合もあって、私自身もやっぱサッカーってのは面白いゲームだなと認識を新たにした次第である。
面白いというのは予測がつきにくいからということだ。下馬評通りにゲーム結果が出るものは基本的に面白くは無く、ましてやプロとしての興業には向かない。
どんなに完璧に見えた準備をしても絶対なんてことはどこにもない。それがサッカーなのだ。
サッカーとある意味対極的な、マンマシンの争い、自動車のフォーミュラ1がその興業としての面白さを維持するためにどれだけ無茶な要求を参加者に課しているかを考えればサッカーの微妙さというか繊細さがよく分かるというものだ。
F1は年間に15戦前後を争い年間チャンピオンを決めるわけだが、同じチームが連覇ということは滅多にない。というか連覇を許さないようにあれやこれやとやっているのだ。
そう、毎年毎年、マシンやエンジン、コースのレギュレーションが必ず変わるのである。もしこういうレギュレーション変更が無かったら、技術的に優れたところがずっと同じマシン、エンジンで勝ち続けたり、あるいはどのチームもみんな同じマシンになってしまって興業としての魅力が大きく損なわれていただろう。
実際には毎年のようにドラスチックに変わるレギュレーションのせいで、F1に参加する各チームはそのシーズンの第1戦を全くの手探りで戦わざるを得ず、勝っても負けても、そのデータを次のレースに出すマシンとエンジン、タイヤにどこまで改善策を織り込めるかという別な勝負をしなければならないのだ。いわば、コース上でのレースは戦い全体のほんの一部、一番派手なところだけを見せているだけで、その戦いの本当の主戦場は開発費と時間が湯水のように使われるレースとレースの合間なのである。こうして一戦一戦戦いながらどれだけ1シーズンを通してよりよくマン、マシン、エンジン、タイヤを向上させたか、というのかシーズンチャンピオンの意味というわけだ。
そもそもF1の争いはエンジン技術の限界近辺になっている。初めからエンジンの寿命は100%の出力でせいぜい2〜3時間程度と言われている。だから搭載エンジンは1戦限りの使い捨て前提だ。数少ない虎の子エンジンをどれだけベストに持って行けるのか、設計者やエンジニアの執念がものを言う世界なのである。
そんなすぐ壊れそうな危なっかしいエンジンとはいえ、機械なら、安定して優れた加工技術があり、しっかりした設計データと良質な材料があれば、同じものを作るのは時間ととも経験を積めば、どんどんやさしくなっていく。でもそれではレース興業としてはつまらなくなるので、毎年レギュレーションを全取っ替えするのである。

一方、サッカーは人間以外の要素なんてほとんどない。レギュレーションだって僅かな変更ぐらいしかない。
それならメンバーが馴染みのメンバーで揃ってたら同じような強さが常に出て良さそうなものだが、そこが人間のやることなんだよね。個々の選手の技術に変化がなくても、ほんのちょっとスイッチの入るタイミングがチーム内でズレるだけで結果が全く違ったものになったりするし、また相手チームがちょっとしたことを変えるだけでガタガタになったりもする。初めての相手とはどんな結果になるのか、それこそやってみなければ分からない。それがサッカーだ。
そんな微妙な状態から、いかに安定した結果を出せるようにするのかを競うのがリーグ戦だと考えると、特に序盤の結果はシーズンチャンピオンを占うデータにはあんまりならないんだろう。ま、5戦やっても結果が出ないともなれば特段の理由でも無い限り先は見えたってことになるんだろうが。
それにしても負けたチームの選手に対する辛口評価を見ると、ほんと気の毒に思えるのだが、まあそれがプロとしての仕事なんだからしょうがないよね。自分ではプロサッカー選手になれなくてよかったとは思うけど。メンタルが絶対持たない自信がある。

私の不勉強で全然知らなかったのだが、名古屋界隈には東海社会人リーグというサッカーの地方リーグがあり、そこに鈴鹿アンリミテッドFCなるクラブがあるらしい。アンリミテッドなんてどこかラノベ的というか二次元的でまあ今風なチーム名である。まあそのことはいい。
で、またまた私の不勉強で恐縮なのだが、世の中には「お嬢様聖水」という名のドリンク(ソフトドリンクらしい)があるのだそうだ。ネットで公開されている写真を見ると一昔前のベルサイユのばらみたいなお嬢様キャラの顔がアップで描かれた缶がその実体のようだ。
で、この「お嬢様聖水」ブランドが鈴鹿アンリミテッドFCなるクラブの背番号の上の部分に入ることが決まったのだという。つまりスポンサーとしてこのチームを支援するということなのだが。いや、それだけなんだけどね。

しかし、もう私としてはいろいろ仕組まれているなーというふうにしか見えない。お嬢様聖水という商品名の設定自体いろいろ計算されている感じがする。現に何にも知らなかったわたしでさえ、このチームの存在とドリンクの存在を知ってしまったわけで。これが他の広告主の話だったらやっぱり知らないままだったに違いない。

で、何をこれから期待してるんだろって、考えちゃうのである。

水戸ホーリーホックというJ2のチームはガルパンの大洗町をホームに指定していることもあって、ガルパンキャラの入ったユニフォームのサポ向け販売のようなタイアップ広告を盛んにやっている。結果として、ガルパンファンは自動的に水戸ホーリーホックサポへと進化するという仕組みが完成している。かくゆう私も、他チームサポでありながら、水戸ホーリーホックサポがなんか羨ましいいや羨ましくないなんて思ったり思わなかったり……

で、こんなノリの展開がアンリミテッドなチームの未来に待っているんだとしたら……って感じの発想だ。なにしろアンリミテッドなんだろ。もう無制限無際限、何でもアリのアリアリの超インフレルールなんだろ。

いやこれはちょっと、見たい、いやこわいか? いやその前に選手のメンタルおかしくなったりしないのか、サポがコアな人ばっかりになったりしないのか。

とりあえず、新商品「女王様聖水」とか「お嬢様黄金」とかが出てきたら、たぶん悶絶します。ユニフォームにマスクとかの設定もありかも。

11月頃から新年にかけてずーっとクラブチームのゲームばかり見ていたせいというのが大きいのか、今やっているU23アジアチャンピオンカップ、というよりも五輪アジア予選と言った方が通りがいいか、の日本チーム、手倉森ジャパンの戦い方を見て、結構困惑している。

たぶん、若い世代特有の、ゲーム中でもプレイがどんどん変わるという成長の早さというのを、手倉森監督は大雑把に計算しているのだろうか。クラブサッカーのような緻密さは、寄せ集めの代表チームではどこも期待できないから、大雑把な、誰でも勝利イメージがしやすそうな堅い守備と長い縦パス、そしてセットプレイみたいなものを一応基線にしているようだが、その完成度ってのは、どっちかっていうとあんまり褒めたもんじゃないように見える。が、全然期待していなかったような複数の「個の爆発」ってのが試合毎に現われ、結果として見れば、誰も文句を付けられないような実績を見事に残している。

完成形の実力で争うのをクラブサッカーの目指すスタイルとするならば、手倉森サッカーというのは未完成ながら多分の可能性を最大限に引き出すサッカーなのかなとも思える。

お前はこれはダメなんだからという決めつけを避け、何でもやってみろという中に、新しい化学反応を求めるかのように未知の可能性に目覚めさせようとしている、とでも評したらいいのか。

そもそも個々の選手の技量とかは前評判から言っても、そして現時点の評価から見てもフル代表クラスに届く選手はほとんどいない。そして凡ミスもそれなりにある。
だが、ミスをしてもそのまま終わらせる選手も少ない。相手に合わせ自分のプレイを変化させ、相手の動きに動じず沈着冷静な反応を示す。このように技術の練度以外の強かさを感じる選手が多いのである。

逆に言えば、このU23世代の選手、個性的でしかも強かな人間に恵まれているから成り立っている戦略なのかもしれない。いわば今までの代表選手は線の細そうな優等生軍団だったのが、この手倉森ジャパンは問題児軍団と言った方がいいのかな。少年スポ根マンガに登場しそうなチームの強さがあるようだ。

とにかくなんかわからんが強い。いけるところまでいけそうに見える。オリンピックの金目指してガンバって欲しい。

天皇杯も終わり、ようやくサッカー界も一年が終わったって感じだ。正月元日にいきなりピリオド感というのもなんか変だが、実際にそうなってるんだからどうしようもない。今更みそかにやれってわけにもいかないのだろう。
で、Jリーグの方は公式戦が終わると選手や監督の移籍、運営会社などの組織改編などに話題が集まる。なにしろチーム数は多いし、サッカーの場合、欧州行くのは出るわ、他チームに引き抜かれるのはいるわ、レンタルで出たり入ったりするのがいるわと、毎年毎年チームの中身が大変わりするのが当たり前だからサポーターとしては公式戦が終わっても全然目が離せないのである。
その点、欧州なんかは4年に一度のワールドカップという一大「サッカー選手の国際見本市」によって札束が飛び交う入札が行われ大改変されるっていうシステムだから、ビッグクラブの主力は4年に一度しか変わらないということになるのでかなり安心感が高い。だからバルセロナのMSNは次のロシア見本市開催までは健在ということになるのだろう。
Jリーグは国際見本市で大物を買い付けるほどの金がないから、自前で育成するか、あちこちからこっそりお買い得品を買い集めるというやり方でいくしかないので、どうしても改変が頻繁かつドラスチックにならざるをえないのだ。
で、理由はともかく年中無休でサポの心をつかんで離さないJリーグなのだが、たぶんこういう環境が影響しているのだろう。チームの遠征に帯同してアウェイ戦でも応援に参加するサポが増えてきたように思える。
いや、本末転倒っぽいが、むしろアウェイで知らない街へ赴くのを楽しみにしているサポすら現われているように見える。有名どころから言えば東京FCのサポは「イナゴ」という俗称で呼ばれることがあるようだが、このネーミングの由来はアウェイの地でご当地名物料理を食い尽くすということから名付けられたものだそうだ。
Jリーグはチーム数が多く、しかも全国各地に分散している。旅行をするための口実としてみれば、Jリーグ戦の応援というのは格好のネタということになるのかもしれない。
近年、観光客の話題としては海外からの外国人観光客のことばかりが話題になるが、外国人には珍しくても日本国内では差別化が難しく、日本人観光客にはアピールしにくいという土地にとってはこれは無視できない現象だろう。当初、サッカーファンをプロ野球ファンと同じような行動をすると暗黙のうちに認識していたようなフシがあったのだが、実は全然違うと考えた方がいいのかもしれない。
スカパーがJリーグ戦を大事にしているのも衛星放送と地方分散Jリーグは相性がいいということもあるのだろう。
都会と観光地という考え方ではなく、個々の地方同士の交流がそこにはあるからだ。
J1やJ2のみならずJ3だって規模は小さくても盛り上がれるのである。

このページのトップヘ