Symphony Fantastique Proving Ground



一色強兵の憂鬱

ネットで流れてきた話によるとあの民進党の蓮舫さんのご家庭が、結構femdom化しているらしい。
ま、美人だし、弁は立つし、女王さまキャラとしては申し分なさそうな資質だし、鞭とかローソクとか持たせてアイマスクにボンデージファッションとか着せたらすごく似合いそうだし、それならそれでいいんじゃない、と思ったのだけれど。

が、ネットでの主たる風評は私のように好意的ではないようだ。
ダンナをないがしろにしすぎとか、なんとか、よその家庭の内部の話によくぞここまで首を突っ込めるもんだと呆れるようなコメントが多いようだ。
別に本人たちが納得して生活してるんだし、幼児虐待とか犯罪性のある話でもなし、個人の嗜好が合致し合意され行われているもんなら、激しくSMプレイが行われていても私は全然問題ないと思うのだが。

それに外国人が言うところの日本人同士の夫婦関係って、よく奥さんが黙ってるもんだっていう感想をよく聞くから、本質的にはかなり男性優位と考えた方がいい。すると純血日本人とは言えない蓮舫さんのところはそういう意味では日本のスタンダードと比較すること自体がおかしいのだ、とも言える。
まあ、外国人の知り合いの夫連中の感想からいうと、「ワイフがやさしい」という評価はなかなか聞けないものみたいなので、純血日本人の奥さんがいる人はたぶん世界標準から言えばやはり恵まれていると考えるべきなのだろう。一部マゾの人は除いて。そっち系の人は、いわゆる「うらやまけしからん」という立場から蓮舫さん批判に回る可能性が高そうではあるが。

女性が今まで以上に活躍するようになる、ってことは当然femdom化も全体としては多くなって当然なんだからこんなことに目くじらを立てていたら、女性が活躍する社会の実現なんていよいよムリだ。当然大人の態度としては寛容さを示すべきなのだが、それにもかかわらず、これだけ批判が湧いたってことは、世の中全体の本音の部分では、女性に活躍されるのは非常に困るって人が結構いるってことのようにも見える。
でもまさか、femdomを実践している人が政治家やってたら、マゾ男向けエロコミックにありがちな「完全女性上位社会」にされてしまうとか本気で恐れてたりはしませんよね?

まあそんな大それた杞憂はともかく、蓮舫さんの職業が政治家だから、是が非でもスキャンダル化したいっていう勢力があるってことは大きいだろう。
だいたい蓮舫さん自身、これに近いことを与党幹部にしかけていたこともあるから、まあ自業自得というか、それが政治家の宿命みたいなものと理解すべきかもしれない。

私としては、もしどっかのマスコミさんが蓮舫さんがダンナの顔の上にフェースシッティングでもしてる写真でもリークでもしてくれたら、いろいろ政策については納得はしていないものの、支持者になってもいいかなと思っているのだが。(←めちゃノンポリで申し訳ない)

ネット+BBCラジオ特番でずっとこれを聞いた。もちろん何を言っても、まだ憶測の域を出ない話だが、トランプ大統領の政策の基本は、経済的には米国一国主義、軍事的には先進国エリアでの軍事力を後退(まだ世界の警察官を下りる、とまでは言っていないらしい。先進国エリアについては派兵が金銭的利益を生むなら傭兵業として請け負う的なスタンスのようだ。)するという見通しのようだ。
アメリカ国内の問題はおそらく、そこまで逼迫しているから、トランプ大統領になったと考えるしかないだろう。
とはいえアメリカの国内問題の方にどんな政策を持っているのかということについては、上記二つの対外政策に比べるともっと曖昧で、本当のところ何をやりたいのかさっぱり分からないが、それだけに上記二つだけは確実にやりそうという迫力は感じる。
で、来年からの、少なくとも4年、長くて8年、日本はどういう姿勢でアメリカと付き合うべきかというのが現下喫緊の課題となったわけだ。
やはり防衛面は見直さないとダメだろう。防衛整備計画の大前提、常に米軍の「打撃力」が使える、がひっくり返ることはまず間違いないのだから。同様のことは韓国にもあり、こちらは朝鮮戦争が再発する危険が差し迫ったとみるべきだろう。つまり最悪の場合、中国の影響下にあるランドパワー(陸上戦力)が釜山あたりまで進出してくる可能性が高まったわけで、シーパワー(海上戦力)で優位を保っているとはいえ、敵攻撃基地を攻撃できない今の日本は、特に沖縄九州中国関西地方は無防備状態になるに等しい。
これって、何を夢みたいなことを、と考えないで欲しい。現代の戦争なんて、機械力総動員だから、とにかく局面推移する時間は早いのである。朝鮮半島の国境が書き換わるのに1週間はかからない。そうなってからの対応では間に合わないのだ。

これは国民のコンセンサスを得てから憲法改正なんていう余裕をぶっこいてられる時代は去ったと考えるべきだ。そしてその上での防衛整備計画の早急な見直しが必要だろう。

TPPはこうなると環太平洋経済圏の創設じゃなくて、日本が活きていくためのレーベンスラウム(生存圏)みたいなもの、つまりかつての大東亜共栄圏構想に近いものへと変わらざるをえないのかも。

おかげさまで、キンドル本にした作品たちは、少なくとも自サイトに置いている時よりもずっと読まれているようである。無料だった時より有料化した方がよく読まれるって、いかに底辺ゴミサイトは無力な存在か思い知らされた感じもあるけど、まあ、いっか。
てなわけで、読まれていると分かった以上、こっちも襟を正してもっと新作に意欲的に取り組まねばなどと思い、目下準備中である。
準備中って何? 書いてないの? という疑問の空耳が聞こえた。そう、まだ書けないのだ。
私はスーパーマンでも超能力者でもないので、構想を思いついたらすぐ文にできるというほどの能力は無いのである。と自慢して言うもんでもないが。というわけで、目下のところは言わばお勉強中だ。つまり情報収集中だ。
何しろこっちも人間なので毎度毎度同じようなものなんて書きたくないのだ。常に新しいものにチャレンジしたい。となれば、未知のものを既知に変える努力無しには創作そのものを維持できないのだ。

というわけで新作の方はもう暫くお待ち頂くことにして、今日はキンドルサイトを使う読者へのアドバイスである。
以前、アマゾンの戦略としてご紹介した通り、アマゾンの作家に対する扱いは戦略的である。
まあ他の出版社と違い、アマゾンにすり寄ったからと言ってプロモーションに一肌脱いだり、積極的に中身をよくするために助言をくれるというようなことはまずないが、その反面、よほど反社会的なものでない限り、なんでも出版できるというのが最大の魅力だ。そして、kindleUnlimitedのサービスは作家側から見ると、無名新人にもいろいろな可能性を与えてくれるオプションだが、これを適用してもらうためには、その作品に対する独占販売権をアマゾンに与えなければならないという条件がある。
その一方で他の出版社の作品については独占販売権をよこせ、なんてもちろん言わないが、かと言って出版社あるいはその傘下にある作者がkindleUnlimitedの対象となることを了承しても、最終的な適用判断はアマゾン側に留保されているようだ。

これは例えて言えば、
1)親藩:アマゾン直参の作品=独占販売権を与えられ、アマゾン以外では購入不可能作品
2)傭兵:他サイトでも売っているkindleUnlimitedの対象作品
3)外様:他サイトでも売っているkindleUnlimitedの対象外作品
という作品区分があるということだ。

で、kindle本の売り場ページを見て回ってなるほどと分かったのだが、作品の表紙の横に時折り現われるマークがどうやらこのことを表しているらしい。
「プライム」マーク付き=1)親藩
kindleUnlimitedマーク付き=2)傭兵
無印=3)外様

別に私自身はどっか特定の出版社に特別な意趣があるとかいうことは無いのだが、結果として見れば、ほとんどの作品がアマゾン親藩ということになったわけだ。こういうのを戦略的利益の一致と言うんだろうけど。

アマゾンの戦略として見るならば、最終的には売上の相当部分がプライムマーク付きになることを目標にしているんだろう。つまり私のような草の根底辺作家の頑張りにかかっている? それは光栄だなあ……

補足:10月31日
この記事をアップした後に気がついたのだが、ここで紹介した「プライム」表示はプライム会員が会員としてアクセスした時のみの表示となる模様。プライム会員でないビジターでのアクセスではプライムマークではなく全てkindleUnlimitedのマークが表示され、従って1)と2)の見分けがつかなくなる。




日本人的感覚から言えば、よくぞここまでやるもんだ、という感想しか持てないのが、最近のアメリカ大統領選の演説会、いや、日本語には適切な言葉がないのでここはやはりディベートと言わせてもらうのが適切だな、である。
日本というか、東洋では、言葉または「文」というのは文化的なものという観念に強く支配されているためか、その価値を尊重するとなった場合、その文化的側面に注目することが多い。こういう風土が影響しているせいか、むやみに他者を攻撃する言葉を使うことは、発言者の徳を貶めることにつながると信じられているせいで、憚られるものである。その弊害ということになるのだろうが、言葉による争い経験があんまり多くなかったせいか、ディベートで相手をやり込めるという手法になじめず、海外で苦渋をかこつ日本人は多い。いや、もう最初から話にならないんだよね。なにしろディベートで一番言っちゃいけないのが謝罪の言葉なのに、真っ先にそれを言っちゃうのが日本人なのだから。

一方、良い政治家、優れた将軍の典型として、必ずユリウス・カエサルの名を挙げるローマの歴史世界を共有している文化圏での常識では、言葉、文の持つ第一の価値は、人を動かす力にあると見ている。つまり政治家にもっとも必要な能力は他人を説得し、納得させる弁舌の能力であり、軍事的指導者においても、戦闘能力などよりも兵士を鼓舞する弁舌能力を第一と見る。つまり文武両道、どちらにおいても弁舌こそ第一に重視されるべき能力だというのだ。
ユリウス・カエサルほどのマルチタレントになるど、どうしても弁舌能力なんて軍事的才能や作家としてのモノカキとしての才能、政策立案者としての才能、同僚の元老院議員の妻たちをのきなみ口説き落とす才能(リアル光源氏)などに比べ、装飾程度にしか見えなくなるのだが、彼らの見方からすれば、そういう才能も高い弁舌能力があったから可能になったのだ、となる。
言葉では誰も勝てない、戦でも勝てない、で、暗殺で終了となったわけだが、当然の帰結として暗殺者は公敵とみなされ、ことごとく殺されたのも、元をただせばカエサルの弁舌能力がまいた技だったとみることができる。
というのも女達にも市民にも兵士にもカエサルは愛されていたのだ。そしてカエサルに妻を寝取られた元老院議員ですら、政敵であってもこの件については、ものの見事にダンマリを決め込んだのである。
それでいてカエサルの方は、自分の妻に浮気の嫌疑がかけられた途端、さっさと妻を離婚してしまう。事実かどうかまだ分からないじゃないか、と指摘されると、「カエサルの妻たるもの、浮気の疑いをかけられるだけで十分離婚の理由になる」と言ってのけた。で、さらにこの件で妻もまたカエサルに抗議一つしなかったのである。
なおこれほどまでに敵を作らなかった一つの秘訣は気前が良かったということもあった。つまり社交に関しては金を惜しまなかったのだ。で、得意の弁舌で借金を重ね、すべて成功させ、一個人の借金額としては古今東西の歴史上、前代未聞、空前絶後の額を残している。それでいて金を貸した側もカエサルに金を返せと言わせないのだから恐れ入る。
もうここまでくると宇宙人クラスの弁舌家だったと理解するしかなかろう。

こういう弁舌というものが示す潜在的可能性を認めているから重職者の選挙に一対一のディベートは必要不可欠なプロセスとされるのである。
それにしても今回の大統領選のようにテレビカメラの前で個人攻撃のディベートをとことんやり抜けるってのは、自分にはとてもできそうにない、という諦観めいた感想と、よくぞここまでやれるものだという呆れた感じの感想しか持てないのが正直なところだ。

まあ、そういうことは別にして、相手のあらゆる攻撃ポイントを探り、それをどんどんオモテに出すこのディベートで揉まれ込んだら、日本のようにスキャンダル発覚→辞任という流れはおそらく完全に無くなるのではないかと思うのだが。

ディベート文化、もっと日本で普及させた方がいいのかも。まず、口げんかはけんかではないので、どんどんやりなさいと、こどもたちに教育すべきかもしれない。


実は前回の記事を書いた時、この話をしようかな、と迷ったのだが、ま、長くなるからやめとこ、と話を切った。
ところがである。その記事を書き上げ、ブログにアップしてすぐに目に入ったのがこのニュースだ。


(Huffington Post ニュースより)
講談社が10月3日、ネット通販大手Amazonの日本法人「アマゾンジャパン」への抗議文を発表した。Amazonが8月から提供している電子書籍読み放題サービス「Kindle Unlimited(キンドル・アンリミテッド)」で、講談社の書籍約1000冊を一方的に配信停止したことへの抗議だという。

講談社以外にも、作品の配信を停止された出版社や作家がおり、Amazonに対して善処を求めて訴えている。

■Kindle Unlimitedとは?

Kindle Unlimitedは、月額980円(税込み)で、和書12万冊以上、洋書120万冊以上のKindle電子書籍が読み放題になるサービスで日本版では8月3日にスタートした。講談社もこのサービスに1000以上のタイトルを提供したという。

■スタートから1週間で作品が削除され始めていた

講談社の担当者はハフポスト日本版に対し、Amazonは8月、Kindle Unlimitedで配信ランキング上位に並んでいた写真集など「17作品を、連絡なく一方的に削除した」などと話した。『中島知子写真集 幕間 MAKUAI』『今井メロ写真集 Mellow Style』などが、この時に外されたという。

これについて講談社はAmazon側と交渉したが、9月30日夜以降には、文芸、ラノベ、児童書、実用書など、講談社の提供したタイトル全てが、Kindle Unlimitedで配信停止された。

朝日新聞デジタルによると、Amazonは一部の出版社と結んだKindle Unlimitedの契約について、次のように解説している。

複数の出版社によると、アマゾンは一部の出版社を対象に、年内に限って規定の配分に上乗せして利用料を支払う契約を結び、書籍の提供を促したという。ところが、サービス開始から1週間ほどで漫画やグラビア系の写真集など人気の高い本が読み放題サービスのラインアップから外れ始め、アマゾン側から「想定以上のダウンロードがあり、出版社に支払う予算が不足した」「このままではビジネスの継続が困難」などの説明があったとしている。アマゾン側は会員数を公表していない。
 
(アマゾン読み放題、人気本消える 利用者多すぎが原因?:朝日新聞デジタルより 2016年8月31日05時03分)

さらに、Amazonは9月に入りこの上乗せ料金をやめると、出版社に説明していたという。

ある大手出版社によると、さらにアマゾンは、9月で上乗せをやめ、「了解が得られない場合は人気のあるタイトルから、ラインアップから外していく」と通告したという。
 
(アマゾン読み放題、講談社などの全タイトル消える:朝日新聞デジタルより 2016年10月3日20時56分)

講談社はAmazon側に対し、「大変困惑し、憤っております。弊社はこの一連の事態に遺憾の意を示すとともに、アマゾン社の配信の一方的な停止に対して強く抗議いたします」などと、声明で訴えた。

Kindle Unlimitedについては、講談社だけでなく光文社も、提供していた全550作品の配信が停止されていた。

■「海猿」の佐藤秀峰氏も賠償を求める意向
なお、8月末に、それまで全巻販売されていた「特攻の島」「海猿」「新ブラックジャックによろしく」の4巻目以降がKindle Unlimited対象から外されたとする漫画家の佐藤秀峰氏は9月1日、「事前に承諾をしておらず、Amazonの独断によるもの」などとFacebookに投稿。9月30日には、アマゾン側に対し、賠償などを求める内容証明を送付したと発表した。

引用終わり

まあ、事実として特に問題にすべき齟齬は無いだろう。Kindle Unlimitedのシステムからすれば、たくさん人気作品を取りそろえたかったからその参加を促したものの、いざ蓋を開けてみると、それらの言わば、馬前のニンジンのような作品にばかり人気が集中し、肝心のKindle Unlimitedの仕組みを維持するためのバランスが大きく崩れた。とまあ、これだけの話である。……と、日本のマスコミもそして出版社も考えているんだろう。
ただ、問題はそれだけか? とあえて言えば、そもそもその人気殺到した理由は、既存出版社が作品の価格を馬鹿高く維持していたからで、まあ、会費以外が無料となれば潜在的需要が一時期に殺到するのは理の当然だ。そしてここでアマゾンの下した判断が面白い。会費を上げるあるいは無料をやめ値引きにするとか代替案ならいくらでもあったはずなのに、あっさりと、そして思いっきりバッサリとそういう人気作品を落としたことだ。当然ニュースにもなるし、こうなれば、Kindle Unlimitedの加入者の増加ペースも大幅に落ちるだろう。だがまるでそんな心配はどこにもありません、みたいな感じでばっさり、そしてあっさり、そして間髪を入れずにやってのけた。たぶん講談社などが心情的にムカっときたのはこっちだろう。自分たちが資産として持っているものの価値をいとも簡単に切り捨てたというそういうアマゾンの態度に腹が立ったのだ。
が、アマゾンの方は、いかにもこの会社らしく、全く悪びれた感じはない。いつもここはこうなのである。アメリカでも日本でも。何故そうなるのか。答えはそれが戦略だからだ、としか言いようがない。これが現代最先端のアメリカ式経営の姿だ。戦略、すなわち市場で勝ち残るための策略に則っていればOK、そうでなければ撤退。至って簡単、かつ合理的な意思決定だ。
では、アマゾンは本を売る、ということをどう見ているのだろう。以下は私の私見である。
現代のマーケティングで本、すなわちパッケージ化された情報を売る、というのは、ジャンル的に言えば、ブランド戦略という範疇に入る。というかもっともブランド戦略に特化した商品が本なのだ。モノとしての実態はもともとと希薄な存在である情報をいかに売るか、そのための方策がブランド戦略ということになる。
で、現代的に言えば、ブランドアソシエーションと呼べる、関連領域にまつわる情報の要素一つ一つに価値を設定し、それを公知にしていく、というのが本の出版ビジネスの常道だ。これは洋の東西を問わずである。
具体的にはその本のエッセンス的内容、著者、評者の評論、そして受賞歴、そういう本自体の周辺情報を濃く太く流すことで消費者の関心を喚起するのである。
そしてアマゾンの創設者ジェフ・ベソスはこのことをもっとも深く考えた人間の一人であると言って間違いあるまい。たぶん直感からなのだろうが、情報の塊であるところの本を売るのに、インターネットはもっとも理想的なメディアだと夢見た彼は、その理想に向かってひたすら突き進んだ。その様は少なくとも株式市場に上場されていた株価を見ていた限りはちょっと恐ろしいほどだった。ほとんどジャンク債並みの株価が延々と続いていたのだから。とにかくそんな無茶を続けながら、おそらく彼は従来の本とその本の売り方はネット時代の本流にはならないと見切ったのだろうと思う。そして同時にビジネスになる本というのは常に新作、つまり情報は新しいものほど価値があるという原則の上に立った独自の売り方を構築したのだ。
従来のやり方では、新作を売るには莫大な初期投資を行わないとダメだった。が、初期投資無しで広汎に広められるインターネットを使えばその大きな壁を越えられるのではないか、おそらくKindle Unlimitedの原点にある発想はこんなものだったはずである。

引用した記事には触れられていないが、二つの点には留意する必要がある。
まず私のような無名作者がKindle Unlimitedに参加する場合、アマゾンに独占販売権を与えることが条件とされる。もちろん記事にあるような出版社にはこの条件は最初から適用されていない。
そして現在のアマゾンの本の販売方法を見る限り、従来の出版社が熱心に行ってきた販促活動的なもの、いわゆる評論家の起用とか、賞の創設や運営などそして既存の賞についても異常なほど冷淡に見える。
これらは先述の基本的な戦略の違いと理解すると非常によくわかる。決してアマゾン本体は自分からそんなことを言うようなことは無いだろうが、全ての出版社はビジネスパートナーであると同時に、倒すべき競争相手と認識していることは間違いない。そのための戦略なのだ。

その言わば底辺にある意識がたまたま露骨に現われたのが今回の事件の本質だ。つまり著名な既存作品をKindle Unlimitedの目玉にするつもりはアマゾンには元々無かったのである。まあこれは先行しているアメリカ市場のことを考えれば一目瞭然の話だが。彼の地ではこの戦略はほぼ狙い通りの結果を出していると言っても言い過ぎではあるまい。電子本から ベストセラー作家が次々と生まれるとなれば、既存の著名作品を優遇する必要はないし、出版社は出版支援サービスという立場に引きこもるしかなくなるのである。
因みにこういう結果を生んだ直接の原因は何だったか、と考えると、要するに著者と出版社を分けることにあると言っていいだろう。出版社ってのはしょせん仲介者であり、仲介者が組んだら利得は減るのは当たり前だ。エンドユーザーと作家が直接コンタクトされると困るのは常に仲介者なのだ。仲介者の勝率は低いのである。もちろんごく一部には既存の出版社と組んだ方がいいという作家もいるのだろうが、大半はアマゾンと組んだ方が得となるはずだ。つまり人気のある作家もいずれアマゾンへ移動することになる。

こういう認識に立つと、日本の出版社のこれまでのビジネススタイル、賞を運営し、評論家を押さえ、新刊をハードカバーで売り、それを文庫化して売り、さらに関連商品にライセンスを供与して売るというスタイルはかなり難しくなると思って間違いないだろう。出版社の生き残り策を考えると企画自体から自社で作り取材し検証するメディア的存在とか、周辺情報管理とその発信に特化した広告代理店的存在とか、第三者的格付け機関的存在ぐらいしか思いつかない。少なくとも従来のようなビジネススタイルをあえて貫こうとすれば、作家をどれだけ出版社は各種サービスで納得させられるのか、に相当依存することになるだろう。となれば、今までのつきあいが相当深かった大物ならともかく、これから登場する、あるいは未来の新人にそれを期待するのはかなり難しいとなりそうである。

私としては、作家が「書きたいものを書かせてもらえない」という嘆きが100%消滅することはほぼ間違いないのでアマゾン側を応援したいと考えている。
そういうことは出版社が決めることじゃなくて、もともと作家か読者が決めることなんだよね。



このブログを読まれている方の多くはネット小説に相当親しまれている人のはずで、また自分で書いてそれを公開している人も多いはずだ。まあ直接そうと分かるデータは無いのだけれど、よく読まれている記事がどういう記事なのか、数字をチェックしてみると書き手が関心を持ちそうな記事がよく読まれているようなのでそう思うのである。
というわけで、本を書いてそれでなにがしかの稼ぎを得たいという人向けにアマゾンキンドルの良い点を改めて解説してみようと思う。

従来の電子本販売サイトというのは物販サイトの延長みたいなもので、売ったら売りっぱなしが当たり前だった。本のような立ち読みでもしないことにはなかなか商品としての良さがわかりにくいデータの塊は買い手からするとネットでは買いにくい商品だと言える。もっとも販売サイトでもそれはよく分かっているから、中身の一部を紹介したり、中には特別に編集した立ち読み版なんかを無料公開したりしていたものだが、それだって万全な策ではなかった。
どこか雲をつかむような感じでオーダーしなければならないという危うさがあったわけだ。で、実際に電子本販売所の多くでは、非常に残念なことに、中身がおそろしく薄っぺらい、表紙ばかりが豪華っぽい本がたくさん並んだことは事実だ。つまり売り逃げである。一冊なんぼという商売のスタイルがある限り、売れなければどうにもならず、かといって、いい本だから高い値段でも必ず売れると言えない悲しさがあったわけである。
そこにキンドル本とKindle Unlimitedというビジネスパッケージが登場した。これは従来の紙の本派生のビジネススタイルとは大きく一線を画すものだ。どういうことかというとアマゾンのサイトで売られるキンドル本は単にデータを買い手のハードウェアに送信するだけではなく、買い手の私的管理領域を自社システム内にもうけ、仮にハードウェアにトラブルがあっても何度も別なハードにダウンロードできるようにしているもので、これ自体は別に目新しいものではないが、読者がどれだけ読み進めたかをも逐次システムがモニターをしている。だから同じ本を家のパソコンで読み、通勤途上、キンドルやスマホで読み、とハードを変えながら読んでも、ちゃんと読了したページをマシンを変えるごとに追っかけてくれる優れたものだ。この電子本ならではのシステムをさらに本の販売方法そのものへと変えたのがKindle Unlimitedである。読み手はこのKindle Unlimitedに参加するために月々にいくらという固定した金を払う。払うことでKindle Unlimitedに指定されている本、つまり無料となる本をいくらでも読めるという仕組みだ。面白いのは読者から集めた金をプールし作者・出版社へ還元する仕組みである。
この時に、あのページング管理の技術を使うのである。つまり今月ある本をのべ何人の読者が何ページ読んだか、というデータを積み上げ、それぞれの本が実際に読まれた分量に応じ、プールされた金が分配されるという仕組みらしい。つまり読者にそういう意識はないだろうが、売り手からするとまるでページを切り売りしているような感じの商売になるのだ。
これは実に画期的だと思う。途中まで読んだけどつまんないから読むのやめた。となれば、作者への配分は下落し、大長編で読むの大変だったけど最後まで読み切った。となれば、作者への配分が増えるのだ。
これまで販売の難しさから大作への挑戦を諦めていた人も多いと思うが、これならば読んでもらった上での公正な評価に応じた収入が約束されているわけで実に合理的だと思うのである。
因みにページのカウントはKENP (Kindle Edition Normalized Pages)という単位で行われていて、作品のデータ量に応じて自動的に換算されるらしい。私の作品の場合では、だいたい原稿用紙2枚ぐらいが1KENPとなるようだ。そして昨日、私にとって初めての初配分レポートというのが出た。8月分だから稼働時間はわずかなものだが、それによると1KENPの単価は約50銭、つまり2KENPで1円というレートだ。と単価で書くと大したこと無さそうな数字になるのだが、アマゾンの集客力でのページ単位だからね。総額をここで晒すのはさすがに控えるが、従来の本の販売よりもずっとおいしいビジネスであることは間違いない。もっともこのレート、あくまでもKindle Unlimitedへの月払い金の総プール額と総KENPのバランスで決まるものだから常に変動するものであることはご留意頂きたい。

何にせよ、自分の作品のレベルに自信をお持ちのあなた、自信作を眠らせたりしてませんか? これはどこぞの評論家とか出版社とかとは無関係の、あなたと読者さんとのサシの真剣勝負ですよ。どんどん自作小説を公開しましょう。自分の作品レベルにあった報酬が必ず得られるから。

さあ、私も久々に長編小説にチャレンジしようかな。

Symphony Fantastiqueを立ち上げた当初は、自分同様自作の小説をネットで公開している人の小説を結構読み漁ったものだが、そこにはあんまりマーケッティング的な関心はなく、もっぱら楽しむためか、あるいは自分の小説づくりの力量を上げるための勉強的な意味あいで読んでいたものだ。
で、時は流れ、いつの間にかそういうふうに他のアマ作家さんの作品を読み歩くこともなくなってしまったのだが、アマゾンサイトにそういうアマ作家さんの作品が集結しているのを目の当たりにし、また読んでみようという気持ちがよみがえった。ただし、今度はいささか動機が違う。もっとマーケティング的な関心からだ。つまりライバル社の偵察って感じである。
まあ、こちらの関心はS女さんメインのSMものというところにあるので、もっぱらそういう作品ばかりを選んで読むことになったのだが、結果からいうと拍子抜けするほど、自作品とは作風が違うものばかりで、これなら全然自作品の個性が埋もれるということは無さそうだとひとまず安心した次第である。

まあ読めたのはほんの数作品だし、それこそ氷山の一角だけしか読んでいなくて断定するのも時期尚早なのだが、同じS女ものとはいえ、他の人の作品は一言で言えば「マニア向けのもの」であり、私のものはそうではないというぐらいの差が感じられたのである。

これはキャラの設定を眺めればだいたいわかる。このジャンルに登場するヒロインは美人で背が高く、聡明、万能な能力や権力を有すると、「理想の女王様」を体現した存在として描かれ、そしてヒーロー(こう呼ぶべきかは疑問があるが主人公を張るM男のことだ)は、体は小さく、目立つ要素は何もなし、ひどい場合には社会的落伍者そのものという設定ばかりなのである。
一方、私の描く小説ではこんな設定は使ったことがない。まあ「涼子のリョウくん」がそれに近いといえば近いが、それだってリョウくんが落伍者的に見えるようには書いていない。いや私からすればそんな風にはとても書けない。一つには私はSMってのはラブロマンスの一形態だという立場をはずしたくないというのがあるし、犯罪行為こそがSMだという立場をよしとしていないということがあるだろう。
たぶんマニア受けしないのだ。
設定にこういう差があるとなれば、中身も当然それに対応するように、初めから終わりまで責めの連続だ。それ以外の人生はどこへ行ったというぐらい何もない。いやいくらなんでもSMプレイばっかりで人生は過ごせないだろ、少しは人生を書けよなどと私は思うのだが、そういう無駄はどこにも無いようになっているらしい。さすがマニア向けだ。

で、こういうことは今から十年前とあんまり変わっていないともいえる。
これだけSMに対する社会認識が緩くなり、子供でも知っているような知識になったのに、いまだにSM=犯罪という作品ばかりであることが、私にはよほど予想外のことだった。
とはいえ、しょせんは他人の趣味の話である。私はそれがけしからんなんてことを言うつもりはないし、言える立場でもないことは重々承知している。が、あえて言えば、非常に寂しいなという感じもする。ライバルいや仲間不在の寂しさってことかな。

だから、私としては、私同様、いわばマニアではない普通の人向けのSM小説を書こうとしている人を応援したいぐらいだ。

因みに英語の方のキンドル本で同じようなチェックをすると、事情は全く違う。たぶんリアルにS女さんがS女さんらしく生活していることが頻繁にあるからなのか、S女さんの生活実態が見事に描かれた作品が少なくない。
日本語小説ではマニア向けの妄想のSM小説が支配的なのに対し、英語小説ではSMも一般小説のラブロマンスの一分野にちゃんとなっているぐらいの差があるようだ。

アマゾンのようなサイトで様々なエロ小説がずらっと並んでいるのを見ていて、自分の作品がどう見えるのかを検証すると、結局のところ「表紙」ってもんが相当重要なんではないかと思い至った。まあ、当たり前っちゃ当たり前だが、この電子本にとっての表紙、紙の本の表紙と同じように考えていいのだろうか、とふと疑問に思った。

アマゾンサイトで売られている本はキンドル本ばかりでなく、もちろん紙の本の販売もしている。だから紙の本が本体として存在し、その電子本版だからという例で表紙絵も紙の本のものがそのまま使われる。たぶんこれが一番ベースにある考え方なんだと思う。
なので、一応紙の本での表紙とは何かを考えておこう。

紙の本では、表紙っつうのは、情報伝達以外の機能、つまり人間の所有欲に密接に関わるような「価値」ってのが絶対必要だと思うのだ。つまりセンスや色遣い、あるいは手触り、風合いとか、本来の情報とは直接関係無いところでの冗長的要素が不可欠なのだ。特にそれが小説とか文化に関わるものならば。
それはたぶん本という物質的存在に対し、人が認める価値を正しく認識させるためにそういう屋上屋みたいなものが絶対必要だ、と誰かが考えたのだろう。それが具体化したものが装丁であり、その中に表紙というパーツが生まれたんだと思う。
装丁全体が表現する価値、すなわちそういうところに懸けられた目に見える形に整えられた手間暇こそが、未知の本の価値を人に推し量らしめる、こんなことに先人達は気がついていたのだろうと思う。

そんな暗黙の知を悪用した例もある。
一昔前、政治家もどき、あるいは非合法的生業に特化した団体の資金集め手段の一つとして「本の出版」ってのがあった。つまり本を作りそれを売ることでお金を稼ぐというものだが、これ自体が言わば法律をかいくぐるための方便で、奥付にありそうな情報以外、さしたる内容のあるページはなく、中にはほとんど白紙ってのだってあったようだ。重要なのは価格が明示されていたこと。そこに600万円なんて印刷されていれば、それは600万円のエビデンス付きの領収書と同等の価値を持つものとして、税務署は処理せざるを得なかったわけだ。どんな中身であれ、それを買うのはおかしいとは、誰にも言えないのだから。しかも図書購入費ってのはだいたいの場合、経費として正当に処理できるのである。それこそがこの本の存在した理由だ。つまり金づるに金を出しやすくする工夫というわけだ。
で、この手の本に中身などあるわけもなく、どっかに申し訳ないという気持ちが誰かにあったのか、見た目だけは豪華本みたいな装丁がされているのが当たり前だった。もっともこんな本は、本屋や図書館にあるわけもなく、金づるにされた団体や会社の総務部の倉庫に税務監査の時に見せるためだけに保管されていたはずだからほんとハッタリもいいところである。まあ中には役員室のインテリアとして本棚に並べられるケースってのもあったかもしれないから、まあそういう場合には、装丁に金をかけるってのは結構合理的なことだったのかもしれない。
いずれにせよ、経営を資産効率で評価する時代になり、こんな馬鹿なことに乗っかる企業はもうほとんど無くなっただろうとは思う。(いや、100%とは言い切らないけどね)

さて紙の本の表紙が本という情報の価値自体とはやや離れた価値観で考えられたものであるのに対し、電子本の方の表紙はもっと宣伝的、広告的、アイコン的存在である。
そもそもインターフェースとして存在するのは視覚情報だけ。手触りや材質なんて見た目要素でしか表現できないし、金箔をどんだけ使いましたなんて話もできない。さらに大きさはサイト指定の大きさに限定されるようなものである。まあ、無理矢理拡大して見るってこともできなくはないが、普通やる人はいないだろう。
そして表示範囲も他の本との横並び枠の中だけだ。このことはつまり、人間の可読できる範囲を極端に制限することになる。だからこの点で言えば、紙の本とその電子本バージョンの両方が存在している場合、紙の本の表紙を電子本にもそのまま採用するのは情報伝達技術から言えば、愚の骨頂ってことになる。表紙に盛られた大半の情報はモニターの上ではごく僅かしか読めないはずだからだ。ただ、例えば紙の本を売るために大量に広告が投下され、そのキービジュアルとしてその表紙が使われている、なんて場合なら、電子本にも同じ表紙を与える合理的な理由とはなりうる。
そう、電子本にとっての表紙は、アイコンなのだ。その本の内蔵している価値観が分かる、そしてどういう名前でそれは呼ばれたいのかという名札(タイトル)がついたアイコンそのものなのだ。たとえばグラフィックデザインで紙の本をデザインして、それがかなりいいものだったとしても、それをこの特定の視覚領域に限定される電子本の表紙にしたら、デザイナーが観察者に伝えたいと思ったことの半分も伝わらないってことになるだろう。紙の本では読者がそれを観察するための工夫をする余地がいくらでもあるが、電子本の表紙ではこれがほとんど無いのだ。故に、表紙に載せる情報を相当厳選し、小さくてもどれだけ判読ができるかをかなりシビアに見ておかなければならないようだ。
てなわけで、私自身も結構気にして表紙を差し替えたりしているわけだが。まだまだいろいろ甘いんだろうなって自覚しているところでもある。
まあ、世の中わかっちゃいるけど、ってのが世の常で、古い作品なんかは紙の本の電子本化で、表紙を変えるなんて言い出したら、それこそ、著作権利者の調整をもう一回やり直しなんて話が出そうだから、コトはそんなに簡単に進められるわけはないのだが。プロ作家、出版社の世界はかなり面倒くさそうである。



こんなメールが来た。


「Kindle ダイレクト・パブリッシングをご利用いただきありがとうございます。

KDP セレクト グローバル基金の 8 月の金額は 16 億 1,797 万円となりました。

この 8 月も、米国、英国、およびドイツで最も本が読まれた著者の皆様、および最も読まれた本を "KDP セレクト オールスター" として表彰いたします。すべてのボーナスは、該当する月に読まれた Kindle 版の本の合計ページ数を標準化した値に基づいて支払われます。さらに、子供向け絵本のボーナスを新たに追加します。米国で最も多く読まれた上位 100 冊と、英国での上位 25 冊にボーナスが支給されます。」

日頃国内だけでのランキングに終始している世界にいきなり現われた黒船みたいな話である。
なんかとんでもないもんに関わっちゃったなー、って感じ。まあ、グローバル展開をしている方からすると、どこで売れてもいいわけで、プロモーションに国境を設ける方が遅れてるってことなんだろうけど。
日本語の本が日本以外でどれほど売れるのか、なんて悩むのも馬鹿らしいが、こういうのを見せつけられると、やっぱ英語で本書けるってのはすごい強みだよなーなんて思ったりする。

もっとも言語別の人口で言えば、中国語には誰も勝てないはずなんだが、アマゾンの世界では全く存在感を感じない。中国人ってのは本読まないのかね。

ま、こんなはるか天の上のような話はともかく、こちらとしては、同じページにその道のプロ作家さんたちの作品が並んでいる中に自分の作品が並んでいるのを見るだけでお腹いっぱいなんですけど。

アダルトの小説コーナーに並んでいるものの大半はどうやら私のようなアマ作家さんの作品のようだ。それも何故か大半がSM絡み。最近はアダルト小説ってのはSMじゃなきゃいけないのだろうか。もはや純愛はいかに中身がエッチでもアダルトではなく普通の小説になってしまうのかい? なんか奇妙な気もするが。まあ何にしても昔だったらネットサーフィンを繰り返しながら好みの小説を探したものだが、プロアマ入り乱れ、そして有償・無償入り乱れている様はいろいろな意味で感慨深い。なかでも価格情報ってのは斬新だ。アマゾンのシステムでは価格もある意味変動相場制なのだ。つまりタダの時もあったりするのである。それはいろいろなタイプの条件があっての話だが、その昔、有償と無償の作品の間にはすごく大きなギャップがあって当たり前と考えていた時代を思い浮かべると、何をやっていたんだかと呆れてしまう。値段なんてその程度の話だったんだって。

いかに自分が日本の本屋さんたちの作り出していた常識に縛られていたのか、改めて思い知らされた次第。

前にもちょっと書いたことがあるが、欧州を中心としたサッカービジネス市場にとって4年に一度開かれるワールドカップっていうのは、いわばセリが行われる前の大品評会みたいなものである。資本力に優れたビッグクラブがその後の四年間の主力選手を入札するための大事なイベントと言えばいいだろう。
セリにかけられる選手の目玉はやはり南米を中心とした国々から次から次へと出てくる若手だ。10代もたくさん居る。というか、セリで押さえるべき選手はワールドカップ後の四年間の活躍を期待されているのだから、極端な話若ければ若いほどいいことは間違いない。年齢を重ねた選手ならわざわざワールドカップを待つまでもなく、データだって大量にあるし、調子の悪い時とか、契約の端境期にうまく立ち回れば存外簡単に押さえられる。だから国代表という肩書きは、ビッグクラブに入ったらあんまり必要ではなくなるわけだ。そういうふうにお金が回っているのだから。なのでまだ代表入りしていない選手こそが自分の未来と国の威信のダブルブースターを背負って名乗りを上げる場面こそ代表の試合にふさわしいということになる。そういう底辺のハングリーさが無くてはダメな世界だ。
つまりワールドカップというのは新鮮で大化けしそうな才能に恵まれた若い素材が集う場所であるべきなのである。そうでなければウルトラCの結果なんか絶対にない。サッカーに限らず、歴史を見ればハンニバルやアレキサンダーだってものすごく若くして世界デビューを果たしている。
昨日までは無名だった若者が一夜にして世界的大スターになる、これがワールドカップだ。

で、こんなイメージで見た時、ハリルジャパンというのは何と「満足した」選手ばかりを集めたものなのだろう、という感じがしてくる。もしかしたら、日本全体があんまりサッカービジネスには向いていないのかもしれないのだが、とにかくハングリーには全然見えない。そりゃ、もう「成功者」のカテゴリーの選手ばっかりにしか見えないんだもん。なんで、代表初選出の選手が控えなの? なんでJ3とかJ2下位とかから意表をついて抜擢されるような若手が一人もいないの? なんで成長真っ只中にいる若手に賭けないないの? もう自分の地位に満足しきっているような選手ばっかりなんで選ぶの? チームが勝っても負けても自分の問題とは別、みたいにもうなってる選手は代表にはふさわしくない。どんなに技術や体力があったとしても。そういう選手は所属するクラブチームの中でのレギュラー取りの方がずっと大事なはずだからだ。

とまあ、こんな感じで選手選考を見ていた私は、UAE戦のTV中継を、全く見る気も起きなかった。
ま、自分の見方を自慢したいというわけではないんだが、結果はやっぱり想像していた通りだったらしい。
何かと過去のデータ重視で選手を選ぶのって、リスクは小さいかもしれないけど未来もまた大したこと無いんだよね。回りがいろいろ言い過ぎなんだろ、きっと。

ていうことで、テレビを見なかったおかげで、必要な作業ができました。「ドミナのみぞ知るセカイ」もキンドル版へ移行です。


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