自然大好き人間のつぶやき

故郷を離れて暮らす子供達へのエールを送ると共にまだ元気で登山を  続けたい夫婦の登山記録でもある

7月11日で終わります

長い間 お世話になった恭子のホームページですが、「ココログ」に変えます。 引っ越しは不可能で残念です。 新ブログのアドレス でお会いしましょう。 http://konnoseto.cocologーnifty.com/

白神岳

20150701_101146_33 20150701_102131_35 7月1日(水) 標高1235mではあるものの  登山口からの標高差ほぼ1000mあり コースタイムは7時間。79歳のわが身にとって心配でした。 一昨年に登頂した根子岳と四阿山と比較検討した結果 等高線の幅が少々広かったので 体調を整えての挑戦です。登山口を6時出発。路は歩きやすく快調です。ヒバの若木が多く 高度を上げると 深い山奥を実感させられます。尾根近くになって 広い斜面に花が咲き乱れていました。日本海沿岸が手に取るように見えます。山頂にはトイレ 避難小屋があり 風を避けて 早い昼食休憩。下る頃広大な白神山地の山並みとともに 奥に昨日の岩木山も見ることが出来ました。往路を引き返し 15:30時無事下山。 のんびり歩きで 疲れもなくご機嫌な山行でした。宿は「ウエスパ椿山」に連泊。変わったレジャー施設です。

岩木山

20150630_105510_12 6月30日(火) 心配していた天気でしたが 山頂に立つことができました。 強風で 早々に山頂を後に鳳鳴ヒュッテに下りました。 種蒔苗代に寄り道をしてミチノクコザクラに会う事が出来ました。この辺りは ミヤマキンバイ ハクサンチドリ チングルマ シラネニンジン 等の高山植物が見られる人気のスポットです。今回はミヤマキンバイもありました。 私達14人は最高年齢81歳 平均年齢73.5歳のグループで 翌日は白神岳に挑戦です。 従って 8合目からの登りでした。 「枯れ木に花咲く山の会」のリーダーは22年前に40歳代で結成した登山クラブです。 当時は枯れ木ではありませんでしたが 会員の高齢化に伴い ウオーキングとカルチャー旅に移りつつあります。 しかし私達以外にも 登山にこだわりたい希望者が少なからず。「枯れ木ー」を 自覚しながらの のんびり旅を楽しみながらの行事です。 20150630_092917_03

楽器の楽しみ

6月23日(火)= バイエルの練習をしてるのに 母に連れられてお琴の先生の家に行った。 たまたま 我が家には戴いた古いお琴があったからかもしれない。 視力の弱い女の先生だ。簡単な曲から先生と一緒に弾いて教わる。楽譜は漢陽数字で書いてあった。 先生のお宅まで歩いて30分 真面目に通ったが 弾きながら唄うように言われても 声に出して唄えなかった。 現代音楽と違い 手の動きと言葉が違うので 唄いにくいし恥ずかしかった。 毎年弾き初め会があり 華やかに和服を着て 舞台にお琴を並べ 母たちの前で披露した。 先生の希望で ピアノとお琴の合奏をしたこともった。 その後 余りお琴を弾く時間が無くなったが 結婚後 再びお稽古に通う時間が出来て 大分熱心に練習をした。 遂に 名取の資格を取ることが出来た。 こうして私の心は 音楽に満たされるようになったのかもしれない。

音楽と私 1

6月21日(日) 今日のウオーキングは気分がよく6.4km歩いた。 約1:20分ラジオから流れる ショパン作曲「ポロネーズ」を聞きながら。松川の堤防の左岸を上流へ歩き 橋を越えて右岸を下り 一周する。足元のヒメジョオンをカメラに収めたり 。 ふと 自分と音楽との関わりを考えてみた。小学6年生の時 合唱コンクールに出場したことは印象深い。 「牧場の朝」が課題曲で楽しかった。中学校 高校と音楽部に在籍 コーラスの素晴らしさ。仲間たちとの コンクール出場は別の楽しみもあった。 社会人になってから コーラスのチャンスは無くなったが 映画「オーケストラの少女」をみてブラームスの音楽に感激 クラシック音楽へと幅がひろがった。 小学生の時から 学校でバイエルの練習をはじめたが 学校にはまだピアノは無くて オルガンでした。 友人と2人で一台のオルガンを交代でつかいました。 中学時代になって ピアノが使えるようになったが 指のタッチがうまく出来ません。 指導者もいない 全くの自己流でしたから 高校生になっても 下手だったと思う。 一度だけ 舞台で独唱の伴奏を経験したが すっかり緊張してしまい 失敗。 其の頃から ピアノを持つことが 私の夢となった。

瀬戸家農園

6月18日(木) 我が家の農園とは せまーい花壇の一角である。 5月 野菜の苗を求めて植えてから 水を切らさずに成長を楽しみにしていた夫。 苗はきゅうり2本 ゴーヤ3本 ササギ トマト 茄子それぞれ2本づつ。 忽ち育ち 花も付いた。キュウリは一番の元気もの 枝もいくつも伸ばして バサバサになってきた。 トマトも茎が細くしっかりとしていない。 「ちょっと 変じゃないの? 」と 初めて気が付き 栽培技術を調べることになった。 肥料を入れた土で 水を供給していれば 実はなるものと信じていたのでした。 農家で育ったのに? と大笑い。餅は餅屋とはよく言ったものです。 現在 キュウリ一本 茄子一つづつ トマトは小玉が一列まだ青いが 食べるのを楽しみにしている。

敗戦後の記憶 13 総括

1954年~1973年の19年間 日本は高度経済成長期といわれる。 1956年には NHK仙台放送局もテレビ放送が開始された。 1962年東京オリンピック景気にわき わが家でも 姉がテレビジョンを買ったので 近所の人達も交えてみたものでした。 初めて観る アメリカの高速道路は夢のようだった。 しかし 我が家の経済事情は 私を進学させられる余裕はなかったから 高卒後就職。女子の就職先は殆どなくて 幸運にも銀行に勤められたのです。弟は父の希望でもある大学に 入学。子供達の姿に父もどんなに安堵したことだろう。父が姉の勧めで十和田湖へ旅行したことは 忘れられない出来事のようでした。 今 過ぎし70年を振り返って 思うことは 目まぐるしい変化。あの苦しい生活の中で 兄弟姉妹5人 誰一人欠けることもなく 横道にそれることもなく 正直な生活を出来たのは 全て真面目に生きた両親の影響だと思う。 父は誠実な性格で 貧しくても遂に 自分だけの力で生涯を全うした。  2015.6.16記

敗戦後の記憶 12

1956(s25)年の日本は 急ピッチで復興が進み 「もはや 戦後ではない」といわれた。しかし「顔が黄色くなったね」と笑うほど 南瓜やサツマイモを主食代わりに食べ 馬車馬のように働いた大人達。漸く自分たちの家で暮らせるようになって4年後 母は帰らぬ人となった。脳内出血で倒れ 入院も治療も受けることなくであった。 私は成人式を迎えたばかり 弟は高校生だった。  6.12 記

敗戦後の記憶 11

帝国日本の政治は 敗戦によるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の駐留や圧力の元で 五大改革を推し進められた。“詭警察の廃止 ∀働組合の結成奨励 I愎猷鯤 ざ軌蕕亮由化 シ从僂量閏膕 1946年 日本国憲法成立 公職追放 財閥解体 農地改革 が行われて 今野家はよくぞ生き延びられたものだと感慨深い。然し姉は教師として自立できたのは 民主化が行われたからだろう。 母は教育熱心な人だった。私には女子としての躾が厳しい反面 予習復習をしている時は 寛大だった。 教育の大切さは 父の苦労を知っていたからだと思う。僻地の小学校を卒業した父は教育者になるために すべて独学をして検定合格 30歳代で国民学校の校長になったが 当時の教育制度に縛られ 不便な学校ばかりの勤務だった。 母の希望は 長兄が教育大学に入ることだったが 田舎住まいの上に 苦しい経済で教育費に回せる余裕はなかった。 1953年(S26)浪江町に新築。 私はそこから浪江高校に通学した。金融公庫に毎月の返済と高校に収める授業料は家計の負担だったと感じた。(母の渋い表情から)。 制服はセーラー服だが 従姉のおさがり 帰宅すると何時も学校の運動着だ。お小遣いは貰えなくて 友達付き合いも儘ならず。それでも 音楽クラブに所属していたので ピアノの練習が自由だった。 心ならずも入った高校だったが 私の青春時代となるのでしょう。  6.11 記  

敗戦後の記憶9 

我が家は二重生活を続けながらも 父 姉 長兄 次兄 はそれぞれに職を得て 次の目標へと向かっていた。 私の小学校時代は4回変わったが 幾世橋では約5年過ごした。小学校を卒業すると そのまま中学校の校舎に代わったのだが まだ校舎がなかった。私達1年生二クラスは 神社の社務所に机を詰め込んだ状態で授業が始まった。校庭もなく 教科書も粗末なものだった。短い期間だっただろうが あの混雑した雰囲気は忘れられない。 新校舎に移っても 体育館はなく 隣の教室との境は外せるようになっている粗末な建物。元気な男子生徒が勢い余って 壊れることも数知れず。 中学卒業後の進学が話題になると 父兄たちの考えが多様であることに驚いた。(女子は家の手伝いをして 家庭のことを学ぶべし)との意見で 進学をあきらめる生徒もいた。進学できたのはクラスの4分の一位だったろうか。決して豊かでないわが家でさえ 当然のように進学を決めているのに。 母は 早く間借り生活から逃れたいと悩んでいたし 自宅の新築が夢だった。遂に住宅金融公庫から融資をうけて 建てられることになる。  6.6 記
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

GyaOデイリーランキング総合ベスト5
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ