三里塚 7.8東峰現地行動

配信:東峰デモ配信:開拓






◦日時:7月8日(日)午後1時
◦場所:旧東峰共同出荷場跡(千葉県成田市東峰65-1)/開拓道路に向けてデモ
            デモ終了後現地調査
◦会場への行き方
京成東成田駅地上 12時30分集合 迎えの車待機
 /10:34発  京成上野特急 →11:41着→11:52発  京成成田
  →乗り換え 京成本線(普通) [芝山千代田行き]→11:57着  東成田 

◦主催:三里塚空港に反対する連絡会
             連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5
       /電話:FAX0479-78-8101

飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第3滑走路」計画を撤回せよ! 
反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古の新基地建設反対! TPP反対!

    安倍政権打倒!
 安倍自民党政権は中国や朝鮮民主主義人民共和国の「軍事的脅威」を煽りながら、日本の軍事力の飛躍的な強化を推し進めている。そして米軍と共に世界中で戦争ができる国家体制の構築を目指し、憲法の改悪を目論んでいる。沖縄・辺野古の新基地や高江のヘリパッド建設を機動隊の暴力をもって強行してきていることは、明らかに沖縄差別に基づくものである。日米安保体制下、沖縄のみならず日本各地で米軍―自衛隊一体の軍事展開を行うために基地機能の強化が図られている。この間、自衛隊の日報が隠蔽されていたことが明らかにされたが、このことは実質的に憲法が空洞化され自衛隊が外国の戦場に派遣されていたことを示している。かかる、改憲―戦争推進の安倍政権を一刻も早く倒さなければならない。

       環境・生活破壊の第3滑走路建設・空港機能強化反対!
 国土交通省―成田国際空港会社は資本の利潤の追及のために空港機能の拡大をはかろうとしている。2030年度までの第3滑走路の建設、2020年東京五輪・パラリンピックでの旅客の増大を口実にした飛行時間の延長(現行午前6時~午後11時までを午前5時から翌日午前1時まで)を決め、さらに平行(B)滑走路を北側に延伸しようとしている。
 国・千葉県・関係9自治体・空港会社からなる四者協議会はこの計画を推進するために住民説明会を各地区で行ってきた。この説明会の中で、移転対象となる住民、新たに騒音地域となる住民、騒音がさらに増大する騒音地域住民からは厳しい批判の声が上がり、断固反対が次々と表明された。
 一方、自治体は住民の反対を無視し、交付金の増額・地域振興策と引き換えに空港会社の見直し案を受け入れ「早急に地域振興策を」と、前のめりになってきた。住民の生活を破壊してでも一部の利害関係者の利益を追い求めるという姿勢で一貫している。
 第3滑走路南端の飛行コース下となる横芝光町では、これまでも平行(B)滑走路の騒音下で騒音被害を受けていた地域の住民たちが強く反対し、町長も四者協議会の中で建設への同意を保留してきた。しかし、他の自治体が計画推進に積極的になる中で「判断を遅らせることで地域振興から取り残されてしまう」として3月12日、受け入れに合意した。「横芝光町だけが同意しないと、全体の計画が進まない」という他の周辺自治体からの「同調圧力」の中での「苦渋の選択」だった。
 これを受けて3月13日、四者協議会は機能強化に最終合意し、第3滑走路建設が決定した。しかし、横芝光町の騒音被害を受ける住民は「騒音だけが増えてメリットは何もない」と反対を続け、説明会の開催を求めている。また、芝山町の南部でA、B滑走路2本の延長線上に挟まれた地区の住民も「なし崩し的に合意した」と四者協議会の合意を批判し、飛行時間の延長を中止することを森田県知事に求めた。 成田市の空港予定地内に住む東峰地区住民も、住民を無視した一方的な決定を批判し、生活を破壊する空港機能強化に反対する声明を出した。 新滑走路の建設は単に経済的な利潤追及という要因に留まらない。空港こそまさに兵站基地、出撃拠点として戦争遂行のための不可欠の軍事的インフラである。 安倍政権の改憲・戦争政策に対決する闘いと結合し、第3滑走路建設に反対しよう。7.8三里塚現地に結集し、共に闘おう!

「地元同意」は得られていない! 四者協での「成田空港の更なる機能強化」決定は認められません

2018年3月末 成田市東峰区

 3月13日、成田国際空港会社、国土交通省、千葉県、空港周辺九市町で構成する
「成田空港に関する四者協議会」は、①B滑走路の南側に、新たに3500mのC滑
走路を増設②B滑走路を北側に1000m延伸し、3500mに変更③夜間飛行制限の発
着時間を6時~24時(翌0時)に変更する(現在は6時~23時)などを合意した。
3・13合意は、住民説明会で多くの反対の声が上がっていたにかかわらず無視し、
空港公害の押しつけでしかない。東峰住民は、生活破壊に満ちた3・13合意に抗議
の声明を公表した。以下、配信する。(三里塚空港に反対する連絡会・Y)



■私たち住民は同意していません。首長だけの同意は地元同意とは言えません。
 この3月13日、「成田空港に関する四者協議会」は、夜間飛行制限撤廃など空港被害拡大に対する多くの反対があることを承知のうえで、「成田空港の更なる機能強化」を決定しました。周知のとおり、四者協は国、NAAのほか、県と9市町の首長だけで構成されています。騒音地域も合わせて面積1万ヘクタール以上、人口数十まんにも及ぶ地域住民の生命や財産、大小の地域共同体の存否にかかわる大問題にもかかわらず、四者協では住民は意見表明や議論する機会は一度も与えられていません。住民や報道陣の傍聴も許されない非公開の会議で、「地元同意」と判断されたというのです。おかしくありませんか。私たち東峰区も3回にわたって「説明会」を行いましたが、どの会でも住民の誰ひとりも「更なる機能強化」に賛同したことはありません。住民個々の生命財産にかかわる「合意」は首長は代行できるのでしようか。

■「説明会」は一方的な説明以上ではなく、とても「話合い」とは言えません。
 四者協は一昨年冬から各市町各集落で行われてきた「説明会」で、住民との話合いが行われて合意が得られたというかもしれません。しかし、東峰区での説明は「飛行回数や飛行時間を増やす」ことに伴う防音工事や移転など「飛ばす側」からの「対策」ばかりでした。肝心なこと、「用地問題や騒音・落下物被害、地域間格差の拡大など、現在の空港でも未解決なものを多くかかえたままで、もう一つの空港ほど大がかりなものを造れば、問題や被害を拡大するだけではないのか」、「朝5時から深夜1時まで、BC独立運用による1分半に一度の騒音でも、住民の睡眠や健康な生活は確保されると考えるのか。その根拠は?」、「永年人が住む内陸に大国際空港を造り運用する以上、夜間飛行制限など当初からの最低限の制約があって当然ではないのか」などの問いや批判には、「開港時、シンポ円卓の時代とは状況が変わった。空港間競争に勝ち抜かねばならないから」という答えしか返ってきません。住民が、健康や生活、地域の将来について空港との関係を問うているにもかかわらず、「対策」や技術的な問題だけで「事足れり」なのです。問いと答えが大ズレでは話合いは成立しません。朝5時から深夜1時までの運用時間にどこでも大反対されて、出てきたのが「6時間スライド案」と聞いて、その発想が信じられずあきれるばかりでした。睡眠時間スライド制など、私たち地域住民すべてが空港の従業員扱いされて、みんなの生活をそれに合わせろと言われているのですよ。
 本来なら住民の一番近くにいる自治体が、そのズレに気づき、問題点の指摘を細くしたり、再検討をうながさねばならないはずです、答えは四者とも同じでした。「わかりません」、「検討していません」、「(昨年NHKで繰り返しとりあげられた『睡眠負債があぶない』などの「資料」も)見ていません(見直すつもりもありません)」などの答えばかり。これでは双方向での議論はとうてい成り立たず、「説明会」は「話合い」と呼べるものなっていないことは明らかです。

■夜間飛行制限撤廃―A滑走路先行実施には同意も協力もいたしません。その提案そのものが最初の「説明会」での約束違反です。
 一昨年12月、東峰での最初の説明会でNAAは「いつまでと期限を切ることもせず、地域の皆さんに説明し了承していただく」と明言しました。そのとき夜間飛行制限「緩和」は「更なる機能強化の1つ」として、BC滑走路の延長新設後の運用開始からとされていました。しかし、なぜか「6時間スライド制夜間飛行案」と一緒に、突然「東京オリンピックまでにA滑走路での夜間飛行制限撤廃、24時半までの運用」が持ち出されたのです。つまり、「期限を設けず」と言っていたにもかかわらず、もっとも反対の声が高い夜間飛行制限撤廃について「東京オリンピック前までに同意を確定しろ」と、住民や自治体に迫ったわけです。そしてこの3月、「時間が迫られている」と9市町の首長らだけで「7時間スライド」とA滑走路先行実施に地元「同意」を決定したのです。当然やられるべき新提案についての各地説明会も一切なしで「決定」されたのです。住民としてこれらを「地元同意」での決定と認めることはとうていできません。
 また昨年12月の東峰区の説明会で「Aだけといっても、事故などでA滑走路閉鎖の時にはBも使うだろうし、空港直近の騒音時間拡大も考えれば、A先行実施には反対」と言ったら、「Bを使うことはありませんから」と、あとはにべもないお返事でした。B開業以来、私たち東峰区民の了承もなく頭上を飛び交う飛行機ではあっても、台風や事故での遅延など深夜までの飛行の連絡がNAAからあれば、「人道問題」でもあり、否とも応とも言えず、そのことがNAAなど他からみれば「了承」「協力」と受け止められたかもしれません。しかし、今後はどんな事態でもA夜間飛行制限撤廃で増便運航される便のB使用については一切否、非協力です。区に隣接するターミナルや駐車場での自走やエンジンテストなど「営業騒音」の時間延長や騒音被害拡大も認めるつもりはありません。

■四者協は、「空の行政代執行」へと突き進んでいます。独断での行政手続きの進行をとめ、住民との話し合いの場を設けるべきです。
 今回のように、住民が何を言っていようが、個々の生命財産にかかわる重大事を首長が代行して決定できるとすれば、それはまさに「空の行政代執行」にほかなりません。住民がいくらダメだといっても頭上を飛ばれれば、生涯心身を傷つけられ続けるか、自己防衛のためにその家や土地から離れるしか選びようがないのです。これは暴力的手段での空港建設ではないのですか。
 四者協は、3月13日の「地元同意」をもって次の行政で続きへと進んでいます。しかし、これは繰り返しますが「住民の同意」を得たものではなく、「話合いで空港をつくる」という『空港と地域の共生』の根本から大きく逸脱したものです。四者協は現行の行政手続きを停止し、地域住民とのきちんとした「話合い」の場をつくられるよう、切に望むものです。 以上

報告:1978年3・26三里塚管制塔占拠闘争40年今こそ新たな世直しを!3・25集会

配信:管制塔 3月25日午前11時から、東京御茶ノ水・連合会館で「1978年3・26三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを! 3・25集会」が三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)、元管制塔被告団の主催で行われ300人が集まった。北海道、宮城、福島、新潟、群馬、長野、静岡、関西、広島、山口などと関東から、当時ともに闘った仲間たちが駆けつけ同窓会的な雰囲気をかもしていた。

 壇上には九ゲート突入闘争で火炎に包まれて亡くなった新山幸男さん、管制塔被告であった原勲さんの遺影と当時管制塔を占拠した時に掲げた「先鋒隊」の旗そして反対同盟の旗。壁には当時、管制塔占拠を伝えた新聞、集会に合わせて発売された『加瀬勉 闘いに生きる 我が人生は三里塚農民と共にあり(上)』(柘植書房新社)や三里塚物産の落花生、らっきょう、タベルナのバーニャカウダソース、3・26マグカップ、Tシャツなどが並べられた。

 映画「三里塚のイカロス」の上映が第一部。上映後代島監督は「三里塚闘争の支援にだけはさわらない方がよい」と忠告を受けたが、「この映画を1967年の羽田闘争の写真から始めたのは時代を思い出し、問い直してもらいたかったからだ。10~20代の人に、あの時代をタブーにするのではなく理解し、肥やしにして欲しい」と述べた。

 

 第2部の集会は中川憲一さん(元管制塔被告団)の司会で始められた。柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)が空港をめぐる現状とどのような闘いをすべきかを発言した。

 「空港会社は第三滑走路を作り、空港を巨大化しようとしている。加瀬勉さんが住んでいる所は騒音直下になり、ズタズタにされる。五二年前は村々が総決起して闘い始めた。今は個人個人で反対していても、力を合わせて目的に向かっていくとならない社会構造になっている。反対の決起集会もない。日本全国の共同体はもう存在しない。地域の生活に執着しない。便利なものができ、情報が入る。反対同盟も大半が去っていった」。

 「三里塚の課題は魂の問題だ。腹八分で持続できる社会をめざす。世直しの考え方が備わっていかないとダメだ。私は七〇歳になった。悔いのない生き方をするために最後のがんばりをしたい」。

 次に平田誠剛さん(元管制塔被告団)があいさつした。

 「40年前、マンホールから飛び出し、青い空を見た。全身炎に包まれた九ゲートの新山は亡くなり、管制塔の原君は自ら命を絶つというつらい経験をした。面白かったこと、辛かったことがあったが世の中に悲劇はない。全部が笑いとなった」と平田さんらしい言い回しをしながら、現在福島原発事故被災者支援運動を行っていることを報告した。

 「2011年3.11福島原発事故後、ウシトラ旅団を組織し、支援に入った。いわき市で場所を提供し支えてくれたのは3・26闘争の仲間たちだった。福島の被災者たちが熊本地震の被災者たちを励ますために仮設住宅を訪ねたいと言うのでカンパを集めた。和多田さんがカンパしてくれた。そして、熊本に行くと3・26を闘った人々が支えてくれた。熊本の仮設住宅の人たちは『福島の人たちと交流し、初めて笑ったり、泣いたりできた』と話し、福島の被災者を感動させた。相手と古心が通じることができた。みんなできる力がないと思っているが人を信じてがまんしながら進みましょう」。

 

 管制塔裁判の弁護団だった清井礼司さんは、1971年の時三里塚闘争はベトナムに通じていると思っていたが今は、沖縄の空とつながっていると自覚しながら闘うことが重要だと指摘した。

 三里塚物産の平野靖識さんが「管制塔を壊しても社長になれると言われるが私も40年前に三里塚物産を立ち上げた」と経歴を話し、「NHKのラジオに『今日は何の日』という番組がある。1978年の今日、成田管制塔に駆けあがって管制室を破壊する事件があり、これによって開港が二カ月延期になったと放送した。過激派によってなされたということではなく、淡々とする報道だった。日本の社会に忘れることのないエピソードになった。民衆の思いに逆らって政策を強制するとしっぺ返しを受けるということだ」とエピソードを紹介した。

 平野さんは闘争と暴力の問題についてもふれた。「私は中国の文革の時代に中国を訪れ下放運動に影響されて三里塚に入った。毛沢東は『銃口から政権が生まれる』という考えを広めた。それに影響された人たちがあさま山荘事件や三菱重工爆破事件を起こし、人々のひんしゅくを買い、革命ごっこになった。それに対して管制塔闘争は実力行使に自己規律『人を殺さない、傷つけない』を持っていた。人を傷つけることなく快挙を成し遂げた」。

 生産と闘いをどのように結びつけるのか。「反対同盟の農家は有機農業をいち早く取り入れた。若い人は有機農業に魅力を感じ、たくさんの人が訪れ、定着率も高い。闘いの経験が力になっていて、三里塚物産も三・二六闘争を闘った仲間の息子さんが後継者になってくれている」。

 

 参加できなかった人たちのメッセージがビデオなどで紹介された。加瀬勉さんの新年旗開きでのあいさつ。加瀬さんは別に集会用に「国家権力の空港建設の暴政に抗すること50年。青天霹靂3.26管制塔に翻った赤旗は、月陽の如く天宙に輝いた。断固たる我々の戦いの決意・我々の勇気は、日本人民の将来、未来を指し示すものであった。時はいま、空港機能拡大阻止の戦線に征かんとす。吾、老いて野に伏すも志は千里にあり。壮心盛んにして新なり。2018年3月25日」という連帯のメッセージを寄せた。

 2017木の根幻野祭の映像、大森武徳さん(三里塚物産)が「私は39歳。一つの歴史として興味を持っている若者はいる。今後、①有機農家を増やしていく②木の根ペンションや合宿所などを歴史遺産として維持していく。Tシャツ、グッズなどを作り、楽しい運動を作っていきたい」とビデオメッセージを寄せた。

  石井紀子さんのメッセージを野島みかさんが代読した。野島さんは狭山闘争支援に積極的に関わっていて、狭山再審を求めている石川一雄さんとえん罪無罪を勝ち取った足利・布川事件などの元被告たちの映画『獄友』が上映されていることを紹介した。

 「1978年当時結婚3年目で、育児に忙しかった。管制塔占拠闘争を知り、よくぞやってくれた。うれしかった。じいちゃんは『しばらく帰れない。後を頼む』と言って家を出て行き、横堀要塞戦で逮捕された。しっかり家を守ることが運動を前進させると考えた。そうした底辺を支えた女たちがいた」。

 「今回、女性発言者が1人もいない。今、運動を担っているのは男ばかりだ。1971年、男ばかりの戦場に、ウーマン・リブ運動に参加していた私は、三里塚を女たちの闘いの場、リブの出先機関の役割を担うというつもりで三里塚闘争に参加した。その後、現地に女たちが100人くらい集まることもあった。しかし、どこへ行ったの? 何を考えているのか聞いてみたい。闘争を担ってきた女性がいる。

身近な人の話を聞き、思いを語って下さい。前進していかなければならない。女の人の話を聞かなければならない。初心に立ち戻って、それぞれの立場で新鮮な出会いができるようにがんばっていこう」。

 現在の運動の持っている「男中心のあり方について」鋭い指摘が石井さんから投げかけられた。

  現地で常駐している山崎宏さんが、第三滑走路をめぐる状況について報告した。

 

 鎌田慧さん(ルポライター)が「管制塔占拠という突出した闘いを実行できたのは、三里塚闘争に連帯する会・上坂喜美さん、廃港要求宣言の会・前田俊彦さんなどの広い運動があったからだ。三里塚の農民たちが要塞に入って逮捕投獄されていた。秩父困民党、谷中村の闘い、砂川闘争を引き継いだ闘争だ」と闘争の意義を語った。

 そして、「第2、第3の管制塔占拠を」とは言わない。「あの当時の盛り上がりの中でできたことで今は無理だ。占拠しなくても勝てる闘いが問われている。沖縄・辺野古闘争、カヌーで、ピケで車を止める。素手で闘う非暴力闘争。管制塔を上回る闘う準備し日常的につくるのか問われている。追憶するのではなく、自省してがんばっていかなければならない。知恵の源泉にしていく、広げていく。もう少しがんばっていこう」。

 次に、闘う仲間からの発言。全国空港反対連絡会(反空連)の渡邊充春さんが「全国の空港は40から97に増えている。赤字の垂れ流し、膨大な税金を投入している。騒音・落下物の問題。佐賀空港にオスプレイ配備計画、軍民共用という問題もある」と指摘した。

 

 福島からの中路良一さん(福島原発告訴団)が「原発事故避難者は5万人と言われるが八万人以上いる。事故が収束していないから帰れない。除染で出た放射能汚染物問題も解決しようがない。そして、東京電力に刑事責任をとらせる裁判が昨年から始まっていて、津波を予想していたが対策をとっていなかったことが明らかにされている。東電に責任を取らせ、支配階級の中から獄友を増やしてほしい」と訴えた。

 いわき自由労組の桂武さんは「私は16歳から三里塚に関わり始めた。『三里塚は私たちの教室だ。農民は教師だ』と教えられた。以前は除染作業者の賃金の問題が相談の中心だったが、今は原発労働者の相談が多い。去年の10月、過労により構内で亡くなった。労災死だろうと追及している。福島現地に来て欲しい。三里塚闘争と根っこは同じだ」と話した。

 松島光男さん(羽田空港増便問題を考える会)が「B滑走路でコンビナートのある川崎に向けて離陸させてはならないとしていたが増便して飛ばしている。事故があったらたいへんなことになる。海から海への飛行をとるべきだ」と語った。

 

 集会の最後に参加した元管制塔被告団12人全員(4人が欠席)が壇上に勢ぞろいした。一言ずつ短くアピールを行った。

 「10年がんばって、50周年も実現しよう」、「今日の集会で主役はいっぱいいたと分かった。いっしょに闘った仲間が主役だ」。和多田粂夫さんは「37歳で逮捕され、50歳で刑務所を出てきた。あの闘争は偶然性が重なった闘争だった。『エアポートレビュー』という雑誌で空港の構造が分かり作戦を立てた。管制塔にたどり着くにはものすごく多くの困難があった。そうしたことを忘れてはならない。第三滑走路に反対して闘う反対同盟があるかぎりいっしょに闘っていきたい」とまとめの発言をした。

 集会の後、3部の懇親会を行った。そこでも闘いに参加した仲間から当時の闘いの話や三里塚闘争への思い、女性差別問題などに言及した発言もあり、多元的に三里塚闘争を問う中身の濃い40周年集会となった。(M)

報告:18年反対同盟旗開き

配信:旗開き配信:開拓道路
 1月14日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)は、横堀農業研修センターで「18年反対同盟旗開き」を行い、40人が参加した。

 国交省・成田国際空港会社・千葉県・関係自治体が一体となって飛行制限時間緩和・成田空港「第3滑走路」計画を押し進めている。18年度政府予算案では成田空港機能拡大に向けて52億円を計上している。同時に「第3滑走路」計画の着手にむけて地元工作のバックアップを表明している。地元説明会は、すでに120回行われている。「対話型説明会」と言っているが、推進派の一方的な押し付けであることが実態だ。住民の「説明した」という既成事実の積み上げでしかない。

 成田国際空港会社の夏目社長は「新年ご挨拶」で飛行制限時間緩和・成田空港「第3滑走路」計画推進に向けて「可能な限り速やかに更なる機能強化の最終的な結論が得られるよう最大限努力して参りたい」と述べている。説明会で明らかになった住民の不安・疑問・反対の声はほとんど無視し、強行突破する姿勢をあらためて示した。反対同盟は、このような推進派を糾弾し、年頭にあたってあらたな闘う決意を打固めた。

 

 開催にあたって現地報告が山崎宏さん(労闘―労活評議会/横堀地区)から次のように報告。

 「国交省・空港会社が一体となって第3滑走路計画を押し進めている。各地で説明会を行い、同意をとりつけようとしている。しかし、その中でも騒音で大きな被害を受ける地域から強い反発があり、絶対反対だという声もあがっている。とりわけ横芝光町の住民は、『騒音直下で騒音地域が拡大するばかりだ』『地元にはなんの利益もない』とかなり強い反発が噴出している。第3滑走路計画はデッドロツク状態だ」。

 「一方、地元自治体は、国や空港会社から取れるものはどんどんとっておこうと地域振興策と引き換えに容認していこうとする動きがある。芝山町、成田市、多古町は前のめりになっている。私たちは第3滑走路計画に反対し、同時に飛行制限時間緩和に対しても反対の声を上げていこう」。

 

柳川秀夫さん 

 柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)は、冒頭、横堀の大鉄塔の一番高い部分が老朽化したので業者に頼んで撤去したことを報告し、今後も鉄塔防衛のために協力を呼びかけた。

 さらに「第3滑走路問題は、結局、どんどん開発し、自分たちが潤っていくという考え方が根底にある。便利になっていくことを優先することは、昔から築いてきた価値を失ってしまうことになる。だからこそ新しい価値観と文明をもう一度きちっと作っていくことが問われている。空港反対の三里塚闘争から全国発信し続けていきたい」と強調した。

 

石井紀子さん 

 石井紀子さん(川上地区)は、「横堀研修センターがみんなで使うことによって支えられている。とりわけ田んぼくらぶの取り組みが重要だ」とアピール。

 さらに「昨年、秋の長雨で野菜が作りにくい状況だった。40年、ほうれん草を作ってきたが、初めて失敗した。天候のせいだと言ってしまうと、それで終わりだ。なにが敗因かと考えたが、水はけ、芽の撒き方などあらゆる天候を想定しておかなければならなかった。闘いと同じです」。

 「昨年12月、『週刊金曜日』の依頼で東峰の小泉英政さん、平野靖識さん、私、萩原富夫さん、大森武徳さんの座談会を行った。島村昭治さんの息子の努君が『私がここで生きている理由』という文章を寄せてくれた。東峰で一番被害が大きい島村家の声が掲載されてことは、とても大きなことだ。しかもこれから農業を担っていく人の声だ。大森君もそうですが、これから闘争を引き継いでくれる人たちの声だ。新しい孫が生まれたが、本当に明るい未来を私たちが用意できるだろうか。私たちは何をしてきたのだろうか。これから何をしなければならないのか。そういうことをすごく考えています」と発言。

 

平野靖識さん 

 平野靖識さん(らっきょう工場・東峰地区)は、「今年は管制塔占拠闘争から40年。成田空港が開港してから40年、そしてらっきょう工場の三里塚物産を開業してから40年です。私は支援者として三里塚に来て、第一次、二次代執行があった1971年の後、三里塚のお百姓たちは、この闘いは長くなるだろうという見通しで自分たちの農業の見通しを立てた。農林省や農協が指導する大量生産、化学肥料・農薬使用の近代農業を拒否して有機農法へとチェンジしていった。この地域の人たちが作る有機農産物を加工していくのがらっきょう工場でした。らっきょう、落花生を加工し、三里塚を闘った人々によって支えられた」と述べた。

 そして、「今年4月にらっきょう工場四〇周年の集いを行います。有機農業の力と世代の受け渡しをベースにした集まりです。若い人たちが三里塚でどのように生きていくか、そして地域力をつけていくためには何が必要なのかなどを考えていきたい」と訴えた。

 

加瀬勉さん 

 加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会代表)は、「国交省・千葉県・空港会社は市町村、地域、集落単位で120回の空港機能拡大の説明会を開いた。会議では騒音問題を中心に不満が続出し、夜間飛行拡大に反対の声が続出した。横芝町長は騒音被害で空港利益をもたらさないし、四者協議会の離脱もありえると表明している。夏目空港会社長は、空港関連交付金が41億円以上があるが、そのうち地域振興策のために20億円を積み上げて60億円も出すと表明した。また、地域振興基本プランも出し、4~7万人の雇用計画も出してきた。四者協議会では、空港機能拡大に賛成しているが、市町村格差が増大し、交付金を増額せよと要求している。成田市長は、集団移転には責任は持てない、個人で解決してほしいと言っている。芝山町の相川町長は、30億円の交付金を要求し、移転については芝山に住んでよかったと思えるインフラ整備をすると公言している」と報告。

 さらに「首長は温度差はあるが交付金に群がるハイエナである。権力の飼い犬にすぎない。空港で犠牲になる住民を生贄にしようとしている」と厳しく糾弾した。

 

 清井礼司弁護士は、「かつて三里塚の地下壕はベトナムに繋がっていると言って闘った。現在は、沖縄に繋がっていると言って闘っていきたい」と決意表明した。さらに高見圭司さん(スペース21)、日米安保終了を通告する会、中川憲一さん(元管制塔被告団)、渡邊充春さん(関西三里塚闘争に連帯する会 関西三里塚相談会)からアピール。

 沖縄から参加した仲間は、稲嶺名護市長選の報告を行い辺野古新基地建設反対の闘いの連帯を訴えた。柘植書房新社は、加瀬勉さんの闘いの記録本の刊行準備が進めてられていることを報告した。

 最後に団結頑張ろうを行い、交流会に入った。

 旗開き終了後、東峰地区に移動し、三里塚空港に反対する連絡会のよびかけによる東峰現地行動が取り組まれ、開拓道路から空港にむけて「成田空港粉砕!第三滑走路計画に反対!」のシュプレヒコールを行った。(Y)

1978・3・26三里塚管制塔占拠闘争40年 今こそ新たな世直しを3・25集会

◎日時:2018年3月25日(日)午前11時

 

◎会場:連合会館二階大会議室(御茶ノ水駅)

 

◎集会:第1部 映画「三里塚のイカロス」上映/第2部 現地から報告、発言、他/第3部 懇親会

 

◎参加費:1部+2部 1000円、3部(懇親会) 2000円

 

◎主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)、元管制塔被告団

 

◎連絡先

◦三里塚芝山連合空港反対同盟 千葉県山武郡芝山町香山新田905/TEL・FAX0479―78─8101

◦元管制塔被告団 090─8171─1810 中川憲一

◦三里塚空港に反対する連絡会 東京都千代田区内神田1―1712勝文社第二ビル101 研究所テオリア/TEL・FAX03─6273─7233 Mailemail@theoria.info

 

 

●三里塚管制塔占拠闘争40325集会に賛同を

◎賛同  個人1000円、団体3000円(公表の可否をお知らせください)

◎賛同金振込先/郵便振替 00180─5─567296 研究所テオリア

(通信欄に「管制塔集会賛同」と明記)

 

●空港突入40年の集いにむけて

             三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人 柳川秀夫

 

 世直しの旗が翻ったのは駒井野の強制代執行であった。まさに戦争状態でむかえた代執行。世直しの闘いを宣言することで百姓も誇りを侍って闘うことができた。

 百姓は畑に種をまくと、訪れる豊かな稔りを迎えるために手入れを惜しまず汗を流す。山の木の手入れ等、何十年も次の世代の為続ける。

 闘いも途中で決してあきらめず根気よく闘い続けてきた。作物を育てるのと似たようなものだ。

 新しい年を迎える度、又今年も頑張れば来年は勝てると年寄りが話し会っていたのを今も覚えている。作物も今年だめでも来年があるように。

 しかし、百姓では出来ないこともあった。今日ではボランティアとかになってしまったが、多くの人達の助けが求められた強行開港阻止という難題。それは果断に生命、人生を代価に3月26日に行われた。

 重くて背負いきれない程の快挙であり、大義の春であった。

 40年目に何を思えば良いのか、三里塚では世直しはいくさと密接でもあったが。時が移り世の中の在り方を見直すことへと重みが増している。

 今あの日に帰って夢は色褪せてないか。さらに輝いているか確かめるのも大切なのかも。世直しの新たな旗が翻るために。           (2017・117

 

●「3・26」の闘いを継承し、新たな世直しへ

元管制塔被告団 中川憲一

 

 1978年3月、時の福田赳夫自民党政権は成田開港を国家の威信をかけた最重要課題と位置づけ、力ずくで3・30開港を図ってきました。1966年閣議決定から、機動隊の暴力を前面に出した国家の土地取り上げと闘ってきた三里塚の農民と支援は、この非道に真っ向から立ち向かいました。

 1年を超えた開港阻止決戦の正念場となった3月26日。「空港包囲・突入・占拠」を掲げて菱田小跡に結集した三里塚闘争に連帯する会、労調委などの仲間は、横堀要塞の闘いと連動して空港へ突入。

 前日25日夜から下水溝に進入していた私たち管制塔部隊は、26日午後1時、9ゲート・8ゲートからの空港突入に呼応して、マンホールから飛び出して管制塔に駆け上がり、管制室を占拠しました。

 時の政権の道理を無視した3・30開港を人民のパワーが阻止したのです。この闘いは、60年代の反戦・全共闘の闘いから70年代連赤・内ゲバという後退とは違う闘いのあり方を示しました。管制塔の闘いは海外の運動にもインパクトを与えたと聞いています。

 その後も2005年には皆さんの協力による一億円カンパ運動によって、管制塔被

告は政府による賠償強制執行をはね返すことができました。

 いま法も道理も無視した安倍政治が憲法改悪を目指し、沖縄では基地建設反対

の闘いが続いています。成田空港でも住民を無視した夜間発着時間拡大、第三滑

走路の計画が出されています。

 このような中で迎える管制塔占拠闘争40年。40年集会を開催したいと思います。

 「3・2640年にあたり、民衆の闘いの歴史を貶め消そうとする体制に対抗して「3・26」を語り継ぐととともに、40年前の闘いをもう一度見直し、その原点を再発見・再定立していきたい。この集会が旧交を温めると共に、78年を知らない人々と共に、その今日的意味を考えるきっかけになれば幸いです。

 全国の皆さんの集会への参加と賛同を呼びかけます。

 

●日本人民の希望と未来の赤旗

            三里塚大地共有委員会代表 加瀬 勉

 

 開港阻止決戦・空港包囲・突入・占拠。三里塚空港にディエンビエンフーの戦いを。空港を包囲し突入し、亀井・三井警備局長率いる警視庁精鋭部隊を粉砕し、管制塔に突入占拠し赤旗を翻した。開港を阻止し、ディエンビエンフーの戦いを三里塚闘争で実現させたのである。三里塚で「警視庁敗れたり」と秦野警視総監に言わしめたのである。

 管制塔戦士たちが打ち振る赤旗の血潮の燃え滾る鮮やかさは我々の前途を指し

示すものであったが、また権力の容赦ない弾圧でもあった。新山君が原君が犠牲になって斃れていった。囚われた管制塔戦士達は冷たい鉄格子、獄中の深い闇、

家族の苦難の生活。10年余の歳月。三里塚闘争のさらなる前進と勝利を、日本の夜明けを信じて戦い抜いた。俺たちは万難を排して獄中にいる管制塔戦士に連帯したのか。したと言い切れるのか。問い続ける40年であった。

 その問いに一人一人が答える時代が到来してきた。戦争政策遂行、改憲内閣、ファシストの安倍内閣の4度の成立、「三里塚空港機能拡大・夜間飛行制限緩和・空港用地700㏊拡大・新滑走路の建設・50万回増便」の一〇年計画の新たなる攻撃がかかってきた。戦いの思想を魂を管制塔戦士の行動を規範に共に競いあい磨きあってゆこうではないか。団結して前へ。

 

 

 

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