大地共有委員会ニュースレター
第2号-1 2009年7月19日

 

三里塚闘争における一坪共有地運動の意義は空港建設地に土地を所有し、国家権力と対峙して、三里塚の農民と運命を共にして、その闘争に自己の生涯をかけることである。
加瀬勉 2009.5.28

全国の一坪共有者、支援の皆さんへ
新たな一坪共有化運動の開始にあたって
三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(2)

 三里塚空港反対を共に闘う全国の共有者が所有する一坪共有地は、現在も二期工事予定地である木の根・横堀(横風滑走路予定地)、東峰(平行B滑走路予定地)に存在し、国│空港公団(現在は株の100%を国が持つ成田国際空港株式会社)の当初計画の完成を厳然と阻んでいます。
 横風滑走路は共有地の存在により滑走路として使用することはできず、暫定的に湾曲させてA滑走路と第2ターミナルをつなぐ誘導路として使われています。また平行(B)滑走路は東峰地区で買収│移転を断固として拒み、そこで農業を続ける農民の存在と共に南側への延長を阻止されて2回も北側に延長して供用されています。
 一坪共有化運動は三里塚農民と連帯し、2期工事を阻止するために1980年代に始められました。その過程で再共有化運動に反対する党派の暴力的な妨害により困難な状況もありましたが、それを乗り越えて全国から多くの共有者を結集することができました。
 空港会社は飽くなき利潤の追及のために更に空港機能の拡充をはかり、一坪共有地を堅持することは、現在も闘い続ける三里塚農民と連帯することはもとより、自身が国家権力や資本の横暴といかに向き合うかということが問われています。
 われわれは今後も一点の妥協もなく闘い続ける決意です。
 共有委員会は運動の持続に向け、体制を一新して再出発します。
 堀越昭平・前共有委員会代表が移転に応じ反対運動から離れたので、新たに木の根共有地提供者である加瀬勉を代表とし、役員に現地と東京の共有者が就き、運営していきます。
 また、新体制を表すために「大地共有委員会(2)」(パート2)と表記します。
今後は共有者との連絡を密にし、ニュースの発行や各地の共有者の交流・組織化、三里塚現地での交流などを積極的に図っていきたいと思います。全国の共有者の皆さん、当初の目的を果たすために共に進みましょう。
  2009年7月7日

発行:三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(2)  
連絡先:〒289─1601 千葉県山武郡芝山町香山新田131─4 
    電話&FAX0479─78─0039
振替口座 00290─1─100426 大地共有委員会(2)
カンパお願いします。
振替口座 00290─1─100426 大地共有委員会(2)

 

仲間たちからのメッセージ

いつも三里塚からの呼びかけには感動しています
宮本なおみ(東京・目黒区)

 三里塚からの呼びかけは、いつも感動的である。半世紀に及ぶ闘いと、柳川さん・加瀬さんも、その生涯をかけた思想と行動という裏づけがあるから感動を呼ぶのであろう。
 私は第二次強制代執行に立ち会えず、三里塚のみなさんに後ろめたい思いでいた。
その分、都合のつく時には行動に参加するように心掛けた。熱田さんの畑での援農、上の子がよちよち歩きの時期(多分70年代前半)の集会デモへの参加、下の子をおんぶしての70年代後半の集会への参加。子連れ参加が多かった(もちろん大きなお腹をしていたときもである)。40代になってからのおむつを持っての参加は、満員バスの中で柏の網議員(当時)に「なおみさん、それは孫かい」とひやかされ、バスの中が爆笑に包まれた。
 そんな私が一坪地主になることは当然である。転居の多い私には、空港会社の目黒区への情報開示請求がある。しかし職員たちは「なおみさんの開示請求があったよ」と教えてくれる。
 三里塚の一坪は私の誇りの一つでもある。
 いま、声を上げよう


三里塚・東峰現地行動に参加して
吉川 守(愛知)
 4月12日、東成田駅には、迎えの車が待機していてくれて、東峰まで運んでいただいた。車を降りると、帽子にサングラス、白いマスクで人相を隠した20~30人の若者たち(私より若い)が目に飛び込んできた。(えらい古典的な格好で集会に参加するんやなあ。)と思っていると、少しして、彼らが警察の諸君であることが分かって、思わず笑ってしまった。(何や、昔と反対やなあ。)と、時の移ろいに、暫し妙な感傷に浸っている間に集会が始まった。
 三里塚を訪ねるのは三度目である。最初は1971年の第一次強制代執行の時。黒褐色の起伏ある大地での戦闘が脳裏に焼き付いている。二度目は80年代半ばのことで、何かの集会であったのだが、具体的には覚えていない。そして20数年ぶりの今回である。
 きっかけは、空港会社からの二度にわたる手紙である。一坪共有者であることを忘れていたわけではないが、日々意識していたわけでもない私にとって、ある意味、新鮮な刺激であった。三里塚の「今」を知りたくなって、インターネットでいろいろアクセスしている内に、「4・12 三里塚・東峰現地行動」の案内を発見。同時に約1000人の共有者の存在も知り、心が躍った。
 原爆の図「丸木美術館」の、5・5開館記念日沖縄イベントの案内チラシを携え、4月12日、三里塚に向かった。
 集会は、参加者を超える警察ギャラリーが見守る(?)中、仲間たちの発言が続いた。中でも、現地で「農」を営んでおられる石井さんの、したたかで大らかなお話がうれしかった。東峰を、みんなで楽しくお弁当を食べる「集いの場」にしよう、というお誘いには、機会があれば是非参加したいと思った。
 これもインターネットで見つけたことだが、「空港との共生が地域の大勢となった今、空港反対派は孤立化していると言える。」の記述には驚いた。果たしてそうだろうか? 不況だ、学力だ、などといって大人から子どもまで、一人ひとりを孤立に追いやっているのが今の社会の大勢ではないのか。それに起因すると思われる悲惨な事件や悲しむべき出来事の頻発を、一体どう捉えているのかを問いたい。
 私は、空港反対を貫いている人たちのように、長いもの巻かれない人たち、権力の横暴に屈しない人たちなど少数派と呼ばれる人たちの側にこそ、一人ひとりを大切にする=「共生」社会創造の希望を感じることができる。
 「時間があるから発言を。」との要請にお応えしようとしたものの、まとまりのないお話をしてしまい申し訳なく思っている。丸木位里・俊は「原爆の図」「沖縄の図」をはじめ南京大虐殺、アウシュビッツ、水俣、足尾鉱毒、そして三里塚などを描いた。
これらは人類の「消すことの許されない記憶」として描かれたものと思っている。時の流れとともに、今、「記憶の継承」が各地で熱っぽく語られている。都合の悪い史実を消そうとする勢力の陰謀を跳ねのけ、一人ひとりの命を大切にする世の中を創るために。「丸木美術館」へのかかわりと「一坪共有者」であり続けることを私なりの「記憶の継承」としたい、というようなことを言いたかったわけだが……。
 今回、横堀で原勲に会うことができた。赤いヘルメットは彼が身に着けていたものだろうか。三里塚の闘いの歴史の中では様々の立場の人たちの非業・無念の死があった。どれも決して忘れてはならないことを心に誓った。
 定年まで4年を残して退職し、ふるさと愛知に帰り「自然農」を目指して3年になるが、どれほど「土づくり」が大変で大切か身に沁みて分かりつつある。それゆえ、収穫の喜びもまた格別である。「土」に生きる人たちの心と命を踏みにじり、コンクリートで覆ってしまうような空港には人々を幸福にする力はなかろう。
 仲間と始めた愛知での「集いの場」づくりを楽しみながら、これからも三里塚に繋がり続けていけたら、と思っている。
2009 6・5

人権・環境破壊をやめろ
高橋千代司(東京・調布市)
 一坪共有者になってから、25年がたった。
 木の根の共有地は、木の根部落の人々の思いを伝えながら、ペンションとともに第二ターミナルのすぐそばに根を張っている。横堀の共有地は、横堀部落の開拓100年の汗と涙をしみこませ、横堀鉄塔から大栄方向に伸びる横風用滑走路を阻む。東峰の共有地はいまも農に生きる東峰の人々とともに、民家を守る土台の一部をなしている。これらの3本の矢のような共有地は、25年のときを経て今も健在である。共有運動を貶めた人々は、自らの不明を恥じ、かつてのテロ行為を謝罪すべきである。
 その後、国は「強制手段はとらない」と約束した。さらに地域住民との協議も約束した。しかし、国の約束を空港公団から引き継いだ空港会社が反故にしている。いま、東峰が誘導路に囲まれ、早ければ10月にもジャンボ機のような大型機が頭上40メートルを離着陸しようとしている。これが「強制的手段でない」というのだろうか。いま、私たちがなすべきことは何か。まず、声を上げることだろう。空港会社は、国民の権利を踏みにじるな。憲法に保障された居住の自由を奪うな。環境を破壊する蛮行をやめよ。


一坪共有者運動の強化を
関西三里塚闘争に連帯する会
 国交省と空港会社は、成田空港暫定滑走路北伸工事を10月までに完成させ、2010年3月供用を半年前倒しして10月22日に供用を強行するとしています。東峰の森を破壊して建設した新誘導路は7月より使用するようです。私たちは、東峰住民の意志を無視した、強引な前倒し供用強行に反対します。
 成田国際空港会社は、さらに南側に延長して、3500m級の滑走路にすることも明言しています。さらに現在年間20万回の発着回数を30万回に増やす計画も打ち出していますが、東峰住民を更なる騒音と排気ガスにさらし、追い出しを図るすべての計画に反対します。
 前倒し供用強行に先行して空港会社は、08年12月、空港内に存在する一坪共有地を買収しようと、全国の共有者約千人に売却を迫る手紙を送付し、09年2月にも手紙を再送しました。手紙は、空港問題の歴史的経緯に触れず、反省もなく、「売れ」と言うのみです。利益優先主義が空港会社の一貫した姿勢であり、東峰住民への追い出し強化とともに絶対に許すことはできません。
 私たちは関西から、現地の闘いに微力ですが支援し、関西の共有者の方々の結束を再度強化することを考えています。また07年に亡くなられた連帯する会の代表だった上坂喜美さんの「遺稿追想集」を、本年2月に発行いたしました。上坂さんの遺志を継いで、更に関西から 三里塚農民と連帯し、成田空港平行滑走路供用強行に断固反対していきます。


人民抑圧空港解体!農・住民の生活破壊、
自然破壊を許さず、土地を武器に闘う!
湯村一美(全水道東京水道労働組合青年女性部) 
 この間の闘争に敬意を表し連帯のメッセージとします。
 私たち全水道東水労青年女性部は、1966年反対同盟結成以降、空港粉砕に向け、共闘・連帯しています。
 私たちは熱田さんの畑を借りながら「援農(ジャガイモ運動)」を通し、「土地を武器に闘う」現地での行動を展開してきました。
 現在では、農業研修センターの竹林の中で「原木椎茸」を栽培し、収穫(現地)―販売(周知)での三里塚闘争を展開しています。
 今後も現地を基本とした闘争を展開し、空港会社・権力の横暴を許さず、抑圧による農・住民の生活破壊に真っ向から対決し、豊かな大地を取り戻す為、全ての闘う仲間との連帯で闘い抜きます。


全国の住民・反空港の闘いとともに
連帯社
 私たちは、三里塚現地闘争と結合させ、現地での日常的取り組みとして、熱田さんの農地を借りて、大根・じゃがいも・さつまいもの作付け・収穫運動を進めてきました。
 現在、政府・空港会社は、空港の延長と農民の追い出しを目論むため、何んとしても一坪共有者の土地を奪いとろうと執拗に売却攻撃を強めている。
 永い三里塚闘争を闘う中で、三里塚闘争を闘う意義を確かなものとすべく、世代に引き継ぎながら運動を進めていかなければなりません。政府・空港会社の攻撃をはねかえし、一坪共有者運動の再建をもって、全国の住民・反空港と連携して三里塚闘争の拡がりと強化を進めていこう。

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