2022年11月27日

「郷」が本来の郷ならば、あえて「業」と当て字にする必要はないと考えながら、「郷に入れば郷に従え」と、「老いては子に従え」が、間違った解釈になっているように思う。老いてなおわがまま放題の郷に、従っている若衆は、幸せな郷を保つことが出来るのだろうか?幸せとは、わがままと異なるはずなのに、幸せに従って生きてしまうのは何故だろうか?
前向きに考えると、「前」の使い方も難しい。前例とか、前回とか、前向きと違う気がする。以前に住んでいた家と、前後左右の方向感覚での前の家は、前の家でも異なるはずなのに、普通は区別しないと思った。少しも、前向きに考えてない人に、前向きに考えろと言われて、前がわからない、方向音痴になっている気分だ。
将来展望とか、未来像とか、前向きな郷ならば、従っても良いと思う。そんなことを考えたら、業に従って、業を成し遂げる方が、前向きだと思った。老いては後継者に従って、次世代を切り拓く方が良いと思った。方向感覚が麻痺する前に、前向きに考えないと、前に戻って、前を繰り返してしまう。



kyoyou at 00:44コメント(0) 

2022年10月01日

僕が間違えているのか?
社会一般が間違えているのか?

人間、誰でもが生まれながらの資本を持っているとは思わないが、資産は生まれた時から、存在すると考えてみた。命は、大切な資産で、負債に由来していても、資本として考えるべきだと思う。生まれながらの命の価値観は、平等であるとして、養育者の価値観によって、資産形成されると考えてみた。教育と養育は異なると考えて、負債に由来した資産形成と、成長戦略としての個々の資産形成が行われると考えてみた。命のバランスシートを考えたら、社会の一員として、バランスシートを形成することが、成長ということになると思う。
お小遣いが利益だとしたら、どこから、利益が生まれるのか、と、考えてみる。お金に代えられない命という資本に対して、自分の食費や生活費の出所を考えてみる。お小遣い帳だけのバランスから、社会一般のバランスを考えてみる。家庭が倒産しても、命がある以上、個人は生きていけると考えたら、格差問題も解決できる気がする。
バランスシートで考えない社会に問題があると思う。


kyoyou at 17:50コメント(0) 

2022年08月03日

働かない人を支えて、働く人を支えていないことが多いような気がする。何のためと働いているかを考えたら、負債を減らすためだと思った。物体を持ち上げることを考えたら、重力に対して抗力が存在するように、生命力に対して働く労力があると考えてみた。抵抗力のない状態で、生命は維持されないと思う。体力や生命力が資本だと考えたら、財力や学力、権力は負債に仕訳されると思う。負債を減らして、資本の力は維持されると思うけれど、利己主義の仕訳伝票はゴミになるだけだと思った。利他の仕訳が大事だと思った。
財産というものが固定資産だとしたら、働かない金銭は無意味な固定資産になると考えた。利己主義の生命体は、滅亡する運命をたどると思った。次世代に引き継がれる連結会計のバランスシートを考えたら、無意味な固定資産の仕訳が可能だと思う。権威主義的民主主義の台頭は、労働力や武力が資本だという誤解だと思う。個々の生命力や生活を考えたら、大きな負債を負うのは誰なのかと考えて欲しいと思う。利他主義の戦争は、あり得ないと思う。
個々の細胞が無意識にバランスを取っているみたいに、平和というものは、無意識にバランスがとれる状態だと思う。無意識に引き継がれる資産の反対側に、負債と資本の関係があることを考え欲しいと思う。

kyoyou at 13:01コメント(0) 

2022年08月02日

先進国と新興国という区分は、発展途上国という階級意識を除外しても、資本主義国と負債債務国と考えて、何が資産として運用されているかを加味する必要があると思う。世界経済のバランスが平和だとしたら、軍事力を資産と考えている国がある限り世界平和はあり得ない。権力や資本力を背景に、債務超過になっていても、資産が正当に運用されていたら、債務不履行にはならないと思う。
それぞれの家庭が赤字になっていても、資本力のある会社に守られていると考えてたら、資産の流動が滞らない限り、バランスは保たれる。逆に考えてたら、資産の流動のために働いている会社員は、家庭の赤字は、関係ないのかもしれない。連結会計を考えたら、個々の赤字が資本力を支えているのかもしれない。バランスを考えたら、それぞれの資産は保たれる。
現状維持が平和ではないと思うようになった。平和に無縁な力を差し引いて、バランスを保ちながら、向上する平和な活動が必要だと思う。戦争によって資産を増やすのでは、資本力増加にはならないと思う。

kyoyou at 02:14コメント(0) 

2022年07月21日

介護を必要としないわがままな母親の言うことを聞いているうちに、社会福祉とは言えない社会の矛盾を、当たり前だと勘違いしていることに気がついて、有難いことと有り得ないことが同居していると思うようになった。有難いことを素直に受け入れて、有り得ないことを解消して行けば良いのだが、有り得ない現実を他人事のように放置して、有難いことを当たり前のように壊しているように思う。破壊と創造を繰り返しているうちに、現実が壊れて行く。壊れた現実を修復することは難しいけど、新しい創造は当たり前のように生まれて来る。有り得ない創造が現実化しているのは、有難い現実を放置しているからだと思う。有り得ないことに騙されて、有難いことを忘れてしまう。様々な格差の成せる業だと勘違いしたら、格差は永遠になくならない。
家族経営を考えたら、古き善き農村の資産運用に問題があると考えてしまう。年金生活で、古き善き農村を経営することは難しい。有難いはずの資産が、有り得ない負債になってしまう。国土という概念で考えたら、年金生活の年金は当たり前な収入ではないと思う。当たり前に固定資産税を支払うと考えたら、固定負債の概念が欠如していると思う。運用しないとしても、管理経費が必要となる。理解出来ないとして、当たり前に生活してしまえば、負債だけが残って行く。その前に、格差の矛盾に気がつけば、古き善き農村は限界集落になって、現実には有り得ないこととなる。
負債化して行く集落を、資産管理という概念から、価値観を変えなければ、有り得ない妄想の中で、崩壊として放置して行くことが当たり前なのだろうか?

kyoyou at 16:42コメント(0) 

2022年07月10日

弱者を守る正義の味方には、暴力や暴言が許されるとしたならば、正義は何のためにあるのだろうか?弱者のためにあるとしたら、正義の味方は強くなければならないと勘違いしても仕方がないけれど、弱者を弱者として考えること自体が、間違っているような気がする。社会福祉も同じように考えたら、弱者救済より先に、個々の個性を認めて合える社会形成が必要だと感じる。多数派工作になってしまった民主主義の中で、マイノリティの正義を考えて、弱者救済措置では無い社会福祉を考えることが出来たらと思う。
助け合いとは、何なのか?
弱者に対しての強がりを、正義とか、福祉とか、そんな言葉で片付けて欲しくないと思う。増して、暴力や暴言は、もっての他だと思う。

kyoyou at 12:03コメント(0) 

2022年06月04日

裏側から表向きを考えたら、恨みになっていた。表向きばかり気にしていたら、裏面に気がつかないと思う。恨み辛みの裏があるとしたら、表向きばかりの裏返しに思えて、厚みのない自分が悪いように感じた。

kyoyou at 14:54コメント(0) 

2022年06月01日

一触即発と危機一髪が混同して、本来の幸せを不満に思っているとしたら、感覚だけで感情表現ができない状態だと考えて、暴言という牙を持つ化け物のように見えてしまう。親権に権力があると考えたら、子供は対応出来ないと思う。無意識に権力を行使して、生きものの頂点にいる勘違いをしていたら、やがて何者かに殺されるのだろう。殺される前に、殺せば良いと考えたら、人間の愚かさが見えて来るように感じた。必要以上に情報を処理を求めらるのは、愚かな人間の無意識な支配から来るように思う。支配ではなく共生共存、任務ではなく役割分担だと思う。システム化する社会の矛盾を受け入れたり、その矛盾に抵抗したり、間違いを認めないシステムに振り回されている愚かさを悲しく思う。矛盾をそれぞれの個性として認めつつ、システムの誤りを修正出来たら良いのに、多数派工作の組み込また情報に騙されてしまう。母親の正当性を否定することは、子供にはできない。正統派の正当化は、マイノリティにとっては大きな壁になってしまう。正当性の再検証を、多様化した個性を認めながら、それぞれの立場で行うことが必要だと思う。

kyoyou at 11:22コメント(0) 

2022年05月27日

「マイ3ちゃん農法」に基づいた農業経営を正当化したら、勝手気ままな自給自足という矛盾の壁に突き当たって、崩壊した家庭の良妻賢母が高齢化社会の福祉事業に伴って、マイナス効果しか考えられなくなってしまう。先祖代々の農地を守るという大義名分は、経済的に引きこもり、無駄な現状維持を正当化している。生産性の解釈は、3ちゃん農法に歪められて、見せかけの良妻賢母に男女共同参画という矛盾を受け入れながら、農業経営を骨抜きにした。家庭が崩壊して、地域も崩壊寸前なのに、社会福祉という名において3ちゃん農業が救済されているとしたら、良いこととは思えない。
支援や介護をマイナスポイントと考えたら、後継者のいない農家は、マイナスポイントを補充することはできない。崩壊した家庭の中で、支援や介護のポイントが増えることは、負債による資産運用と言える。退職金や年金、農業外収入も、負債と考えたら、資産が増えても、収入に結びつかない。生活費用を農業費用と区分しなければ、支援や介護は収入に結びつかない。マイナスポイントを負債と考えられなければ、農業経営は難しいと考えた。マイナス3ちゃん農法をプラスにすることはできない。


kyoyou at 11:55コメント(0) 
農業 | ひとりごと

2022年05月15日

営農資金という概念があるのに、生活に追われて、計画不能。

kyoyou at 14:35コメント(0) 
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