2014年08月
2014年08月31日
『なんてったって「新米」』と書いたからではないが、午後から「ゆめしなの」の稲刈りを始める。
予定より10日ほど遅れてしまったけれど、最近の天候では仕方ない。はぜかけは、途中までで日が暮れてしまった。まだ、わずかしか刈っていないが、一応、8月中に稲刈りを始めることは出来た。一番問題だと思っていた田んぼから刈り始めたけれど、それなりにぬかることもなく順調なスタートが切れたと思う。
明日は、午後から雨になりそうだから、それなりに刈り終えたら、中断して、乾燥の作戦でも考えようかと思う。
昨年は、ゆめしなの・・・で書いたように、稲刈りが終わっても、乾燥に時間がかかってしまった。今年も、それなりの覚悟は必要だと思うけれど、水分計を駆使して乾燥方法を考えてみたいと思う。
新米を食べることが出来るのは、いつになるのかなぁ。
まぁ・・・販売する場合、検査を受けないで「新米」というのは、産年の表示に該当するから、表示出来ないことになっているのだけれど、ときどき、「未検査米」と「新米」が表示されているものを目にすることがある。「拙いと不味いは違うはず。」で書いた、拙い表示なのだが、「未検査米」の場合、産地・産年・品種に関する表示は、要注意なのだ。拙い表示を不味い米と一緒にされたのでは、「新米」の意味が無い。自家用米なら、関係は無いのだけれど、自家用米のおすそわけと販売用の米が区別出来るような農家が少ないような気がする。不味いと拙いが農家ですら区別出来ないとしたら、消費者には理解されなくて当たり前。
明日から9月。8月中の「新米」は難しいと思った。そして、それなりに課題は山積み。いよいよ「新米」のシーズン。頑張らないといけない。
明日の天気次第で、今年の稲刈りをスタートすることにしたいと思うが・・・天気というより気分次第かもれない。いよいよ我が家の米は底をつきつつあるので、秋の味覚の一押しは「新米」ということになる。種類もそれなりに作って来たから、何度も新米を味わえそう。詳しくは、その都度書いて行くつもり。稲を刈って、はぜかけをして、乾燥させて、脱穀して、籾摺りして、玄米状態で検査を受けて、白米に精米して、やっと「新米」として食するわけだが、それこそ天気次第で、気分次第。我が家の自家用なら、天日干しの乾燥期間を少なくして、検査を受けずに籾から精米して、それなりの味覚ということも考えられる。まぁコンバインで刈り取る場合、稲刈りと脱穀を同時進行して、その後乾燥機などで乾燥させて、籾摺り、検査、精米と言う流れになる。
予定より10日ほど遅れてしまったけれど、最近の天候では仕方ない。はぜかけは、途中までで日が暮れてしまった。まだ、わずかしか刈っていないが、一応、8月中に稲刈りを始めることは出来た。一番問題だと思っていた田んぼから刈り始めたけれど、それなりにぬかることもなく順調なスタートが切れたと思う。
明日は、午後から雨になりそうだから、それなりに刈り終えたら、中断して、乾燥の作戦でも考えようかと思う。
昨年は、ゆめしなの・・・で書いたように、稲刈りが終わっても、乾燥に時間がかかってしまった。今年も、それなりの覚悟は必要だと思うけれど、水分計を駆使して乾燥方法を考えてみたいと思う。
新米を食べることが出来るのは、いつになるのかなぁ。
まぁ・・・販売する場合、検査を受けないで「新米」というのは、産年の表示に該当するから、表示出来ないことになっているのだけれど、ときどき、「未検査米」と「新米」が表示されているものを目にすることがある。「拙いと不味いは違うはず。」で書いた、拙い表示なのだが、「未検査米」の場合、産地・産年・品種に関する表示は、要注意なのだ。拙い表示を不味い米と一緒にされたのでは、「新米」の意味が無い。自家用米なら、関係は無いのだけれど、自家用米のおすそわけと販売用の米が区別出来るような農家が少ないような気がする。不味いと拙いが農家ですら区別出来ないとしたら、消費者には理解されなくて当たり前。
明日から9月。8月中の「新米」は難しいと思った。そして、それなりに課題は山積み。いよいよ「新米」のシーズン。頑張らないといけない。
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2014年08月30日
今年の米は豊作らしいが、備蓄米と過剰米もあって、米価は下がり気味の予感。豊作の方策を考えなければならないかも。明日の天気次第で、今年の稲刈りをスタートすることにしたいと思うが・・・天気というより気分次第かもれない。いよいよ我が家の米は底をつきつつあるので、秋の味覚の一押しは「新米」ということになる。種類もそれなりに作って来たから、何度も新米を味わえそう。詳しくは、その都度書いて行くつもり。
「苦労の報われない時代。」は変わりないけれど、今年の秋は、それなりに収穫の喜びを味わいたいと思う。
まぁ初めての田んぼもあって、順調に進むとは限らないが、なんとなく秋風を感じて、実りの秋を満喫してみようかな。
「苦労の報われない時代。」は変わりないけれど、今年の秋は、それなりに収穫の喜びを味わいたいと思う。
昔は良かった・・・などと言っているつもりは全くない。農業を取り巻く環境も、農法も、進化しているのだから仕方ないのだが、中小農家の体質は、環境や方法に適応しているとは言い難い。突然変異するわけがないのだから、順応するしか方法はないと思うのだが、環境の変化にも、農法の変遷にも、気づいていないのが現状だと思う。特記するならば、消費者の動向を敏感に察知して、生産者の立場から必要な情報を提供して、消費者のニーズに適応出来れば良いと思うのだが・・・難しい。マイマイガの大発生や猪の出没、異常気象などで、全くと言って良い程、農業収入が無い状況。米に関して言うと、温暖化の影響を考える必要があるのだが、対応し切れていない。去年は「あきだわら」という極晩生種を作ってみたが、はぜかけには向かないと思ったので、今年はやめた。来年に向けて、晩生種の再検討と極早生種の育苗や田植の時期を検討する必要がありそうだ。今年はそれなりの状況。
まぁ初めての田んぼもあって、順調に進むとは限らないが、なんとなく秋風を感じて、実りの秋を満喫してみようかな。
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2014年08月29日
何が気に入らないと言うのだろうか・・・母の機嫌が良くない。父が亡くなってから、それなりに母の御機嫌取りみたいなことを繰り返してきたが、僕としてはもう限界。
『ハウスプア』と言う言葉を、「血は争えない」で書いたけれど、『高齢者プア』という言葉を造りたい気分。収入源は半減以下なのに、生活の水準は以前より贅沢にも思える。接待交際費が経費で無くなったことや、生活用光熱費の増加、生活費・食費の勘違い・・・なと゛、高齢者だから仕方ないとは思えない状況。お墓の費用や、相続に費やした費用など、母には理解できているのだろうか。父との関係で交流があった方々とは、「金の切れ目が縁の切れ目」見たいな感じで、疎遠になっていることを、ある程度でも考えて欲しいのだが・・・。
家計簿もつけないまま、それなりの贅沢を続けて来た母に、我が家の経済状況をどのように説明したら良いのだろうか・・・。まして、消費税は8%。10%になることが理解できるのだろうか。
今年の新米の価格は安いらしい。最低な気分なのだが、間違っても贈答用の価値観が下がるようなことを口に出さないと良いのだが・・・手が回らない分、問題も多いのだが・・・粗品の解釈が、粗末なモノという解釈にならないとは限らない。平気で僕の悪口を口にするから、価値が下がる一方で・・・対策が無い状況。
亡くなった人より、生きている人が大切だと・・・そんなこと言えない。
今まで苦労して来たのだから・・・という言葉で、誤魔化されている感じがする。何が大切なのか・・・価値観が全くわからなくなっている。「これくらい当然」という感じで、僕としては限度ぎりぎりでやっているのに、贅沢というのか、それが当たり前なのか・・・僕には、母の我儘にしか見えない。独身だから、片身も狭いし・・・。
・・・メンテナンスが出来て無いんだよね・・・。
持家にしても、農地にしても、山林にしても、お墓にしても、仏壇にしても、財産らしい財産のメンテナンスが出来ていない。メンテナンスにはお金も必要なのだけれど・・・お金より後継者だと思う。その場限りのメンテナンスならば、新品を購入するのが手っ取り早いし、見た目も良いのかもしれないが、そう簡単に新品にするわけには行かない。財産の価値観にも因るのだけれど・・・。
リフォームやメンテナンスをしたところで、それを使う人がいなくなるとしたら、「宝の持ち腐れ」に「無駄金を使う」ことになってしまう。価値観が違うと、何のための生活なのかがわからなくなってしまう。今、必要なのは何??って感じで・・・僕自身もわけがわからなくなっている。自分自身のメンテナンスもろくに出来てない。
母の価値観・・・僕にとっては、ワーキング・プアなのだけれど、高齢者の我儘のために働いているとしたら最低・・・ひと昔前の中流意識で使い捨てが当たり前・・・では。困るのだけれど。。
『ハウスプア』と言う言葉を、「血は争えない」で書いたけれど、『高齢者プア』という言葉を造りたい気分。収入源は半減以下なのに、生活の水準は以前より贅沢にも思える。接待交際費が経費で無くなったことや、生活用光熱費の増加、生活費・食費の勘違い・・・なと゛、高齢者だから仕方ないとは思えない状況。お墓の費用や、相続に費やした費用など、母には理解できているのだろうか。父との関係で交流があった方々とは、「金の切れ目が縁の切れ目」見たいな感じで、疎遠になっていることを、ある程度でも考えて欲しいのだが・・・。
家計簿もつけないまま、それなりの贅沢を続けて来た母に、我が家の経済状況をどのように説明したら良いのだろうか・・・。まして、消費税は8%。10%になることが理解できるのだろうか。
今年の新米の価格は安いらしい。最低な気分なのだが、間違っても贈答用の価値観が下がるようなことを口に出さないと良いのだが・・・手が回らない分、問題も多いのだが・・・粗品の解釈が、粗末なモノという解釈にならないとは限らない。平気で僕の悪口を口にするから、価値が下がる一方で・・・対策が無い状況。
亡くなった人より、生きている人が大切だと・・・そんなこと言えない。
今まで苦労して来たのだから・・・という言葉で、誤魔化されている感じがする。何が大切なのか・・・価値観が全くわからなくなっている。「これくらい当然」という感じで、僕としては限度ぎりぎりでやっているのに、贅沢というのか、それが当たり前なのか・・・僕には、母の我儘にしか見えない。独身だから、片身も狭いし・・・。
・・・メンテナンスが出来て無いんだよね・・・。
持家にしても、農地にしても、山林にしても、お墓にしても、仏壇にしても、財産らしい財産のメンテナンスが出来ていない。メンテナンスにはお金も必要なのだけれど・・・お金より後継者だと思う。その場限りのメンテナンスならば、新品を購入するのが手っ取り早いし、見た目も良いのかもしれないが、そう簡単に新品にするわけには行かない。財産の価値観にも因るのだけれど・・・。
リフォームやメンテナンスをしたところで、それを使う人がいなくなるとしたら、「宝の持ち腐れ」に「無駄金を使う」ことになってしまう。価値観が違うと、何のための生活なのかがわからなくなってしまう。今、必要なのは何??って感じで・・・僕自身もわけがわからなくなっている。自分自身のメンテナンスもろくに出来てない。
母の価値観・・・僕にとっては、ワーキング・プアなのだけれど、高齢者の我儘のために働いているとしたら最低・・・ひと昔前の中流意識で使い捨てが当たり前・・・では。困るのだけれど。。
2014年08月28日
昨晩は、母の小言?愚痴?寝言?・・・が、うるさくて、ついつい挫折して、適当にブログを書き終えた。とにかく、なんとなく・・・まとまらないけれど・・・なのだった。
かと言って、まとめる気もなかった。夜になって母の文句が増えるのは、もううんざり。しかも、対応出来ないことを口走って、ひとりごとのふりをするから、聞いて聞かないふりをすることも出来ないのだが、自己嫌悪に陥るだけ・・・。本音を言うと、こんな母とは暮らしたくない。
昔話だけれど、恋人候補が出来た時、母が、嫌がらせともとれるような言動に出たことがあったけれど、あの時の気持ちに似て、どうしてこんなことを言ったりしたりするんだろうと・・・理解に苦しむ。最近、耳が遠くて、聞こえているのか、聞こえていないのか・・・下手に聞き直したりしたら、感情的な答えが返って来る。
高齢者を抱えたら、結婚なんて無理と書いたけれど、頭に「こんな」をつけるのを忘れた。「こんな高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」ということ。母がしていると思い込んでいる仕事が、僕にとっては邪魔になっているのだが、さすがに邪魔とは言えない。認知症では無いのだが、僕のやろうとしていることや考えていることを、説明しても理解できない。説明を繰り返しても、逆効果で頑固になるだけだから、説明をしなくて済むことは説明しないことにしたのだか、それがまた、気にくわない様子だ。
まぁ・・・仕方ないから・・・我慢しているだけ。自分が終わってしまいそうだけれど。。
かと言って、まとめる気もなかった。夜になって母の文句が増えるのは、もううんざり。しかも、対応出来ないことを口走って、ひとりごとのふりをするから、聞いて聞かないふりをすることも出来ないのだが、自己嫌悪に陥るだけ・・・。本音を言うと、こんな母とは暮らしたくない。
昔話だけれど、恋人候補が出来た時、母が、嫌がらせともとれるような言動に出たことがあったけれど、あの時の気持ちに似て、どうしてこんなことを言ったりしたりするんだろうと・・・理解に苦しむ。最近、耳が遠くて、聞こえているのか、聞こえていないのか・・・下手に聞き直したりしたら、感情的な答えが返って来る。
高齢者を抱えたら、結婚なんて無理と書いたけれど、頭に「こんな」をつけるのを忘れた。「こんな高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」ということ。母がしていると思い込んでいる仕事が、僕にとっては邪魔になっているのだが、さすがに邪魔とは言えない。認知症では無いのだが、僕のやろうとしていることや考えていることを、説明しても理解できない。説明を繰り返しても、逆効果で頑固になるだけだから、説明をしなくて済むことは説明しないことにしたのだか、それがまた、気にくわない様子だ。
まぁ・・・仕方ないから・・・我慢しているだけ。自分が終わってしまいそうだけれど。。
2014年08月27日
『煙草吸わないのに喫煙席に座る人に「なんで?」って聞いてみた』に、こんなことが書いてあった。
最初のテーマに戻るようだけれど、マジョリティの立場を逆利用するのは、どのようなものかと考えながら、マイノリティとして見られる偏見や差別の一面も考えても良いと思った。
なんとなく・・・まとまらないけれど・・・。
現在、日本人の喫煙率は20.7%(平成24年。厚生労働省国民健康栄養調査)と、およそ5人に1人にとどまります。こうした状況下だと、喫煙者はどうしてもマイノリティの立場で生きなくてはならないようです。僕は喫煙者だけれど、金銭的に吸えなくなるかもしれない。気になったのは、「マイノリティ」なのだが、「社会的少数者」とあった。
多くの場合、そのグループの一員であることによって社会的な偏見や差別の対象になったり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から損失を被ることを前提とした呼称であり、「社会的弱者」にも近い概念であるといえる。以前、このことに似たようなことを書いたこともあったけれど、:多数決の原理に則った矛盾のような、「農業なくして農政なし」のような、複雑な気持ちがした。
対義語はマジョリティまたは社会的多数派であり、これは多数派に位置する為には強い立場にいる集団を意味しており、統めて世論を形成しやすい群というふうにも言える。
多数派工作だけの政党に傾倒するのは、いささか危険に感じるのだが、世論調査とか独自集計とか、傾倒しざるおえない情報が多過ぎる。多数派工作と情報操作が交錯して、真意が見えない。棄権と言う選択肢を選ぶ理由もあるのだが、無効票としての選択もあると思った。民意を汲んでいるように見えても、現実は異なっていて、民意の反映はありえない。だから、何となく良い方を選ぶ。負けると思われる方を応援しない。これでいいのだろうか・・・情報操作に因る社会的優劣は、本来の姿と異なると思う。
学識経験者とか、関係者とか・・・不要な意見は聞かない方が良いと思う。当事者が望む方向に舵を取れば良いと思う。事業仕分けを考える時、農水省の事業に名を変えた農水関係者のための事業がかなりあると思っているけれど、「農政トライアングル」は農政には不要だと考えると補助金の仕分けが滅茶苦茶だった前政権を引き継いでもダメだと思う。抜け落ちた「中核農家」の穴埋めに、学識経験者とか、関係者とか・・・を入れたとしたら、自民党と同じ。。「農政なくして農業なし」じゃなくて「農業なくして農政なし」のはずだから、何が「バラマキ」だったのか、ハッキリ仕分けして欲しいと思った。銭が絡んだら、強い立場って何なのか・・・ますますわからなくなる。
最初のテーマに戻るようだけれど、マジョリティの立場を逆利用するのは、どのようなものかと考えながら、マイノリティとして見られる偏見や差別の一面も考えても良いと思った。
非喫煙者のみなさん、今後カフェなどの飲食店に入った際には、注意深く喫煙席のほうを見てみてください。そのガラガラっぷりに驚くかもしれません。『もちろん、席が混んでいる場合などはタバコを吸う方が優先的に座れるように配慮する必要があるでしょう。』とはあるけれど、喫煙者であっても、その状況に応じて禁煙していることもあるわけで・・・。
なんとなく・・・まとまらないけれど・・・。
2014年08月26日
「食糧自給論 序章」に、こんなことが書いてあった。
「平成25年度の食料自給率は、カロリーベースは前年度と同率で39%、生産額ベースは前年度から2ポイント減少し65%。」
農水省の「食料自給率の部屋」はあったけれど、なんとなく寂しくなったような気がした。
農業が報われないとか、農業に新規参入するのは難しいとか、「夢」も「希望」もない「根拠」のない話が多過ぎるのは、輸入に頼らなければならないという錯覚だと思う。農業が農作物を育てるのが仕事ではなくなって、銭を育てるような仕事になって行くとしたら、仕入れて販売した方が手っ取り早い。銭では食って行けるかもしれないが、銭そのものは食えない。農作物を育てるより銭で買った方が手っ取り早い。自給率を考えたら、国産を食べようだけで良いのだろうか・・・と、考えてしまう。将来的に、国産の食料が不足する事態にならないかシュミレーションする必要があるように思う。
異常気象に因る不作とか、高齢化・後継者不足に因る離農とか・・・悪い現実ばかりが目に付く。報われない農業とか、新規参入の失敗例とか・・・目に付きやすい情報になっているのは、輸入に頼って来た現実にも思えて来る。国産の食料が不足したら、輸入品を買えば良い・・・手っ取り早く言えばそうなってしまう。
「食料自給率」なんて・・・今更・・・だ・よ・ね。
株では食って行けるかもしれないが、株そのものは食えない。蕪そのものは食えるが、蕪では食って行けないかもしれない。食料自給率の意味も考えなければならないのだけれど、TPPも考慮に入れると、なんとなく忘れ去られた感じがする。
『総食糧100%−食糧自給率=食糧輸入率』と考えて良いのかは疑問だけれど、「食糧輸入率」と考え方を変えれば良いのかもしれない。
どこかに、「エネルギー資源の96%を輸入に頼っている日本で、食糧自給率などは殆ど意味が無い。」というコメントがあったけれど、輸入に頼っていることが問題だとしたら、輸入に規制をかければ良いことになる。輸入に関して、流れが完全に逆になっているような錯覚を感じる。昨日、「銭を育てるんじゃない! 後継者を育てるんじゃ!!」の中で、『現実の方が「夢」も「希望」もあるはずなのに、・・・』と書いてはみたものの、現実は厳し過ぎる。
「平成25年度の食料自給率は、カロリーベースは前年度と同率で39%、生産額ベースは前年度から2ポイント減少し65%。」
農水省の「食料自給率の部屋」はあったけれど、なんとなく寂しくなったような気がした。
農業が報われないとか、農業に新規参入するのは難しいとか、「夢」も「希望」もない「根拠」のない話が多過ぎるのは、輸入に頼らなければならないという錯覚だと思う。農業が農作物を育てるのが仕事ではなくなって、銭を育てるような仕事になって行くとしたら、仕入れて販売した方が手っ取り早い。銭では食って行けるかもしれないが、銭そのものは食えない。農作物を育てるより銭で買った方が手っ取り早い。自給率を考えたら、国産を食べようだけで良いのだろうか・・・と、考えてしまう。将来的に、国産の食料が不足する事態にならないかシュミレーションする必要があるように思う。
異常気象に因る不作とか、高齢化・後継者不足に因る離農とか・・・悪い現実ばかりが目に付く。報われない農業とか、新規参入の失敗例とか・・・目に付きやすい情報になっているのは、輸入に頼って来た現実にも思えて来る。国産の食料が不足したら、輸入品を買えば良い・・・手っ取り早く言えばそうなってしまう。
「食料自給率」なんて・・・今更・・・だ・よ・ね。
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2014年08月25日
数日前からブログの下のCMが気になっていた。実のところ、ゲームには興味が無い・・・と言うより、ゲームに熱を上げる暇は無い・・・って感じで無視するつもりだった。
「農園経営は農作物を育てるんじゃない! 銭を育てるんじゃ!!」
ファーミングシュミレーターってやっぱりゲームだった。銭を育てるという言葉が気に入らないけれど、経営になっていない農家から考えたら、経営という意味ではちょっと気になった。
「自由研究というより・・・」で書いた項目に、「経営的稲作」という項目が無かったから、あらためて経営的な研究も加えたくなった。
「銭」を育てるというより、「資産」を育てると考えた方が良いと思うのだが、その「資産」という考え方が違うと、農業経営でなくなってしまう。「銭」は、現金と考えて流動資産で、農作物も流動資産と考えることが出来る。これを固定資産化することによって、農業経営は安定して来た・・・と、僕は考える。逆に、固定資産を「銭」にしてしまうことは、離農または後継者の育たない農業になってしまうように思う。銭を育てるのなら、後継者を育てろ・・・って言いたくなる。まぁゲームの世界だから仕方ない。
自由研究として出来るのなら、「農業における資産活用」なんてテーマを考えてみたくなった。土地転がしの不動産業では農業じゃない。工業化して行く農業の中で、小さいながらも母なる大地を資産として、何をどのように作ったら良いかを考えるなんて・・・やってみたいけれど、途中で挫折を味わいそう。本当のシュミレーターがあれば、適正規模とか、適正作物とか、考えられるのに・・・。
過小評価と、過大宣伝の間で、農作物を育てても、農業は育たない。現実の方が「夢」も「希望」もあるはずなのに、ゲームの方が「夢」や「希望」に溢れている。趣味の園芸の方が良く見えるのは、そんな現実から逃避した結果にも思えて来る。
僕の場合、農地はあるのだけれど、それを有効活用する人がいない。自家消費も大切な部分ではあるのだが、換金作物としての収益が出る部分が見付けられない。農家として働き手が3人以上あれば、少し冒険しても良いと思いながら、その元になるものが無い。
同じように有効活用を考えた時、山林の存在も・・・。森林経営のシュミレーターがあれば、林業もあるのに・・・林業なんて考えたことは全くない。山が荒れて、野も荒れて、やがて、農地も荒れ果てる。
とにかく、
「銭を育てるんじゃない! 後継者を育てるんじゃ!!」
・・・って、考えて欲しい・・・なんちゃって・・・でした。
「農園経営は農作物を育てるんじゃない! 銭を育てるんじゃ!!」
ファーミングシュミレーターってやっぱりゲームだった。銭を育てるという言葉が気に入らないけれど、経営になっていない農家から考えたら、経営という意味ではちょっと気になった。
「自由研究というより・・・」で書いた項目に、「経営的稲作」という項目が無かったから、あらためて経営的な研究も加えたくなった。
「銭」を育てるというより、「資産」を育てると考えた方が良いと思うのだが、その「資産」という考え方が違うと、農業経営でなくなってしまう。「銭」は、現金と考えて流動資産で、農作物も流動資産と考えることが出来る。これを固定資産化することによって、農業経営は安定して来た・・・と、僕は考える。逆に、固定資産を「銭」にしてしまうことは、離農または後継者の育たない農業になってしまうように思う。銭を育てるのなら、後継者を育てろ・・・って言いたくなる。まぁゲームの世界だから仕方ない。
自由研究として出来るのなら、「農業における資産活用」なんてテーマを考えてみたくなった。土地転がしの不動産業では農業じゃない。工業化して行く農業の中で、小さいながらも母なる大地を資産として、何をどのように作ったら良いかを考えるなんて・・・やってみたいけれど、途中で挫折を味わいそう。本当のシュミレーターがあれば、適正規模とか、適正作物とか、考えられるのに・・・。
過小評価と、過大宣伝の間で、農作物を育てても、農業は育たない。現実の方が「夢」も「希望」もあるはずなのに、ゲームの方が「夢」や「希望」に溢れている。趣味の園芸の方が良く見えるのは、そんな現実から逃避した結果にも思えて来る。
僕の場合、農地はあるのだけれど、それを有効活用する人がいない。自家消費も大切な部分ではあるのだが、換金作物としての収益が出る部分が見付けられない。農家として働き手が3人以上あれば、少し冒険しても良いと思いながら、その元になるものが無い。
同じように有効活用を考えた時、山林の存在も・・・。森林経営のシュミレーターがあれば、林業もあるのに・・・林業なんて考えたことは全くない。山が荒れて、野も荒れて、やがて、農地も荒れ果てる。
とにかく、
「銭を育てるんじゃない! 後継者を育てるんじゃ!!」
・・・って、考えて欲しい・・・なんちゃって・・・でした。
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2014年08月24日
「ファミリーコンプレックス」なんてタイトルで書いたこともあった。
「親目線の理想の押し付け」について考えたら、自分では出来ないのに、・・・出来なくなったのに・・・ああしろ、こうしろと、口うるさい。畝間や株間をもっと広げれば機械化出来るのに、わざと機械が入らないように狭く作って、鎌や鍬を使うのが農業だと言いたげに、昔の苦労を正しい方法とばかりに説明する。母と同じような説明を毎日聞かされたら、農業後継者なんて育つわけがない。換金より接待交際に回ってしまう農産物の考え方も、理想の押し付けに近い気がする。僕としては、「粗品」が、本当に粗末だったら接待交際には使えないって?・・・そんな感じで、僕の方が我慢しているのに・・・。価値観が全く異なるから、言っても無駄だと諦めた。
「指導しすぎ」については、重複しているようなこともそうだけれど、「わかっている」という言葉が使えない。まるで、上げ足を取るために存在しているような感じで、草刈りより草むしりを推奨しているような・・・根っこまでむしっていたら、本来の仕事が出来ない・・・一緒に農業をする気にはなれない。鎌や鍬の持ち方から指導する必要があるのかどうか・・・どう見ても自己流だと思うことも押しつけられたりするし・・・昔と違うことをどう説明したら良いのか?。それとも、全く無視するしかないのか??
「親が自分自身を信頼しない」が一番の原因??「農業は儲からない」とか、「百姓は朝早くから夜遅くまで汗水流して働く」とか・・・そんなことを常識として考えていたら、農業自体が非常識な仕事になってしまう。儲かるように考えて、省力化もして、それなりに一生懸命やっているのに・・・。「不安」の考え方自体が違い過ぎる。僕としては、高齢者の不安については、年寄りだから仕方ないと片づけているつもり。こちらも上げ足を取るために・・・と思えるほど、不安や愚痴を四六時中聞かされていたら、本当に気が狂ってしまいそう。
農業外収入があるわけでないのに、贅沢な日常を理想として、能率や費用対効果を無視した指導法で、否定的な農業をしていてもつまらない。我儘で、贅沢な趣味の園芸を行うには、それなりの農業外収入が必要になる。趣味の園芸と経営的農業を同時進行するのは無理があって、それぞれのパーソナルな農地として割り切る必要があると思う。
老人性反抗期として書いたことが、古い3ちゃん農業からの学びだとしたら、それを教えることほどバカげたことはないと思った。
ハラスメントななのか、しつけなのか・・・教育なのか、いじめなのか・・・紙一重にも思えてしまう。福祉と差別の違いにも似て、「同情するなら 金をくれ」って感じ。家庭教育なんて言葉は、死語になってしまったのか???親の言うこと、年長者の言うことは、聞くのが当たり前だと考えたら、高齢化社会で書いた内容も僕のコンプレックスで片付けられてしまう。
高齢になると言うことを逆利用しているのかと・・・疑いたくなるほど、僕は束縛されてしまって、世間で言う自由とか、権利とか、平等とか、人権とか・・・母の前では通用しないような気がして来ている。耳が遠くなっているのは確かだけれど、認知症とかではないと思うから、僕の対応が悪いのかと・・・自己嫌悪に陥ってしまう。高齢化社会ってこんな感じなのか・・・。親としての我慢と、高齢者としての我慢、どちらも僕の母には我慢が出来ない。口にして欲しくない言葉を平気に口にする。
「親目線の理想の押し付け」について考えたら、自分では出来ないのに、・・・出来なくなったのに・・・ああしろ、こうしろと、口うるさい。畝間や株間をもっと広げれば機械化出来るのに、わざと機械が入らないように狭く作って、鎌や鍬を使うのが農業だと言いたげに、昔の苦労を正しい方法とばかりに説明する。母と同じような説明を毎日聞かされたら、農業後継者なんて育つわけがない。換金より接待交際に回ってしまう農産物の考え方も、理想の押し付けに近い気がする。僕としては、「粗品」が、本当に粗末だったら接待交際には使えないって?・・・そんな感じで、僕の方が我慢しているのに・・・。価値観が全く異なるから、言っても無駄だと諦めた。
「指導しすぎ」については、重複しているようなこともそうだけれど、「わかっている」という言葉が使えない。まるで、上げ足を取るために存在しているような感じで、草刈りより草むしりを推奨しているような・・・根っこまでむしっていたら、本来の仕事が出来ない・・・一緒に農業をする気にはなれない。鎌や鍬の持ち方から指導する必要があるのかどうか・・・どう見ても自己流だと思うことも押しつけられたりするし・・・昔と違うことをどう説明したら良いのか?。それとも、全く無視するしかないのか??
「親が自分自身を信頼しない」が一番の原因??「農業は儲からない」とか、「百姓は朝早くから夜遅くまで汗水流して働く」とか・・・そんなことを常識として考えていたら、農業自体が非常識な仕事になってしまう。儲かるように考えて、省力化もして、それなりに一生懸命やっているのに・・・。「不安」の考え方自体が違い過ぎる。僕としては、高齢者の不安については、年寄りだから仕方ないと片づけているつもり。こちらも上げ足を取るために・・・と思えるほど、不安や愚痴を四六時中聞かされていたら、本当に気が狂ってしまいそう。
農業外収入があるわけでないのに、贅沢な日常を理想として、能率や費用対効果を無視した指導法で、否定的な農業をしていてもつまらない。我儘で、贅沢な趣味の園芸を行うには、それなりの農業外収入が必要になる。趣味の園芸と経営的農業を同時進行するのは無理があって、それぞれのパーソナルな農地として割り切る必要があると思う。
老人性反抗期として書いたことが、古い3ちゃん農業からの学びだとしたら、それを教えることほどバカげたことはないと思った。
高齢化社会の常識を考えたら、「夢」も「希望」も非常識なのかもしれない。過常識で考えれば、若者や後継者に対する考え方も変ると思った。戦時中の「夢」や「希望」は、常識で考えられなかったと思う。現在はどうなのか??戦後の高度成長を支えた自信というのであるのなら、その後の失われた世代を、「夢」や「希望」でフォローして欲しかった。愚者は教えたがり、賢者は学びたがるではないが、「老人は教えたがり、若者は学びたがる」って感じがする。
『「強い日本」を取り戻す戦い』より、『「弱い日本」を見直す幸せ』が必要だと考えてみた。緊張感よりリラックスして、進んで行くより立ち止まって、そう考えると、長く厳しい道のりなんて必要なくなる。「賢くなる」には、上から目線じゃ無理だと思った。強い老人が取り戻す戦いをしようとしたら、反抗と思われても仕方が無い。弱い若者が幸せを見直す余裕が無い時代に、本当の学びを得ることは難しいと思う。個々のコンプレックスを助長させるような教えはいらない。パーソナルコンプレックスが普及することは、良いことではないはず。
2014年08月23日
「夏休みの自由研究、今の自分がやるとしたら? 」ってネタ。現実問題として、研究してまとめたいことは「米作り」ですが、どのような切り口で考えるかが問題。生物学的な「稲の研究」というより、「米」自体をどのように作ったら、より美味しく、付加価値としての魅力が追加できるかって感じて、育苗方法を比較したり、肥料や農薬で比較してみたり、田植の時期を約半月ほどずしてみたり、水管理を変えてみたり、収穫方法を変えてみたり、乾燥方法を比較したり、保存方法を比較したり・・・品種も当然影響するから、栽培方法によって同じ米が無い状態で、食味値なども加味して、食べ比べるというより、売れ具合を考えてみる。消費者の動向調査みたいな感じにもなるけれど、歴史的な表現も加味して、田んぼの状況もPRに加えられたらより良いとおもうけれど、切り口が多過ぎたら、逆に消費者に飽きられそう。
何が消費者に受け入れられて、何が消費者に拒否されるか・・・。
紛らわしい表現という曖昧な売り方では、偏った客層にしか受け入れられてないように思う。おそらく、法的根拠に因る米の表示方法の制約もあるから、農家の立場だけでは難しいと思う。まぁそれなりに勉強はしているつもりだけれど。
無農薬であっても、無農薬栽培と認められなければ、無農薬と表示出来ないように、実際にこう作りましたと書けない場合もあると思う。無知なまま、「無農薬で作りました」なんて書いたら、無能役にされてしまう。能ある鷹は爪を隠す・・・とは、ちょっと違うけれど、うるさいくらいの栽培履歴をいかに隠して、なるべく単純に表現するか・・・ある意味、事実であっても書けない事実をどう表現するか・・・だと思う。検査機関に因る米穀検査の研究がまずスタートになるのかなぁ。
天候にに因る変化とか、目に見えない労力とか・・・データをどのように表現するかを考えた時、今までマイナス要素だったものが、プラスに転じるかもしれない。まぁ、今年は、様々なデータ管理を考えてデータを分析する方向に至ってない。気象情報や、他の生産地の情報、データを残すことが十分でなかったから、改めて反省。。数字の分析によるデータ比較も大切な課題になるように思う。
母の考える「米」と、僕が作りたい「米」の間に隔たりがあるよう、消費者の立場から見た「米作り」と生産者の「米作り」は異なると思う。流通、価格の変化なども、研究課題になりそう。米の分析と一口に言っても、様々な切り口が存在する。例えば、日本人の「米」と、諸外国の米の違いなども研究材料になる。
草刈りで忙しいから、そんな大きな研究テーマは出せないけれど。
何が消費者に受け入れられて、何が消費者に拒否されるか・・・。
紛らわしい表現という曖昧な売り方では、偏った客層にしか受け入れられてないように思う。おそらく、法的根拠に因る米の表示方法の制約もあるから、農家の立場だけでは難しいと思う。まぁそれなりに勉強はしているつもりだけれど。
無農薬であっても、無農薬栽培と認められなければ、無農薬と表示出来ないように、実際にこう作りましたと書けない場合もあると思う。無知なまま、「無農薬で作りました」なんて書いたら、無能役にされてしまう。能ある鷹は爪を隠す・・・とは、ちょっと違うけれど、うるさいくらいの栽培履歴をいかに隠して、なるべく単純に表現するか・・・ある意味、事実であっても書けない事実をどう表現するか・・・だと思う。検査機関に因る米穀検査の研究がまずスタートになるのかなぁ。
天候にに因る変化とか、目に見えない労力とか・・・データをどのように表現するかを考えた時、今までマイナス要素だったものが、プラスに転じるかもしれない。まぁ、今年は、様々なデータ管理を考えてデータを分析する方向に至ってない。気象情報や、他の生産地の情報、データを残すことが十分でなかったから、改めて反省。。数字の分析によるデータ比較も大切な課題になるように思う。
母の考える「米」と、僕が作りたい「米」の間に隔たりがあるよう、消費者の立場から見た「米作り」と生産者の「米作り」は異なると思う。流通、価格の変化なども、研究課題になりそう。米の分析と一口に言っても、様々な切り口が存在する。例えば、日本人の「米」と、諸外国の米の違いなども研究材料になる。
草刈りで忙しいから、そんな大きな研究テーマは出せないけれど。
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2014年08月22日
「出荷予報?」と「そろそろタイミング」で「ゆめしなの」の稲刈りを計画し始めたのだけれど、ここ数日思ったより進んでいない。僕の準備も進んでいないのだが、稲穂も進んでいない。
広島市で、豪雨による災害が発生して3日が過ぎようとしている。高気圧と寒気の位置が関係しているらしいのだが、残暑というより、真夏が終わらないと言った感じの中で、上空の寒気・・・急激な気象の変化に稲穂もついて行けないらしい。今までの夕立と違う雷雨で、水管理をどうしたら良いのかわからない・・・高温障害の心配より、異常気象の方が心配。
というわけで、約1週間の延期。
まぁ1週間ほど田植も遅かったから、1週間延びても不思議は無い。来年は、1週間ほど早く田植を計画したいと思った。夏の異常気象はいつまで続くのかがポイントなのだけれど、9月から10月にかけてが、ものすごく忙しくなりそう。乾燥機の手配も考慮に入れて、これからの稲作を考え直す必要がある。単純に時差収穫の出来るわけではないと痛感して、予定は未定の農業がこれから先も続くのかと思うと、計画の甘さを感じてしまった。
今日は、雨は降らなかった。そのかわり、ものすごい暑さで、予定をこなせなかったけれど、稲刈りの延期宣言で、少しは余裕が出来たような・・・何が起きるかわからないこの夏に、余裕なんて感じていられないのだが・・・秋に集中する以前の姿に逆戻りしたような・・・無事に秋を迎えられることを考えた方が良さそう・・・いろいろな意味で、備えをしなければならないと思う。
草刈りに毎日が過ぎているのだけれど、それにしても雑草だけは良く伸びる。きゅうりも、トマトも、ゆうがおも、とうもろこしも、なんとなく終わってしまった感じなやのだけれど・・・計画が甘かったことは、否めない。
広島市で、豪雨による災害が発生して3日が過ぎようとしている。高気圧と寒気の位置が関係しているらしいのだが、残暑というより、真夏が終わらないと言った感じの中で、上空の寒気・・・急激な気象の変化に稲穂もついて行けないらしい。今までの夕立と違う雷雨で、水管理をどうしたら良いのかわからない・・・高温障害の心配より、異常気象の方が心配。
というわけで、約1週間の延期。
まぁ1週間ほど田植も遅かったから、1週間延びても不思議は無い。来年は、1週間ほど早く田植を計画したいと思った。夏の異常気象はいつまで続くのかがポイントなのだけれど、9月から10月にかけてが、ものすごく忙しくなりそう。乾燥機の手配も考慮に入れて、これからの稲作を考え直す必要がある。単純に時差収穫の出来るわけではないと痛感して、予定は未定の農業がこれから先も続くのかと思うと、計画の甘さを感じてしまった。
今日は、雨は降らなかった。そのかわり、ものすごい暑さで、予定をこなせなかったけれど、稲刈りの延期宣言で、少しは余裕が出来たような・・・何が起きるかわからないこの夏に、余裕なんて感じていられないのだが・・・秋に集中する以前の姿に逆戻りしたような・・・無事に秋を迎えられることを考えた方が良さそう・・・いろいろな意味で、備えをしなければならないと思う。
草刈りに毎日が過ぎているのだけれど、それにしても雑草だけは良く伸びる。きゅうりも、トマトも、ゆうがおも、とうもろこしも、なんとなく終わってしまった感じなやのだけれど・・・計画が甘かったことは、否めない。
2014年08月21日
去年の「稲刈り始めましたって・・・書けない。」は、22日だった。昨年、結局、稲刈りを始めたのは26日。今年も、同じくらいになるのかなぁ。
今日は、籾摺り技術者の講習会があった。
全国的に、生産者米価は下がる傾向にあるらしい。消費税の増税分ぐらい上がっても良いと思いながら、備蓄米と消費の傾向を考えたら、下がっても仕方ないのかもしれない。生産過剰と考える人もいるが、一般的な「米」として考えるのではなく、消費者が望む米作りと考えたら、生産過剰と言ってしまうのは何も考えないと同じだと思う。
また、生産者米価が下がるから消費者に届く米も安くなると考えるのも安易過ぎる。豊作貧乏に対応する方策の無かった頃と同じに考える農家も少なくないのだが・・・全国的に豊作だから、お安く提供しますと考えるより、生産計画の段階で、どのように価格を設定して、どのような区分別けをして、どのような付加価値をつけるかが、ポイントになると思う。お安く提供できる米もあれば、価格を変えることが出来ない米もあると考えたら、豊作貧乏に振り回されることはないと思う。
問題なのは、縁故米や贈答米かもしれない。豊作だからと農家が配りまくったら、消費傾向とリンクして、貰い物で半年は食いつなげるということになり、新たな消費拡大には繋がらない。特別に美味しい米なら別だが、それなりのお米の大量生産の場合、縁故米や贈答米に「未検査米」が多いこともあって、つまらない叩き合いをして、結局、消費が控えられたりしてしまう・・・そんな可能性もあると思った。
「新米」だから美味しい・・・という解釈が、単純に宣伝文句になってしまって、「古米」の消費は落ちてしまう。新米の内に無償配布をしたい気持ちはわからないでもないが、ただの新米と、割高な古米のどっちを食べるかと考えた時、「もったいないからとっておく」ということになってしまう気がする。米の消費期限・賞味期限が、年産に因って異なるわけではないし、「新米」と「古米」の違いがわかる人がいたとしても、さまざまな条件に因って、一概に「新米」だから美味しいと断言することは難しい。
今年も、高温障害が発生してもおかしくない。病害虫の発生も、「異常気象」の下、まだまだ油断できない。「早生」が美味しい年もあれば、「晩生」が美味しい年もあると考える。どのようなタイミングで収穫するのかも大切だと思うし・・・。
そろそろタイミングなんだよね。早生は・・・。
今日は、籾摺り技術者の講習会があった。
全国的に、生産者米価は下がる傾向にあるらしい。消費税の増税分ぐらい上がっても良いと思いながら、備蓄米と消費の傾向を考えたら、下がっても仕方ないのかもしれない。生産過剰と考える人もいるが、一般的な「米」として考えるのではなく、消費者が望む米作りと考えたら、生産過剰と言ってしまうのは何も考えないと同じだと思う。
また、生産者米価が下がるから消費者に届く米も安くなると考えるのも安易過ぎる。豊作貧乏に対応する方策の無かった頃と同じに考える農家も少なくないのだが・・・全国的に豊作だから、お安く提供しますと考えるより、生産計画の段階で、どのように価格を設定して、どのような区分別けをして、どのような付加価値をつけるかが、ポイントになると思う。お安く提供できる米もあれば、価格を変えることが出来ない米もあると考えたら、豊作貧乏に振り回されることはないと思う。
問題なのは、縁故米や贈答米かもしれない。豊作だからと農家が配りまくったら、消費傾向とリンクして、貰い物で半年は食いつなげるということになり、新たな消費拡大には繋がらない。特別に美味しい米なら別だが、それなりのお米の大量生産の場合、縁故米や贈答米に「未検査米」が多いこともあって、つまらない叩き合いをして、結局、消費が控えられたりしてしまう・・・そんな可能性もあると思った。
「新米」だから美味しい・・・という解釈が、単純に宣伝文句になってしまって、「古米」の消費は落ちてしまう。新米の内に無償配布をしたい気持ちはわからないでもないが、ただの新米と、割高な古米のどっちを食べるかと考えた時、「もったいないからとっておく」ということになってしまう気がする。米の消費期限・賞味期限が、年産に因って異なるわけではないし、「新米」と「古米」の違いがわかる人がいたとしても、さまざまな条件に因って、一概に「新米」だから美味しいと断言することは難しい。
今年も、高温障害が発生してもおかしくない。病害虫の発生も、「異常気象」の下、まだまだ油断できない。「早生」が美味しい年もあれば、「晩生」が美味しい年もあると考える。どのようなタイミングで収穫するのかも大切だと思うし・・・。
そろそろタイミングなんだよね。早生は・・・。
2014年08月20日
2014年08月19日
5年ほど前に、諦めた方が良いのかもと書いた。
そして、昨日は、「諦めます。」と書いた。
母の行動が、ますますわからなくて、母と一緒にいることが、ものすごく孤独に感じて、それなのに母の言動に一喜一憂してしまう。理解してくれる人がいないのは、母も僕も同じなのかもしれない。「高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」と書いてみたけれど、問題は、高齢者との関わり方なのかもしれない。
高度成長期に、一緒に成長出来なかった・・・と考えてみたら、昔が良かった的な発想を否定するわけにはいかない。「我田引水が出来ない。」でこんな風に綴っていた。
農業を悲観的に考えたら、ワーキングプアが当たり前かもしれない。人一倍の努力が必要だと思いながら、人並みの成果も残せない・・・評価が流通経路で遮断されていた時代に、自分自身の過剰評価と、周囲や相手の過小評価で、努力が実った実感を味わっていないと思うし・・・。
この歳になっても、「ついしてしまう過剰な干渉…子供の個性をつぶさないために親が我慢すべき3つのコト」という記事に頷いてしまう僕。いや、母は歳を重ねるほどに、過剰な干渉が増えて来ている。個性も愚か、自立さえ阻害されているように思えてならない。その辺りは、後日書くとして・・・。
高齢になると言うことを逆利用しているのかと・・・疑いたくなるほど、僕は束縛されてしまって、世間で言う自由とか、権利とか、平等とか、人権とか・・・母の前では通用しないような気がして来ている。耳が遠くなっているのは確かだけれど、認知症とかではないと思うから、僕の対応が悪いのかと・・・自己嫌悪に陥ってしまう。高齢化社会ってこんな感じなのか・・・。
そして、昨日は、「諦めます。」と書いた。
母の行動が、ますますわからなくて、母と一緒にいることが、ものすごく孤独に感じて、それなのに母の言動に一喜一憂してしまう。理解してくれる人がいないのは、母も僕も同じなのかもしれない。「高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」と書いてみたけれど、問題は、高齢者との関わり方なのかもしれない。
高度成長期に、一緒に成長出来なかった・・・と考えてみたら、昔が良かった的な発想を否定するわけにはいかない。「我田引水が出来ない。」でこんな風に綴っていた。
自分の価値観を知り、相手の価値観を知り、望むものを分かち合えるような世の中・・・金銭的に計算できないのでは??金銭感覚が、主婦であり、農業従事者でありながら、価値観として見いだせない時代に、急成長する周囲を無視して、固定観念だけの価値観を守り通して来たのかもしれない。
農業を悲観的に考えたら、ワーキングプアが当たり前かもしれない。人一倍の努力が必要だと思いながら、人並みの成果も残せない・・・評価が流通経路で遮断されていた時代に、自分自身の過剰評価と、周囲や相手の過小評価で、努力が実った実感を味わっていないと思うし・・・。
この歳になっても、「ついしてしまう過剰な干渉…子供の個性をつぶさないために親が我慢すべき3つのコト」という記事に頷いてしまう僕。いや、母は歳を重ねるほどに、過剰な干渉が増えて来ている。個性も愚か、自立さえ阻害されているように思えてならない。その辺りは、後日書くとして・・・。
高齢になると言うことを逆利用しているのかと・・・疑いたくなるほど、僕は束縛されてしまって、世間で言う自由とか、権利とか、平等とか、人権とか・・・母の前では通用しないような気がして来ている。耳が遠くなっているのは確かだけれど、認知症とかではないと思うから、僕の対応が悪いのかと・・・自己嫌悪に陥ってしまう。高齢化社会ってこんな感じなのか・・・。
2014年08月17日
20日に、紫蘇を収穫、出荷の予定。出荷予報?で書いたように、明日辺り、「ゆめしなの」の稲刈りの予定が決まりそう。
な・の・に・・・。。
今日は雨。朝5時に雨は降っていなかったから、紫蘇の畑に行ってみた。一部に倒伏を見付けて、支柱を立てて応急処置。雨が激しくなって、一段と倒伏が進んだようにも思えて・・・9時までかけて、対応した。それから、雨降り。
田んぼも水浸しで、対応しなければ稲刈りにならない。そして、また雑草が伸びたようにも思えた。やることは山積み。体は一つ。
お盆の片付けもあって、盆明けの初日から、それなりに忙しい一日だったけれど・・・なんとなく、中途半端。
疲れてしまった感じで・・・早めに床につくことにする。。
な・の・に・・・。。
今日は雨。朝5時に雨は降っていなかったから、紫蘇の畑に行ってみた。一部に倒伏を見付けて、支柱を立てて応急処置。雨が激しくなって、一段と倒伏が進んだようにも思えて・・・9時までかけて、対応した。それから、雨降り。
田んぼも水浸しで、対応しなければ稲刈りにならない。そして、また雑草が伸びたようにも思えた。やることは山積み。体は一つ。
お盆の片付けもあって、盆明けの初日から、それなりに忙しい一日だったけれど・・・なんとなく、中途半端。
疲れてしまった感じで・・・早めに床につくことにする。。
2014年08月16日
『「観天望気」って何??』って感じで調べてみた。この季節、この辺の例として考えられるのが「飯綱山に逆さ雲がかかったらやがて雨」とか、「飯綱山の雲が消えたら晴れる」とか、「三登山から来た雷雨は激しい」とか・・・そんな感じかなぁ。「夕焼けの次の日は晴れ」などは、ある程度の確率で当たっている気がするけれど、最近の異常気象の中で、前振りのない雨とか、予想外の天気とか、信じて良いのかわからなくなっている。「ミンミンゼミが鳴いたら暑くなる」と考えても、一度鳴いて聞こえなくなったり、「ヒグラシが鳴いたら涼しくなる」と思っても、すぐに夕立が来たりでは意味が無い。
「カマキリの巣が高いところに作られると雪が多い」というのはある程度目安にしていたが、軒下や小屋の中に巣を作るカマキリが増えて来ているような気もするから、あくまで目安って感じ。
去年、「稲刈り始めましたって・・・書けない。」と書いたのが、8月22日。今年も「ゆめしなの」の稲刈りが迫ってきた・・・と感じている。拙いと不味いは違うはず。で書いたように、最初は「未検査米」として出荷する予定。
今日、送り盆を済ませて、一日ほとんど雨だったことを考えると、田んぼの状態が良好というわけにはいかないと思うし、逆に急激に気温が上昇したりしたら、高温障害の心配もしなければならない。早生米の高温障害は、今のところ出ていないとおもうけれど、その分作業能率に影響が出るかもしれないと思う。早くても新米として出せるのは、今月末になるかもしれない。
さて、その新米なのだが、「未検査米」では「新米」としての表示が出来ないことになっている。「新米」で、「ゆめしなの」という銘柄で、僕としては産地もわかっているのだけれど、「未検査米」として出荷する場合、産年、品種、産地の表示は出来ないことになっているからだ。矛盾と考えるか、当然として考えるか、「新米」として扱えない新米が、「新米」表示の新米より先に、店頭に並ぶことは確かなのだけれど・・・。
ある意味、出荷予報みたいなものと考えてもらえば良いのかな??
自分で作れば良いと言いたくなるでは、次のように書いた。
僕としては、自家消費分の縁故米の自主融通米・・・自主流通米では無い・・・が問題であるのだが、永年続いた食糧管理制度が産んだ副産物が、検査と言う壁を勝手に作ってしまった気もする。縁故米の融通は、どう考えるべきなのか、参考になる意見が欲しいところだ。
いよいよ、稲刈りが目の前に・・・迫っているのに。
「カマキリの巣が高いところに作られると雪が多い」というのはある程度目安にしていたが、軒下や小屋の中に巣を作るカマキリが増えて来ているような気もするから、あくまで目安って感じ。
去年、「稲刈り始めましたって・・・書けない。」と書いたのが、8月22日。今年も「ゆめしなの」の稲刈りが迫ってきた・・・と感じている。拙いと不味いは違うはず。で書いたように、最初は「未検査米」として出荷する予定。
そんな意味からも、「未検査米」は、不味いのではなく、拙いということだと考えている。お米を大量に使う事業者を考えてみた場合、検査費用や流通経費分だけでも安い方が・・・と考えるのではないだろうか?農家から直接購入をするため、「未検査米」ということもありえるということ。ここに落とし穴があって、大量にそれなりの価格で取引がなされるわけだから、その手段を持たない農家は面白くないことは確かだ。お米としての表示が無くても、美味しいご飯として認められれば、直接取引が一番良いと考えても良いだろう。検査や流通を経ないで早く出荷したい・・・と思うが、お天気次第。
今日、送り盆を済ませて、一日ほとんど雨だったことを考えると、田んぼの状態が良好というわけにはいかないと思うし、逆に急激に気温が上昇したりしたら、高温障害の心配もしなければならない。早生米の高温障害は、今のところ出ていないとおもうけれど、その分作業能率に影響が出るかもしれないと思う。早くても新米として出せるのは、今月末になるかもしれない。
さて、その新米なのだが、「未検査米」では「新米」としての表示が出来ないことになっている。「新米」で、「ゆめしなの」という銘柄で、僕としては産地もわかっているのだけれど、「未検査米」として出荷する場合、産年、品種、産地の表示は出来ないことになっているからだ。矛盾と考えるか、当然として考えるか、「新米」として扱えない新米が、「新米」表示の新米より先に、店頭に並ぶことは確かなのだけれど・・・。
ある意味、出荷予報みたいなものと考えてもらえば良いのかな??
自分で作れば良いと言いたくなるでは、次のように書いた。
農水省の制度とシステムに問題があると言いたくなる。でも、出荷者としては、それを言ったら終わる。こちらも信用問題だと思う。3ちゃん農業に誇りなんてあるわけがないと思いながら、アンバランスな農業が伝えたいことを伝えられない形式を作ってしまったのかもしれない。伝えることが出来なければ、信用問題以前の問題なのに、問題として考えなかった生産者にも、知らないままだった消費者にも問題がある。
僕としては、自家消費分の縁故米の自主融通米・・・自主流通米では無い・・・が問題であるのだが、永年続いた食糧管理制度が産んだ副産物が、検査と言う壁を勝手に作ってしまった気もする。縁故米の融通は、どう考えるべきなのか、参考になる意見が欲しいところだ。
いよいよ、稲刈りが目の前に・・・迫っているのに。
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2014年08月15日
「一句、詠んでみました」で触れた良妻賢母の心得だが・・・、『「おにぎりマネージャー」の生きる道』を読むと、日本の現実を考える必要を感じた。元記事は「春日部共栄 おにぎり作り“女神”マネ」なのだが、どうして『「おにぎりマネージャー」なくし女性差別解消へが国際基準 - 女子マネはアメリカでは違法 』まで引き摺ってしまうのか・・・と、残念に思った。
『「おにぎりマネージャー」・・・-・・・アメリカでは違法 』を読むと、なんの問題のないことまで問題視しようとする悪意に似た意図が隠れている。「男女共同参画社会に関する国際比較調査」を例にしたから悪かったのか、それとも日本独自の文化としての考え方が欠如しているのか、共同参画社会について疑いたくなる書き方だった。先進国と同じだと思えば思うほど、日本の本来の姿から遠のくような気がしてならない。
先進国の平均値になることが目的だとしたら、いくつかの場面で、日本らしい日本のあり方を否定しなければならない。欧米に追い付け、欧米を追い越せ・・・といった国際比較は、日本の原点を忘れているのではないかと思う。昨日、「高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」とタイトルをつけたけれど、前に「先進的」とつけた方が良いのかもと考えた。高齢者の中には、欧米化ということに違和感を抱きながら、ナショナリズムの解釈の変化に戸惑いながら、理解出来ない社会に流されている人もいるような気がする。「男女共同参画社会」について、全てが同じでなければならないと言う極論が目に付く。出来ることから始めようで良いと思うのだが・・・日本を捨ててまでも、欧米化する必要は無いと思う。
少子高齢化の進んだ集落では、社会参画さえままならない高齢者がいると聞く。男女の差別を考えないのなら、この際、「共同参画社会」でも良いと思う。出来ることから始めよう・・・と、考える方が先だと思う。本来の地域性を失った地域に、「男女共同参画社会」より大切なことがあるはず。ひとり暮らしや後継者不足から、家庭が崩壊して、地域が崩壊して、やがて、日本も崩壊してしまう??
あらためるモノを間違えたら、根本的になくなってしまう可能性のあるモノもある。根本的なことを考えたら、あたらめる必要のないモノは、あらためない方が良いと・・・僕は思う。
『「おにぎりマネージャー」・・・-・・・アメリカでは違法 』を読むと、なんの問題のないことまで問題視しようとする悪意に似た意図が隠れている。「男女共同参画社会に関する国際比較調査」を例にしたから悪かったのか、それとも日本独自の文化としての考え方が欠如しているのか、共同参画社会について疑いたくなる書き方だった。先進国と同じだと思えば思うほど、日本の本来の姿から遠のくような気がしてならない。
以上、見てきたように、政府の国際比較においても女性差別をなくすためには「性別役割分担の固定化」をあらためることが重要だということですから、「学校教育の場」において「性別役割分担の固定化」を助長するような「おにぎりマネージャー」の件はあらためるべき対象だということになります。結局、こういうことが日本社会においてあらためるべき対象とされないから、・・・あらためることに因って、高校野球の「女子マネージャー」のベンチ入りが出来なくなって、逆に性別役割分担の固定化は助長されるのではないだろうか??
先進国の平均値になることが目的だとしたら、いくつかの場面で、日本らしい日本のあり方を否定しなければならない。欧米に追い付け、欧米を追い越せ・・・といった国際比較は、日本の原点を忘れているのではないかと思う。昨日、「高齢者を抱えたら、結婚なんて無理」とタイトルをつけたけれど、前に「先進的」とつけた方が良いのかもと考えた。高齢者の中には、欧米化ということに違和感を抱きながら、ナショナリズムの解釈の変化に戸惑いながら、理解出来ない社会に流されている人もいるような気がする。「男女共同参画社会」について、全てが同じでなければならないと言う極論が目に付く。出来ることから始めようで良いと思うのだが・・・日本を捨ててまでも、欧米化する必要は無いと思う。
少子高齢化の進んだ集落では、社会参画さえままならない高齢者がいると聞く。男女の差別を考えないのなら、この際、「共同参画社会」でも良いと思う。出来ることから始めよう・・・と、考える方が先だと思う。本来の地域性を失った地域に、「男女共同参画社会」より大切なことがあるはず。ひとり暮らしや後継者不足から、家庭が崩壊して、地域が崩壊して、やがて、日本も崩壊してしまう??
あらためるモノを間違えたら、根本的になくなってしまう可能性のあるモノもある。根本的なことを考えたら、あたらめる必要のないモノは、あらためない方が良いと・・・僕は思う。
2014年08月14日
「結婚は諦めろと・・・」と書いてから、5年が過ぎた。相手を探す努力より、現状を維持するのが精一杯の日々、何も改善されていないばかりではなく、逆に状況が悪くなるばかりだ。
少子高齢化や女性の社会進出と言われるようになって、独身男性の立場はどんどん悪くなっているのではないだろうか。消費税が8%になって、収入が増える気配のない僕にとっては、「結婚」を考えるより、「いかにこの家を維持するか」が問題だ。社会情勢の変化を受け入れようとしない母を説得しながら、このまま母との暮らしを維持することを考えたら、結婚なんて考えられない。
サラリーマンが羨ましくなる時が増えたけれど、所有している農地を考えると、サラリーマンとして働きながら資産を有効利用する方法が見当たらない。財産としての考え方も、将来の計画も、母とは全く違うのはわかっているけれど、サラリーマンとして働くことが「良い選択」とは思えないのが現実。先祖代々の土地家屋のように財産を考えれば、修繕費や租税公課を払うために働くのかと錯覚してしまう。生活費を加算すると、財産の価値観が大きく違うことにため息が出る。そんな母を理解できるような女性を探すことは至難の業だと思うようになってしまった。
お盆の最中だけれど、今日は、畑の草刈りをした。ご先祖さん達は、僕の行動をどのように見ているのだろうか。
僕が結婚出来なければ、この家と土地の後継者はどうなるのか・・・
結婚しなくても、後継者を作る方法はあるのだろうが、現状を考えると、家と土地の維持費や以前のような接待交際費、諸会費、社会保障費などを考えたら、簡単に後継者など見つかるはずが無い。まして、母のような勘違い農業経費をどのように説明したら良いかもわからない。高齢者を抱えたら、結婚なんて無理・・・と言いたくなる。
見合い結婚の場合、諸条件のハードルが僕には高すぎて、見合いするのも時間とお金の無駄遣いに思えてしまうようになった。僕にとって、「良いお嬢さん」なんて存在しない・・・ような気がする。
恋愛結婚??今更・・・恋愛なんて・・・??
本当は、妻や子供が居たら・・・もっと一生懸命に仕事も出来るだろうし・・・生き甲斐として考えることも出来るだろうし・・・「命を削ってまでもお金に固執する必要があるのだろうか。」なんて考えることもないと思うのだが・・・お金より生活と言いたいのだが・・・目的意識喪失状態から解放される気がする。
ご先祖様・・・ごめんなさい。
こんな状況では、我が家は僕の代で終わりになる。僕は今、先祖代々の田畑も、山林も、荒地も、家屋も・・・何のために守っているのかわからなくなっている。家出や自殺なども含めて、単純な放棄は選択しないつもりだけれど、最悪のパターンも無いとは言えない。「結婚」より「現状維持」を選らぶしかない僕を救って下さい・・・と、祈るしかない。詫びても詫びきれない。。
少子高齢化や女性の社会進出と言われるようになって、独身男性の立場はどんどん悪くなっているのではないだろうか。消費税が8%になって、収入が増える気配のない僕にとっては、「結婚」を考えるより、「いかにこの家を維持するか」が問題だ。社会情勢の変化を受け入れようとしない母を説得しながら、このまま母との暮らしを維持することを考えたら、結婚なんて考えられない。
サラリーマンが羨ましくなる時が増えたけれど、所有している農地を考えると、サラリーマンとして働きながら資産を有効利用する方法が見当たらない。財産としての考え方も、将来の計画も、母とは全く違うのはわかっているけれど、サラリーマンとして働くことが「良い選択」とは思えないのが現実。先祖代々の土地家屋のように財産を考えれば、修繕費や租税公課を払うために働くのかと錯覚してしまう。生活費を加算すると、財産の価値観が大きく違うことにため息が出る。そんな母を理解できるような女性を探すことは至難の業だと思うようになってしまった。
お盆の最中だけれど、今日は、畑の草刈りをした。ご先祖さん達は、僕の行動をどのように見ているのだろうか。
僕が結婚出来なければ、この家と土地の後継者はどうなるのか・・・
結婚しなくても、後継者を作る方法はあるのだろうが、現状を考えると、家と土地の維持費や以前のような接待交際費、諸会費、社会保障費などを考えたら、簡単に後継者など見つかるはずが無い。まして、母のような勘違い農業経費をどのように説明したら良いかもわからない。高齢者を抱えたら、結婚なんて無理・・・と言いたくなる。
見合い結婚の場合、諸条件のハードルが僕には高すぎて、見合いするのも時間とお金の無駄遣いに思えてしまうようになった。僕にとって、「良いお嬢さん」なんて存在しない・・・ような気がする。
恋愛結婚??今更・・・恋愛なんて・・・??
本当は、妻や子供が居たら・・・もっと一生懸命に仕事も出来るだろうし・・・生き甲斐として考えることも出来るだろうし・・・「命を削ってまでもお金に固執する必要があるのだろうか。」なんて考えることもないと思うのだが・・・お金より生活と言いたいのだが・・・目的意識喪失状態から解放される気がする。
ご先祖様・・・ごめんなさい。
こんな状況では、我が家は僕の代で終わりになる。僕は今、先祖代々の田畑も、山林も、荒地も、家屋も・・・何のために守っているのかわからなくなっている。家出や自殺なども含めて、単純な放棄は選択しないつもりだけれど、最悪のパターンも無いとは言えない。「結婚」より「現状維持」を選らぶしかない僕を救って下さい・・・と、祈るしかない。詫びても詫びきれない。。
2014年08月13日
・・・今日は、迎え盆。先人たちは、どのような考えで農業をしてきたのだろう・・・本当に、ご先祖さんが来ているのなら、そのあたりの考え方を聞いてみたいものである。一年前、「今朝書けなかった。」で書いたこと。第二次世界大戦後の急速な変化を、ご先祖さんは理解できるのかも問題ではあるのだが・・・。
間違っても、自分だけ食えればいいなんて考えはないと思うが、将来性の有無を含めて聞いてみたいものだ。
個人農家の時代は終わるのか?では、生き甲斐についても触れていたが、職業とか、労働とか・・・仕事の価値観も大きく変化したと思う。
農家の補助金も変化し続けている。個人の農家に、補助金を支給しても、日本の農業のためにならないのが現実ではないだろうか。「○○御殿が建つ」ような時代は終わったと思う。農業者の生き甲斐って・・・よくわからない感じがする。職業を考えた時、「職業の三要素」を満たしているかがわからなくなっているような気がする。経済性(収入を得て、生計を支える事。)、社会性(社会の中での役割を担う事により、社会に貢献する事。)、個人性(自分個人の人生の目標や生きがいを充足させ、実りあるものにする事。)・・・理に合わない気がしてならない。
今日は、草刈り中心で、迎え盆の準備はその間を縫ってやるつもりだったが、どれもこれも中途半端で終わってしまった気がする。去年まではブルーベリーの収入と夏野菜などの収穫で、それなりに忙しかった。今年は、ブルーベリーの収入はほとんど無い。夏野菜などの収穫も、母との口論になるから、なんとなく避けている。とにかく、草が伸びる年・・・草刈りが忙しいけれど、その他を考えたら暇かもしれない。
「職業の三要素」については、また暇を見て書くことにして・・・。
それなりにくたくたなのに、心配事が多くて・・・眠れないと言うか、寝付けないと言うか・・・生活パターンまで変わってしまった感じ。夜更かしは、ほどほどにしておくことにする。
2014年08月12日
「ありがとう」の言えない行為に、無理矢理「ありがとう」を望むことは、・・・「矢理が問う」って感じで・・・ダメ出しされてもしかたないと思う。矢理が問うで書いたことなんだけれど、無理が問うでも、真理が問うでも・・・なんでも良かったような気がして・・・「理」を見てみたけれど、なんとなく、「道理」というより「理屈」に近い気がして・・・「盗人にも三分の理」という諺を思い出した。「どんなに筋の通らないことでも、その気になれば理屈はつけられるものだということ。」??
「無理矢理」は、無理遣りから転じているようで、無利遣りではないらしい。矢理は当て字のようで、「槍」とは違うらしい。「思い遣り」の矢理であって、「重い槍」ではないらしい。「矢理」を問いたところで意味が無い。理屈は理屈なのだから・・・。
「重い槍」で「思いやり予算」を思い出した。この経費負担に対して、「ありがとう」って言われるのかなぁ??それとも、当然で終わっているのかなぁ??
理屈を捏ね回して、無理矢理を押し通す。それが当然のように恒例化して、無理矢理に対して思いやりが足りないような要求が出されても、当然のこととして押し通されてしまう。道理なのか、理屈なのか・・・そんなことは関係なく、もともと存在する・・・力関係・上下関係・主従関係・優劣関係・・・関係によって流すか流されるか・・・ダメ出しされても、良く考えたら、矛盾だらけだ。。
「野良ハラ」って書いたけれど、大型機械で耕したら深すぎるとか・・・土が流れたとか・・・耕すという意味が異なってしまっている感じがする。機械化とか、省力化とか、技術革新に因る変化とか・・・考えたら、昔は良かった的な田舎暮らしなんてありえない。燃料費が無駄だとか、仕事量が少ないとか、先祖代々的農法とか・・・矛盾した自己主張に聞こえてしまう。トラクターで畝を作ることも可能なのだが、作った畝に鍬を入れられのなら、畝は作らない方がマシ・・・植え直し無しでも稲は育つのだが、一本苗だとか、抜けているとか、曲がっているとか・・・言われるくらいなら、適当に植えて、植え直しした方がマシ。ハラスメントとお互いに感じるなら、共同作業なんてしない方がマシ。そんな・・・感じ・・・かなぁ。
農業経営への中途半端な進出が、全てを中途半端にしているような気がしてならない。経営権をしっかり握っているのならまだしも、いざとなったら責任転嫁するような経営なら、経営に口は出すなと言いたくなるのだが、時代の変化からそれは無理。平等と言う言葉の解釈が違うように思えてならない。都合のよい時だけ平等では、「ありがとう」なんて言えなくなってしまう。
心の中で・・・「ありがとう」ってつぶやいて、仕事の上では黙っているのが一番良いのかもしれない。それなりに頑張って、ヘトヘトで帰宅しても、気も心も休めない家庭なら、家庭に奉仕する意味が見いだせない。役割分担と協力が、おたがいの理解の上でなければ、家庭は崩壊する。崩壊する前に、放棄している人も多いように思えるのだが・・・。家庭の根本が狂ってしまって、それを修正することが難しいと思う。
担い手が担い手の役割をしていなかったり、将来設計が無かったり・・・家庭という名ばかりの共同体なら要らない・・・なんて考えてしまった。
2014年08月11日
今年新たに借りた田んぼの草刈りが中心の一日だった。これも「荒廃」と呼べるのかなぁ・・・なんて思いながら、隣地から伸びて来た葛の蔓と葛藤しながら、手を抜いた分だけ苦労することに痛感しながら・・・作らなくなれば、もっと荒れてしまうのか・・・僕より相応しい耕作者が現れるのか・・・1人で草と戦っていた。
僕と母の考え方の違いがますます顕著化して来た。今日も、直売所に出荷しなかった。土日に出荷した方が売れると言うと、平日では何故売れないのかということから、はめられてしまうように、土日に売れるように計画された直売所批判を説明しなければならなくなって、批判するくらいなら家で食べて消費した方がマシということになってしまう。換金という言葉についても同じこと。自家消費と、販売の違いを説明することは容易なはずなのに、母に対しては容易では無くなってしまう。
所得倍増計画の時代の3ちゃん農業と、失われた20年を回復したい農業の違いを、一方的に考えているからなのか??銭ハラは変えられないで、『1000万円の余裕があれば、・・・』と書いたけれど、今までの我が家の場合、母の立場では仏壇やお墓などに投資されて、母の言い分は僕の立場である農業に投資することは「無駄遣い」となる。血は争えないで書いた家柄とか血筋とか・・・結局、僕には自己満足にしか見えない。
矛盾しているようだが、母の場合、農家は貧しいのが当たり前である反面、自分のプライドの中ではお金より見栄で、珍品や初物を配るのが仕事のように思って来たのかもしれない。収入が農業以外にたっぷりあるのなら別だけれど、価値観が全く違うから、換金作物の付加価値なんてわかるはずが無いんだろうなぁ。仕事という考え方も、大きく異なっているから、下手な会話も出来なくなった気がする。固定観念から、多少でも離れてくれたら良いのに・・・
高齢化が進む中で、認知症でなくても、プライドとか見栄とかから現実を受け入れられない高齢者はいるはず。まして、将来の姿なんて、受け入れられるはずが無い。
仕事という考え方について・・・だけれど・・・とりあえず、職業として、また労働として、あるいは、仕事 (物理学)として・・・それなりに考えてくれたら良いのに。母の仕事という考え方は、ブツリ学的??何かと、結果に文句が付いて来る。母に限らず昔はこうだったと教えられても、現代のやり方を学んでない人から教えを受けても、どう対応したら良いのかわからないのが現実。経営的なことを考えたら、全く逆のことを正しいと思い込んでいる場合もあるから、下手に対応したら、「ブツリ」と手怖い解答が・・・なんてことも。
まぁ・・・愚痴は、後日書くことにして。。
このまま、農業が高齢化して行くと、「荒廃」は出来ても、「後輩」は作れない。「交配」が進んだわけのわからない作物が出来ても、「好配」を模索する余裕は無い。後継者を作るより、耕傾斜に没頭してしまうのが落ちかもしれない。高齢化が恒例化しないうちに・・・。
僕と母の考え方の違いがますます顕著化して来た。今日も、直売所に出荷しなかった。土日に出荷した方が売れると言うと、平日では何故売れないのかということから、はめられてしまうように、土日に売れるように計画された直売所批判を説明しなければならなくなって、批判するくらいなら家で食べて消費した方がマシということになってしまう。換金という言葉についても同じこと。自家消費と、販売の違いを説明することは容易なはずなのに、母に対しては容易では無くなってしまう。
所得倍増計画の時代の3ちゃん農業と、失われた20年を回復したい農業の違いを、一方的に考えているからなのか??銭ハラは変えられないで、『1000万円の余裕があれば、・・・』と書いたけれど、今までの我が家の場合、母の立場では仏壇やお墓などに投資されて、母の言い分は僕の立場である農業に投資することは「無駄遣い」となる。血は争えないで書いた家柄とか血筋とか・・・結局、僕には自己満足にしか見えない。
問題は「性格」であって、「家系」ではないはずなのだが、「血は争えない」と考えてしまって、受け継いでいる血を否定することが出来ないと錯覚しているようにも感じた。小さな農家だから自家消費が当たり前と考えているかと思っていたが、「武士は食わねど高楊枝」みたいで、換金しなくても食っていけるような変な錯覚をしているようにも思えて来た。
矛盾しているようだが、母の場合、農家は貧しいのが当たり前である反面、自分のプライドの中ではお金より見栄で、珍品や初物を配るのが仕事のように思って来たのかもしれない。収入が農業以外にたっぷりあるのなら別だけれど、価値観が全く違うから、換金作物の付加価値なんてわかるはずが無いんだろうなぁ。仕事という考え方も、大きく異なっているから、下手な会話も出来なくなった気がする。固定観念から、多少でも離れてくれたら良いのに・・・
高齢化が進む中で、認知症でなくても、プライドとか見栄とかから現実を受け入れられない高齢者はいるはず。まして、将来の姿なんて、受け入れられるはずが無い。
仕事という考え方について・・・だけれど・・・とりあえず、職業として、また労働として、あるいは、仕事 (物理学)として・・・それなりに考えてくれたら良いのに。母の仕事という考え方は、ブツリ学的??何かと、結果に文句が付いて来る。母に限らず昔はこうだったと教えられても、現代のやり方を学んでない人から教えを受けても、どう対応したら良いのかわからないのが現実。経営的なことを考えたら、全く逆のことを正しいと思い込んでいる場合もあるから、下手に対応したら、「ブツリ」と手怖い解答が・・・なんてことも。
まぁ・・・愚痴は、後日書くことにして。。
このまま、農業が高齢化して行くと、「荒廃」は出来ても、「後輩」は作れない。「交配」が進んだわけのわからない作物が出来ても、「好配」を模索する余裕は無い。後継者を作るより、耕傾斜に没頭してしまうのが落ちかもしれない。高齢化が恒例化しないうちに・・・。
2014年08月10日
昔書いた、「ファイヤーキーパーの話」・・・
なんと、本文も画像も消えていた。ある意味、夏休みの思い出。
データを見つけたので、続きにて、復活してみようと思う。
今日は、台風の影響で、一日雨降り。被害はおそらくないと思うけれど・・・小降りになったからと草刈りを始めたら、本降りになって中断。帰宅すると、また小降り。また、チャレンジしたけれど・・・予定は全く進まなかった。
雨の中でも、台風の中でも、キャンプをしていた頃に比べたら、僕は、弱くなったかな。
さて、続きなのだけれど・・・長いのであしからず。続きを読む
なんと、本文も画像も消えていた。ある意味、夏休みの思い出。
データを見つけたので、続きにて、復活してみようと思う。
今日は、台風の影響で、一日雨降り。被害はおそらくないと思うけれど・・・小降りになったからと草刈りを始めたら、本降りになって中断。帰宅すると、また小降り。また、チャレンジしたけれど・・・予定は全く進まなかった。
雨の中でも、台風の中でも、キャンプをしていた頃に比べたら、僕は、弱くなったかな。
さて、続きなのだけれど・・・長いのであしからず。続きを読む
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2014年08月09日
「怖い話??」をこの間、書いたけれど、2006年にも「納涼・・・怖い話??」として書いていた。
また、台風が来ている。自然災害が一番怖いと言いたいところだけれど、自然に逆らって生き延びて来た人類の知恵がもっと怖いかもしれない。危険を予知する動物はそれなりにいるらしいが、災害予知と考えたら、人間が一番考えていると思う。・・・考えなければならなくなったと、考えた方が良いのかもしれない。
「用水路に転落し不明の男性が死亡」というニュースを考えた時、田んぼの用水路って、人工水路だと思う。自然のままでは田んぼにならない・・・はず。安全対策を忘れた人工の構築物が、自然に逆らっているかどうか考え方次第だと思うが、安全対策を施しても事故は起きたりする。かと言って、何もしなければ・・・。
草刈りについて何度も書いて来たけれど、伸びた草が原因で起きる事故もある。草刈りは、自然破壊か否かということを考えたら、人間の存在が自然破壊になってしまいそうで怖い。荒廃農地を自然だと考えたら、農地にした時点の自然破壊は免除されるのだろうか??生き抜くための自然利用と、それを超えた自然破壊・・・紙一重のように思える。でも、一度、手を加えたら、破壊に繋がる可能性があることを考えて欲しいと思う。
何が安全で、何が危険か・・・こちらも紙一重。
海外版 「本当にあった怖い話」10選を読んで、台風のニュースを見たら、どっちが怖いかわからなくなった。危険と隣り合わせの日々とは考えたくないけれど、僕には安全対策を充分に施せるほどの余裕は無い。それなりの対策しか出来ないけれど、怖がっているだけじゃ駄目だと思う。
予知能力が高くなると、怖いものは減るのか??
本当の対策を充分に施せる人なら減るかもしれないが、中途半端な対策で、中途半端な予知をしていたら、怖いものは増えてしまいそう。話だけなら怖くない。現実に起きる可能性が怖いだけ・・・。
あっちも、こっちも、怖いものだらけ・・・。でも、考え方を変えたら、ちっとも、怖くない。闇で儲けようとしている人も、その内に、捜査のライトがあてられるでしょ!!最後に、違った意味で「納涼」だった。
・・・一番怖いのは、そんな捜査だったりして!?
えっ、対応済み??「そうさ、捜査されないように操作したって」・・・さぶぅ〜い駄洒落でごめんなさい。
また、台風が来ている。自然災害が一番怖いと言いたいところだけれど、自然に逆らって生き延びて来た人類の知恵がもっと怖いかもしれない。危険を予知する動物はそれなりにいるらしいが、災害予知と考えたら、人間が一番考えていると思う。・・・考えなければならなくなったと、考えた方が良いのかもしれない。
「用水路に転落し不明の男性が死亡」というニュースを考えた時、田んぼの用水路って、人工水路だと思う。自然のままでは田んぼにならない・・・はず。安全対策を忘れた人工の構築物が、自然に逆らっているかどうか考え方次第だと思うが、安全対策を施しても事故は起きたりする。かと言って、何もしなければ・・・。
草刈りについて何度も書いて来たけれど、伸びた草が原因で起きる事故もある。草刈りは、自然破壊か否かということを考えたら、人間の存在が自然破壊になってしまいそうで怖い。荒廃農地を自然だと考えたら、農地にした時点の自然破壊は免除されるのだろうか??生き抜くための自然利用と、それを超えた自然破壊・・・紙一重のように思える。でも、一度、手を加えたら、破壊に繋がる可能性があることを考えて欲しいと思う。
何が安全で、何が危険か・・・こちらも紙一重。
海外版 「本当にあった怖い話」10選を読んで、台風のニュースを見たら、どっちが怖いかわからなくなった。危険と隣り合わせの日々とは考えたくないけれど、僕には安全対策を充分に施せるほどの余裕は無い。それなりの対策しか出来ないけれど、怖がっているだけじゃ駄目だと思う。
予知能力が高くなると、怖いものは減るのか??
本当の対策を充分に施せる人なら減るかもしれないが、中途半端な対策で、中途半端な予知をしていたら、怖いものは増えてしまいそう。話だけなら怖くない。現実に起きる可能性が怖いだけ・・・。
2014年08月08日
2008年08月08日は、誤魔化試ていた。2007年の8月8日は・・・忙〜〜〜ッとしていた。今日、2014年8月8日、今日も予定通りに進まなかった。
台風の影響なのか、一日中、雨。直売所にそれなりに出荷して、田んぼの水廻りをそれなりにして、あとはなんとなく・・・。「一句、詠んでみました」とかの気分ではないけれど、一昨日書いたことは、女性軽視のつもりではないので・・・。
そんなことを言っても、僕も同じこと。試算してみると、個人経営では行き詰るのが目に見えている。高齢化と老朽化、荒廃・・・資産活用のために設備投資をしても、いたちごっこになってしまう。農業資産の維持管理が十分に出来ない状態では、地方経済が回復しても、個々の農家が離農する可能性が大きくなって、空回りしてしまう。「設備投資」や「技術革新」に補助金が出ていた時代とは違う。地方の財は中央に集まって、中央と地方の格差は広がる一方だと思う。田んぼを捨てた「男」は、それなりの「力」を発揮出来るのだろうか?
駄目かな??と書いたけれど、駄目の維持がやっとで、さまざまな情報が羨ましく見えて、ついつい・・・ダメージを負ってしまいそう。農業経営に必要な資産が資産価値を失って行く。使わなくなったり、使えなくなったり・・・処分にも経費がかかるから、資産というよりいつしか負債になってしまう。個人では、農業の規模拡大は無理。それなりのスポンサーなどがついたりしたら、個人でも可能性はあるかもしれないが、個人では「駄目維持」がやっと・・・だと思う。
それでも、解決策を探してしまう僕は、無駄なことをしているのだろうか??
台風の影響なのか、一日中、雨。直売所にそれなりに出荷して、田んぼの水廻りをそれなりにして、あとはなんとなく・・・。「一句、詠んでみました」とかの気分ではないけれど、一昨日書いたことは、女性軽視のつもりではないので・・・。
「男」という字は、田んぼで力を出すと書く・・・「田」をWindowsのマークだという解釈もあるのだが・・・爺ちゃんは男だったけれど・・・父ちゃんはどうかわからない・・・男らしい男が少なくなった。。で・・・『年収260万、借金1500万。「もう出稼ぎに行くしか…」と嘆く地方の40代』という記事を読んで、妻が居るだけマシだと思った。
景気の悪かった20年ほどの間に、疲弊しきってしまった地方経済。少し景気が回復したぐらいでは、なかなか救われそうにない。失われた20年を指すのだろうけれど、この記事を読んで「設備投資」の難しさと「技術革新」が、農業を変えてしまったりも原因だと思った。20年ほど前だったら、大量生産のための設備投資は正しい選択だと思えたはず。問題として考えなければならないのは、個人の農家が家庭を保ちながら生きるためには、借金4000万円は無茶な経営だと思った。技術が進歩してそれなりの経費が必要となった現代、バランスの良い農業をするためには、資産管理が必要になると思う。資産を売って、「借金は1500万円以上残」が問題だと思う。
そんなことを言っても、僕も同じこと。試算してみると、個人経営では行き詰るのが目に見えている。高齢化と老朽化、荒廃・・・資産活用のために設備投資をしても、いたちごっこになってしまう。農業資産の維持管理が十分に出来ない状態では、地方経済が回復しても、個々の農家が離農する可能性が大きくなって、空回りしてしまう。「設備投資」や「技術革新」に補助金が出ていた時代とは違う。地方の財は中央に集まって、中央と地方の格差は広がる一方だと思う。田んぼを捨てた「男」は、それなりの「力」を発揮出来るのだろうか?
駄目かな??と書いたけれど、駄目の維持がやっとで、さまざまな情報が羨ましく見えて、ついつい・・・ダメージを負ってしまいそう。農業経営に必要な資産が資産価値を失って行く。使わなくなったり、使えなくなったり・・・処分にも経費がかかるから、資産というよりいつしか負債になってしまう。個人では、農業の規模拡大は無理。それなりのスポンサーなどがついたりしたら、個人でも可能性はあるかもしれないが、個人では「駄目維持」がやっと・・・だと思う。
それでも、解決策を探してしまう僕は、無駄なことをしているのだろうか??
2014年08月07日
5年前、「薬のリスク?」なんて書いていた。「回文」なんて考えていた頃、それなりに余裕があったのかなぁ?
今日は、ほとんど草刈りの予定だったけれど、午後3時を過ぎた頃から、雲行きが怪しくなって、雷の音がして・・・結局、中断して予定をこなせなかった。母は、僕が田んぼや畑に出かけて戻ると、「今日は何が出来た?」と、聞くことが多い。「労間は1日にしてならず」・・・1日で農作物が作れるわけがない。「かさく」と考えた時、仮作か、寡作が当てはまるのかな。
今日は何が出来た?
「草刈らないなら寡作」
・・・今日は、回文が出来ました。
夏を迎えて、夏野菜などが取れているのだけれど、直売所での売れ行きがイマイチ。工夫が足りないことはわかっているのだけれど、その工夫を理解しない母は、無駄なことだと言い張る。直売所に出荷されない野菜が、食事の時に大量に調理されているのを見ると、夏バテじゃないけれど、食欲が落ちてしまう。
換金される農産物と自家消費される農産物の割合が、我が家では逆転している。これでは、農業経営にはならない。収穫のタイミングも、夕食に合わせたような夕方の収穫が多くて、朝採り野菜が新鮮という感覚はない。まぁ、朝だから新鮮というのは、ある意味、作られたイメージかもしれないけれど・・・。
保存野菜の考え方も、母の場合、古いのか、新しいのか・・・加熱して冷凍して、解凍して加熱して・・・考えただけでもクタクタ。保存方法の工夫も、僕と価値観が違うから、工夫を活かすことが出来ない。
「一句、詠んでみました」で昨日書いたけれど、「勘違い農業経営」が、主婦業の自立の上に成り立ってしまう。主婦としての知恵とか、農業婦人としての知恵とか、なんとなくごちゃ混ぜな感じがする。
「勘違いな家事(火事)、家内が沈下(鎮火)」
・・・なんて回文も考えたけれど・・・難しいネ。。
今日は、ほとんど草刈りの予定だったけれど、午後3時を過ぎた頃から、雲行きが怪しくなって、雷の音がして・・・結局、中断して予定をこなせなかった。母は、僕が田んぼや畑に出かけて戻ると、「今日は何が出来た?」と、聞くことが多い。「労間は1日にしてならず」・・・1日で農作物が作れるわけがない。「かさく」と考えた時、仮作か、寡作が当てはまるのかな。
今日は何が出来た?
「草刈らないなら寡作」
・・・今日は、回文が出来ました。
夏を迎えて、夏野菜などが取れているのだけれど、直売所での売れ行きがイマイチ。工夫が足りないことはわかっているのだけれど、その工夫を理解しない母は、無駄なことだと言い張る。直売所に出荷されない野菜が、食事の時に大量に調理されているのを見ると、夏バテじゃないけれど、食欲が落ちてしまう。
換金される農産物と自家消費される農産物の割合が、我が家では逆転している。これでは、農業経営にはならない。収穫のタイミングも、夕食に合わせたような夕方の収穫が多くて、朝採り野菜が新鮮という感覚はない。まぁ、朝だから新鮮というのは、ある意味、作られたイメージかもしれないけれど・・・。
保存野菜の考え方も、母の場合、古いのか、新しいのか・・・加熱して冷凍して、解凍して加熱して・・・考えただけでもクタクタ。保存方法の工夫も、僕と価値観が違うから、工夫を活かすことが出来ない。
「一句、詠んでみました」で昨日書いたけれど、「勘違い農業経営」が、主婦業の自立の上に成り立ってしまう。主婦としての知恵とか、農業婦人としての知恵とか、なんとなくごちゃ混ぜな感じがする。
「勘違いな家事(火事)、家内が沈下(鎮火)」
・・・なんて回文も考えたけれど・・・難しいネ。。
2014年08月06日
年金や退職金で、にわか大規模農業を始めるのは、自分の贅沢のためにはなっても、田舎のためにはならないと思う。老後の仕事として農業を選択するのは、決して美談ではないと思う。怖い話??でも書いたけれど、食い潰すために田舎暮らしを選択するのは、ある意味、傍迷惑。
3ちゃん農業と内助の功を考えた時、所得倍増計画も絡んで、妻が農業を支えるということが素晴らしいように思われて来たのかもしれない。そこに良妻賢母が加われば、勘違い農業経営が成立してしまう。働き手のいない農業なんて根本的に存在しないと思うし、働き手が他の職に就いても世帯主の考え方次第で、2ちゃん農業になる可能性は低くなるはずで、それがついに0ちゃん農業になってしまうことを阻止出来たと思う。
さて、「良妻賢母の心得」なるものを読んでみた。「複数の調査は、この文書が悪戯であることを示唆している。」と検証にはあるのだが、1955年5月13日号の雑誌記事ということらしい。共働き家族がこれを読んだらどう感じるだろうか。
さだまさしの「関白宣言」を思い出して、苦笑w。
「男」という字は、田んぼで力を出すと書く・・・「田」をWindowsのマークだという解釈もあるのだが・・・爺ちゃんは男だったけれど・・・父ちゃんはどうかわからない・・・男らしい男が少なくなった。。
「田舎」は、「田」と「舎」。なのに、田舎を守っていたのは、妻だった。
僕も、50代半ばだから、1ちゃん農業みたいな感じだけれど、この流れで考えると、副業を持って、1/2すなわち「半ちゃん」農業を考えた方が正解なのか悩んでいる。しかし、高齢化の中で、半分にしたら、その半分は介護なり、高齢者福祉なりに持って行かれそう。そうなれば、1/4しか農業は出来ないことになる。
「夕涼み 独り身の辛さ 世の辛さ」
一句、詠んでみました。
2014年08月05日
『駄目の上に、駄目を積み重ねても駄目だよね。』って駄目−維持からの脱却で書いていた。
書きたいと思っていることが書けなくて、ついつい駄目な日々を綴ってしまう。不条理だと思っても、そんな不条理な毎日が維持される。
自産自消で書いたことに似ている。
エープリルフールで書いたつもりの「脱税容疑・・・日本コンダラ製鉄株式会社」。元になるHPも無くなって、存在価値は無いはずなのに、情報の出所もなんとなく諸説あって、無意味なはずなのに・・・何故か、僕のブログでは、一番人気。情報として機能しているか否かは不明だけれど、ある意味、「駄目−維持」かもしれない。
今日は、なんとなく、じゃがいも掘りに徹してしまった感じ。他にやらなくちゃと思っていたこともあったのだけれど、なんとなく流された。有意義だったかと考えたら、あまり意義を感じない一日だった。・・・こんな風に考えているから、駄目維持なのかもしれない。
あれもこれもと考えていても、体は一つ。まして、この暑い日々。効率良く、合理的に、有意義な一日を過ごせるには、何かが足りない。足りないものは、薄々わかっているつもりだけれど。。
いずれにしても、駄目−維持から脱却しなくちゃ。駄目のために駄目を維持しているわけじゃないけれど。
書きたいと思っていることが書けなくて、ついつい駄目な日々を綴ってしまう。不条理だと思っても、そんな不条理な毎日が維持される。
・・・。「不条理」な情報であっても、分析と処理方法に因って、新たな情報として機能してしまう場合、根本的な不条理は無根拠であっても、情報として機能してしまう。・・・「不条理=駄目」というわけではないと思いながら、合理主義とか常識論に振り回される。
自産自消で書いたことに似ている。
自ら産んだものを自ら消す・・・自分自身が自問自答していては答えは出ない。複合体としての考え方が出来れば良いのに・・・と、思う。「ヒト」として生きるのか、あるいは、人間として生かされるのか?。「人間」として生きたいと思えば、ある意味、嘘になる。単なる生命体として生かされていると思っても、虚しくなる。
エープリルフールで書いたつもりの「脱税容疑・・・日本コンダラ製鉄株式会社」。元になるHPも無くなって、存在価値は無いはずなのに、情報の出所もなんとなく諸説あって、無意味なはずなのに・・・何故か、僕のブログでは、一番人気。情報として機能しているか否かは不明だけれど、ある意味、「駄目−維持」かもしれない。
今日は、なんとなく、じゃがいも掘りに徹してしまった感じ。他にやらなくちゃと思っていたこともあったのだけれど、なんとなく流された。有意義だったかと考えたら、あまり意義を感じない一日だった。・・・こんな風に考えているから、駄目維持なのかもしれない。
あれもこれもと考えていても、体は一つ。まして、この暑い日々。効率良く、合理的に、有意義な一日を過ごせるには、何かが足りない。足りないものは、薄々わかっているつもりだけれど。。
2014年08月04日
老後は軽作業で食いつぶすってつもりで書いたわけではないけれど、老後の生活を襲う「3B」の恐怖の続きの記事、「老後ビンボー」を招きがちなマネー習慣とは?を読んだけれど、既に遅しって感じがした。
でも、「老後検定」なんて、役に立つのかなぁ・・・。
農地を考えた時、「荒れ放題の畑の草刈りしても無駄に感じる??」がキーポイントにも思えた。荒れ放題の畑でも、固定資産税がかかる。草刈りを他人に頼めば、雇人費が生じる。自分でやっても、農具・燃料・作業衣料・・・農薬・・・など費用が生じる。生産性のない農地は、何をやっても無駄になると考えても仕方がない。無駄に感じないとしたら、「危険度TEST」で「+3点」ぐらいつけたくなる。
「親の援助で贅沢している +1点」と「投資の知識を多少は持っている −1点」を、親が農家だとしたら度のように読むかがポイントだと思った。親が元気なうちは、農産物が無償で提供されると勘違いしたまま、親の援助があったことを実感しているか・・・否か・・・。親の生産した農作物の価値を考えたことがあるか・・・。そして、親が農業のために、どれだけの投資をしたか・・・そして、子供のために、どけだけ投資をした・・・。何も知らないまま、親の農業でも手伝いますでは、農業ビンポーになってしまう。
母のことを考えると、家庭菜園的知識は有り余っているのに、農業経営のセンスはほとんどない。自分の贅沢のために、農業外収入を費やして来た、管理能力のない農業では、高齢化で仕事が出来なくなることも含めて、蓄えを食い潰すだけだ。
老後は・・・田舎に帰って、農業でもします・・・って、酷い言い方に聞こえる。田舎をどう考えているか・・・身寄りのあるはずの田舎に、家のあるはずの田舎に・・・贅沢をするために来てもらうのはいかがなものか・・・ちょっと考えて欲しくなる。「年金や退職金の額をアバウトに予想している +2点」ではないけれど、年金や退職金で、にわか大規模農業を始めるのは、自分の贅沢のためにはなっても、田舎のためにはならないと思う。
結局、「独居老人」と同じ道を歩むなら、蓄えの使い道は、後継者を育ててから・・・と言うことになるのだけれど、これは、さまざまな分野でも同じことが言えると思う。贅沢に食い潰して、何も残さない・・・なんて、田舎では無理だと思う。資産として残すか・・・負債として残すか・・・残された人が評価するとしたら、どっちなのか・・・自分中心にだけ考えていたら、「3B」の恐怖はやってくると思う。そして、それが残された人に遺伝するように伝わるとしたら、こんな恐怖はないと思った。
<老後ビンボー危険度TEST 当てはまる項目にチェック!!>40代の見直しと読んだけれど、僕は既に50代。それよりショックだったのが、母の場合、80代にして、おそらく3点を超えている。「家計の管理を妻に任せっきりにしている +1点」については、ちょっと解釈を変えてみたが、「家計の管理」を家計簿として考えた時、「つけていない」では「+2点」だと思うし・・・、「家計の管理」を時と場合によって、他の人のせいにするのでは、管理していないと同じこと。
●年金や退職金の額をアバウトに予想している +2点
●親の援助で贅沢している +1点
●20代で入った保険を一度も見直したことがない +1点
●家計の管理を妻に任せっきりにしている +1点
●投資の知識を多少は持っている −1点
⇒3点以上は赤信号!
でも、「老後検定」なんて、役に立つのかなぁ・・・。
軽作業で、食い繋ぐ時代から、食い潰す時代に、入っていると思うのだけれど・・・。実家に資産があると考えている人も多いと思うけれど、地方によって差が生じると思いながら、資産の管理にもお金がかかることを忘れてはならないと思う。
農地を考えた時、「荒れ放題の畑の草刈りしても無駄に感じる??」がキーポイントにも思えた。荒れ放題の畑でも、固定資産税がかかる。草刈りを他人に頼めば、雇人費が生じる。自分でやっても、農具・燃料・作業衣料・・・農薬・・・など費用が生じる。生産性のない農地は、何をやっても無駄になると考えても仕方がない。無駄に感じないとしたら、「危険度TEST」で「+3点」ぐらいつけたくなる。
「親の援助で贅沢している +1点」と「投資の知識を多少は持っている −1点」を、親が農家だとしたら度のように読むかがポイントだと思った。親が元気なうちは、農産物が無償で提供されると勘違いしたまま、親の援助があったことを実感しているか・・・否か・・・。親の生産した農作物の価値を考えたことがあるか・・・。そして、親が農業のために、どれだけの投資をしたか・・・そして、子供のために、どけだけ投資をした・・・。何も知らないまま、親の農業でも手伝いますでは、農業ビンポーになってしまう。
母のことを考えると、家庭菜園的知識は有り余っているのに、農業経営のセンスはほとんどない。自分の贅沢のために、農業外収入を費やして来た、管理能力のない農業では、高齢化で仕事が出来なくなることも含めて、蓄えを食い潰すだけだ。
老後は・・・田舎に帰って、農業でもします・・・って、酷い言い方に聞こえる。田舎をどう考えているか・・・身寄りのあるはずの田舎に、家のあるはずの田舎に・・・贅沢をするために来てもらうのはいかがなものか・・・ちょっと考えて欲しくなる。「年金や退職金の額をアバウトに予想している +2点」ではないけれど、年金や退職金で、にわか大規模農業を始めるのは、自分の贅沢のためにはなっても、田舎のためにはならないと思う。
結局、「独居老人」と同じ道を歩むなら、蓄えの使い道は、後継者を育ててから・・・と言うことになるのだけれど、これは、さまざまな分野でも同じことが言えると思う。贅沢に食い潰して、何も残さない・・・なんて、田舎では無理だと思う。資産として残すか・・・負債として残すか・・・残された人が評価するとしたら、どっちなのか・・・自分中心にだけ考えていたら、「3B」の恐怖はやってくると思う。そして、それが残された人に遺伝するように伝わるとしたら、こんな恐怖はないと思った。
2014年08月03日
暑い中で草刈りをするのも過激だけれど・・・世の中が過激に見えてしまうことが多過ぎる。天候も、自然現象も、今年はなんとなく過激。「現実に起きていることが過激」と書いたけれど、「価値観を強要するな!!」で、こんな風に書いていた。
情報の分析・処理能力に似ていると思った。「不条理」な情報であっても、分析と処理方法に因って、新たな情報として機能してしまう場合、根本的な不条理は無根拠であっても、情報として機能してしまう。「人を殺しかねない」人物の傾向を適当に読むと、周囲に当てはまりそうな人がいたりしたら、当然、その人を避けるようになるような気がする。避けられた人の疎外感を察すると、「殺人因子」を無理に作り上げることにならないのかが心配になる。あくまで、適当に読んだ場合だけれど・・・。
さて「不条理」ということで考えると、「子供産みにくい…女性たちの本音」も、将来の日本を支える・・・云々・・・を考慮に入れると、かなり不条理だと思う。子供を産みにくい世の中だとしたら、女性の社会進出より、そんな世の中を変えることが優先されるべきだと思うのだけれど・・・これについては、後日書くとして・・・。
まぁ、一番の不条理は、この過激に暑い中、熱中症に注意とか言われながら、草刈りに精を出す僕自身かもしれない。
「現実は小説より奇なり」とばかりに、現実が過激化して行く。「異邦人」の世界と指摘には、「不条理の作家」アルベール・カミュ(1913〜1960)の『異邦人』が取り上げられていた。「犯行原因」「動機」といったシナリオより、「不条理」から考えてみたら、こんなことが書いてあった。
20世紀半ばに再び不条理の意識に注目したのが実存主義である。とりわけフランスで、 カミュやサルトルらによって不条理の倫理的美学的次元が探求された。実存主義において「不条理的」という形容は、既存の意味の全てを剥ぎ取られたものに対して用いられる。「不条理」という言葉が用いられる時、世界が根本的に不条理であること、人間の条件はそもそも不条理であって、無根拠であることが喚起されている。「命の教育」がどのようなものかは知らないけれど、先月末に書いた言葉を引用すると・・・
『「賢くなる」には、上から目線じゃ無理だと思った。』と書いているけれど、教えることより学ぶことが優れているとしたら、教育そのものが否定されているような感覚になってしまった。教える側の都合で、学ぶことが出来ないとしたならば、教育とは愚かなことになってしまう。自らが学び得た物事と、教育によって学ばせようとした物事が、矛盾することは不条理だと思いながら、世の中の矛盾を学ぶ機会が少ない年代にとっては、その矛盾を受け入れることが出来ないのではないだろうか?教えられただけの知識だけでは、世の中に通用するとは限らない。かと言って、自らの学びが間違った方向に向いている場合もある。
情報の分析・処理能力に似ていると思った。「不条理」な情報であっても、分析と処理方法に因って、新たな情報として機能してしまう場合、根本的な不条理は無根拠であっても、情報として機能してしまう。「人を殺しかねない」人物の傾向を適当に読むと、周囲に当てはまりそうな人がいたりしたら、当然、その人を避けるようになるような気がする。避けられた人の疎外感を察すると、「殺人因子」を無理に作り上げることにならないのかが心配になる。あくまで、適当に読んだ場合だけれど・・・。
さて「不条理」ということで考えると、「子供産みにくい…女性たちの本音」も、将来の日本を支える・・・云々・・・を考慮に入れると、かなり不条理だと思う。子供を産みにくい世の中だとしたら、女性の社会進出より、そんな世の中を変えることが優先されるべきだと思うのだけれど・・・これについては、後日書くとして・・・。
まぁ、一番の不条理は、この過激に暑い中、熱中症に注意とか言われながら、草刈りに精を出す僕自身かもしれない。
2014年08月02日
今日も草刈りとヨケ(水路)掘りをした。お昼頃、直売所からブルーベリーの注文が入ったけれど、マイマイガと鳥害で対応出来なかった。午後、草刈りを始めたら雷鳴が・・・。まもなく、雨が降ってきて、草刈りは中止。後はだらだら・・・って感じだった。
「敵はわが国にあり」で、周囲の荒れた環境について書いてみたけれど、僕自身も荒れている。
だらだらとしている間に、イノシシ対策とか、マイマイガ対策とか・・・ちょっとネットで調べてみたが、僕にあった結果は見つからなかった。
到底、人間の力で自然を相手にすることは無理難題だと思う。しかし、人間も、自然の中に存在していると思いたい。自然を自由勝手に変えることは無理にしても、自然淘汰に逆らうことなく、自力で生きることは可能だと思う。自給自足を単体で行おうとするから無理がかかる。自産自消ではなく、地産地消のはずなのだが、高齢化と後継者不足は、地産地背負う状態になっているにもかかわらず、単体での自給自足を考えようとする。だから、あえて「自産自消」と書いた。
自ら産んだものを自ら消す・・・自分自身が自問自答していては答えは出ない。複合体としての考え方が出来れば良いのに・・・と、思う。
「敵はわが国にあり」で、周囲の荒れた環境について書いてみたけれど、僕自身も荒れている。
治山治水としての農地の役割が失われつつある。地産地消としての農地より、荒れ果てないための治山治象が必要だと思った。病害虫も害鳥獣も、大自然の中で生きている。自然のバランスが崩れると、大発生があったり、絶滅の危機になったり・・・ある意味、人間の仕業で、絶滅危惧種とか、侵略的外来種とか・・・農地として切り拓いた責任はどこにあって、放置する自由が何故許されるのか・・・人間も、バランスを崩していると思った。自産自消の農業スタイルでは、放置する自由が優先されて、管理責任など皆無に等しい・・・かもしれない。最近、「放置する自由が優先されて、管理責任など皆無」と思われる事件や現象が目に付くのも、僕がそんな風に考えているからだろうか。社会一般的にも、荒れているって感じで、本来の姿など見失って、自由自在に自作自演出来るはずが、自分自身が自問自答して自身自仏を悟ったかのような自画自賛が自業自得になって、自縄自縛して自暴自棄みたいな出来事が増えているように思う。ちょっと自暴自棄かな??
だらだらとしている間に、イノシシ対策とか、マイマイガ対策とか・・・ちょっとネットで調べてみたが、僕にあった結果は見つからなかった。
到底、人間の力で自然を相手にすることは無理難題だと思う。しかし、人間も、自然の中に存在していると思いたい。自然を自由勝手に変えることは無理にしても、自然淘汰に逆らうことなく、自力で生きることは可能だと思う。自給自足を単体で行おうとするから無理がかかる。自産自消ではなく、地産地消のはずなのだが、高齢化と後継者不足は、地産地背負う状態になっているにもかかわらず、単体での自給自足を考えようとする。だから、あえて「自産自消」と書いた。
自ら産んだものを自ら消す・・・自分自身が自問自答していては答えは出ない。複合体としての考え方が出来れば良いのに・・・と、思う。