参議院での安保法制強行採決から、一ヶ月が過ぎました。このところ、ブログの更新がすっかり滞ってしまいましたが、ここで気落ちしていては、安保法制推進派の思う壺ですよね。安保法制反対運動は、全国各地で続いています。わたしも、気を取り直して頑張りたいと思います。

<安保法成立1カ月>全国で続く抗議
毎日新聞 10月19日(月)21時41分
 安全保障関連法の成立から1カ月の節目の19日、東京・永田町の国会前をはじめ全国各地で市民が同法に抗議の声を上げた。
 国会前の集会には主催団体発表で9500人が集まった。団体メンバーの一人は壇上で「『国民は餅を食ったら忘れる』と自民党議員が言ったそうだ。頭を隠し逃げようとしている」と臨時国会を開かない安倍政権を批判。「私たちは餅は食うかもしれないが、絶対に忘れない」と訴えた。共産党の山下芳生書記局長は「(参院選で野党共闘を)やれるのかと心配する方もいるが大丈夫。戦争法廃止、立憲主義を取り戻す。これ以上の大義はない」と呼び掛けた。参加した東京都国分寺市の専門学校生、鈴木良孝さん(20)は取材に「1カ月たったが納得のいかない気持ちは変わらない。一人でも声を上げていきたい」と話した。
 北九州市のJR小倉駅前でも集会があり、参加した九州大の男子学生(20)は「ここでやめたら忘れたころに誰かが命を落とす」。ハロウィーンのコスプレ姿の市民も交ざり、「改憲するなら落選させるぞ」と声を合わせて訴えた。
 京都市中京区の同市役所前では女性有志団体の集会に約50人が集まった。岡野八代(やよ)・同志社大教授(48)は「法は成立したが武力から平和は生まれない」。
 広島市の繁華街では、市民ら約70人が「立憲主義・民主主義を守ろう」と訴え、安保関連法の賛否を問うシール投票などを実施。足を止めた市内の男子学生(18)は「家族や子供は戦地に行かせたくない」と話した。
 この間、ずいぶんいろいろな人の話を聞き、いろんな文章を読み、どうしてこれほど言葉が通じないのかと頭を悩ませました。安全保障の問題だけではなく、歴史認識や、基本的人権に対する理解において、この国の人びとの間に大きな裂け目が拡がってしまっている。その大きさは、あるいはネットで誇張されすぎているかもしれません。それを故意に誇張しようとしている動きもあるようです。しかし、ネット上のコミュニケーションを無視しては成り立たない社会になっていることも確かであり、そこにみられる裂け目は、いろいろな機会に現実の世界に現れてきます。

 この間、ネット上で読んだ文章の中で一番心に残ったのが、8月16日にアップされた、平田オリザ氏の「三つの寂しさと向き合う」という文章でした。
 平田氏は、私たちはいま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって三つの種類の寂しさを受けとめ、受け入れなければならないのだ、といいます。
 一つは、日本がもはや工業立国ではないということ。
 もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかねばならないのだということ。
 そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
 平田氏はこの最後の「寂しさ」を受け入れられない人びとが、嫌韓・嫌中本を書き、あるいは無邪気な日本礼賛本をつくるのだろうと述べたうえ、二つの問題を提起します。

 一つは、私たち日本人のほとんどの人の中にある無意識の優越意識を、どうやって少しずつ解消していくのかということ。ここでは、教育やマスコミの役割がとても大きくなるでしょう。現状が、それとは反対の方向に向かっているように見えることは残念なことですが。
 もう一つは、この寂しさに耐えられずヘイトスピーチを繰り返す人々や、ネトウヨと呼ばれる極端に心の弱い方たちをも、どうやって包摂していくのかという課題です。これもまた時間のかかる問題です。

 
 わたしには、いわゆるネトウヨと呼ばれる人たちが「極端に心の弱い方たち」なのかどうか分かりません。しかし、こういった人たちと、ともに生きていかなければならないことは間違いありません。議論の相手に、「日本が気に入らないなら出ていけ」、「半島に帰れ」などという言葉を浴びせる人たちと仲良くするのは簡単なことではありませんが、対話する努力を、辛抱強く重ねていくしかないのでしょうね。

 中江兆民「三酔人経綸問答」は、大酒飲みで政論好きな「南海先生」のもとに、民主主義的な「洋学紳士」と、国権主義的な「豪傑君」が連れ立って訪れ、それぞれの持論を展開し、南海先生の見解を問うという鼎談形式の評論です。出版されたのは1887年(明治20年)。明治10年代の自由民権運動が国会開設に結実し、運動が国権論へと傾いていく中で執筆されました。
中江兆民 議論の口火を切る洋学紳士は、民主制、立憲制の理想を説き、言論・出版の自由、普通選挙の実施、軍備の撤廃を主張します。一方の豪傑君は、民主制の国である西欧列強が他国を侵略し支配している現実を指摘し、日本が滅亡を避けるには、軍備を増強し、積極的に隣国を侵略して列強との競争に打って出ることが必要と力説します。
 これに対して南海先生は、お二人とも立派な議論だが、しかしあまり現実的ではないのではないか、といいます。

…………邦國なる者は集意欲の集合にして、君主有り、百僚有り、庶民有りて、其機關極めて錯雑なるが故に、其趣向を決し、其運動を起すこと、復た一個人の輕便なるが如くならず。縱令ひ邦國の運動をして一個人の如く輕便ならしめば、強者は常に暴を恣にして弱者は常に禍を蒙むる可きも幸いに然らずして、一萬數の兵を出し一百數の艦を遺はさんと欲するときは、君主議し、宰相議し、百僚議し、議院論じ、新聞紙論じて、一個人が衣を搴げ、棍を持し、徒歩にして闘に赴く如くならず。

 まるで、西欧列強がすぐにでも日本を侵略しにくるかのような話だけれども、それは思い過ごしというものではないか。いまの国家というのは、いろいろな機構から成り立っていて、一個人のように軽々しく動けるものではないのですよ。
 この南海先生の冷静さは、今日の安全保障を巡る議論にも必要なことだと思います。
 辺野古の問題では、アメリカの海兵隊が沖縄からいなくなれば、たちまち中国が攻めてくるような危機感が煽られていますが、そんなことがあるでしょうか。中国の政治的意思形成過程は、外からは見えにくいものですが、それでも様々な利害関係の調整が行われていることは想像に難くありません。中国共産党にしても人民解放軍にしても、必ずしも一枚岩ではないでしょう。いまや実質的には資本主義経済を採用している中国にとって、アメリカ、韓国と並んで最大の貿易相手である日本と戦端を開くのは、現体制の命運を賭けた決断になるはずであり、それほど簡単なことではありません。尖閣列島を巡る国境紛争と、沖縄進攻とは、全くレベルの違う話です。
 同じようなことはアメリカにもいえるはずです。中国と日本との軍事衝突が起こった際にアメリカが集団的自衛権を行使して参戦するかというと、これもそれほど簡単ではない。日中間の軍事的緊張が高まることはアメリカの軍需産業にとっては歓迎すべきことでしょうが、いざ軍事衝突となれば、「小さな岩を巡る紛争にアメリカを巻きこまないでくれ」という話は十分にあり得ます。
 いずれにせよ、近所に乱暴者がいるから用心しよう、友だちが殴られそうになったら助けに行こう、などといった幼稚な話ではないのです。
 
…………兩邦の戰端を開くは、互いに戰いを好むが爲めに然るに非ずして、正に戰いを畏るゝが爲めにして然るなり。我れ彼を畏るゝが故に急に兵を備ふれば、彼も亦我を畏れて急に兵を備へて、彼此の神經病、日に熾に月に烈くして、其間又新聞紙なる者有り、各國の實形と虚聲とを並擧して、區別する所無く、甚きは或は自家神經病の筆を振ひ、一種異様の彩色を施して、之を世上に傳播する有り。是に於て彼の相畏るゝ両邦の神經は益々錯亂して、以爲へらく、先んずれば人を制す、寧ろ我より發するに如かず、と。是に於いて彼の兩邦、戰いを畏るゝの念俄に其極に至りて、戰端自然に其間開くるに至る。是古今萬國交戰の實情なり。

 万全の備えをすることが、日本に戦争を仕掛けようとする企みを挫く大きな力なのだ、と安倍首相は繰り返しました。そうでしょうか。こちらが相手を怖れて万全の備えをすれば、相手もこちらを怖れて万全の備えをする。このような場合の「万全」というのは、相手との相対的な力関係ですから、結局のところ果てしのない軍拡に繋がりかねません。
 また、マスコミもこれを煽ります。産経新聞、読売新聞は、安保法制の衆議院での審議中に、東シナ海での中国の海洋プラットフォーム建設を大々的に報じ、軍事拠点化が進攻している疑いを指摘しました。しかし、この「疑い」というのは、こういう設備をつけられる、こういう使い方もあり得るというだけのことであり、具体的な根拠に基づくものではなさそうです。実際、このプラットフォーム建設は2年前から行われていますが、これまで防衛上の問題として取り上げられることはありませんでした。だいいち、このプラットフォームが建設されているのは、日本が主張している日中両国の排他的経済水域境界線の中国側であって、日本があれこれいえるようなこととは思えません。南海先生の「一種異様の彩色を施して」というのは、このような報道をいうのでしょう。

 しかし、南海先生は、洋学紳士の急進的な民主制の主張に与するわけでもありません。

………………世の所謂民權なる者は、自ら二種有り。英佛の民權は恢復的の民權なり。下より進みて之を取りし者なり。世又一種恩賜的の民權と稱す可き者有り。上より惠みて之を與ふる者なり。恢復的民權は下より進取するが故に、其分量の多寡は、我れの隨意に定むる所なり。恩賜的の民權は上より惠與するが故に、其分量の多寡は、我れの得て定むるところ所に非ざるなり。若し恩賜的の民權を得て、直ちに變じて恢復的の民權と爲さんと欲するが如きは、豈事理の序ならん哉。

 いまの日本で、イギリスやフランスのような民主制を採用しようというのはちと無理ではないか。なぜならば、イギリスやフランスの基本的人権というのは、市民が自ら勝ち取ったものであり、日本とは歴史が違うのだ、と南海先生はいうのです。
 明治憲法が公布されるのは、この書が出版された後の1989年(明治22年)ですが、そこで国民に保障されたのは、いわゆる「法律の留保」付の権利でした。例えば、憲法22条の条文は「日本臣民ハ法律ノ範圍內ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス」というものです。つまり、日本における国民の権利は、上から与えられたものであり、その程度は国民自ら決定できるものではない。このような権利があるからといって、英仏流の基本的人権という考え方に基づく民主制を主張するのは、論理の飛躍というものでしょう、と。

 実は、わたしがこの中江兆民の書に触れたのは、学生時代に読んだ大江健三郎の「恩賜的と恢復的」という評論に導かれてのことでした。その本を久しぶりに取り出したのは、洋学紳士、豪傑君、南海先生の3人のように、思想信条や立場の違いを超えて、実のある議論がしたいという思いに駆られてのことです。
 
 さて、明治憲法下では恩賜的なものにとどまっていた国民の権利ですが、いまの日本ではどうでしょうか。日本国憲法が保障する基本的人権は、西欧近代国家に共通の天賦人権論に基づくものであり、「法律の留保」は付いていません。しかし、市民が闘いとった「恢復的」なものというよりは、太平洋戦争の敗戦によって得られた「恩賜的」なものという感覚は、いまだに根強く残っているように思えます。1965年(昭和40年)に書かれた「恩賜的と恢復的」は、そのことを指摘するものでした。

……………縱令ひ恩賜的の民權の量如何に寡少なるも、其本質は恢復的民權と少も異ならざるが故に、吾儕人民たる者、善く護持し、善く珍重し、道德の元氣と學術の滋液とを以て之を養ふときは、時勢益々進み、世運益々移るに及び、漸次に肥腯と成り、長大と成りて、彼の恢復的の民權と肩を並ぶるに至るは、正に進化の理なり。

 中江兆民がこの本を書いて128年、日本の人権状況は、「彼の恢復的の民權」と肩を並べるに至ったでしょうか。
 到底、そうはいえません。それどころか、政権与党の自民党は、天賦人権論を放棄し、「公益
及び公の秩序」を人権に優越させる憲法改正を準備しています。
 こういった状況において、自らの言葉で民主主義を主張し、行動する若者たちの存在は、大きな希望です。彼らがこれからの社会を担っていくとすれば、日本の将来も、それほど寂しくないかもしれません。

 もちろん、彼ら任せではなく、まずは私たち大人が頑張らなければなりません。日本国憲法の基本的人権に、「恢復的の民權」の実質を備えさせるために。決して、「法律の留保」付「恩賜的の民權」に後退させないために。
(小林)