先のブログ記事で残念な控訴審判決の報告をした安永健太さんの佐賀県に対する国家賠償法に基づく損害賠償請求事件、9月14日の口頭弁論期日で原告であるお父さんの安永孝行さんに続いて、弁護団のひとりとして意見陳述を行いました。その時点で、ブログでご紹介するつもりでしたが、何とか逆転勝訴を勝ち取ったときに、と思っていました。
 恐らくご家族は上告されると思いますので、私たちは最高裁で何とかよい結果を勝ち取るために、すべての力を注ぎたいと思います。
 でも、それはそれとして、孝行さんと私の意見陳述をここでご紹介することで、事案の本質や原告であるお父さん、弟さん、弁護団のこの事件にかける思いが、ある程度お伝えできるのではないかと思い、いまさらながら意見陳述をご紹介することにします。
 写真はいずれも養護学校高等部に在籍していたときに出場したスペシャルオリンピックスの400m走で銀メダルを獲得したときの健太さんです。この笑顔が永遠に失われてしまいました。
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【お父さんの意見陳述】
意見陳述書

原 告  安 永 孝 行

 本件について、原告として意見を述べます。
 健太は、自分にとっても、弟の浩太にとっても、かけがえのない存在でした。
 穏やかで優しく、みんなに好かれる性格でした。言葉は単語ばかりですが、意思表示もしっかりできました。小学校2年生からは大和養護学校の宿舎で生活していましたが、まだ幼いころは学校と宿舎の生活が嫌なのか、めそめそ泣き、膝の上に乗って甘えることもありました。健太が就職してからも、近所の幼稚園生や小学生たちの人気者で、家の前で、いつもみんなで楽しそうにボール遊びをしていました。
 私は、健太が成人したのちに離婚しましたが、健太は自らの意思で私との生活を選んでくれました。私も、健太に応えるために、人生設計をやりなおしました。健太のためにアスパラ畑も始めました。健太は休みのたびに楽しそうにアスパラ作りを手伝っていました。
 それが、平成19年9月25日、突然健太を亡くしてしまいました。あまりのことに目の前が真っ暗になりました。何もする気が起きず、立つことも出来ないほどの衝撃でした。
 それなのに、警察官らは健太のことを「アル中か薬物中毒者」「逃げたから取り押さえた」と言ったかと思うと、次の日には「保護した」と言い出し、謝罪さえしませんでした。まさに、土足で踏み込まれました。
 その後、健太の無念を晴らし、真実を明らかにするために刑事事件や民事事件で戦ってきました。民事の第一審で負けたとき、長い戦いに疲れ、警察、検察や裁判所への不信感もあり、これ以上やっても無駄とあきらめかけました。ただ、判決があまりにひどく、これをこのままにしておくと第二、第三の健太が生まれるという思いもありました。周りの応援もあり、ギリギリになってもう一度戦うことを決意しました。
 今回の尋問で、遠藤証人は、事件当時、佐賀県内に数千人の知的障害者が暮らしている事実も知りませんでした。41年の警察官経験の中で、職務の内外を問わず、これまで一度も知的障害者と接したことがないと言い切っていました。遠藤証人は、未だに「知的障害者に関する教養プログラムを受けたことはない」そうです。さらに驚いたことは、遠藤証人は、取り押さえの最中、健太の表情を一切観察しなかったというのです。警察官が対象者を「保護」するときに、どうしてその表情を観察しないことが許されるのでしょうか。どうして警察官は、ここまで開き直ることができるのでしょうか。市民には、障害を持った人、うまく意思表示できない人もたくさんいます。それを知ろうとしない。学ぼうともしない。警察官の役割ってなんですか。弱者を助けることではないのですか。職務に対する謙虚な姿勢が全く感じられません。健太は、突然警察官らに取り押さえられ、どうしていいか分らないままに死んでいきました。しかも、みんなの前に後ろ手錠の姿をさらされて死んでいきました。それなのに、警察官は自分たちが悪かったとは微塵も思っていない。そればかりか、「普通なら警察官の言うことに従うはず。これ以外に方法はなかった」と開き直る。事件から8年もの時間が経ったのに、何も変わっていません。率直に言って怖いです。このままでは、同じような事件はきっとまた起きます。二人目、三人目の健太はきっとまた出ます。
 裁判官の皆さん。真実を明らかにする判決、公正な判決は当たり前です。どうか、全国の知的障害者、障害を持った人の叫びを聞き、取り押さえ行為の違法性を明らかにする判決、警察に真摯な反省を促し、障害者への理解も深まる判決、障害を持った人が安心して生活できるようになり、健太の無念を晴らす判決を、ぜひともお願いします。

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【弁護団の意見陳述】

 写真の中の安永健太さんは、いつも優しくはにかんだような表情で微笑んでいます。スペシャルオリンピックスの400m走で銀メダルを手にして、仲間からのインタビューに「うれしいです」と答えた姿は、本当に誇らしげな満面の笑顔でした。
 この立派な青年、お父さんや弟さんにとっては宝物のような若者の命が、複数の警察官による違法不当な制圧によって、無残にも奪われてしまいました。
 当審における遠藤警察官の証人尋問により、パトカーに見とがめられてから異変に気づかれるまでの約10分間に、警察官たちが、健太さんに対して、如何に執拗に、過剰な制圧を続けたかが改めて明らかになりました。
 最初は突然のことにびっくりして、混乱していただけの健太さんが、複数の警察官からいきなり体をつかまれ、歩道上へと引きずり出され、仰向けに倒されたのみならず、無理矢理に裏返され、アスファルトにうつ伏せにされて、さらに押さえつけられ、挙げ句は後ろ両手錠にされてしまう。その間、警察官のうち誰一人として、健太さんの様子がどう変化しているのか、表情や顔色はどうか、安全は保たれているのか、確認しようとした者はありませんでした。
 健太さんには軽度の知的障害と自閉症がありました。自閉症の特徴としての感覚過敏のため、いきなり触られることや騒音に過剰に反応すること、強いこだわりがあって、不潔なことを極端に嫌っていたことなどが、発達障害の専門家による家族聴取によって明らかになっています。
 そんな健太さんが、混乱しているところに、いきなり警察官から怒鳴られ、肩を摑まれ、アスファルトに直に顔を押し付けられる。最終的には6人もの警察官から取り囲まれ、押さえつけられ、混乱して有意な言葉を発することもできず、周りの様子を見ることもできない。どれほどの恐怖だったでしょうか。
 私たちは、健太さんに障害があったことに、警察官たちは気づくべきであった、そして、障害があることを念頭においた適切な接遇をすべきであったと主張しています。しかし、本件で警察官たちが行った取り押さえ行為は、たとえ相手が障害のない人であったとしても、また犯罪者であったとしても、到底許されるものではありません。
 仮に自分がそんな目に遭ったらと想像してみてください。 驚愕、混乱、恐怖、憤激、恥辱、痛み。とりわけアスファルトに顔を押し付けられ、うつ伏せの状態で押さえつけられた時点以降は、それが誰であっても、許容限度を超えたストレスに命を奪われる可能性は決して低くないのではないでしょうか。
 被控訴人は、健太さんが精神錯乱状態にあったのだから警職法上の保護の対象であったし、保護のためには、彼らが取った行為は正当で、金属手錠や後ろ両手錠も許容されると主張し、原判決はそれを支持しました。
 この国の司法は、仮に相手が精神錯乱者、すなわち明白な精神症状を呈している患者であったとすれば、命を奪いかねないほどの有形力の行使を是とするのでしょうか。
 国際連合は、1991年、精神障害者にもインフォームド・コンセントをはじめとする患者の権利が保障されることを宣言する原則を採択し、その理念を反映するように精神保健福祉関連法は改正を重ねてきました。
 被控訴人は、遠藤警察官の証人尋問後、佐賀大学医学部精神科准教授の意見書なるものを新たな証拠として提出しました。その意見書は、佐賀県警の主張を無批判になぞる内容で、精神科専門医が書いたとは到底信じられないようなものでした。曰く、自分が現場で健太さんを見たら、薬物中毒を一番に疑うのではないかと思う。自閉症や知的障害のある人は、通常、その障害特性を十分理解している保護者的な立場の人がそばにいて、見守っているから今回のような事態が生じないようにその行動は十分コントロールされている。警察官たちがその体に手を触れる前に、健太さんは既にパニックに陥っていた。だから、続いて生じる事件や事故を予防するためには、有形力を用いて制止するのが、唯一の有効な手段である。しかも、その有形力は、十分な力で、十分な時間、制止を続けることが、最も安全かつ有効な方法である。
 精神科救急医療ガイドラインを引用するまでもなく、精神科医、しかも大学で教鞭を執り、将来の精神科医療を担う医師を育てる立場にある准教授が、明らかな精神症状を呈している患者に対する最も安全有効な対処は力尽くに押さえ込むことだと、何の衒いもなく言い切っていることに、戦慄を堪えることはできません。
 この意見書が象徴しているのは、人権の主体としての障害者という視点の完全な欠落です。また、自閉症や知的障害のある者の行動が、常に保護者的な人の監視のもとにコントロールされているなどというのは、単独での外出はするな、保護者はそんなことが起きないように四六時中見張っていろということに他なりません。障害のある人たちが、この社会で私たちと共生すること自体を否定しています。この医師にも、被控訴人にも、今日、この裁判を支援するためにここに集ってくださった300名を超える支援者の皆さんや、裁判所への要請書に署名してくださった沢山の方々が、毎日どのような思いでどんな日々を送っているのかについての想像力が絶対的に欠けています。
 自閉症という障害は、決してまれなものではありません。文部科学省が平成24年に実施した調査では、約6.5%の割合で、通常学級に自閉症スペクトラムの児童が在籍しているとされています。先日、お話を聞く機会があった小学校の特別支援学級を担当しておられた教諭は、現場の教師の感覚としてはもっと多く、約1割は自閉症を前提とした対応が必要な児童がいると述べておられました。
 個人的なことですが、私の近しい親戚の3歳半になる長男も、自閉症と診断されています。私のほかにも、控訴人弁護団の中には、自閉症をはじめとする障害をもった人を家族に持つ者が複数います。このように、自閉症のある人は、本当に私たちの身近にたくさん存在しているのです。親戚の長男には、物や動作に関する強いこだわりや、偏食、感覚過敏、常同運動など、自閉症の典型的な症状が現れています。両親は様々な支援を受けながら、子育てに取り組んでいます。私にとってもその子は本当に可愛く愛しい大切な存在です。ご機嫌なときにはにこにこと、一人遊びを続ける彼の可愛い笑顔を見るたびに、この子が自分らしく幸せに生きることができる社会にしたいと強く願い、同時に安永健太さんのことを思わずにはいられません。
 先程、健太さんのお父さんが、遠藤警察官の証言を受けて、「率直に言って怖いです」「二人目、三人目の健太はきっと出ます」と発言されました。ここに集ったすべての支援者が、同じ思いを共有しています。
 全国の障害者とその家族、多くの関係者が、この訴訟の行方に熱い視線を注いでいます。この国の、よって立つ人権規範が正面から問われているのです。障害のある人もない人も、共に日本国憲法の保障する基本的人権を十分に行使でき、自己実現することを可能にする、真の共生社会の灯火となるような判決を切に希望します。