このブログでみなさんにお伝えしなければならないことはたくさんあるのに、めまぐるしく動く状況の中、なかなか更新する余裕を持てていません。
 ハンセン病問題だけをとっても、家族提訴の関係では、3月29日に第2陣509名の大量提訴が行われましたし、特別法廷問題は4月25日に最高裁が調査報告書を公表、裁判所法に違反していたことを謝罪しました。HPVワクチン問題では、3月30日に提訴方針会見が行われ、東京・大阪・名古屋・福岡4地裁一斉提訴を目指して、全国各地で説明会が開催されています。
 また、この間の4月14日及び16日には、東日本大震災以来の震度7を記録する熊本地震が発生し、日本列島がいかに脆弱な地殻の上に存在しているのかを改めて思い知らされました。熊本、大分の被災者のみなさまには心からお見舞申し上げます。

 さて、昨日は憲法制定以来、69回目の憲法記念日。全国各地で、護憲、改憲、双方の立場での集会が開催されたことが報じられています。

 わたしは、ちょっと前倒しで5月1日に上演された、ひまわり一座の憲法劇「時をつくる人」を観てきました。
 政治に関心のない主人公がタイムスリップした2020年の日本は、既に憲法が改正されて、緊急事態条項が創設されていました。しかも、タイムスリップした途端に、アリババ国のテロリストによる同時多発テロ(実は政府のフレームアップ)によって緊急事態が宣言され、市民の集会は禁止、反政府的な情報を発信する学生たちは地下活動を余儀なくされていきます。公安警察から狙われた主人公の恋人は逃亡生活の果てに死亡し、情報発信活動を彼女から引き継いだ主人公は、公安警察とテロリストの双方から追われる立場に。
憲法集会
 左の写真は、主人公に蹴りを入れるテロリスト。演じているのは、当事務所の緒方枝里弁護士です(^_^;)
 フィクションとはいえ、近未来に十分起こり得る事態であり、舞台の上だけの絵空事と笑って観ている気にはなれませんでした。

 安倍首相は、在任中の憲法改正に熱意を燃やしており、7月の参議院選挙で、改憲発議に必要な3分の2以上の議席を獲得することに強い意欲を表明しています。
 しかし、現時点で公表されている自民党の憲法改正草案は、きわめてドラスティックなものであって、現在の日本国憲法との連続性さえ疑わしいものです。
 最も注目を集めるのは、第2章の標題を「戦争の放棄」から「安全保障」へと改め、「…陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という憲法9条2項を廃止するとともに、9条の2に国防軍についての規定をおいているところです。恒久平和主義を謳った格調高い憲法前文も、ほとんどが削除されます。
 しかし、それだけではありません。
 憲法の本質という面からみてより重要なのは、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の普段の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という12条の第二文を、「国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と改訂し、基本的人権の内在的制約原理として13条に規定されている「公共の福祉」という言葉を、「公益及び公の秩序」という言葉に置き換えているところ、さらには、現在、公務員の憲法尊重擁護義務を規定している99条に、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という新たな項を加えているところです。
 現在の日本国憲法は、多くの近代憲法と同様、権力を縛ることによって国民の基本的人権を確保するという考え方に立脚しています。これが、立憲主義と呼ばれる考え方です。しかし、自民党の憲法改正草案は、そうではありません。むしろ、国民に義務を負わせるところに、この自民党案の特徴があります。この改正案の起草委員の一人である片山さつき参議院議員は、「天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的な考え方です」と明言していますが、その現れが、これらの条項ということになります。
 そのほか、現在、衆議院及び参議院の総議員の3分の2以上の賛成を求めている憲法改正の発議も、過半数で足りることとして、改憲を容易にしています。また、今回の舞台で問題になっている緊急事態条項も設けられています。
 
 しかし、憲法改正を参議院選挙で争点とするといいながら、このような自民党改憲草案のうちのどの部分を今回の改正点として問うのかはまだ決まっていない、というのが自民党の立場のようです。
 前回の参議院選挙前、さかんに取り沙汰されていたのは、96条先行改正論でした。やはり、平和主義や基本的人権の尊重といった日本国憲法の根幹部分から手をつけるのはハードルが高いと考えたのか、時代に即応して柔軟に憲法を改正しているのが世界の趨勢なのに、日本国憲法の改正手続は厳格に過ぎて必要な改正ができないままになっているという言説が、改憲派からさかんに主張されました。
 しかし、この時点ではまだ、96条から手をつけようというのは姑息ではないかとの世論の反発も強く、結局、参議院選挙の論点にもなりませんでした。
 今回、それに代わって前面に出てきたのは緊急事態条項の問題です。特に、熊本地震後、菅官房長官が「極めて重い課題」であると発言したことが注目を集め、櫻井よしこさんあたりがその尻馬に乗って煽っています。
 この点、毎日新聞が、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の42自治体に初動対応における緊急事態条項の必要性についてアンケートしたところ、回答した37自治体中、必要だと感じたとの回答はたったの一つでした。実は、櫻井よしこさんの会見に同席した改憲派の憲法学者である百地章氏も、今回は法律で対応できるはずだとの見解を示したと報じられています。このような場合に必要なことは、政府に権限を集中させることではなくて、現場に十分な権限と予算を与えることだというのは、関係者の共通認識になっているようです。
 そう考えていないのは、要するに、あらゆることを利用して憲法を改正したいという人たちなのです。おそらく、緊急事態条項でも、なんでもいい。どこからでもいいから、日本国憲法を改正したという実績をつくって、最終的には、平和主義、立憲主義を根底から覆すような改憲にもっていきたいと思っているのではないでしょうか。

 わたしも、日本国憲法について、一言一句たりとも変えてはならないと思ってはいません。
 必要な改正はすればいいし、そのための議論はすべきだと思います。
 しかし、立憲主義を理解しないような人たち、天賦人権論は採らないという人たちと、憲法の話をするのはゴメンです。熊本地震の被災者に心を寄せるのではなく、それを自らの政治的目論みに利用することを考える人たちに、憲法に手をつけてほしくありません。

 この世界は、わたしたち一人一人の選択によって成り立っています。しかし、選択肢を目の前に突きつけられたときにはもう遅いということがあります。若者が、公安警察の呼び出しに応ずるか、そこから逃れて情報発信を続けるか、などという選択を迫られるような状況は、とっくにおかしくなっているわけで、もちろん、そんな状況にならないように、それ以前にきちんとした選択をしなければなりません。
 いまの日本も、既に相当おかしくなっています。例えば、岸井成格や古館伊知郎のメインキャスター降板に象徴される現在のマスコミの状況で、いかなるメディアにチャンネルを合わせるかという選択もかなり制限されてきました。ほんとうは、こんなことになる前に、なんとかしなければならなったはずなのですが。
 だからといって、遅すぎるということはありません。
 とりあえず、7月の参議院選挙では、改憲派に3分の2以上の議席を与えないこと。さらに、安倍政権が求心力を失うような選挙結果を目指すこと。
 それが、いま選択すべき道なのだと改めて思った69回目の憲法記念日でした。
(小林)