幸田2 当事務所に13年間にわたって在籍した幸田雅弘先生が、8月14日午前1時27分、肺炎のため逝去されました。

 幸田先生は、司法修習36期、1984年4月に弁護士登録して福岡第一法律事務所に入所し、1996年1月に当事務所に移籍、2009年1月に独立して六本松法律事務所を開設しました。

 弁護士業務の中心であった欠陥建築問題では、欠陥建築を造った建設会社や設計士の不法行為責任を認めた平成19年7月6日最高裁判決(判例タイムズ1252号120頁、判例時報1984号34頁)を勝ち取り、その判決の射程を限定した差し戻し審での敗訴を受けて、再度、平成23年7月21日最高裁判決(判例タイムズ1357号81頁、判例時報2129号36頁)を勝ち取るなど、目覚ましい業績を挙げています。また、平成17年11月に姉歯建築士耐震偽装事件が発覚する1年も前に、サムシングの耐震偽装を暴き、マンションごと建替を求める訴訟を提起する先見性を発揮されました。
 公害環境問題では、水俣病福岡訴訟で弁護団事務局長を務め、また、川崎町大ヶ原産業廃棄物処分場建設反対運動、宗像東部清掃工場建設反対運動、桧原ごみ収集車車両センター建設反対運動などにも取り組みました。住宅環境問題では、緑地保全を目的とした全国初の建築協定を成立させた「フクロウの森」マンション建設反対運動、水城の森マンション建設反対運動、福田学園体育館建設反対運動、小笹1丁目ライオンズマンション建設反対運動、建築確認を3度取り消させたダイアパレス今宿建設反対運動、名島台マンション建設反対運動、愛宕景勝台マンション建設反対運動など、手がけた大型建築物建設反対運動は100件を超えるといいます。
 小林は、福岡第一法律事務所で約7年間、当事務所で約12年間、弁護士として机を並べました。

 小林が福岡第一法律事務所に入所した1989年当時、幸田先生は6年目の弁護士でしたが、既に鹿児島夫婦殺人冤罪事件(高隈事件)の無罪判決を勝ち取るなどの実績を上げており、事務所の大黒柱として活躍していました。

 小林は、新人弁護士として水俣病福岡訴訟弁護団の末席に連なり、事務局長であった幸田先生の指導のもと、街宣活動にいそしみました。
 幸田1もちろん、書面を作成したり、尋問したりといった法廷内活動もあったのですが、当時の水俣病福岡訴訟弁護団の役割は、福岡高裁に係属している水俣病第三次訴訟第一陣のバックアップという部分が大きく、一緒に団体廻りやビラまきをした記憶の方がずっと鮮明に残っています。

 そのほか、福岡第一時代に幸田先生と手がけた裁判で印象深いのは、建築協定に違反して建てられた三階建て部分の取り壊しを求めた事件です。幸田先生のライフワークである住宅環境問題であり、その方面にあまり詳しくない小林は、法律構成をほとんど忘れてしまったのですが、とにかく、「被告は、別紙物件目録記載の建物について、三階以上の部分を取り壊せ」という勝訴判決をもらってビックリしたことは憶えています。判例タイムズ949号145頁に掲載されていますので、関心のある方はご参照下さい。あまり例のない、珍しい判決だと思います。

IMG_0261 九州合同法律事務所への移籍後は、幸田先生は建築問題と住環境問題に、小林は医療問題に、お互いの専門分野に特化していったこともあり、一緒に仕事をする機会は減りましたが、共同事務所のパートナーとして、とても頼りになる兄貴分であることは変わりませんでした。
 右は2007年の忘年会。ボーリング大会の成績発表でしょうか。

幸田3 年に1度の事務所旅行では、持ち前の緻密さで日程を組み、ホテルや食事場所を選び、事務所唯一の酒を呑まない弁護士としてドライバー役を引き受け、旺盛なサービス精神を発揮して、事務所のメンバーをリードしてくれました。トップの写真は奥入瀬渓谷。左の写真は、屋久島の千尋滝です。

 幸田先生から病気のことを聞いたのは2012年10月に開催された福岡第一法律事務所の創立50周年記念レセプションの席上でした。神経系の難病で、当初に想定されたよりも進行が早く、いくつかの医療機関での入院を経て、約2年前から自宅療養をされていました。お見舞にいくたびに病状が進み、不自由度は増していましたが、相手に対する心配りや前向きな気持ちは元気な頃と変わらず、わたしたちの話(それぞれの近況報告や弁護士業界の噂話)に、目を輝かせて聴き入っていました。

事務所旅行2007 014 昨日の葬儀には、弁護士だけではなく、環境問題に取り組んでいる市民団体の方が多数参列されました。また、日弁連の公設事務所・法律相談センター委員会の委員長を務めていた関係か、全国津々浦々の弁護士から弔電が寄せられ、改めて先生の業績が偲ばれました。
 建築・環境問題に専門特化した事務所をめざして六本松法律事務所を開設した2009年1月から数えれば、健康に働けたのはわずか3年足らずでした。それを思うと、いかにも道半ばという感が拭えませんが、冒頭に書いたような業績を思い返せば、十分過ぎるほどに働いた弁護士人生であったようにも思われます。

 幸田先生、ゆっくりお休み下さい。
(小林)