先日、鹿児島地裁で医療過誤訴訟の和解が成立しました。担当は、久保井と小林。2012年11月に提訴した事件で、私の訴訟事件中、最古参になっていたものです。警鐘事例としての価値があるケースだと思いますので、この機会に報告させていただきます。
 
事案の概要

 患者は、当時46才の女性。事故日の約半年前から、両手の震え、冷汗、動悸等の症状があったようです。事故日の約1週間前から、食欲不振、咳、息苦しさを感じるようになり、薬局で気管支喘息に効くという漢方薬や、動悸の薬である「救心」を購入して服用するも症状は改善しませんでした。
 当日、患者は夫に付き添われて、午前10時40分頃に相手方病院を受診しました。問診票には、「胸が苦しい」、「水分食事とれてない」、「尿少しずつ」、「下痢している」(1週間前くらい)、「呼吸がしづらい」、「座っている方がいいです」といった訴えが聴き取られています。体温は36.5度、血圧は204/107、酸素飽和度は97%、意識レベルは清明で会話は可能でした。
 この問診票をみた初診当番のA医師は、胸部X線、心電図、採血の各検査を指示しました。胸部X線で、右大量胸水、心胸郭比63%の心拡大、心電図からは心拍数193回の頻脈性心房細動が認められました。また、総ビリルビン2.7、AST136、ALT129、LDH413という血液検査の結果から、軽度肝障害が疑われました。
 この検査の後、A医師は患者の問診をしたとされていますが、その問診内容は診療記録に記載されていません。
 A医師から報告を受けた循環器科のB医師は、甲状腺ホルモンの検査を追加するよう指示、その結果、遊離T3値14.03(正常値1.71〜3.71)、遊離T4値4.03(正常値0.70〜1.48)、THS値0.01(正常値0.35〜4.94)というものであり、著明な甲状腺機能亢進症が明らかになりました。このとき同時に指示された胸部CTでは、肺野に明らかな病変はなく、呼吸器疾患には否定的な所見でした。
 この検査結果の報告を受けたB医師は、テノーミン50㎎の内服、ワソラン、アリサミン、リスモダンの静注を指示しました。なお、この指示をするにあたり、B医師は、患者を診察していません。
 13時50分頃、患者にテノーミンが投与されました。この時点での患者は「息苦しいです。座っていた方が楽です」と訴えつつも、笑顔を見せることができるような状態でした。14時14分から約3分かけてワソラン1Aが静注投与されました。この時点でも患者は「今は午前中より楽です」と状態を説明しています。
 ワソラン投与直後から、患者の心拍数は減少しはじめました。治療開始時点で180〜190台だった心拍数は、14時20分には120台にまで落ちました。
 しかし、この頃から、酸素飽和度も低下しはじめ、患者は吐き気と息苦しさを訴えるようになりました。看護師は、指示されていたアミサリン、リスモダンの静注を中止し、B医師に状況を報告しました。14時30分、B医師が来室し、リザーバーマスクでの酸素投与が開始されました。それにもかかわらず、酸素飽和度の低下は続き、14時45分、心エコーで著明な左室収縮障害、駆出率10〜20%の状態になっていることが判明しました。血圧も、収縮期圧が50台に低下していました。
 その後、ドパミン投与、気管内挿管による人工呼吸等の救命措置が行われましたが、結局、患者は16時48分に死亡しました。

患者の死亡原因

 患者に投与されたテノーミンはβ遮断薬というタイプの薬剤の一種です。交感神経のβ受容体を遮断することにより心臓の収縮力を抑制したり(陰性変力作用)、洞結節や房室結節に働いて心拍数を減少させたり(陰性変時作用)するため、高血圧や頻脈性不整脈の治療薬として使用されます。
 本件患者には頻脈性心房細動が認められていましたが、心胸郭比63%という心拡大、右大量胸水及び起坐呼吸(寝ているよりも坐った方が呼吸が楽)もみられており、明らかな鬱血性心不全を呈していました。鬱血性心不全というのは、心臓の働きが弱っているために、必要な血液を全身に供給できなくなっている状態を指します。このような患者に、陰性変力作用を有する薬剤を投与したらどうなるでしょうか。心臓の動きをさらに弱めて心不全を悪化させてしまうのではないか、と誰しも考えるところです。
 実際、このテノーミンの添付文書の【禁忌】の欄には、「鬱血性心不全の患者」が挙げられており、理由として「心機能を抑制し、症状が悪化するおそれがある」と明記されています。
 もうひとつのワソラン(ベラパミル)は、カルシウム拮抗薬という種類に属し、やはり頻脈性不整脈の治療薬です。これもテノーミンと同様に、陰性変力作用があり、添付文書の禁忌の欄には「重篤な鬱血性心不全の患者」が挙げられています。
 さらに、テノーミンの添付文書の「相互作用」の項には、「本剤からカルシウム拮抗剤の静脈投与に変更するためには48時間以上あけること」と注意されています。「相互に作用(心収縮力や刺激伝導系の抑制作用、降圧作用等)を増強させる」という理由も記載されています。
 つまり、本件は、甲状腺機能亢進症(甲状腺クリーゼという状態であったと考えられます)で鬱血性心不全の状態にあった患者に、心臓の収縮力を弱めるために禁忌とされているテノーミン及びワソランを同時に投与した結果、その薬効により心臓の収縮力が弱まって停止してしまったというごく分かりやすいケースです。薬物動態からすると、急変当初の段階は静注されたワソランの薬効が主であると考えられますが、時間の経過とともに経口投与のテノーミンの薬効が強くなっているはずであり、ドパミンによる蘇生に反応しなかったのは、専らテノーミンの影響ではないかと思われます。

本件訴訟の争点

 最高裁平成8年1月23日判決は、虫垂炎の腰椎麻酔時の血圧測定の時間間隔が問題になった事案で、麻酔薬の添付文書の記載事項に関し、以下のとおり判示しています。

 医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。

 本件では、B医師のテノーミン、ワソランの使用が、それぞれの添付文書記載の注意事項に反するものであり、患者の死亡がその使用に起因するものであることは明らかです。また、注意事項に従わなかったことにつき、特段の合理的理由があるとも思われません。
 しかし、病院側は、過失及び因果関係を、延々と争いました。
 病院側の主張に曰く
 β遮断薬が心不全に禁忌であったのは昔の話であって現在では心不全の治療薬としても使用されている。添付文書の記載が間違っているのだから本件は平成8年最判の射程外である。
 B医師はテノーミン、ワソラン投与の際に、患者が鬱血性心不全であると確定的に診断できなかったので、鬱血性心不全であることを前提とした注意義務は負わない。
 患者の死亡原因は甲状腺クリーゼによる鬱血性心不全の悪化であり薬剤の作用だけによるものではない。
 患者は受診の際に既に甲状腺クリーゼによる多臓器不全の状態でありB医師の過失がなくても死亡していた。

……などなど。

 甲状腺クリーゼは、「甲状腺ホルモン作用過剰に対する生体の代償機構の破綻により複数臓器が機能不全に陥った結果、生命の危機に直面した緊急治療を要する病態」とされており、患者の状態は日本甲状腺学会による甲状腺クリーゼの診断基準に該当するものでした。しかし、甲状腺クリーゼに関する全国的な疫学調査によれば、死亡率は10.8%であり、適切な治療がなされば、十分に救命可能な疾患です。また、多臓器不全の評価方法として汎用されているSOFAスコアでは、評価対象とされる6臓器系中2臓器系以上にスコア3点以上の障害がある場合に多臓器不全と評価しますが、来院時の患者は肝臓のスコアが2点であるほかは全て0点であり、多臓器不全との評価にはほど遠い状態でした。
SOFA

 もちろん、患者の死亡は薬剤の作用のみによるものではありません。甲状腺機能亢進症による鬱血性心不全という病態が基礎にあって、それにテノーミン及びワソランの陰性変力作用が加わり死亡という結果が生じました。鬱血性心不全であるにもかかわらず、このような薬剤を使用したことがB医師の過失なのですから、鬱血性心不全が死亡の原因の一つであることは、責任に何の影響もありません。
 テノーミン、ワソラン投与時において、患者はFramingham criteriaによる鬱血性心不全の診断基準を十分に満たしていました。これを鬱血性心不全と診断できなかったとすればそれ自体がB医師の過失です。また、B医師は、実際には患者を診察していないままに薬剤の処方を出しているのです。診察もせずに薬剤を処方しておいて、「確定診断できなかった」という弁解はいかがなものでしょうか。

 残る論点は、β遮断薬に関する知見の変化です。
 β遮断薬は、従来、心不全一般に禁忌とされていたところ、その投与直後には心機能を悪化させるが、長期的に投与を続けると心不全患者の生命予後を改善するという報告がみられるようになったことから、慢性心不全の治療薬として使用されるようになったとされています。また、今日では、慢性心不全の安定期だけではなく、急性心不全早期からの投与に努めるとしている文献もあります。
 しかし、本件で問題なのは、β遮断薬の一般論ではありません。あくまでも、テノーミンという薬剤をこのような方法で使用してよかったのかという問題です。
 心不全の生命予後を改善することが報告されているβ遮断薬は、経口薬としてはカルベジロール(アーチスト)とビソプロロール(メインテート)であり、これらは、高血圧用、抗不整脈用の従来の剤形以外に、その8分の1、16分の1の剤形が販売されています。その強い陰性変力作用のために、心不全患者には慎重に少量から投与を開始すべきとされているからです。
 ところが、テノーミンにはそのような剤形はありません。もちろん、心不全患者の生命予後効果が確認されておらず、心不全患者に対する使用が予定されていないからです。そして、B医師は、高血圧用、抗不整脈用に使用されるべきテノーミン25㎎を、8分の1あるいは16分の1に分割するのではなく、2錠投与しているのです。このような使い方を善しとするような知見の変化は、わたしが調べた範囲ではどこにも見出すことはできませんでした。

鑑定及び補充鑑定

 A医師、B医師及び患者の遺族の尋問が行われたのは、2014年1月のことです。
 尋問終了後、裁判長は、私たち原告代理人に対し、「鑑定を申請するつもりはないのか」と尋ねました。文献及び人証で十分立証できているというのが私たちの立場でしたので、その旨を述べると、「ではこれで結審します」と裁判長、そこでやおら被告代理人が立ち上がり、「こちらから鑑定を申請します」というちょっと不思議な展開になりました。
 そこから原告側の最終準備書面的な主張書面、被告側からの鑑定申請、原告側から鑑定に反対する意見書、それに対する被告側の反論といったやりとりを経て、裁判長は鑑定を採用、それから鑑定人が決まるまでに1年以上の時間がかかり、ようやく鑑定書が出たのは2016年2月でした。

 鑑定の結論は、「本症例における治療選択は、すべて医師の裁量の範囲内で適切であると判断いたします」というものでした。
 テノーミンの使用については、「鬱血性心不全に対し、添付文書上は禁忌であるものの頻脈性心房細動症例に対しては心拍数コントロールにより血行動態の改善を得られることが期待され、熟練した循環器内科医による使用は一般的に行われております」、その使用量については、「心不全症例における使用であることから通常以上に慎重に投与するべきですが、当時の患者は著明な心拍数高値、血圧高値であり、また早急に血行動態を改善しなければ急変しうるという判断の元で、50㎎という投与量は必ずしも過量とは言えず、裁量の範囲内と判断いたします」、ワソランとの併用についても、「テノーミンと同様です…心不全症例に対する投与であり、かつ先行してテノーミンを内服していることから慎重に投与するべきとは考えられますが、必ずしも不適切な使用ではありません」と言います。
 また、鑑定人は、「患者の容態が急激に悪化した原因として、時間的経過から考えて、テノーミンの内服やワソランの静脈内投与が直接的に影響した可能性のほかにも、心不全の状態がそれだけ逼迫していたという可能性も否定できません」、「担当医の行った各種の治療は全て医師の裁量の範囲内と判断いたしますが、それでも血行動態の破綻を来し、死亡に至りました。当然無治療のままであっても、心不全を生じた甲状腺クリーゼである本症例の急変・死亡リスクは極めて高いことが予想され、来院時点で治療困難な状態であったと考えてよいと思います」と述べています。要するに、どんな治療をしても死亡という結果は同じであったというのが鑑定人の考えのようです。

 根拠らしき根拠を示すことなく結論のみを断定的に述べるこの鑑定には、流石に被告側も不安を覚えたのか、「心不全が逼迫した状態であった可能性を医学的資料をもとに詳しく説明されたい」、「(本件のような薬剤の使用方法が)一般的に行われていることを根拠付ける調査結果、ガイドライン等があれば示されたい」という旨の補充鑑定を申し立てました。
 原告側も、以下のような選択肢を挙げ、それぞれについて、①心拍数コンロトールの効果の程度、②陰性変力作用の程度、③ドパミンに対する反応の影響の程度を考慮して結果可能性についての鑑定人の意見を示すよう求めました。
・ ジゴキシンの静脈注射
・ ワソランの静脈注射(単独)
・ カルベジロール又はビソプロロールの少量投与
・ ランジオロール、プロプラノロール等静脈用β遮断薬の点滴静注

 これらについての補充鑑定は、先の鑑定の医学的根拠が極めて薄弱であることを自ら示すものになりました。「心不全が逼迫した状態であった可能性」については、「心不全である以上いつでも急変の可能性がある」というのみでしたし、本件のような薬剤使用方法が一般的なものである根拠として鑑定人が挙げたのは、心不全に対してカルベジロールやビソプロロールの少量投与やランジオロール、プロプラノロールの点滴静注が行われるというガイドラインの記載であり、鑑定意見の根拠となるようなものではありませんでした。また、他の選択肢によった場合の結果回避可能性については、いずれの治療法を選択肢しても死亡の結果を回避できなかった可能性はあるというごくあたりまえのことを繰り返すのみでした。

裁判所による和解勧告〜和解の成立

 補充鑑定後、裁判所による和解案が示されました。
 和解案は、患者が鬱血性心不全の状態にあり、テノーミン、ワソランの投与が禁忌であったこと及び添付文書上の注意に従わずにこれらを投与したことにつき特段の合理的理由は認められないとして医師の注意義務違反を認め、かつ、その注意義務に違反した薬剤の投与と患者死亡との因果関係を認めるものでした。反面、損害については、甲状腺クリーゼによる心不全を来していたことから、適切な治療がなされていても労働能力が制限される結果となった可能性もあるとして逸失利益を20%しか認めないという原告側にかなり厳しいものでした。
 原告側は、責任及び因果関係が認められたことを評価してこの和解勧告に従う旨を表明、鑑定結果と異なるとして抵抗した被告側も最終的には勧告を受け入れ、12月22日に和解が成立しました。
 
 原告側としては、金額的には極めて不満な和解ではありました。しかし、鑑定に従えば全面敗訴の事案です。どれほど説得力に欠けるものであっても鑑定は鑑定なので、地裁で勝っても高裁でどうなるか分かりません。その意味では、苦渋の選択を迫られた事案だったといえます。
 
コメント

 鑑定人は、医師になって8年目の若い方で、循環器内科としての臨床経験はわずか3年半しかありませんでした。お名前で論文検索をすると、ヒットするのは植え込み型補助人工心肺あるいは肺高血圧症に関するものがほとんどで、本件の論点に関係するようなものは全くありません。
 鹿児島地裁は、鑑定を採用する場合には福岡高裁鑑定人ネットワークに推薦を依頼しているとのことでした。本件では、まず最初に推薦された鑑定人候補から何の返答もないまま時間だけが過ぎてしまい、2人目に推薦されたのがこの人です。いかなる理由で鑑定人に相応しいとして推薦されているのかも不明であり、裁判所にその旨の意見を述べて鑑定人及び鑑定人選任方法を再考するよう求めたにもかかわらず、この方が鑑定人に選任されてしまいました。
 実は、福岡地裁や福岡高裁では、この福岡高裁鑑定人ネットワークは利用されていません。鑑定が採用されると、まず専門委員を選任して、鑑定人候補を複数名推薦することを依頼し、そこで推薦された候補から、裁判所と当事者の協議によって選任するという方法が採られています。鹿児島地裁も、2年以上かけた鑑定結果がまったく説得力に欠けるものであったという今回のことを教訓に、鑑定人選任方法を考え直してほしいものです。

 この鑑定は、法律家の目からみれば、著しく説得力に欠けるものでしたが、臨床現場からはまた別の見方があるかもしれません。この鑑定人が、「熟練した循環器内科医による使用は一般的に行われております」という以上、きっと、そのような実態はあるのでしょう。わたしたちとしては、そう思わざるを得ません。
 問題は、それでいいのか、ということです。
 鑑定人は、ジギタリスや、カルベジロール又はビソプロロールの少量投与では心拍コンロトールの効果が弱く、自然経過による心不全の増悪を押さえられなかったのではないかと考えているようです。B医師の考え方も、おそらくはそうなのでしょう。
 しかし、実際にこのような治療法を選択したところ、頻脈が治まらずに心不全が悪化して短期間で死亡に至ったということはよくあることなのでしょうか。仮にそのような例が多数報告されているのであれば、「慎重に少量から」などというガイドラインの記載は有害というほかなく、早急に改訂されるべきではないかと思われます。また、テノーミンを鬱血性心不全に禁忌とする添付文書も改訂されるべきでしょう。
 一方、添付文書上、鬱血性心不全にテノーミンが禁忌であることは広く知られているはずですが、実際に鬱血性心不全の患者にテノーミンを使って心停止になってしまったという経験をした医師はあまりいないだろうと思います。
 以前、造影剤ショックの裁判をした際、相手方の医師が、「CTを撮影する場合には全例造影しているが、これまで一度もショックなんて経験していない」と証言したことを思い出します。
 こういった事故を起こす医師は、添付文書に記載されているような有害事象はめったに起こるものではない、これまで大丈夫だったのだからこれからだって大丈夫だ、と思い込んでいるのではないでしょうか。

 もしそうであるならば、このような医療過誤訴訟があったということを広く知っていただくことに社会的意義があるのではないかと考えて、やや詳しく報告させていただいた次第です。
(小林)