前回の医療事故紛争解決事例1は、単純X線画像の異常陰影の評価を誤ってCTを撮影せず、肺癌の診断が遅れたケースでした。単純X線で肺癌を疑ってCTを撮影すべきか否かが問題になった事案は他にも経験していますし、裁判例もいくつかあるようです。
 しかし、肺癌診療において、CT画像の評価が問題になったケースは、比較的珍しいのではないかと思います。

 患者は68歳の男性です。もともと、腹部大動脈瘤の経過観察のために、定期的にA病院で胸腹部CTを撮影していたのですが、2013年3月に撮影したCTで左肺にスリガラス様の異常陰影が認められました(画像②)。そこで、1年前のCTをチェックしてみると、やはり同じ部位に小さな異常陰影が存在しており(画像①)、1年間で倍以上に大きくなっていることが分かりました。
 肺癌疑いで喀痰細胞診を行ったところ、偽陽性(クラスⅢ)。
 担当医は、気管支鏡検査等のより専門的な検査の必要性を考慮し、患者をB病院に紹介しました。
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 患者がB病院を受診したのは約2か月後のことです。B病院の担当医は、改めて胸部CTを撮影(画像③)し、COP(特発性器質化肺炎)の疑いとして、3か月後の受診を指示しました。
 COPがどういう病気なのかということを分かりやすく説明したものを見つけることができていないのですが、細菌性ではない非結核性の炎症で、原因が特定できない(特発性)病気、ということになりましょうか。
 患者は、A病院で、「肺癌の疑いで気管支鏡検査が必要かもしれない」との説明を受けています。そのことは、当然、B病院の担当医に告げました。
「気管支鏡検査の必要はないのでしょうか?」
 それに対し担当医は、「気管支鏡を入れて細胞を採りますか? 痛いですよ」というだけで、特に検査を勧めることはありませんでした。患者は、「そうか、気管支鏡検査は受けなくていいのか」と、ほっとしたそうです。
 カルテには、そういうやりとりは記載されていません。「気管支鏡検査は本人が拒絶」と記録されているだけです。
 3か月後、患者はB病院を受診し、CTを撮影しますが、著変なし。
 しかし、翌2014年5月のA病院定期受診の際に撮影されたCT(画像④)では、左肺の異常陰影は明らかに拡大しており、再度、A病院からB病院へ、肺癌の疑いで紹介されることになりました。
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 結局、その年の7月に、B病院で、左下葉切除及びリンパ節郭清術が実施されました。術後診断は、腫瘍径6.5㎝でT2b、リンパ節転移なし、遠隔転移なしのステージⅡAでした。
 肺癌を心配してB病院を受診したのに、何の検査もしてくれなかった、きちんと検査をしてくれれば、もっと早い段階で肺癌の手術ができたはずだ、その分、転移の心配もしなくて済んだはずだ、というのが患者側の言い分です。
 確かに、2013年5月から8月にかけての陰影は最大径4㎝前後であり、ステージⅠBの段階で手術ができたものと思われます。一般に肺癌手術後の5年生存率は、ステージⅠで手術した場合が約70%、ステージⅡで手術した場合が約50%とされています。できることであれば、早く手術するに越したことはありません。

 このようなケースでは、2014年5月のB病院初診の段階で、肺癌を疑い、気管支鏡検査等の検査を行うべき注意義務があったかどうか、という点がまず問題になります。
 呼吸器科の協力医に相談したところ、このCT画像のスリガラス様陰影は、典型的な肺癌に比べるとやや薄い印象で、COPとの鑑別が非常に難しいタイプのようです(そういう意味では、このエントリーの標題「CT画像の評価を誤り〜」というのは、B病院の担当医に対してやや公正さを欠くかもしれません)。しかし、2012年3月から翌年3月、そして5月と経時的に拡大していることを考えれば、やはり肺癌の可能性を考えて検査を勧めたい、自分であれば、気管支鏡検査よりも、むしろCTガイド下経皮針生検を考えるとのことでした。確かに、末梢型肺癌に対しては、気管支鏡検査よりも、CTガイド下経皮針生検の方が容易であり、診断率も高いという文献もあります。
 一方、担当医に事情を聞いたところ、自分は肺癌の可能性も説明はしたつもりである、ただ、画像上はCOPが最も疑わしいと考えたので気管支鏡検査を特に強く勧めることはしなかった、と言います。CTガイド下経皮針生検については、気胸などの危険が大きいので、気管支鏡検査よりもこれを優先すべきだとは思わない、とのことでした。
 しかし、前年3月以降、経時的に拡大していることは、COPよりも肺癌を疑うべき要素だったということは、担当医も認めました。「前年のCTと比較して拡大している」ということは、A病院からの紹介状に書いてあったのですが、前年3月のCT(画像①)は、その医師は見ていなかったようです。わたしから画像①を見せられたその医師は、「これを見ていたらまた別の判断があったかもしれない」と呟きました。

 結論的には、2013年5月の段階で、肺癌を疑って気管支鏡検査あるいはCTガイド下経皮針生検等の検査を行うべき注意義務があったとまでいうのは難しいかもしれないけれど、スリガラス様陰影の経時的な拡大という経緯を踏まえた上、それぞれの検査と、経過観察の利害得失を十分説明しなかった説明義務違反はあるのではないかというスタンスで医療機関と交渉し、一定額の和解金で解決することができました。過失も損害も、なかなか難しいケースでしたが、担当医も病院側も、誠実に対応してくれたと感じています。

 この事件で印象的だったのは、「気管支鏡検査は本人が拒絶」というカルテの記載です。患者は、医師から「気管支鏡検査なんて必要ありません」と言われた印象しか残っていないのに、カルテ上は、「本人が拒絶」。
 医師側にしてみれば、「気管支鏡を入れて細胞を採りますか?」と選択肢も示した、「痛いですよ」とデメリットも説明した、そのようなインフォメーションの結果、患者さんは気管支鏡検査にコンセント(同意)しなかった、ということなのでしょう。
 患者と医師との間には、深くて暗い河がある、といいたくなります。
 
 実は、私自身にも、似たような経験があります。興味のある方は、2012年3月10日のエントリー「カルテと現実との間」をお読みいただければ幸いです。(小林)