ハンセン病家族訴訟は2018年12月21日午後2時、結審を迎えました。
 正午過ぎから熊本地方裁判所の門前には沢山の方が群れをなし、多くの報道陣がカメラやマイクを構えていました。
 少し大部の報告になりますので、本日から、3回ほどに分けて、ご報告させていただきたいと思います。
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【門前集会】
 午後1時に始まった門前集会、林力原告団長の穏やかながらも力強い挨拶の後、弁護団共同代表の徳田靖之弁護士が、いつになく高揚した口調で語り始めました。この日を迎えた感慨を述べた上で、怒気を込めたその語りは、後に法廷で陳述する意見を先取りしたものでした。今回の期日、30名を超える原告の参加を迎え、一般に配布される傍聴席の数は数十席に限定されます。ですから、傍聴希望者の多くは法廷に入ることができません。そのことに配慮したものでした。
 前の国賠訴訟の原告団代表の竪山さんからは、この間、Facebookを通じて多くの支援者が思いを寄せてくれていることが紹介されました。とりわけ、前日にコメントで病歴者の親族であることをカミングアウトした方のお話が胸を打ちました。自分の伯父が入所者であることを、父は語らずに亡くなった。その死後、十数年経って初めて知らされ、伯父との交流ができた。この訴訟に、冷静さをもって関与することはできない。けれど、「明日、私の心は熊本にあります」。そのコメントに、家族の思いが集約されているように思いました。
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 集会後、四列に並んでの入廷行動、傍聴抽選整理券の配布抽選を経て、期日が始まりました。
【意見陳述】
 まずは原告側、原告は、今回の期日に先駆けて、4通の準備書面を提出しています。最終準備書面事実篇、責任篇、損害篇、そして561名の原告全員についての個別被害準備書面です。いずれも100頁を優に超える大部のものです。
 最初に神谷誠人弁護士が、事実篇及び責任篇の準備書面を要約する意見陳述を、続いて大槻倫子弁護士が、損害についての意見陳述を行いました。小さな島で生まれ育ち、今もその島で暮らす寡黙な兄と妹、聴き取りの最終段階で、妹は、ぽろぽろ涙を流しながら、ふりしぼるように、「できることなら、もう一度、人生をやり直したい」といい、その横で背を向けて座っていた兄も、肩をふるわせ、抑えきれぬ涙を拭いながら、「自分が口にできなかった思いを、口にしてくれた」そう言ったこと、原告らが口々に叫ぶ、「人生と青春を返せ」「本当の自分を取り戻したい」の思い。偏見差別を受ける地位におかれ、家族関係の形成を阻害されているという、原告らすべてに共通する被害の深刻さを訴えました。
 続いて、3名の原告が意見陳述を行いました。
原告番号2番の赤塚興一さん
 奄美大島から駆けつけた彼は、父親が収容されて以来一変した生活、「こじき」と蔑まれ、石を投げられた幼い日々に深く刻みつけられたトラウマ、ゆえに病歴者であった父親を疎み、嫌いながら、その父が病者として消毒の対象とされることについて「父が辱められる」と思い、怒りを感じて抵抗したこと。自分の中にある父親への複雑な思いに気づいたこと。父の死後、遺族訴訟の原告として立ち、実名を名乗って活動してきたが、4名の子のうち3名までもがその影響で離婚に至ったことから、活動を自粛し、この訴訟への参加も躊躇していたこと。けれども、父の収容によって苦労を重ね亡くなった母親への謝罪のためにこそ、この裁判で勝訴判決を勝ち取りたいとの思いで原告となったことを語り、最後にこう述べました。
「私たち一人ひとりの原告が生きてきてよかった、父の子でよかった、母の子でよかったと心底思うことができるような、すばらしい判決を切に望みます」
原告番号169番
 関東在住の70代の女性である原告は、父親と兄が病歴者です。幼い頃から療養所を訪ね、入所者から可愛がられていた彼女は、ハンセン病を怖いと思ったことはなく、父親が大好きで、心から尊敬し、誇りに思っていました。兄についても同じです。けれど、帰省している間中、周りの目を気にして、人が来ると押し入れに隠れたりする父親の姿を目にする中、父と兄の病歴は、決して誰にも知られてはならないと、絶対的な秘密として心の奥深くに抱え込んで来ました。また、地元の名家であった父の家族は、その病歴ゆえに地元にとどまることができず、ばらばらになり、「いえ」は途絶えてしまいました。
「何よりも国は多くの家族を崩壊させて人生をゆがめてしまったことを認めて謝って下さい。謝ってくれないと私はずっと苦しみ続けると思うのです」
(つづく)