結審期日の報告のつづきです。
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【意見陳述】
 最後に、原告番号9番、奥晴海さん
 奄美大島に住む70代の女性です(写真は奄美大島の海)。
 母親が病歴者であった彼女は、1996年、らい予防法が廃止された年にお母さんを亡くし、「これでハンセン病との縁は完全に切れた」と思っていた。ところが、前の国賠訴訟と判決を経て遺族訴訟の原告になり、「やっぱり私が帰るところは、ここしかなかったのだな」と思った。遺族訴訟で、後に家族達の集う「れんげ草の会」を立ち上げることになる仲間と出会い、生まれて初めて「真の友」を得て、語り合うことにより、幼い日に両親を収容により奪われたために失われていた「自分」を知ることができた。毎年の厚労省での定期協議にも参加した。けれど、自分のことで訴えるなんて想像もできなかった。
 しかし、3年前、退所者の配偶者の「労苦を共にしてきた特別の事情」に鑑みて、遺族年金的な制度を創設するとの報道を目にして、一瞬、配偶者という家族の被害を認めたのだから、一般的に「家族の被害」があることを国は認めたのだと思ったが、実はそうではないことを知り、改めて国に謝罪を求めるため、訴訟を起こさなければ、「生涯、汚点を残す」と思った。
「国には、謝罪してもらわなければなりません。私たちにちゃんと向かい合ってほしいのです。/私たちが、人間としての誇りを、取り戻すことのできる、私たちの道しるべとなるような、判決を、心待ちにしています」
 最後に、徳田靖之弁護団共同代表
 前の国賠訴訟のきっかけとなった島比呂志さんの「一通の手紙」に触れ、原告らが如何なる人生を甘受しなければならなかったのか、どのようなとががあったのかと問いかけた上で、被告国の応訴態度を痛烈に批判しました。
 隔離政策によって家族に被害が生じていることを争い、その認識の可能性まで否定したこと。とりわけ、竜田寮事件について、「熊本という特別にハンセン病に対する偏見の強い地域において、一部の暴力的な分子がおこした特殊な事件である」と主張したこと。
 また、ハンセン病に対する差別・偏見は、遅くとも2013年までには、社会通念上無視し得ない差別・偏見は除去されるに至っていると主張したこと。
 黒川温泉事件ひとつとっても、そのようなことは到底言えないことを述べた上で、本訴訟の意義を次の4点にまとめました。
 家族に対する国の責任を断罪すること、私たち社会の側の責任を明らかにすること、原告らがこの訴訟を通じて、被害・苦難からの解放されること、訴訟を通じて、肉親である病歴者とのつながりを回復すること。
「すべての原告が、生きてきてよかった、勇気を出してこの訴訟に参加してよかったと、心の底から思えるような、歴史に残り続ける判決を切に願って、私の意見陳述を閉じさせていただきます」
 意見を述べ終えたとき、傍聴席から期せずして拍手が舞い起こりました。
 続いて、被告国からも簡単な意見陳述が行われた後、弁論終結、判決期日は来年の5月31日午後2時に指定されました。

【こぼれ話】
 徳田代表が意見陳述の冒頭に紹介した、島比呂志さん。今回の期日には、島さんの北九州市での社会復帰を支援し、後にその養女となった岸上昭子さんも参加しておられました。「ぜひ、傍聴したい」と仰っていましたが、「残念ながら抽選で倍率が極めて高いのです」と申しあげておりましたところ、何と10倍の倍率を見事くぐり抜けて、傍聴することができたのだそうです。
 養父である島さんの手紙についての言及に、思わず胸がいっぱいになったとのよし。昭子さんは、島さんが社会復帰した際に、自治会会長をされていた方の息子さんや、現在の自治会会長である岩川さんとは初対面で、この場で始めてご挨拶がかないました。
「家族の被害、聞いてみて始めてよく分かりました」
 それぞれに、それぞれの、思いがあります。

 次回は、報告集会の模様をご紹介します。
(つづく)