さて、3回にわたり綴ってまいりました結審期日の報告、終了後の報告集会の模様をご紹介します。
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【報告集会】
 午後6時半から、県立劇場で報告集会が開催されました。
 この会場にも、椅子を追加するほどの方が集まって下さいました。
 まず、支援の会の事務局長伊藤京子さんから、10万筆を目標に行ってきた署名活動についての報告がありました。12月18日に3回目の署名提出を行い、新たに2万7344人分の署名を提出、総計11万6079名分の提出となったことが報告され、大きな拍手をもって迎えられました。
 また、この集会では、3名の原告が、それぞれ30分ほど自身の被害と、この訴訟に寄せる思いを語りました。いずれも、胸に迫るもので、詳しくご紹介したいところですが、簡単に。
 まずは、四国に住む男性、小6の時、父親が収容され、自宅は真っ白に消毒され、苛烈な差別にさらされたこと、大人になって就職の際の面接で、ごまかしきれず父親の病気を打ち明けたがために不採用となり、以来、履歴書のいらない小さな会社を転々としてきたこと、後に父を引き取り、共に暮らしながらも周りから隠し、地域の医療機関にかからせることもせず、亡くなったときには、これでようやく「らい」と縁が切れるとほっとしてしまったこと。今も顔を出して語ることは決してできないこと。重たい秘密を抱え込まされてきた被害を、訥々と語りました。
 次は、沖縄本島からの男性。両親ともに病歴者で、原告を産むために療養所を出たものの、間もなく父親は再収容され、医療の貧しさゆえに亡くなってしまったこと、生まれたばかりの妹も含めた親子4人の家族写真は1枚しかない、と語り、その写真をスクリーンに映したまま、被害が語られました。れんげ草の会に早くから参加し、もう社会にはハンセン病差別はないと思って数年前に職場で同僚に打ち明けたところ、周りの眼差しが変わり、辞めざるを得なくなったことなど、今も続く被害の深刻さが語られました。
 最後に、沖縄の離島に住む女性。療養所で生まれ、病歴者である両親はやがて療養所を出て、偏見と差別の中で懸命に生き抜き、3人の子を育て上げた。原告らの一家は、親戚からはなきものとされ、成人してからは結婚したいと思った相手に親を会わせることができず、ついに告白しないまま、今も独身を通していること、公共機関で障害者の相談支援業務に就きながら、両親のことをひた隠しにする自分は、両親を差別しているのではないかとの葛藤に苛まれることがたびたびであること、家族が負い目を感じることなく、平穏に暮らせるような判決を望むことを語りました。
 最後に、原告団副代表の黄光男さんのギターで、参加者全員が「ふるさと」と「アリラン」を歌い、伊藤さんからの行動提言を受けて、集会は幕を閉じました。

【懇親会】
 集会終了後、同じ県立劇場のレストランで、立食形式の懇親会が開かれました。ここにも遅い時間にもかかわらず、沢山の方が集い、参加者がマイクを手にそれぞれ思いを語りました。100名分用意されていた食事はきれいに平らげられ、お開きとなりました。
 さあ、いよいよ判決を迎えます。それまでに、各地で学習会を開催し、国に問題の解決に向けた真摯な取り組みをさせるため、大きな機運をつくりたいと思います。みなさま、それぞれお住まいの地域で、周りの方々への働きかけを、どうかよろしくお願いいたします。