なんと、昨年十二月の結審についてご報告したのち、続報をお知らせしないままでした。

2019年5月31日に予定されていたハンセン病家族訴訟の判決期日が、6月28日に延期になり、今度の金曜日がいよいよ判決となります。
我が事務所では、小林、高木、久保井の3名が弁護団に参加し、それぞれ全国各地に赴いて原告のみなさんから被害を聞き取り、国の責任や、家族の被害の本質は何か、その重大さはいかほどかについて、議論し、書面にまとめる作業をしてきました。 IMG_5666

 結審してからは、国会に、原告や全国から集ってくださった支援のみなさんと共に集い、国会議員お一人おひとりの部屋を訪ねて、ハンセン病問題がまだ未解決であること、とりわけ家族の被害の問題はこれまで放置されてきたこと、家族の皆さんがどれほどの被害を蒙ってきたかについて、訴え、判決後の国会としての取り組みを要請する活動を続けています。

6月22日は、患者元患者の皆さんが国を訴えた2001年熊本地裁判決が、画期的な国による控訴断念により決着し、直ちに謝罪すると共に、補償法の成立に向けて動き出した国会が「ハンセン病補償法」を可決成立させた日です。
国は、この日を、「らい予防法による被害者に対する名誉回復と追悼の日」と定め、毎年、厚生労働省の敷地内に建立された慰霊碑の前で追悼式典が行われてきました。
今年の6月22日は土曜日でしたから、前日の21日午前にこの式典が執り行われました。
「追悼の日」でもあるのですから、参列者は、物故者への黙祷を捧げ、祈ります。
毎年、数は限られますが、追悼の対象たる物故者の「家族」すなわち遺族が参列し、厚労大臣、総理大臣、衆参両議院議長らの謝罪のほか、全国原告団協議会、全国ハンセン病療養所入所者協議会からの挨拶に加え、遺族代表の挨拶が行われてきました。
家族訴訟が提起されてからは、家族自身も紛れもない「らい予防法」による強制隔離政策の被害者であるということを、明確にして、語ってきました。
IMG_0031

今年は、顔も名前もNGである、70代前半の男性が、ご自分の被害を訴えられました。
父親の発病ゆえの、大掛かりな消毒、それゆえの自身の辛い少年時代、そして就職においても受けた差別。
けれども、彼が唇をゆがめ、嗚咽をこらえきれず、しばし沈黙が続いてしまったのは、そんな父親を嫌った自分が、いかに父親を傷つけただろうか、と、自身が家庭を築いたのちに気づいた父親の思いについて言及した時でした。
とりわけ幼い頃に親と離別を余儀なくされた子は、親と触れ合うこともできぬままでは、親への自然な情愛を育むことなどできません。
この裁判を通じて、誤った隔離政策が、いかに家族のありようを歪めてきたのか、自然な情愛のはぐくみを妨げてきたのかが、あきらかになっています。
「激烈な恐ろしい伝染病だ」と親の病気について教え込まれた「子」は、社会の中で生き抜く術として、親を徹底的に忌避することを強いられてしまいます。
親に対しても、しぜん、激烈な嫌悪の思いを、知らず向けてしまうのです。
まぎれもない自分の「子」から、そんな負の感情をぶつけられた親の思いはいかばかりだったでしょうか。
今回の、遺族代表の訴えに、なおのこと、そんなことを思いました。

さて、6月28日の判決前夜、熊本駅前の森都心ビルで、前夜集会が開かれます。
午後6時からですが、どなたでも参加可能です。

あ、写真は、6月18日に熊本市で行った判決記者レクの様子です。
市民会館の和室しか取れなかったのですがあふれるほどの記者らが集い、ぎゅう詰めの会見ののちも、出口で熱心な主催を受けました。

ぜひ、前夜集会、当日判決行動、なかなか判決の法廷に入るのは困難ですが(席が限られているため)、たくさんの方に、おあつまりいただければとおもいます。
全国から、おおやけには名乗ることのできない原告が、それでもこの日には多数集います。
きっと募ってくださるみなさんとは、打ち明けて思いを話すことができる場面もあろうかと存じますので、ご参加ください。

(久保井)





これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。